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故障する機械

 故障しない機械はゴミになって、高齢者の周辺に溜まる

 先日、車のヘッド電球が切れ、点灯しなくなった。スタンドで交換しようと思ったら部品がないので、ディーラーまで足を運ばねばならなかった。すったもんだ、2~3時間費やした。電球1個で2700円は高いと思ったが、時間ロスの方が大きい。

 自動車や家電製品のような耐久財の場合、つぎのように5段階評価できる。
 ①一番いいのは故障しないこと
 ②故障しても、自分で簡単に修復できる
 ③故障したら、販売者が修復してくれる
 ④故障したら右往左往しなければならない
 ⑤故障したら、絶対に修復できない。或いは爆発する

 ⑤は極端だと思うかもしれないが、かっては我が家でも何件かあった。テレビや炬燵が火を噴いたり、照明器具が天井から落ちてきた。さすがに最近、こういうことはない。
 
 故障は仕方がない。つくったものは必ず壊れるし、人は必ず間違う。だから、最高評価の①が、必ずしも最善ではない。

 5年ほど前、我が家のブラウン管テレビが映らなくなったので修理した。2万円である。地デジに変わる時期だったので、それまでもてばいいと思った。新品購入より修理のほうが日本経済に貢献する。
 それがまだ故障の気配がない。最初購入してからとっくに10年は超えている。場所を取らずに安くて大型、高機能のテレビはいくらでも買える。

 こうやって高齢者の周辺に、ガラクタやゴミが溜まっていく
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大臣辞任

 そのうち日本のリーダーは、お経ばかり唱えて世界中の言いなりになる、お釈迦様ばかりになる

 昨日は、甘利大臣辞任のニュースでもちきりであった。この1週間、50万とか500万円を懐に入れたとか入れないとか、すったもんだしていた。なんともみみっちい。それなのに大臣辞任は、切腹と同じである。

 お金のやり取りがいいこととは思えないが、絶対悪ではない。世の中の善悪は、すべて量と質である。

 生まれてから50年も60年、真っ白で生きている人間などいるはずがない。もしいたとしたら、「毒にも薬にもならない」人である。それはもう人ではない。

 そのうち日本のリーダーは、お経ばかり唱えて世界中の言いなりになる、お釈迦様ばかりになる。

年上婚

 若い女性好みの男が、自分より少し年上に目を向ければいい

 以前このブログで、日本で女性より100万人も多い若者男性は、高齢女性とマッチングしたらどうかと書いた。これを見て、20歳の若者が10歳年上の女性と結婚しろというのかと勘違いした人がいる。

 それでもいいが、あまりにもかわいそうである。
 そんなことをしなくても、これまで若い女性にしか目がなかった男が、自分より少し年上に目を向けるだけでいい。20才の男なら25歳、30歳男子ならなら40歳女性を選べば、順繰りに高齢女性と若い男性と結びつく。
 
 60歳男性と70歳女性、80歳男性と90歳女性のカップルは、なにも違和感ない。大量に余っている100歳以上の女性は、さすがにもういい。

 最近年上婚が増えてきたのは、自然の成り行きである。

ホーキング博士の人類滅亡

 せっかちな人は、自分の目で人類の滅亡を見たいと思う

 今年74歳になる英国のホーキング博士は、26日のラジオBBC収録の際、人類が100年以内に滅亡すると発言したという。人類の危機を招くリスクとして、「人工ウィルス、軍拡競争、核戦争、地球温暖化、加速器を使った素粒子の実験」などを挙げている。
 この「加速器を使った素粒子の実験」では、ブラックホールが発生し、地球そのものを飲み込んでしまうかもしれないと言われている。

 もともとホーキング博士は、全宇宙の生命体について、「もし文明の進んだ生物がいたとしても、その文明ゆえに瞬間的に滅んでしまう」と言及していた。
 まだそこまで人類の文明が進展しているかどうかはわからないが、少なくとも百年後までには、あっという間に人類を滅ぼすような装置ができるはずである。いま人類が保有している核兵器でさえ、人類の大部分を滅ぼすのに充分である。

         無人の招魂者 H28.1.1

 そもそも、人類を含むすべての生命体における自然状態での滅亡は、増えすぎるか減りすぎることであった(あたりまえ?)。それに、人のような両性生殖動物は、子孫が生まれるごとに、DNAの末端のテロメアという部分が損傷し、やがては生殖が不可能になる。その時期は、5~10万年以内だと言われている。

 もともと、人類に永遠はないのである。滅亡は約束されており、早いか遅いかである。せっかちな人は、10万年待つより、自分の目で人類滅亡を見たいと思うかもしれない。核のボタンを握る人の中に、そんな人がいないことを願う。

障がい者の競技

 パラリンピックは、オリンピック以上に、国の威信をかけた戦いになる
 
≪陸上の2012年ロンドン・パラリンピック覇者で義足の走り幅跳び選手、マルクス・レーム(ドイツ)が2月20日に英国のグラスゴーで行われる室内競技会で、ロンドン五輪金メダリストのグレッグ・ラザフォード(英国)と対決する。英国陸連が20日までに発表した。1月21日ロンドン共同より≫

 彼は、昨年10月のドーハでの障害者陸上世界選手権で8.40Mの世界記録をマークした。健常者の世界記録は、パウエルの8.95Mである。レームの記録も、オリンピック出場選手並みである。
 障がい者といえば、2012年のロンドンオリンピックには、両足義足のオスカー・ピストリウスが、陸上の400M及びリレーにも出場した。

 もちろんこれらは、義足の優劣性に大いに影響している。選手の能力、それ以上に義足メーカーの影響が大きい。人の足以上にスプリングを効かせれば、健常者の世界記録を超えても不思議ではない。
 これは車椅子での競技全般にも言える。軽いタッチ、丈夫な架台、人の力を微妙に感じ取り、場合によっては増幅させる機構・・などの優劣で、試合の勝敗はほぼ決まる。
 すなわち、障碍者の競技であるパラリンピックは、装置の競技であるということでもある。

 それはそれでいいのではないか。パラリンピックに参加する人の国が、どれだけ障碍者に力を注いでいるか、その国の技術力がどれだけあるのか。まさにそれが試される。
 したがってパラリンピックは、オリンピック以上に、国の威信をかけた戦いになる。
 
         大パチンコ

 ところで先日、地域体育協会主催のボーリング大会に参加した。
 毎年この選手集めの役割を拝命しているので、仕方なく、ここ10年近く参加している。
 1年に一回しかしないのだから、上達するはずがない。2ゲームの合計が200点くらい。1ゲーム目は120点ぐらい出るが、2回目になるとスタミナを使い果たす。

 このボーリング場で、不思議な器具を見つけた。ボーリングの球を持てない幼児用に開発されたもので、滑り台の上から転がす。パチンコを大型にしたようなものである。
 つぎからは、この器具のお世話になるかも。

沖縄基地反対の理不尽

 いうことを聞かなければ独立すると言うのは、限りなくゴールポストを動かす韓国の挺隊協と同じ

 25日のプライムニュースでは、先日の宜野湾市長選で、辺野古移設反対派が落選したのを受けての論戦であった。といっても、沖縄社会大衆党の糸数議員と、小野寺元防衛相では、まるでディベートにならない。辺野古移設反対を唱える人たちの理不尽さが、浮き彫りになっただけである。

