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レミングの集団自殺と安保デモ(27年7月31日)

 自分のことだけ考えたあげく、まだ見ぬ新天地を求めて、多くの人を道連れに崖から落ちる

 北極圏のレミングというネズミは、集団の密度が高くなると大行進を始める。やがて崖から落ちて大半が死ぬ。放っておくとその地域の「種」が全滅するからである。この行動は、レミングが「種」の利益にかなうために、自ら犠牲になって全滅を防ぐ行為だと考えられていた。

 しかし最近の研究では、これは「種」の利益でなく、「個」の利益を求めたあげく大量死するのだとする説が有力である(「科学の罠」長谷川英祐より)。集団のなかで切羽詰まったレミングは、暴走することによって、どこか新天地にたどりつくことを求めているのだという。なぜなら、もし集団のために自殺する遺伝子を持つレミングがいたら、それは集団自殺によって激減する。集団自殺を繰り返せば、いなくなる。
 それよりも、「座して死を待つ」よりわずかな可能性を求めたほうが、生き延びる可能性は大きい。どちらにしても、結果的に「大量死」するおかげで「種」は残る。

 この哀れなレミングは、原発や安保反対のデモをしている人たちとそっくりである。「戦争したくないじゃん」、「ヒバクはいやだ」・・・。彼らの意見を聞くと、とても深く考えているとは思えない。考えているのは、目先の自分のことだけである。自分のことだけを考えたあげく、まだ見ぬ新天地を求め、多くの人を道連れに、崖から落ちる(彼らは死なないから、もっと厄介である)。
 暴走レミングと同じである証拠に、彼らは決して行く先を明らかにしない。
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大前研一氏の論点(27年7月30日)

 「世間体」を気にすることなく、日本の未来は日本人だけで決めたい

 久しぶりに、大前研一氏の著作を読んだ。私が2~30年前、「ストラジックマインド」、「企業参謀」、「平成維新」などを読み、影響を受けたことがある経営コンサルタントの「神様」である。PPM(製品ポートフォリア分析)、KFS(成功の鍵)などは、現代でも形を変えて使われている。本棚を見ると、彼の著書が20数冊並んでいる。その切れ味鋭い文章と、いかにも自信たっぷりの提言内容に憧れたこともあった。

 ただ、この10年以上はほとんど、彼のまとまった著書を読んだことがない。大前氏のあまりに合理的すぎる考えが納得できなかったことと、彼の傲慢そうな態度や風貌に反発を感じたからである。
 
 しかし、大前氏が昨年発行した「日本の論点」を見て、彼の見識の広さにあらためて敬意を払うこととなった。なにしろ毎日、各国言語での記事を500本も読んでいるという。私が大前氏を「卒業」したと思ってしまったことが、恥ずかしい。
 
 「日本の論点2015~16」は、雑誌プレシデントに連載した記事をピックアップし、修正したもので、概要は次の通り。

①今の日本における最大の論点は、1000兆円以上もの巨大な国家債務である
②日本の活性化はオリンピックではなく、東京の東エリアの開発である
③優秀な企業の管理職の年収を上げなければ、海外を含め優秀な人材は得られない
④ネット通販では、「ポータル」、「帳合(代金決済)」、「物流」の3拍子が必要
⑤ソニーは過去の成功体験から抜けきれずに一人負けになった
⑥(タケダは)CEOを1年後に交代すると宣言。経営の選択肢を狭めてはいけない
⑦ゴーンとルノーは日産を食い物にしている。そろそろゴーンに引導を渡すべき
⑧日本の長期衰退を止めるには移民政策しかない
⑨日本のエネルギーは原発をベースにするしかない
⑩太陽光や風力発電をあてにするな
⑪電気自動車や燃料電池車は原発が稼働することが、実用化の必要条件である
⑫電力産業は、発電、送電、配電、原発事業の4つに分割する
⑬原発は輸出産業として育てる
⑭シェールガス革命で、日本の石油コンビナートは壊滅する
⑮集団的自衛権を行使してシリアに行くのか
⑯世界でもっとも好感度が高い国はドイツ
⑰ドイツは13の州の連邦制を採用しているから経済がうまくいっている
⑱ドイツの教育では、8割がた10代で進路を決める
⑲ドイツは過去の歴史や領土問題を蒸し返さないことで、周辺国とうまくやっている
⑳台湾の経済は中国より強く、中国との貿易協定で中国に負けることはない
21.中国のバブル崩壊を見据えて依存度を減らし、アジアの他の国とのバランスを保つ
22.韓国は「中進国」のジレンマに陥り、サムスンの成長神話も危うい
23.自民党の外交は、その場その場の属人的なもので、政権が変わると混乱する
24.靖国参拝の海外からの反応はすべて否定的
25.失言政治家は論争訓練が不足
26.世界には日本が好きな人は大勢いる。反日教育するのは、反日の火種を絶やさないため
27.北朝鮮が崩壊すれば、韓国だけでなく中国、ロシアが「植民地」として手を伸ばす

 20年前、大前氏の指摘はすべて感服していた。
 ところがいま、半分以上は納得できない。
 全体的に、大前氏はあまりにも外国を観すぎている。だから、日本のやり方について、「外国から見てどうか」ということばかりに力が入る。とくに欧米からの見方が多い。つまり「世間体」を気にしすぎる。もちろんそれも大切である。

 しかしもっと大切なのは、日本人自身がどうかということなのではないか。
 世界は広い。欧州は欧州、イスラムはイスラム、日本は日本である。日本独自の歴史や習慣、文明がある。海外を参考にするのはいいとしても、周りばかり見て自分たちの行く末を決めたのでは、後悔してもしきれない。
 日本の行く末は、まず自分たちで決めたい。

防災・減災商品(27年7月29日)

 防災商品は、商品そのものの機能より、必要なとききちんと使えることの方が重要

 地震や洪水などの災害が頻発していることを受け、防災・減災関連の商品開発が進められている。飲料水や非常食をはじめ、炊事用具、テント、懐中電灯、担架、簡易トイレなど生活用品全般にわたる。防災専門店では、これらの商品を手広く扱っている。

 段ボールメーカーも、パーテーションや簡易ベッド、簡易トイレなど開発し、販促活動に取り組んでいる。段ボールは、再生紙を使うため、資源を無駄遣いせず、また使用した後も処分が容易である。

 ところが、これらの防災用品は、いつ必要になるかわからない。明日或いは50年後かもしれない。1~2年は存在を把握していても、5年、10年と経つうちに、どこへ行ったのかわからなくなる。 

 じつは福井市でも4~5年前、自治会区ごとに担架や大ハンマ、バールなどの防災用品を配った。これを区長が保管することになっている。私の300人ほどの自治会区では、毎年区長が代わる。そのたび、用具類が移動を繰り返す。そのうち、一つ2つと行方不明が出てくる。あと数年すれば、跡形もなくなるであろう。きちんと引き継がれているのかも怪しくなってきた。そもそも、区長がそんなものを持っていることを知っている人など、何人いるであろう。区長の家さえ分からないのに。

 したがって、防災用品はその保管方法がもっとも重要である。商品そのものの機能より、必要なとき使えることの方が重要で、それが解決できれば、そのまま商品の強みとなる。
 結局なにごとも、日ごろの「整理・整頓」に尽きる。

なぜ廃県置藩か(27年7月28日)

 日本すべてが消滅するより、多様性を持った地方が独立すれば、強いところは残る
 
 明治維新の大きな改革のひとつは、廃藩置県からの中央集権である。これによって、地方大名の権限が大きく削がれることになった。もちろんこれは、欧米列強の日本侵略に対抗するためである。
 ただその背景には、迫りくる人口問題があった。

