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最後の仕事(27年1月31日)

 老人力を活かし、日本復活のため最後の御奉公に努めたい

 私は30数年前、中小企業診断士に登録し、これまで製造業を中心にコンサル業務にかかわってきた。
 この30年を振り返ってみると、残念ながらいまの日本には、働く力(供給力)が衰えてきたといわざるを得ない。ものづくり補助金などで、企業に設備資金を助成しても、そのお金は海外に流れてしまう。国内で機械設備をつくる企業が、少なくなってしまったからである。円安になるほど輸入額が増え、貿易赤字が膨らむのもその証左である。
 このことは、昨日も書いた

 デフレは需要不足から発生する。つまり供給過剰といわれていた。じつはその供給力は、輸入に頼っていたのである(そうなると、いまの政府のデフレ対策は根本的な見直しが必要である)。

 私自身もいまは、ものづくりの第一線に立つ力はない。そのうえ、わずかだが年金を受給することになった。そこで、いわゆる「年金診断士」のメリット(老人力)を活かし、日本人の働く力を高めるため、最後の御奉公に努めたい。
 天然資源や軍事力のない日本が、これからも生き残っていくには、皆が死ぬまで働くしかないはずである。
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効果的な財政出動(27年1月30日)

 公的資金を使った財政出動の効果、貿易赤字が増える。 よく内容を吟味する必要がある

 日本は、慢性的なデフレーションの状態である。
 これを打開するため、毎年膨大な財政出動を行っている。まさにいま国会では、補正予算審議の真最中である。そのためいまや、毎年の国家予算は、100兆円にもなろうとしている。
 経産省関連でも、企業に対する助成制度が目白押しである。いわゆるものづくり補助金のように、設備購入に対する支援制度も出てきた。

 それでも、せっかくの財政出動であるから、国内でお金が回るようにしたい。もちろん、政府の補助金が、直接海外へ支払われることは(ODAを除いて)ないはずである。

 ところが、国民の税金である政府の支出が、日本の企業をすり抜けて、海外へと渡ってしまうことが多くなってきた。
国内でのものづくりが、貧弱になってきたからである。

 財務省が26日に発表した2014年の貿易収支は12兆7813億円の赤字となり、3年連続で過去最大を更新した。前年は11兆4683億円の赤字で、赤字は4年連続である。
 原油安で赤字幅が縮小に向かうとはいえ、日本では赤字が定着している。円安になればなるほど、輸入額が増え、貿易赤字が膨らむ。

 このように、輸入が多いときには、財政出動の内容を吟味する必要がある。
 とくに、設備資金である。
 設備投資のための補助金制度を活用して、中国など海外メーカー製機械を購入する企業が増えている。おもな機械メーカーは、中国に移っているからだ。せっかく国が補助金を支給しても、実質的にそれを受け取るのは、国内企業が支払った先の、海外企業である。
 いくら財政出動でも、ザルに水を入れるようなものだ。

 そんなことがないように、助成金の支払先を吟味する必要がある。やむを得ない場合を除き、設備投資は国内メーカーに限るようにしたい。
 本来はもちろん、日本での供給力、とくにものづくりが復活することが根幹である。

3Dプリンタの課題(27年1月29日)

 多くの課題はあるとしても、3Dプリンタが世の中になくなることはない

 ここ数年3Dプリンタが、急激に脚光を浴びてきている。
 3Dプリンタは、作ろうとする形状の3D数値データを寸切りにして、各層ごとにおもにプラスチックを硬化させて、積み重ねていくものである。
 
 2000年代半ばまでは、数百万円以上の高額であったため、おもに企業などで導入されていた。その後、基本特許が切れて数万円~数十万円のものが発売され始め、個人や家庭でも導入されるようになっていった。2013年には、7万台が売られたとみられる。

 たしかに簡単な3Dプリンタでも、複雑な形のものを造形することができ、はじめて見た人はびっくりする。手術練習用の内臓模型、スキャナーと組み合わせての本人の立体像など、ほとんどの3次元形状を成形することができる。

 ただ、「どんな形のものでも作れる」、「これからは3Dを使いこなせないと時代遅れになる」、「大企業から個人の独創性の時代になる」、など過剰な期待も見られる。
 ほんとうに3Dプリンタは、モノづくりの革命になるのだろうか。

 じつは、これがほんとに実用化されるまでには、まだ多くの課題を解決しなければならない。

①3次元データ
 成型するためには、CADモデルが必要である。だが、そのデータ取得が難しい。
 出来合いの3次元データを使った編集はできても、まったく新しい形状の3Dモデリングを行うためには、専門的知識と3Dソフトが必要である。

②強度
 3Dプリンタは多くの場合、1枚づつ積み上げて成形していく。薄板積み上げのような構造のため、横方向の力は弱い。また使用材料も限定されているため、必要強度も制限される。

③表面粗さ
 積み重ね構造のため、プリンタ出力時は、その積み上げ跡が出てくる。後加工も可能だが、手作業でアセトンのような化学物質を使用する必要がある。

④材料コスト
 基本的に、形状にはかかわりなく大きいものほど高コストになる。
 まず樹脂材料費は、原材料よりはるかに高い。安いものでも5000円/1kgぐらい、高いものになると5万円/1kgする。

⑤時間コスト
 仕上げ工程を節約するため、積層厚さを薄くするといくらでも時間がかかってしまう。スピードを上げると段差が目立つ。
1個作る時間は、数十分~数十時間単位であり、量産によるコスト削減はない。

 3Dプリンタ市場というのは、まだ始まったばかりである。できることがどんどん増えていき、あらゆることが新鮮でユーザにとっては驚きの連続である。だが現実として、仕上がったパーツだけをみれば、従来のやり方でつくったものにはかなわない。

 これら多くの課題はあるとしても、3Dプリンタが世の中になくなることはない。とくに、試作品市場、限定数製造、医療、航空宇宙産業などの領域で成長していく可能性は大きい。今の時代に、数少ないイノベーションの芽を持つ技術である。
 3Dプリンタの持つ問題点を充分認識し、それをうまく使いこなしたところこそ、一歩先んじる。

人質事件の進展(27年1月28日)

 連日、新聞の一面を飾り、テレビではニューストップで報道されることこそが、「イスラム国」の思う壺である

 「イスラム国」に拘束された後藤さんとみられる人物の新たなメッセージが日本時間27日夜、インタネット上に投稿されたという。メッセージは、後藤さんとヨルダンで収監中のイラク人、サジダ・リシャウィ死刑囚の「1対1の交換」を要求である。交換に向けて、ヨルダン政府に圧力をかけるよう日本政府に求めている。

