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政治とカネ(27年2月28日)

 あれほど細かいお金の管理が必要ということは、一般人が政治家になることを阻む参入障壁である

 最近、大臣が「金銭スキャンダル」の集中砲火に遭っている。
 政治家が、お金のことで追及されることは多い。政治家までにならなくても、選挙に出ただけで金銭の扱いが問題になる。最近問題になった西川農水大臣、下村文部大臣、あるいは田母神氏がそうである。

 追及されると言うことは、なにがしかの法律に違反しているのであろう。
 そもそも、まとまった金が集まるからその出入りが問題になる。なぜかわからないが、政治には金がかかるからだ。

 ただその法律は、一般庶民の常識からかけ離れている。
 国会での答弁を聞いていても、何が悪くて何がいいのかさっぱり分らない。ここまで、常識とかけ離れている法律を守ることは、常人にはできない。いまの献金問題にしても、数十万円、場合によっては数万円の出入りが問題にされている。 
 悪意を持った献金者なら、簡単に政治家を落とし込める。

 こんなややこしいことを、シビアに管理できる人などいない。もしいたとしても、それにかかりきりで、政治などできやしない。まさしく本末転倒である。

 もしかしたら、これほど複雑怪奇な金銭管理が必要ということは、一般人が政治家になるのを阻もうとしているからではないか。政治家自身の既得権を守るために、わざと参入障壁をつくっているのである。
 追及するほうも、される方もグルになってやっているのに違いない。
 もちろん、まともな政策論戦ができない無能さをカバーするためである。
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汚染水の流出の公表(27年2月27日)

 今回東電が、「8か月も」経ってから公表に踏み込んだのは、ある意味英断である

 福島第一原発から港湾外の海に汚染水が流出していた、とマスコミが騒いでいる。東電が排水路の放射性物質の定期測定を始めた昨年4月以後、8月には通常の10倍以上の1リットルあたり約1500ベクレルを検出していたという。

 地元の福島県とくに漁業者は、流出を公表してこなかった東電の姿勢に反発している。とくに、8か月も事実を放置していた点を問題視している。

 もちろん、「8か月も」公表を遅らせていたことは、褒められたことではない。大した放射線でなくとも、一応(誰かが)設定した基準を超えている。
 汚染水漏れに限らず、不祥事が起きるたび、「なぜ今ごろ」・「発表が遅すぎる」という声が上がる。

 では、今回のように8か月ではなく。5か月ではどうか。昨年9月に1か月目の段階で発表していたらどうか。あるいは最大のスピードで、1日ではどうだったのか。
 おそらく、測定した後1~2日で発表したとしても、同じような批判が集中したであろう。「なぜ、直ちに公表しないのか」と。
 どっちみち、特定の人には必ず非難される。

 発表するのは人間である。誰からでも、批判されるのはできるだけ避けたい。それに、最初の段階では正確なことが言えない。そうこうするうちに、無情に時間は過ぎていく。ますます公表できにくくなる。
 今回東電が、「8か月も」経ってから公表に踏み込んだのは、ある意味英断と言っていい。10年経ってからより、10倍以上速い。

 おそらく、東電以外にも闇から闇に葬られようとしている「悪い情報」はいくらでもある。今回の場合は別として、時間がたてばたつほど事態が悪化することは多い。

 したがって、社会はミス(悪意とは違う)を許容する姿勢がなければいけない。ミスに対して社会からの反発姿勢が顕著になると、ますます悪いことが表に出なくなる。そのことの方が、はるかに怖い。
 他人の間違いに対し、非難や批判しかできない人は、最低の人間である。

 (そうはいっても、朝日新聞の36年目の記事取り消しは、いくらなんでも遅すぎる。これはミスではなく悪意ではあるが。)

爆買い(27年2月26日)

 「爆買い」で潤うのは、販売業者と安くていい商品を購入できる中国人観光客である

 円安で、日本に来る中国人旅行者が増えた。今年も19日に始まった春節で、中国からの観光客が次々と来日した。観光客がバスを連ねて、家電製品から化粧品、目薬、雑貨や菓子などを大量に購入する。訪日外国人向けの量販店は、このような「爆買い」の客でにぎわったという。

 小売り店舗にとっては、2月は売り上げが落ち込むだけに、ありがたいお客である。
 三越伊勢丹ホールディングスでは、18~22日の5日間の免税売上高が急増した。三越銀座店が前年比3.3倍、伊勢丹新宿本店が2倍となったという。また訪日外国客販売好調を受けて、子供服ブランド「ミキハウス」の三起商行は、従業員に総額3億円の臨時賞与を支給するという。

 たしかに、流通段階で活気が生じているのはいい。小売業者は、ものさえ売れれば儲かる。
 しかしこれがほんとに日本経済のためになるのだろうか。

 中国人が日本で電化製品を「爆買い」するのは、それが中国より安いからである。中国で例えば2万円で売られている同じ電気釜が、日本では1万円で買える。これでは日本のメーカーは儲からない。
 しかもこれらの製品は、ほんとに日本でつくられているのか疑問である。日本製でも、中国でつくられているものもかなりある。

 数年前、日本で「エコポイント制」が導入されたときも、省エネ家電はバカ売れした。
 ところが、小型から大型テレビに乗り換える人が増え、トータルで省エネにはならなかった。しかも国内でつくる家電製品は激減していたため、「エコポイント」による財政支出のお金は、かなり中国に流れてしまったという。結局、「エコポイント」はなんだったのか。

 「爆買い」でほんとに潤っているのは、いったい誰なのか。もちろん一番得しているのは、安くていい商品を購入する中国人観光客なのかもしれない。

展示会参加者に加点?(27年2月25日)

 どんな場合でも、少しでも客観的な評価のできる基準が多いほうが、公正さを保てる

 24日の福井新聞に、『来場なら補助金申請で加点』と題するコラム記事が掲載されていた。
 先週末、県産業会館で「福井ものづくり研究開発成果展」が開催された。県や国などから補助金等を受けて実施している、県内企業の技術や製品等の成果を発表するための展示会である。

 その際、県が展示会の来場を促すため、来場者には今後の補助金申請に加点するという通知(メルマガ)を出したという。このような地味な展示会は、なにか「エサ」がなければ集まらない。

 新聞のコラムによると、多くの中小企業者がこれにクレームをつけたそうだ。「補助金は申請書の内容で採択を決めるもので、展示会の参加者に加点するのはどうかと思う」と言うものである。

 それに対し県では、「展示会来場者のような、意識の高い中小企業者を応援したい」と言っている。これは当然であろう。
 そもそも文書審査が主流になっている最近の補助金申請において、内容の良し悪しなど、はっきりわかるわけがない。とくに、同じようなレベルの申請が並んだときどちらをとるか。そんな微妙な判定のできる人などいない。
 そうであれば、少しでも客観的な評価のできる基準があったほうが、公正さを保てる。これ以外にも客観的評価のできるものはある。

 県はクレームを受けて、来場要件を補助金申請の加点にすることをやめたそうだ。
 本来ならこれを問題提起にしたいところである。「ほんとはまともな審査などできない」という、痛いところを突かれたくないのであろうか。

