FC2ブログ

消費増税は無用(27年9月30日)

 日本は、国の財政が悪くなると国民が金持ちになる素晴らしい国である。だが、まだ金持ちでない国民は大勢いる

 政府は、平成17年4月から、消費税を10%にすることを決めている(確定ではない)。
 それを前提として、低所得者への負担軽減のため、物品ごとの軽減税率、マイナンバーの活用、還付制度など、いろんな方法が取りざたされている。

 消費税5%で10.8兆円(2013年)、8%のとき17.6兆円(2015年度予想)の税収があった。10%になると、消費税だけでざっと20兆円の税収になる。払う方も、8%より10%の方が計算は楽である。

                 タコ 2匹 
         
 しかし、ほんとに消費増税は必要なのか。必要ないものを導入したあげく、還付制のごとくややこしいものをつくり、消費停滞を招くだけでなく、国民にムダな仕事をさせるだけではないか。手続きにかかる仕事など、国民生活に何の価値ももたらさない。

 そもそも、今の状況で財政規律が必要であるとは思えない。日本は、国の財政が悪くなるぶん国民が金持ちになる、素晴らしい国である。多くの人が働くことを厭わないからだ。それでもまだ金持ちでない国民は大勢いる。
 いまはなんといってもデフレ脱却である。そのためには、持てる人の個人消費を増やさなければならない。

 個人消費を回復させるには、消費税を廃止すべきである。消費税は消費するのに罰金を払うという、デフレにとっては、とんでもない制度なのである。
スポンサーサイト



3本の矢に期待するな(27年9月29日)

 いかなる施策が出ようとも、強い経済をつくるのは、個々の企業だけである

 アベノミクス3本の矢で最後の、「規制緩和でビジネスを自由にする成長戦略」が、道半ばである。そこで先日24日の記者会見では、今後経済に注力するとして、「新3本の矢」を披露した。①希望を生み出す強い経済、②夢を紡ぐ子育て支援、③安心につながる社会保障、という3項目である。
 抽象的でピンとこないが、役所のことだから関連付けた施策が続々出てくるのであろう。

 しかし、いかなる施策が出てこようとも、それで経済がよくなるわけではない。強い日本経済をつくるのは、個々の企業である。とくに中小企業が強くなければならない。どんな施策でも、企業がきちんと受け止めなければ、「糠に釘」のように腐ってしまう。腐った釘の混じった糠など、使い物にならない。

 企業が強くなるには、自分たちで新しいものを作り上げていくという気概が必要である。本当に改革しなければならないのは、企業自身である。改革の方向が見えないといって、政府を批判しても始まらない。今ある環境を最大に利用すべきである。国に頼ってばかりいる企業は弱い。そしてこんな日本にも、まだまだ元気な企業家はたくさんいる。

 政府に期待したいのは、ややこしい施策ばかりとらないことである。国会議員の定数を半減し、新しい法律をつくらない。とりあえず、いま国ができる最善の経済対策は、2017年度に予定されている消費増税を廃止することである。

VW社の不正と日本の難関試験(27年9月28日)

 いずれも難しいソフトや知識で試験をクリアーし、その後有害物質をまき散らす

 ドイツのフォルクスワーゲン(VW)社の、ディーゼル規制に関するインチキが明るみになった。米環境保護局(EPA)による厳しい排ガス試験をクリアするため、検査中だけ排ガスを減らす違法なソフトウェアを使っていたという。対象となる車は1100万台、制裁金が180億ドルにもなると報道されている。

 この違法ソフトは、排ガス試験のときの問題を入念に研究してつくられたそうだ。試験時にはハンドルを固定しておくという事象を検知し、一時的に排ガス(NOX)を抑えるような制御を行うものである。無理して抑えるため、長続きはしない。この方法だと、ユーザーが通常に運転するときは、検査時の数十倍の有害ガスを発生する。その代わり走力が良くなるから、ユーザーは気が付かない。なんとも頭のいい人が考えそうなやり方である。

            真横から見た赤い車

 ふむ、この排ガス検査での出来事は、まるで東大法学部入試や司法試験など、日本で最難関といわれる試験で起こっていることとそっくりではないか。日本の難関試験では、それに対応するため小学校から延々と、試験問題クリアーためのプログラムを頭の中に植え付ける。試験のときは一時的に最大の力を発揮する。しかしその後の社会生活では、有害物質をまき散らす。目先の論理の立て方や口車はうまくなるから、国民は有毒性に気が付かない。

 日本の法曹界がおかしいのは、GHQの種付けだけではなかったのである。

池田エコキャンドル(27年9月27日)

 昨晩、初めて池田エコキャンドルを見学した。このイベントは今年で11回目である。廃油をプラスチック容器で固めて、キャンドルを1万個作る。昨年までは、その3倍あったそうだ。

 あの世への架け橋 H27.9.26 着火困難 もうすぐ着火 H27.9.26 並列キャンドル H27.9.26

 それでも、6時15分に点火開始して、何とか形になるのに10~15分はかかった。着火棒で火をつけるのに結構時間を使う。しゃがんで作業するので、点火したキャンドルで尻に火がつく。私は30個ぐらい点火しただろうか。1万個のキャンドルに一人30個とすると、約350人が点火作業を行ったことになる。

 蝶よ花よ H27.9.26 どなたの作品? H27.9.26 星となんとか H27.9.26 ハートの赤十字 H27.9.26

 羨ましかったのは、若者が多かったことである。イベントの企画や運営は、20代の若者中心でやっている(ように感じた)。池田町は、人口2600人(H27年5月)しかいないのに、どこから集まってくるのであろう。このことは、勝山左義長まつりを見たときも感じた。

 わが宝永地区は人口3000はあると思うが、とてもこれだけの若者が集まるとは思えない。運動会でも夏祭りでも、中心になるのは7~80代の老人である(これもすごいことだが)。異なるのは、エコキャンドルや勝山左義長まつりは、いまや全国的な知名度を誇る。
 そのためには、息の長い活動が必要である。やはり先のない老人には無理か。

脅威のSNS普及(27年月26日)

 いまや物心ついた人ほとんどが、何らかのSNSに関わっている

 20年ほど前からインタネットが発達し、事業界ではホームページや電子メールが当たり前に活用されてきた。さらにここ4~5年の間に、フェイスブック、ミキシィ、LINE、ツィッターなどと言うわけのわからない通信手段が、あっという間に席巻した。これらをSNSというらしい。私はまったく蚊帳の外である。

 ただ私は、数年前からこのブログを書いている。それでも従来の電子メールやブログと、今はやりのLINEやフェイスブック、ツィッターとの違いがよくわからない。機能だけ見たら、ほとんど同じである。だから使う必要がない(と思っている)。

 仕事では、パソコンの前にいるか、車での移動、人との会話である。仕事以外の時間では、読書が加わるだけだ。スマホを扱えば、何かを削らなければならない。LINEなどに、それだけの価値があるのであろうか。たぶんスマホや携帯のSNSは、手軽に扱える利便性が受けているのであろう。

 便利なだけに、拡散しやすくあっという間に「炎上」する。広報に携わる人は、これからも現れる新しいアプリに対応できると同時に、世間に対する気配りや表現方法など、高度なセンスが要求される。難しい時代である。
     