 これが難しいのは、ヨルダンにも「イスラム国」に拘束されたパイロットがおり、サジダ死刑囚との、捕虜交換を交渉しているからである。
 ヨルダンにしてみれば、他国である日本人の命より自国民を優先するのは当たり前である。

 したがって、ヤフーのネットコメントには、つぎのような意見が圧倒的であった。当然である。

 ≪日本政府はヨルダン政府に無理な頼みをしないで欲しい。≫
 ≪後藤さんは可哀想だが、テロリストと交渉すべきではないと思います。≫
 ≪ヨルダンには自国民の事だけを考えてほしい。≫

 万一、テロリストの言うままに交換が成立してしまったら、世界中から不信の目で見られる。
 さらに、ヨルダン人パイロットを犠牲にしたことになるから、「救出」された後藤さんも、まったく立場がない。その後、まともな精神状態ではいられないであろう。

 もっとも、あのようないびつな要求を突き付けてきたのは、件のパイロットはすでに殺害されているからかもしれない。われわれ一般国民は、テロリストなどを相手に、まともに考えない方がいいのではないか。

 それにしてもここ1週間は毎日、このニュースが新聞の一面を飾り、テレビではニュースのトップで報道される。
 これこそ、「イスラム国」の思う壺なのである。(この記事も?)

 そしてこれが、あの民主党政権のときだったらと思うと、ぞっとする。頓珍漢な対応で、国民いや世界中から顰蹙を買ったことは目に見えている。

格差拡大(27年1月27日)

 格差が縮少するのは、世界秩序が破壊されるときしかない

 オックスファム(NGO調査機関)の最新報告によれば、世界で貧富の差が拡大しており、このままだと来年には、最も裕福な上位1%の人々の資産合計が、その他99%の資産を上回る。
 具体的には、2009年に全体の44%だった上位1%の資産は、14年には48%に増え、1人当たり270万ドル(約3.2億円)に達したという。その一方、下位80%の庶民の平均資産は、3851ドルで、合計しても世界全体の約5%にしかならない。

 これは、ある意味当然である。
 どのような社会でも、秩序が成り立っていれば、経済格差は時間がたつにつれ広がっていく。縮まることはあり得ない。
 なぜなら、その社会の秩序は「強者」がつくるからである。その秩序をつくる人が、わざわざ自分が不利になるようなしくみにもっていくわけがない。

 したがって、この格差が縮少するということは、いまの世界秩序が破壊されたときである。
 たとえば、世界大戦で徹底的に国力を使い果たす、あるいは世界大恐慌でハイパーインフレになったときである。

 以前ニートの若者が「希望は戦争」と言っていたことがある。そんなことでもなければ、上位1%を引き釣りおろすことはできないからだ。もちろん「イスラム国」の台頭も、その流れである。

 だがそんなものは、放っておけばいい。上位1%がその恐怖に気がつくだけで充分である。

社会保障費をどうするか(27年1月26日)

 いくらでも国債を発行すればいいのだが、それは働く人に限定すべき

 安倍政権は、生活保護費のうち食費や光熱費などに当たる「生活扶助」の部分を、昨年8月から今年4月にかけて引き下げる。
 生活保護費だけではない。
 介護報酬も2.27%削減するし、年金も減額される。

 それでも2015年度予算では、社会保障費は30兆円を超え、昨年度より1兆3000億円も増えている。高齢化や雇用情勢の悪化などの影響で、生活保護の受給者数は、約220万人に達し支給総額も年3兆数千億円にのぼる。予算トータルは、100兆円近くになる。
 税収だけでまかなえるはずがない。

 したがって、巨額の国債が発行される。それはかまわない。
 だがその使い道は、働く人に限定すべきである。介護報酬の減額は問題であるが、年金や生活保護費はもっと減らしてもいい。

 年金は、現在の後期高齢者の支給額を激減させたい。
 受給者のレベルを一定にするためである。70歳すぎたら支給額を漸減させてもいい。これまで過大に支給されてきた高齢者は我慢すべきだし、高齢になるほど、生活費は少なくていい。

 生活保護費は増やしてもいいが、すべて貸付という扱いにする。そうしないと、働く気力が生まれない。一生ぶらさがりのままでは、貰う方もつらい。

ボーリング大会と駅伝(27年1月25日)

 ビリになる人は、それだけで他人を幸せにする

 今日、地区対抗のボーリング大会があった。2ゲーム行い、上位5名の成績で争われる。わが地区は、例年の倍以上14名の参加人数であった。そのため、はじめて団体総合3位入賞を果たした。

 私自身はいつも、1ゲーム100点を超えるか超えないかのレベルである。それでもゲームをしていると、どうしても他人の成績が気にかかる。私と同じレベルの人が、ストライクかスペアを出すと内心面白くない。もちろん表面上は祝福する。
 そんな人が、連続してストライクを出すと、もう劣等感の塊になる。

 反対に、明らかに低レベル(目標5~60点)の人がいると、それだけで優越感を覚える。そんな人がいるから、これまで大会に参加してきた。
 だだそういう人は、つぎには出ないか、翌年には上達している。そのため大会のたびに、私よりレベルの低い人を探さなければならない。
 ビリになる人は、貴重である。それだけで他人を幸せにするからである。

       ボーリング玉                ランニング 駅伝 

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イスラム国人質事件その後(27年1月24日)

 この事件は、あまり真剣に考えない方がいいのではないか

 イスラム国の邦人誘拐事件に関して、国内世論はほとんどが「自己責任」一色である。
 ところが、怪しげな人物がつぎつぎと登場するなど、この事件はおかしな展開を見せている。

 22日には、イスラム法学者で同志社大学の中田考客員教授が記者会見し、自分はイスラム国と交渉できると発言した。また、後藤さんの母親と称する石堂順子さんも、外国人記者クラブで、「世界平和のために」など、頓珍漢な記者会見を行っていた。自作自演説も浮上している。

 この事件は、あまり真剣に考えない方がいいのではないか。自らをアピールしたい「イスラム国」や、ニュースネタとして扇動するマスコミに、踊らされてはいけない。
 そもそも北朝鮮には、無理やり拉致された人々が、まだ大勢いる。その拉致被害者は、自ら危険なところに飛び込んで行ったのでは全くないのである。
 こちらの方が、100倍以上重要である。

不健康寿命と介護(27年1月23日)

 萎びた老人を10年以上にわたって、面倒を見ていくだけの余裕は、どこの世界にもない

 
 日本人の平均寿命は、男性80.21歳、女性86.61歳(平成25年)で、いずれも過去最高を更新した。ところが、健康寿命は、男性70.4歳、女性73.6歳(平成22年)である。健康寿命というのは、「日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間のこと」である。