 江戸時代の後期の人口は、飢饉で落ち込んだ1792年を境として、1846年までに8.5%増加している。この増加は、そのまま明治以降の急速な人口増加につながる。人口が伸びれば食料が不足する。間引きや堕胎、姥捨て山などで補うのも限界がある。隣に豊かな藩があれば、奪い取ろうと思わない方がおかしい。文字通り命がかかっている。

 したがって、強い中央集権力がないと、いつまでも国内の藩同士が相争う。藩同士が争っていたのでは、弱肉強食の欧米列強には太刀打ちできない。
 最善かどうかは別として、明治に強力な中央集権国家を作り上げたのは、意味があった。

        九州下関 奇怪岩H25.5.29

 だが、現代はそのときとまったく状況が異なる。
 まず日本は、人口減少に向かっている。世界一豊かな国で、当面飢え死にする心配はない。国内で、食料やエネルギーを巡って血肉の争いをすることはない。
 それどころか、「地域消滅」が現実となり、すでにいくつかの地域が消滅している。このままでは、日本すべてが弱体化し、無くなる恐れがある。

 ではどうすればいいのか。
 江戸時代のように、地方が独立した権限を持った国にしたい。昔の藩のように、それぞれの地域の特色を生かして、地域を盛り立てる。日本中が多様性を持った国の集まりとなる。大きさは今の県単位ぐらい。道州制は大きすぎ。これまでと同じ3重行政になる。
 もちろん国は、軍事力の強化に専念する。

 日本には、卑弥呼の時代から、次々と新しい技術、制度、生活様式の革新を続けてきたダイナミズムがある。それを今回も発揮しなければならない。いくつかの藩はなくなるが、残ったところは強い。きっかけは、大震災による首都圏消滅か。そこからスタートである。

戦争恐れて大虐殺(27年7月27日)

 新安保では、戦争するかしないかは、時の政権が判断することができる。その選択肢をなくしたら、もっと悲惨な目に合う

 新安保に、多くの人が反対する理由は、「違憲の疑いが強い」、「日本が戦争に巻き込まれる」というものである。
 「違憲の疑い」などどうでもいい。憲法などどうでも解釈できるし、現実の社会では、憲法学者みたいに、能天気に神学論争などやっている暇はない(学者や専門家は、自分の専門分野を守るために平気で日本人を犠牲にする)。
 もちろん改憲は必要であるが、衆参両議院で2/3確保するのは、公明党が寄生している限り10年かかる。

 そして、多くの反対者が危惧している「日本が戦争に巻き込まれる」ということについては、全くの誤解である。新安保では、抑止力によって戦争を防ぐ効力をもつ。少なくとも、戦争に参加するかしないかは、時の政権が判断することができる。

 しかし、もし日本が完全に戦争を放棄したらどうか。戦争よりはるかに悲惨なことが起こる。国民はもう、そこから逃れることができない。
 そもそも戦争というのは、歴史上の悲惨な出来事の一部にしか過ぎない。下の大量虐殺のランキングを見ていただきたい。(数字は、『』土学再考』大石久和氏より抜粋)

 第2次大戦 5500万人  20世紀
 文化大革命 4000万人  20世紀
 モンゴル征服 4000万人 13世紀
 慮山の反乱 安史の乱 3600万人 8世紀
 明王朝の崩壊 2500万人  17世紀
 長髪賊の反乱 2000万人  19世紀
 スターリン粛清  2000万人 20世紀
 奴隷売買   4000万人 7~19世紀
 イギリスのインド支配 1700万人 19世紀
 ロシア革命、フランス革命、ナポレオン戦争、ポルポト内戦  それぞれ数百万人

 軍隊と軍隊がぶつかる「正式な」戦争の場合には、ここまでの悲劇は起きない。負ける時には、正式に降伏できるからである。つまり大量殺戮は、軍隊同士の戦いでは起こらない。第2次大戦で亡くなった5500万人も、大半が民族浄化や虐殺、飢餓であった。

 こんな悲惨な目に合うのは、彼我の勢力が大きく異なるからである。強い方は弱い方を一気に攻め滅ぼす。種を遺しておいては反逆されるからだ。その段階で大量虐殺が起こる。その場合「国内問題」として表には出ない。チベットやウィグルを見ればわかる。中国と日本の軍事力の差が拡大し、日本が何もしなければ同じことになる。
 台湾や北朝鮮など周辺諸国が飲み込まれないでいるのは、ある程度の軍事力と気概を持っているからである。

 もちろん、日本単独で中国に対抗することはできない。それでは無制限の軍拡競争になる。中国以外の国と集団自衛するしかない。それ以外、中国からの侵略とそれに続く大量虐殺を防ぐ手立てはない。

 戦争に反対する人は、戦争しなければもっと残酷なことが起きることがわかっていない。
 新安保法案に反対する人びとは、あまりにも視野や考え方が狭い。しかも賛成する人に対するバッシングが、暴力的で好戦的である。それも次第に過激さを増している。戦争よりその方が怖い。
 もともと原理的に、「平和国家」など成り立たないのである。

舐められている日本(27年7月26日)

 日本が憲法9条を抱えている限り、ますますいじめ虐げられる

 先日、台湾の李登輝元首相が、安倍首相と会談したという報道が入った。「現職の日本の総理が台湾の元総統と会談することは異例で、中国の反発も予想されます。(23日TV東京)」というコメントつきである。

 ところが25日の福井新聞によると、安倍首相や菅官房長官はこの会談を否定している。TV東京のコメントのように、中国への刺激を恐れている。

 中国の東シナ海における、ガス田開発の写真公表についても同じである。これまで外務省は、日中協定に逆らって中国がガス基地をつくり続ける事実を明らかにしてこなかった。これも中国を刺激してはいけないという配慮である。

 そもそもガス田開発で、こんなに多く基地をつくる必要はない、とする専門家の指摘がある。すなわち中国は、南シナ海と同じように、ここでも軍事のために利用する基地を建設している。意図は明らかである。

 なぜ日本がここまで、中国に気を使わなければならないのであろうか。「舐められている」という言葉がぴったりである。日本が憲法9条を抱えている限り、ますますいじめ虐げられる。こんなことがいつまで続く。まともな国民なら、いい加減こんな立場から逃れたい

一気飲みでの死亡(27年7月25日)

 このような事故をなくしたいのなら、うまくて高い酒しか造らないようにすればいい

≪平成24年に東大テニスサークルの飲み会で、アルコール度数25%の焼酎約1リットルを一気飲みし、急性アルコール中毒で死亡した埼玉県北本市の教養学部2年の高原滉(あきら)さん=当時(21)=の両親が22日、飲み会に参加したメンバーのうち21人に計1億6900万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。22日IZAニュースより≫

 若者の飲酒によるトラブルが後を絶たない。無理やり飲まされるのというより、その場の雰囲気で飲まざるをえない状況に追い込まれる。この場合も、東京・隅田川花火大会前日夜、場所取りを兼ねた飲み会で一気飲みを繰り返して倒れ、2時間後に死亡したという。
 産経新聞の記事によると、平成17年から26年までの10年間に、34人の若者が、このような一気飲みで亡くなっている。毎年3~4人である。
 意外と少ないが、亡くなったのが若者だけに何とも痛ましい。

 ではなぜこのような「酒の強要」、「飲まなければいけない雰囲気」になるのだろうか。
 簡単である。
 酒がまずいから。それしかない。もちろんまずい酒は値段も安い。
 ほんとにうまくて高額な酒なら、無制限に人に薦めるわけがない。自分で飲む。それもちびりちびりと。それでなければ酒の良さは味わえない。

 私が20代のころ、安くてまずい酒しか飲めなかった。ボトル1本300円のウィスキーなど、美味しくて飲む人などいない。割を食った人は、それを飲んで正体不明になる。

 したがって、このような事故をなくしたいのなら、うまくて高い酒しかをつくれないようにすればいい。

 もっとも慢性の酒飲みで亡くなる人は、一気飲みでの死亡者の何万倍にもなる。本当は、その方が恐ろしい。めったに死なない事故を取り上げ騒ぎにするのが、マスコミの得意技である。