                 サルが下向く H27.8.3

 しかし、「難しい」「わからない」では済まされない。
 今年の7~9月には、LINEの国内登録者は5800万人にもなるという(LINE自社調べ)。フェイスブック、ツィッターも、2~3000万人もの登録者がいる。これでは、物心ついた人ほとんどが、何らかのSNSに関わっていることになる。

 したがって、先見性のある企業・事業者は、LINEやフェイスブック、ツィッターを存分に活用している。TVや新聞、チラシなどと異なり、双方向性での反応がある。顧客から「個客」へと、囲い込みがしやすい。業種によっては、その使い方とセンスが、これからの事業性を左右するであろう。

法学者の異常さ(27年月25日)

 日本は、70年前の旧態依然とした法理論の下で、世界と戦わねばならない

 こんどの新安保法案は、現実の世界を見る政治学者や外交専門家、軍学者のほとんどは肯定的であった。ところが、法学者やマスコミのほとんどは、違憲だとして反対の立場を表明していた。立場によって、まるで見解が違っていた。

 なぜ法学者やマスコミに、新安保は違憲だという人が多いのか。
 法学界やマスコミは、きわめて閉鎖的で保守的な組織社会であり、過去の思想がそのまま受け継がれる社会だからである。外部の影響を受けない組織では、一度固まった思想信条は、壊されることがない。

 どういうことか。
 いまの日本国憲法が制定されたとき、日本はGHQの支配下にあった。というより、GHQが憲法を作ったようなものである。支配者は、日本を2度と軍事力を持てないようにしたい。そこで、新憲法を原理的に信奉する人だけを法学者に登用した。マスコミはプレスコードで縛りつけた。
 そのときの組織のトップは、GHQの意志を完璧に理論づける人で固めてしまった。当然彼らの弟子は、同じ考えの持ち主になる。異なる立場の人は出世できないのだから、代々それが引き継がれる。

 普通の民間企業ならこうはいかない。旧態依然たる考えで仕事をやっていたら、あっという間に潰れてしまう。いくらトップでも、時代環境の変化には勝てない。
 ところが、法学関係の学問は、外部の影響をほとんど受けない。原発のように、目に見える事故があるわけでもない。「法治国家」を法律家が世の中を支配するものだと勘違いしていても、専門分野に閉じこもってなにやらお経を唱えていれば、文句を言われることがない。世間からは人畜無害だと思われていた。したがって、70年前の思想が、延々と受け継がれることになってしまった。もちろん、裁判官や弁護士も同じ穴のムジナである。

 私自身の断片的な知識を寄せ集めての推論であるが、当たらずと言えども遠からずであろう。日本人は、こんな異様な法理論の下で、世界と伍していかなければならないのである。

国民連合政府?(27年9月24日)

 「国民連合政府」は、あっという間に征服され、軍国主義国家になる。平和主義国家など、原理的に成り立たない
 
 共産党は安保関連法制廃止に向け、「国民連合政府」構想を発表した。来夏の参院選では、共産党だけの独自候補擁立にこだわらず、民主党などと統一戦線を張る計画である。安倍晋三政権を退陣に追い込むため、民主党の岡田克也代表も前向きな姿勢だという。

 もし「国民連合政府」が成立すれば、彼らの言う理想的な平和主義国家になる。沖縄か北海道に移転し、そこで政権を樹立すればいい。どちらの地域も、今の政権には批判的だから、受け入れてもらえるかもしれない。

 しかしその平和主義国家は、いったい何年持つのであろうか。侵略されても、「国民連合政府」は抵抗しない。ただちに白旗を挙げて降伏する。北海道ならロシア、沖縄だったら中国にあっという間に征服される。大量の虐殺や凌辱が発生する。もちろんそれでいいのであろう。

 しかしそれだけでは済まない。主権がロシアか中国に移った瞬間、「国民連合政府」は、正真正銘の軍国主義国家になる。征服された政府は、勝者の言いなりになるしかない。いつも言うように、平和主義国家など、原理的に成り立たないのである。

 したがって、「国民連合政府」を主張し参加する人は、中国かロシアの工作員であることは疑いない。或いは、とんでもない阿呆である可能性もある。

鬼が岳登山(27年9月23日)

 連休の最後、鬼が岳へ登った。連日家の中でくすぶっていたのを、少しでも解消したかったからである。

 朝8時、自宅を出発。旧国道を越前市の大虫口から西に入ると、村田製作所から夜勤帰りの外国人労働者が続々出てくる。手をつなぐ熱々アップルも何組かいる。いったい夜の工場で何を?

 出発から50分ほどで、カントリーエレベータ脇にある登山口駐車場に着き、そこから1時間の急登である。小鬼展望台から大鬼展望台、白鬼展望台を経て、532mの頂上へ着いたのが、10時ちょうど。
 2年前に来たときより、中間の休息所が充実している。これまでのベンチに加え、小さな東屋が2つも設置してあった。小鬼展望台と大鬼展望台の間、それに白鬼展望台のところである。ご丁寧に日よけ用にすだれやカーテンまである。もしかしたら、時季の茶屋の店主が作ったのかもしれない。なんとなく雰囲気が似ている。

 小鬼と大鬼の間の東屋 H27.9.23 白鬼休息所 東屋  H27.9.23 鬼が岳頂上 H27.9.23

 頂上の小屋にあるノートを見ると、クソ暑い8月に登る人も結構いるみたいだ。文殊山も同じで、3~500mの山だから、平地より暑いのではないか。意地で登っているのかもしれない。

 同じ道を30分少しで下る。駐車場には、20台ほど駐まっていた。

安保法案でポチから脱却(27年9月22日)

 この法案はアメリカとの片務性を少しでも解消し、ポチ状態を解消するためである

 安保法案反対の理由の一つに、「ますます日本はアメリカのポチになる」というのがあった。それについては私も、あまり否定できないと思っていた。それでも中国軍の大虐殺に遭うより100倍いい

 しかしこれは、思い違いであった。まるで反対だったのである。16日のフジTVプライムニュースで、元防衛相の森本敏氏は、おおむねつぎのように述べていた。

 ≪日米同盟の片務性は、アメリカ側は極めて不平等であると思っている。日本は何もしないのに、アメリカの軍隊が血を流さなければならない。アメリカ国民は、それを正直に口にするトランプ候補を、拍手喝采で歓迎している。
 そのアメリカの不満を解消するため、(私が防衛相時代も)日本はこれまで沖縄をはじめとした基地提供、思いやり予算、構造協議、対米技術供与、アメリカの兵器を買い続けるなど、譲歩に譲歩を重ねなければならなかった。アメリカのポチといわれても、安全保障のためにはそうせざるを得なかったのである。
 安倍首相は、それを少しでも何とかしたいと思っていた。
 したがって、今回の安保法案改正は、これまでの安保の不平等性からくるアメリカの不満を、少しでも解消しようとするものである。≫

 すなわち安保法案というのは、これまでのように言われるままにカネを出す「アメリカのポチ」、つまり金づる状態を、すこしでも逃れるためだという。これまでの話とは全く反対である。
 キャスターでさえ腹に落ちたというように、こちらのほうが説得力がある。
 