 じつに10年以上にわたって、自立した生活ができない期間があることになる。もちろんその間、誰かが支えていかなければならない。
 特別養護老人ホーム(特養)など、介護施設の職員不足が大都市を中心に深刻になっている。

 子供ならいい。かわいいし、将来の楽しみもある。
 だが、醜い萎びた老人を10年以上にわたって、面倒を見ていくだけの余裕は、どこの世界にもない。介護手段の圧倒的な革新があれば別である。それがなければ、人手が必要である。ざっとみて、一人が介護できる老人は4~5人であろう。 つまりそれだけの働き手が、後ろ向きの仕事にとられてしまう。

 ざっくりと、年代ごとの働きをみよう。
 ①0歳~12歳(助けを必要とする)、②12歳~24歳(自分のことだけ)、③25歳~64歳(他人の世話ができる)、④65歳~75歳(自分のことだけ)、⑤75歳~85歳(助けが必要)

 5段階評価に近い。
 それでも、「③他人のお世話ができる」の人たちが、①と⑤の人々の面倒をみるとしたら、ざっと40人が20人の面倒をみることになる。団塊及び団塊ジュニア世代が⑤に入ったら、1対1ぐらいになる。

 30年後には、日本の生産年齢人口③のほとんどが、介護という非生産的な仕事をしなければならないのである。苦しいが、ここを乗り切らなければ、日本は潰れる。
 具体的には、若者は一所懸命働き、老人は早く死ぬことである。間違っても、移民を受け入れてはいけない。

 そして、団塊の世代が死に絶えた後には、バラ色未来が待っている。

著作人格権と曲(27年1月22日)

 著作権を持っている人は、ケツの穴の小さいことを言わないでほしい

 ヒット曲「会いたい」作詞家の沢ちひろさんが、沢田知可子さんのレコード会社と事務所を、著作者人格権侵害で訴えたという。沢田さんが、「会いたい」の原曲に英語の歌詞を付け加えたり、タイトルを改変したCDを発売したからである。

 これは、著作権の中の、「同一性保持権」を行使したものだといわれる。同一性保持権とは、自分の著作物の内容又は題号を自分の意に反して、勝手に改変されない権利である。
 かって、森進一が「おふくろさん」にイントロをつけて歌ったときも、その原曲の作詞家に訴えられたことがある。

                使用禁止

 しかし、こんなくだらない権利ばかり主張するから、音楽はつまらないのだと思う。著作権を持っている人は、そんなケツの穴の小さいことを言わないでほしい。つまらない原曲も、「カイゼン」を加え続けることで、そのうち見違えるような名曲に生まれ変わる。名曲でも、さらによくなるのは間違いない。「同一性保持権」を主張する人は、そのチャンスを50年以上も潰している。

 まして、替え歌を法律違反などといったら、庶民の楽しみがなくなる。原曲より替え歌のほうが、よほど面白い。

 そもそも、「同一性保持権」、いや著作権そのものを廃止したほうがいい。このような権利こそ、「レントシーキング」、すなわち規制既得権によって、上位1%が際限なく太っていく仕組みにほかならないからである。

イスラム人質事件(27年1月21日)

 ほんとに人命を大切にするのなら、犯罪人の要求は、絶対呑むべきではない

 イスラム国とみられる黒覆面の男が、日本人を盾に身代金要求をするインタネット画像が衝撃を与えている。人質は、行方不明になっていた千葉市出身の湯川遥菜氏(42)とジャーナリストの後藤健二氏(47)の2人である。
 「2億ドルの身代金を払わなければ72時間以内に殺害する」という。

 動画(合成だという話もある)で見る限り、後藤氏が毅然とした顔つきをしていたのに比べ、湯川氏はなんとも情けない顔をしていたのが印象的であった。
 湯川遥菜氏(42)は、昨年夏にイスラム国に拘束されたというニュースがあってから半年、すでに殺害されたと思っていた。自ら軍事会社の経営者として中東戦争に参加したのだから、これまで生きていたのが不思議であった。
 イスラム国は、騙しやすい日本人の人質として、なにかの機会を待っていたのであろうか。
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経営センスとは何か(27年1月20日)

 小規模企業こそが大経営者を作り上げる。支援機関は、「伯楽」にならなければならない

 経営はスキルではなく、センスであるという楠木健氏(一橋大教授)は、中央公論(26年12月号)で、つぎのように述べている。

①ビジネスマンには、「経営者」と「担当者」の2つのタイプがあり、カテゴリが異なる
②スキルを磨いてスーパー担当者になってもスーパー経営者にはなれない
③担当者にはスキルが求められ、経営者にはセンスが要求される
④スキルは部分における技能や知識で、センスは常に全体を問題にする
⑤スキルは努力し勉強すれば身につくが、センスを育てる体系的な方法はない
⑥経営者に必要なのは未改革の分野に乗り込んで、商売を立ち上げられる胆力を含むセンスである
⑦いくらスキルに優れた人がいても、このような経営者がいないとビジネスはうまくいかない
⑧経営者は育てるのでなく、育つような土壌の中で育つ
⑨具体的には子会社や事業部など、ビジネスを丸ごと行う組織で経験させる
⑩その事業の独立性は担保されていなければならない
⑪そのまかせる仕事の規模を、順次拡大していく
⑫その成功事例が、ユニクロや中国共産党、かっての自民党派閥である
⑬ソニーやパナソニックは、各事業での「経営者」が不足している(から低迷している)
⑭多くの企業の経営者は、「代表取締役担当者」にすぎない
⑮経営者の最大の仕事は、つぎの経営者が育つ土壌をつくることである

 この考えに、「なるほど」と思う人は多いだろう。私も納得する。

 では、小規模企業はどうするか。
 土壌を作って経営者を育てると言っても、小規模企業の場合は、いきなり「土壌」である。
 それに、いくら経営者にスキルはいらないと言っても、大企業と異なり分野ごとの専門スタッフがいるわけではない。小規模企業には、個別分野のスキルが決定的に不足している。それを補う、金融機関を含む支援機関、取引先などの支援がなければ、企業そのものが成り立たない。

 逆に言えば、その個別カテゴリーのスキルの支援さえあれば、小規模企業こそが本物の実践場となるはずである。経営者自らが、事業を拡大することによって、おのずとセンスも磨かれていく。
 下手な大企業の「土壌」より、はるかに恵まれている。
 本来ならば、小規模企業の経営者の中からどんどん「大経営者」が輩出されるはずである。

