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3年目

 今日で、ブログを書きはじめてから3年経過した。ほぼ毎日更新し、記事も1000本は超えた。内容はともかく、我ながらよく続く。
 
 しかし、どうもマンネリである。継続性に力を入れ過ぎ、内容が面白くない。敵をつくるのを怖がって、当たり障りのないことに終始している。間口が広すぎるので、ランキングもいまひとつである。

            自画像 H28.5.02

 そのせいか、「拍手」の数が減った。2つか3つしかない(以前しばしば10以上あった)。ただ「拍手」が少ないのは、どうも賛同してもらえないからだけではない。「拍手」をクリックすると、左側に「拍手ランキング」のタブが現れる。そこをまたクリックすると、人気ランキングのトップ10を見ることができる。

 以前は、その中に怪しげな動画が必ず2~3本はあった。今まで見たこともないものが、無料でいいのかと思ったぐらいである。「拍手」にはそんな余禄があった。なぜか最近はその動画がベスト10に入っていない。私の記事の読者にとって、つまらないものしかない。

 そろそろ「過激動画」が復活し、「拍手」の数も増えるのではないかと期待している(これを他力本願という)。
 一度確認してください。
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電柱の建て替え

 世の中には、コミュニュケーションロスによるムダがいたるところにある

 先日北陸電力から、我が家と隣の境界(公道)に立っている電柱を、1~2メートル我が家の方にずらしてほしいと要請があった。老化して腐食が進み、このままでは倒壊する恐れがあるからだという。たしかに移設しようとするところは垣根の前で、今のところ何の支障もない。むしろ車一台の長さの垣根は、路上駐車に最適な場所になり、違法駐車が後を絶たなかった。それに、住民エゴで公共の利益を損なうのは、もっとも嫌うところである。

 さはさりながらその場所は、数年後には垣根を取っ払い、駐車場にするつもりでいた。駐車場にしなくても、家の前に障害物があれば、利用は大幅に制限される(いまでも我が家の方にだいぶ食い込んでいる)。近い将来、また戻してくれと要求しても、簡単に移設してくれるとは限らない。いま関係良好の隣人も、電柱がまた戻って来ればいい顔はしない。そのとき隣には、違う人が住んでいる可能性もある。
 ネットで調べると、電柱移設に伴う隣人とのトラブルは多い。わざわざそんな火種をつくっておくと、末代まで祟られる。

     邪魔な電柱 H28.3.30

 そう思ってさらに調べると、それほど費用をかけなくとも、電柱を同じ場所に建て替える工法が開発され、すでに実用化されている。移設して数年後にまた移設するより、はるかにコストも安い。人家のまばらな田舎ならともかく、市街地の住宅が並んでいるところでは当り前であろう。
 北電の交渉マンも、最初からそう言えばいいのに、少しでも経費を抑えようともったいぶるから話がややこしくなる。
 
 それにしても、昨年その電柱は、トランス交換の大掛かりな工事をやったばかりである。なぜ一度にできなかったのか。世の中には、コミュニュケーションロスによるムダがいたるところにある。

ウォシュレットの開発

 日本では圧倒的な商品も、世界のシェアを確保するには厳しい戦いが続く

 技術開発の経営は、つぎの段階で進むということを以前書いたことがある。

 研究 (要素技術、基礎研究)
  ↓       ・・・・・・・魔の川 
 開発 (製品化)
  ↓       ・・・・・・・死の谷
 事業化 (商品化)
  ↓       ・・・・・・・ダーウィンの海
 産業化 (市場をつくる)

 たとえば、
 いま日本にはウォシュレットが4000万台、家庭の70%に普及している。
こ の便器は1960年代にアメリカのビデ社が、痔の患者用に医療用弁座として開発したものである。1967年にTOTOがその権利を買い取ったのだが、水温が不安定で熱すぎたり冷たすぎたり、液の発射方向も不安定な、欠陥商品であった。

 そこで、社員を中心に大勢のモニターを集めて詳細なデータを取り、日本人に合うように改良に改良を重ねていく。まず水を当てる肛門の位置を決める。つぎに水の温度や勢い、角度、噴出量。これらは、周囲の気温や人によって感じ方はさまざまである。その組み合わせは無限にある。さらに、お尻を洗った温水でノズルが汚れないことも大切である。

 いやがる女子社員を無理やり便器に載せ、前後「2か所」の位置を計測する。これは究極の個人情報である。試行錯誤に苦労に苦労を重ね、1980年に温水洗浄装置つき便座「ウォシュレット」が販売された。

 およそここまでが「製品化」の段階である。つぎにこれを商品として事業化していかなければならない。

        弁天岩 H27.10.12

 最初は故障がつきものである。ウォシュレットの温度制御システムが故障し、温水が突然冷たい水に変わるというクレームがつき、返品の山ができたこともあった。

 すったもんだ何とか改良商品は完成したのだが、売れ行きが芳しくない。
 いまなら当たり前のウォシュレットでも、当時は胡散臭いと思われていた。最初産婦人科や肛門科の病院を中心に売り込みをかけていたが、どんな人も長年の習慣を変えるのは難しい。とくに、洗うところがところである。他人が洗った器具をそのまま使うのにも大きな抵抗がある。
 商品の宣伝をするにも、商品の性質上、雑誌と新聞社からはイメージダウンになると言って、掲載を拒否されていた。

 あの有名なキャッチコピー「お尻だって洗って欲しい」のテレビCMのときも、「飯を食っている時間に、便器の宣伝とは何ごとだ!」という激しい抗議の電話が殺到したという。
 それでも、(自信と誇りを持って)粘り強く販促活動を続けた結果、現在の実績がある。

 現時点では、事業化の段階から産業化の段階にまで進んでいる。
 ただ、海外では厳しい価格競争に晒されている。中国では同じような機能の製品が、日本円で1万円くらいで買えるという。日本旅行へ行って便利さに目覚めた中国人を対象に、中国メーカーが売り上げを伸ばしているという。

 日本では圧倒的な商品でも、世界の産業でシェアを確保するには、まだ厳しい戦いが続く。今後どのような利便性を追求していけるのか。臭いや清潔感、浣腸機能や心地よさなど、追求すべき課題は多い。

原発テロを恐れるな

 原発や放射能を怖がっていては、テロ実行意欲を刺激するだけである

 22日にベルギーで起きた連続テロ事件では、200人以上の死傷者が発生した。その上、ベルギー国内の2つの原発では、テロの危険があるとして、最低限の作業員を残し、大半を避難させたという。その後のニュースでは、原発作業員の中に11名のテロリストと思われる人がいて、立ち入り禁止にしたそうだ。

 原発がテロに狙われるという話は昔からあった。海外では何件か未遂事件が起こっている。日本でもそのうち起こるであろう。原発恐怖症の日本人は、テロリストにとって涎が出るほど脅しがいがあるからである。
 おそらく、テロリストが原発テロを予告しただけで、放射脳患者で満ち溢れている日本は、どのような要求でも飲むに違いない。

