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夏休みの宿題(8月31日)

 宿題をやらなかったから、団塊の世代でも戦後の「民主」教育に染まらなかった

 たいていの学校は、今日が夏休み最終日である。
 私の小学校から高校時代、いつもこの日は悲惨であった。溜まりに溜まっていた宿題を、一気に片づけなければならないからだ。昔は宿題がたくさんあったのに、ほとんど何もしていなかった。「夏休みの友」をはじめ、学科ごとの「学習ノート」など、9月1日の登校日には、提出しなければならない。

 小学生の時には、我が家に下宿していた親戚の高校生に手伝ってもらったこともある。それでも31日は、お昼頃から夜中の2~3時ごろまでかかって、やっと仕上げた。小学生の身にとって、この時間まで起きているのは苦痛で、半分以上は適当な数字を書いてごまかしていた。あのとき「宿題代行業」があれば、利用していたに違いない。

 なぜか夏休みや冬休みの最終日は、いつも必ずこうであった。台風で大洪水になればいい、とまで思っていた。
 今でもトラウマになって、ときどきうなされる(じつは後年、仕事を溜めなかったのは、このトラウマのせいなのである。だからお金も溜まらない)。

 すなわち私の学生時代は、ほとんど勉強らしい勉強をした覚えがない。といって、何かに打ち込んでいたというのでもない。昼行燈のごとく、一日ボーッとしていた。それが癖になっていた。

 団塊の世代でありながら、戦後GHQの「民主」教育に染まらなかったのは、そのせいかもしれない。
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個人情報と人命(8月30日)

 この国では、人命よりプライバシーが大切なのか

 広島市の災害で、72人の死亡者全員の身元が判明した。まだ行方不明者が2名いるという。
 これでも25日になって、ようやく広島市が、土砂災害による行方不明者の氏名公表に踏み切った。災害発生から、すでに7日も過ぎてからだ。
 26日の毎日新聞の記事には、≪迅速な捜索とプライバシー保護の間で揺れた行政マンらの苦悩があった。松井一実市長は「私の責任でやることを決めた」と強調した。≫とあるが、なんと大げさな。

 たしかに怪しげな目的で、一時的に行方をくらましている人がいるかもしれない。
 それでも、そのために何百人もの捜索隊が、ムダな作業をすることになるのである。助けることができた人が、助からなかった可能性は大きい。
 実際、警察官が避難所を回るなどして無事を確認できた人が5人はいるという。その分の捜索がムダにならなければ、一人くらい助かっていたかもしれないのに。

 市によると、災害時に行政が安否確認目的で、多くの住民の個人情報を公表した例は、過去にないという。
 何のための個人情報保護なのか。人命よりプライバシーが大切な人はそういないはずだ。いったいこの国では、人命よりプライバシーが大切なのかとさえ思う。

残酷な反原発者(8月29日)

 自らの「安心」だけを追求する、臆病で残酷な利己主義者は、必ず後世、嘲笑と軽蔑の対象になる


 3.11後、恐れていた放射線の影響は、ほとんどないことがわかってきた。むしろ、鼻血がでるくらい元気になる人がいるほどである。まずがんにはならない。
 そもそも、すべての人はがん細胞を持っている。ちまちまと線量を気にすることのほうが、放射線の影響より、確実にはるかに悪い。
 
 原発を停止した場合には、経済損失や代替エネルギーによる汚染によって、その何百倍もの死者が発生する。石炭など化石燃料には、一定の割合(20~1000万ベクレル/トン)で放射性物質が含まれており、その廃棄物が野ざらしになっている。

 また、財務省が8日に発表した2014年上半期の国際収支において、海外とのモノやサービス、配当金などのやりとりを示す経常収支は、5075億円の赤字だった。比較できる1985年以降、上半期としては初めての経常赤字である。
 日本から急速に富が失われている。もちろんそれに比例して、命も失われる。

 そのため、ここ数年日本の死亡者数は、過去最多で推移している。

 海外での現実を見よう。中東のカタールでは、建設バブルによる労災で、ネパール・インド人が毎年何千人も死んでいる。その非人道ぶりを非難する欧米マスコミに対し、カタールの企業は、欧米人弁護士を高給で雇って反論している。
 そのお金は、原発が止まったからと足元を見られ、とてつもない額で天然ガスを買わされている日本が出しているのである。

 そしてシリア内戦では、政府側はイラン、反政府側はサウジアラビアやカタールが大きく加担している。この両者の共通点は、その豊富な石油からのオイルマネーで潤っていることである。お互いの陣営で、際限なく武器を膨らませ、際限なく人殺しをしている。いったい、何十万人が犠牲になったのであろうか。

 これらの元凶はいったい誰なのか。もう明らかであろう。
 周囲の実害に目をそむけたまま、自らの「安心」だけを追求する。反原発を唱える臆病で残酷な利己主義者は、必ず後世、嘲笑と軽蔑の対象になる。

 集団的自衛権に反対する人々にも、全く同じことが言える。

 ここでまた、マキャベリの君主論が出てくる。
 「われわれが常に心しておかねばならないことは、どうすればより実害が少なくて済むか、ということである。」

大西中将と特攻隊(8月28日)

 特攻隊は、確実に米軍に多大な被害を与えた。いつか、はかり知れない成果を日本にもたらす

 小川栄太郎氏の「永遠の0と日本人」では、この特攻隊を創設し、指揮を執った大西瀧治郎中将についても述べている。

 私はこれまで、若者を死地に追いやる大西中将の作戦に対し、どうしても嫌悪感がぬぐいきれなかった。特攻作戦なら、高齢者からやるべきだった。じじいの決死隊の編成である。
 だが小川氏の以下の文を読んで、少し考えが変わった。あの状況下では、特攻隊は若者でなければならなかったのである。

≪大西の真意を要約すれば次のようになるであろう。
 日本には、もはや戦争遂行能力はないが、終戦工作は極めて困難であり、下手をすれば内乱により亡国に拍車がかかる。
 インディアンやハワイの運命を思うと、無為のままアメリカの本土上陸を許して占領されれば、おそるべき奴隷化政策になる可能性がある。
 終戦工作のために、最後に一戦でも勝ちたい。それには特攻しかない。
 が、それでも99パーセント勝てない。
 だが、勝てずとも、必死必中の特攻作戦は、若者の国を思う至情によって陛下の御心を動かし終戦のご聖断が必ず下るであろう。
 その民族的記憶が、500年後、1000年後の民族再興の灯となるはずだ。・・・・・
 ・・・中略・・・

 戦争末期の大西は狂信的な徹底抗戦論者として、要路の人皆から忌避されるほど激しかった。
 そして陛下の終戦のご聖断を聴いた大西は号泣してこれを受け入れ、玉音放送の翌早朝切腹する。≫

 特攻が相手に与えた被害については、疑問視する声が多い。
 それでも、確実に成果を遺した。
 日本の特攻死4400人弱に対し、米軍の死者はそれ以上に及ぶ。沈没船が32隻、損傷を与えた艦は278隻に及んだという。米軍は隠していたが、通常攻撃の10~20倍の効率であった。米軍は一時退避も考えていたという。その場合には、日本の無条件降伏はなかった。あと一息であった。

 現実にはそこまでに至らなかったが、特攻がなければ、本土は米軍に蹂躙され荒廃の極みとなっていたはずだ。とてもパンパンどころではすまない。

 特攻隊ではないが、学徒出陣の結果、B級戦犯(捕虜虐待)で処刑された、当時28歳の木村久夫氏の遺書を紹介しよう。

≪日本は負けたのである。
 全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。
 今私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んで行くのである。これで世界人類の気持が少しでも静まればよい。
それは将来の日本に幸福の種を遺すことなのである。
・・略・・
 日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける。≫