ものづくり補助金申請書作成のコツ(27年2月24日)

 自分や周囲が納得できるストーリーをつくり、矛盾のない文書としてまとめることができれば、その事業の成功は半ば約束される

 今年も、26年度補正で1000億円規模の、ものづくり補助金が執行される。正式名称は「ものづくり・商業・サービス革新補助金」という。詳細は公募要領を参照していただきたい。補助金額は1件当たり1000万円までで、計算上全国で1万社以上の企業が採択される。これまでの実績から視て、福井県でも100社以上採択されるはずだ。

 文書審査だけで採否を決めるのであるから、はっきり言って、いい加減である(いくら厳密に審査しても、いい加減さが増幅するだけのような気はするが)。

 それでも、審査員をうならせるような申請書が書ければ、採択される可能性は大きい。
 本ブログの読者には、そのコツをほんの少しだけお教えしよう。

 ポイントは、公募要領の20~21ページの「審査項目」にある。おそらく審査員は、この項目に書かれている内容に沿って、評価点数を与える。だから、ここで要求されていることは、一字一句逃してはいけない。

 なかでも核心部は「審査項目」の中の、(2)技術面、とくに②、③である。

 ここでは、
②『技術的課題が明確になっている』ことと、『その達成目標が明確であること』
③『技術的課題の解決方法が明確かつ妥当であり、優位性が見込まれる』
     ことが、要求されている。

 この制度の特徴は、おもに機械設備の購入を支援することにある(コンパクト型を除く)。したがって、この補助金を受けようとする会社は、なにか機械設備を導入して、工程を改善しようと思っているはずだ。それがほぼ「技術的課題の解決方法」になる。ここまではだいたいわかる。

 大事なのは、なぜその設備を導入しようと思ったのか、その目的を明らかにすることである。まさにそれが「技術的課題」となる。
 一般には、市場や顧客ニーズ、社会的要請などを背景に、その企業が解決したくともできなかった「技術的課題」が発生しているはずである。つまり、「困っている問題を解決するときの阻害要因」が、「技術的課題」であると言ってよい(これがすべてではないが)。

 さらに、そのために導入する設備の性能や仕様、操作方法、とくに独自の工夫、他の方法との比較などを記述すれば、それが『技術的課題の解決方法が明確かつ妥当であり、優位性が見込まれる』ことである。
 その結果、『技術的課題の達成目標が明確』になる。これはできるだけ数値目標がいい。

 じつは、「技術的課題」には階層がある。たとえば、機械設備を導入して目的の製品や技術を目指すには、そこにもまた、いろんな技術的課題があるはずである。独自の工具や治具を揃えたり、環境整備、マニュアル整備、人材育成などである。このあたりが「ものづくり技術」の神髄となることも多い。

 ここの部分が、わかりやすくきっちり表現できれば、審査員への説得力が格段に増す。ほかの部分は、これをベースに書き進める。とくに「事業計画の概要」は、ここを100字程度にまとめたものである。
 あとは、申請書作成の基本原則に沿って書き上げる(すべての案件に適用できるわけではないが)。
 提出した後は、これらを評価してくれるいい審査員にあたることを願う。

 採択されるかどうかは、たぶん「運」もある。
 それでも、自分や周囲が納得できるストーリーをつくり、矛盾のない文書としてまとめる。それが事業計画そのままである。その事業は必ずや成功するであろう。

原発反対意見広告の大罪(27年2月23日)

 まさにこのような印象操作が住民を傷つけ、差別意識を生み出す
    原子力エネルギーの開発こそ、日本が生き残る最後のチャンスである


 先週土曜日(21日)の福井新聞に、『高浜原発 NO!再稼働』と題した、意見広告が全面で掲載された。スポンサーは、「意見広告市民の会」である。ここでは、原発の再稼働に反対する理由を7つ挙げている(下記の≪1~7≫)。あまりにも幼稚で能天気なので、反発する気にもなれない。
 それでもこの広告を見た人が、ほんとかと思ってカン違いする恐れがある。なにしろ全面である。そこで、この意見広告内容の誤りをざっと指摘したい。

 断っておくが、私は電力会社回し者ではない。純粋に日本の将来を考えるからこそ、わざわざこんな面倒な作業を行うのである。「蟷螂の斧」かもしれないが、意見広告に挙げられた7つのウソとインチキ、それぞれについて反論しよう。
               怪しからん

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年金減額訴訟(27年2月22日)

 厚生・共済年金は減額し、高齢者に対しての最低賃金は適用除外すべきである

≪特例を解消するためとして、年金額を引き下げるのは生存権を侵害し違憲だとして、鳥取県の年金受給者24人が17日、国の減額決定の取り消しを求め、鳥取地裁に提訴した。2月17日共同通信社より≫

 報道によると、鳥取を皮切りに各地で順次提訴し、全国で数千人規模の集団訴訟となるという。年金額は、物価変動などをベースに毎年度見直されるが、物価が下落しても減額しなかった時期があったため、本来より2.5%高い水準で支給されていた。この特例を解消するため、2013年10月から1%、14年度にも1%減額した。さらに15年度には、0.5%引き下げるという。

 しかし月3万円の国民年金ならともかく、15~20万円も支給されている人が、少しぐらいの減額に反発するとは、なんとも厚かましい。そもそも日本の年金は、世界最高水準である。さらに年金は、ほとんど税金で賄われている、ということが理解できていないのではないか。

 もちろん、この訴訟は若い人には評判が悪い。

≪もらえるだけいいと思えよ≫
≪訴訟する元気があるなら働いてくーださい≫
≪こいつらの利権を認めると結局うちらの利権が侵害されるから反対≫
≪物価に応じて支払ったら文句言うのならそれは老害だろ≫

 若い人のコメントにもあるように、不足があるなら少しでも働けばいい。いくら役に立たないと言っても、時給100円の仕事ならできる。いくら訴訟しても、付加価値は生まれない(弁護士が儲かるだけ)。

 資源のない日本が生き残るためには、高齢者と言えども、一生涯知恵を絞って働くしかない。そもそも年金が高すぎるから、高齢者が働かなくなったのである。

 したがって、年金(厚生、共済)はもっと減額してもいいし、最低賃金は高齢者に対しては適用除外すべきである。そうなれば外国人労働に頼る必要は、まったくなくなる。

選挙年齢の引き下げ(27年2月21日)

 選挙権者の年齢を引き下げるのなら、上限も設定したほうがいい

 選挙権の年齢を「18歳以上」に引き下げる公選法改正案が、もうすぐ衆院に提出され、今の国会で成立する可能性が高いという。平成28年夏の参院選から適用され、約240万人の未成年者が有権者に加わるそうだ。
 若い人が選挙に加わることで、多少は年寄りのための政治から若者のための政治になる。

 ただ240万人と言っても、選挙権のある人口のおよそ3%でしかない。その上若い人の投票率は少なく、高齢者の半分くらいしかない。
 これだけでは、若者の意見が政治に反映される割合は少ない。