 そうであるならば、今回の安保法案ではまことに生ぬるい。こんなもので沖縄を返せとは言えない。米軍基地を撤廃するためには、早く憲法を改正し、日米安保が完璧な双務性になるようにしなければならない。中途半端な片務性解消では、かえってリスクが高まるかもしれない。(もちろん、元に戻すというのは論外)

安保がなぜ違憲なのか(27年9月21日)

 偉い人が「憲法違反」と言ったからそうなのだと思うのは、思考を停止しているからである

 新安保法案が決まり、マスコミも落ち着くだろうと思っていたが、そうでもない。大勢のデモ隊が発生したような、国民に興味のあるニュースは、できるだけ引っ張っていた方が紙面を埋めることができる。(このブログもそうだ)

 昨日(20日)の福井新聞朝刊も、「半狂乱」状態であった。前の日に続けて、政治面と社会面のトップは安保法案可決の記事である。とくに政治面はこれ一色である。論説欄も反新安保法案の内容で、もちろん反対の「論陣?」である。例によって、「憲法違反」「立憲主義に反する」「民意を置き去りにした」「理解が進んでいない」という、情緒的な言葉で埋め尽くされている。反対だから、理屈もへったくれもない。たとえば「個別自衛」だけで中国から守ろうとすると、いったいどれだけの軍備が必要か計算したことがあるのか。
 大半のマスコミがそうなったように、一地方紙がここまで「偏向的」になるとは思わなかった。

 また違憲論の根拠として、よく昔の法制局長官や元最高裁判所長官が引っ張り出される。その論説意見の内容をよく見てほしい。彼らでさえ、「違憲である」「政府の合憲論は筋が通っていない」「平和主義を破壊する」というだけである。せいぜい過去発言の整合性を捉えた、重箱の隅をつつくような枝葉の議論である。法案の中身を誤解している人さえいる。なぜ違憲なのか、理由がさっぱり伝わってこない。
 それに彼らはあくまで、もと責任者である。失礼ながら「化石」である。過去の自分の発言を否定するはずがないし、いまの時代環境にあった法整備に責任を持っていない。意見を聞くのはいいが、現世の責任者がそれに左右されたら、それこそ無責任である。

 偉い人が「憲法違反」と言ったからそうなのだと思うのは、思考を停止しているからである。だから、デモ隊をはじめとした、国民の半分が騙された。それに、考えない人に対するマスコミの力は大きい。

                 胎内くぐった H27.9.05

 ちなみに私が考える安保合憲の根拠は、つぎのようなものである。このうちどれか一つでも正しければ、新安保は正当である。それなのに、どの一つに対してさえ、私が納得する反対論を聞いたことがない。

①国際法のほうが各国憲法より優先度は高い。各国が勝手に憲法で権利を主張したら、収拾がつかないからだ。その国際法(国連憲章)では、どの国も自衛としての集団的自衛権は認めている。個別自衛だけでは国を守れないし、軍拡競争になるのを防ぎたいからである。

②その前に、日本国憲法に集団的自衛はいけないとは一言も書かれていない。自衛には、個別自衛と集団自衛の区別などない。ましてや今度のは極めて限定的である。もちろんこれまでも、自衛のための措置はいいとされていた。

③憲法の解釈は、環境の変化に合わせて変えないといけない。変えない方が無責任である(憲法も変えるべきであるが、欠陥憲法のためできない)。
 ただそれができるのは、国民に選ばれた政治家だけである。過去の裁判官、憲法学者や評論家、野党、マスコミ、100万人のデモ隊、いい加減な世論調査ではまったくない。

④その合憲判断ができるのは、現時点での最高裁判所だけである。その判断根拠は、現実の環境に合わせなければならない。それができていないのが大問題であるが。

⑤そもそも、皆が絶対的なものだと信じている今の日本国憲法が、どうも怪しい。いまの国民ほとんどが知らないうちに決まったし、だれも正式に認めた覚えなどない。

 これらは政治家は大きな声で言えなかった。ほんとのことを言うと、落選するからである。
 したがって、国民が自分の頭で考えるようにならなければ、肝心の経済も成長しない。国家安定の基盤は何と言っても、(軍事ではなく)経済である。そのためには国民各自が、自らの仕事を充実させることである。安保論議ではあまり考えなかった国民も、より重要な自分の仕事のことには、もっと頭と体を働かすべきであろう。
 (えらそうに説教するな!・・と言われそう)

国会肉弾戦の終了(27年9月20日)

 国会はまさに、話し合いより現状を力で変更しようとする、弱肉強食の世界であった

 先日の安保法案の委員会決議の様子を見て、思わず笑ってしまった。まさに、「肉弾戦国会」そのものであったからである。

 委員会を開催させないように、会議室を女性議員で取り囲み、委員長を缶詰にする。さすがにバリケード封鎖は気が引けたのだろう。押しのけて入ろうとすると「セクハラ」呼ばわりする。女性守衛に護られて入ろうとすると、「女を武器にするな」と騒ぐ。

 採決のときには、多くの議員が委員長席に突進した。団子状態の人垣の上から、小西議員が鴻池委員長めがけてダイビングする。それを委員長の隣にいた佐藤議員が、拳で払いのける。これを「集団的自衛拳」と命名した人もいた。これからは、アントニオ猪木を守備隊に入れたらいい。
 採決のときには、起立した議員に対し野党議員が罵声を浴びせる。ヤクザの恫喝より怖い。

 そのどさくさに紛れて、本物のセクハラ行為に及んだ輩がいる。民主党の津田弥太郎議員である。自民党の若い女性議員を引っ張り込んで、怪しげな行為に及ぼうとした。気持ちはわかるが、国会内である。ばっちり映像に収められてしまった。

 何年か前、台湾の国会でもこのような乱闘騒ぎがあった。そのときは、途上国の民主主義の未熟さを嗤っていた。他国のことは言えない。とんだ恥さらしである。

 これをみると国会はまさに、話し合いより、現状を力で変更しようとする、弱肉強食の世界であることが分かった。世界はもっとひどい。
 安倍談話にあるように、「我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守」るため、断固とした処置をとる必要がある。

 もっとも、上には上があった。

安保反対デモの大罪(27年9月19日)

 抗議デモが大きくなるほど、日本が海外派兵するという誤解が拡大発信され、テロのリスクが高まる

 ようやく安保法案が成立した。
 この審議を巡り、日本中で連日抗議デモが繰り広げられていた。国会前では毎日のように、数千人から数万人、地方でも散発的にデモや集会が行われた。彼らのほとんどは、善意の参加者であろう。

 しかし彼らは、この大規模デモこそが、大きなリスクを抱えることになるのに気づいていたのであろうか。大規模な反対やデモをやればやるほど、日本がテロに遭うリスクが高まっているということである。

 どういうことか。
 国会前のデモを取材しようと、大勢の海外のメディアが取材に来ていた。先日あるTVでは、アルジャジーラの取材状況を放映していた。その中東のメディアはこのデモの状況を、おおむね次のように発信していた。

≪いま、日本の平和憲法が大きく変わろうとしています。これまでできなかった、軍隊の海外派兵ができるようになるのです。海外で戦争を起こすことを防ぐため、大勢の人々が国会前に集まっています。それでもこの反対意見は届かず、法案は可決されるでしょう。≫