 もちろんそのような人は、若いうちから自らが大経営者になりたいと、強く思う必要がある。胆力と総合的な知見を身に着けたいと思う、強い意志である。それを可能にするだけの、多少の地頭もないと困る。

 支援機関(金融機関も)は、そのような人をきちんと見抜いて、適切な支援を行う「伯楽」にならなければならない。それがなされないのは、まさに支援するほうの怠慢である。

ある会議風景(27年1月19日)

 管理とは、「ルールを定めそれを守る」ことである

 ある会社の月次幹部会議に出席した。この会社では、ホテル、飲食店、人材派遣、介護サービスなどいろんな事業を多角的に行っている。
 その幹部会では、先月の総括事項(事業部ごとのクレーム、異常事態、連絡事項など)と当月の予定について打ち合わせを行っていた。

 そこでは、以下のような指摘を行った。

①数字の総括だけでは意味がない
 会議が始めると、いきなり先月度の総括を行っている。しかし、先月の会議での計画・予定・決定事項は何だったのかがよくわからない。
 日常の報告は報告として、まずなにか決めたことに対して、できたのかできなかったのかの反省が必要である。

②異常、クレーム対応
 クレームや異常に対する再発防止策も、その場限りの対応である。以前行った対策の実施状況や効果がさっぱり見えてこない。

③何がルールかわからない
 当社の問題点は、ルールが明確でなく周知されていないことである。


 管理とは、ざっくり言えば、「ルールを定めそれを守る」ことである。
 つまりこの会社では、管理というものがまったくない。その場での言いっぱなし、毎月同じことの繰り返しになっている。

 これを改善するには、意識してものごとを決めることと、その検証を必ず行うこと。それだけでいい。そんな当たり前のことがなされていないところが多い。

ヤブほど儲かる(27年1月18日)

 お金持ちほど、それまで世の中を搾取してきた人たちである

 成果が形として見えないサービス業は、お金に換算するのが難しい。
 とくに、サービスを受けるほうがお金を出さない公的業務の場合には、ユーザーは「太っ腹」になる。介護、医療などである。最近、税金を使った無料の経営支援もある。
その場合はヤブほど儲かる。いいサービスかどうかより、かかった時間や手数だけで、価値を判断するからである。

 たとえば介護施設では、介護利用者のリハビリを行う。ところが、リハビリが「成功」して、「要介護者」でなくなってしまうと、施設のお客さんが減ってしまう。
 完全に回復しなくても、要介護5の人が、要介護4とか3になっても、その分利用者の介護料金が下がり、施設の売り上げが減ってしまう。

 医者やコンサルタントなども、まったく同じである。適切な治療やアドバイスで、クライアントが早急に完治したり問題が解決すれば、実入りが少なくなる。

 問題が解決しなくても、消費する側がお金を使わないので、よほどのことがない限りクレームはつかない。最近医者の権威が失墜したので、医療クレームは多発しているが、単に症状が長引いただけでクレームになることはない。

 このような仕組みは世の中にごまんとある。むしろ「正直者」がバカを見ることが多い。

 したがって、お金持ちが必ずしも世の中に貢献しているとは限らない。人々を搾取したからお金持ちになったのだと思えば、彼らを羨むことはなくなる。

普天間移設抗議運動(27年1月17日)

 彼らが信奉する中国政府に見習って、公権力をもって強制的に進めたほうがいい

 米軍普天間飛行場の予定地である名護市辺野古で、資材を積んだ大型トラックや工事用重機などが米軍キャンプ・シュワブ内に入り、建設準備を進めている。
 先週もミキサー車など重機の搬入に対し、阻止しようとゲート前で抗議行動する「市民」らと警官がにらみ合いを続けているという。
 映像で見る限り、にらみ合いなどという生易しいものではない。
 「市民」らがデモの中で叫ぶ「ヤマトンチュー」排除は、人種差別のヘイトスピーチそのままである。

 沖縄の一部の過激「市民」グループが、ここまで執拗に基地移転を排除しようとするのは、背景に(米軍排除と沖縄侵略を狙う)中国の息がかかっているからである。だから、「市民」といっても、生粋の沖縄住民は少ない。中国「資本」の地元新聞も、それを煽る。
 彼らを応援する多数の沖縄住民は、彼らに煽動された甘ったれ駄々っ子にすぎない。

 「市民」グループの目標は、沖縄が独立し中国の「朝貢国」になることである。
 だから辺野古基地移転に限らず、沖縄が日本に属している限り、なにをしても反対運動は起こる。慰安婦問題と同じで、つぎつぎと無理難題を吹っかける。
 話し合いで解決することは、永久にできない。

 したがって、ここは公権力をもって強制的に進めたほうがいい。彼らが信奉する中国政府に見習うことも、方便であろう。

医薬分業(27年1月16日)

 医薬分業によって薬品の使用量が減ったのか? 医学会は、まだ深い闇に包まれている

 以前は、病院など医療機関へ行くと、必ず山ほど薬を抱えて帰った。
 医療機関が医薬品を販売する場合には、できるだけたくさんの薬品を処方したほうが儲かる。場合によっては、在庫処分のため不必要な薬をあてがう。したがって、病院へ行って治療してもらうと、帰りには持ちきれないほどの治療薬をもらっていた。
 たくさん薬をもらっても、すべてを使わない。薬のため病気にならないか心配で、半分以上は捨ててしまっていた。

 それが最近、薬剤販売が分離された後では、貰う薬は半分ほどになった。先日皮膚科クリニックへ行ったときも2種類、690円分の薬しか処方されなかった。以前の半分以下である(それでも多いと思うが)。

 最近は、この「医薬分業」システムの病院が多い。これは、患者の診察、薬剤の処方を医師が行い、医師の処方箋に基づいて、薬剤の調剤および投与を薬剤師が行うという形で、役割を分担することである。
 多くの個人病院では、医薬品の在庫管理や調剤の品質管理に不安を抱えており、調剤は薬剤師のいる薬局に任せたいと考えている。医薬品の品揃えが増え、医師が治療する場合の選択肢が増すというメリットもある。

 患者にとっても好都合である。薬剤は処方箋をもって薬局で購入するしくみとなり、医者は必要量だけの薬を処方するから、よけいな医薬品を買わなくてもいい。

 それに、病院の医者や看護師より、薬剤師のほうが薬剤には詳しい。また丁寧に教えてくれる。若手の医師よりも頼りになる。
 「医薬分業」は、いいことずくめのように思える。
 