 したがって、選挙権者の年齢を引き下げたのなら、上限も設定したほうがいい。100歳以上が投票するなど、ばかげている。70~80歳以上の高齢者は、選挙権をはく奪してもいい。
 そうすれば、相対的に若者の意見が反映する。政治に無関心であった若者の投票率が上がる。これまでのような、年寄り向け現状維持の政治から、未来に向けての政治に変わっていくであろう。

ものづくりからの復活③(27年2月20日)

 いま生きている人がよくなっていくためには、現実の世界を見ながら変えていくしかない

 前回に続き、藤本隆宏氏の「ものづくりからの復活」に含まれる、論点のいくつかを紹介しよう。

④TPPをどうするか
 藤本氏は、農業にも「良い現場」をつくることが必要だという。
 またTPPについても、中立の立場から、つぎのように述べている。
・単純な農産物の関税による保護だけでは、よい農業が残れないことは、歴史から明らか
・農業に、不可逆性、不確実性、外部性が伴う限り、自由競争で農業現場がよくなるわけでもない
・良い農業現場をつくるには、そのための特別な意思と知識が必要で、保護や競争だけでは不十分
・「すでに生産されたもの」の自由化には、原則賛成する。関税などの保護はしない
・「生産に至るまで」の間に、国が農業を支援すべきであり、これは保護主義という定義から外す

 TPPは交渉事であるから、うまくいくとは限らない。だが、有力な考えである。
 私自身も、TPPは仕方ないと思う。ここまで来て何もしないわけにはいかないし、農業を守るためには、少しくらいの熱湯がなければ、日本中のカエルが茹ってしまう。

⑤高齢者の活用
 少子高齢化が進み、生産年齢人口の減少が問題となっている。これを解決するには、①就業者の生産性を向上させる、②高齢者の就業率を高める、の2つの方法がある。これを同時にやる。
 すなわち、「良い現場」で長年仕事をしてきた「ものづくり現場のベテラン」に、他の現場(企業や産業)でも、良い設計の流れづくりができるような指導を行ってもらう。
 ただ、いくら「良い現場」のベテランでも、自分がやる場合と教える技術とは、まったく異なる。大企業と中小企業とでは、改善の環境も違う。そこで藤本氏は、「ものづくりインストラクター養成スクール」の開設を提唱し、一部実施している。すでに藤本氏の講座では、100人規模の修了生が活躍しているという。全国100人ではあまりにも少ないが、これが地域に普及しネズミ算的に増殖していけば、ものすごい数になる。すでに、群馬、山形、滋賀などで、はじまっているという。

 シニア層が、週3日のパートタイムでも働く場が生まれれば、現場の改善による生産性向上と高齢者の就業率向上で、国民の所得向上に大きく貢献することになる。


 藤本氏は、「ものごとは、それを見る高さによって異なる」と言う。
 たとえば、「日本がこの先どう生きていくべきか」を考える場合、選ぶ「立ち位置」によって、各人各様の答えがある。
 30万メートル(宇宙ステーション)から見おろし、日本の立ち位置を地政学的に考える人。3万メートルから日本経済の将来をみる、3千メートルから地域経済、30~100メートルからその産業や企業の将来を考える人、1メートルから家族のことだけを考える人もいる。

 藤本氏は、この本は現場系の実証経営学者の立場から、高度3~10メートルからみたものだと述べている。すなわち町工場2階の社長室や地方工場の設計室、プラントの制御室などである。まさに、地に足の着いた視点である。

 もっと上から見ると、いまモジュラー型製品(スマホなど)の爆発的普及で日本を圧倒している中国工場も、ここ10年ほどの「世界市場ニーズのシンプル化傾向」、つまり一時的な経済現象のおかげであったのかもしれない。今後世界の人々の所得の上昇につれ、日本が得意としてきた「インテグラル型」の製品が回復する可能性もある。
 もっとも、それまで日本の工場の多くが持つかどうかである。

 さらに上空から見た日本の行く末は、また異なるであろう。それでも、いま実際生きている人が、よくなっていくためには、現実の世界を見ながら変えていくしかない。

ものづくりからの復活②(27年2月19日)

 「インテグラル型」(おもてなし)のサービスも、国際的な「ハンデ」が無くなれば、大きな強みになる

 藤本隆宏氏の「ものづくりからの復活」には、製造業に関する数多くの論点が記載されている。その中のいくつかを紹介しよう。

①「良い現場」とはなにか
 藤本氏は、「良い現場」とは、≪高い生産性・品質・スピードによって、顧客へ向かう「良い設計の良い流れ」を生み出し、相対的に高い生産性・品質を達成する工場≫のことだと言っている。
 すなわち、「設計情報」を正確に、図面、金型、治工具、手順書などの媒体に転写して、よどみなく高精度で行うことのできる現場である。設計情報の転写が行われていない時間は、「在庫のムダ」や「手待ちのムダ」など7つのムダとして、徹底的に削減する。もちろん、顧客と企業の間を行き来する「設計情報」の流れと密度を確保し、不断に改善することで付加価値を高めていく。

 よく考えれば、当たり前のことをややこしい言葉で言っただけのような気がする。どうすればそれができるかが問題である。

②なぜ日本は「良い現場」を生み出したのか
 1950年台からの高度成長期、移民に頼れない日本は、出稼ぎ者を加えても人手不足であった。失業率が1%を切り、慢性的に労働者が不足した日本は、いったん雇った人は大事にしなければならなかった。そのため、とくに大企業において長期雇用が普及した。
 長く一緒にいると、コミュニュケーションが発達し、チームワークが良くなる。人手が足りなければ、一人が多様な仕事をこなして、多能工化する。また、企業間での分業が促進される。もちろん、少ない人手で効率を上げるため、数々の工夫が生まれる。
 こうして戦後日本には、調整力の豊富な統合型の「良い現場」が数多く生まれたという。人手が足らないからこそ、生産性の高い「良い現場」ができるのである。

 いま高齢者の介護のため、日本に移民を促進させようとしている人たちには、耳が痛いと思う。この分野は、まだいくらでも工夫の余地はあるはずだ。

③ものづくりはサービス業
 顧客が喜ぶ新しい設計情報を創造し、媒体に転写し、顧客へ向かう「設計情報の良い流れ」をつくることが「広義のものづくり」なら、それが「製造物」であろうと「サービス」であろうと同じである。
 企業が人工物を操作して無形の機能(サービス)を取り出し、機能のみを顧客に提供すれば、それはサービス業である(タクシーや美容など)。一方、製造業は消費者に人工物を提供するが、消費者はそれを操作して無形の機能(サービス)を発生させる。購入した自動車を運転してドライブを楽しむことがそれにあたる。これを「セルフサービス」と呼ぶこともできる。
 生産も消費も開発も、「すべてものづくり」であり、「すべてサービス」ともいえる。それらすべてが、世界を覆う設計情報の循環によって、互いにつながっている。だから、製造業とサービス業を区別することは、本質的な意味をなさない。現に、金融、ソフトウェア、電気エネルギー、放送コンテンツなど、区別が難しい業態が発生している。
 異なった言い方ではあるが、このようなことは、これまでも多くの人に言われてきた。