 今の日本人は、若くして死んでいった彼らの意をどれだけ汲んでいるか。
 この遺書とともに、大西中将の遺書も、ぜひ心にとめてもらいたい。

特攻隊の遺書(8月27日)

 特攻で亡くなった人は、遺書に書いた通りの立派な「日本男児」として、いつまでも記憶してもらいたいと思っている

 「特別攻撃」は、大東亜戦争末期、万策尽きた旧日本軍が、窮余の一策として考え出した戦術である。操縦士が飛行機ごと突っ込み、敵艦を破壊する。九死に一生どころか、「十死零生」すなわち、出撃したらトラブルでも起こらない限り、必ず死ぬ作戦である。
 まともな作戦ではない。
 小川栄太郎氏の「永遠の0と日本人」では、この特攻隊についても言及している。

 特攻隊については、15日のフジテレビ・プライムニュース、16日の共同通信紙面上でも、特攻生存者がそれぞれの思いを語っていた。
 プライムニュースのゲストは、「特攻者は国の行く末を念じ、率先して行った」といい、共同通信社は「特攻は高尚なことではない」と語らせている。

 特攻隊でも、生存者含めて1万人以上にもなる。いろんな人がいるのは当然である。とくに生存者の多くは、GHQが作った「感化院」に入れられ、洗脳教育を受けたという。

 実際に出撃し、帰ってこなかった隊員の、ほんとの思いはどうなのか。その心の中は、生き残った人にはわからない。 
  
 彼らは、出撃に当たって多くの遺書や遺稿をしたためている。この真偽についても、疑問を感じている人は多い。これまで、現物や文献でこれらの遺書や絶筆を読んで、何かしら作り事めいたものを感じるという。軍には検閲があり、本心を書いてないのではないか。

  しかし、小川栄太郎氏はいう。

≪20歳前後の若者が、死を目の前にしてしたためた遺書である。それらが本音であるかどうかは、問題ではない。
 ・・略・・
 「明日、喜んで死んでいきます」と書いた、20歳やそこらの若者が、ピクニックやデートに行くような気持ちで、喜んでいるはずがない。遺書をしたためた夜、布団の中で号泣したかもしれない。そんなことを、家族や恋人に知ってほしいか、である。
 ・・略・・
 遺書に書いた通りの立派な「日本男児」として、いつまでも記憶してもらいたいと思うのが普通であろう。
 「死者をして、自ら葬らしめよ」
 これこそが、極限の死を選んだ特攻隊員への礼節ではないのか。≫

 まったくその通りである。
 曽野綾子氏が言うように、臨終は人生に1回しかない、最後の大舞台なのだ。それを名誉ある死として昇華できる機会は、誰にも選べるものではない。ある意味、幸運でもある。その誇りと名誉は、認めなければならない。

 知覧の特攻平和記念館や遊就館を訪問し、特攻隊員の遺書を見たら、だれもが涙する。20歳そこそこの若者が死を目前に書き残した文を見て、泣かない者はいない。

 遺書の内容が本心であろうとなかろうと、これこそ特攻隊員が望んだ「ありのまま」なのである。残ったものや、後世われわれの発する下司の勘繰りなど、許されるはずがない。


 それでも、その行為を「犬死」だったという人は多い。ほんとにそうか。
 それについては、次回述べる。

戦争より悲惨なこと(8月26日)

 過度に戦争を恐れると、もっと悲惨な事態がおこる。歴史の現実をよく理解したい

 小川栄太郎氏の「永遠の0と日本人」を読んだ。小川氏は、昭和42年生まれ、気鋭の文芸評論家である。文芸評論家らしい、さばさばした文体がいい。

 この本を読んで、つぎの2つについて、思いを改めた。
 一つは、「本当に戦争は悲惨なのか」ということ。そして、「特攻隊の遺書」である。

 まず戦争の悲惨さについて。
 古代から人類が実感しており、我々は疑いなく戦争は悲惨だと思っている。

 ところが、じつは戦争というのは、歴史上の悲惨な出来事の一部にしか過ぎない。下の大量虐殺のランキングを見ていただきたい。(数字は、『国土学再考』大石久和氏より抜粋)

 第2次大戦 5500万人  20世紀
 文化大革命 4000万人  20世紀
 モンゴル征服 4000万人 13世紀
 慮山の反乱 安史の乱 3600万人 8世紀
 明王朝の崩壊 2500万人  17世紀
 長髪賊の反乱 2000万人  19世紀
 スターリン粛清  2000万人 20世紀
 奴隷売買   4000万人 7~19世紀
 イギリスのインド支配 1700万人 19世紀
 ロシア革命、フランス革命、ナポレオン戦争、ポルポト内戦  それぞれ数百万人


 われわれは、「戦争は悲惨だ、2度と繰り返してはいけない」と刷り込まれている。なんといっても、圧倒的な第2次大戦の大量殺戮の経験が身に染みているからである。
 もちろん、大変な出来事であったのは間違いない。

 それでもこれは、欧州、中国、アジアそして日本、文字通り全世界の人々の間での惨劇である。

 それ以上に多くの人々が殺され犠牲になったのは、内乱での虐殺、革命における粛清、あるいは圧倒的優勢な国が弱小民族を蹂躙した場合である。この場合権力者は、控えめな数字しか出さない。それでも、戦時を上回る相当な数字があがっている。

 文化大革命、スターリン粛清、モンゴルの大遠征などは、その典型である。この表にはないが、中国のチベット・ウィグル征服もかなりのものだ。第2次大戦での死者も、中国での内戦や戦闘以外での死者のほうが圧倒的に多い。
 この場合、双方にそれなりの軍隊があれば、無差別殺戮は起こらなかった。

 第2次大戦末期に、日本民族が無差別爆撃を受け、原爆が落とされたのも、まともに軍隊が機能していなかったからである。

 したがって最も好ましいのは、強力な軍隊を有しながら、戦争をしないことである。集団自衛も必要である。いずれにしろ、自国を力で守ろうとする強力な意思がなければならない。
 そうでなければ、まちがいなく最悪の悲劇が起こる。

 現実の優先順位は次の通り。
①相手より少しだけ弱い軍隊をもち、戦争しない
②相手より強い軍隊を持ち、戦争する(もちろん勝つ)
③相手より少しだけ強い軍隊を持ち、戦争しない(軍拡競争になる)
④相手よりかなり弱い軍隊を持つと、戦争を仕掛けられる(途中で講和できればいいが)
⑤軍隊を持たないで蹂躙される(国と民族がなくなる、歴史が証明)

 国と国との戦争では、一応国際法がある。また軍隊同士での「対等な」戦いが、悲惨さに歯止めをかける。しかし「国内」における虐殺は、そんな歯止めもない。内乱などは表に出てこないから、実態はもっと凄まじいものであることは想像できる。
 したがって、「一国平和主義」の人が選択する⑤は、最悪である。

 たしかに、戦争は悲惨である。絶対に繰り返してはいけない。
 しかし、そのことだけを恐れていると、もっと悲惨な状態を招く。具体的には、日本が戦争を放棄して、中国かロシアに飲み込まれてしまった場合を考えてみよう。

 すべての個人財産は没収され、公用語で日本語は使えない。派遣された汚職役人に、ケツの毛までむしられる。
 発言・広報手段を取り上げられ、世界発信もままならない中で、いったい何が起こるのか。大躍進、文化大革命、チベット・ウィグル併合、スターリン粛清など阿鼻叫喚の世界である。
 われわれは、歴史の現実をよく理解する必要がある。