参院選での合区(27年7月24日)

 升永弁護士のように屁理屈をこねる人はいても、まだ誰も、「なぜ1票の格差がいけないのか」の疑問に納得ある答えを出していない

 来年の参院選では隣り合う少人口県を統合して「10増10減」し、1票の格差を「大幅是正」する話が進められている。

 しかしいまのままでは、1票の格差は完全になくすことはできない。過疎地の人口はどんどん減っており、1票格差是正は、さらに過疎と過密を促進させる。仮に今の住密度に合わせ、1対1にしたとしても、半年後にはまた変えなければならない。都市部以外に人がいなくなるまで、こんなことをやるのは、ばかげている。

 そもそも、なぜ1票の格差がいけないのか。1票の平等こそ悪平等の典型であり、むしろ1票の格差を広げなければ、実態としての格差はますます開いてしまう。普通に考えればそう思うだろう。
 さらにもし、「一人1票の価値平等」が世界にまで広がれば、日本は完璧に中国に頭が上がらなくなる(1票価値平等の主張者は、それを狙っているのか)。

 このような疑惑があるのに、なぜ頑なに1票の格差をなくすことだけを議論するのか。裁判判決を守らなければならない国会議員は別として、学者こそ、この「そもそも論」について議論していただきたい。

 升永英俊弁護士のようなややこしい屁理屈をこねる人はいても、まだ誰も、「なぜ1票の格差がいけないのか」の疑問に納得ある答えを出していない。(裁判所が言ったから、ルールだからというのは、お役人ならわかるが、まともな学者の論理とは云えない)

白山登山延期(27年7月23日)

 天気予報が狂えば、高給取りの気象庁職員に文句の一つも言いたくなる
 
 21日に梅雨明け宣言があったばかりなのに、昨晩から雨である。このため、本日計画していた白山登山を延期した。

 数年前から、平日の好天時を狙って白山に登っている。最近夏の白山は、休日になると殺人的な混雑が発生し、駐車場だけでなく登山道も大渋滞となる。とてもまともな登山はできない。
 1週間前、23日の天気予報はもちろん「晴れ」であった。そのうち「曇り時々晴れ」に変わり、19日には「曇り」の予報になった。それで安心していた。

 ところが21日の夜になって、突然「雨」の予報である。さすがに2日前の予報は当たる。今現在(23日10時)の天気は「雨時々曇り(降水確率90%)」である。
 これでは下手すると稜線で雷雨に遭っていた。

 自由業といえども、今日明日思い立って時間をつくるわけにはいかない。これで今年は、白山に行けるかどうかわからなくなってしまった。

 気象庁は、毎年600億円もの予算を使っている。それでも1週間前の予報が、真逆になったのである。高給取りの職員に文句の一つも言いたくなる。

憲法改正より安保改正(27年7月22日)

 必要要件を満たしていない新法案さえ可決できなかったら、日本は国家としての資格がなくなる

 新安保関連法案の各社世論調査(7月)では、賛成が26%(朝日)~49%(産経)、反対が58%(毎日)~44%(産経)と、国民の大多数が反対している。その反対の理由では、「憲法違反だから」というのが圧倒的に多い。
 もちろん「憲法違反」という人の中には、新安保そのものに反対している人もいる。①狂信的な平和主義者、②中国工作員、③ハニートラップに遭った、などの怪しげな人たちである。彼らは本当の理由を言えないので、「憲法違反」を隠れ蓑にしている。
 
 すなわち、「憲法違反」だから新安保に反対している人たちの多くは、新安保そのものを否定しているわけではない。現実の世界情勢を考えれば、今のままでいいと思う人はいない。「憲法違反」を主張する人は、頭が固いだけである。頑なに「何があろうと憲法は守らなければならない」と考えている。
 よって彼らは、正当に憲法改正をしたうえでなら、新安保法案を通したほうがいいと考えている。この人たちを含めれば、新安保法案に反対する人は激減する。

 しかし今の状況では、憲法改正こそ不可能である。できたとしても10年かかる。とてもそんな時間はない。

 周知のように憲法改正には、衆参両院とも2/3以上の可決が必要である。自民党は、いずれも2/3に達していない。衆議員では公明党を入れてやっと2/3であるし、参院では過半数ぎりぎりである。そして公明党は、憲法9条の改正には絶対賛成しない。今回、公明党が新安保法案に賛成しているのは、憲法9条とのバーターであったと考えるのが自然であろう。

 現実的に公明党との選挙協力がなければ、自民党の過半数さえ不可能である。それこそ憲法改正は夢のまた夢になる。現憲法の最大の欠陥は、絶対に改正できないということである(まさか、いますぐできると考えているアホな人はいないだろう)。本来そのようなものは、絶対ルールの憲法としてはいけない。それに今の憲法は、知らないうちに決まったものだ。

 だから不充分ではあっても、新安保法案は実行されなければならない。このままでは確実に日本は中国の属国になる。「憲法改正」しないと安保改正できないという人は、物事を柔軟に考えてほしい。

 そもそも新安保法案は、必要な要件を満たしてもいない。こんなものも可決できないとしたら、日本は国家としての資格がなくなる。

新安保、なぜ国民の理解が進まない(27年7月21日)

 「中国の脅威」、「公明党の寄生で憲法改正できない」という自民党政府が言えない事実は、マスコミしか報道できない

 いま確実に多くのマスコミは、新安保反対の方向に世論を誘導しようとしている。それも事実や理論ではなく、感情に訴えている。
 たとえば

≪安全保障関連法案に反対して作家の澤地久枝さん(84)らが呼びかけた安倍政権に対する抗議行動が18日、全国各地であり、「アベ政治を許さない」と記したポスターを午後1時ごろに一斉に掲げた。主催したスタッフは「全国各地の1000カ所前後で実施されたと見込まれる」と話している。(7月19日毎日新聞 YAHOOニュースより)

 地元の福井新聞も連日、社説やコラムで新安保反対を強調している。そのうえ20日の紙面では、「普通の国ならぬ決意を」と題して、ちばてつや氏の体験に基づいた意見が掲載されていた。今朝(21日)の朝刊にも、ノーベル賞学者を押し立て「学者150人安保廃案へ」が写真入りで書かれていた。

 前者は報道する新聞が、「毎日新聞」だけに、かなり大げさに取り上げたのであろう。後者もそうであるが、「禁じ手」である有名人の「政治的発言」を増幅させる報道は多い。ちば氏が「愚者」ではないとしても、たんに一個人の「経験」からの物言いにすぎない。有名人だけに影響力は大きく、容易に人々を間違った方向に誘導する。

 問題なのは、新安保法案に賛成の立場からの報道はきわめて少ないことである。
 つまり多くの反対者が危惧している「日本が戦争に巻き込まれる」ということについては、全くの誤解である。新安保法案であろうがなかろうが、戦争に巻き込まれるのは同じである。憲法9条が日本を守ってきたというのは、歴史を考察する人にとって戯言にしか聞こえない。むしろ新法案では、巻き込まれることを想定することでリスクは減少する。これまでのように、何も想定していないことほど危険なことはない。世界中見渡しても、新安保の行為ができないような国など、日本以外に存在しない。
 そして、正道である憲法改正は、公明党が寄生している限り不可能である。
 このような事実を説明する詳細な記事には、まだ出会ったことがない。「サヨク」から見たら「ウヨク」の意見だろうが、客観的に見たらこんなものまだまだ「サヨク」である。

 したがって、「国民の理解が進んでいない」のは、まさに一方的な報道しかやらないマスコミの責任である。政府が言えないこと、つまり「中国の脅威」、「公明党の寄生で憲法改正ができない」という重要な事実は、マスコミしか報道できない。