 すなわち海外のメディアも、反対者の主張を鵜呑みにし、とんでもない拡大解釈を行っている。この拡大解釈された情報が全世界に伝わっている。いかにも日本が軍国主義国家になるような印象情報である。抗議デモが大きくなればなるほど、その誤解はますます拡大される。現に、英BBCは「海外での軍事的役割拡大」、米CNNは「平和主義を放棄」などと報道している。
 その結果、テロ国家が日本を標的にする可能性が、一段と大きくなるのである。

 現実には、今回の安保法案が実施されたとしても、きわめて限定的にしか適用されない。テロが発生したとしても、対応できる範囲は限られている。その結果、テロ発生が多くなっても、対応力がまったく追いつかないという状態になる。これを解決するためには、海外メディアの誤解したような状態、ほんとに戦争のできるような自衛隊をつくるしかなくなる。

 したがって日本が、テロ被害に遭うことを防ぐなら、反対デモは百害あって一理もない。このことに気づいていながら、デモを続けているのなら、日本をテロ被害国家にしたい極悪人である。気がついていないのなら、ただの阿呆だ。

 同じことは、福島原発での放射能の危険を煽っている人々、普天間基地移転を強固に反対している人たちにも言える。これらは結果的に、差別の助長や市街地での事故といった最悪の状態を招く。反対のための反対しかしない、道理のわからない駄々っ子である。そんな非人道的な彼らを、決して許してはいけない。

憲法無効論(27年9月18日)

 いまの憲法こそ国民主権を謳う憲法に違反している。20年に一度くらいは、信任投票をすべき

 安保法案がやっと通りそうである。こんな制限つきの生煮え法案さえ、強固に反対する人が多いのは異常である。「憲法を守れ」、「立憲主義違反だ」という、自分の頭で考えないマニュアル人間が増えているからであろう。物事は白か黒かではない。とくに法律の専門家は、専門分野に固執するあまり、全体の本質を捻じ曲げてしまう。

 ところで、反対理由の最大のものは「憲法違反」であった。それもおかしい(なぜ違憲かの理由を聞いたことがない)が、そもそも、今の日本国憲法こそ、怪しいお化けではないのか。よく考えれば、こんなものはただの化石である。

 いまの憲法がまともでない理由はいくらでもある。GHQの押しつけ。占領下で制定された。当時の国民が理解しない前に決められた、その前の憲法の改訂手続きがない、内容が矛盾だらけ(前文と9条など)、わかりにくい日本語である、国際法を無視している、時代に合った改正手続きが極めて困難、古臭い・・などである。

 そして最大の理由は、今の国民のほとんどが憲法制定に関与していないことである。施行は1947年5月だから、私が生まれる前、当時20歳以上現在88歳以上の人だけ。つまり、いまの国民の90%以上が知らないうちに決まった。そんなものが、不動の聖典のごとく君臨している。これに反する法学者やマスコミ人は、その組織では出世できないように、種付けがしてある。しかも3分の2条項で、変更はガチガチに制限されている。国際基準(ISO)でも、方針やルールは、不断に見直さなければならないとされているのに。

 そんなものを、なぜわれわれが守らなければいけないのか。いまの憲法こそ、国民主権不在の憲法違反である。少なくとも、20年に一度くらいは、憲法に対する信任投票をすべきである。

 そのためにも憲法は、もっと簡潔な条文の方がいい。いまのような、一字一句を巡っての不毛な神学論争は、壮大なムダである(もっともこれが憲法学者の飯のタネ、利権なのであるが)。

安保法案の説明不足(27年9月17日)

 ヒトラーのように、国民を感服させるような弁舌で納得しても、ろくなことはない

 安保法案に反対する人は、「国会はまともな議論の運営をしているとは言えず、あまりに説明不足である」という。
 感心するのは、ウイークディの日中に、「まともな議論をしていない」と言えるだけの時間、国会中継を見ていられることである。まともな大人なら、仕事や勉強でとてもそんな時間はない。自由業だからこそ、私もたまに国会中継をみることができる。

 たしかに国会では、まともに議論をしているとは言えない。野党の質問の仕方も悪いし、政府側の答弁も下手くそである。ホルムズ海峡など、事例の挙げ方も適切でない。とくに肝心の、防衛大臣のしゃべり方が流暢ではない(国会答弁なら前の防衛大臣の方がよかったと思う)。見ている方はイライラする。こんなややこしい法案を説明する人を、まちがえたのではないか。

 しかしながら、ただ説明の仕方が悪いからといって、こんな大事な法案を潰していいはずがない。ほんとに大事なのは中身である。
 われわれは学校から会社に入ってもずっと、下手な説明しかできない教師や上司の教えを受けて育ってきた。そんな中で、わかりにくい説明を他で補完し、自分なりに勉強し解釈する能力を養ってきた。

 そもそも口のうまい人こそ信用できない。詐欺師は巧みにアラを隠し、いいところだけを強調しようとする。ヒトラーのように、国民を感服させるような弁舌で納得しても、あとでろくなことはない。近年では、小泉郵政改革でほとんどの国民が騙された。
 
 だから、「わからないから反対」ではなく、自分の頭で考えなければいけない。政府説明はわかりにくいが、反対する人の説明はもっとわかりにくい。それでも反対する人には、弁舌さわやかな人が多いから、多くの国民はうっかり乗せられる。「憲法を守れ」「立憲主義違反だ」という言葉は、ものごとを1か0でしか判断できない、思考停止のマニュアル人間には、きわめて心地よいのである。

瘦我慢の論理(27年9月16日)

 いま安保法案に反対している人は、根拠のない不安感でコンサートに参加している暴走レミング集団である

 戦争を絶対的に嫌う「完全平和主義者」のなかには、自国が侵略され奴隷になってもかまわないという人がいる。むかし森嶋通夫氏は、ソ連が攻めてきたら、戦わないで白旗を挙げようと言った。

 何度も書く。その時点で主権は相手国にわたり、自国は完璧な軍国主義国家になる。したがって、原理的に「平和主義国家」は成り立たない。彼らの主張は根底から間違っている。
                         天国への花 H27.8.3

 外国からの侵略ではないが、近代日本にもよく似た事例があった。勝海舟の江戸城無血開城である。一般には、江戸を戦乱に巻き込まなかった勝海舟を称えることが多い。
 ただ佐伯啓思氏は、このことが明治維新後の日本を不甲斐ないものにしてしまったという。安易に西洋文明を取り入れ、日本的なものの大部分を失わせてしまったのである。

 なぜか。佐伯氏は、その著書「日本の宿命」のなかで、福沢諭吉の言説を紹介している。福沢諭吉は
 ≪自国の衰退に直面したときには、かりに勝算がまったくなかったとしても、ともかくも力を尽くして決死で戦い、勝敗の最終的場面において、和を講ずるかもしくは死を決するかを決めるのが「立国の公道」である。これは「瘦我慢」であるが、この「痩我慢」こそは特に弱者が自己の位置をかろうじて保つものであって、この弱肉強食の世界においても、小国はこの「痩我慢」によって独立国として存続しうる≫と述べている。 
 ところが、幕末維新という時代の移り目で、この精神が海舟によっていとも簡単に放棄されてしまった。大東亜戦争という「痩我慢」でも、充分回復できなかったのである。