          成仏 H27.12.15

 しかし原発は、テロリストに簡単に破壊されるほどヤワではない。(原爆の何千倍ものエネルギーをもつ)3.11大津波でさえ、福島第一のいくつかが破壊されただけで、あとの原発は耐えることができた。福島第一も、騒ぐから大ごとになっただけである。

 そして原発以外にも、世界には無数に放射性物質が散らばっている。病院や研究室にある、がん治療器や放射線殺菌器などである。それを通常の爆弾で爆発させれば、放射性物質は、一気に数キロ範囲に拡散する。 
 本当に危険なのは、直後に広まる混乱やパニックである。医療機関には、実際に放射線被ばくした人の、何百倍もの思い込み患者が殺到する(いまでもそうだ)。それが他の地域にも飛び火して、収拾がつかなくなる。これを防ぐのに、すべての放射線装置を隔離することは不可能である。

 回避する方法はただ一つ。市民が放射能を恐れないことである。いまのように、原発や放射能を怖がっていては、テロリストのテロ実行意欲を刺激するだけで、何一ついいことはない。
 (放射線の危険を煽っている人は、テロリストに加担しているとしか思えない)

福井駅西口

 賑わっていたのは式典のあった駅前だけで、50Mも歩いた通りには閑古鳥が鳴いている

 今日から、JR福井駅西口バスターミナルの本格運用が始まった。市電も駅に少しだけ近づく。利用する人にとっては便利になる。今朝は10時から、屋根付き広場で式典があった。

 そのランドマークとなる西口再開発ビルは、商業、公共、住宅機能を備えている。事業費106億円(屋根付き広場は別)といわれ、地下2階、高さ約90m地上21階もある(おかげで、福井市の景観の一部が台無しになってしまった)。
 そこに入る施設は、西口交通広場と一体となる屋根付き広場、自然史博物館分館(ドームシアター・展示スペース)、多目的ホール、観光関連施設である。この屋根付き広場は、「にぎわい交流拠点」というコンセプトの中核となる。

 屋根付き広場 H28.3.27  閑古鳥の鳴く通り H28.3.27

 「にぎわい交流拠点」といっても、広場に屋根があるだけである。屋根があるだけなら、東口にある北陸新幹線の軌道下でもよかった。案の定日曜のお昼というのに、賑わっていたのは式典のあった駅前だけである。50Mも歩いた通りは、みごとに閑古鳥が鳴いていた。

 これから、どのようにイベントを実施し、盛り上げていくか。今どき、箱ものだけで人を呼ぶことは不可能である。

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二人以上出産校長

 大臣や校長など、それなりの地位にある人が、まともに発言できないことが問題

 ≪大阪市立中学校の男性校長(61)が2月末の全校集会で「女性にとって最も大切なことは子どもを2人以上産むこと」と発言するなどした問題で、市教委は校長を3月末で退職させる方針を固めた。25日毎日新聞より≫

 この校長は、2月29日の全校集会のとき「女性にとって最も大切なことは、子供を2人以上産むことである。子供を産むことは、仕事以上に価値がある。」と発言していた。市教委は「不適切な発言」として処分を検討していたという。

 もっとも、校長は昨年度末に定年退職し、今年度は1年間の任期で再任用されていただけである。これまでこの発言以外でも、旭日旗を校門に掲げるなど、ややこしい言動や行動で目をつけられていた。突然首になったわけではない。
 それでもこの「問題発言」が、継続雇用の打ち切りになったのは間違いない。

        ぼろ着の継体天皇 H28.1.1

 しかし校長が言うように、出産は仕事以上に価値があることは、間違いない事実である。これに反する正当な理由など、聞いたことがない。あるとすれば、日本をめちゃくちゃにしようとしている能天気な「リベラル派」が、何も考えないで騒いでいるだけである。
 この程度の発言で首になるのなら、建設的な意見など出すことができない。

 すなわちいまの日本は、大臣や校長など、それなりの地位にある人が、まともな発言ができない社会になっている。みな、毒にも薬にもならない、当たり障りのないことしか言わない。聴いていて何も残らない。それこそが、最大の危機である。

科学の危機

 如何にプラスの部分を引き出し、マイナスを出さないようにするかが文明である

 金森修氏(東大哲学博士)の「科学の危機」(2015/4集英社新書)を読み、現場を知らない文化人に対し、あらためて気の滅入る思いがした。この本は、なぜか科学を危機的状況にあるものとし、「科学の科学性」を保持し続けるためには、どのように考えればいいかを哲学的立場で批判しようとしたものである。
 全体を通しても抽象的でわかりにくい本であった。

 では、なぜ気が滅入るのか。
 科学技術というものを1か0か、人に危害を与えるものかそうでないかで論じている。「たかが」その程度の人が、東大教授として多くの若者に影響を与えており、日本だけでなく人類の未来を大きく損なおうとしているからである。

 金森氏は、「科学の危機」を標榜するだけあって、ほとんどすべての巨大技術を否定している。原子爆弾につながる原子力技術はもちろん、遺伝子組み換え技術、ハーバー・ボッシュ法を開発したフリッツが、第一次大戦でその技術を応用した毒ガスについても厳しい目を向けている。
 彼も多くの国民のように、3.11の原発事故によって感覚が麻痺し、いわれなき放射能の恐怖に取りつかれてしまったのであろう。原発について、「何重もの問題を抱えた欠陥技術」とこき下ろしている。

 そもそも、問題を抱えていない技術など、世の中に一つもない。大きな問題を抱えている技術ほど、人類に対する貢献も大きい。
 たしかに毒ガスは、人を殺すためにある。それでもその基礎となるハーバー・ボッシュ法は、大気中の窒素を固定化して、20世紀の人口増に対応する食料増産に大いに貢献した。これがなければ、いまの世界人口の半分、40億人が飢え死にしている。そして、原発を中心とした電気エネルギーがなければ、その窒素肥料の製造ができないし、せっかくできた食物も腐ってしまう。
 窒素固定法と、大規模なエネルギー使用が、現代の世界人口を支えている。遺伝子組み換えも同じである。

 金森氏はつぎのように言う。
≪科学には、もはや問答無用の格別性や特権性はない。―略-
文化は科学だけではない。科学に特権性がないとするなら、他の文化が長年築いてきた多様な価値を侵害する可能性のあるものが科学の中から生み出されることには、いかなる免罪符も存在しない。≫
 この考え方も、科学というものをまったく誤解している。

 巨大技術にリスクがあるのは間違いない。
 しかし現実にもっとも人を殺めているのは原発や毒ガスではない。兵器なら、鉈や石斧である。アフリカのルワンダにおける民族紛争で、この原始的な兵器が数十万人もの人々を殺害したのを覚えているであろう。
 また、中国の大気汚染で、毎年数百万人が亡くなっている。その大きな原因は、家庭での石炭による暖房である。
 