 『賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ』

アイス・バケツ・チャレンジ(8月25日)

 当分、柳の下に同じ泥鰌(どじょう)はいない

 筋萎縮性側策硬化症(ALS)の治療研究を支援する活動のチャリティ運動のひとつとして、「アイス・バケツ・チャレンジ」が広まっている。ALSの研究を支援するため、バケツに入った氷水を頭からかぶるか、アメリカの関連協会に寄付をする運動である。
 今年、アメリカで始まりソーシャルメディアを通し他国にも広まっている。各界の著名人や政治家も含まれており、寄付金増加やALSの認知度向上に貢献している。

 チェーンメールを送ることから、昔の「幸福の手紙」、「不幸の手紙」に似ている。というより、そっくりである。こういうものは、あっという間に拡散する。
 もし有名人が指名されたら、無視することはできない。大迷惑である。先日は安倍総理も指名されたという。

 したがって、おかしいと思う人が多くなってきた。
 アメリカの国務省も、在外の大使や外交官に対し、チャレンジに参加することを禁じる通達を出した。エイズやマラリヤ、エボラ出血熱などALS 以外の疾病に対しても国として支援を行われていることを挙げ、政府高官という立場の者が、ALSだけを特別扱いすることには問題があるからだ。(それなら旧日本軍の慰安婦も同じだろう)
 寄付金にしても、どこでどう使われているかわからない。赤十字と同じである。

 それでも、ALSの認知度向上には貢献した。広報戦術に長けていたからであろう。当分、柳の下に同じ泥鰌(どじょう)はいないだろうが。

広島の土石流災害(8月24日)

 もともと日本の住宅は、簡単に作り直せるように「紙」と「木」でできている

 広島市の土石流災害は、多くの国民を呆然とさせた。一つ一つの被害の深刻さは、3.11大津波に勝るとも劣らない。なにより国民を不安にさせたのが、あのような山のふもとの住宅は、日本中どこにでもあるということである。

≪命の危険が及ぶ場所に住み続けるのは、できれば避けたほうがいいと思う。土砂崩れの恐れがある山の側などは、田んぼや農地にすべきで住宅地にすべきではない。≫
 
 こういう意見もあるが、日本の人口が半分以下にならない限りできない相談である。
 それどころではない。
 津波、台風、竜巻、地震、液状化、地盤沈下、火山噴火、大雨、洪水、地滑り、土石流、豪雪、乾燥、大火、土壌(地下水)汚染、大気汚染、落雷・・・等々。

 これらの災害のうち、一つも心配ないというところがあったら、教えてもらいたい。

 日本の住宅は、むかしから「紙」と「木」の簡易なつくりであった。何年かに一度は、必ず災害で破壊され、建て替えることを前提としていたからである。

 その意味で、今の一般住宅は中途半端である。3~40年で更新するかと思うと、200年住宅を推進している。
 いっそ、今の半分以下の工期と価格で、10年後には建て替えることを前提とした住宅があってもおかしくない。とくに老い先短いものにとっては、都合がいい。


(追)じつは建設技術で最も難しいのは、丈夫で短寿命のものを、低価格でつくることである。この技術を開発した企業は伸びる。

ツィート批判(8月23日)

 批判されただけで前言を覆すなら、議論が深まらない

 先日取り上げた北海道市議と同様、元フジテレビのアナウンサー・岩佐徹氏が、14日甲子園ピッチャーの投球方法に絡んだ、ツィートでの発言も騒ぎとなった。

 岩佐氏は「東海大四のピッチャーのスローカーブ…ダメとは言わないが、少なくとも、投球術とは呼びたくない。意地でも。こういうことやってると、世の中をなめた少年になっていきそうな気がするが。ハハハ」とツィートしたという。

 結局炎上した後、18日に自身のブログを更新し、ツィートの発言を謝罪した。

 このところツィートでの発言が、よく問題になる。
 岩佐氏の発言の場合も、「たかが」投球方法に批判的なコメントを述べただけである。この程度の発言なら、だれでも行う。元フジテレビのアナウンサーだから、批判を受けたのである。

 一旦口に出したのなら、徹底的にその立場を貫いたほうがいい。
 他に迷惑がかかったり、自分が悪かったと思うのならともかく、批判されて前言を覆す必要はない。そうでなければ、議論が深まらない。

 謝罪したのは、件のピッチャーを慮ってのことであろう。それなら心配ない。99%が岩佐氏を批判しているということは、件のピッチャーも心強い。3回戦でも(1球だけだが)、効果的にスローボールを使った。相手側のピッチャーも、同じようなスローボールを使ったくらいである。
 かえって、論争が白熱するほど励みになるはずだ。

技術情報漏えい(8月22日)

 ものづくりの重要性を国民すべてが認識し、つねに他社より先を考えた技術開発を続ける必要がある

 前に述べたように、通信教育大手ベネッセホールディングスは、個人情報の漏えいの対応で、200億円の出費を覚悟している。

 ところで、情報漏えいでほんとに問題なのは、技術情報の漏えいである。
 VOICE6月号に掲載された、中田幸彦氏の「東芝VSハイニエックス事件からの教訓」によると、数年前東芝の半導体メモリの研究データが、韓国の半導体大手「ハイニックス半導体」に流れた。これで東芝は、1000億円以上の損害が発生したという。また新日鐵は、韓国鉄鋼大手ポスコ等を相手に、高性能鋼板の製造技術を不正取得した、と告訴している。

 ベネッセの場合のように、USBメモリなど簡単で大容量のデータを高速保存できる技術進歩が、技術流出を極めて容易にしている。
 したがって、このような不正技術流出はほんの氷山の一角であろう。

 不正技術でなくとも、早期退職者を通しての技術移転、装置メーカーを関しての技術流出、企業間提携などによる技術流出は後をたたない。
 日本企業の、秘密情報の保護に関する姿勢からも、情報流出を完全に防ぐことは困難であろう。
 
 では、日本企業はどうすればいいのか。ただでさえ、中国や韓国企業に脅かされているのに、せっかく開発したノウハウが流れてしまえば、目も当てられない。

 もちろんこれまで以上に、企業の情報管理を厳密に行う必要がある。
 しかし、それだけではだめだ。後発は常に有利である。これまでのような優位性を持続することはできない。
 必要なことは、絶えず開発を継続させることである。情報が流出した時点で、それがすでに陳腐化していれば、大きな問題にはならない。中田氏の言うように、技術流出の根本対策は、「つねに他社より先を考えて進むこと」に他ならない。

 そのためには、日本が本来持っていた職人や技術者に対する待遇を改善し、ものづくり(働くこと)の重要性を国民すべてが認識することである。

シリアの人質事件(8月21日)

 広島でがけ崩れが民家を襲い、たくさんの人が生き埋めになったことの方が重大である

 内戦が続くシリアで、湯川遥菜さんとみられる日本人男性がイスラム過激派組織に拘束されている。

 ニュースでは、湯川氏は、3つどもえで戦闘を行っているシリアで、反体制派組織に加わっていた。傭兵として、戦闘に加わっていたという話もある(こんな情報を過激派に流していいのか疑問だが)。戦闘中逃げ場を失って、対戦相手の過激派に捕らえられたという。
 つい先日、米国人ジャーナリストが、この過激派組織に惨殺されている。非常に厳しい状況である。