 いま安保法案に反対している人は、そんなことすら考えていない。もちろん「痩我慢」の覚悟もない。なにか根拠のないフワッとした不安感だけで動いている暴走レミング集団である。行動を起こして、何かやった気になる。ゲームやコンサートを主催するのと同じ感覚である。先日のプライムニュースで、シールズやママの会の代表者の話を聞いてそう確信した。

事業承継のために(27年9月15日)

 後継者を育てるという意識の重要性が、経営者の頭の中から後退している

 昨日、福井弁護士会主催の中小企業シンポジウム「中小企業のための事業承継」を聴講した。事業承継対策の重要性からその具体策や支援策まで、2時間弱のシンポジウムである。廃業者が増えた10年ほど前から、事業承継に対する関心が高まり、公的な支援策や士業を中心とした支援機関が増えてきている。

 シンポジウムは2時間足らずなので、一般的な話が中心であった。それでも一部、具体例な生々しい話も聞かれた。遺産分割や税負担の計算法、相続や贈与に必要な株式の評価法、経営承継円滑化法に係る納税猶予など、相続や税務に関するややこしい手続きの説明も聞いた。

             事業承継シンポジウムH27.9.14

 しかし、事業承継といってもきわめて幅が広い。経営そのものといっていいくらいである。したがって、単に法律や税務など、規則や数字だけで片付く問題ではない。これらは知らなければ大きな損失を被ることがあるが、決まったことを計算する人はいくらでもいる。

 ほんとに大切なのは、いわゆる知的資産といわれる無形の経営資源、たとえば信用、仕入先やお客とのつながり、人脈、組織運営、技術ノウハウ、従業員との信頼、組織風土などである。これを明らかにし、うまく継承していかなければならない。これは経営者にしかできない。さらに、経営者としての胆力など、簡単に伝わるものではない。

 昔から、経営者の最も重要な役割は、後継者を育てることだといわれてきた。これは永遠のテーマである。いくら名経営者でも、後継者がいなかったらその価値は激減する。どうも最近、経営者にその自覚が無くなってきたのではないか。皮肉なことにその原因の一つは、事業承継のための支援制度が充実したからだと思っている。
 子育て支援が充実するほど、少子化に拍車がかかるのと同じである。

孫子の兵法と集団自衛(27年9月14日)

 集団的自衛権を行使しなければ、50兆円に毎年10%拡大する軍事費が必要になる

 いまや中国の軍事力は日本の10倍である(中国の人権費は日本の1/3以下で軍事予算は少なくとも3倍)。孫子の兵法(故に用兵の法は、十なれば則ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、倍すれば則ちこれを分かち・・)によれば、中国はこの兵力差になったら必ず周辺に侵攻する。現にいま、東・南シナ海での拡大を続けている。
 
 10倍もの兵力差があれば、日本単独では防衛できない。仕方がないので米軍に協力を仰ぐ。たとえば日本海で、中国軍10に対し、日本軍5に米軍5で対峙するとしよう。

 私が中国軍の指揮官なら、日本軍は見向きもしないで、まず米軍を叩く。日本軍は「専守防衛」に縛られ、自らが攻撃されない限り反撃できないからである。10対5なら中国軍が勝つ。米軍を殲滅させた後、10の中国軍は5の戦力しかない日本軍に牙をむける。これでは、日本軍に勝ち目はない。これも孫子の兵法である。
 すなわち集団的自衛権を行使しない限り、兵力の少ない日本軍は必ず負ける。

 現行の法律のままでは、日本は中国軍に対抗するために、いまの10倍の50兆円の軍事費を使わなければならない。税収のほとんどすべてである。しかも毎年10%以上拡大する。こんな軍拡競争と、集団的自衛の権利を使うのと、どちらが現実的か。バカでない限り明らかであろう。

 また孫子は、『上兵は謀を伐つ。其の次ぎは交を伐つ。その次は兵を伐つ。』と述べている。つまり、戦いでもっとも重要なのは、敵国の計画を破ること、つぎに敵国と友好国との同盟関係を断ち切ることである。いずれも、まさにいま中国が実践している。
 その策謀に乗ってはいけない。
 
 いまのままでは必ず、中国発の戦争は起こる。そう考える以外に、中国が日本の10倍もの戦力をもち、さらに拡大している説明がつかない。したがって戦争を起こさないためには、集団で守ることが絶対に必要なのである。

サービス業の生産性向上(理論更新研修会)(27年9月13日)

 こんなややこしいことを受け入れ、持続的に実践してきた従業員はすごい

 昨日、資格更新のための「理論講習研修会」を受講した。4人のうち最後の講師(食品会社社長)が一番よかった。ただ、あまりに生々しいため、ここに書くのは適切でない。それに以前、この研修会で私が感動した講師の会社のいくつかは、後日、倒産や不祥事を起こしたことがある。講話で感動を与える会社ほど、危ない。

 そこで、最初に講演された「サービス業に『再現性』と『創造性』をもたらす科学的メソッド」という演題についてコメントする。
 これは、平成26年度の中小企業診断士協会シンポジウムにおいて、中小企業長官賞(最高)を受賞した優れものである。もちろん会報にも掲載され、何回も講演されている。講師は、中小企業診断士の東條祐一氏である。

 内容は単純に、「従業員の言動を顧客目線でマニュアル化する」というものである。ただ、単なるマニュアル化ではなく、お客の取ってほしい行動を列挙し、そうお客に思ってもらうために、会社や従業員が何をしたらいいかを、従業員自らが考え、文書にまとめて、それを実践する。
 講師の支援された会社の場合、「お客様にとって欲しい行動」が18項目ある。その行動に至るために、「お客様に思ってほしいこと」が3つか4つ。そのために「会社が行う事」が3つぐらい、それに対する「従業員の具体的な方法やトーク」が3つぐらい。ざっと、18×3×3×3=486項目。膨大な文書量である。しかもこれは、全体のシステムの一部にしか過ぎない。

 これだけのことを指導した講師は素晴らしい。それにもまして、こんなややこしいことを受け入れ、仕事とはいえ持続的に実践してきた従業員こそ、優れものである。そして、従業員にそのような思いにさせた経営者(コンサルかもしれない)もすごい。
 この半分以下の簡単なシステムでも、普通の会社に定着させるのは難しい。

 しかもこれは、作って実践するだけでは役に立たない。すぐに無用の長物となる。常に内容を変化させ、ときには思い切った革新も必要である。これが5年も続けば、どこにも負けない素晴らしいノウハウが出来上がる。少なくともあと5年、真面目に維持できるかどうかである。これがこの会社にとって当たり前になると、どこにも負けないようになる。

 結局世の中に、簡単にできる「うまい話はない」のである。

ISO9001の大改訂(27年9月12日)

 どのように変わろうとも、当たり前のことを当たり前にやるだけ。すべての基本は、「5Sと見える化」にある
 
 ISO9001は、仕事のやり方を定めた規格の元祖である。ここからIS14001や27001など、柳の下の泥鰌を狙った関連規格が、有象無象に開発されている。それでもまだISO9001は、その親玉として関連規格ににらみを利かせている。

 私自身、ここ2~3年ISO規格から距離を置き、情報不足である。それが数年ぶりに、ISO9001を構築したいという問い合わせが、なぜか4件も入ってきた。まだ、ISOの神通力が衰えていない証拠である。