 すべてのものは、毒であり薬である。人の役に立つ程度が大きいほど、大きなリスクを伴う可能性がある(ほとんどは感情の問題だが)。如何にそのプラスの部分を引き出し、マイナスを出さないようにするか。人類は、それに心血を注いできた。その段階で、大きな失敗をすることもある。3.11もその一つである。人はそれを繰り返しながら、文明を進展させてきた。これからもそうでなければならない。

 原発など巨大技術をもたらす科学が、危機的状況にあるというのは哲学者の完全な妄想である。逆にこのような科学・技術が途絶えれば、エネルギーに目覚めた100億の人類が生きていくすべがまったく無くなってしまう。それこそ人類の危機である。

奈良の若草山

 60年以上住んでいる地元でさえ、まだ見ていない場所はいくらでもある

 昨日、奈良の若草山へ行った。
 JR奈良駅から、若草山の麓まで徒歩でゆっくりと1時間。南ゲートからゆるやかな登り30~40分で342Mの頂上付近に着いた。文殊山と同じくらいの標高だが、登り口の高さが違うし、広さが33haもあってあまりになだらかである。しかも全体が芝生でおおわれて、非常に見晴らしがいい。三つの笠を重ねたようなので三笠山ともよばれる。頂上付近まで自動車道が通っており、車で登る人の方が多い。

 奈良若草山 H28.3.23  若草山頂上 H28.23.23

 下りは、20年に一度の特別参拝で賑わう春日神社に降りた。ここから奈良駅まで、外人観光客でいっぱいである。東大寺に入ろうと思ったら、潰されそうな人ごみで溢れていたので、さっさと逃げる。
 たしかにこれだけ中国人(台湾人も)が押し寄せると、観光地の雰囲気が一変する。日本にいるとは思えない。むかし、日本のノーキョーさん団体が、大挙してヨーロッパへ押しかけ、顰蹙を買ったのもわかる。

 氷室神社、花と人 H28.3.23  奈良浮見堂 H28.3.23  奈良公園の鹿 H28.3.23

 人も多いが、鹿も一段と増えたようだ。このままでは、人間より多くなるのではないか。もっとも、奈良のシカは「芝」が主食だそうである。おかげで80へクタールもの公園内の芝刈りが不要で、年間100億円もの芝刈り費用が不要になっているという。また鹿の糞は、一帯の「ふん虫」のエサになり、良質な芝の肥料に変わるそうだ。

 奈良は何回も訪れ、もう見るところはないと思っていたのに、まだまだ訪問して飽きることはない。もっとも、60年以上住んでいる地元福井市でさえ、まだ見ていない場所はいくらでもある(とくに片町あたりは、奥が深い)。

経歴詐称コンサルタント

 高生産性の経営コンサルタントほど、自分が如何に高額所得であるかということを詐称している

 経営コンサルタントで、テレビのコメンテーターとして活躍していた「ショーンK」ことショーン・マクアードル川上氏の経歴詐称がばれ、テレビ出演を自粛せざるを得なくなっている。彼は経歴だけでなく顔までも整形・偽装していた疑いがある(今のところ髪の毛まで偽装していたという話はない)。

 この場合、彼のコメンテーターとしての発言内容や実績が問題になったのではない。ウソをついていたことが問題になった。佐村河内氏の聴覚障害偽装と同じようなものである。つまり「物語マーケティング」に、まんまとTV局が踊らされてしまった、というわけである。

 川上氏にしても、その実力が本物なら文句がない。 
 しかし、そもそもTVのコメンテーターというのは、それなりの人なら、だれがやっても同じようなものである。まして彼が有名になった「報道ステーション」のコメンテーターなどは、司会者から振られた段階で、なにを言うかほぼ想像できる。
 すなわちTV局は、自局が言いたいことを、高学歴で洋風顔の経営コンサルタントに発言して欲しかっただけである。

      そそり立っている 

 彼の本業、経営コンサルタントの仕事も、まったく同じである。ほとんどの企業経営者は、私のような「清貧コンサルタント」の提言など見向きもしない。一方で、1億円の報酬を要求する強欲コンサルタントの迷言なら、ありがたく拝聴する(金は出し惜しみするが)。

 したがって、経営のうまい経営コンサルタントほど、自分が如何に高額所得であるかということを詐称している。サービス業の生産性というのは、如何にインチキかわかる。
 どの世界も、キツネとタヌキの化かし合いである。

基準値を守る?

 憲法を金輪際守り抜こうとするのは、考えることを停止してしまったからである

 以前丸川環境大臣の「放射脳」発言が問題になったとき、放射線基準値こそいい加減だと書いたことがある。
 じつはいい加減なのは放射線だけではない。すべての基準値がいい加減なのである。

 「基準値のからくり(ブルーバックス)」によると、基準値の決め方には大きく、「環境基準型」と「残留農薬型」がある。ざっくり言えば、前者は物質の毒性の大小を根拠とし、後者は受容限度を示すものだという。

 しかし、これらもいい加減なものだ。
 たとえば、かって水俣病患者の調査結果から、魚介類の水銀濃度基準を0.4㎎/㎏としていた。キンメダイなどは、それを超えると廃棄される。それなのに、マグロやカジキ、サメ、クジラはその数倍もの水銀を含んでいる。それでも規制の対象になっていない。摂取量を考慮したからだというが、その摂取量の決め方こそいい加減である。普通の人は、キンメダイよりマグロやクジラを食べる。
 
 また、2007年に中国産キクラゲに、基準値0.01㎎/㎏の2倍の農薬が含まれているとして、全数破棄処分されたことがあった。ところが、リンゴやイチゴ、ブドウの基準値は、それよりはるかに多い5㎎/㎏である。それをわれわれは平気で食べている。どう考えても、キクラゲよりリンゴの方が摂取量は多い。

 これらはほんの一例で、ほとんどすべての基準値というのは、怪しげな根拠に基づいて決まったものである。それでもいったん基準が決まれば、それが独り歩きしてしまう。
 この本のプロローグには、「基準というものは、考えることを遠ざけてしまう」という米国の疫学者の言葉を紹介していた。

 まさにこのことは、すべての規則・ルールに当てはまる。我々が規則に従わなければいけないというのは、絶えず規則を改善することを前提としているからである。変わらないルールは、ほとんど腐っている。
 すなわち日本国憲法を錦の御旗に、金輪際守り抜こうとする人たちの頭は、考えることをまるで停止してしまっているのである。

養浩館ライトアップのあと

 めんどくさくても、このような行事を続けることが大事なのである

 昨日までの2日間、養浩館ライトアップ祭りが開催され、1000人近くが集まったという。夜間の薄暗いなかでは、狭い庭園に1日500人殺到しても、雰囲気は台無しにならないのだろうか。それにしても肌寒い中、見回り担当者はもちろん、見学する人もご苦労さまでした。