 ただ藤本氏は、日本の「おもてなし」は、サービスの中で典型的な「インテグラル型」だと言っている。そして、日本のサービス業の生産性が低いと言われるのは、その品質が良すぎるからである。とくにこの「インテグラル型」(おもてなし)のサービスにいえる。
 これはその性質上、これまで国際競争に晒されてこなかったため、正当な評価がなされなかった。これも国際的な「ハンデ」が無くなれば、大きな強みになる。

 藤本氏は、そこかしこに「設計情報」と言うわかりにくい言葉を使っている。「設計情報」とは、「顧客ニーズを具現化したもの=ウォンヅ」と同じようなものと思うのだが。
 そして、「インテグラル型」(おもてなし)のサービスは、具体的にそれをどのように国際競争の土俵に乗せるかが、日本企業にとって大きな課題であろう。
                                   (③へ続く)

ものづくりからの復活(書評)①(27年2月18日)

 賃金や為替などの「ハンデ」が無くなれば、「良い現場」を持っている日本の製造業は強い

 久しぶりに藤本隆宏氏(ものづくり経営研究センター長)の著書を読んだ。今回は2012年に発刊された、「ものづくりからの復活」である。藤本氏は、製造業を中心とした経営理論家である。とくにものづくりを、大きく「インテグラル型(摺合せ型)」と「モジュラー型(組み合わせ型)」に分けたことで知られ、「インテグラル型」に強い日本の製造業を評価している。

 ただ藤本氏の著作は、400ページ以上の「大作」が多く、読むには一大決心がいる。「ものづくりからの復活」も490ページあり、とても一気に読むことはできなかった。内容も繰り返しが多い(年寄りにはありがたいが)。また本文中、比較優位論の説明などに、記号の入った計算式が出てくるのには閉口した。短期記憶が低下した身には、いちいち記号の意味を覚えるのが苦痛である。

 それでもさすが、製造業理論の「大家」である。著書のそこかしこに、私自身もこれまで現場で体感してきたことが、うまく体系的に理論づけられている(だからどうした、と思うところもあるが)。
 とくに藤本氏が、この本で強調していたことは、日本には「良い現場」を残さなければならない、ということであった。

 藤本氏のいう「良い現場」とは、≪高い生産性・品質・スピードによって、顧客へ向かう「良い設計の良い流れ」を生み出し、相対的に高い生産性・品質を達成する工場≫のことである。日本の多くの工場は、円高や賃金差と言うハンデをなくせば、中国拠点の2倍以上の物的生産性を有しているという。
 とくに日本企業は、「インテグラル型(摺合せ型)」の製品に強い。後述するように高度成長期に高い生産性を得ることができたことと、「気配り」のできる気質のひとが日本人に多いためであろう。

 たとえばトヨタである。あまりにも優良すぎ、たとえにならないかもしれない。だが、この本が書かれた時期(2011~12年)を考えてみよう。リーマンショック後の大幅な需要低迷、1ドル70円台の円高、3.11大震災やタイの大洪水での部品供給不足、そして米国のトヨタパッシング訴訟事件である。
 さしものトヨタも、この4~5重苦によって5000億円もの赤字を計上するなど、業績は大きく悪化していた。並みの会社なら、とても持たない。多くの経済評論家も、大きすぎるトヨタの問題点を指摘していた。その時期である。

 藤本氏は、その内外の悲観論の中でも、トヨタを信じていた。トヨタは、ずば抜けた「良い現場」をたくさん持っていたからである。そして大企業にはまれな、「すばやく修正する力」を持っている。藤本氏は、トヨタの艱難辛苦はトヨタが遅れているからではなく、先を進み過ぎているからだと見抜いていた。

 そして藤本氏の指摘した通り、トヨタはみごとに復活した。
 今月4日に発表した2015年3月期の連結業績予想では、営業利益が過去最高の2.7兆円にまで達する。もちろん円安の影響は大きい。それでも「ハンデ」さえ無くなれば、いかに日本の製造業が強いか、ということの証明である。

 じつは日本では、このような「良い現場」が減少している。長引く「ハンデ」に耐えきれず、「現場」そのものが消滅しているのである。
                                                      (続)

移民と隔離政策(27年2月17日)

 曽野綾子氏のコラムの誤りは、アパルトヘイト(人種隔離)ではなく、移民受け入れそのものである

 曽野綾子氏の産経新聞に投稿した「労働力不足と移民」と題したコラムが問題視されている。
 このコラムで曽野氏は、労働力不足を解消するために移民受け入れを容認するとともに、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住むことを提案している。
 コラムでは最後に、≪人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい。≫と結んでいた。

 これに対し、アパルトヘイト(人種隔離)を許容する内容が含まれているとして、南アフリカの大使が、産経新聞に抗議を行った。
 コラムの善悪は別として、建前として抗議するのは南ア大使の役割である。抗議しなかったら、せっかく自国が苦労して、アパルトヘイトを排除してきたのが、水の泡になるからである。

 そして、曽野綾子氏の言説の大半は支持してきた私でも、コラムの内容には首を傾げざるを得ない。
 何がいけないのか。

 まず、移民を簡単に容認することである。
 藤本隆宏氏の「ものづくりからの復活」にあるように、高度成長期に労働者が不足した日本は、少ない人手で効率を上げるため、数々の工夫が生まれ「良い現場」が数多く生まれた。人手が足らないからこそ、生産性が高くなり所得が増えるのである。
 もし介護などの労働力不足を移民に頼ってしまうと、生産性は低下してしまい、国民一人一人の所得は間違いなく減ってしまう。

 また、移民を受け入れたときのもう一つの問題は、まさに国ごとの居住区がいくつもできることである。スラム街と言ってもよい。居住区ごとの格差が発生し、あらたな身分制度が生まれる。いま、中東や欧州で問題になっている。

 そもそも、生活文化の異なる人種が、同じ国の中に許容割合(せいぜい5%)以上共存することそのものが、大きな矛盾だと考える。曽野氏の言うように、現実には受け入れた段階で一緒に住むことはできないし、前述のように居住を分けるともっと大きな問題が発生する。

 したがって、曽野綾子氏のコラム論文のほんとの問題点は、アパルトヘイト(人種隔離)ではなく、移民の受け入れそのものにある。

危機的な日本のエネルギーバランス(27年2月16日)

 国民的センチメンタリズムに惑わされず、ただちに原発エネルギーの依存度を上げなければならない

 一国を維持していくのに重要なのは、食料とエネルギーの安定供給である。政治はこれを守るためにある。

 ところが日本では、いずれも自前では最低限の調達すらできない。食料自給率は39%、エネルギーに至っては、8.2%(資源エネルギー庁2013年)しかない。2010年(3.11前)の原子力エネルギーを入れても、19.1%である。この2つの生命線のほとんどを輸入に頼っている。