 福井新聞など多くの地方紙は、リベラル系の共同通信の影響をもろに受けている。TVでも、キャスターやコメンテーターの発言は決まっている。1日の大半をこれらに接している年寄や学生は、簡単に感化されてしまった。

 マスコミはいい加減、プレスコードの呪縛から脱却して欲しい。もっともその前に、われわれ読者が、新聞記事などのマスコミは正しい、という意識の呪縛から逃れることが大切である(わが家も、毎日死亡欄を食い入るように見ている老人がいなくなったら、新聞購入は辞めたい)。

車検追加料金とぼったくりバー(27年7月20日)

 5000円ぽっきりのはずが、5分おき美人ホステスが出てくるたび5000円づつ取られていく

 昨日、車検を行った。車検は車を買ったディーラーにすべて任せている。個人経営の整備工場に頼みたいのだが、時期から台車の手配まですべておぜん立てしてくれるので、ついディーラーに頼んでしまう。

 しかし、古い車を車検に出すと、しばらくして必ず件の車検場から嫌な電話がかかってくる。追加料金の「相談」である。ワイバー(1500円)やウィンカーランプ(3500円)の交換はいいとして、そのうち少しずつ値段が上がっていく。エンジンフィルター4000円、エアコンフィルター5000円、車体底部のさび止め8000円、・・・バッテリー18000円。こんなもの、ほんとに必要かどうかわからない。それで、つい生返事をしてしまう。
 最初の見積もり6万円が、いつの間にか14万円近くにまで跳ね上がってしまった。

 ぼったくりバーも、いっぺんにぼられるわけではない。最初は5000円ぽっきりである。入ると5分おきに、美人ホステスが入れ替わり出てくる。気のせいかだんだん良くなる。そのたびに、5000円か1万円取られていく。飲んでいるし、まあいいかと思う。1時間ぐらいして我に返る。店を出るとき気が付いたら、財布の中身は空。結局、勘定は14万円になっていた。まったく同じである。

森林大国ニッポン(27年7月19日)

 森林開発や木工製品に関する技術の蓄積を行っていけば、人口減となった日本でも、世界を相手に生き残っていくことができる

 昨日、「森林・林業の成長産業化」の可能性について」の講演を聞いた。
 いま日本全体の森林資源の蓄積は、およそ50億㎥。これが毎年、ざっと1億㎥成長する。年率2%である。植物は太陽と炭酸ガスで生育するから、化石燃料と違って尽きることがない。木材市場での杉の価格を1万円/㎥とすると、1億㎥で1兆円。何もしなくても、日本には毎年1兆円が転がり込む。素材で1兆円の価値があるのだから、やり方によっては、その10~20倍になる。

 したがって、日本の国土の67%を占める森林資源は、日本経済の重要な一角を占める。もし日本の人口が4~500万人しかいなかったら、これだけで充分やっていける。これは、フィンランドの人口に近い。

 原田泰氏の「ベーシック・インカム」によると、日本とフィンランドの森林面積もそれぞれ、2500万haと2600万haで同じくらいである。森林予算は日本が2700億円に対し、フィンランドはその1割しかない。そのくせ木材生産量は、フィンランドの方が日本の3倍もある。まさに森林立国である。

 ただ、人口の圧倒的に多い日本では、よほど管理された状態で森林伐採を行わないと、持続不可能になりやすい。需給のばらつきで価格が乱高下し、そこから過剰または過小伐採が行われる。
 そのうえ日本では、林業分野も複雑な「多段階構造」により、きわめて大きな無駄を抱えている。木材の生産プロセス(価値向上)が、植林、下草刈り、間伐、皆伐~土場、製材(プレカット)、工務店、ユーザーへと移行する中で、その間にいろんな仲買業者が入る。非効率きわまりない。1兆円がドブに捨てられている。

 したがって、森林大国日本がその力を発揮するには、日本の人口が激減する22世紀まで待たなければならない。もともと樹木の生産は、50年~100年単位の長期的視野でみるものである。

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ジャーナリストが拘束(27年7月18日)

 イラクは、銃弾が1発見つかっただけで大騒ぎする日本とは、まったく違う

 フリージャーナリストの安田純平氏が消息不明となって、3週間以上が経つという。よからぬ勢力につかまるなどの、安否の懸念が高まっている。

 彼はかって、2004年にバグダッドで武装勢力に拘束されたことがある。いわゆる「イラク人質事件」である。紛争地帯に自ら足を踏み入れたにも関わらず、日本政府に解放交渉をさせたとして批判を浴びた。このとき相当の「身代金」が支払われたと考えるのが自然であろう。そのため、日本人の人質はお金になるとして、その後の人質事件につながったとみる人は多い。

 もし彼が武装勢力に拘束されたとしたら、あの時の「身代金」に味を占められたからであろう。もしそうならまさに「自業自得」である。それに、もう日本政府は2度と「身代金」は払わない。それでも、繰り返し多くの人に迷惑をかけることになるのは間違いない。


 ところで今朝、「滋賀県の民家で16日、陸上自衛隊の射撃訓練中に発射したとみられる銃弾が見つかった事件で、陸自中部方面総監部は、屋外での射撃訓練を当面中止することを明らかにした。地元住民は事件に不安を募らせ、市は「自衛隊の安全管理体制への信頼を損なった」と厳しく非難した。(18日京都新聞より)」というニュースが入った。

 日本では、小さな銃弾が1発見つかっただけで大騒ぎする。イラクはこのような日本とは、まったく違うのである(日本はまた、反対方向で異常すぎる。民間相手だったら、典型的な当たり屋である)。

パソコンデータの始末(27年7月17日)

 そのままではただのゴミである個人の知的資産を活用させる、ビジネスモデルが欲しい

 少し前にNHKクローズアップ現代で、「そのパソコン遺して死ねますか?」という番組があった。たしかに、旅行や日常でも写真や動画を記録し、私のような自営業者なら仕事のデータも山ほど入っている。もしその管理者が死んだらどうなるのか。

 ウィンドウズ95などのパソコンが普及し始めて20年以上経つ。そのころパソコンを使って第一線で仕事していた人も、もう引退から天国への架け橋の年である。これからは続々と、主のないパソコンが発生する。
 私も以前から、自分がいなくなることを考えながら、パソコンにデータを保存していた。だから、見られて困るようなものは何もない(はずである)。

          パソコン不調

 そのパソコンに保存してあるデータの中に、これまでの20年、数千件分の経営診断記録がある。公的支援の場合、必ず報告書が必要だからである。まとまった「経営診断報告書」も無数にある。もちろん支援企業の名前があるので、そのままでは表に出せない。
 私が組織の人間なら、業種別や診断内容別などに分類し、記録として保存・管理する。企業名などは、特定できないようにする。組織内で閲覧できるようにすれば、有益な知的資産になる。ただ、いまのままでは、税理士や診断士協会のような組織で使うのは難しいであろう。
 
 パソコンデータ以外にも、始末に困るものがある。書籍や文書類である。15年前から図書館中心に切り替えたので、それほど溜まってはいないが、古いのが一部屋分はある。かなり埃をかぶっているので、古本屋に出しても買いたたかれるであろう。

 これらの電子データや書籍類は、私の数倍それ以上に保有している人が大勢いる。他人にはただのゴミでも、本人にとっては思い入れのある「宝物」である。このまま消滅させるのは忍びない。
 このような個人の保有する知的資産を活用させるための、ビジネスモデルを作りたい。それこそ人類の大きな宝となる。

新安保関連法案が採択(27年7月16日)

 反対者は、強いものに抵抗することによって、己の存在をアピールしたいだけ

 昨日のニュース番組は、衆議院特別委員会での安保関連法案採択のニュースで、もちきりであった。乱闘や怒号が飛び交う国会内での野党のパフォーマンスが、絵になるからである。各地でのデモ隊の様子も、大げさにTV中継されていた。
 それに合わせてTVでは、キャスターや解説者が、ピントのはずれたコメントを行っていた。