 祭りの後は後始末が待っている。今朝の作業は、ライトアップに使った照明、配線器具の片付けがメインである。何百もの行灯は、昨晩のうちに片付けが終わったようだ。幸い怪しげなゴミはほとんどなく、我々自治会長や実行役員30名ほどで、1時間足らずで終了した。この庭園で、こんどは夏祭りが待っている。

 朝の養浩館 H28.3.21 後始末   H28.3.21 梅は咲いた H28.3.21

 ところで、久しぶりに朝の養浩館に入った。入場料を取るようになってから自由に入れないので、もしかしたら朝は初めてかもしれない。それなりにいい景色である。
 何とか雑誌ランキングの5位とか6位と言われれば、そうかもしれない。

 めんどくさくても、このような行事を続けることが大事なのであろう。玄武稲荷の415回には遠く及ばないとしても、100回までは我慢したい(もっとも私自身は、それほど汗をかくわけではない)。

玄武稲荷例大祭

 鳥居が倒れたら、下敷きになった人は、ばちが当たったと思わねばならない

 今日は恒例の稲荷神社例大祭であった。この神社は、結城秀康が福井に築城したとき、北の守り神として建てたと言われている。それがなぜか、私の町内の一角にあるため、昔から世話役を決めてお守りしている。

 家康の二男結城秀康は、江戸前期にかけての大名で、わが越前北ノ庄藩の初代藩主であった。福井県庁の敷地に、馬に乗ったマンガみたいな石像がある。かの秀康が越前67万石大名として当地に移封されたのは、関ケ原の論功行賞であった。

 北の守り神ができたのはその時だから、今年で415年目ぐらいになる。ほんとに415回も例大祭が続いたのだろうか。私が物心ついたときから催しているので、少なくとも60回にはなる。
 守り神でも、近所にあると今度は我々が守らなければならない。

    結城秀康の雄姿     玄武稲荷例大祭 H28.3.20
      
 式典は約30分。神主の詔と来賓あいさつ、最後にスルメ(数年前から裂きイカになった)でコップ酒を煽っておしまいである。私が子供のころは、酔っぱらった大人が騒いでいたが、さすがに今はそんなことはない。参列者も10人そこそこになった。

 建屋の老朽化が進んでいるので、15年ほど前に全面塗装を行った。それがだいぶ禿げかかっている。2つの鳥居のうち、一つは根元が痩せ細り、ぐらぐらである。そのうち倒れるであろう。倒れたとき、下敷きになった人は、ばちが当たったと思わねばならない。われわれが守り神に祟られる。

疑問だらけの歯科治療

 失った歯は元に戻らないから、これ以上抜かれないよう用心する

 昨年歯痛に悩んだことから、歯科医療に関して数冊の著書を読み、歯の治療に関しての考えを改めた。

 たとえば、抜歯である。
 約10年前、ある大病院の歯科医に、口中を一瞥しただけで抜歯された。それまで町医者にかかって、数か月も治らなかった歯痛が、その一時の苦痛で完治した。歯は1本無くなったが、その判断の素早さからこれまで名医だと信じていた。
 
 しかし、ある歯科医の著書によると、抜くのは最後の手段らしい。歯を修復する手立ては山ほどあって、見ただけで抜歯する歯科医は、技術不足か手抜きで高額診療費を稼ごうとする「悪徳歯科医」だそうだ。まさに、先の大病院の歯科医そのものである。

 たしかによく考えれば、抜歯したのがよかったのか疑わしい。痛みは無くなったが、大事なところの歯がなくなったのである。少し硬いものは、まともに噛むことができない。スルメを食べるにも、悪戦苦闘するようになった。
 近年普及してきたインプラントも怪しい。死亡事故などが頻発するようになり、近年その有効性が疑問視されている。

 そうは言っても、失った歯は元に戻らない。もうこれ以上抜かれないように用心したい。幸い年末行った歯医者なら大丈夫なような気がする。

消費増税は延期か

 「先送り」などと、ケチなことを言わず、永遠に消費増税はしないと明言したほうがいい

 来年4月からの消費増税について、景気が停滞しているいまの状態では、先送りすることを検討しているという。
 前回消費税8%へ引き上げ時の、景気落ち込みが癒されていないのに、10%への引き上げは誰が考えても暴挙である。増税の延期、凍結などを求める声が出始めており、今年初めから安倍首相は、国会答弁などで微妙に増税先送りへ態度を軟化させていた。

 そもそも、消費税の引き上げは何のためか。税収を上げるためである。
 では何のために税収を増やすのか。今後確実に伸びていく、社会保障の負担を賄うためである。消費が伸びれば、企業収益が上がって税収は伸びる。でも消費は回復しない。消費増税を支持する人は、消費が伸びないのは、財政が不健全なため、将来の社会保障を受けられないことが不安だからだと言う。

           痛い!針

 しかし、8%が10%になったからといって、社会保障の不安が消えるはずがない。将来100兆円にもなろうと言う社会保障費を消費税で賄おうとしたら、消費税率50%ぐらい必要になる。 
 すなわち消費が伸びないのは、これから消費税がつぎつぎとあがっていくに違いないと思うからである。
 税収が少ないから将来が不安だと思うのは、財務省だけである。

 したがって、「先送り」などと、ケチなことを言わず、永遠に消費増税はしないと明言してもらいたい。一番いいのは、「消費税は10%としそこで凍結する」と憲法に明記することである(10%なら計算が簡単)。
 兵の逐次投入、中途半端が最もいけない。経済は人々の心理戦である。

変更の管理 ISO9001;2015⑤

 この年になって勉強するのはしんどい。短期記憶を長持ちさせるには繰り返ししかない

 ISO9000の2015年版規格の日本語版が、昨年11月に発行された。新しいといっても焼き直しである。まったく新しいものではない。新しくペルシャ語を覚えるのとは違う。それでも小難しい理屈にはついていけない。

 たいていの基準書は、改訂されるほどボリュームが増える。今回も、企業戦略やリスクへの取り組み、ヒューマンエラーへの言及、システムパフォーマンスの改善などの項目が増えた。

 なかで分かりにくいのが、「変更の管理」である。「変更」に関する要求事項だけで、5つもの項目がある。
 ①あらかじめ計画された品質マネジメントの変更(6.3)
 ②計画した変更、意図しない変更の管理(8.1)
 ③製品・サービスに関する要求事項の変更(8.2.4)
 ④設計・開発の変更管理(8.3.6)
 ⑤製造・サービス提供に関する変更の管理(8.5.6)

