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禁煙と健康(7月31日)

 人間の寿命は50年あればいい。それ以上生きようと思うから、地球環境が悪化し社会が混乱する

 私はこの数年前から、メタボや高血圧、高脂血症に高尿酸値、肝機能異常など、典型的な不健康成人と化してしまった。このことは、本ブログで何回も嘆いている。
 ただ、この不健康体に至った大きな原因は、間違いなく「禁煙」である。

 8年前にタバコをやめた。そこから急激に体重が増え始め、8キロ太った。1年に1キロづつ増えている。並行して血圧も高くなり、あらゆる部位に軋みが出ている。
 煙草は100害あって1利なしと言われるが、本当に1利もないのだろうか。

 喫煙者と禁煙者の余命を比べると、喫煙者のほうが長い。数字の上ではそうなる。不健康な人や入退院を繰り返している人は、そもそもタバコなど吸えないからである。
 統計学上の矛盾だが、そればかりではないはずだ。

 まずタバコはおいしい。喫煙者にとって、こんなうまいものはない。度を越せば気持ち悪くなるのは、どんな高級料理でも同じである。楽しみを多く持った方が、幸せである。

 つぎに、煙草とアルコールは人間の潜在能力を引き出す。科学の進歩や独創的な芸術は、喫煙によってなされる。
 また、身体に良くないものは煙草だけではない。精神的ストレスはその際たるもので、こちらの方が厄介である。喫煙がそれを和らげる。最近の研究では、喫煙はボケ防止になるとも言う。

 もし、喫煙が寿命を縮めるとしても、それでいいと思う。煙草で医療費負担が膨大になると言うのは嘘である。人は、必ずいつか何かの病気で死ぬ。

 喫煙で病死しないなら、老害の結果、末期医療で目の玉の飛び出る医療費を払う。若くして喫煙の害で死ぬより、このほうがはるかに問題だ。人間の寿命はせいぜい50年あればいい。私はもう生きすぎた。つかえさえなくなれば、思い残すことはない。それ以上生きようと思うから、地球環境が悪化し社会が混乱する。
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がん治療への疑問(7月30日)

 がん治療をすれば、国民はほんとに幸せになるのか。ジタバタせずに、死ぬときには安らかに死にたい

≪政府の健康・医療戦略推進本部が開かれ、最先端医療の研究開発の司令塔となる、いわゆる「日本版NIH」の体制が来年4月に整うことを踏まえ、日本発の革新的ながん治療薬を創り出すことを目指すなどとする健康・医療戦略を決定しました。 7月22日NHK NEWSwebより≫
 そして、日本発の革新的ながん治療薬を創り出すため、5年以内に10種類以上の薬の治験を始めるという。

 だが、ほんとにがん治療は、見込みがあるのか。

 40年前から日本のがん医療に否定的な意見を述べてきた人がいる。近藤誠氏である。彼は、昔から、「患者よがんと闘うな」、「医者に殺されない47の心得」、「がんもどきで早死にする人、本物のがんで長生きする人」などの本を書き、がん治療の改革を提唱してきた。
 彼の主張は以下のようなものである。

 ①がんには本物のがんと「がんもどき」がある
 ②「がんもどき」は、体に何の影響もない
 ③本物のがんは、発見された時点で転移されているため、治療はムダである
 ④がん治療での切除や抗がん剤は、患者が苦しむだけで、延命効果も疑問である
 ⑤一部を除いてがんで苦しむ人はいない。がんが苦しいのは治療するからである
 ⑥本物のがんでも、放置すれば安らかに死ねる

 これを、トンでも理論だといって、反論する人は多い。
 しかし、そんな人でも全面的に反対しているわけではない。また、どうすればいいかの解決方法も示していない。医師への不信感も相まって、近藤氏の考えに同調する人は多い。

 たしかにむかしは、まともながん治療など行わなかった。
 50年前、同居の祖母が亡くなったときのことを思い出す。祖母は脳溢血の半身不随で寝込んでいる間に、胃にソフトボール大のこぶができた。食事がとれなくなって徐々に衰弱し、最後は眠るように亡くなった。72才であった。
 いまなら、「点滴だ」、「切除手術だ」、「抗がん剤だ」といって、なかなか死なせない。その結果、半身不随の状態で、苦しさにのた打ち回って死んでいったに違いない。本人だけでなく、周りも塗炭の苦しみを味わう。私も、進学できたかどうか。

 アメリカでも、ニクソン大統領は1971年の一般教書演説でちょうど100ワードを割き、「がんの治療法を発見するための集中キャンペーン」を提唱した。ところが、がんの犠牲者は一向に減っていないという。