 かって60年安保のときは、今以上に激しい反対運動があった。そのときも、ほんとに理解して反対していた人などほとんどいなかった。今回はそれ以上である。
 だから、つぎのようなコメントばかりが出てくる。

①議論が尽くされていない。国民の理解が進んでいない
 いくら議論や説明をしても、解ろうとしない人に解らせることはできない。マスコミの責任が大きいはずの国民の理解度不足を、マスコミ自身が問題視するとは、こんなアホなことはない。
 そもそも、国民が完全に理解した上で通した法案などこれまで一つもなかったし、そんなことは不可能である。いまの憲法でさえ、国民の知らないうちに決まってしまった(国民投票を経ていない憲法を改正するのに、国民投票が必要なことも自己矛盾である)。

②「強行採決」は許さない。民主主義って何なんだ
 民主主義とは、「自分さえよければいい」という、さもしいエゴのぶつかり合いである。一人一人の意見を聞いていては、埒が明かないから、日本では間接民主主義を採用しているのである。
 自分が反対するものを「強行採決」というなら、すべての決定は「強行採決」である。
 
③内閣支持率が急落した。80%の国民が反対している
 世論を誘導しているのは、(ラジオコード、プレスコードの呪縛にある)マスコミである。1日TVばかり見ている年寄は、このマスコミの論調そのままに「洗脳」されている。自分の政治生命しか頭にない政治家は、このような国民に迎合しようとする。
 したがって、支持率の低下を顧みず、国民に不人気な政策を実行しようとする政治家は、大政治家である。


 中国の工作にかかっているマスコミは別として、今安保法案に反対している国民の多くは、なぜ反対しているのか、自分でもわけがわからないであろう。じつは彼らは、強いものに抵抗することによって、己の存在をアピールしたいだけなのである。それ以上に私が納得できる、反対のための説明を聞いたことがない。
 もちろん、「戦争法案」、「徴兵制になる」、「憲法違反」などは、ガキのたわ言である。

新安保法案否決の恐ろしさ(27年7月15日)

 安保法案の成立如何は、日本がアメリカの属国のままか、中国の属国になるかの選択である

 新安保法案の審議が大詰めとなり、今日にでも衆議院で採決が行われる。これに対して、これまで多くのメディアや学者たちが、反対の論陣を張っている。昨晩は、学生たちの大規模なデモも行われたという。

 しかし彼らが、この法案の本当の意味を理解しているとはとても思えない。これを可決できないということは、大きなトレンドとして、日本が中国の属国になることを意味するのである。
 今日や明日、中国軍が押し寄せることはないとしても、中国の長期にわたる膨張政策の中で、必ず日本は飲み込まれる。巧みに日米の隙間をついて、アメーバみたいに膨らんでくるのは、これまでの中国を見れば歴然としている。そしてその何よりの証拠は、今回の新安保法案に反対しているのは、世界で中国しかいないことである(朝鮮半島は別次元)。

 すなわち、今回の安保法案が成立するかしないかは、日本がアメリカの属国のままでいるのか、中国の属国になるのかの選択である。もし廃案になったとしたら、日本は中国の工作に牛耳られてしまった、と世界は見るであろう。

  モンゴル 大帝王H25.6.21   モンゴル大帝王顔H25.6.21

 どちらにするかと云われれば、私自身はアメリカの属国でいるほうを選ぶ。間違えても中国の属国になって、住民虐殺に遭うのだけはまっぴらである。悪いことには、いったん中国の属国になれば、永遠に中国の属国でいなければならない。小日本とさげすまれ、陰湿ないじめに遭う。見かけが同じだから完全に同化される。そして、近い将来自滅する中国の混乱に巻き込まれる。

 一方、アメリカの属国になった場合には、いずれ中国は自滅あるいは冷戦で滅びる。EUが弱体化しているため、強国として残るのは日本とアメリカである。そうなると、日米決戦の可能性が出てくる。もちろん今度は日本が勝つ。別にドンパチの戦争でなくてもいい。そうやって白人優位の世界を終わらせる。

 われわれの生きる目的は何かを考えてほしい。(人類滅亡の)最後まで、日本人の遺伝子を遺すためではないのか。それならこの可能性を求める以外、どのような選択肢があるというのであろうか。

国立競技場の建設費(27年7月14日)

 毎年、何兆円もの石油や天然ガスの購入代金を中東に垂れ流す方が、よほど問題である

 2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設・整備費が当初より約900億円増え、2520億円となったという。五輪後に開閉式屋根などを設置すればさらに260億円増額される。これは、通常のスタジアムの4倍近い。
 あまりにも金がかかりすぎるということで、マスコミや「世論」は批判的である。

 しかし、そのお金はどこへ流れるのであろう。海外の婆さんデザイナーには1%もいかないと思う。大半は、設計、工事会社など日本国内で使われるはずである。無理してでも建設すれば、確実に日本の技術力は高くなる。それに、関連した機械、金属部品、IT、伝統工芸、芸術など大きな波及効果があるかもしれない。もちろん近隣の歓楽街は大繁盛である。大事なのは、それをはっきりさせることである。
 みな2500億円に目がくらんで、そのお金がどのように使われるのか、肝心なところが疎かになっている。

 大半が日本で消費されるなら、そんな目くじらを立てることはないのではないか。「金は天下の周りもの」である。日本にあるお金が無くなるわけではない。使ったお金は、日本人の誰かが受けとってまた消費する。
 もし一部特定の懐に入っても、海外に資産を移さなければいい。毎年何兆円もの石油や天然ガスの購入代金を中東に垂れ流す方が、よほど問題である。

決められない政治の再来(27年7月13日)

 周囲の状況を見ず、自分だけの領域に閉じこもる学者やメディアの論説には、断じて追随してはいけない

 政治が停滞している。2012年12月に、安倍政権が誕生したときに期待した政策が、遅々として進んでいない。
 主なものだけ挙げてみる。

靖国参拝をたった一度しかしていない
 一昨年の年末以来、一度も参拝していない。このままでは靖国の怨念が爆発する
憲法改正に道筋を立てていない
 解釈変更で集団自衛権を可能にするのはいいとしても、本筋を忘れてはいけない
原発再稼働が遅すぎる
 まだ安全委員会などに任せている。政治決断ができていない。
④最近では世界遺産登録での韓国への妥協
 また韓国へ、強請りたかりの材料を提供してしまった

 そして今、国会での新安保法案の成立がぎくしゃくしている。とても憲法改正どころではない。これらすべて停滞の原因は、政権そのものが軟弱なため、反対派を抑えきれないからである。

 その反対派は2つに分けられる。

 一つは、あくまでも「法理論」にしがみつく頭の固い机上空論者。これは、学者やインテリに多い。
 もう一つは、中国の代弁者として、日本を弱体化させようとするもの。中国に侵略されたいのであろう。ハニートラップに遭っているか、思想が中国脳になっている。
 前者の意見を言う人も、本音では後者の人が多い。

              似非学者
 
 これまで、国が大きな決断をしようとするとき、ことごとく学者は反対してきた。典型は、1951年のサンフランシスコ講和条約である。戦争状態を終結させるためにサンフランシスコで調印された日本と52か国連合諸国との講和で、ここから日本は独立を回復した。
 このとき学者の多くは、ソ連を含む全面講和を主張し、この講和に反対していた。

 その後の、自衛隊の発足、日米安保改定、海外派兵、PKO法案なども同じである。そのたびに、「これ以上はいけない」、「規則違反である」など、ことごとく反対の論陣を張ってきた。
 講和条約もその他の案件も、その後の冷戦から始まる世界情勢を考えると、学者の言い分を聞いていたら日本はどうなっていたか。考えると恐ろしい。ときどきの政治決断が、それを押しのけてきた。