 それにしても、筋違いや事実と異なることを、さもほんとらしく発言する糸数議員にはあきれるばかりである。参院議員とは、この程度の人でいいのか。
 昨日の番組でも、

 ①1市長に過ぎない佐喜氏に対し、他の地域である辺野古を曖昧にしていると攻撃する
 ②事故率の改善されたオスプレイの配置に対し、危険が増したと吹聴する
 ③中国に媚しか売らない翁長知事が、尖閣は沖縄のものだと中国に主張したという
 ④中国漁船に荒らされている尖閣周辺で、日本と沖縄の漁民は仲良くしているという
 ⑤北部の米軍基地返還のための代替ヘリポート建設に、死に物狂いで反対している

 もし糸数議員が、これらのインチキを信じているとしたら、詐欺師よりたちが悪い。
 なかでも極めつけは、
 視聴者からの「沖縄の国会議員のなかには、独立論を唱える人がいる。どう思うか」という質問に対し、「日本政府が、沖縄の言うことを聞かず、負担ばかり強いるとそうなる」と答えたことである。

 世の中すべての問題には、複雑な事情が絡んでおり、1か0の決着はできない。なかでも微妙な事案である基地問題に対し、「すべていうことを聞かなければ独立する」と言うのは、「慰安婦問題」で限りなくゴールポストを動かしている韓国の挺隊協と同じである。そもそも解決する気がないのである。

 もっとも沖縄の独立は、原理的に成り立たない。もし独立したら、あっという間に米国か中国に占領され、軍事国家に早変わりしてしまうからである。

民意とはなにか

 誰もが、自分たちに都合のいいように「民意」を解釈しているだけ
 
 安保法制や沖縄基地移転など、反対派は「民意に従え」「民意を聞け」という。「民意とはなんなんだ」と、さも自分たちの主張が「民意」だと思っている。
 いったい「民意」とはなにか。
 定義をはっきりしないで「民意」といっても、勝手に都合のいい解釈を振り回すだけである。

 たとえば共産党は、昨日の沖縄県宜野湾市長選で、普天間飛行場の辺野古移設に反対する候補が敗れたことについて、「政府は、この選挙結果をもって移設を民意とすべきではない」と牽制したという。

 もともと沖縄の「民意」など、ほんとの民意ではない。選挙結果は、沖縄2紙に代表される偏向メディアの誘導するバイアスに大きく導かれる。今回はたまたま、バイアス疲れしたのであろう。

 先日も書いたように、人々は目に付きやすい印象・思考に流されやすく、それを修正するのは容易ではない。ある人が示した意思がほんとにその人の意思かどうか、それだけでは分からない。
 つまり多くの人々は、世の中のほんの一部の情報を主張するメディアに感化され、自分自身で意思決定をすることができていない。ほんとの自分の意見を表明するには、自分に入るすべての情報が、バランスよく入手できていなければならない。

 その意味でメディアの責任は、絶対的に大きい。深刻なのは、それだけメディアの影響と責任が大きいのにかかわらず、(法学者と同じ)その構成員を公平に選別することができないことである。

町内会長から区長へ

 すべてをこなすことはできないので、優先順位をつける

 今年、わが20世帯の子町内の自治会長に選任された後、その町内が10集まったブロックの区長にも選任されてしまった。
 わが子町内は世帯数が少ないので、1年おきぐらいに自治会長になる。必然的にブロックの集まりに顔を出す機会が増え、認知度が高くなったからである。他の世帯数の多い町内は、自治会長になる機会が少ないので、誰も知らない人が多い。

 いくら「いやなことでも喜んでやる」といっても、何でも引き受けると身がもたない。それに会合や運営での時間が重なった場合、すべてこなすことは不可能である。
 そこで、つぎのように優先順位をつける。

 ①家族や親せきの冠婚葬祭その他の計画
 ②営業を含む、仕事の約束。ただでさえ少ない仕事の依頼をキャンセルするわけにはいかない。
 ③ここに町内会の仕事が入る。最低でも、3度に1つぐらいの会合には出ないといけない。
 ④交通安全指導員、診断協会など非営利団体の仕事。行事や会合の、半分ぐらいは出れると思う。
 ⑤友人との遊びの約束。約束は100%守る必要がある。

  つまり、優先順位の3番目である。残念ながら、ここには「愛人」の項がない。

楽しくない深酒

 ほんとに楽しい気分になれる、死に際を楽しみに生きていく

 昨晩、久しぶりに深酒をした。帰宅したのが2時を回っていたから、相当飲んだのは間違いない。まだ頭がふらふらする。昨年末からの忘・新年会は、1次会で引き揚げていたのだが、楽しかったのでつい油断してしまった。

 しかしいくら楽しくても、10~20代のころのような突き上げるような喜びはない。あのころは、それほど責任を取らされることなく、何でもできると思っていた。つぎつぎアイデアも沸いて、面白くて仕方がなかった。もちろん体力もあり、時間無制限で楽しめた。

 いまはどんなに酔っても、なにかに追われているようで心の底から楽しむことができない。賽の河原のように、つぎつぎと難題がぶら下がる。それを振り払うと深酒になり、2日酔いの悪魔に襲われる。

 だから、ほんとに楽しい気分になれるのは、もう死ぬ間際しかないのかもしれない。これからは、それを楽しみに生きていく。

専門家の予想は外れる

 専門家が正しいのは、ある限定された世界の中での出来事を予測する場合だけ

 昨年末気象庁は、今年は暖冬で雪は少ないと宣言した。たしかに年末年始にはほとんど積雪がなく、さすが専門家だと感心した。ところが今回の寒波である。やはり気象庁の予報は当たらない。
 私が専門家を信用しないのは、つぎの理由からである。

 多くの専門家が自分の意見に自信を持つのは、多くの情報を持っているためである。ただそれらを組み合わせ、つじつまのあるストーリーに作り上げるのは難しい。数が多くなると、組み合わせだけで膨大になるからだ。そのため専門家は、賢く見せようとして、独創的なことを思いつき、いろんな要因を複雑に絡ませてしまう。

 人がなにかを主張するとき、いくつかの情報を組み合わせて筋道をたてる。その場合、手持ちの限られた情報で、考えられる最善のストーリーを組む。情報が少なければ、ストーリーをつくりやすい。そのストーリーが真実かどうかは別である。それが心地よければ自分で納得してしまう。

 我々素人は身の回りの少ない情報だけで、納得いくストーリーをつくる。プロの専門家はその100倍の情報を集め、それを無理やり組み立てる。
 どちらが正しいか。

 現実の社会は、無数の情報の組み合わせである。いくら専門家の集めた情報といえども、全宇宙のほんの一部に過ぎない。太平洋にゴボウのごとしである。そうなると、専門家の予測と我々素人の予測の差など、屁みたいなものである。

 専門家に対し、われわれが「なるほど」と言えるのは、ある程度限定された世界の中での出来事を予測する場合だけである。囲碁や将棋などが当てはまる。人間の感情が絡んでくる政治経済や、運が大きく左右するスポーツの勝ち負けなどは、予測不能である。たとえ予測できたとしても、たまたまである。確実な筋道を立てた論理構成はできない。