 そのISO9001の大改訂が迫っている。まさに今、9月に正式発効される。日本語版は年末になるので、中身の詳細はよくわからない。
 この規格は1987年に制定され、1984年に本格化した。このときは「品質保証」モデルで、要求事項では証拠が重視され、文書化と記録の要求が多かった。そのため、ISOは文書が多く、形骸化したシステムであるという印象を植え付けてしまった。そこで、2000年の改定では、文書化や記録の要求事項が大幅に削減された。さらに「品質保証」に加え「継続的改善」と「顧客満足」の要素が入り、マネジメントシステムとして内容も大幅に変更された。つぎの2008年には小幅な改定があった。
 
 さて2015年の大改訂で、なにが変わるのであろうか。
 まず章立てが大きく変わる。そうなると規格の骨組み、すなわち企業の根幹の管理規定を示す「品質マニュアル」を変更する必要がある。審査ができないからである。「品質マニュアル」は、未熟な審査員への説明のためにあるといってもいい。どうでもいいのだが仕方がない。
 
 だがどのように変わろうとも、当たり前のことを当たり前にやるだけである。すべての基本は、「5S見える化」にある。

実習生より日本人(27年9月11日)

 労働力不足を補うには、国内の遊休人員を強制活用すべきである

 中国人の人件費が高騰し、賃金の安いミャンマー人やフィリピン人実習生受け入れが増えている。その外国人実習生の「逃亡」が増えているという。
 先月の岐阜新聞WEBによると、岐阜県内の事業所で働くミャンマー人技能実習生の失踪が、2014年9人、今年は6月までの半年で13人にもなった。ミャンマー政府は09年、04年から08年までに384人を送り出したが158人が失踪し、うち多くが難民申請したとの実態を明らかにしていた。10年に送り出し企業の認定をいったん取り消したが、13年5月に再開されたばかりだそうだ。
 ミャンマー人でなくとも、外国人労働者の「脱走」は昔からあった。その失踪した外国人を受け入れるところがあるからだ。

 その外国人研修生は、日本にどれくらいいるのか。ISFJ政策フォーラム2014発表論文によると、2012年度の外国人実習生は約12万人で、意外と少ない。日本の製造業の従事者が1000万人といわれているから、その1%余りでしかない。数字上は、たったこれだけである。

 ところが、現実の外国人就労者は12万人どころではない。入国管理局の資料では、不法就労者や日系人、アルバイトなどを入れると、50~70万人にもなるという。その多くが、繊維関係、食品製造、農業で働いている。福井県内の製織業、縫製業、水産物加工業を見ると、外国人研修生が現場の主力となっている。彼らがいなければ、成り立たないところも多い。

 一方、外国人労働者など受け入れなくともいいではないか、という声がある。60万人ともいわれる国内のニートや、掃いて捨てるほどいる高齢者を使えという。たしかに、遊んでいるニートや高齢者を従事させるのは合理的である。

 ただ現実には、多くの製造現場では、募集しても労働者が集まらない。20年前でさえ、私自身も人集めに苦労したことがある。いまや日本は、失踪した元実習生を受け入れざるをえないほど労働力不足が深刻化している。
 心配なのは、これが移民や難民の、安易な受け入れにつながることである。そうなると、日本が日本で無くなる。

 これを解消するには、国内の遊休人員をすべて活用することである。ニートや高齢者を強制的に駆り出す、「徴労制」の制定である。働く能力のある人はすべて働く。憲法でも、すべての国民は働く義務があることを謳っている。週20時間程度の最低労働時間ぐらい、すべての国民が受け入れるべきである。

車検とリコール(27年9月10日)

 関連ディーラーに車検を受けさせるため、わざとリコールを出しているのではないか

 先日トヨタ車から、リコールの案内が来た。助手席エアバックの膨張装置に気密不良のものがあり、時間がたつと大気中の水分が侵入してエアバックが作動しなくなる恐れがあるというものである。修理に3~4時間かかるそうだ。

 そういえば昨年も、リコール案内が来ていた。座席の金具が破損しやすいため、位置の統制ができなくなるという不具合である。エアバッグはともかく、座席の金具など大した欠陥ではないし、この程度の不具合ならいくらでもある。

              真横から見た赤い車
 どうもあやしい。
 というのは、いずれも点検の時期に重なったからである。とくに今回は、もうすぐ車検である。リコール車を修理しようとしたら、車を買ったディーラーに出さざるを得ない。どうしてもそこで車検を受けることになる。

 もしかしたら、ディーラーとつるんで、わざとリコールを出しているのではないか。あるいは、ディーラーがわざと欠陥を発見し、トヨタにリコールを出させようとしているのか。ぼったくり商法との合わせ技である。そこまでやっていたら、中小の整備工場が太刀打ちできなくなるのは当然である。

 商売上のテクニックかもしれないが、ここまで見透かされたら止めたほうがいい。天下のトヨタとその関連会社である。李下で冠をごそごそ動かしてはいけない。

甲状腺がんは増えてない(27年9月9日)

 「過剰診断」と「過剰手術」が、患者に不必要な身体・心理負担を与えている

 福島で甲状腺がんが増えているとして、騒ぐ人がいる。たしかに今年、全数検査によって、100人以上のがん患者が「発見」されたそうだ。「反原発者」は、これを原発事故放射線の影響にしたくてたまらない。
 
 しかしこれこそ、典型的な被害妄想である。何も検査しなくても、これまで相当数の甲状腺がんは発生している。
 国立がん研究センターがん対策情報センターの「最新がん統計」によると、わが国で1年間で新たに甲状腺がんと診断される人は13740人、甲状腺がんで亡くなる人は1637人とされている(2011年データ、その前もほぼ同じ)。これらは、甲状腺に何らかの症状が出て発見された人たちである。

 韓国では、多数が検査するようになってから、発生率が飛躍的に上がった。全数検査したら、100倍もの甲状腺がん患者が発見される計算になる。甲状腺がんは良性のがんであり、放っておけば自然消滅する。したがって、ほとんどの患者は知らないうちに一生を終える。かえって、検査・治療することで余計な身体負担を生ずる場合が多い。
 これががんもどき理論であり、甲状腺がんはがんもどきの優等生である。

 問題は、「過剰診断」と「過剰手術」が、患者に不必要な身体・心理負担を与えることである。いま韓国では大きな問題になっている。福島でもその疑似患者が急増している。私が7~8年前から検査漬けになっている前立腺異常よりひどい。

 最近の医学界は、病人を治療するのではなく、積極的に病気をつくっている。つまり検査によって病気をつくり、それを治療する。経営の神様ドラッカーの「顧客を創造せよ」を忠実に実行している。被害妄想患者がそれに拍車をかけている。
 我々は、医者の「優良な顧客」にだけはなりたくないものである。

使いにくい補助金制度(27年9月8日)

 プレミアム商品券のように、一定範囲で何にでも使えるほうが有効である

 今年度の中小企業に対する補助金の募集は、あらかた終了した。使い勝手のいい制度は、ほとんど年度初めに応募が殺到する。最近は、中小企業に対する補助金制度が増えたので、経営コンサルタントである私自身も、関与せざるを得ない。

 だがいくつか関わってみて、補助金制度の問題を実感している。
 まず非常にわかりにくい。一つの制度ごとに、30~50ページもの詳細な「募集要項」が発行され、微に入り細に入り応募規定が盛り込まれている。まさに、手枷足枷である。たいていの人は、ここであきらめる。