 ところが、「医薬分業」によって薬品の使用量が減ったという話はあまりない。いったいどこへ消えたのであろうか。我々の知らないところで、誰かが儲けている。
 さらに患者の手間は、2倍になる。
 医学会は、まだ深い闇に包まれている。さらに根本的な改革が必要である。

鯖江の眼鏡製造(27年1月15日)

 これまで100年もの長い間培ってきた鯖江の眼鏡技術が、このまま衰退するとは思えない

 尹大栄氏(ゆん・てーよん;静岡県立大教授)は、彼の著書「地域産業の永続性」のなかで、鯖江と中国、イタリア・ベッルーノの世界3大眼鏡産地を比較し、イノベーションの観点から、なぜ鯖江が衰退したのかを考察している。

                眼鏡枠

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人口減少とコンパクトシティ(27年1月14日)

 災害が頻発すれば、不合理な地域はふるい落とされ、おのずとコンパクトな街に集約していく

 日本では人口減少時代に入り、これまで作ってきたあらゆるインフラが、あふれてくる。
 単にあふれるだけではない。
 空き家が増えれば、売ることも貸すこともできず、税金を払い続けるしかない。そもそも税金を払う人がいなくなる。維持持管理費用が出ないため、水道管が老朽化して水があふれ、道路や橋梁は危険で使われなくなってくる。

 そこで、できるだけ人々を中心市街地に集める「コンパクトシティ」構想が推進されている。富山市は、その先進地とされている。
 市街地のスケールを小さく保ち、上下水道や医療施設などを効率的に配置するとともに、歩いてゆける範囲を生活圏と捉え、コミュニティの再生や住みやすいまちを目指そうとするものである。

 問題もある。
 すでに郊外に住んでいる人は、簡単には中心市街地には来ない。商店街の魅力もなくなっている。
 現に、青森市や秋田市で、コンパクトシティの中核として建設した大型テナントビルが、相ついで破たんしている(福井市の駅前ビルも危うい)。成功事例とされる富山市でさえ、シンボルであるライトレールなど施設運営での赤字が膨らんでいる。中心商店街の売り上げも、この10年で半減したという。

 したがって、能力のない自治体が、無理やりコンパクトシティを計画すべきではないと思う。
 ある程度中央に道路や上下水道を整備し、郊外の農地や危険地域の新築を制限すれば、あとは「自然」が片付けてくれる。

 すなわち日本はこれから、地震や噴火など大災害が頻発する時期に入った。3.11のような大災害が、十年に一度は起こる。そのたび、不自然な住居はふるい落とされ、おのずとコンパクトな街や村に集約していくはずだ。
 浅知恵で、無理やりコンパクトシティをつくる必要はない。

 人口減少時代に向け、自然災害が頻発するというのは、なんと不思議なめぐりあわせであろう。

二兎を追う(27年1月13日)

 「二兎を追う」というのは、財務省を騙すための方便。3年後の増税も廃止だ

 安倍内閣では、経済成長(デフレ脱却)と財政再建の両方、すなわち二兎を追おうとしている。
 いったい、そんなことができるのであろうか。アクセルとブレーキを同時に踏んだら、どんな車でもスピンしてしまう。いまは財政出動で、思い切りアクセルをふかす時なのではないのか。

 これまで当ブログでは、日本国の財政赤字はまったく問題ないということを、何度も述べてきた。財政赤字が増えるほど国民が豊かになる。
 このことは単純に、「お金は減らない」という、「質量保存の法則」から導いたことである。

 経済理論的には、ラーナーの機能的財政論に近い。若手論客の三橋貴明氏なども、この論に与している。

 ラーナーは、つぎのように言う。
『国債は、自国民が購入する「内国債」である場合には、その金利は、国民の負担とはならない。国債の償還金の支払い先は、国民だからである』

 すなわち中世の君主国家とは異なり、日本は国民主体の国家である。したがって、国家が富を増やすより、国民が豊かになったほうがいいに決まっている。健全財政を目的とするのは、近代以前の君主国家の発想にすぎない。

 これを否定する人は多い。なかにはラーナーや三橋氏を、ぼろくそにこき下ろす人もいる。
 その論拠はつぎのようなものである。

①国債を償還するためには、税金をその分余計に徴収する必要がある。徴税分国民負担が増える。仮に徴税せず、通貨発行権で返済をしたら、大幅なインフレとなる。

②貯蓄が内国債以外のほかの資産に投資されていれば、税金など支払うことなく、元本と収益を受け取り、全額消費することができる。その差が、将来世代にとっての負担となる。

 しかし、この論拠はおかしい。
 増税分はそのまま、内国債の元利支払いに回るので、将来世代は(世代全体としては)課税された額と同額を受け取る。それにもともと国民は、貯蓄という形で国債を持っているのだから、現金で返済してもらう必要はない。現金をもらっても、その瞬間にまた貯蓄するだけである。消費しても、同じことだ。

 さらに、貯蓄を内国債以外の資産に投資したとしても、収益どころか元本すら帰ってこない可能性がある。収益があがっているためには、どこからか収奪してくるか、経済成長によってマネーが膨らんでいなければならない。これは、財政出動で経済成長しても同じである。そもそも国民は、どこにも投資や消費することがないから貯蓄する。そうすると世の中は糞詰まりになるから、政府がその代りをしているだけである。

 それに、負担だけが将来世代に残るわけがない。国民の個人資産は、確実に相続されている。有り余るほど持っている人が、相続税を払うだけだ。
 いったい何が問題なのか。

 それよりも、財政規律を重んじるあまり、財政出動を見合わせることの方がはるかに怖い。
 なぜなら、財政出動をなくして需要を減らすということは、働く場=供給力がなくなるということだからである。そうなれば、経済成長はあり得なく、国債以外の投資先もなくなる。
 供給力が毀損されるということは、将来破壊的なインフレになる。

 日本が自立していく以上の供給力さえ維持していれば、いくら財政赤字でも国家は破たんしない。何度も言うが、国の財政赤字は、国民の富に他ならないからである。

 したがって、経済の成長と財政規律、この二兎を追うことはできないし、する必要はまったくない。

 では、なぜ政府はこんなことを言うのであろうか。政略的に考えてみる。
 「二兎を追う」というのは、財務省を騙すための、方便と考えれば納得できる。
 増税しか頭にない財務省は、「税務査察」という強力な権力を握っている。これに睨まれたら、浮かばれる人はいない。税金の申告で100%完璧な人などいないからだ。自民党の議員には、それをちらつかせてあるし、総理大臣といえども、必ず弱みがある。まともに強行突破をすれば、必ず「脱税」査察が入る。