 とくに、①②⑤の違いは微妙である。考えれば考えるほど、わけがわからなくなる。

 この年になって勉強するのはしんどい。なかなか覚えられない。覚えたと思っても、すぐ忘れる。短期記憶をどう長持ちさせるか。繰り返ししかない。

ボケのはじまり

 相手は得したと思っているかもしれないが、あとで必ず祟りがある

 昨日、ある打ち合わせ会をすっぽかしてしまった。完全に頭から抜けてしまったためで、欠席しようとして行かなかったのではない。前日まではよく覚えており、部屋の掲示板にも参加の張り紙がしてあった。会合が終わったとき、参加者の一人が会議の資料を持ってきて、やっと気がついた。最近このようなことが多い。

 仕事が忙しいことは忙しい。先週あたりから、申請書や事業報告者から、飛び入りの相談依頼などが入って、わけがわからなくなっている。一度にたくさんの情報を処理することができなくなっているから、パニックになる。

 仕事が忙しくても、その分の報酬があるならいい。謝礼が1本だけのこともある。1本とは、電話1本かよくて日本酒1本である。いくら清貧派を名乗っていても、ものごとには相場がある。怒りが鬱積するから、ますますほかのことに頭が回らなくなる。
 相手は得したと思っているかもしれないが、怨念は永遠に消えない。必ず祟りがある。

企業の5業とは

 項目を並べるのは、3つがいい。それ以上になると逆効果になる

 先日、久しぶりに坂本光司氏(法政大教授)の講演を聴いた。演題は「日本で一番大切にしたい会社大賞、審査の経過と結果」で、主催は「人を大切にする経営学会」である。世間にはいろんな学会がある。
 早口で、つぎつぎと企業の事例を繰り出す話しぶりは、独特のものである。

 そのなかのひとつ。
 「企業は、5つの業」で成り立っているといわれ、講演ではつぎの3業だけを示された。

 ①環境適応業
 ②市場創造業
 ③人材育成業

 説明しなくても、言わんとすることはわかる。しかもこれは、近江商人の3方よしに近い。「売り手(人材)よし、買い手(市場)よし、世間(環境?)よし」である。
 それはいいのだが、5つあると言って、3つまでしか示されなかったら、気になって仕方がない。あとの2つはなんであろう。ネットで調べても出てこない。

 たぶんあとの2つは

 ④価値製造業
 ⑤利益配分業
  ではないかと推測する。あと考えられる業は、

 ⑥自然破壊業(仕事して環境に影響しない企業はない)
 ⑦廃業(潰れない企業はない、散り際をみごとに)
 ⑧苦業?

 ここまでくると、3S(整理、整頓、清掃)から5S(3S+清潔、躾)、8S(5S+習慣、しっかり、しつこく)と増殖していった標語に似てくる。

 項目を並べるのは、3つがいい。それ以上になると頭に入らなくなって、逆効果になる。

アホ・バカ論文

 何の根拠もなしに「アホ」「バカ」を連発すれば、そのほうがよほど「バカ」かと思う

 ブログや雑誌の評論家のなかには、対象となる人物をぼろくそにこき下ろす人がいる。とくに総理などの権力者に対し、「嘘つき」や「暴走」、「アレ」などはいい方で、「バカ」とか「糞安倍」が普通になり、ついに「お前は人間ではない」という人まで現れた。
 ある週刊誌には、ご丁寧に「今週のバカ」という連載記事まであった。

 ほんとにアホな人がいると、私もつい、このブログなどでそんな言葉を吐いてしまう(ただ個人攻撃はできるだけしない。何らかの障害の疑いがあるからだ)。

         悪霊の憑いた放射脳患者のお祓い

 これについて曽野綾子氏は、ある雑誌につぎのようなことを書いていた。
≪ある政治家に対する評論を見ていたら、『バカ』という言葉が何回も出てきた。反対の立場の人に対する言葉としては、あまりにも言葉不足であろう。読む人に納得してもらうような文を書かなければ、書く人の知性を疑われる≫

 まさに正論である。何の論理的根拠(自分ではあると思っている?)なしに、「アホ」「バカ」を連発すれば、その対象でない人まで反発する。お前の方がよほど「バカ」かと思う。

 そう思って、ネットで「曽野綾子」を検索したら、彼女に対して、「あのバカ」とか「バカ婆」という醜い言葉が散乱していた。たぶん曽野氏は、自分に向けた言葉に反論したのであろう。

なぜ大統領になりたい

 死亡リスクの高いアメリカや韓国の大統領に、なりたい人が多いのはなぜか

 米国大統領の候補者選びが盛り上がっている。とくに共和党のトランプ候補の勢いが止まらない。このままいくと、彼が大統領になる。既得権益者たちは戦々恐々としており、共和党支持者でさえ、トランプ候補を引きづり降ろそうとしている。

 もちろん候補者は、トランプ氏だけではない。共和党にあと数人いるし、民主党にはヒラリー女史とサンダース氏がしのぎを削っている。

 アメリカの大統領は、きわめて死亡率の高い危険な職業である。これまで230年、44人の歴代大統領のうち、4人が暗殺された。じつに10人に一人が大統領就任中に暗殺される。こんな危険な仕事はない。

 じつは韓国のほうがもっとひどい。歴代の大統領は退任後、ことごとく失脚するか自殺している。みな悲惨な晩年を過ごしている。
 それなのに、なぜそんなにしてまで大統領になりたいのか。

田母神事件

 あちこちに、ややこしい法律の網を張り巡らすから、いつまでたっても日本は浮かばれないのである

 航空幕僚長であった田母神俊雄氏の「横領事件」が注目されている。東京地検特捜部は7日に、業務上横領容疑で田母神氏の資金管理団体の事務所などを家宅捜索した。政治資金の一部5千万円が行方不明になっているからだと言う。

 使い道として田母神氏が政治資金を「自分の知り合いに30万円ずつ配って欲しい」と選挙事務所で発言していたとも言われている。200万円の背広を贈与のために購入したり、キャバレーで豪遊していたという話も飛び出している。
 ネトウヨの総本山的存在であった田母神氏だけに、この話を聞いてネトサヨは大喜びである。


 しかし私には、何が悪くてここまで大ごとになるのか、さっぱりわからない。わかって騒いでいる人はどれくらいいるのであろうか。たぶん選挙関連の法律にものすごく詳しい人しか、理解できていないと思う。

 素人考えでは、政治資金というのは寄付金と同じではないのか。寄付した人は、選挙に関連することなら、なんに使ってもいいと思うはずだ。金は使うためにある。だから、選挙協力した知り合いに30万円配って何が悪い。税金で賄っている政党助成金とはまったく違う。何に遣うかわからない、数十億円規模の官房機密費のほうが問題だと思う。
 さらに、いまの東京都知事の5000万円外遊は、それこそ血税が原資である。

 むかし近くの町内会で、数十万円使い込んだ人が、首になったことがある。町内会の会費というのは、半強制的に分担金として徴収する。金額の桁は違うが、政治資金のような善意の自主的な寄付金とはまったく異なる。それでも、使い込んだ人は町会長を首になって、そこまでである。刑事事件になると思った人はいない。