 日本外務省は、シリアには退避勧告を出していた。だから、自己責任であることは間違いない。
 湾岸戦争後の2004年に、ボランティア?3名が、イラクの武装勢力に誘拐されたことがあった。あのときも、人質に対し国民は批判的であった。

 じつはあのとき、(実施されなかったが)海上自衛隊の特殊部隊がバクダッド駐留米軍と合同で、突入・救出する作戦が計画されていたという。
 さすがに今回の状況では、ありえない。日本単独ではできないし、アメリカ大統領もオバマである。

 まして今回は、ボランティアどころか、他国の傭兵として参加したという話である。国民の多くは、湯川さんに対し、いい印象は持っていない。
 今回の場合も、釈放には身代金が絡むと見られる。ほんとなら、日本人誘拐の連鎖は止まらない。私が彼の立場なら、身代金を出してもらって釈放されるより、「名誉ある死」を選ぶ。このような機会は2度とない。

 そんなことより、広島市でがけ崩れが民家を襲い、たくさんの人が生き埋めになった。そして大勢の人が亡くなっている。小さい子供も含まれている。
 国民の命を守る観点からは、こちらの方が大切である。

政治家への言論弾圧(8月20日)

 簡単に謝っては政治家への言論弾圧を許し、日本の両端地域が、北と南の政治勢力に犯されてしまう

 北海道札幌市会議員である金子快之氏が投じた、先住民族アイヌに関するツイートが物議を醸している。

 「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません」というツイートである。
 北海道では、アイヌの人に低金利の資金貸し付けなど支援を行っている。これが、「アイヌを称する利権」だと持論を展開している。過去にも議会で指摘したことがあり、これからも問題提起を続けていくと言う。

 この意見に対し、
 「札幌市議によるヘイトスピーチ」「ばかもの。議員辞めなさいあんた」「差別主義者だ!」「同じ日本人として恥ずかしい!」など、非難が寄せられる事態にまで発展した。
 アイヌ問題は、部落、在日と同じ根を持ち、アイヌはイメージだけの「弱者」になりつつある。それでも、利権が無くなる人にとっては、死活問題である。必死の市議バッシングが続いている。

 金子快之氏は、これらの批判に対し、「本当のことを言うと議員を辞めなければならないのでしょうか?」と、自説を貫いている。
 具体的にどう差別されているのか、この際、証拠と共に明るみにしたい。

 それより危険なのは、北海道と沖縄、日本の両端にある地域が、市議が懸念する海外思想に犯されてしまっていることである。ロシアと中国、北と南の政治勢力が、ここまで日本を蝕んでいる。

 したがって、ここで簡単に謝ってもらっては困る。
 市議のツィートは、差別の琴線に触れかねない微妙な文言であるが、論争のきっかけとしてはいいのではないか。徹底的に反論し、ヤミ利権の存在を国民の目の前にさらしていきたい。

 このまま「差別」として葬られるようでは、政治の浄化はできない。そして、政治家への言論弾圧を許すことにもなる。

集団的自衛権反対論の可笑しさ(8月19日)

 さすがにあのNHKスペシャルを見た国民は、集団的自衛権に納得したであろう

 先日(15日)NHKスペシャルで、集団的自衛権についての討論を行っていた。
 反対派には、鳥越俊太郎氏と女性教授、海外NGOの方がいたが、容認派の岡本行夫氏たちに完全に説得されていた。鳥越氏は、無知でお花畑しか知らない一般的な国民の象徴である。

 岡本行夫氏は、「良い集団的自衛権」、「悪い集団的自衛権」という、新しい観点を提供していた。どんなものでも必ず、メリットとデメリットはある。良いものだけを実施すればいい。
 「悪い集団的自衛権」は、①日本に関係のない戦争に加担する、②アメリカの言うままになる、などである。この副作用を抑えて、メリットを享受するのが政治ではないのか。

 いまどき、グローバルに散っている日本人の生命と財産を、日本単独で守れるわけがない。まだまだ不十分であるが、この権利を行使することで、どれだけの日本人が救えることか。

 お花畑の方は、「いったいどこの国が攻めてくるんですか?」、「仮定の話はダメ」、「タンカーの護衛ならできる」、「自衛隊NPOでつくった道路は、すぐ元通りになった」など、まともな論争ができない。むしろ、反対派の二人の女性の方が、一定の理解を示し良識的であった。

 さすがにこの放送を聞いた国民の多くは、考えが固まったであろう。集団的自衛権に反対する人は、イメージだけで何も考えていない、という事実も発見したに違いない。

 NHKにしては、バランスのとれた番組構成であった。

DJポリスと病院長のユーモア(8月18日)

 ユーモアは、その受け手がひねくれているかどうかも問われる

 東京でDJポリスと呼ばれている警察官が、絶賛されている。指揮車の上からハンドマイクを使い、巧みなトークでユーモアを交えながら、イベントなどの人込みを誘導する。
 16日の神宮花火大会にも「出現」し、帰宅者たちの笑いを誘っていた。

≪お祭りの後の混乱を心配してか、「家に帰るまで花火大会です」。最寄駅の外苑前が多くの人であふれていると「花火の余韻に浸りながら、1つ先の駅まで歩いてみてはいかがでしょうか」と、ロマンチックに勧めた。
 あまりの面白さに、多くの人からカメラを向けられると「止まられてカメラを向けられても、会場のアーティストのように私は歌うことはできません」。その瞬間、前に進むのもやっとなほど人が密集していたが、沿道は爆笑に包まれた。
 またDJポリスの隣には、女性の警察官がいたが「私があまり注目されると、プレッシャーになって、まだデビューしていない彼女が話すことができません」と気遣っていた。
   8月16日 日刊スポーツより≫

 臨機応変で巧みな話術は、簡単に習得できるものではない。それでもこのような人が増えると、世の中も捨てたものではない、と思えるようになる。


 一方、昨日の福井新聞には、県立病院長の「不適切」投稿が批判を受けているという記事が、掲載されていた。エボラ出血熱の対策に関するインタネット交流サイトの投稿で、「ちなみにエバラは焼き肉のタレです」、「ズボラは私ですね」と書き込んでいたことである。

 たしかに大勢の死者が出ていることから、あまり適切なコメントではない。すべった、おやじギャグのひとつである。戦没者慰霊祭でのスピーチに、ユーモアが不適切なのと似ている。
 このような場での「ブラックユーモア」は、一歩間違うと相手を傷つける。高度なセンスが必要である。
 
 それに、もともと日本人には、ユーモアのセンスがない。
 なぜなら、初対面に人に冗談を言うと失礼だと思っているし、人に笑われることを恥だと考えることもあるからである。それなりに権威ある学会では、ユーモアを発すると、「ふざけている」といわれる。

 しかしそうかといって、この手の発言をすべて封じ込めるのは、いいこととは思えない。
 ユーモアのセンスを磨くのは、簡単ではない。このような「失敗」を重ねなければ、みごとな「ユーモア」は生まれない。それを殺してしまったら、まことに殺伐とした世の中になる(生きている意味は半減する)。
 冒頭のDJポリスでさえ、最初からうまい喋りができたはずはない。もちろん、落語家や漫才師もである。

 日本には昔から、狂歌、狂言、川柳、滑稽本、落語、漫才など、「笑い」をたのしむ文芸や演芸が数多くある。日本人が「笑い」を嫌いなはずはない。
 さらに、国際社会では、初対面の人を笑わせ、楽しませるテクニックは、非常に重要視されている。グローバルな人材というのは、機転の利いたユーモアを発信できる人である。