 食料はエネルギーさえあれば、何とかなる。それに自給率39%と言っても、廃棄ロスさえなくせばその倍はいける。少しくらい消費を落とした方が健康にもいい。

 問題はエネルギーである。
 エネルギーは経済活動そのものである。いまの農業も壮大なエネルギー消費によって成り立っている。なんと言っても、このエネルギーの安定供給が日本の一番の生命線となる。
 「電気より命」などと言うたわごとは、ボケのまやかしである。

 安定供給で最も大事なのは、リスクの「分散」である。できるだけ多くのエネルギー資源を使い、一つが失われても全体が持つようにしなければいけない。3.11後に原発がストップしても、エネルギー供給ができたのも、その「分散」がうまくいっていたからである。

 IEAによると、2010年の発電エネルギー割合のバランスは、つぎのようであった。
 ここで、①原発、②石炭、③石油、④天然ガス、⑤再生可能エネルギー他 (それぞれ%)
 日 本 ①24、②27、③13、④26、⑤10
 米 国 ①19、②49、③1、④21、⑤10
 韓 国 ①34、②43、③3、④18、⑤2
 中 国 ①2、②79、③1、④1、⑤17
 ドイツ ①23、②46、③1、④14、⑤16
 フランス①76、②12、③0、④0、⑤12
 欧州全体①25、②26、③3、④24、⑤22

 
 2010年度の日本は、ほぼエネルギーのバランスが取れていた。
 だが、2015年のいま、原発は日本で稼働していない。
 3.11後の2012年度は、日本の発電エネルギー割合は、①0.7、②23.4、③44.3、④24.5、⑤7.2 (資源エネルギー庁資料より)であった。化石燃料の割合が、92.2%にもなっている。もちろんすべて海外依存である。
 いま日本のエネルギーミックスは、非常に危険な状態にある。化石燃料の一部がストップしたら、目も当てられない。オイルショック以上の、悲惨な事態になる。

 ドイツも、今後原子力発電の割合を減らしていき、その分を②石炭と⑤再生可能エネルギーで賄おうとしている(ドイツの石炭残渣はトン当たり数千万ベクレルの放射線が発生しているのに)。ただ欧州全体のエネルギー割合は、かっての日本と同じようで、安定している。ドイツと日本では置かれている状況が全く異なるし、そのドイツでも再生エネルギーの負担に悲鳴を上げている。

 したがって日本の責任ある政治は、なんとしても原発エネルギーの依存度を、少なくとも全体の20%程度には上げていかなければならない。「放射能怖い」の、国民的センチメンタリズムに付き合っている余裕など、まったくないのである。

高浜原発再稼働(27年2月15日)

 京都・滋賀の反対で、高浜原発の再稼働が延期にでもなったら、日本はおしまいである

 原子力規制委員会は、先日(12日)、新規制基準に適合すると判断した関西電力高浜原発3、4号機について、原子炉の設計変更を許可したという。今後、再稼働に向けて最大の焦点は、地元の同意に移るそうだ。

 地元と言っても、福井県はともかく、30キロ圏にかかる京都・滋賀が口を出すかと思うとぞっとする。このように、日本中が権利を主張し出すと収拾がつかない。全員が沈没する。
 どうせ口を出すのなら、高浜原発よりはるかにリスクの大きい、中国原発の大増発へ向けたらどうか。中国沿岸で事故が起きれば、黄砂と一緒にややこしいものがいっぱい飛んでくる。

 それに再稼働すると言っても、まだ半年も先だ。
 まだこんなことをやっていたのか、とあきれるばかりである。日本では、やるべきことが、まったくなされない。すべて先送りである。よくこれまで持続してきたと思う。

 もし京都・滋賀の反対で、高浜原発の再稼働が延期にでもなったら、日本はおしまいである。

水素エネルギー(27年2月14日)

 水素を蓄えるには、原発の夜間余剰電力を利用するのが効果的である

 今朝のNHKニュース深読みでは、水素エネルギーを取り上げていた。今年は「水素社会元年」だという。燃料電池車などの水素技術では、日本は世界の最先端だそうだ。

 トヨタ自動車では、単独で保有する世界で約5,680件の燃料電池関連の特許(審査継続中を含む)の実施権を無償で提供する(もっとも、誰もが勝手に使っていいわけではない。具体的な実施条件などについては、個別協議の上で契約書を締結する)。
 国の予算もつき、燃料電池、水素エネルギーの開発には拍車がかかる。

 水素エネルギーでは、水素の保存及び、水素そのものをつくるためのエネルギーが課題になっていた。水素をつくるときに、使う時以上のエネルギーを使ったり、環境汚染を発生させたら、まったく逆効果である。

 そこで、水素をつくるのに、太陽光や風力などの自然エネルギーを使う。もともと、これらの自然エネルギーの弱点は、出力に大きなばらつきがあることであった。水素を溜めるだけなら、いくらばらついてもいい。自然エネルギーと水素エネルギーの弱点を、お互い補うことができる。
 それなら、原発の夜間余剰電力を利用するほうが、もっと効果的であろう。なにしろ自然エネルギーは、出力に比べて、装置をつくる投入エネルギーのほうが大き過ぎる。

 とにかく何でもいいから、化石燃料の使用を削減しなければ、日本はおかしくなる。なにしろ、化石燃料の輸入額は年間30兆円にもなろうとしている。日本がいつまでも、エネルギーに振り回されるのだけは、ごめんである。

中国の原発推進(27年2月13日)

 原発アレルギーの人が、中国原発の稼働予定地を見たら、卒倒するのではないか

 中国は今年から、福島第一原発の事故で凍結していた新規の原発建設を本格化させる。今後5年で発電能力を約3倍に増やすという。エネルギー需要と環境対策という困難な課題を抱える中国指導部は、原発大国化に向けて、大きなギアチェンジを行った。

 道路などの公共投資が一段落したいま、その膨大な成長エネルギーを、原発建設に向けたことになる。毎年、200万人以上が石炭火力による大気汚染で亡くなっている中国にとって、原発の推進は悲願であった。

 さらに石島湾では、高効率で安全性も高いとされる、第4世代の高温ガス炉の実証炉が着工している。これは世界初である。さらに、実用炉では最先端とされる、第3世代の原発もいくつか建造する。もちろん、高速増殖炉の開発も着々と進んでいる。

 日本が、原発アレルギーから「心筋梗塞」に罹っている間に、エネルギー分野でも中国にあっという間に逆転される。 その原発アレルギーの人が、中国原発の稼働予定地を見たら、卒倒するのではないかと思う。まるで、日本を攻撃するかのように、中国の沿岸部にずらりと並んでいる。まさに、日本に向けた核ミサイルである。

日本の殺人件数(2月12日)

 ほとんどの人が生命保険に入っている日本で、殺人事件がこんなに少ないはずがない

 日本は世界一安全な国で、犯罪件数は毎年減少している。たしかに、統計上はそうである。

 だが、ほんとにそうか。
 犯罪とは、警察が犯罪だと認めたものだけである。

 たとえば、殺人である。
 死因に犯罪性があったかどうか疑わしい場合には、司法解剖が行われることになっている。たとえば、事故に見せかけて、被害者に睡眠薬を服用させて海中に突き落としたことが疑われる場合、薬物検査が行われる。