 危惧するのは、田母神氏のようなことがいけないのなら、小難しい選挙戦術に長けた人しか政治家になれないことである。優秀な人は、選挙のややこしい仕組みなどに余計なエネルギーを割くべきではない。

 このことは、脱税で優秀な経営者を潰してしまう税制の在り方とまったく同じである。
 あちらこちらに、誰も理解できないような法律の網を張り巡らすから、いつまでたっても日本は浮かばれないのである。

保育園落ちた人は幸せ

 自分の子供を保育園に預けてまでやる重要な仕事など、あるはずがない
 
 「保育園落ちた日本死ね!」と題するブログが注目を集め、国会で何度も取り上げられるまでになった。朝日新聞によると、このブログを書いたのは30代前半の女性で、夫と1歳の長男との3人暮らしである。この4月に事務職に復職予定だったが、保育所に預けることができなくなり困っているという。
 同じような人は大勢いるらしく、「表現は乱暴だけど、よくぞいってくれた」という人は多い。

 この対策を普通に考える人は、保育園を増やして保育環境を良くし、さらに保育士の待遇改善を行おうとする。現実に国会の論戦でもその方向に議論が進んでいる。

                 ぼろ着の継体天皇 H28.1.1

 しかし、ほんとにそれでいいのか。日本中が保育園だらけになり、母親が自分の子供の面倒をみなくなるのである。

 そんなことより、子育てに専念する人には、相応の保育費用を支給したほうがいいのではないか。なぜなら保育園では、保育児一人当たり月額30~50万円の費用がかかっている。女性が子供を預けて働く給料より高い。これ以上保育園と保育士を増やせば、それ以上の費用がかかる。いくらなんでもおかしい。
 したがって、自分の子育てする人には、子供一人月10万円(20万円でもいい)支給する。その方がはるかに合理的である。

 そもそも、自分の子供を育てるより意義のある仕事が、世の中にあるのであろうか。総理大臣という仕事さえ、代わりはいくらでもいる。自分の子供を保育園に預け、いったい母親はどんな立派な仕事をするのか。日本で昔から男性が外で働いているのは、女性の子育てをフォローするために過ぎないというのに。
 よく考えてほしい。子育てこそ、人間の最も重要な仕事なのである。

        神様 仏様 女性様

 もちろん、改革に抵抗勢力はつきものである。
 これまで保育に関わっていた人びとの利権、さらにもともと自分で子育てをしてきた人たちとのバランスをどうするか。それら既得権益者を黙らせるのが政治の仕事である。安易に、保育所と保育士を増やすだけが能ではない。

高浜原発差止めの身勝手

 事故新幹線の車体を埋めた中国以上に、我々は差止め訴訟住民と裁判官をバカにするべき

 とんでもないアホなニュースが飛び込んできた。ようやく稼働を始めたばかりの高浜原発3、4号機の稼働差し止めの仮処分が決まったという。仮処分でも、即時効力があるため、高浜の2基は法的に運転できない。営業運転中の3号機も、すぐに停止する必要があるそうだ。 

 アホ・バカという言葉は、あまり使いたくないのだが、訴えた住民及び決定した裁判官の「反原発脳患者」ぶりには、これ以外当てはまる言葉が浮かばない。彼らはまったく、3.11の教訓を活かそうとしない。このまま日本が衰退し、無くなってしまうことを望んでいるのであろうか。そんな彼らは人間ではない。まさに自らの身勝手な「安心」のためだけに、日本人の「安全」すなわち実質的な生命と財産を脅かそうとしているのである。
 そしてまたひとつ、裁判官と法曹界の悪辣さ、低脳ぶりが浮き彫りになった。

      怒り心頭

 本来なら原発事故を受け、事故原因の究明をしながら、装置の完全性を高めていかなければならないはずである。そのためには、原発設備は稼働し続ける必要がある。そうしなければ安全性は高まらないし、原発エネルギーがなければ、これから100億に増えていく人類の未来はない。

 原発を止めてしまうということは、厭なことは見ないよう押し込め、ほっかむりするということである。数年前に中国で、事故に遭った新幹線の車体を埋めて隠匿しようとしたことがあった。こんどは、人々の安心を人質にしているぶん、それ以上に悪質である。
 あの映像を見て中国をバカにした人たちは、今度は差止め訴訟の住民と裁判官をバカにしなければならない。

弱者か恫喝か

 問題なのは、「弱者」を名乗る人々に対し、それだけで恐れ入ってしまう人が多いことである

 ≪東京電力福島第1原発事故の避難者らが東電や国を相手取り慰謝料など損害賠償を求める集団訴訟が、18都道府県の20地裁・支部で31件あることが、全国の弁護団への取材で分かった。原告総数は1万2539人で、請求総額は少なくとも1132億円に上る。今後も、裁判外での和解が成立せず訴訟に発展するケースが出てくるとみられる。3月6日毎日新聞より≫

 大まかに、一人1000万円近い請求金額である。
 ただ先日のプライムニュースによると、避難区域から避難している家族に対して、4人家族で1.1億円から1.6億円が、すでに支払われている。一人10万円/月の生活保障に加え、財物補償、住居確保、さらに帰還困難地域の家族には精神的被害に対する慰謝料として、2800万円も支給されている。これまで6兆円払ったということは、国民一人あたりじつに6万円も負担していることになる。避難が長引けば、この金額は膨れ上がる。

 これでもまだ足りないらしく、件の毎日新聞によると、
 ≪強制避難者は、不動産などへの賠償や1人月10万円の精神的賠償を東電から受け取ったが「古里や地域コミュニティーを失ったことへの賠償が考慮されていない」などと主張≫している。さらに、
 ≪自主避難者らは、東電からの賠償が1人最大72万円に過ぎないことから「低線量被ばくによる健康被害への不安があり、避難には合理的理由がある」などと訴える。≫

 これだけみると、弱者の名を借りた恐喝ではないかと思えてくる。よく言って、強請り・タカリである。仕事のない弁護士が、ビジネスチャンスを広げようと、手ぐすね引いていると考えてもいいであろう。

 とくに自主避難というのは、客観的なリスクがないのに、思い込みだけで逃げた人たちである。なかには九州まで避難することによって、中国や韓国の原発汚染にさらされることになった人もいる。そっちのリスクの方が大きいのだから、請求は中・韓にすべきである。

 一方で、このニュースに対するコメントの中で
 ≪こう言う事態になると、原告の一部が優雅な暮らしをしているとか、高級乗用車を購入したとかを熱心に報道する新聞や雑誌があり、果てにはテレビでの発言も出て来ます。セカンドオピニオンを大事にして一部の報道を鵜呑みにしてはイケマセン。≫
という声もある。

 問題なのは、「弱者」を名乗る人々に対しては、それだけで恐れ入ってしまい、ほんとのことを追求する人がいなくなってしまうことである。ほんとに弱者なのか、あるいは弁護士とつるんだ強請り・タカリなのか。

 他人事にして、金さえ払えばいいのではない。厭なことに目をそむけず、じっくり調べ考えてみる必要がある。

辺野古和解?