 したがって、ものごとを総合的に考える素人の方が正しい場合が多い。

ゴールドラッシュの勝者

 いつの時代でも、ほんとに儲けた人はじっと黙っている

 いまから150年前、アメリカ西海岸の川で、金が発見された。見つけたのはドイツから移住してきた農民である。秘密は1週間で漏れ、周りの人たちはみな金に群がる。やがて近郊の街や村から、翌年には全米中から大勢の人が集まった。ゴールドラッシュの始まりである。
 そのため1848年に1.4万人だったカリフォルニアの人口は、1849年末には10万人、1852年には25万人にまで膨らんだという。
 最初に金を発見した農民たちは、それなりの金は手にしたはずである。

 ただ、このゴールドラッシュで多くの富を得たのは、多人数が集まる前に金を掘った人であり、人々が殺到したときには、金はもう残り少なかった。

 1850年には、ほとんどの人は稼ぐことができなかった。金を掘ることで得られる報酬は、当時の平均給与よりはるかに低かったという。
 それでも「一攫千金」を夢見る人たちは、続々集まってきた。

 じつは、ゴールドラッシュで最も大きな利益をあげたのは、金を掘った人ではない。
 彼らにサービスを与えた人である。その典型例がリーバイスであった。彼は採掘ワーカーの手荒い労働にも破れない頑丈なパンツを開発し、大評判となった。それは「ジーンズ」と呼ばれるもので、その後作業用ズボンとして大きな市場を獲得したのである。
 このことを、むかし野口悠紀雄氏の著書で読んだことがある。

       ぼろ着の継体天皇 H28.1.1

 ビジネスでは、同じようなことは至る所にある。
 たとえば、太陽光発電である。沈静化には向かっているが、悪法?であるFITに狂喜して、膨大な事業者が参入した。かってのバブルはもちろん、スマホや観光・爆買いなど、狂乱ビジネスは、それ自体が台風や大雪と同じである。嵐が去って落ち着いた後、さてどうなっているか。
 
 いつの時代でも、ほんとに儲けた人は黙っている。ブームが去って20年しなければ真相はわからない。

食品横流し事件

 どのような場合でも、ウソをつくことだけは、絶対にやってはいけない

 食品の異物混入と「横流し」が問題になっている。このような事件は、何年かおきに起こる。
 今回は、カレーの「壱番屋」が、異物混入の疑いがあって廃棄したビーフカツが不正に転売されていた。また、大手のみそメーカ-「マルコメ」の、売れ残り廃棄みそ144トンも横流しされていたことも発覚した。

 たまたまスーパーで「壱番屋」の従業員が、商品に疑問を持ったところから、偶然発覚したものである。芋づる式に出てくるところを見ると、これまで日常的に行われていたと思われても仕方がない。しかも、今回摘発された業者だけでなく、広く行われているのではないか。連日大袈裟に取り上げられている。

        副産物  H26.10.12撮影

 しかし、それがどれだけ悪質なのか。どうもピンとこない。
 なぜなら、私がその廃棄を請け負ったとして、必ず廃棄処分してしまうかどうか、自信がないからである。その「廃棄処分」しようとする食品が、本当に廃棄に値するものなのか、まだ食べられるのか、良識ある人は疑問に思うはずだ。普通われわれは、もっと古いものや何か混じった食品ぐらい、日常茶飯事に食べている。殺虫剤の混入や段ボールカツのようなものとは、次元が違う。

 普通の神経なら、また充分食べられる何百tもの食品が、無残に廃棄されるのを平気で見ていられるほど冷酷ではない。MOTTAINAIし、間接的に何百人も飢えさせることになる。経営者なら、それを何とか利益に結びつけようとする。

 ここまで読まれた方は、私が悪徳経営を指南する悪徳経営コンサルタントだと思われるかもしれない。
 それは違う。
 つまりこのような場合でも、絶対やってはいけないことがある。それは、ウソをつくことである。異物混入だろうが、古くなった食品だろうが、使い道はある。たとえば微生物利用による発酵である。異物混入なら異物を除けばいい(簡単ではないが)。闇鍋の材料としてもいい。原料を明確にしたうえで、それを付加価値のあるモノに変える。それが食品のプロである。

 だから、私のようにアホな経営コンサルタントに付き合って、大もうけした経営者はいないのである。

何でもできる②

 何でもできる設備と同じように、万能人間は何もできないうちに終焉を迎える

 何でもできる装置について、こんどは使う方の立場から考えてみよう。
 典型的なのはスマホである。いまだかって、これほどの万能装置はなかった。通話、メール、ネット受信、撮影、そこから派生したありとあらゆる案内サービスなど。あの小さい体に、無数の機能を盛り込んでいる。

 その、何でもできるスマホに人気があるのは、単独機能での稼働率がものすごく低いからである。よく使う通信機能にしても、人によっては1日1回も使わない。何時間も使っている人は、どうせろくな使い方はしていない。写真撮影しかりである。工場設備のように、稼働率が問題になるわけでないし、可動率すなわち必要なとき使えることも問題になっていない。

 つまりスマホの原型である携帯電話にしても、ほとんど99%の時間は持っているだけである。言い換えればムダに保有していた。その余った時間に、あらゆる機能を詰め込めばいい。従って、使う人にとって機能が増えるほど便利になり、総合的にはコストダウンになる。しかも小さいから、どこにいても使える。
 まだまた機能は増えていくであろう。

               眠り羊

 一方、効率を優先するビジネスの場ではどうか。 
 たとえば名刺である。
 海外と取引がある人は、名刺の表に日本語、裏に英語で自分の名前を印刷している人がいる。1枚で2つの用途に使えるため、一見合理的なやり方のように見える。

 しかし当たり前だが、名刺を渡す相手は一人である。この場合、相手が日本人なら英語の表記はムダで、相手が英語圏の人なら日本語の表記はいらない。もちろん、裏表のある名刺のほうが値段が高い。1.5倍~2倍はする。そのコストアップの分をムダに使っている。したがって、日本語の名刺と英語の名刺を別々に持っていた方が合理的である。
 
 工場の生産設備はどうか。多品種少量生産工場では、多機能で何でもできる設備を求めることが多い。これが必ずしも最善とは限らない。

 普通の工場では、稼働率(実際に動いている割合)や可動率(必要なとき動ける割合)を重視する。その場合、何でもできる設備というのは問題がある。その多機能設備で、ある一つの加工をしているときには、他の機能を働かすことができないからである。しかもそんな設備は、一つの仕事しかできない設備の何倍もの値段がする。
 その場合、価格の安い一つしかできない設備のほうが有利かもしれない。

 万能人間はもっと問題である。何でもできる人間は、そのインプットに多大な時間を要している。人生は短い。たいてい何もできないうちに、耄碌し終焉を迎えるのが落ちである。

病院通い

 医者は、他人の仕事を奪うことによって利益を上げる、因果な商売である

 今日は日本中、積雪のニュースでもちきりである。今年は雪のない冬になるかと思ったら、とんでもない。福井も今晩あたりから大雪になり、明日から雪かき運動がはじまる。
 

 ところで昨年暮れ、左耳に大きな塊を発見、無理やり引き抜いた。まだひりひりするので診て貰った。まだ何かあるらしく、吸引器と耳かき棒で異物を取り除いた。どうも私の左耳は、耳の奥から溶岩のような膿が、外耳に向かってじわじわ溢れているようである。溶岩はすぐに固まるから、ほじくりたくなる。