 その意味では、ユーモアの受け手がひねくれているかどうかも、問われるであろう。DJポリスもいつかは「失言」する。そのとき世間は、どのような反応をするか興味がある。

財政出動と経常赤字(8月17日)

 財政出動で海外にお金が回っても意味がない。国民がもっと働くような政策が必要である

 先日も書いたが、日本はとうとう経常収支の赤字国になった。
 財務省が今月8日に発表した、今年上期の国際収支速報では、海外とのモノやサービスの取引、投資収益などの状況を示す経常収支は5075億円の赤字だった。比較可能な1985年以降では、過去最大である。
 国の財政赤字より、こちらのほうがはるかに深刻である。日本国が、まともに生きていけなくなるからだ。

 1ドル100円の円安になってから、もう1年過ぎた。
 赤字要因の一つは、LNGの輸入増など、貿易収支の赤字が拡大したためである。円安は、資源の価格に大きく跳ね返る。海外子会社や証券投資からの配当・利子収入などを示す所得収支の黒字も減り、貿易赤字を補えていない。

 円安で、海外生産を国内に向けるという動きはあるが、それが主流とはなっていない。
 スマホや家電製品だけでなく、ものをつくる機械設備もたいていは、海外メーカーが作っている。精密な工作機械は別として、高額な繊維機械や生産機械の大部分も、中国メーカーが作っている。

 したがって赤字の根本は、日本国内で輸出すべき「モノ」をつくる力が、衰えてしまったことである。だから景気回復のための財政出動を行っても、そのお金は日本国民に入らない。

 たとえば、設備投資のための補助金制度を活用して、中国など海外メーカー製機械を購入する企業が増えている。おもな機械のメーカーは、中国に移っているからだ。実際にその補助金を受け取るのは、国内企業が支払った先の、海外企業である。

 そんなことが続くと、いまの補助金制度は、海外のメーカーを太らせるためだとしか思えなくなる。
 販促費用の補助でも、海外での販促経費を計上していることもある。これでは、財政出動すればするほど、日本国民の血税が海外に吸い取られる。

 補助金などの財政出動は、きちんと国内でお金が回るようなものにしなければならない。国内でお金が回れば、最低限の効果はあがる。
 そのために大切なことは、国民がもっと働く政策をとることである。年金や生活保護などの不労所得は、いまの半分でいい。

墓参り(8月16日)

 もうすぐこの中に入るのかと思うと、墓参りにも気合が入る

 先日(14日)、久しぶりに墓参りに行った。福井市小山谷町、足羽山西墓地である。
 家から車で10分ぐらい。朝8時前に出かけたので、墓場は空いているかと思ったら、とんでもない。すでに墓地内の通路の半分近くは、墓参りの駐車車両で埋まっていた。年々、その数は増えているような気がする。意外と、殊勝な人は多い。

 我が家の先祖代々の墓は、西墓地内の3号墓地の一角(3-1)にある。以前、大規模陥没があったところから、南へ100mぐらいのところである。あの陥没の跡はほとんど目立たないが、まだ立ち入り禁止らしい。我が家の墓の下にも、ぽっかり穴が開いているのかもしれない。
          先祖代々の墓 H26.8.14撮影

 家の墓石は、笏谷石である。あの陥没も笏谷石の掘り過ぎらしいから、半分「自業自得」であろう。周囲の新しい墓石は、花崗岩がほとんどである。そのため周囲の墓石に比べると、黒ずんではいるが、苔が生え貫禄がついてきた。

 もうすぐこの中に入るのかと思うと、墓参りにも気合が入るようになってきた。

敗戦の日(8月15日)

 プレスコードマスコミに毒された団塊世代の支配を抜ければ、日本を取り戻すことができるかもしれない

 昭和20年8月15日。この日、天皇の玉音放送があり、大東亜戦争の敗戦が告げられた。敗戦が決まった、屈辱の日である。

 といっても世の中には、日本が負けたことを屈辱だとは思わない人が多い。戦後の言論統制や国民教育によって、徹底的に欧米思想を植え付けられてしまったからである。

 たとえば、「プレスコード」という放送規則がある。日本精神の解体を目的に、新聞、雑誌、書籍、ラジオ放送などの報道を統制するため、GHQが発したものである。欧米や周辺国の批判禁止、それに関する禁止用語が列記してあり、まともな報道はできないようになっている。
 NHKをはじめ、TBSやテレビ朝日などは、まだこの規制に縛られている。というより、この規制を守った人しか、出世できなかったのである。

 さらに戦後GHQは、日本の教育界の総入れ替えを行った。教育学部をつくり、欧米中心の歴史観を持つ教員を大量に生み出す。その中核となる組織が、日本教育学会と日教組である。その欧米の日本悪玉思想を、小学生の時からせっせと植えつけられるのだから、国民はたまったものではない。
 もちろん、押しつけの「平和憲法」がそのベースにある。

 とくに我々のような団塊の世代は、強烈にその洗礼を受けた。成績の良い人ほど、その考えに染まっていく。そういう人は、社会の主要な地位につく。数年前にあった、民主党の鳩山・菅の暗黒時代を思い出してほしい。

 日本が歴史冤罪を晴らそうとすると、海外からは「歴史修正主義」と批判を受ける。ほんとかどうかの検証すらもできない。

 幸い、われわれ団塊より一世代ぐらい下には、その呪縛から逃れている人も多い。団塊の世代にも、GHQの思想に染まっていない人がいる。私と同じ、まともに学校の勉強をしてこなかったのであろう。 敗戦時の規制から抜けられない学校教育やメディアに代わって、あらゆる角度からのネット情報も受け入れている。
 これから、期待できる世代である。

まんだらけ騒動(8月14日)

 まんだらけには、黒田官兵衛クラスの名参謀がいるに違いない

 まんだらけという古物商が、万引き犯と思われる人物の顔写真を、公開する・しないでニュースになった。モザイクで顔の部分を隠した「万引き犯」の画像を5日から掲載し、1週間以内に商品が返却されない場合は「モザイクを外す」としていた。

 多くの人々は、このやり方を支持している。しかし、弁護士等の専門家は、「画像公開は公益目的とは言えず、名誉棄損に当たる」と、慎重である。
 
 結局、公開期限ぎりぎりになって、公開を中止することになった。賢明な選択である。

 結局、この騒動で一番得をしたのは誰か。
 もちろん、「まんだらけ」である。数日にわたって、メディアに取り上げられ、一気に「まんだらけ」の商号と事業内容を、全国版に押し上げた。これまで、「まんだらけ」の存在すら知らない人は、大勢いたはずだ。
 しかも、多くの人に同情され、支持された。広告費にすると、数億円の効果である。

 小学館の美味しんぼ騒動のときも、「炎上商法」で一時売り上げを伸ばしたが、評判を落としてしまった。 今回の騒動では、まんだらけに同情的な人々が多く、認知効果も長続きする。意図してやったのなら、大したものである。

 まさに、「災いを転じて福となす」。
 まんだらけには、黒田官兵衛クラスの名参謀がいるに違いない。

リーダーの決断 (8月13日)

 リーダーは、人々の右脳に擦りこまれた感情に取り込まれず、真の幸福を実現させなければならない

 安全・安心という言葉がある。「安全」とは科学で証明される客観的な事実であり、「安心」とは本人が感覚的に納得したという主観である。「安心」は、右脳の領域である。
 安全だということを納得するには、論理的な分析つまり左脳の働きが必要である。