 健康診断や治療には、膨大な利権が絡んでいる。今すぐこれらをなくすことは、医者だけでなく製薬会社その他、医療に携わっている人すべてが、干乾しになってしまう。なにしろ、日本の医療費は40兆円にもなり、毎年数パーセントは確実に伸びている(実はこのようなムダが日本経済を支えている)。

 それで、人々の寿命は延びるかもしれないが(それも疑問)、健康寿命は間違いなく短くなる。国民はほんとに幸せになるのか。
 ジタバタせずに、死ぬときには安らかに死にたいものである。上がつっかえていると、それもできないのだが。

補助金の採択(7月29日)

 産業界の設備投資を促進させ、景気を拡大させるためには、赤字企業に対してのテコ入れこそが必要である

 先月、25年度補正新ものづくり補助金1次公募2次締切分の採択企業が発表された。応募企業の40%近くが採択されたという。
 その採択基準はどのようなものか。

 肝心の申請内容は、一部を除いて優劣をつけるのが困難である。企業の置かれている状況がわからないからだ。ましてや、部外者の審査員に判断できるはずがない。
 客観的に判断しようとすると、申請書の「書き方」、それに財務内容しかない。

 そのため、これまで補助金が採択された企業には2つの傾向があった。見るのが嫌になるくらい長々とした申請文が作成してあって、財務内容が健全な企業である。
 逆に申請書が簡潔すぎるもの、あるいは財務内容が悪い企業は、たいてい不採択になっている(ような気がする)。

 もちろんこんな採択基準は、大きな間違いである。

 まず、申請書が簡潔に期してあったほうが、審査員にとっても申請企業にとってもわかりやすい。わかりやすければ、計画を実現しやすい。長々と書いてあっても、内容が伴わなければ意味がない。
 長々とわかりにくい申請文が採択されやすいのは、誰も理解できないからである。

 つぎに、大方の黒字企業(とくに中堅)は補助金の採択如何にかかわらず設備を購入する。赤字企業は、不採択になってまで設備を購入しない。
 すなわち産業界が、設備投資を活発化に行い、景気を拡大させるためには、この赤字企業に対してのテコ入れが大切なのである。そうでなければ、ものづくり補助金の効果が半減する。赤字でも補助金を獲得してまで設備投資を行おうとする企業は、意欲的な企業である。

 したがって、赤字や債務超過の企業がだめなら、最初から要件に示すべきである。
 単に決算書類だけを見て、財務内容が悪いから事業の継続性に問題がある、と判断したのなら、審査レベルに問題がある。

 文書審査だけで、多額の補助金を支給するのは、もうこれきりにしたい。

天下りOB(7月28日)

 この記事がほんとなら、件のOBは自分の無能さをさらけ出しているだけである

 ≪原子力行政を担当した宮城県庁OBが東北電力に再就職していた問題で、経験者の一人が勤務実態を証言した。業務らしい業務は与えられず、専門性が問われる局面もなかったという。県は「経験が生かせる職場」と説明するが、OBは「暇すぎて地獄だった」と当時を振り返った  7月27日Yahoo河北日報より≫
 そしてこのOBは、「飼い殺しされているようだった。眠気と闘う毎日だった」とも言っている。

 このニュースを見た多くの読者は、つぎのようにコメントしていた。
≪東北電力と県庁からの天下りをもっともっと糾弾すべき。≫
≪暇すぎて地獄?それって料金の中にはいってるよな。無駄な人材いらない。≫
≪社会に貢献しない仕事はやる意味が無い。≫
≪全て電気料金に跳ね返っている、値上げなど認めたら生卵ぶつけてやる≫
 ・・まあ、これが普通の感覚であろう。

 なかには、つぎのような生々しい読者コメントも見られた。
≪県庁OBなんて東北電力のみならず、あっちこっちの会社にウジャウジャ居るよ。
OBは存在のみに価値があるのであって、実務などアテにしていない。・・
でも、このOBさんは仕事ヤル気がある分、まともな人だよね。
ウチの会社にいるOB軍団なんて会社に遊びに来ているようなモンだぞ。≫
 ・・現実には、これが実態だと思う。

 つぎのような「正論」もあった。
 山崎英昭氏は、
≪仕事は与えられるものだけじゃないと思います。どんな場所でも、仕事は作れば山程出来ると思います。眠気と闘う毎日だったら、仕事を提案すればいいだけのこと。経験を生かして、今後の職場をどうするかを考えるのも仕事です。≫
 と述べている。
 まったく同感である。
 OBには、「決裁権限は一切なかった」そうだが、決済に伴う権限とは、与えられるものではない。奪い取るか、自らつくるものである。なにも社会人1~2年の、見習いであるまいし。