 「司法解剖の実施」(H26年6月警察庁刑事局)によると、平成25年度に日本には年間17万件もの変死体があるという。 そのうち、犯罪の可能性があるとして司法解剖されるのは、8,000体ぐらいである。

 欧米ではどうなっているか。アメリカやイギリスでは4~50%が司法解剖され、オーストリアでは100%近くにもなるという(ただ、ドイツは変死体の2%程度位に留まっている)。
 そしてオーストリアでは、司法解剖の結果1.3%程度犯罪だと認定される。

 したがって、日本で変死体のうち司法解剖されない16万人の1%、すなわち年間1600人程度は殺人の疑いがあるということになる。

 警察庁によると、2013年に起きた殺人事件件数は、939件である。ということは、実際にはその2.5倍以上あるのではないか。警察が事件にしたくないだけだと思う。

 そういえば保険金がらみで、周りの人がつぎつぎと亡くなるという事件が後を絶たない。その場合、最初の一人か二人のときは問題にならない。疑惑が発生するだけだ。5~6人殺されて、やっと大ごとになる。
 ということは、よほどあからさまでない限り、一人ぐらいなら闇から闇に葬られる可能性が大きい。ほとんどの人が生命保険に入っているような異常な日本で、殺人事件がこんなに少ないはずがない。

 それでも、多くの場合凶悪犯罪というのは、身内内での出来事である。ひっそりと殺された方が幸せな場合もある。

ハッカー集団「アノニマス」(27年2月11日)

 世界中のハッカーによるISIS攻撃は、空爆よりはるかに効果的な逆襲である

 ハッカー集団「アノニマス」は、イスラム過激派組織(ISIS)への報復として、彼らが使用するツイッターやフェイスブックのアカウントへの攻撃を宣言したという。
 『イスラム国』をウイルスとみなし、退治する作戦を展開するため、「『イスラム国』が使用するウェブサイトやメール、SNSのアカウントを攻撃し、個人情報を暴露する」と宣言。「『イスラム国』を決して許さない、『イスラム国』のしたことを決して忘れない」と強調したそうだ。

 前回このブログで取りげた「ISクソコラグランプリ」も、その一種であろう。
 これから世界中のハッカーが、ISISを標的にする。ISISのメンバーの特定はもとより、いままでのような人質画像は乗せられなくなる。
 空爆より、はるかに効果的な逆襲である。

大雪とスギ花粉の季節(27年2月10日)

 雪国では、12月から4月までの5か月間、じつに人生の40%を憂鬱に暮らさなければならない

 大寒を過ぎたのに、久しぶりに大雪になった。朝見ると、家の前はざっと20センチ。敦賀では一晩に50センチも積もり、今朝は越前市との間で200台もの車が立ち往生したという。北日本上空には氷点下42℃以下の寒気が流れ込んでいるため、きょうも北日本から近畿の日本海側を中心に大雪が続くそうだ。

 数日前までは好天が続き、スギ花粉が飛んできたのか、鼻がむずむずしていた。また憂鬱な季節がはじまると思っていたのに、また冬に逆戻りである。

 といっても、本格的なスギ花粉の飛来は、もう時間の問題である。この時期の積雪は、溶けるのが早い。
 大雪にしろスギ花粉にしろ、大迷惑である。雪国では、12月から4月までの5か月間、じつに人生の40%以上を、憂鬱に暮らさなければならない。私がこれを「超越」できるころは、もうこの世にいないのではないか。

(追)
 さっき除雪車が来て、大きな雪のブロックを家の前に置いて行ってくれた。やっと人力で除雪してきちんとならしたところなのに。ショベルカーの雪の塊は、重すぎてスコップで運べない。おかげで車を出すのに、一苦労した。大迷惑である。そのうえ固めていったので、雪が溶けなくなってしまう。始末に困る。
 枝線でこの程度の雪なら、除雪しないほうがいいのに。

旅券返納命令(27年2月9日)

 どうしても行きたいなら国籍を離れるべきである。「わか者、ばか者、よそ者」を容認するといっても、ほどがある

≪シリアへの渡航を計画していた新潟市の男性フリーカメラマンが外務省から旅券の返納を命じられ、男性が命令に応じて提出していたことがわかった。邦人の生命保護を理由にした返納命令は初めて。同省は過激派組織「イスラム国」による人質事件を受け、シリア全域に退避勧告を出しているが、「渡航制限」という踏み込んだ対応は論議も呼びそうだ。  2月8日朝日新聞デジタルより≫

 外務省からパスポート返納命令を受けた新潟市の男性が会見して、「報道の自由、表現の自由、取材の自由、渡航の自由、著しく、著しく制限することではないですか」と日本政府を批判したという。

 これに対しネットでは、つぎのようなコメントで「炎上」している。

≪報道の自由のためには、自分が捕まったときに大勢の人に迷惑がかかろうが関係ない?≫
≪そこまで報道の使命に燃えているのならば、日本国籍を離脱して取材に向かえばよいのでは?≫
≪勝手に行って、捕まったら助けてくれ?報道マンは、人も迷惑を顧みないんですよね。≫
≪売り込みのパフォーマンスか?≫

 パスポートを返納させるというのは、初めてだという。前例踏襲しかできないお役人集団である外務省にしては、よくやったのではないか。コメントにもあるように、どうしても行きたいなら国籍を離脱すべきである。それなら外務省も文句は言わないはずだ。
 もし今回、おめおめと渡航を許したら、それこそ政府批判が燃え上がる。あげく捕虜にでもなったら、後世まで祟られるであろう。

 そもそも、ジャーナリストが危険を冒して取材をするのは、それを高値で買うメディアがいるからである。後藤さんのときも、「10分間300万円」など、危険地帯の映像相場が吊り上っていた。欧米では、メディアの自主規制によって、危険な映像は買わないようにしているという。

 いま、後藤さんの対応を巡って政府批判を繰り広げているメディアは、そのことには口をつぐんでいる。ほんとなら、メディアが後藤さんを死に追いやったようなものである。

 いくら「わか者、ばか者、よそ者」を容認するといっても、ほどがある。

日本酒の薀蓄(27年2月8日)

 NHKの取材がなければもっと盛り上がったかもしれない

 今日の午後、福井市養浩館庭園の「日本酒文化」講習会に参加した。講師は、舟木酒造の4代目社長である。少なくとも3~4合は飲んだと思う。
 いまは、酔っぱらいの原稿である。

 私がこの講習会に参加したのは、日本酒のことをもっと知りたいと思ったからである。
 私はほぼ毎日、日本酒を飲んでいる。50年近くも日本酒を飲み続けていながら、日本酒のことをほとんど知らない。
 日本酒は、どうやって作るのか、賞味期限はあるのか、なぜ酒米でなければならないのか、ほんとはいくらでできるのかなどである。日本酒の本を読んでも、すぐ忘れてしまう。
 このことを知ることで、うまい酒が飲めると思った。