 耳鼻科医によると、医者以外には絶対に触ってはいけないという。2週間おきぐらいに通院して掃除しろと言われた。

 考えてみれば、それまでの泌尿器科のPSA検査と皮膚科に加え、昨年末は歯医者と耳鼻科が加わった。その歯医者にも、半年経ったら歯石を取れと言われている。まともなら、4か所の病院に定期通いをすることになる。

 そのうち胃腸科と神経科、脳外科、呼吸器科、循環器科などが加わる。合わせて10ぐらいにはなる。10もの診療科に、それぞれ1か月1回でも行ったら、じつに10日も病院通いをしなければならない。2週間に1回なら、20日。病院へ行けば2時間待つので、ほとんど毎日が潰れる。日本には、このような老人がごろごろいるのだろうか。それこそ、高齢者の就労機会を奪っている。

 大した病気でもないのに、これだけ病院通いをしなければならないのは異常である。簡単な治療で専門医に通うのもおかしい。1回ですべての治療を済ませれば、効率は10倍になる。
 ただこれは、医者の儲けが減るから厳しい抵抗があり、実現は難しい。医者は、他人の仕事を奪うことによって利益を上げる、因果な商売なのである。

大型バス事故

事故が減れば減るほど、一旦事故が起こった場合の報道は大げさになる

 15日の午前1時55分ごろ、長野県軽井沢町の国道18号入山峠付近で、大型バスがセンターラインを越えてガードレールを突き破って転落、山林立ち木に衝突した。この事故で、運転手2人を含む14人以上が死亡し、27人が重軽傷を負ったという。ほとんどが20歳前後の大学生である。

 死亡者のほとんどが若者で、悲惨である。シートベルトをしていれば、幾人かは助かったかもしれない。年寄りほど命を大事にするが、若者は面倒くさくてそんなものはしない。また事故の遠因に、運転手が過労になりがちな格安ツァーがあるという。若者ほど生きる権利は大きいのに、命より安い方を選んでしまう。

 ただ人が運転する限り、交通事故は絶対無くならない。人は必ず間違いを起こす。2~3年前、高速ツァーバスで7人死亡事故の後、2人運転手など規制は厳しくなったはずなのに、また事故は起こってしまった。とくに大型バスは、高齢運転手が大勢の乗客を乗せているのだから、事故が起これば必ず大事になる。
 それに、規制が厳しくなって事故が減れば減るほど、事故が起こった場合の報道は大げさになる。 

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問題発言

 言論の自由がない日本で問題発言を繰り返すマスコミこそ、最優先に処分されるべき

 先日自民党の桜田議員は、党の合同会議で、「慰安婦は、売春防止法が施行されるまでは職業としての娼婦だ。これを犠牲者のような宣伝工作に惑わされ過ぎている」と発言し、問題となった。昨年は、木原議員の「沖縄2紙を潰すにはどうしたらいいか」とか、武藤議員の「戦争を忌避する若者は自分勝手」の発言で揉め、少し前の麻生大臣のナチス云々、以前の森首相のときもひと悶着あった。このような舌禍事件が途絶えることはない。

 そして今回、桜田議員は発言を撤回し、木原氏や武藤氏は降格や除名など、処分されてしまった。
 普通に考えたら、とんでもないことである。いずれも発言の内容は間違っていない。多くの国民が思っていることを代弁しただけである。

 つまり件の問題発言は、彼らの議員としての考え方から出てきたものであって、それを前提に、国民は彼らを議員に選んだのである。それを処分するということは、国民の意志を表現する機会を封じてしまうことになる。許されることではない。国民が言いたいことを言えなくなったら、いずれ爆発する。 
 日本に言論の自由があると思っている人はそう思うはずである。
 日本で「舌禍事件」を起こす人たちは、米国共和党の大統領候補トランプ氏を小型にしたようなものである。トランプ氏の発言は、問題にはなっても、発言者がいじめられることはない。かってのイタリア首相もそうだった。
 
           マスク

 しかし本当は、日本には言論の自由がない。そのことに気付いている人は少ない。この点で中国を馬鹿にする人は勘違いをしている。日本では、人が気分を害することは、外に漏れないよう仲間内だけで盛り上がっていなければいけない。言ってはいけないことを公にして「問題発言」した議員は、どんどん処罰すべきである。

 その場合、本当に問題なのは、「問題発言」をして処分されるのは、ほとんどすべてが与党議員だということである。その100倍も「問題発言」している野党議員が、お咎めなしなのはまったく公平ではない。

 これは、発言を咎めるのが(国民に選ばれてもいない)マスコミしかいないからである。マスコミが大ごとにしたものが問題になるだけだ。じつはそれこそが最大の問題であって、言論の自由と権力批判を盾に、問題発言を繰り返すマスコミこそ、最優先に処分されなければならない。できないのは、マスコミが最大の権力者だからである(現に多くの場合、テレビや新聞に取り上げられたことが権威になる)。
 このような状況こそ改善する必要がある。新聞を読まない、テレビを見ない人が増えているのはいい傾向である。

原因究明

 多くの場合、単なる相関関係であって、因果関係を証明することは不可能である

 工場で異常が発生した場合、徹底的な原因究明が求められる。トヨタの改善活動では、「なぜ」を5回繰り返す。巧緻な人はそのようにふるまってきたし、そう啓蒙している。生産活動だけでなく、日常生活でも同じである。
 
 しかし現実にはどうか。狭い経験だが、なぜを繰り返してもほんとの原因究明に至ったケースは非常に少ない。たいていの場合、わけがわからないうちに異常が無くなり、なにごともなかったように治まる。

 これは不思議なことではない。
 数年前、新型ボーイング787に積載されたリチウムイオン電池が、相次いで発熱したことがあった。これも結局、原因がわからなかった。それでも、想定される何百の事象にも対応して、さらに万一発火した場合にも被害がないような対策を取り、交通当局によって安全性が担保されたのである。
 すべての複雑な技術とはそういうものである。

 つまり世の中で、まったく同じ事象が起こることはほとんどない。構成物の素材やその組み合わせ、動作環境の微妙な揺らぎなど、分子レベルでみれば、無限の組み合わせがある。そのすべてを解明し、再現させることは不可能といってもよい。

 そもそも、現代科学で当たり前に行われていることでさえ、証明されているわけではない。竹内薫氏の「99.9%は仮設」でいろんな例が紹介されている。飛行機がなぜ飛ぶのかベルヌーイの定理では説明がつかないし、麻酔がなぜ効くのかもわかっていない。つまり飛行機は、「飛ぶから飛ぶ」し、麻酔薬は「効くから効く」のである。

 ファスト&フォローで指摘されたように、人々はなにかストーリーを作って、原因と結果を結び付けたがる。多くの場合、それは単なる相関関係であって、因果関係を証明することは極めて難しい。だから、すべては仮説なのだ。

町内自治会長

 いやなことでも、やらなければならない時には、喜んでやる

 昨晩、町内の総会・新年会で、自治会長役を拝命した。
 私の町内では毎年順送りに、自治会長、会計係、稲荷神社担当の3役を決める。動けるような世帯は7軒しかないので、1~2年おきに必ずこの3役が回ってくる。3役のなかでは、自治会長役が一番面倒である。その役を避けたくて、いつも揉めていた。すると前会長がやきもきする。
 そもそも、自治会長の苦労の一つが、次期自治会長を決めることである。すんなり決まれば、自治会長役の重荷がひとつとれる。