 企業経営も国家も同じ「環境適応業」である。学者やそれにひき連られるメディアは、周囲の状況を見ず、自分だけの専門領域に閉じこもっている。良識ある国民は、そんなものに追随してはいけない。
 もちろん政治家こそ、ある程度の強引さが必要である。

昏睡強盗は是か(27年7月12日)

 オレオレ詐欺だろうが、どんな犯罪をした人にでも言い分はある

 出会い系サイトで知り合った55歳の男性会社員に睡眠薬入りのチョコレートを食べさせ、寝入った隙に現金などを奪った事件。昏睡強盗容疑で逮捕された東北薬科大の容疑者(23歳)は、「妻子がありながら、出会い系サイトで若い女性と会っているおやじたちを懲らしめたかった」と語っていたという。(7月9日河北新報記事より)

 これがドラマなら、「義賊」として拍手喝采を浴びる。たしかに、金に飽かせて若い女性を手籠めにしているのを見ると、いい気持ちはしない。

 どんな犯罪をした人にでも、言い分はある。オレオレ詐欺の場合は、「有り余る老人のお金を若い世代に移転して有効に使うのだ」という理屈も成り立つ。金持ちの懐を狙った犯罪なら、たいていのことは許されてしまう。
 まさに「盗人にも3分の理」である。

 しかしどう見てもこれは犯罪である。一歩間違えると、殺してしまうことにもなりかねない。そしてこの場合、お金でしか若い女性を買えない中高年男にも、同情の余地はある。若くて容姿が優れているだけで、無料で女性の「100人切り」しているほうが、理不尽で腹が立つではないか。
 「3分の理」はあったとしても、残りの「7分の理」で罰せられてしかるべきである。

ジャガイモ掘り(27年7月11日)

 人間の飽くなき欲望と、社会主義と自由経済との効率性の違いを、まざまざと見せつけられてしまった

 久しぶりの「農作業」。今日は「宝永を愛する会」で借りている坂井市の農場で、人海戦術でのジャガイモ堀りを行った。60歳から80歳までの高齢者が約20人。8時半から13時半までの5時間。炎天下での作業はさすがにつらい。よく誰も熱中症で倒れなかったものと思う。

 もっとも、一所懸命作業している人など一人もいない。人生の年季が入っているだけに、それぞれ自分の体調は心得ている。そうでなかったら、伊達にここまで生きてはいない。

 スコップで掘り起こしたジャガイモを、土を払って並べる。昨日までの長雨で土が湿っており、白く腐敗したイモが続々出てくる。青く変色したものも多く、3割ぐらいは使い物にならない。
 そのあと、拾い集めて袋詰め。腰をかがめたり、集荷場まで運ぶのが苦労である。その後、これまでの出席率に応じて分配する。私は、5キロ入りの袋を5個、25キロ貰った。5時間の「重労働」の成果である。

 のんびり芋ほり H27.7.11 最後のひと堀り H27.7.11  20人の半日労働の収穫 H27.7.11

 ところで、 
 午後1時過ぎになって、畑にはまだ取り残したイモが点々と残っていた。これを始末するには、あと1~2時間はかかる。真夏の暑さと疲労とで、皆うんざりしていた。

 ところが、その後15分もしないうちに、きれいに片付いてしまった。畑の中には何も残っていない。
 なぜか。
 
 取り残したイモは、集めた人が自由に持って帰っていいことにしたからである。あちこちに散らばっているため、とても集めきれないだろうと思っていたイモが、どんどん片付いていく。私はそんな元気はなかったし、その作業を行った人は全体の2割もいない。恐るべきパワーアップである。なかには、全体の分配分以上に採取した人もいた。
 人間の飽くなき欲望と、社会主義と自由経済との効率性の違いを、まざまざと見せつけられてしまった。まさか、あの腐ったイモまで・・・。

いじめによる自殺(27年7月10日)

 さっそく担任バッシングが始まったように、世の中にいじめは絶対に無くならない

 岩手県矢巾町で、13歳の中学生がいじめによる自殺を図った。痛ましい事件である。担任との連絡ノートには、『同級生にいじめを受けている』などと書かれており、悩んでいたという。

 その連絡ノートの担任のコメントが、あまりにひどいと問題になっている。死亡前、「もう死にたい」「死ぬ場所も決めている」との内容をノートに書き込んでいたのに、2重丸を付けたり、「研修楽しみましょうね」など、木で鼻を括る頓珍漢な返答をしたことが、マスコミに流れてしまったからである。教師という、恵まれた職業に対するやっかみもあるに違いない。
 たしかにこの担任教師は、ひたすら面倒から逃げるという姿勢が見え見えであった。学校の対応にも問題があったと思う。

 しかし、いくら担任を責めても、そんなものは後知恵ではないか。この担任の立場になって、「適切」な対応のできる人が、世の中にどれだけいることか。いじめ相手に手を出し、逆切れされる場合もある。連絡ノートにこのようなことを書いても、自殺までいくのはほんの一部である。あえて言えば彼女は、無能で教師という職業に適していないだけである。いま一番苦しんでいるのは、(世間のいじめに遭っている)この担任ではないか。
 
 そうはいっても、このような悲惨なことは無くす必要がある。根本は小さいときから、いじめに負けないだけの、打たれ強い人に育てることである。いつもこのような事件が起こるたび、加害者や担任、学校ばかりに目を向け、いじめに負けない人をつくることが、疎かになっている。
 さっそく担任バッシングが始まったように、世の中にいじめは絶対に無くならない。

 そしていま一番恐れるのは、この事件が報道されたあげく、日本中の連絡ノートに、「死にたい」などと言う書き込みが、いっせいに増えることである。オオカミ少年が増えると、ほんとの「被害者」が救えなくなる。

税金常識のウソ(27年7月9日)

 ややこしい税金計算を単純にして、払うための労力をもっと価値のある仕事に回した方がいい

 会社の経営は、「入りを量って出を制する」が原則である。つまり収入が決まり、その収入に応じ必要な支出を決める。売り上げの予測も立たないのに、投資だけ行っていたら会社は潰れる。
 さらに、売り上げ(収入)は市場が決めてしまうことが多い。だから支出は慎重にする。

 だが、公的財政はちがう。神野直彦氏は著書「税金常識のウソ」の中で、公的財政では「出を量って入りを制す」を原則とすると述べている。政治を行うためには、まずどんな公共サービスをするか、その支出を決める。そこから、必要な税金などを決める。もちろん限度はあるし、必要性の強弱も人によって異なる。

 その支出を決める場合、大雑把には「大きな政府」にするか「小さな政府」にするかである。  
 「大きな政府」の場合は、貧困層にも税負担を求める。その代わり恩恵は、全員にいきわたるようにする。「ゆりかごから墓場まで」の、北欧型政府サービスである。
 「小さな政府」は、累進課税である。貧困層には税負担を求めない代わりに、公的サービスも限定するしかない。多くを民間に任せる、「弱肉強食」のアメリカ型である。

 日本は中途半端である。だから、支出を税金でカバーする本筋の政治を行うことができない。したがって財政赤字が膨らむ。これが日本の財政赤字の原因であり、これについて神野直彦は悲観的で、もう修正はできないという。解決するためには、さらに複雑な税制を導入しなければならない。

 著者はこの本は、人々に税を「理解」してもらうために書いたと言っている。だが税知識の乏しい私は、あまりの税の複雑さに、理解を超えてしまった。いまでもこんなにややこしい税金なら、払わないほうがいい。税の計算をする労力を、もっと価値のある仕事に回した方が全体の利益は増える。財政赤字なら、いくら増えても問題ない