 たしかに、酒蔵会社の方の説明で、日本酒についての造詣は深まった、と思う。

 ただ、講習会のつもりで参加したのだが、試飲が進み過ぎて酩酊にいたり、ついに何もわからなくなってしまった。あまりにもうまい酒が、つぎつぎと目の前にあらわれたからである。つまみの、サトイモ、かまぼこ、ラッキョウ、。小鯛のささ漬け、つくだ煮が、また美味しい。

 「酒は飲んでおいしく、その後も酩酊で価値を増幅させてくれる」稀有な商品である。あらためてこのことを実感した。参加料2500円は、その5倍以上の価値があった。同じような企画があれば、いくらでも参加したい。

  酒と肴 27年2月8日撮影    NHK撮影 27年2月8日養浩館

 ひとつ、問題がある。
 NHKの取材がウザい。それがなければ、もっと盛り上がったと思う。
 撮影の採光不足だと言って、寒風の吹きすさぶふすまを開放させたり、巨大なカメラレンズを、断りなく直接参加者に向ける。いったい、何様だといいたい。

 観測することで環境が攪乱してしまうという、物理学の基本法則を認識していないからであろう。
 それに、先ほど見た18時50分のニュース放映は、20秒足らずであった。3人で1時間余り撮影時間の、じつに0.5%以下である。平均年収1700万円、国内最高給取りのNHK職員が、如何にムダな仕事をしているかがわかる。

投稿原稿(27年2月7日)

 削除されたり言葉や言い回しを直されれば、もはや私自身の文章ではなくなる

 むかし、いろんな機関誌の編集をしていた。
 ときどき、他の人が投稿した原稿を改変した。文字数の調整や、場合によって見るに堪えない文章だと思ったからである。しばしば投稿者からクレームがついた。

 たしかに、自分が作った文を勝手に改ざんされるのはおもしろくない。
 改行や段落、字下げ、句読点の付け方、行間の取り方などすこしの違いだけで、文全体の印象が異なってしまう。

 私自身が投稿した文を、改変されることも多い。それがまたセンスが悪い。内容のカットや文章の書き替えはもとより、まったく異なるタイトルをつけられたこともあった(編集者は中身を読んでいない)。
 改ざんまでいかなくても、改行や段落の変更はしょっちゅうである。そんな簡単なことでも、文意が変わる。まして一部削除されたり言葉や言い回しを直されたら、目も当てられない。

 内容が過激すぎるといわれたこともあった。
 いくら私でも、一般機関誌に掲載するのに過激なことを書くわけがない。単なる見解の相違である。

              文書作成

 頭の固い人に過激だといわれるのは、

 「少し『毒』を盛り込んだ、歯切れのいい文章を」

 私はいつも、この方針で文章を作っているからである(なかなかうまくいかないが)。この方針を外れたら、もはや私の文ではなくなる。

 したがって、機関誌などに投稿するのはできるだけ避けるようにしている。このブログを書き始めたのも、それがきっかけであった。

ISISクソコラグランプリ(27年2月6日)

 憲法9条に縛られ、何もできない日本人にとって、これこそ外敵に対する最高の反撃である

 最近Uチューブなどで、ISISの動画に加工をした「ISISクソコラグランプリ」が評判である。
 これは、ISISが公開した動画に、アニメのキャラクターなどを合成して面白い画像を作り、検索用の目印を付けてツイッター上で公開したものである。日本語表記であることから、日本人が作ったものであろう。

 頭の固い日本人は、「また不謹慎なバカ者が現れた」と、頭ごなしに押さえつける。「日本人の面汚し」とか、「ISISを刺激して日本人が狙われる」などと、野党や退職外交官のようなことを言う人もいる。(こうして、バカ者・ワカ者・・を殺す)

 しかし、一部の海外メディアからは「テロリストにダメージを与える効果的な方法だ」と称賛されているという。この画像は、イスラム教全体ではなくISISだけを対象とした風刺である。襲撃があったフランス週刊誌のムハンマド諷刺画とは、まったく意味合いが異なる。
 それにISISには、なにをしても狙われる。常識は通用しない。

 そういえばかって、中国の反日デモなどで叫ばれる「日本鬼子」という日本人への罵倒に対し、「日本 鬼子 (ひのもとおにこ)」という萌えキャラを作って、中国人を萌えさせようとしたことがあった。イラストだけでなく鬼子人形も作られ、中国人旅行者のお土産にもなっているという。
 核攻撃よりも、効果的ではないか。

 私が見た限りでは、「ISISクソコラグランプリ」に出ている作品のセンスは、まだいまいちである。不謹慎といえば、そうであろう。それでも「グランプリ」だから、つぎつぎと「作品」が出品される。これからますます、面白い画像が現れると思う。
 日本の若者のセンスの良さが発揮される、絶好の舞台である。

 憲法9条に縛られ、何もできない日本人にとって、これこそ外敵に対する最高の反撃である。「座して死を待つ」のだけは、まっぴらである。

修理か買い替えか(27年2月5日)

 修理せずに、簡単に新品に買い替えることができる人が恐ろしい

 10年以上使っていたファンヒータが壊れた。
 スイッチを入れると黒い煙が出て、燃焼したかと思うと突然切れる。何回か入れなおすと、やっと動く。1~2か月前から調子が悪く、だましだまし使っていた。
 それが昨日になって、まったく運転しなくなってしまった。

 妻は、早速新しいファンヒータを買いに行こうという。何かうれしそうだ。
 たしかに修理に出しても、結構費用がかかる。新しい機種を買っても、最近の電化製品はそれほど高くない。修理費用より安いことさえある。同じぐらいの費用なら、新品を買ったほうがいい。普通はそう考える。
 それに、日本経済の活性化にも一役買える。

 でも、ほんとにそうか。
 新しいファンヒータを買うと、たしかにその電気店には、幾ばくかの利益が発生する。
 しかし、そのファンヒータは、日本でつくられているとは限らない。とくに、われわれが買うような中級品以下の商品は、中国製が多い。もし新しい商品を買っても、支払ったお金の大半は、中国に流れてしまう。
 もちろん、廃棄製品の処分は、国民全体の負担になる。

 一方で修理費用なら、いくら高くてもほとんど日本人の人件費である。すべてお金は国内で循環する。日本経済のためには、圧倒的にこの方がいい。それに、修理に出す人がいないと、日本で電化製品の修理ができるような熟練者がいなくなってしまう。

 
 そう考えたら、なかなか新しいファンヒータを買う気がしない。
 それに、簡単に新品に乗り換えることができる妻が恐ろしい。つぎは、自分の番かもしれない。

交通安全推進委員(27年2月4日)

 交通安全推進委員というのは、委員自身が事故に遭わないようにするため選ばれた人ではないか

 今日午後、交通安全推進委員の任命式に参加した。
 最初どんな活動をするのかの説明があり、その後定期総会、任命式であった。

 私にとってこれまで、交通安全協会はほとんどなじみがなかった。5年に一度の免許証更新時に、幾ばくかの協会費の寄付を要求され、不愉快な思いをするだけであった(もっとも、ここ数回は払っていないのだが)。