 しかし、一旦右脳に記憶された情報を、左脳が冷静に分析することは難しい。人々の脳は、左脳の合理的な要因より、右脳での感情的な要因のほうに重きを置くからだ。

 これはまさに、多くの国民が原発を怖がることを意味している。3.11の福島原発の映像が人々の右脳を占領している。
 そうなると、事故が起きたことのことばかり考える。多くの人が、自動車事故で死ぬより、飛行機の墜落事故で死ぬほうを怖がるのと似ている。反原発者が発信する、非常に誇張された記事や映像が、ますます人々の恐怖を募らせる。

 では、そのような人々の想いに対し、リーダーはどうすればいいのか。
 真に大切なことは、実際に多くの人々が幸福になることである。人々の感情を尊重することではない。優秀なリーダーなら、そう考える。

 そこで、マキャベリの君主論である。

 「君主は愛されるよりも、恐れられる存在になるべきだ」
 「君主は憎まれてはいけない、恐れられる存在にならなければならない」
 「君主は必ず悪評が立つと覚悟しておかなければならない」
 「弱体な国家は常に優柔不断である」
 「人々の意見なるものがいかに偽りに満ち、いかに誤った判断でゆがめられているかは、あきれ返るほどである」

 人々を導くリーダーは、決してポピュリストではいけない。大衆迎合は、民主主義の大きな欠陥である。

誕生日の決意(8月12日)

 あと10年もてばいいと思うと、医者に行くのがためらわれる

 今日は、66歳の誕生日である。さすがにここまで来ると、めでたさはマイナスである。
 今年の健康診断でも、高血圧を指摘された。最高で170・110もあり、これではいつ逝ってもおかしくないといわれている。そのあとの巡回健康アドバイスでも、同じようなことを言われた。
 それでも、そのほかに悪いところが山ほどあるので、血圧ぐらい大したことないと思う。

 これを、正常性バイアス、あるいは楽観主義的バイアスという。
 正常性バイアスというのは、ある程度までの異常なら、正常だという見方をしようということである。楽観主義的バイアスというのは、ある情報を得たとき、破壊に至るような見方よりも、軽い逸脱として楽観的にみようとする傾向のことである。
 このバイアスを排除しながら高血圧に関する文献を見ると、その危険性には科学的根拠がある。ほんとに危ないらしい。

 一大決心し、医者にかかろうと思い、少し勉強してみた。
 ところが高血圧というのは、そんな簡単なものではない。原因にもいくつかあって、違った処方をすると、治らないばかりか、別の病気になるという。なにしろ、医者にかかった人の半分しか治らないし、ほとんどの人は一生涯薬を飲み続けなければならない。それでは困る

 近所の医者の顔を浮かべてみる。はたして、彼らにこんな難しい処方を任せて大丈夫なのか。
 そう考えたら、医者に行くのが躊躇われてきた。あと10年もてばいいのだ。

お掃除満月マン(8月11日)

 ユルキャラをボランティアの隠れ蓑にするのは、いいアイデアである

 東京の日本橋周辺を毎日掃除する「満月マン」が、評判になっている。

 「満月マン」は、丸く黄色い満月の頭に紫色のボディスーツとマントを身に付けた、平和を祈るヒーローである。目を閉じた祈りの表情に、額には「満」、腰のベルトには「月」の文字が刻まれている。

 活動を始めたのは、昨年10月10日で、最初各地の神社仏閣を巡っていた。今年5月、「日本橋」で首都高速高架の撤去を願い祈っていたとき、周囲のゴミのひどさをみて、その場で掃除を開始。それから毎日4~5時間、日本橋で掃除をするようになったという。
 祈るだけではだめだ、と思ったのかもしれない。

 「満月マン」に限らず、ゴミ拾いのボランティアをしている人は多い。
 ところが中には、「仏頂面」でゴミ拾いをしている人も見かける。ボランティアかどうかわからないが、周りを睨む人もいる。それでは効果が半減する。かえって反発し、ゴミを捨てたくなる。

 ゴミ拾いボランティアの意義は、ゴミ拾いをしている姿を(嫌みたらしく)通行人や地域の人たちに見せつけることにあるからだ。見た人は後ろめたくなって、もうごみを捨てようとする気がなくなる。ゴミ拾いする本人も、ゴミを捨てようとは思わなくなる。 

 「満月マン」も、時には仏頂面でゴミ拾いをしたくなるであろう。毎日4時間もやれば無理もない。そんな時、「満月マン」がその「仏頂面」をやさしく包んでくれる。もし、本顔が「仏頂面」でも関係ないし、中の人は一人とは限らない。
 そんな意味でも、ユルキャラをボランティアの隠れ蓑にするのは、いいアイデアである。

台風11号と平和(8月10日)

 いくら「防災」のお念仏を唱えていたって、台風は必ず来る。「平和」のお念仏とまったく同じである

 昨日から今日にかけ、台風11号が日本を襲っている。温暖化のせいで、大雨の被害がすごい。今日のお昼にかけて、福井に最接近するという。今(午前9時)台風の中心は、四国から近畿にあるはずだが、いまのところ雨も風も全くない。嵐の前の静けさか。

 もっとも昨年来、近くを台風が通っても、全く気が付かないほどであった。今回もそうであればいい。7~8年前の「福井豪雨」はもうまっぴらである。

 おかげで、地元で行う予定だった「養浩館祭り」が延期になった。夏休みの週末だけに、日本全国の祭り、花火が予定されており、ほとんどが延期や中止になった。甲子園の野球も2日伸びた。

 いくら「防災」のお念仏を唱えていたって、台風は必ず来る。大事なのは、具体的な備えをしておくことである。「平和」のお念仏とまったく同じである。

過ちを繰り返さないために(8月9日)

 日本が核兵器を持つことこそ、広島・長崎で亡くなった30万人へのはなむけである

 8月6日、9日は、日本に原爆が落とされた日である。周知のように、広島と長崎合わせて、一瞬のうちに、無垢の市民30万人近くが亡くなった。文字通り、蒸発してしまった人も多い。
 歴史始まって以来、人類未曾有の大虐殺である。後にも先にも、これ以上残忍な出来事はない。

 それを受けて広島の平和記念公園には、「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」と刻まれた石碑がある。不思議な言葉である。

 以前、記念公園でこの文字を見かけたとき、思わず、「繰り返しません」を「繰り返させません」に直してやろうと思った。いったい、だれが原爆を落としたのだ。ふつうそう思うだろう(実際に細工した人はいないのか??)。

 だが最近、考えが少し変わった。石碑の文字は、「繰り返しません」でいいのかもしれない。
 どういうことか。

 なぜ、日本に原爆が落とされたのかを考えてみよう。
 あのとき日本には、まったく反撃する力がなかったからである。原爆のような極悪非道な武器を使うときは、相手が絶対に反撃しないことが担保されなければできない。

 昭和20年8月、日本はすでに沖縄が征服され、ほとんどの軍艦や飛行機は破壊、戦艦大和もなかった。連日の本土空襲によって、各地の工場は破壊され、戦力の補強は望むべくもない。
 陸・海軍にはまともな戦闘能力はなく、やれることはせいぜい、竹やりを使っての本土決戦しか残っていなかったのである。

 それでもあのとき、日本が原爆の一つも保有していたらどうであろうか。
 トルーマン(米大統領)は、原爆投下のゴーサインを出さなかったに違いない。軍艦や飛行機はなくとも、核爆弾一つあれば、恐怖の反撃ができるからだ。

 そうすると、「過ちは二度と繰り返しませんから」という言葉が理解できる。「過ち」というのは、あのとき日本が、核兵器を持っていなかったことに他ならない。

 そしていま周辺国の核ミサイルが、日本を狙っている。あの過ちを繰り返さないためには、どうすればいいのか。そんなことは、誰でもわかる。世界中で核を持つ資格のある国は、日本だけである。