 もともと日本は中途半端である。きちんと働いてさえいれば、個人が豊かになる。貯蓄ができれば、だれかそれを借りて使わなければならない。企業ができなければ、国家が行う。国家がそれをやれば、永久にお金は回る。大事なのは、国家がお金を使うとき、きちんと分配できることである。

悲惨な事件を起こさないために(27年7月8日)

 怒らない、かっとならないためどうしたらいいのか、教えてほしい

≪大分・杵築市で住宅が全焼し焼け跡から子どもとみられる4人の遺体が見つかった放火事件で、子どもたちの父親で6日に逮捕された海上自衛官の男は「妻とトラブルになり油をまいて部屋の中で火をつけた」という趣旨の話をしていることが新たにわかった。妻とは言葉だけではないやりとりがあったとも話しているという。警察は、夫婦間のトラブルが原因の突発的な犯行とみて捜査を進めている。 7月7日 NNNより≫

 取返しのつかない悲惨な事件である。何より小さな子供が、4人も犠牲になったことが痛ましい。

 事件のきっかけはおそらく、40歳の父親が何かの拍子に突発的に頭に血が上り、前後の見境がなくなってしまったのであろう。普通は言葉のやり取りだけで済むところ、現実行動までに及んでしまったのかもしれない。よく「瞬間湯沸かし器」と呼ばれる人がいる。私自身もかっとなると何をするかわからないので、その気持が痛いほどよくわかる。

 怒り狂って制御できなくなったところに、たまたま大量の石油タンクが目に付いた。それをぶちまけて、火をつけたところで我に返った・・。少なくとも計画的な犯行ではないと思う。

 銃社会のアメリカは、もっとひどい。かっとなって見境がつかないところに銃があるのだから、それを使わない方が不思議である。これでは、銃による殺人事件は絶対無くならない。

 では、このような事件は防げないのであろうか。
 いろんな段階がある。
①まず、怒らない。かっとならないことである。
②かっとなったとき、早急に鎮める
③手に負えなくなった時のため、周りに危険物を置かない
④火事になったとき、すぐ消えるようにする
⑤けが人が出たら早急に治す

 もちろん、①や②で留めておくのが最高である。そのためどうしたらいいのかということが、周知されていない。知っている人は教えてほしい。

 それでも、どうしようもない人がいる。そんな人は普段からその傾向がある。いつかは必ず大ごとになる。難しいが、あらかじめ③や④の対策をとっておかなければならない。

ストーカーとヘイトスピーチ(27年7月7日)

 いびつではあるが、ストーカーもヘイトスピーチも愛情表現の一つである

 韓国の横やりで難航していた、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決定した。登録間際になって韓国は、「強制徴用」を施設の説明に反映させるよう求め、日本はその主張を踏まえ、歴史的な事実関係の範囲内で明示するとの立場を示していた。

 それにしても韓国はしつこい。この件については外務大臣同士で、決着がついていたはずではなかったのか。これをきっかけに徴用工問題に尾ひれがつき、抜き差しならない外交問題に発展する可能性も大きい。慰安婦問題と同じである。
 まさに、国を挙げてのストーカーである。

 ストーカーとは、特定の人に付きまとう人のことである。stalk(=こっそり追跡)し、何か機会があれば襲い掛かる。ヘイトスピーチより陰湿で、たちが悪い。

 ヘイトスピーチとは、ある事柄で対立している方の言論のことを、反対側が苦し紛れに発する定義である。「憎悪表現」」「差別的表現」「差別言論」などと訳されている。

 このストーカーやヘイトスピーチの対象になっている人にとって見れば、しつこく粘着されるのは、うんざりするしうっとうしい。どうか無関心でいてほしいと思う。

       厭なヤドカリ

 しかし、「愛の反対は憎しみではなく無関心」である。これはインドで、貧困と病気の人々を支援したマザーテレサの言葉らしい。

 夫婦間でも、最初は会話を盛り上げようとしていたのに、そのうち話が途切れがちになる。受け答えも、目を合わせることはない。どこへ行こうが、誰と出かけようが興味がない。帰りが遅くなっても理由は聞かれない。こうなったらおしまいである。喧嘩の方がましかもしれない。

 いびつではあるが、ストーカーもヘイトスピーチも愛情表現の一つである。虐げられている人々のガス抜きでもある。したがって、もしストーカーやヘイトスピーチが無くなったらどうなるか。もっとおぞましい事件続くであろう。

ギリシャ問題(27年7月6日)

 日本も同じ、まともに働かないで豊かな暮らしのできる世界などない

 EUギリシャが、IMFの2000億円を期限内に返済できず、事実上デフォルト状態となっている。金融支援の条件である緊縮財政を受け入れるかどうかの国民投票では、反対が多数となった。このままではEUの支援が止まる。

 EUは約20ヶ国で、ユーロという共通通貨を使用している。同一通貨を使用することによって、企業は為替の変動が避けられるし、消費者はユーロ圏内なら同じ通貨で買い物ができる。

 しかし、20ヶ国もが同じ通貨を使用しているということは、必ず落ちこぼれが出る。ドイツやベルギー、オランダなど、生産性の高い国と同じレートで競争しなければならないからである。
 したがって、このような問題は常に起こる。いくら金融支援を行っても、返済できるはずがなく、雪だるまに謝金が増える。定期的にデフォルトが発生する。

 1つの国の中での地域格差の場合、税金の配分でその格差を是正する。だが、国家間ではなかなかそういうわけにはいかない。支給するほうの国民が黙っていない。同じ国民ならともかく、同じ先進国である他国に対して、見返りなしの支援は難しい。

 根本的に解消するには、ギリシャが生産性の高い国になることである。或いは、ユーロ圏から離れ、独自の通貨を発行する。当然その独自通貨はユーロに比べ格段に安いから、ユーロを持っている人はギリシャで買い物をする。

 どちらにしても、ギリシャ国民は今の倍以上働く必要がある。まともに働かないで、豊かな暮らしのできる世界などない。
 これは、日本も同じである。

日本の勲章(27年7月5日)

 昨日、中学同窓生の叙勲のお祝いの席に出世した。児童福祉に46年間取り組んだ功績で、「瑞宝単光章」を受賞。皇居でのセレモニーなど、春からいくつも受賞に係る式典があったそうである。

 それでは、日本の勲章はどのようになっているのであろうか。

・大勲位菊花賞;我が国の最高位の勲章であり、旭日章又は瑞宝章より優れた功労のある人
・桐花大綬章;旭日章又は瑞宝章より優れた功労のある人
・旭日章;国家又は公共に対する功労者で、その内容が顕著に功績を挙げた人
・瑞宝章;国家又は公共に対する功労者で、長年にわたり従事し、成績を挙げた人
・文化勲章;文化の発達に関し特に顕著な功績のある人
・宝冠章;外国人に対する儀礼叙勲等特別な場合に、女性にのみ授与される勲章

 春の叙勲は、おもにこのなかの旭日章と瑞宝章である。旭日章や瑞宝章は、それぞれ大綬章、重光章、中綬章、小綬章、双光章、単光章までの6階層に分かれている。

 今年の春の叙勲は、旭日章及び瑞宝章を合わせて4,086名が受章した。福井県は30名である。ちなみに福井県で、中綬章以上(全国で370名)は一人もいなかった。有名人では、石原慎太郎氏が、国会議員、運輸大臣、都知事の実績をもとに、旭日大綬章を受章している。

 どんな章でも、貰えばうれしい。同窓生の中で、40年以上お好み焼き店を経営している人がいた。彼も叙勲に値する。私も、40年毎日欠かさず酒を飲んでいる。それでも酒が原因の病気になったことはない。そろそろお告げがあってもいいころである。

命よりお金(27年7月4日)