 説明会は、「福井県交通安全活動推進センター」の職員による、「地域交通安全活動推進委員」に任命された我々の活動上の留意事項、事故防止対策などである。
 ここで強調していたのは、近年高齢者の事故がきわめて多いということであった。死亡事故の半分近くが老人である。なにしろ高速道路では、信じられないルートを通って逆走する。

 もしかしたら、われわれ交通安全推進委員は、事故防止を働きかけるというより、委員自身が事故に遭わないようにするため選ばれたのではないか。よく見ると、半分以上が認知症になりかかったような老人ばかりである。
 あるいは私自身も、「危ない」老人とみられているのであろうか。

後藤健二さん殺害(27年2月3日)

 ISISの思惑に乗って、大々的なキャンペーンを張ったり政策批判を行う輩は、その手先である

 後藤健二さんの殺害を受け、世界中の日本人が動揺している。

 「日本の悪夢が始まる、場所を問わず日本人を殺りくする」と「イスラム国」がビデオで声明を出したことから、安倍晋三首相の責任論が持ち上がっている。

 ニューヨーク在住の、ある日本人ジャーナリストやその友人たちは、
 「海外で働いている私たちをどうして危険にさらすような演説をしたんだ」、
 「安倍のせいで狙われる対象になった」
 「彼を殺すことを真剣に止めようとしなかった日本政府に対しても、失望と絶望と憤りを感じます」
    などと述べている。

 元外務官僚や野党政治家からも、安倍首相の責任を問う声が出ている。
 安倍首相が後藤さん殺害声明を受けて、「テロリストたちを絶対に許さない」「その罪を償わさせる」と強気なコメントをしたことも、疑問視されているという。
                                         (以上 2月2日J-CASTニュースより)

 今日発売の「週刊ポスト」も、ひどいものである。もともと「ゴロツキ週刊誌」だとは思っていたが、早速「安倍官邸と大メディア“嘘の共犯”」、「無能な現地本部、官邸では“会議のフリ”の惨状」などの見出しが躍る。

 すでに、1月20日の誘拐発覚から殺害に至るまでの1週間余り、連日かなりの時間を割いて大手メディアが特番を組んでいた。ほとんど、この事件一色であった。殺害発覚を受け、一段と大きく取り上げられている。

 しかし、これこそがテロ犯罪者の思う壺である。
 「イスラム国」の狙いは、自身の存在を世界中にアピールし、人々に恐怖を植え付けることである。また、世界中に必ずいる一定程度の「落ちこぼれ」を、組織にリクルートすることでもある。
 そのためには、どんな形でもいいから世界中の人々に認知してもらうことが必要なのだ。

 したがって、上記のような政権批判やメディアの取り上げ方は、まさに「イスラム国」の思惑そのままであった。そんなに強力でない「イスラム国」組織を、実態以上に膨らませ、世界中の日本人にあらぬ恐怖を植え付けたのは、他ならぬ日本のメディアだったのである。
 
 「イスラム国」の思惑に乗って、大々的なキャンペーンを張ったり、政策批判を行う輩は、すでに「イスラム国」の構成員か手先だと思って、間違いない。
    (政権にとっては都合のいい理屈だが・・・)

芸術家の政治的発言(27年2月2日)

 「感性」を売り物にする芸能人・芸術家は、込み入った背景の政治的発言をするべきではない

 歌手の沢田研二が、1月20日のコンサート会場で突然ブチ切れ、会場を凍りつかせたという。
 彼はトークタイムで、長々と政治的な意見を述べた。痺れを切らした客席から「歌って~!」という黄色い声援がでたとき、「黙っとれ! 嫌なら帰れ!」と怒鳴りつけた。会場は、凍り付くような雰囲気に包まれたそうだ。

 もともと沢田氏は、「3・11」以降、反脱原発ソングを発表、12年の衆院選では山本太郎氏の応援も行った。ステージ上で「アッカン、アベ~」と安倍政権をからかうような発言もしている。

 彼に限らず、芸術家やアスリートたちは、「反体制」的な意見の持ち主が多い。「電気より命」と発言した坂本龍一氏、何かの授賞式で反原発を訴えた村上春樹氏などである。つい最近では、桑田佳祐がライブで天皇陛下をバカにした言動をとって、顰蹙を買っている。
             青臭い音楽家
 いろんな意見を持つのはいい。
 だが、彼らの(考える力のある)ファンは、彼らの作品を鑑賞したいのであって、独りよがりの政治的発言を聴きたいのではまったくない。政治問題については、国論を2分するものが多いだけに、ファンといえども反対の立場の人も多いはずだ。

 
 たとえば、原発・エネルギー問題である。
 この件に関しては、理論的なリスクや実質的なメリット・デメリットというより、いまや「感情」・「感覚」の問題にすり替わってしまった。

 「感情」だから、内容は未熟であり無知・無責任でもある。それでも彼ら音楽家や作家は、その「感情」を人々に訴える感性や技法に長けている。だから、「一流」になった。この「感情」を、卓越したテクニックで訴えられた観客は、それに流され、騙されてしまう。ある意味、詐欺である(むかし催眠商法というのがあった)。

 一方でエネルギー問題は、技術限界、人口増からの環境限界、科学的安全、貿易収支から国家財政、コスト限界、エネルギー安全保障、国民感情配慮など、多面的な知見が求められる。それらを集め、いくつかの実現可能性を検証する。その中から政治的な決断によってどれかを選択しなければならない。
 解決には、きわめてややこしいプロセスが必要である。

 このような、多岐にわたる専門的知見や政治・経済的背景をベースに議論しなければならない複雑な論点に対し、青臭い個人の「感情」を巧みに訴えられる国民は、たまったものではない。有名人であるだけに、影響力は大きい。簡単に、間違った方向に進んでしまう。

 したがって、「感情」・「感性」を売り物にする芸術家は、込み入った背景の政治的発言を発するべきではない。でないと本質が疎かになり、確実に国の行方を誤る。(もちろん、老害退相も同じである)
                ゴミ

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ブラック企業(27年2月1日)

 日本のブラック企業が、すべてホワイトになれば、日本は立ちいかなくなる

 昨日の私のブログの最後に、「資源のない日本が、これからも生き残っていくには、皆が死ぬまで働くしかない」と書いた。
 これは、つぎの3つの意味にとれる(日本語は難しい)。

①国民すべてが、一生涯働き続ける。
②日本の国民が死に絶えるまで(滅びるまで)延々と働く。
③皆が、死ぬほど苦労して働く。(ブラック企業を増やす)

 もちろん、私は①の意味で書いた。
 それでも、②や③を否定するつもりはない。いま問題になっているブラック企業でも、昔のホワイト企業より白いからだ。
 現代日本のブラック企業が、すべてホワイトになれば、日本は立ちいかなくなる。ホワイトばかりの、ゆでカエルのほうがよっぽど怖い。