 したがって河北日報の記事がほんとなら、このOBは自分の無能さをさらけているだけである。県庁という「箱庭」にいて、長いこと与えられた仕事しかやってこなかったのであろう。

BS朝日のニュース番組(7月27日)

 他人のやることを非難したり、バカにしてばかりいる。国民は、こんな番組ばかり見るから、無責任になる

 昨夜7時ごろから、たまたまBS朝日の「いま日本は」という番組を見てしまった。この番組では、最近起こった事件について、関係ゲストを交えて、議論している。

 一つは、オスプレイの佐賀空港への配備の件。沖縄の基地負担軽減のため、苦渋の選択として政府が佐賀県へ打診しているものである。
 ところが番組コメンテーターは、「怪しからん。こんなものは、沖縄県知事選の選挙目当てだ」という。選挙目当てだろうが、沖縄の負担軽減になるのならいいと思うのだが。
 それでは、どうすればいいのかというと、「アメリカ様には、日本から出て行ってもらいたい。」という。敗戦国の日本が、そんなことできるわけない。公共の電波を使って、無理難題の屁理屈をこねているだけである。
 ちなみにオスプレイなら、ぜひわが福井の春江空港に来てほしい。北朝鮮にも近いし、民間輸送ができればこの上ない。

 つぎに、例の東京都のハレンチ議員をゲストに呼んで、地方議会の問題点を議論していた。
 別のゲストが、「地方議会のほとんどは、他人の作文した台本を読んでいるだけの出来レースだ。」と非難していたが、まさに塩村氏そのままではないか。よく一緒に、うなずいていられるものだと思う。それこそ噴飯ものである。

 さらに、子育て支援施策に取り組む11県「子育て同盟」知事たちのプロモーションビデオを、バカにしていた。
 このビデオは、知事たちが、雪の女王エルサ風コスプレに身をつつみ、「Let It Go ~ありのままで~」の歌に乗せて踊り、子育てママを応援するものである。
 たしかにセンスはない。だが、少しでも子育て支援をアピールしようと思い、大の大人が恥ずかしいのを我慢して作ったビデオである。できることはすべてやったらいい。もっと効果的な方法があるなら、教えてもらいたい。

 自らは何もやらないで、他人のやることにケチをつけたり、バカにしてばかりいる。高齢者は、こんな番組ばかり見ているから、無責任でおかしくなるのだ。

 つい、「知事のビデオより、この番組のほうがよほどつまらない」と叫んだら、近くにいた妻が「じゃ、見ないでおけば」という。
 それもそうだと思って、途中でTVを消した。私も、つまらない番組のことばかり言えない。

建設業の人手不足(7月26日)

 働く人の手取りを増やすこの状態を、一過性で終わらせてはいけない。10~20年単位での持続的な投資計画が必要である

 いま東北を中心に、建設現場の人手不足が深刻である。コンクリートなどの「資材」も高騰し、復興が思うように進んでいない。2020年の東京五輪を控え、人材と資材の全国的な不足に、拍車がかかっている。
 昨日(25日)のNHKスペシャルでは、従来2800円/㎡だった型枠工賃を4000円/㎡にしても人が集まらず、6000円/㎡でやっと作業員を確保できた例が取り上げられていた。それも別な現場からの引き抜きに近く、全体の人手不足が解消されたわけではない。
 宮城県では、公共工事の入札不調(予定価格以下の入札がない)が全体の25%にも及ぶという。

 これまで不況のどん底であった建設業界は、潤っているはずである。建設作業員の人件費が上がれば、他の産業やニート、フリーター、女性、高齢者からの移転も進み、就労者全体の待遇が改善される。
 あと少しである。まちがっても、外国人労働者でカバーしようとしてはいけない。
                                     建設作業員
 一方、今朝の福井新聞1面には、「14年前半 物価2%上昇確認」とあり「年金目減り時代突入」と大きな見出しが躍っていた。つまり、物価上昇に年金が追い付かなくなったということである。

 これも予定通りではないか。何やかや言いながら、アベノミクスはうまくいっている。自らは労働しない年金生活者より、額に汗して働く人の手取りを増やす。名目上の年金や生活保護費を減らさずに、実質的に目減りさせる計画が、みごとに功を奏している。


 それにしては、建設業界自身から、儲かっているという話は聞かない。もっとも、いい時はじっと黙っているのであろう。建設業者からの経営相談が激減したのは、その証拠である。
 この状態を一過性で終わらせては、もとの黙阿弥となる。10~20年単位での持続的な公共投資計画が必要である。もちろんオリンピックのつぎは、原発建設ラッシュである。