 そのため、財政規律を守るという方便をちらつかせ、財務省を黙らせるという「高等戦術」を使っているのである。もちろん、2017年の消費増税もあり得ない

欧州におけるイスラム教徒(27年1月12日)

 「10人殺せば極悪人だが、100万人なら英雄」となる世界は、絶対避けなければならない

 仏風刺週刊紙本社襲撃事件などのパリ周辺で起きた一連のテロ事件を受け、フランス各地で11日に行われた。同国のデモ史上最多の370万人が参加、このデモはドイツやアメリカなど欧米全体に広がっている。

 これだけデモ参加者が増えたのは、襲撃テロ事件を悼むだけからではないと思う。背景には、住民の間に拡散してきた、イスラム教徒への鬱積した思いがある。

 イスラム教徒は、毎日の礼拝や食物制限、女性のスカーフなど、他の国民とは異なった習慣を有している。いろんな場面での、価値観の違いも大きい。今回襲撃事件の発端となった、「表現の自由」でも、許容限界は相当異なる。

 そのイスラム教徒が、移民によってフランス国民の10%にも達している(移民全体では20%以上)。どんなものでも、10%を超えると影響力はブレイクする。出産率の違いから、この割合はますます増える。

 では今後、欧州はどうなるのであろうか。
 旧来のフランス国民にとって、他民族の浸透は、不気味である。多様な人種や宗教を受け入れている欧州社会も事情はよく似ている。
 そのため、欧米各国に反イスラム感情がじわじわ浸透している。
 孤立した一部のイスラム教徒は過激思想に染まる。このようなテロ事件は、今後も起こるだろう。各国はテロ対策を強化するが、問題の根は深く、簡単に解決するとは思えない。

 もっと恐ろしいことがある。
 今回の銃撃事件での死者は、10数人であった。だから、「テロ」として非難の対象になった。

 ところが、
 「10人殺せば極悪人だが、100万人なら英雄になる」
  というような諺がある。

 すなわち、宗教戦争である。イスラム国が、核爆弾などの大量殺りく兵器を保有したらどうなるか。それまで虐げられていたものの反動は大きい。遅かれ早かれ、大量殺戮を伴った大戦争が起こる。

 このような事態を避けるためには、価値観の異なる国とは、つかず離れずがいい。同化を導く移民はだめだ。絶対に避けなければならない

パリの射殺事件(27年1月11日)

 表現の自由といっても絶対的な正義ではない、全世界が欧米の価値観だと思ったら大間違いである

 先週、パリの風刺週刊紙シャルリー・エブドの建物で銃撃があって、12人が死亡した。その後も関連の事件が続いている。

 同紙は、イスラム教の預言者ムハンマドを題材にした風刺漫画を出版しており、イスラム原理主義者の反発を食らっていた。以前には、建物が焼き討ちに遭っていたが、同紙の編集者は、あくまで言論の自由を守ると言って、イスラムに対する風刺姿勢を続けていた。

 この事件に対し、多くの人は「言論の自由」を破壊した犯人を、一方的に非難している。とくに欧州では、「反イスラム運動」が勢いづき、それを支持する極右政党も増長するとの懸念が高まっている。
 たしかに、いきなり10人以上も射殺してしまうという行為は、あまりにもひどい。やり過ぎであって、現代社会のルールとして最悪の行為である。

 しかしほんとうに、射殺した犯人に一片の同情の余地もないのであろうか。
 以前も書いたが、いくら表現の自由だと言っても限度はある。諷刺画にかこつけて、自分たちの崇拝している神が貶められたのである。彼らにとって諷刺画は、日本の極右が行う「ヘイトスピーチ」の比ではない。それも一度や2度ではない。
 彼らの利益のために、継続的にいたぶられる方は、たまったものではない。

 風刺画を描いている人は、それによっていじめられる人々の気持ちになって欲しかった。欧米からは、過激派犯人を糾弾するだけで、その反省の声が全く聴かれない。
 表現の自由は、絶対的な正義ではない。世界中が欧米人の価値観で動いているのでは、まったくないのである。

山岳遭難(27年1月10日)

 万全の準備を整えて、完全武装で登山するなら、そんなものは登山ではない

≪新潟県湯沢町の「かぐらスキー場」で2日から行方不明になっていた東京都の男女のスノーボーダー3人が4日朝、神楽ケ峰(2029メートル)で県警のヘリに発見、救助された。手足に軽い凍傷を負っているが、命に別条はない。未提出の登山届を「出した」と申告して、コース外に出た3人は「雪に穴を掘って座り、寒さをしのいだ」と説明し「無謀さを反省している」と謝罪している。 5日スポーツ報知より≫

 遭難者に対し批判の声が上がっている。遭難事件が起こると、必ずつぎのような意見が出る。

≪助かって良かったとは思うが、アホ丸出しやね。こういった場合の救助は実費請求するべきで、
そうでもしないと無くならない。≫
≪自業自得だし、許されないことだよ。≫
≪いい歳してアホだね。きっちり救助代は請求して欲しいものです。≫

 たしかにこの遭難事件は、遭難者自身に責めを負わせるべきかもしれない。
 しかし、遭難事件すべてがそうではない。
                 冬山

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喫煙トラブル(27年1月9日)

 彼らをいくら非難しても、このような事件は無くならないし、環境変化は喫煙だけではない

 先日、JRの特急車内で乗客がたばこを吸ったことから、列車が止まったトラブルで、68歳の乗客の男が逮捕された。もちろん、タバコを吸っただけで列車が止まったわけではない。それをきっかけに車掌とトラブルを起こして、テーブルなどを壊したからである。

 喫煙トラブルはJRでは珍しい。以前より航空機ではしばしば、乗客が喫煙したために空港に引き返したという報道を耳にする。

≪何考えてるの?なんで喫煙するんだが。常識のかけらもない≫
≪いい歳して、常識もわきまえず馬鹿の一言。本当こんな馬鹿がいると腹がたつ≫

 現代の禁煙環境にどっぷり浸っている人は、トラブルを起こした人に対し、当然このような感想を持つであろう。
 喫煙を敵視する「禁煙ファッショ」は、あっという間に世の中に蔓延することになった。

 だが15~20年前までは、飛行機や列車内での喫煙などあたりまえであった。むしろ喫煙は、「カッコいい」とさえ思っていた人が多い。
 その認識が、半世紀もたたずに、ひっくり返ったのである。最初からいまの禁煙環境に浸っている人には、ほんの昔が理解できないであろう。

 したがって、この「急激」な環境変化についていけない人がいるのは、当然である。件の乗客は68歳であったという。まさに、喫煙時代の環境にどっぷり浸っていた人である。
 変化についていけず、鬱憤が爆発したのであろう。