 たとえば、「補助対象経費」の項目が悩ましい。対象事業に関係するものなら、何にでも助成されるわけではない。もちろん、仕入れなど運転資金はもってのほかである。それでも、補助金をもらうために申請するのだから、必要な経費が経費としてみなされなければ意味がない。

 混乱するのが、補助金のタイプによって、項目が異なることである。大きく、研究開発費か販売促進に分けられても、それぞれどこまで認められるか非常に難しい。販促の「看板」は認められても、陳列棚は認められないかもしれない。いずれも来店客に対する販売促進用の器材であり、店舗経営者にとって違いはない。

 このような微妙な違いは、それぞれの担当者でないとわからない。したがって、補助金制度には専門の担当者が必要になる。わかりにくくして、公務員の余剰人員を養っている。補助金の額より、管理するための人件費のほうが多い可能性がある。

 本来なら事業に対する審査能力を高め、個別事業ごとに必要な助成を行うべきである。いっそプレミアム商品券のように、企業に対しても、一定範囲で何にでも使えるようにしたらどうか(プレミアム商品券も問題ではあるが)。

他国のご機嫌より自国民(27年9月7日)

 国民や従業員の気持を慮らない組織は、真のサービスを提供することができないブラックである
 
 半藤一利氏と保坂正康氏の対談集「日中韓を振り回すナショナリズムの正体」を読んだ。二人とも、現在の政権に批判的である。そうかといって、いわゆる社民党的お花畑論者でもない。ウヨク、サヨクいずれに対しても距離を置いている。
 半藤氏がこの本を書いたのは、「自分の民族を最高位と考えて他国に押し付けようとする悪いナショナリズム」に危機感を覚えたからだという。その点では保坂氏と思いは同じである。つまり彼らは、「今の権力者は、国民のナショナリズムを煽り、国家に奉仕させようとしている」と思い込んでいる。

 しかし、この本を読み進めると、彼らこそが自分の思い込みを強引に押し付けようとしているのではないかと感じてきた。二人とも高齢で、自分こそ現代史の権威であるとの自負があるだけに、頭が固い。
 
 そもそも今の日本に、ほんとの権力者なるものがいるのであろうか。安倍首相がそうだというのなら、大きな間違いである。彼は国民のナショナリズムを煽るどころか、沈静化に躍起になっている。最近は靖国にも行っていない。あんな生ぬるい安保法案成立でさえ、通すのに汲々としている。いま最高の権力者というのは、大手新聞TVを抱えているマスコミではないのか。

 また半藤氏は、日本国民が歴史の事実を解明し、冤罪による不名誉を解消しようとするのにも否定的である。たとえば南京虐殺30万人という指摘に、一部保守派が「そんなにいるわけがない」と騒ぐのはもってのほかだという。これは、ドイツがユダヤ人800万人を殺したという人に対し、「いや300万人だ」というのと同じ、国際社会から轟々と非難される。問題の本質は殺された人の数ではないという。

 しかし、なにごとも「ご無理ごもっとも」で頭を下げろというのであろうか。いくらなんでも30万人はおかしいし、南京虐殺などなかった可能性もある。バナナたたき売りのごとく、無制限に人数を膨らませて脅迫するのは、当たり屋の恐喝そのものである。

 また、日本はかって中国に対しては21か条の要求、韓国に対しては日韓併合条約などを行った。いずれも一方的に日本が有利な条約であり、ひどいことをしたという。
 だが、国と国との交渉においては、ダメもとで最初吹っかけるのではないか。交渉の中でお互い引いていく。だから、日本が一方的に有利な条約を結んだからといって、相手に非難されるいわれはない。非難すべきなのは、不利な条約を飲んでしまった、当時の中国や韓国である。そもそも、すべての条約や講和は不平等である(小室直樹氏)。
 日本とアメリカの交渉においても、繊維から始まり半導体や自動車部品、さらには為替操作やいまのTPPに至るまで、日本はやられっぱなしである。幕末の不平等条約もそうである。日本では、これらの条約について、ときの政権のだらしなさ、交渉力の弱さを責めることはあっても、相手を非難することなどない。

 日本は平和憲法のもと、これまで戦争という選択肢を捨てたことが、国際的な評価を得ているというのも、一方的な思い込みである。国際社会の本音は、ひたすら金で済ませようとしている日本を、バカにしているだけである。日本の不利益は、他国の利益である。低姿勢で金だけ出している都合のいい日本を、表向き評価するのは当たり前である。


 すなわち半藤氏と保坂氏は、ひたすら国際社会とくに中韓の目を気にして、相手にだけ気に入られようとしている。日本にはこんな人が多い。企業でいえば、「顧客満足」に熱心なあまり、従業員を蔑(ないがしろ)にするブラック企業そのものである。ほんとは企業であろうと国であろうと、まず内なる構成員の気持ちを真っ先に大切にしなければならないはずである。

 国民や従業員の気持を慮らない組織は、お客様や外国に対して、心からのサービスを提供することができない。結果的にその組織は成り立たない。いやその前に、内部から崩壊する。

日本酒文化講習(27年9月6日)

 いい酒と手の込んだ料理、さわやかな風

 昨日午後、養浩館で「日本酒文化講習」を「受講」した。講師は舟木酒造の4代目社長で、日本酒の作り方から味わい方までを教えてくれる。2月に引き続き、参加は2回目である。舟木専務の口舌も大分練れてきた。
 今回は、8月5日の募集開始10分で定員を超えてしまったため、時間を変更し急遽設定された追加講習会である。講習と言いながら飲むのがメインである。

 と思っていたら、今回は全1.5時間のうち、前半の講釈で半分以上使ってしまった。飲む時間は残り40分。しかも今回は、手の込んだ料理が加わり、その解説もあった。前回は里芋の煮転がしと落橋、それに佃煮ぐらいであった。今回はすべて組み合わせの創作料理で、酒飲みには過分である。とても覚えきれない。
 飲む時間を短くするための、たくらみであろう。

 養浩館 入口 H27.9.05 さあ飲むぞ H27.9.05 まだ飲めるかな H27.9.05 養浩館庭園 H27.9.05

 それでも佳境に入ると、うまい酒がつぎつぎと現われる。前回は最初に飲み過ぎて、あとから出てきたいい酒(特別大吟醸酒)をあまり飲むことができなかった。その反省を踏まえ、最初は控えめにする。

 こうやって酒を味わいながら飲む機会などほとんどない。池からの風が心地よい。夕方からは、別の宴会もある。45分でも充分で、これ以上飲むと別世界に入る。それに今回は、NHKの大カメラの取材がない。料理教室のブログに使うコンパクトカメラぐらいなら、われわれの撮影と一緒である。・・・すでに酩酊

久しぶりの文殊山(27年9月5日)

 今年初めての文殊山である。この山は、自宅から3時間足らずで往復できる。起きてすぐ6時20分に自宅を出て、車で20分。6時40分に二上口から登山開始。いつものように、大文殊から奥の院を往復した。
 一昨年は7回、昨年も3~4回は登っていた。すっかりご無沙汰していた。