 キツネと狸の化かし合いでも、いずれ時間が解決する

 米軍普天間飛行場が辺野古へ移設するかどうかの代執行訴訟で、政府は福岡高裁那覇支部が示した和解案を受け入れ、工事中止を決定したという。国と県との訴訟合戦が続くような事態が長引けば、普天間基地危険性の除去や移設計画の実現も危うい。 
 夏の参院選や前哨戦となる沖縄県議選を控え、国と沖縄県の対立をクールダウンさせることもでき、与党には選挙を考え評価する人もいる。

 もちろん「反対派」は、「見え見えの選挙対策だ」として、なにをしても反対である。もし全米軍基地が撤退したとしても、新たな反対の火種を探し出すに違いない。選挙対策だとしても、反対派の主張を一部でも譲歩したのに、文句しか言わない。人間がひねくれているのであろう。そもそも、すべての政策は「選挙対策」である。有権者の利益になることをやるのが、「民主政治」ではないのか。


  しかし和解といっても、移設問題が先送りになるだけである。辺野古の工事が中止されれば、その分確実に基地建設が遅れる。根本的な解決は国か沖縄の人、どっちかが折れない限り無理なのは歴然としている。
 そのため、昨日はまた工事中止に対する是正勧告が出たという。
 
 他方で、アメリカ国務省の報道官は、普天間基地の名護市辺野古への移設が唯一の解決策だという考えを改めて強調している。大統領選挙が佳境に入り、アメリカもわけがわからなくなっている。 
 キツネと狸の化かし合いなのか? それならいいのだが、みなきちんと考えた上で行動しているのであろうか。

 いや、すべては時間が解決する。そのうち、問題が問題でなくなっているであろう。

花粉症の季節

 やっと肛門事変が治まったと思ったら、今度は花粉症。まったく悩みのない人生など、ありえない

 昨日は気温も上がり、めっきり春らしくなった。天気がいいので、自転車で皮膚科と図書館を回った。ついでに、家に帰って冬タイヤの交換を行った。都合3時間ほど屋外で過ごしたことになる。さらに家の窓は開けっ放しであった。

 マスクなしでこれだけ花粉を吸収したら、たまったものではない。今年は症状がほとんど出なかったので油断していた。ついに花粉症の発作が始まってしまった。夕方から鼻水が止まらない。片方の鼻の孔は何とか通るが、一方は完全に鼻水で詰まっている。

          マスク

 花粉だけではない。車の上に溜まった粉末を見れば、大陸からの黄砂に違いない。黄砂と同時に、PM2.5などの有害物質がたんまり含まれている。これらを思い切り吸い込んでしまったのである。鼻水、くしゃみだけでなく、体全体がだるい。これで間違いなく日本人全体の寿命が縮まる(それはそれで、めでたい)。


 先日やっと肛門事変が治まったと思ったら、今度は花粉症である。少なくとも1か月は続く。前門の虎・後門の狼である。入り口と出口がすっきりしなければ、人生の楽しみはない。
 なにひとつ異常のなかった50年前が懐かしい。物心がつけば、まったく悩みのない人生など、ありえないのである。

養浩館まつりとランキング

 日本中の酒蔵が、交代で毎日飲酒会をやれば、1位になれるかも知れない

 恒例の養浩館ライトアップ行事が、3月19日(土)20日(日)に行われる。小学生らがつくった手作りの行灯300個をはじめ、各種スポットライトが庭園を照らす。当日は無料開放され、庭園だけでなく建屋のなかにも入ることができる。
 この準備だけでも、延べ1000人以上が参加する。私も、明日から準備作業への参加を要求されている。

 養浩館は、江戸時代に「御泉水屋敷」と呼ばれ、福井藩主松平家の別邸であった。明治17年には松平春嶽によって「養浩館」と名づけられ、その後福井空襲で全焼したものを、福井市が平成5年に修復・開放したものである。 

 そしてアメリカの日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が選んでいるランキングに、毎年5位か6位に選定されている。上位には、1位が足立美術館、2位に桂離宮と、そうそうたる庭園が選定されている。
 これでは、景観での1位は無理であろう。ブランド力も絶対的に不足している。

   養浩館庭園 H27.9.05

 しかたないから、イベントで点数を上げる。
 基本的に飲食禁止であるが、昨年はここで2回ほど「日本酒文化講習会」が開催された。いい酒を、うんちくを傾けながら楽しむ講習会である。その他、茶席や音楽会なども、時おり開催される。ただ庭園を見るだけでは面白くない。日本中の酒蔵メーカーが、毎日交代で飲酒会をやれば、世界の評判になる。
 ライトアップを含め、このようなイベントを毎日行えば、1位になれるかも知れない。1位でなかったら、2位も6位も同じである。

肛門に異変が

 信じがたいことに、つぎの瞬間、あの激痛がウソのように消滅していた

 数日前の排便のとき、肛門あたりに強烈な痛みを感じ、それが続いていた。これまで肛門の痛みなら、30分も我慢したら治まっていた。今回は、2日経っても痛みが取れない。少しでも動くと痛いので、夜中に何度も目が覚める。椅子に座るときと立つとき、尻をひねるたび、飛び上がるような痛さに襲われる。

 身体の1か所でも痛いと、それが人生最大の悩みになる。昨年やっと歯が治ったと思ったら、今度は肛門である。
 なにか、とんでもない病気にかかったのかもしれない。30年前イボ痔を発症し、その後小康状態が続いていたので、潜んでいた病魔が出てきた可能性がある。痔瘻(じろう)がこじれれば、人工肛門を装着しなければならないと聞く。
 酒で麻痺させるつもりが、飲んだあとかえってうずく。これではもう酒を飲めない。

      哀

 そこで昨日、意を決し肛門科で診察してもらった。他人にケツの穴を見せるのは趣味でないが、この継続した痛さは異常である。
 それでも気さくな髭医者のおかげで、抵抗なく尻をめくり、診察台に横になることができた。だが患部を覗いた瞬間、「これはすごいことになっている!!」と、騒ぎはじめたたときには、こちらが吃驚した。

 医者は、「30年もの間、人のケツを診てきて、こんな症例は初めてだ」と感心している。「これでは痛いに違いない」と人心を惑わすような発言をする。ここまで言われたら、とんでもない病気に罹ったと思うではないか。「痔ろうですか?」と聞いても、「そんなありふれたものではない」と一蹴され、ますます心配になる。
 写真を撮らせてくれと頼まれ、看護婦に手伝わせてデジカメ撮影をした。若い女性看護師に尻の穴を広げられても、不安が先にたって、恥ずかしいどころではない。