 だから彼らをいくら非難しても、このような事件は無くならない。無くそうと思えば、その時代の人にいなくなってもらうか、我慢して病気になり引っ込んでもらう。あるいは、一定程度の「喫煙バカ」を障がい者として、受け入れるしかない。
 「人は60歳を過ぎたら死ぬのがいい」とは、けだし名言である。

 そしてこの環境変化は、なにも喫煙だけではない。

ひみ番屋街と善商へ(27年1月8日)

①「ひみ番屋街」
 氷見市の海沿いに位置するこの施設は、漁師が漁場近くの海岸線に作る作業小屋「番屋」をイメージしている。木造である。
 氷見漁港直送の魚を使った回転寿司、氷見うどん、氷見牛、氷見カレーなど、地元でしか味わえないさまざまな料理が味わえる飲食店のほか、地場で獲れた新鮮な鮮魚から、手の込んだ加工食品に至るまで、富山湾の海の幸を満喫できる店舗がずらりと並ぶ。また、キャラクターものや食のおみやげも多数取り揃えている。
 総合案内所や観光情報センターを含めて、飲食店を中心に35店舗がある。
 コンセプトショップの箔1氷見店、専業の販売店、みのりの番屋と称する野菜の産地直売所など、多種多様である。

 創立経費は12億円。半分の6億円は、資本金として市民、企業から集めた。ただ、配管や空調など、設備関係の多くをリース契約にして、初期投資を抑えたという。

 開業した平成25年には120万人、26年には115万人と、目標を上回る集客があった。それでも、運営書体の番屋街としては、それほど儲かっているわけではないと思う。冷暖房などの維持費も半端ではない。またこれからは、目新しさが薄れていく。どのように集客数の減少を食い止めるかが課題である。

 ひみ番屋街 H27.1.7 番屋街案内図 H27.1.7 番屋街内部店舗 H27.1.7

②宇奈月温泉
 年末年始の繁忙時期を過ぎたからなのか、あるいはもともと少ないのか、宿泊客のほとんどいない宇奈月温泉に宿泊した。我々の泊まったGホテルも我々12名以外、何人宿泊客がいたであろうか。女風呂の明かりが消えていたところをみると、少なくとも女性客が一人もいなかったのは間違いない。
 旅館数も、最盛期の半分にまで減ってしまった。

 宇奈月温泉駅 H27.1.8 宇奈月温泉街 H27.1.8   合同会社善商店舗 H27.1.8

③合同会社善商
 「合同会社善商」は、入善町商工会青年部創立を機に、その有志12名で組織された合同会社である。合同会社は2006年の会社法によるもので、有限責任の社員が一人でも、比較的簡単に法人を設立することができる。株式会社と異なり、所有と経営が一致している持分会社で、取締役のような制度はなく、全社員が出資義務を負い会社の業務執行にも当たる。

 その「合同会社善商」では、この町の特産品を発掘、研究、開発、販売している。
 「善商」という屋号は、入善町の「善」と商工会の「商」を合わせ、善い商いを目指すという意味である。
 そのなかの『入善ブラウンラーメン』は、 (財)富山県観光連盟主催 『富山のお土産ベストセレクション2011-2012』の農水産加工品部門において、最高賞の『知事賞』を受賞致した。このラーメンは、商工会青年部の50周年を記念して造られ、入善秘伝の味噌に濃厚な海老のエキスを加えた海老味噌スープに、入善町で造られた深層水使用の麺との絶妙なコラボレーションをなす。
 このラーメンを開発した人は、研究のためラーメンを食べ歩いたため、1年で25キロも太ったという。なにか、上勝町の葉っぱビジネスの仕掛け人を彷彿とさせる。

 もともと富山には、「ブラックラーメン」という激辛ラーメンがあった。このブラウンラーメンを機に、富山の他地域でも「ホワイトラーメン」、「イエローラーメン」など、カラーラーメンが続々開発されている。
 ブラウンラーメンはこれまで、年間3万食、4万食と売上げてきたが、最近はあまり芳しくないという。これも、マンネリをどう克服できるかが問題であろう。そもそも絵の具やクレヨンのような色つきラーマンなど、おいしそうだとは思わないのだが。

富山訪問 (27年1月7日)

 今日と明日、富山県の氷見、入善を訪問する

 氷見市は、富山県の西部にあり、人口およそ5万人。
 日本海側有数の氷見漁港には、四季を通じて156種類もの魚が水揚げされ、初夏の「マグロ」、冬の「寒ブリ」、そして「氷見いわし」は広辞苑に も掲載されるほど有名である。とくに氷見ブリは、鮮度抜群で脂がのり、その締まった身の食感ととろけるような味わいはまさに極上である。

 とくに新鮮な魚介類がいい。くら寿司、スシローなどの大手回転すしチェーン店が跋扈する前には、富山市内にこの地域の海産物を使った格安での回転寿司店がいくつも見られた。

 そのほか、日本ではじめて発見された洞窟住居跡「大境洞窟」や万葉の歌人大 伴家持ゆかりの史跡など、歴史のロマンにもあふれている。さらに近年は、市内各地で温泉が湧出し「能登半島国定公園・氷見温泉郷」の名称で PRしている。

 今日は、その氷見を凝集したような「ひみ番屋街」を訪問し、夜は宇奈月温泉で一泊、明日は入善にある「合同会社善商」を訪問する。

女性の美(27年1月6日)

 日・中・韓の3国の女性は、涙ぐましい「努力」をしてきれいになっている

 「世界で最も美しい顔100人」2014年版に、韓国人13人をはじめ日本人4名、中国人3名が選ばれたという。
 そういえば最近の女性は、ずいぶんきれいになった。とくに、日・中・韓の若い女性は著しい。
 それでも、私のような年寄りには、若い女性はみな同じ顔に見える。なぜなら、いまの女性の美しさは、人口の美であるからである。

 人によって好みは異なるが、「美女」であるかどうかは、誰が見ても大きな違いはない。そこで女性は、少しでも美しくなろうと、涙ぐましい努力をする。さすがに80歳では難しいが、20~30代までは相当程度効果がある。

 では、日・中・韓の3国の女性は、どのような「努力」をしているのだろうか。現代では、つぎのような伝説が生まれている。

  韓国の女性は、美容整形で美しくなる
  日本の女性は、化粧して美しくなる
  中国の女性は、写真を修整している

 若いときはいい。
 だが30年後、彼女たちが年を取ったときの反動が恐ろしい。並大抵の修正「努力」では、とても追いつかない。そのときには、どのような「お化け」伝説が生まれるのであろうか。