鮮魚・仕出し屋の経営(7月25日)

 意欲ある後継者が事業を引き継いで、地域の人に食の幸せをもたらしてほしい

 このお店は、座敷での料理提供をメインに、近隣の会社やイベント時の仕出し弁当の配達、施設・病院向けの鮮魚販売を行っている。代表者夫婦、息子夫婦が従事しているが、店売りはほとんどない。福井の鮮魚店の独特なスタイルである。
 当店座敷の座席数はおよそ100席、2階に2部屋がある。周囲は、幹線道路から少し入った簡素な住宅街で、初めての客にはわかりにくい。目立つ看板もない。

【経営環境】
 日本は世界有数の魚食大国で、1人当たりの食用魚介類消費量は、世界最大である。我が国が世界一の長寿国となっているのも、魚食が大きな影響を与えているといわれる。中高年における極端な魚離れはまだ見られない。国民全体としての魚介類の消費は減少している。

 当店の顧客は、地域における町内会、老人会、各種組織・団体、一般客である。高齢者が多く、保守的な風土もあり、魚離れは限定的である。
 売上の主力は、店舗内の座敷宴会での飲食物提供である。近年は、宴会でのアルコール類の販売割合が大きく減少しており、客単価も下がっている。高齢者で足腰の悪い人やランチタイムでの女性客も見られるようになり、座布団座りでの宴席を嫌う人が増えてきた。

 競合は、仕出し弁当では、スーパー、コンビニ、宴会需要では、居酒屋全国チェーン店で、大きく需要を食われている。葬祭場の存在も大きい。また地域内には、同規模の同業者が2軒あったが、地域内の需要減退から、現在は同業者1軒のみとなった。

【当店の強み】
 その中で、当店はつぎのような特徴を持っている。
 全国チェーンの居酒屋は、不特定多数の顧客に数多くのメニューを準備して、顧客の注文に応じて提供する。一方当店のような鮮魚料理店は、地域内の馴染み固定客の好みを把握し、厳選された材料を店主の裁量で調理して提供する。予約販売のため、廃棄ロスはほとんどない。

 また当店は、毎朝一番のセリでの仕入れで、上質で新鮮な魚介類を見立て、購入する。原価率は50%を超えており、前述のように原料ロスも少ない。したがって、手ごろな価格で、顧客の好みに合った極上の料理を提供することができる。
 そのため地域内では、料理の品質について極めて好評を得ている。

 保守的な顧客が多いだけに、調理内容を大幅に変更することはないが、宴席ごとに1~2点、新作の創作料理を提供している。後継者である子息が、定期的に同業者間で開いている料理講習会で発案した料理である。これを随時提供し、顧客の評価を聞きながら、メニューに変化をつけており、マンネリにならないようにしている。
     エビ            鯛

【これからどうするか】
 代表者の子息が調理や顧客についての知見を習得し、ほぼ店舗経営ができるようになってきた。今後数年をめどに、スムースな事業継承を行いたい。

 そのために、以下のような経営のテコ入れを行う。

①座敷宴会部門を強化し集客をはかる
 これまで最も売り上げ比率が高く、好評で粗利益率が高かった座敷宴会部門を強化する。

②ランチタイムでの女性客の確保
 近隣の団地の主婦から、しばしば数人単位でのランチの問い合わせが入ることがある。なぜか女性客のほうが、客単価が高い。予約限定で受け入れているのに、地域全体には周知されていない。昼間の仕出し弁当も提供しており、予約があれば、座敷での和食ランチの提供は十分可能である。これを事業として確立する。

③施設整備
 そのために、従来の調理の品質を維持しながら、新しい顧客のニーズを探っていく。また、以前から足腰の不自由な高齢者や女性客のために、テーブル座席が要望されており、それに対応する。


 このような場は昔から、地域のコミュニティの場を提供する役割を果たしてきた。なんといっても、人々が集い一緒に「飲み食い」することが、互いに心を開く大きな力になる。市内でつぎつぎと、このような魚屋が消えていくのを見るのは寂しい。

 幸い当店の場合、意欲ある後継者が事業を引き継ぐことになっている。これからは若い発想で、地域の人に食の幸せをもたらしてほしい。

誤審したときの評価(7月24日)

 まちがった時にどのような行動をとるかで、その人の価値は決まる

 21日のデイリースポーツ(YAHOOニュース)に、「ビデオ判定導入前に問われる審判の姿勢…素直に自らの非を認めた東塁審」と題し、14日にナゴヤドームでの判定を覆した「事件」を報道していた。