 日本が核兵器を持つことこそが、広島・長崎で亡くなった30万人へのはなむけである。二度と、過ちを繰り返さないために。

揚げ足取りの極み(8月8日)

 総理大臣は、毎日何回も行う挨拶文が「コピペ」かどうかに気を配ってはいけない

 今月6日の広島市で開かれた平和記念式典で、安倍晋三首相が行ったスピーチの一部が昨年と同じ内容だったことが指摘された。これが「コピペ」だとして問題になり、インターネットや新聞などで批判を集めている。

 まさに「揚げ足取りここに極まれり」である。少しでも落ち度がないか、虎視眈々と狙っている「暇人」の格好の餌食になってしまった。トップであることの悲劇である。

 そもそも「コピペ」だといっても、自分の文章ではないか。気に入った内容なら、使いまわしたほうがいいに決まっている。とくに冒頭に述べる理念や思いの部分は、同じような表現を繰り返すべきである。その方が、長く人々の心に残る。
 むしろ姑息に、表現方法や文章の前後を入れ替えたりする小細工のほうが汚らわしい。

 それにたいてい、偉い人のあいさつなど(粗探しする人以外は)誰も聞いていない。歴史に残る大演説など、幻想である。口だけの宰相になってほしくない。

 したがって総理大臣は、毎日何回も行う挨拶文が「コピペ」かどうかに気を配ってはいけない。そんなことでは、大事な仕事ができない。その内容についてだけ責任を負うべきである。

右脳と左脳(8月7日)

 慰安婦問題では、いくら客観的事実をあげて反論しても、世界の人々の心には届かない

 左脳は、思考や論理を司る。文字や言葉は、左脳によって論理的に分析され記憶される。ただ記憶エリアは、CPU のように一時保管するだけである。記憶する容量がいっぱいになると、前に戻って上書きする。長いセリフが覚えにくく、聞いた事を忘れるのはこのためである。

 右脳は、五感を通じた感覚・感性を扱っている。瞬時に、直感的かつ総合的に認識し判断する。右脳は左脳に比べ、大量の映像や音声情報を記憶する事ができる。その処理スピードも、左脳とは比べものにならないほど早い。

 いわゆる「見える化」は、この右脳の働きを利用し、人々に五感で訴えようとする。大量の情報を伝え、長く記憶にとどめておくことができる。人に伝えるためには、文字や言葉だけでは弱い。写真や映像、イラストなどのイメージ情報が、きわめて大切な所以である。

 そこで、慰安婦問題である。
 韓国は、慰安婦という人がいて苦しんだということを、視覚と情で訴える。若く、哀れな女性の像があれば、それで十分である。人々は、勝手に想像してくれる。そして、いまや「慰安婦」というのは、ホロコーストや黒人奴隷と同じ、「人道に対する挑戦」とまで見られるようになっている。

 それに対し、いくら客観的事実をあげて反論しても、世界の人々の心には届かない。大枚をはたいても、意見広告の実効性は少ない。むしろ反感を呼ぶ。かって、アメリカの慰安婦決議に対抗して、日本の知識人が「THE  FACT」という意見広告を出し、みごとに失敗した。
 たとえ聞いてもらえたとしても、理屈だけではすぐ忘れられてしまう。
 左脳へ訴える悲しさである。

 これは、原発、集団的自衛権、秘密保護法など、あらゆることにいえる。人々に共感を得てもらうためには、まず右脳を強烈に刺激できる情報を発信し、感情・感覚に訴えなければならない。

 したがって、「河野談話」でこじれてしまった慰安婦問題で、反転攻勢をかけるためには、根本的に戦略の再構築が必要である。
 たとえば、慰安婦像に札束をにぎらせ、その隣に痩せこけたイケメン日本兵を配置しておく。あるいは、世界の売春地帯に類似の像を設置する。・・とにかく、言葉よりイメージである。

 といっても、このような姑息な手段はあまりやりたくない。それよりもっと強烈な方法がある。

 ここでまた、マキャベリが出てくる。
 「君主は憎まれてはいけない、恐れられる存在にならなければならない」

 すなわち日本が、世界から恐れられる存在になることである。北朝鮮のように??

今日のニュースより(8月6日)

 悪いニュースが続き、世の中だんだん暗くなっていくような気がする

 今朝の新聞は、いくつか大きなニュースが目についた。とくに次の5つである。

 ①笹井副センター長の自殺
 ②川内原発再稼働延期
 ③安倍総理の靖国参拝見送り
 ④江守幹夫氏(前福井商工会議所会頭)が死去
 ⑤朝日新聞が過去の慰安婦記事を検証

 ①の笹井氏の自殺は、ショックであった。今年の初め、STAP細胞発表の頂点から、3月にかけての凋落。その後は、針のむしろであったろう。マスコミは人を殺す。
 とにかく、私より若い人は死んではいけない。
 ④は、まあ仕方がない。85才だし、私より高齢である。これ以上ご存命いただいても、周りが困る。

 問題は、②川内原発再稼働延期である。無責任な反原発者に気を使って、ずるずると引き伸ばしをはかっている。担当者も無責任である。いったいこれで、どれだけ国民の富と命が失われることか。恐ろしくて、これ以上声も出ない。
 真に国民のためを思う君主なら、人々の原発ヒステリーなど吹き飛ばすであろうに。
 
 ③安倍総理の靖国参拝見送りも、がっかりである。日中会談実現への配慮だという。今年も8月15日のトップ参拝がなくなった。これでは、靖国の祟りが本格化するかもしれない。
 
 世の中、だんだん悪くなっていく。

 暗いニュースばかりで、一つでもいいことがないかと思ったら、⑤朝日新聞が過去の慰安婦記事を検証したこというニュースがあった。この問題はこじれにこじれた後だけに、「何をいまさら」であるが、自分が間違ったときに反省したのは、評価していい(ほんとに反省したのかは疑問)。

慰安婦クレームへの河野談話(8月5日)

 謝り方を間違え、組織をどん底に追いやった典型例である。これを反面教師として、同じような過ちを繰り返してはいけない

 一般的に、お客から苦情・クレームを受けたときには、次のような対応をする。

 ① お詫びする
 ・迷惑をかけたことに対して、謝罪する。
 ・この場合、不快な思いをさせるきっかけとなったことについてのみ謝罪する。
  自分が悪いということを認めるのではないことに注意。

 ② お客の言い分をよく聞く。
 ・共感の態度を示す(反論やいいわけ、専門用語による解説はしない)
 ・お客の要求内容を明確にする
 ・不当な要求等には、毅然とした態度で対応する。

 ③ 問題解決に対して責任を示す
 ・受付の時点で、できることは説明する
 ・お客の要求に対して、できることとできないことを明確にする
 ・今すぐできないことは、期間を区切っていつまでに対応するかを伝える.
 ・苦情対応活動として、透明性と説明責任を確保する。


 さて、「河野談話」である。
 韓国から慰安婦についてクレームがついたとき、日本政府はどうしたのか。周知のように、安易に「河野談話」を出し、謝ってしまった。

 当時韓国側は、談話に慰安婦募集の強制性を盛り込むよう執拗に働きかける一方、「慰安婦の名誉の問題で、個人補償は要求しない」と打診していたという。日本側は「強制性を認めれば、韓国側も矛を収めるのではないか」との期待感を抱き、先の「河野談話」になってしまった。
 たしかに、談話で強制性は認めていないが、あいまいな表現で世界中に誤解を拡散することになった。