 だから数年前から、揉めないことにした。あらかじめ覚悟をしておけば、その場で決まる。最近は総会直前に5分で決まる。それでも、未来永劫1年おきに自治会長役をするのはしんどい。それで今年は条件を付けた。今度やる人を決めておく。それなら二つ返事で受けてくれた。年寄りばかりだから、2~3年後の次回まで、生きているかどうかわからないからである。

 いやなことでも、誰かやらなければならない時には、喜んでやる。いやいややっていたのでは、ますます世の中が厭になるだけである。
 「断る力」との絶妙な組み合わせが大切なのである。

良い安売り悪い安売り

 イノベーションは、「良い安売り」を追求することである

 業界のイノベーションの多くは、「価格破壊」から起こる。製品・サービスを、破格の値段で提供できるかどうかは、イノベーションの大きな要素である。資源、製造、流通段階での大幅な合理化、生産性の向上の結果であり、まさに、価値=機能/価格である。
 
 有名なところでは、流通革命で価格破壊を起こしたダイエー。経営コンサル業界では、20年前に1000万円かかったISOのコンサル費用が、いまはその1/10である。ムダな文書を削ぎ落して運用を容易にしたのだから、誰も損する人はいない。

 眼鏡業界では、チタンの加工技術を活かして、医療用具の製造を行おうとしている。
 ただこれには、抵抗勢力が多い。医療関係の機器や薬品の流通は、暗黒の「闇」に包まれている。ドラマ、「下町ロケット」の人工心臓開発よりもっとややこしい。そのため、許認可、医療現場の利権などで、国民はバカ高い治療費を払わされる。悪い奴ほど黙って儲けている。この「闇」の部分をどう解明するかで、イノベーションが起こるかどうか決まる。

 一方で、「悪い安売り」もある。
 ガソリンの安売り競争が激しさを増しているという。昨年ある地域では、レギュラーガソリンが、1リットルあたり85~87円と、全国平均130~135円を大きく下回っていた。普通ならやっていけるはずがない。ガソリンのようなどこで買っても同じ製品は、価格だけが勝負である。近隣の店が値下げしたら、追随せざるを得ない。
 牛丼チェーン店や飲み放題居酒屋の乱立も、これに近い。
 他社が潰れるまでやる「物量戦略」ならともかく、普通の会社はとてもやっていけない。お互いの首を締め合うだけである。

 もちろんイノベーションは、「良い安売り」を追求することである。

すべては仮説②

 意見を決して変えない人は、たまり水のようなもので、心が腐っている

 このブログでは毎日のように、見る人によってはアホな意見を書いている。日本の財政問題原発歴史認識慰安婦問題など。我ながら、良くこんなことを断言できるのかと思うくらいである。
 ただこれらの見解は、私自身が67年かけて蓄積した知識と思考にもとづく「結晶」であり、自信がある。すくなくとも年取った分、人並みぐらいには、幅広い知識を得ているつもりである。

 だから、昨日福井新聞のほとんど全面を使って掲載された、池澤夏樹氏の「伝える・訴える」という論説に対しては、「アホかいな」としか感じない。池澤氏は、政府筋が沖縄2紙の偏向ぶりを懸念しているのに対し、およそつぎのように述べている。

≪沖縄には2紙があって住民は選ぶことができる。辺野古問題に関しては、2紙は同じことを強調せざるを得ない。もし反対なら、政府寄りの新聞を発行すればいい≫

 池澤氏は、偏向新聞によって左脳になってしまった沖縄住民の心理状態を、まったく理解していない。いったん入ってしまった先行刺激は、容易に抜けないのである。反日の韓国で、日本の新聞を発行しても売れるはずがないのと同じである。

 また沖縄と同じ、福井にも2紙がある。福井新聞と、やや部数の少ない日刊県民福井である。
 福井新聞にしても、池澤氏のような片方の意見だけを、全面で掲載するのはおかしい。そうかといって、もう一つの日刊県民福井のほうはさらに過激である。とてもついていけない。ほとんどのメディアが、同じような思想で成り立っている。これでは大企業の談合と同じで、住民は選ぶことができない。 

 また池澤氏は、氏と意見の異なる人に対し「反知性主義」というレッテルを貼っている。「反知性主義」というのは、「アホ」「バカ」を丁寧に言っただけである。それこそ、意見の異なる人の言論を封ずるのと同じである(私も同じだが)。
 
 私より年配で人格者、芥川賞作家の池澤氏でも、間違いは間違いと言わなければならない。

       ぼろ着の継体天皇 H28.1.1

 そうはいっても、私もこれからずっと一つの考え方を進めるわけではない。これまで構築されてきた考えを改める根拠がでてくれば、喜んで「変節」する。世の中のすべては仮説だからである。それまでは、いまの考えを改めるつもりはないし、改めてはいけないと思う。

 「意見を決して変えない人は、たまり水のようなもので、心が腐っている」。この誰かの言葉は、いつも心の底にある。

成人の男女比

 経験豊かな大和撫子が若者男性のお相手する、WIN・WINの関係を目指す

 今日は成人の日。福井では8329人が新成人となった。TVニュースでその男女割合を聞いて愕然とした。男が4287人で女性は4042人、じつに男が5%も多い。これは福井だけではなく、日本中の傾向である。平成26年の総務省データでは、成人男子65万人に対し、女性61万人。成人の男女比は昭和50年後半からずっと男性が5%も多い。

 もともと、出生後の死亡率は男性の方が高く、生殖年齢に達するころはバランスが取れていた。それが、医療の発達で死亡率が男女変わらなくなったこと、戦争がないことから、生殖年齢においても男性の方が多くなってしまった。15~40歳では、男のほうがざっと100万人近くも多い。
 中国ほどではないが、日本も適齢期人口のバランスの悪さは深刻である。

 適齢期の男性人口が多いうえに、男は結婚相手に若い女性を選ぶ。そうなると、結婚ができない男性がどんどん増える。さらに、自立した女性や見映えの悪い女性は、結婚したがらない。ますます男の結婚難は増殖する。

 精力の有り余った若い男が増えるとどうなるか。
 社会不安が増す。今後不景気になり失業率が高くなると、なにが起こるかわからない。ドイツで、若い男性の多い難民による犯罪が多発していることと無関係ではない。

        神様 仏様 女性様

 ではどうするか。
 一つは、赤線の復活である。吉原のような遊女街を再生する。その場合、問題となっている戦時「慰安婦」と異なり、すべて日本人で賄う。下手に外人女性を引っ張ってくると、将来また外交問題となる。
 別に赤線でなく「自由恋愛」でもいい。

 ただでさえ若い女性が少ないのに、そんな女性がどこにいるのか、と思うだろう。それが山ほどいるのである。

 たしかに50歳以下の人口では、男性の方が多い。ところが、総人口に占める男女割合になると、逆に女性の方が5%以上多くなる。平成26年で日本の総人口12700万人のうち、男性6180万人に対し女性は6528万人。つまり高齢者ほど、圧倒的に女性が多いということである。

 もうお分かりであろう。人生経験豊かな大和撫子が、若者男性のお相手をするのである。70歳ぐらいまでは男女半々だが、75歳以上になると次第に女性が多くなる。100歳以上なら90%以上女性である。300万人から400万人女性が余る。若い男性なら一人3人くらいは十分対応できる。これぞWIN・WINの関係ではないか。
 73歳へのセクハラ事件は、起こるべくして起こった。これからは、人類にとって未知への挑戦である。