人生と酒(27年 1月5日)

 酒を飲むのは時間の無駄、飲まないのは人生の無駄(格言)

 ホストクラブでの売れっ子ホストは、つぎの3つのうちいずれかを備えているという。優先順位もこの通りである。

 ①面白い会話ができる
 ②女性が好むイケメンである
 ③酒が飲める  

 これは、なにもクラブのホストだけではない。社会や企業で注目され出世する人も、この条件を備えている。少なくともかなり有利である。ただ②(イケメン)は、その企業の顧客が男性であるか女性であるかで、効き目が異なる。

 そこで、私自身のことである。
 20歳すぎて社会に出ても、①コミュニケーション能力には全く自信がなかった。②は周囲から一目置かれていた?が、製造業に従事していたため、あまりメリットはない。むしろ職場の男性には、嫉妬される。

 あとは③しかない。
 会社の忘新年会や、飲み会には必ず参加した。他のいろんな団体も同じである。最初の10年くらいは、新米であるからあまり面白くはない。周りの人が親しい人と談笑しているのに、自分の周りには知っている人がいない。いても話が合わない。
 しかたなく、自分の席でひたすら酒を飲む。

 これを10年続けたら、さすがに宴席では、見知らぬ人と話ができるようになった。もちろん、人脈も増える。
 まさに、「石の上にも3年」、「酒は十の徳あり」、「酒を飲むのは時間の無駄、飲まないのは人生の無駄」である(都合のいいだけのような気がするが)。

 ただつぎの諺(昨年ある人に聞いた)は、半分も実現できていない。
 「酒と女は2ごうまで」

 その結果、いまの(とんでもない)私がある。

ボランティアガイドの薦め(27年 1月4日)

 年金を貰っている高齢者が働くことで、日本の国際収支が改善できる

 高齢者の働く場のひとつとして、「ガイド」業をあげたい。
 暇を持て余している多くの高齢者は、なにか仕事をしたい。仕事といっても、大したお金はいらない。少しでも世の中の役に立ちたい、人助けがしたいと思っている(思わない人は鬼である)。

 そうはいっても、金銭的なリスクは避けたい。いまさら、大金を出して投資するほどの元気はない。そこで、「ボランティアガイド」が注目を浴びている。なかでも「観光ボランティアガイド」は人気がある。

 「観光ボランティアガイド」は、地域を訪れる観光客に対し、無料若しくは低廉な料金で、自分なりのやり方でガイドする人のことである。自分の街を誇りとし、他の地域の人々との新たな出会いが楽しいという人たちである。
 昔からある観光ガイドとは異なり、プロではない。報酬もせいぜい、1時間1000~2000円、1日5000円~最大10000円、無料の場合もある。

 ありきたりの説明ではなく、裏話的な知識を吸収したい、新しい発見をしたいという観光客のニーズは多い。観光客自身のニーズだけではない。観光客を増やしたい自治体や、観光客の滞在時間を少しでも伸ばしたい関連事業者、新たな魅力を注入したい旅行社などのニーズもある。

 問題はある。本職ガイドとの棲み分けや、事業者と連携した場合の費用負担、課金の仕組み、組織内での人間関係などである。
 
 ただこれらは、どんな組織も同じである。長年事業界で経験を積み、年季の入っている人にとっては、それらの問題をこなすことなど、大したことではない。
 それよりも、それまで年金だけ貰って働かなかった高齢者が、働くのである。確実に、人々に価値をもたらす。その価値を受ける人は、もしかしたら海外旅行に行っていたのかもしれない。すなわち、日本の経常収支改善にいくらかでも貢献できる。

 この仕事は、多くの日本人に豊かな老後を提供でき、知識や経験の豊富な高齢者の仕事としても適している。

年金ボランティア(27年 1月3日)

 団塊の世代が穀潰しの「傘の雪」になったら、日本は潰れる

 昨年あたりから、いくつか無償ボランティアを行っている。国際交流協会の監査役、それに最近交通安全協会の保安委員を引き受けた。前者は年間3~4回協会を訪問しての会計監査、後者は月に2回ほどの交通整理を行う。そのほか、近隣自治会関連の役員。単発でのボランティアにもできるだけ参加している。
 仕事が少なくなって時間ができたのと、本格的に厚生年金を支給されるようになったからだ。
 

 年金と言っても、上の世代よりはるかに少ない(40年以上払い続けて月15万円)。それでも計算してみると、5~6年受給するだけで、これまで払った分が戻ってくる。そのあとは、すべて税金(及び今の世代の年金負担)である。

 あらためて年金は、税負担で成り立っていることがわかる。5年以上受給している人は、まるまる税金で養われている。払った分が何倍にもなって戻ってくる。こんなことが続くのであろうか。年金の受給は当然の権利だとして、当たり前のように受け取っている強欲老人の厚顔無恥ぶりには、言葉もない。

 毎月何万円も税金をもらって、何もしなかったら、「傘の雪」である。団塊世代が、穀潰しの「傘の雪」になったら、日本は潰れる。
 円安で大変だと騒ぐのは、何でも外国から買うからであり、日本人が働かなくなった証拠である。
 せめて、支給される税金分くらいは、世の中に貢献しなければと思う。

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初詣(27年 1月2日)

 慣習がはじけて景気がよくなるならいい

 最後に新年の初詣へ行ったのは、20年ほど前になる。近くの神明神社である。除夜の鐘が鳴るころ行ったら、すでに100m以上の大行列であった。横10人の100mであるから、2000人以上は並んでいた。真っ暗闇の中である。不気味で異様な光景であった。
 お参りするのに1時間以上も寒空に並び、風邪をひいてしまった。あれ以来「初詣」はやめた。

 初詣は、一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりするものである。なにも超混雑の新年早々に行かなくてもいいと思う。たぶん、人を見に行くのであろう。

 一般的には、三が日に参拝するのを初詣といっている。また、1月中の参拝も初詣とする考え方もあるそうだ。回数に関する規定も無い。多数の神社仏閣に参詣すれば、いろんなご利益があるという説もある。その場合、とくに神社・仏閣を問わない。
 要は、慣習である。神社・仏閣の「商魂」に乗っているともいえる。
 それで景気がよくなるならいいのだが。

平成27年元旦

 あけましておめでとうございます
 本年もよろしくお願いします


 このブログをご覧の方、今年はいい年でありますように

 謹賀新年  今年もよろしく 羊より  元旦の雪 H27.1.1

 外は大雪。といっても20センチくらい。
 今日は、朝酒を喰らって、また寝ます。おやすみなさい。