 謝り方ひとつを間違えて、日本という組織をどん底に追いやった典型例である。反面教師として、同じような過ちを繰り返さないと同時に、国民としては、「河野談話」の撤回に全力をあげる必要がある。
 (といってもここまでこじれたら、まともで冷静な反論では効果がない。このことについては、次回以降で述べる)

満足・不満足・苦情の実態(8月4日)

 顧客はわざわざ面倒を起こして苦情を申し立てるほど、企業のことは思っていない

 昨年、花粉症に悩まされていた私は、県内のある会社の噴霧薬を購入した。鼻の周りに噴霧し、花粉を防止する薬である。
 使っているうちに、鼻の周りがかぶれてきた。花粉症がひどくなったのだと思い、使用量を大幅に増やしたら、鼻周辺がとんでもなく腫れ上がり、鼻の孔まで塞がった。花粉症よりひどい。
 使用をやめても、10日は炎症が治まらなかった。この薬は花粉を退治し、人の細胞も退治するのである。花粉だけを殺す、都合のいい薬なんかあるはずがない。

 「被害」にあってどうしたか。
 本来ならば、噴霧薬メーカーにクレームをつけ、場合によっては、損害賠償を請求すべきであった。
 私は、そうしなかった。普通の「被害者」と同じような行動をとったのである(下図)。すなわち、この薬(と会社)の悪口を、何人もの人に言いふらしてきた。(これについては後日、会社にクレームをつけることができた。たまたま別件で、その会社の営業担当者と相談する機会があったからである。担当者も薄々は感づいていても、直接のクレームがないので放置していたという。)
     顧客満足の模式図

 すなわち、企業の製品・サービスに不満を持っている顧客の数は、考えているよりもはるかに多い。表に出るのはほんの氷山の一角である。顧客はわざわざ面倒を起こして苦情を申し立てるほど、企業のことを思ってくれてはいない。

 そして実は,苦情を言った顧客でも、満足できる解決が行われた場合には、再び買ってくれる割合は非常に高い。
 その状況を示しているのが、上の図である。苦情を言わない「被害者」は、とことん悪い噂をまき散らすことになる。顧客苦情は、これ以上ない企業の宝である。

乗鞍岳ツァー登山(8月3日)

 日帰りツァーで、乗鞍岳(剣ヶ峰3026M)に登った。

 乗鞍岳は比較的新しい火山で、穏やかな山容が特徴である。長野県側の麓には溶岩流で形成された高原が広がっている。1949年、岐阜県道から標高2,702 mの畳平までバスが運行されるようになり、「雲上銀座」の観光地として賑う。四季を通じて美しい景観に恵まれ、保養地としても知られている。
 畳平バス停周辺も、お花畑満開の時期である。

 畳平駐車場付近ハクサンイチゲの大群 剣ヶ峰頂上  北陸高速富山付近 剣・立山・薬師が見える

 頂上へは、畳平バス停からおよそ1.5時間の登り。観光地といえども、3000メートル峰である。
 出発地点の畳平でさえ、標高2702メートル。加賀白山と同じ高さだ。すでに酸素が薄くて息が切れる。福井周辺の低山とは、スケールが違う。気温も10度以下で、5~6メートルの風速は、体感温度が零度に近い。

 雨に降られ景色は楽しめなかったが、久しぶりに高山気分を味わうことができた。

 また、北陸高速道路富山付近からの、剣・立山・薬師はいつ見ても見事である。高速道路からの眺めとしては、日本一ではないかと思う。
 ただ歩く時間は3時間足らずなのに、往復10時間の窮屈なバスが堪える。

東電幹部を起訴せよ(8月2日)

 原発再開に向けて、はっきりと幹部の失態を追及し、あのようなアホな手抜きを、絶対になくすようにしなければならない

≪東京電力福島第1原発事故を巡り、東京第5検察審査会は31日、業務上過失致死傷の疑いなどで告発され、東京地検が不起訴とした東京電力の勝俣恒久元会長(74)ら元東電幹部3人について、「起訴相当」と議決したと公表した。 7月31日毎日新聞より≫

 東電の幹部は、起訴されなければならない。幹部も、裁判で己の不始末を反省し、きちんと原発再稼働に向けての道筋を立てるべきである。

 前に指摘したように、3.11の原発事故は、いくらでも防ぐことができた。事故のときの一つひとつの不具合を見ていくと、じつに簡単な準備さえあれば、起こらなかったことが多い。そのうちの、ほんのひとつでも対策が施されていれば、あそこまで重大事故にはならなかった(もっとも原発事故では、逃げた人以外だれも死なないことがわかったのだが)。
 原発反対者に気を使うあまり、やるべきことを見逃し、サボってしまったのである。

 したがって、はっきりと幹部の失態を追及し、あのようなアホな手抜きを、絶対になくすようにしなければならない。裁判で理論的に、原発の安全性を明確にしていくということだ。地道ではあるが、こうすれば次のステップに確実に進める。

 そうでなければ、国民の意識にある「原発怖い」のイメージが、いつまでも払しょくされない。それでは日本の未来はない。
 東電元幹部は、日本の未来のため覚悟を決めてほしい。先の短い老人の勤めである。

サイコパスの放送休止(8月1日)

 残酷シーンのないドラマやアニメは、味噌のない味噌汁である。はっきり現実を認識できる子供を育てる必要がある

 先月佐世保市で、高校1年の少女が、同級生を殺害したとして殺人容疑で逮捕される事件が起きた。この事件では、首や手首を斬り落とす容疑者の異常な言動が、注目を浴びている。
 「人を殺して、ばらばらにしてみたかった」

 これは、対象が人間でなければ、決して「異常」ではない。料理人は毎日、魚をばらばらにしたり、切り刻むことで喜ばれている。
 そもそも食事は、他者の命をいただくものであり、残酷なものである。
 「正常」な人にとって、人間と動物の間には、それほど格差がある。

 
 もう一つ。
 この事件を受けて、フジテレビで放映中のアニメ「PSYCHO-PASS サイコパス 新編集版」の第4話が放送されないことが発表された。先の事件を連想させるシーンがあるからだそうだ。
 TVやアニメの視聴者への影響は計り知れない。「右脳」に訴えるからである。

 たとえば、「ドラゴンボール」という超人気アニメがあった。私でさえ知っているのだから、国民の大半は読んでいるはずだ。そこには、死んだ人が簡単に生き返るという、非現実的なことがさもほんとらしく描かれている。漫画の後半は、ほぼそれを前提に構成された。

 これを読んだ人はどう思うか。
 私のような大人でさえ、「もしかしたら、死んでもすぐ生き返るのではないか」と思う。まして、多くの読者は子供である。命を粗末にしなくなるのは、当たり前でないか。
 子供たちが、簡単に自殺したり友達を殺したりする背景には、「ドラゴンボール」の大ヒットがあったのではないかと思う。

 しかし、それを含めても規制には反対である。なんでも規制すればいいというものではない。
 世の中のドラマやアニメ、小説は、ほとんどすべて残酷シーンが入っている。それをなくしたら、味噌のない味噌汁、塩気のない醤油である。
 世の中はもっとドロドロしている。決して、天国みたいなお花畑ではない。

 したがって、この汚らしい世の中に耐えられるように、もっと強くならなければならない。おとぎ話と現実とを区別し、はっきり現実を認識できる人々を育てる必要がある。
 そうでなければ、いま73億人から100億にもなろうとする世界での、し烈な生存競争を生き抜くことはできない。