73歳へのセクハラ

 今回の「事件」でますます男の礼儀が通じなくなり、草食系男子が増える

 長崎県対馬市議会で、73歳の女性議員が、男性議員にセクハラ行為を受けたといって、告訴状を提出したという。「腕を引っ張って大部議員の方に引き寄せられ、上に乗られた。」そうだ。

 73歳で、セクハラの対象になるほどの女性なのか。写真がある。私だったら、セクハラしたいとは思わない。告訴された議員のいうように、ほんとうに「仲良くしようと肩を組んだ。盛り上げるためのユーモアだった」のではないか。男性の「礼儀」として、犠牲的精神を発揮して、セクハラ行為に及んだのでないかと推測する。

 もちろん、された方が迷惑と思うなら、いくら犠牲を払った礼儀としてもセクハラである。ストーカーともいう。その見極めが難しいから、男はみな悩んでいる。

 今回の出来事が「大事件」になれば、ますます男の礼儀が通じなくなる。さらに草食系男子が増える。

 (自分で書いておきながらなんだが、こんなことは口に出してはいけない。「被害者」の女性に対して失礼である。暗黙の了解として、なあなあですませるのが日本的大人の対応である。あえて言うなら、「加害」男性は武士道精神を発揮して、「酔ったあげく、つい本音で行動してしまった」と、潔く謝って欲しい。)

北朝鮮の水爆

 日本の選択肢は、「神話」を壊す先制攻撃か、核武装しかない

 先日、北朝鮮が「水爆実験」を行った。ほんとに水爆かどうかは疑問視されているが、威力のある核爆弾を小型化し、アメリカまで飛ばせるようになったといわれる。北朝鮮にとっては、人々にそう思わせることが大切なのだ。

 だからこれで、アメリカが北朝鮮を攻撃する可能性は激減した。先の大戦以来、これまで他の国から侵略や攻撃をうけた国は、核を持たない国ばかりである。ベトナム、クェート、パナマ、イラク、アフガニスタンなど。核を持っていて侵略された国は一つもない。
 北朝鮮が言うように、核を持つことが最大の防御である。このことは、専門家の間で「神話」として定着している。

 その厳然たる事実に目をつぶり、絶対不可能な核廃絶のお念仏ばかり唱える人の神経が理解できない。チベットが侵略されたのは、中国軍の攻撃に対し、僧侶がお経ばかり唱えていたからである。

 では日本は何をしたらいいか。
 北朝鮮に対する武力攻撃である。単独でできなければ、国連決議を後押しする。もちろん核による反撃は覚悟する。それくらいしなければ、核保有国にはさまれた日本の未来はない。
 つまり、核保有国は侵略をうけないという「神話」を壊すのである。

 それができないのなら、「神話」を上書きするしかない。もちろん核武装である。唯一の被爆国である日本こそ、核を持つ権利がある。日本がそのように発信しなければ、国際社会は本気で北朝鮮を抑えようとしない。

ロボットの進化

 最先端の介護ロボットは、介護する高齢者にやさしいだけではいけない
 
 むかしサラリーマンを辞めたとき、ある人から「ロボットを専門的にやったらどうか」と言われた。当時、生産技術に携わっていたからである。日本の産業用ロボットの導入台数は、1985年の10万台から、私が退社した1991年ごろには、30万台近くにまで増えていた。ロボットバブルが、永遠に続くと思われたからであろう。
 興味はあったが、ロボットで何をするのか見つからず、別な道に進んでしまった。

 あれから25年。当時思ったほどには、伸びていない。日本でのロボット導入台数は、1995年ごろの38万台をピークに横這いでその後減少、ここ数年は30万台程度である(バブルとは異なり、泡と消えたわけではない)。むしろ中国が日本を追い越し、年間40万台近く導入、さらに伸びている。

          あれから25年 H28.1.1           ブタ
 
 そもそも「ロボット」とはなにか
 ロボット研究会(経産省)によると、≪「センサ」、「知能、制御」、「駆動系」の3つの要素技術により、知能化された機械システム≫とある。その他いろいろな定義はあるが、人間の意志で操縦され知能を持たないものは含んでいない。

 したがって、人の運転制御が必要な自動車はロボットとは言わない。また鉄人28号やガンダムも、人が操縦するからロボットではない。だが工場で使われる自動制御の機械は、人の形をしていなくてもロボットである。もちろん無人運転の自動車は、立派なロボットである。

 だんだんややこしくなるが、ロボットといっても、いろんな機械要素の集まりにしか過ぎない。「ロボット」という名称はともかく、あらゆるところにICチップが埋め込まれ、自律動作が可能になっているものは多い。
 大切なのは、なにができるか、なにをするかである。「ロボット」という名称にこだわる必要はない。

        美人ロボット H27.10.9    仏の生首 H27.12.15

 では日本は、なにをすればいいのか。
 まず、無人宇宙船の開発を続ける。有人宇宙飛行なら、中国でさえ何回も行っている。アメリカ、ロシアの宇宙ステーションは、すでに定着している。そこに膨大なカネをかけて日本が乗り込んで行っても、メリットは少ない。それに、(風評以外被害が少ない)原発事故にさえアレルギー反応を示す日本国民が、有人宇宙開発で必ず起こる人身事故に、寛容であるはずがない。
 それより、「はやぶさ」で見せた無人宇宙ロボット技術を、さらに発展させるべきであろう。得意分野を伸ばす。そのほうが圧倒的にコストパフォーマンスに優れている。

 そして介護ロボットである。
 日本は、サービス分野の生産性が低い。そのうえ介護分野は、慢性的に人手不足である。この状況はあと30年、われわれ団塊の世代がこの世にいなくなるまで続く。ここで安易に外人労働者に頼ってしまっては、末代まで悔いが残る。
 そこでこの分野こそ、介護ロボットの開発を強力に推進すべきである。とくにうんち処理ロボットの開発が急務である。

 そして最先端の介護ロボットは、介護する高齢者にやさしいだけではいけない。できるだけ速やかに、成仏してもらえるような仕掛けがあることが望ましい。

介護悲劇を繰り返さない

 「安楽死」や高齢者殺人の合法化が検討されてもいい

 昨年のネット記事を引用する。
≪埼玉・深谷市の利根川でおととい22日(2015年11月)朝、「人が流れている」という通報で警察・消防がかけつけ、2人の死亡が確認され、川の中で泣いている女性が保護された。女性の話から、介護疲れと生活苦から高齢の両親と心中をはかったものとみられる。女性は殺人と自殺幇助の容疑で逮捕された。12月24日JCASTより≫

 この記事のように、介護が原因で悲劇に至るケースは多い。ある分析によると、この14年間で介護に関連する死亡事件が、550件起こっているという。年間30件、意外と少ないのは、氷山の一角だからである。ハインリッヒの法則では、その300倍以上の件数で何らかの異常が起こっている。事件には至らず、闇から闇へ葬られたものも相当ある。

 そもそも介護が発生した時点で、誰かの負担になっていないわけがない。現在要介護者数は約600万人。わが家のように、要介護に至っていなくても、絶えず見張りが必要な人はその何倍もいる。