 命よりお金が大事な人は英雄である。 延命治療を受けないため、日本は救われる

 この間皮膚科へ行って水虫と疥癬の治療で、医院と薬局合計4000円を支払った。3割負担だから、ほんとは13500円かかる。これが年に3回。その他、PSAの検査に年3回、これは1回2000円ほどだから、病院の売上は6500円。
 これらを合わせると、およそ年間60000円で、自己負担分18000円。つまり、毎年42000万円を健康保険或いは税金から貰っている勘定である。

 それでも私は、その何倍も健康保険料を納めている。それに少なからぬ税金も払っている。消費税を入れたら、毎年数百万円?になるかもしれない。貰っている年金は、過去納めた保険料を超えていない。だから、今のところは社会に貢献している。
 この状態をあと何年続けられるであろうか。

 男性の健康寿命は70歳。あと4~5年である。人工透析でも始めたら、月50万円以上の医療費がかかる(その分誰かが大儲けする)。年間600万円である。保険だから、治療するほうも効率よく安価にできる方法を考えない。4~5年後にはもっと高くなる。

 私のように、命よりお金が大事な人は、そんな治療は受けない。後世にたっぷり??と、お金を残して死にたい。

オーバースペック(27年7月3日)

 99%がムダの塊である商品しか作れない、日本の電子機器業界が衰退するのは必然

 10年以上使っているデジカメ(LUMIX DMC-FX01)の調子が悪い。スイッチを入れても動きが鈍いし、まったく動作しない時もある。さすがにもうガタが来たのであろう。そこで、新しいデジカメを買うために、いまの商品の性能を調べてみた。日常や登山、旅行にもっていくのでそんなたいそうなものでなくていい。

 希望の仕様はつぎのとおりである。
①軽いこと。古いものが160g(電池、記録素子含む)だから少なくともそれ以下
②記録画素数は、1Mあるいは2Mが設定できること(このブログに掲載できるサイズが2Mまで)
③操作が簡単な方がいい
④ピンボケが多いので、手振れの影響が少ないものがいい
⑤フラッシュ、自動シャッターはあったほうがいい
⑥丈夫なこと(今使っているものは、購入してすぐ2回も修理に出した)
⑦画素数は少なくていいが、枚数は一度に1000枚以上撮れること(現在は1Mで2700枚)
⑧今持っているデジカメは4万円で買ったので、5万円までは出していい

 これだけである。
 ところが、電気店やカタログでいくら調べても、こんな性能の低いカメラなど売っていない。いまや記録画素数は2000万(20M)、少なくとも1600万(16M)画素もある。私が使っているカメラは最大600万(6M)画素。それも、100万画素(1M;1280×960)でしか使っていない。パソコン画面で表示させた場合、600万と100万とで、まったく違いがなかったからである。それに、記録画素数の少ないほうが、パソコン上でブログやその他の編集、メール送信などがやりやすい。紙にプリントしても、プリンターの性能が悪いので、画素数100万以上はまったく意味がない。
 
 現在発売中のデジカメは、完全にオーバースペックで、私の使用限界を超えてしまっている。なにより100万画素(1M)に設定できるものが見当たらない。なぜこんな無意味に画素数だけがどんどん伸びていくのか。メモリー容量に合わせたのだと思うが、人が感じる鮮明度をとっくに超越している。

 何も難しいことは言っていない。多少高額でもいいから、丈夫で低スペックのカメラが欲しいというだけである。
 携帯電話やスマホも同様で、音声通信だけの私には、99%ムダの塊としか思えない。買いたいのに買えない。これでは、日本の電子機器業界が衰退するのは必然であろう。

        デジカメ
 
 ちなみに、新しいデジカメを買うために情報収集していると、今使っているデジカメの調子がよくなってきた。新しいのに乗り換えて捨てられるのではないかと、危機意識を感じたのに違いない。

写真の修整(27年7月2日)

 南京大学の学者は、日本軍の虐殺や暴行の名目で、中国の現代史を暴こうとしている

 日本による中国侵略を記録した写真集が出版された。南京大学の教授を中心に編集され、抗日戦争と反ファシズム戦勝70周年を記念したものである。1894年の日清戦争から1945年の大東亜戦後まで、日本軍による虐殺や暴行の写真が、25000枚も掲載されているという
 人類数万年の歴史は、すべて殺し合いの歴史である。したがって、日中戦争時にも目に余る不適切な行為があったことは容易に想像できる。

 しかし、その日本軍による虐殺や暴行は、どの程度だったのであろうか。「被害国」である中国はできるだけ大きく見せようとし、「加害国」の日本は小さく見せようとする。
 中国は、人口が桁違いに大きい。何かあれば、「被害者」の数は一気に膨らむ。日中戦争とは比較にならない規模の「大戦争」も、頻繁に発生している。現代では、共産党と国民党との戦い、毛沢東の大躍進や文化大革命、それに天安門事件がある。日中戦争より新しいのに、これらの写真はほとんど見かけない。これらすべての「被害」を、日本軍になすり付けていると考えるとつじつまが合う。

 そもそも写真というのは、きわめて断片的な「事実」に過ぎない。正確な事実認定に必要な、5W1Hの要件を決定的に欠いている。だから、「写真集」といっても、本当に日本軍による虐殺や暴行かどうかは、誰にもわからない。とくに中国では、写真の修整など日常茶飯事で、世界一の技術を誇っている。それを真似た日本のニュース番組も、動画とテロップを変える編集を覚えた。こんなものが後世の証拠になるはずがない。

 誰にもわからないものを、すべて日本軍の残虐行為だとするのは、学術的ではない。もし南京大学の学者が、本物の学者だとしたらこんなことをやるはずがない。

 ではなぜ、今こんな写真集を出したのであろうか。
 じつは日本軍の虐殺や暴行の名目で、中国の現代史を暴こうとしたのではないか。この写真集には、中国内戦や文革の記録が多く含まれている可能性がある。今の北京政府のもとでできることを、精いっぱい行っている。

 そうならば冤罪被害者の日本人は、この写真集について、あまり神経質にならない方がいい。それでもできれば、時間とスキルのある人は、じっくりと写真の検証を行っていただきたい。

新幹線での焼身自殺(27年7月1日)

 なにも失うものがない人が増えれば、このような事件は頻繁におこる

 昨日、東海道新幹線の車内で「焼身自殺」があった。71歳の男が、ポリタンクの油を自身の体に被り、ライターで火をつけたという。本人以外に、巻き添えでもう一人亡くなった。

 ポリタンクといっても、まさか20ℓ入りではない。そんなものを抱えていたら、いくらなんでも駅員に止められる。せいぜい2ℓの灯油かガソリンでも、あそこまで大事になる。もし意識して他人に危害を加えようとしたのなら、もっと被害が拡大していた。爆弾だったら、列車そのものが吹き飛んでおり、中東の自爆テロ以上の犠牲がでる。

 いつも満員の電車やバスに乗るたび、この中に爆弾テロがいたら悲惨なことになると思っていた。たいていの人はそうだろう。まして鉄道関係者や警察が考えないわけがない。現に2004年には、スペインで時限爆弾によるテロで191人が死亡した。

 このような事件は、完璧に防ごうとするのは無理である。日本の新幹線だけで、年間3億人以上が利用している。これまで大規模な鉄道のテロ事件は聞いたことがないのが不思議であった。不謹慎ではあるが、その事故に合う確率は、宝くじに当たった人がもう一回当たるのと同じくらいではないか。

 これをきっかけに、日本でも手荷物検査をしようとする動きがある。
 だが、そんなことをしてもキリがない。人が集まるところはいくらでもある。鉄道でダメなら、別なところで事件を起こすだけである。また凶器はガソリンや灯油だけではない。いくら迷惑だといっても、人生で失うものがない人に対しては、何をやっても無駄である。

 ではどうすればいいか。
 私が警察なら、わざと事件を起こしやすいイベントや集会をつくる。そこで犯罪を起こさせ、もっと大きな被害を食い止める。それがなんであるかは、口が裂けても言えない。