 文殊山中腹から福井市街 H27.9.05 胎内くぐった H27.9.05 威風堂々 H27.9.05 イノシシ(クマ?)のふん H27.9.05

 中腹からは霧がかかり展望はよくない。それでも適度な湿り気があり、胎内くぐりは順調であった。
 それにしても、イノシシ(もしかしたらクマ??)の糞が多い。道の真ん中である。それでもイノシシやクマには合わない。やはり宝くじに当たるより確率が低いのだろう。
 8時40分ごろ駐車場に下山。すでに車でいっぱいであった。帰宅は9時05分、まさに朝飯前である。適度な疲労感がいい。さあ午後からは、酒の席が2つも控えている。

ムダと効率(27年9月4日)

 同じだけ働いても、スイス人は日本人の2倍の所得を稼いでいる

 企業活動では、徹底してムダの追放がはかられる。ここでいうムダとは、「直接お客からお金を貰えない行動すべて」と定義する。
 そのムダを徹底して省いたとしよう。
 そのムダでない時間にも、ピンからキリまである。同じ時間だけムダなく働いたとしても、質的には大きな差がある。

 たとえば、セイコーやシチズンの電波時計は、2~3万円からせいぜい10万円で買える。それに対し、スイスのオメガやロレッククスの機械時計は、数十万円から100万円以上する。どう見ても、正確無比でピカピカに磨き上げられたセイコー時計より、オメガの方が機能的に優れているとは思えない。さらにセイコー従業員の労働時間より、スイスメーカー従業員のほうが、何倍も多いことはないであろう。

 時計だけではない。スイスの一人当たり国民所得は、日本人の2倍である。彼らが日本人の2倍働いているとは思わないし、まして日本人労働者がその分ムダが多いはずがない。つまり、同じだけ働いても、スイス人は日本人の2倍の所得が得られているのである。
 
 なぜ、このような差が生まれるのであろうか。
 購入する人が、その価値を認めているからである。いわゆるブランディングの差である。そのブランディングは単純な効率から生まれるわけではない。一見ムダと思えるような、ゆとりや遊びから生まれる。いくら作業のムダをなくそうと、しゃにむに働いてできるものではない。豊かな国には、その価値を作り出す人が必ずいる。
 日本人は、一所懸命働くことによって、その天才を生み出す土壌を壊してしまっているのではないか。

 そうかといって、我々凡人が天才の真似をしてもムダである。それだけの価値をもたらす人は、100人に一人しかいない。天才になろうとして皆が遊んでばかりいては、ますます差がつくだけである。

五輪エンブレム騒動(27年9月3日)

 なにか決定するたびに「遅い」といわれると、つぎからは何もできなくなってしまう

 散々揉めたあげく、五輪エンブレムが使用中止になった。個人的にはエンブレムに似たものがあるのは当たり前だと思っていたが、他の作品の盗用など、それ以外の「疑惑」が多すぎた。ここまでケチがついたものは、あきらめたほうがいい。
 
 ただ、スタジアム変更のときと同じ、こんども「やめるのが遅すぎた」という声がある。
 この「遅すぎる」という声は、当事者意識がなく、あまりにも無責任である。なにか変更決定をするたびに「遅い」といわれると、つぎからは何もできなくなってしまう。今回も、何もしない或いは3年後に変更するより100倍素晴らしいではないか。

 と思っていたら、今度は紹介曲にまで盗作の疑いが出てきた。今度は「遅すぎる」といわれる前に取り下げるであろう。
 
         レッサパンダの親子 H26.11.02撮影

 そして東京都は、このエンブレムを使用したポスターなどの発注がすでに4600万円余りに上ることを明らかにした。無駄になった負担金については、組織委員会に補償を求めるという。どっちにしても税金である。国内で金を使えば、景気対策にはなる。
 もし私に余裕資金があったら、これを買い占める。4600万円が、5年後4.6億円、10年後46億円ぐらいになっているかも??

若手議員のご乱交(27年9月2日)

 日本の未来は、このようなユニークな議員たちを、どのように活かすかにかかっている

 いま若手の国会議員である、武藤議員や山本議員が注目を浴びている。

 武藤議員は、安全保障関連法案に反対する若者をツイッターで批判したことで、マスコミの徹底追跡に遭った。数千万円の金銭疑惑や買春疑惑などが明るみになっている。どんな人でも叩けば埃は出る。武藤氏が議員をやめるまで、いくらでも出てくるであろう。埃の出ない人は、仕事を何もしなかった人だけである。

 もう一人山本議員は、私生活スキャンダルより国会での掟破り質問が目立つ。これまでいなかったタイプの議員である。原発テロや大東亜戦時中の米国非人道行為など、いままでタブー視されていた案件を、つぎつぎ俎板の上に載せている。まさに、「王様は裸」の子供役を、地のままでこなしている。知能程度から見て、彼ほど適任者はいない。小沢一郎は、それをうまく利用している。ただ子供と同じで、見境がないのが困る。

 女性議員にもいた。「浪速のエリカ様」こと、上西小百合議員である。
 国会議員も人である。このようなユニークな人たちをどのように活かすか。それに日本の未来はかかっている。

賑わう金沢(27年9月1日)

 先月訪れた糸魚川駅周辺に閑古鳥が鳴いていたのとは、まるで対照的であった

 昨日(8月31日・月曜日)、北陸新幹線開通後はじめて、金沢市街の観光地を訪問した。定番の金沢城公園、近江町市場、兼六園、長野武家屋敷跡、尾山神社、ひがし茶屋街の6カ所である。これを500円1日フリー乗車バスで周遊した。

 JR福井駅から普通列車で1.5時間。午前10時に金沢駅に到着。北京の鳥の巣を思わせる天井の東口バス停付近は、ほとんどが観光客と見られる人たちで賑わっていた。平日にしては異常な多さである。

 やはり兼六園は観光客でいっぱいであった。例によって中国、台湾、韓国人が20%以上、アラブやアフリカから来たと思しき人も見かけた。もちろん日本人は、高齢者が中心である。夏休み最後とはいえ月曜なのに、数年前の休日より多い。今年3月、新幹線開業時の土・日曜には、訪問客が例年の4倍だったというのも肯ける。
 ただ、金沢城公園や美術館の庭園など周辺にも緑地帯が多く、すべて廻ると疲れるし飽きる。
 
 近江町市場も大混雑である。その中の行列している回転寿司屋で、一人3,000円の昼食を摂った。「すし職人」の手作りというだけあって、形が不揃いなのはご愛嬌か。それにこの価格なのに、やや新鮮さが感じられない。近年の大手回転すしチェーン店(浜すし、くら寿司など)と品質差がないのは残念であった。

 金沢駅東口鳥の巣 H27.8.31 兼六園 日本武尊像 H27.8.31 ひがし茶屋街 通り H27.8.31 尾山神社境内 H27.8.31

 以前訪れたとき閑散としていた長野武家屋敷跡やひがし茶屋街も、明らかに賑わいが生まれている。尾山神社でさえ、参拝者がひっきりなしである。気のせいか小売店舗があちこち増えている。それもあか抜けている。それにつれ、金箔や漆器などの伝統技能が息を吹き返しつつある。これが新幹線の終駅効果なのか、人が集まるところに人は来る。6月に訪れた糸魚川駅周辺に閑古鳥が鳴いていたのとは、まるで対照的であった。

 いま福井に新幹線が来ても、これだけ人を呼べる力はない。