 まさに「姥捨て山」の実施が現実味を帯びてくる。昨日の里見清一氏の提案に加え、「安楽死」や高齢者殺人の合法化が検討されてもいいのではないか。世界で初めて、超高齢社会を実践する日本の責任である。
 このままでは確実に、日本はアメリカのエサになる(中国のエサよりはいいが)。

高齢者への延命治療

 75歳以上の老人には、一切延命治療をしない。これを法制化する

 臨床医の里見清一氏が、新潮45(27年11月号)において、今後の医療の在り方についての達見を披露していた。彼は臨床現場で働いているだけに、実際の医療現場で起こっていることが生々しく、現実味を帯びている。

 里見氏が強調していたのは、医療費とくに薬価の高騰が半端ではないということである。わずかでも効き目があるとされたもの、たとえば生存率をわずか上げただけで、薬価は10倍にもなる。高いものなら、一人当たり年間3000万円から5000万円かかる。まもなく1億円になってもおかしくない。いくら高額でも、日本の保険医療では患者本人の負担はわずかしかない。

 効かないのならまだいい。使わなければいいからだ。問題は、効いたかどうかわからないもの、そして明らかに延命効果があると判定されたものである。深刻なのは、(たとえ植物状態であろうと)それを延々と使い続けなければならないことである。薬のせいにすればいいため、医者の精神的負担は極めて楽になる。その代わり湯水のようにカネがかかる。

 半端な金額ではない。
 いま日本ではざっと毎年150万人が亡くなっている。もし一人一人の臨終段階で1億円かかるとすると、150万×1億円=150兆円。話半分としても70兆円である。気の遠くなるようなコストが余分に必要となる。

 これだけのお金がどこへ流れるのか。TPPでアメリカが薬の特許に執拗にこだわったのはなぜか。アメリカの標的は金持ち日本であり、なかでも65歳を超えて高齢者入りした我々団塊の世代である。
 これが現実になってくると、日本の財政赤字はギリシャと同じ問題を抱え、大勢の若者や子供が犠牲になる。日本はいま、その泥沼に入ろうとしている。

          無言の行 H26.9.20

 そこで里見氏は、素晴らしい提案をした(反対ばかりの評論家とは違う)。
 「75歳以上の老人には一切延命治療をしない」という法律を作ることである。憲法に明記してもいい。もちろん、苦痛を和らげたり、QOL(生活の質)を維持するための治療は行う。個人負担にして、金持ちに差をつけてはいけない。すべて75歳で打ち切りにする。それで恨みっこなしである。どうしても延命治療したければ、国籍を離脱して海外に行けばいい(金を置いて?)。

 これ以上ないアイデアである。そしてこんな法律を作れるのは、当事者である年寄だけである。この制度を実現した政治家は、日本を救った偉人として最大の栄誉を受けるであろう


 【関連記事】
  命よりお金、 年寄は死ねというのか、 不健康寿命と介護、 延命治療、 人の死に時、 どうやって死ぬか、 徒然草 5段階評価

経営戦略とマネジメント(長文)

 大事なのは、自分の信じるものを持ち、それを確実に実践することである

 経営戦略やマネジメントに関する著作は、山ほど発行されている。その主なものを取り上げてみよう。

(1)マイケルポーター
 「競争の戦略」に代表されるボジショニング学派である。市場で独自の位置を築いて競争力を高めることを目指す。その競争要因5つの力を、適切なボジショニングの指針にする。
①新規参入の脅威
②業界内の競争関係
③代替製品からの圧力
④買い手の競争力(供給過剰)
⑤売り手の競争力(仕入れ先が少ない)

 競争相手に打ち勝つ3つの基本戦略
①コスト面での優位性
②差別化(製品機能やイメージ)
③特定市場への集中
 (注)このことを日本経営品質賞ガイドラインでは、つぎのように言っている
  ①どこよりも安い価格で提供できる(やすい、はやい、うまい)
  ②他ではできない独自性を持っている 
  ③どこにも負けないお客様との信頼関係を築いている

(2)ゲイリーハメル
 「コア・コンピタンス経営」では、顧客に価値をもたらす他社にはできない企業の中核力(コア・コンピタンス)を活かすことを強調している。
 その戦略の見方を変える5つのポイント。
①未来の市場機会を発見する先見性を築く
②製品で業界を支配するより、コア・コンピタンスで支配する競争へシフトする
③未来市場の制覇に向けて必要なコア・コンピタンスを磨く道筋を示す
④多少困難な目標を掲げて社員のやる気を引き出す
⑤有限な経営資源から相乗効果を生み出し、経営資源の制約を打破する
 コア・コンピタンスは、3つの条件を満たす必要がある
①常に顧客の利益に直結する
②他社に模倣されないようなユニークな能力
③活用するほど磨かれ価値が高まる

(3)クレイトン・クレステンセン
 「イノベーションのジレンマ」は文字通り、イノベーションは必要だが、自らの組織を衰退させる働きもするということ。たとえば、自らが開発したデジカメのために衰退したフィルムメーカーコダックのように。
 「偉大な企業は正しく行動するがゆえに、やがて市場のリーダーシップを奪われてしまう」
 したがって、新技術の開発では、別の組織を作って追及する必要がある。

(4)ピータードラッカー
 「マネジメント」は、経営の教科書ともいうべき基本指針を述べている。
 企業の目的は「顧客の創造」であり、そのために「マーケティング」と「イノベーション」が必要である。
 事業を定義するためには、
 ①顧客は誰か ②どこにいるのか ③何を買うのか ④彼らにとっての価値は何か

(5)トム・ピーターズ
 「エクセレントカンパニー」は、超優良企業にはつぎのような共通項があるとしている。
 ①行動の重視、②顧客に密着する、③自主性と企業家精神、④人を通しての企業家精神、⑤価値観も基づく実践、⑥基軸事業から離れない、⑦単純な組織と小さな本社、⑧厳しさと緩やかさの両面を同じに持つ

(6)ジェームス・コリンズ
 「ビジョナリー・カンパニー」では、18社の「ビジョナリー・カンパニー」について、それぞれ比較対象となる企業を選んで違いを炙り出している。
 組織のしくみとして
①不断の改善 ②たくさん試してうまくいったものを残す ③社運を賭けた大胆な目標
 米国の建国者たちが力を注いだのは、「誰を大統領にするか」ではなく、「優れた大統領を継続して生み出すために、どのような仕組みが必要なのか」ということであった。

(7)ピーター・センゲ
 「最強組織の法則」では、組織は大戦略家に従うのでなく、あらゆるレベルのスタッフの意欲と学習能力を活かさなければならないと述べている。つまり学習する組織であるべきで、そのために必要なのは次の事項である。
①全体の相互作用を理解するシステム志向
②個々人が習熟度を上げるための「自己マスタリー」
③環境に応じて考え方を変える「メンタルモデルの克服」
④そうしたいと思う「共有ビジョンの構築」
⑤素晴らしい成果を生む「チーム学習」
 時代を超えて事業を継続している企業は、たくさん試してうまくいったものを残す

(8)ジャック・ウェルチ
 危機管理の前提としてつぎの5つを挙げている。
①問題は見かけよりもひどい
②この世に秘密にしておけることはなく、やがてすべて白日の下にさらされる
③あなたやあなたの組織が危機に対処する姿は、最悪の姿で報道される
④血を見ることなく収拾できる危機はない
⑤組織は生き残り、危機的事件のおかげでさらに強くなる
 これを前提として危機を乗り越える必要がある。