       痛い!針        ヒトの展示 1
 ところが
 治療は一瞬で完了した。ピンセットを取り出し、肛門のところに向かわせたと思ったら、その先に曲った「針」のようなものをつまんでいる。信じがたいことに、そのときはもう、肛門の激痛は嘘のように消滅していた。

 犯人は、魚の骨であった。
 おそらく数日前に食べたサバの骨が、体内を旅行し、排便時に偶然、肛門のヒダに突き刺さったのであろう。カメラ映像を見ると、長さ3㎝ぐらい弓状の鋭利な骨が、肛門の盛り上がった肉片を貫通している。痛いはずである。排便時に急に激痛が走ったのは、便の外側に沿って出てきた骨の先端が、便流の勢いで、敏感なところに突き刺さったからだと思われる。痔とは違う痛さも納得できた。


 こんなことなら、自分で患部を見ればよかった。鏡で容易に観察できるし、抜くのも簡単である。もっともそのときは、恐ろしくてとても自分で見ることはできなかった。それでも、思い切って病院に行かなければ、妙なところにとげが刺さったまま、一生痛みと共生することになっていたかもしれない。

 つまり、いやなことに目をそむけてはいけない。
 重大な問題だと思っていたことも、ときには簡単に解決する、という教訓である。

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人口問題

 少子化は、生きている人の権利を優先した日本民主主義の最大失敗である

 いまや少子化が、日本最大の社会問題である。
 歴史的に人口問題は、世界情勢に大きくかかわってきた。人口が増えた国は侵略を繰り返し、減った国はやられる。

 明治維新の時に3300万人だった日本人口は、維新後、大正~昭和にかけて年率1%以上の割合で増えていった。多いときは、毎年7~80万人増えた。
 耕地面積は増えてないので、そのままだと多くの食いっぱぐれが出る。そこで、海外移民で凌ごうとアメリカ西海岸やハワイへ移民。白人からの差別(黄禍論)で締め出されると、つぎにブラジル、満州へと移民圧力が高まっていった。
 それでも大東亜戦争開始時までに、国内人口は8300万人まで膨れ上がっていた。あのときの「1億火の玉」というスローガンは、併合した台湾と朝鮮を含めた人口である。

 人口増でにっちもさっちもいかないところへ、欧米諸国からの経済制裁が始まる。窮鼠猫を噛まざるを得ない。
 後は周知のとおりである。コテンパンにやられた日本は、貧乏を我慢するしかない。

       ひな人形集合 H28.2.6

 その後は、世界人口がどんどん増えていった。
 日本でも、戦後しばらくは人口増が続く。とくにベビーブームの3年間、毎年200万人以上出産した。さらに死亡率の減少で、人口増は政治的にも大きな問題となった。緑の革命による食糧増産がなければ、確実に第3次世界大戦がおこり、人類の大半は滅亡していた。

 そこで日本は、必死に人口増を抑える。ベビーブームのあと優生保護法が成立し、毎年100~200万人も堕胎する時代が続く。失われた命は、数千万人。団塊ジュニア世代以後も、「子供は2人まで」という認識が蔓延した。将来の世代より、いま生きている人の権利を優先してしまったためである。人口減は、個人にとっては天国である

 その報いが今現れている。
 合計特殊出生率は、2.0を下回り1.2~1.5を低迷するはめになった。どこでどう間違えたのか。人口減は避けられなくなっている。日本民主主義の最大の失敗である。

 国力が衰退し、周辺諸国の膨張圧力が高まるのは必然である。侵略を防ぐため、地方の強化と核武装は避けられない。
 人口減少の日本が他国を侵略するなど、逆立ちしてもあり得ない。

認知症患者の事故リスク

 決定的な解決方法がないとすれば、犠牲にするのは人生を謳歌してきた高齢者である

 愛知県で8年前に列車に撥ねられた91才の認知症者の遺族が、JRへの賠償責任を負うかどうかの最高裁判決が下った。それによると、介護する家族に賠償責任があるかは生活状況などを総合的に考慮して決めるべきだとし、この場合は93才の妻と65才長男は監督義務者にあたらず、賠償責任はないと結論づけた。
 たしかに、自ら半分認知症の93才と65才に、四六時中徘徊患者を見張らせるのは無理である。

 26日の朝日新聞デジタルによると、2014年度に認知症者がかかわったと思われる列車事故は22件あったという。それに加え別の報告では、自動車の死亡事故が181件あった。これらは氷山の一角であり、賠償を伴う事故はこれから増えていく。
 私の家にもそれに近い人がおり、さらに私自身も危うい。

 では認知症者を抱える家族はどうしたらよいのか。
 普通リスクマネジメントでは、①回避、②低減、③転嫁、④保有、の4つの方向性に沿って、リスクに対応する。ブレーンストーミングだから、批判厳禁である。

 ①回避行動
 ・認知症患者を施設に預ける
 ・座敷牢で隔離する
 ・筋弛緩剤で動けなくする
 ・この世から消す
 ・自分が行方不明になる
 ②低減活動
 ・交代で見張る
 ・足かせをつける
 ③転嫁
 ・保険に入る
 ・理論武装する
 ④保有
 ・あきらめる
 ・家族全員が認知症になる

 これをみても、決定的な解決方法などない。誰か楽すれば、誰かが犠牲になる。とすれば、犠牲になるのはそれまで人生を謳歌してきた高齢者しかいない。
 高齢者安楽殺人解禁が、現実味を帯びてきた。

無免許教師

 どうせ周りを騙すなら、騙し続けてほしかった

 ≪最上地区の県立高校で保健体育を担当する女性教諭(55)が教員免許がないにもかかわらず32年間、指導していたと22日、県教育委員会が明らかにした。県教委は同日、この女性の教員としての任用を無効とした。女性は1984(昭和59)年に採用され、これまで4校で延べ7700人を指導してきたという。(2月23日山形新聞より)≫

 おそらく、更新手続きを省いてしまったのであろう。
 いかにもありそうなことである。教員だけでなく、無免許の医者や弁護士、もちろん車の運転手のなかにもいる。更新するときの手続きがややこしいからである。私自身も、更新が面倒なため、いくつかの資格を放棄してきた(もっとも何か仕事ができない資格ではない)。中小企業診断士の仕事も、一部を除いて免許などいらない。

 たしかに医者や教員のように、それぞれ患者や子供を扱える能力を保証するための資格は必要である。野放図に業務を開放すれば、とんでもない医師や教師が現れる。それでは収拾がつかない。

 しかし、更新の多くは意味がない。まちがいなく、資格を与える団体への利益供与にしか過ぎないものもある。私が取得した資格も、ほとんどすべてそのような気がする。

 したがって、どうせ周りを騙すなら、騙し続けてほしかった。現実にはそのような人が大勢いるのであろう。