(9)フレデリック・ランチェスター
 小さい企業はマーケティング戦略において、一つの特殊な分野に特化する。そこまで手を回す余裕のない大企業の隙間を突く。弱者の戦略は差別化戦略で、敵より性能のよい武器を持ち、狭い戦場で一対一による接近戦を行い、力を一点に集中させる。

(10)リッチ・カールガ―ド
 「グレートカンパニー」では、長期にわたって会社が成功するための3つの基本を挙げ、それぞれを成り立たせる事項を示している。
①戦略的基盤
 市場、顧客、競合他社、競争優位性(間接的な競合)、変革者(参入者)
②ハードエッジ
 スピード、コスト、サプライチェーン、流通、資本効率
③ソフトエッジ
 信頼、知性、チーム、テイスト(感性、味わい)、ストーリー
 カールガードは、この中で最も大切なことは「ソフトエッジ」であり、その中でも「信頼」を挙げている。


 これでもほんの一部である。
 その他、TQM、日本経営品質賞(アセスメントガイドブック)、ISOマネジメントシリーズなど、目白押しである。
 たくさんありすぎ、何をどうすればいいのか面喰ってしまう。矛盾はあるが、どれも言っていることは間違いではない。ある場面によっては役立つし、まったく当てはまらない場合もある。ひとつひとつが、必ずなにかに該当する。

 ただ現実の経営では、まったく同じ場面が発生することはない。いくら偉大な人の論説を突き合わせても、それだけではなにもわからない。そしてこれらをすべて研究するのは、現実の問題に立ち向かっている企業人には困難である。経営にはそれだけ幅と深みがある。
 大事なのは、自分で納得できる経営常識をもち、それを確実に実践することである。

車両火災

 ゼロリスクを求める国民の間では、高級外車は危険だという声が大きくなるかも

 昨年末に、なぜか車両火災のニュースが多かった。大型バスの炎上に続いて、乗用車ではジャガーやフェラーリなどの高級車が炎上。大型バスについては、20年以上数百万キロ走っていたと思われるため、損害は軽微であろう。
 高級外車の持ち主は災難である。

 少し古いが、平成21年度に国交省に報告された車両火災は98件。年間およそ100件がこの年末に集中したということである。この報告では、乗用車(45件)貨物自動車(29件)の分類はあるが、車種別の件数が分らず、高級外車に車両火災の発生割合が多いのかどうかはわからない。国産の安価な車が車両火災になってもニュースにはならない。

        白山クルマユリH21.7.12

 車両火災の原因は、燃料やオイル漏れ、エンジンルーム内へのウエスの置き忘れ、バッテリターミナルの緩みのショート。また、仮眠をした時などアクセルを踏み込んでの空ぶかしが火災になることもあるそうだ。また、フロントウインドウの透明の吸盤やペットボトルが凸レンズ効果で太陽光が集中し加熱する。
 原因は、このように多岐にわたっている。

 日本に走っている車は7000万台である。そのうち「たかが」100台が炎上したところで、傾向をつかむのは難しいであろう。それでもゼロリスクを求める国民の間では、高級外車は危険だという声が大きくなりそうな気がする。

社員をうつ病に

 件の労務士氏をバッシング・排除する人は、まさに彼自身の教えを実践している

 愛知県のある社会保険労務士が、自分のブログに、「モンスター社員解雇のノウハウをご紹介」と題して「社員をうつ病に罹患させる方法」を掲載したという。もちろん不適切な内容だとして、社会保険労務士団体から除名処分が下された。

 具体的な記事の内容はわからないが、この情報だけ見れば処分は適切であろう。
 国家資格の社会保険労務士が公にする言葉としては、あまりにも社会性が乏しい。「弱者」が強者であるいまの日本社会の空気を、まったく感じていない。
 
          夢遊病者 H28.1.1 

 しかし、現実にはこのようなアドバイスを必要とする企業が多いのは確かである。このブログに反発する人は、「モンスター社員」の恐ろしさを知らない。「モンスター社員」は、単にできが悪いのではない。方針に背くだけでなく、やる気のなさを会社中に蔓延させる腐った蜜柑である。会社が腐ると、社員全員が路頭に迷う。社会保険庁を見よ。解体されてもまだ懲りない。急進的労組員や日教組のような狂信社員に、中小企業では太刀打ちできない。

 そして件の労務士先生こそ、「モンスター」そのものである。彼をバッシング・排除する人は、まさに彼自身の教えを実践している。

 実際、件の労務士氏は、この類の著作を何冊も出していたという。他に同じようなテーマの本は数多く出ている。それだけニーズが多い、ということである。よく見たら私の本棚にも、「いらない社員を辞めさせる方法」という本があった(あまり参考にはならなかったが)。

 どんなものでも使い方次第で、毒にも薬にもなる。まさに、バカとはさみは使いようである。ただ「モンスター」は使えない。一人で十分生きていける。

初詣のご利益は?

 駅前高層マンションに入る人は、愛宕坂展望台でがっかりした人の恨みを背負う

 初詣は、新年に初めて寺社にお参りし、その年の安寧を祈願するものである。
 近所の神明神社にも、3が日には大勢が参る。大晦日の除夜の鐘が鳴るころには、家の前をぞろぞろと参拝客が通る。酔っぱらいも混じって、けっこう煩い。神社の境内には、賽銭箱に向かい数百メートルが並ぶ。いつか大晦日の夜行ったとき、暗闇の中に何百人もの人の気配がして、ホラー映画のようであった。
 3が日の昼間はもっとすごい。昨日の元日は、近くの神社公園を行列が1周していた。あれではお参りするのに、1時間以上待たねばならない。

 初詣は、お参りする人の幸福を祈願するものだという。神様は一度にこんなたくさんの人を受け付けてくれるのか。ご利益も均等割りにならざるを得ない。

 あきらめて、足羽山の招魂社へお参りした。ここには人っ子一人いない。招魂社ではご利益はないからか。

 初詣の混雑 神明神社 H28.1.1 無人の招魂者 H28.1.1  白山を隠す駅前ビル H28.1.1 足羽山から白山 H26.11.20撮影

 やはりご利益はなかった。
 昨日のような冬晴れにはいつも、愛宕坂を登った展望台から、真っ白な白山が見える。その一部が見えなくなってしまったのである。原因は昨年福井駅前に立った高層ビルである。それがちょうど、白山の頂上付近に覆いかぶるように、そそり立っているからだ(3番目の写真、右端は1年前工事中のとき)。辛うじて御前峰から別山、3ノ峰のほうは見えるが、これはもう山の景色ではない。

 これで福井市民にとって貴重な景観財産を、ひとつ失ってしまった。あの高層マンションに入る人は、これから愛宕坂展望台に立ってがっかりした人の恨みを、永遠に背負って生きていかなければならない(展望台にはわら人形が供えられるかも)。

平成28年元旦

 新年おめでとうございます


 今年は申年(それがどうした)。気力と体力がもつ限り、このブログを続けます。よろしくお願いします。
 ご覧いただいた方には、必ず良い出来事が授かりますよう

 昨年とは打って変わって雪のない正月です。
 私は、今年毎日おいしい酒が飲めることを、目標とします。

         バンザイ申

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