 これは、14日の中日‐阪神戦で、八回中日・和田が放ったライナーを、右翼手がギリギリで捕球したかに見え、東一塁塁審はアウトをコールした。この判定に中日ベンチから谷繁監督が出て抗議、すぐさま審判団が集まって協議した結果、アウトの判定が覆り、フェアとしてゲーム再開した。
 プレーが動いている中で判定が変わるのは異例中の異例だという。

 試合後東塁審は試合後に、「アウトと判定した僕に疑念が生じた。だから他の審判に聞いたんですけど、3人は全員フェアの判定。僕が一番、悪い角度で見てしまったかもしれない。」と述べている。
 ここまで素直に自らの非を認めた審判は珍しいそうだ。

 もちろん、このニュースを聞いた読者のコメントも、この審判に好意的である。

≪自分の判定を覆す…。勇気がいっただろう。この姿勢が大切だ。評価したいと思う。素直が一番、って事かな。≫
≪これは立派、特に判定がくつがえったことに納得がいくところもかなり評価できる≫
≪非があることが分かったなら、それを認めてこそ本当の威厳は保たれるものだと思う。≫

 なかには、
≪プロの野球選手のプレーを、正確に判断するのがプロの審判。非を認める前に、誤審をしないのがプロなら当たり前。≫
 という人もいたが、これはないものねだりである。

 絶対にまちがいを起こさない人などいない。まちがった時にどのような行動をとるかで、その人の価値は決まる。
 5段階評価を見ていただきたい。

プール開放自粛の恐怖(7月23日)

 事故が起こるたびに管理責任ばかり問うと、ほんものの危険社会になってしまう

≪夏休み恒例のプール開放に“異変”が起きている。兵庫県西宮市では市内40小学校中11校で中止の見通しとなった。要因は兵庫県警が各市町に送付した文書。3年前に大阪で小1男児がプールで溺死した事故を受け、監視員にライフセーバーなどの資格を求めたものだが、西宮市から運営を任される地域団体は「資格がない監視員が大半。事故が起きたら責任は持てない」とやむなく中止を決めた。(斉藤絵美)(7月20日神戸新聞NEXTより)≫

 これも、「角を矯めて牛を殺す」の悪例である。何か事が起こったら、問題解決の努力することをしないで、「回避」してしまう。
 たしかに何もしなければ、目先の事故は回避できる。その場合の責任は取らなくてもいい。

 ところが、目先を取り繕ったあげくどうなるか。子供がプールを使えないため、そこで泳ぐことができなくなってしまう。そうなるとまちがいなく、道路で遊んで交通事故に合う確率は高くなる。あるいは、運動不足でメタボになる子供も増えるだろう。さらに、将来必ず何人かは、泳ぎができないために亡くなる。

  プールでの事故→夏休みのプール開放自粛→道路での交通事故死者の増加       
                     →運動不足でのメタボ
                     →水泳能力者の激減→水の事故増加

 真偽のほどはわからないが、韓国では学校で泳ぎを教えることはなく、プールもないそうだ。先の沈没船事故でも、海洋警察でさえ泳げない人がいるということが判明した。あれだけの死者が出たのも、このことが原因の一つだったのではないか。

 すなわちプール開放の自粛によって、トータルでの犠牲者はかえって増える。何か事故が起こるたびに、管理責任ばかり問うのは、行き過ぎである。これも、「被害者」が強くなったからであろう。
 プールぐらいは「自己責任」にしないと、ほんものの弱者・無責任社会になってしまう。

白山大崩落(7月22日)

 恒例の、白山日帰り登山である。
 早朝4時40分に自宅出発、別当出会駐車場に6時過ぎに着く。少し登ってバス停登山口が6時20分。そのまま観光新道を登る。いつもの日帰りのコースである。昨年荒れていた道は、整備されていたが、お花畑は昨年より貧弱である。まだ少し早いのかもしれない。
 いつもより1時間早く、11時30分に御前峰頂上に着いた。この1か月の、メタボ体操の成果か? 例のごとく、下りは正味2時間半。午後3時には、駐車場から帰路についた。
 平日だというのに、別当出会いの駐車場はいっぱいである。世の中には、いくらでも暇人がいる。

 ところで、 砂防新道の下り道から眺めた、観光新道へ突き上げる沢筋の大石はまだ残っていた。写真(左)で見るとなんということないが、近くで見ると迫力がある。すこし下流には、別当出会いと砂防新道をつなぐ吊り橋がかかっている。だれかが吊り橋を渡っているとき、この大石が落ちたら、目も当てられない。
 それでなくとも、白山山系ではいたるところが崩れている(写真中:別山への稜線・甚の助小屋から)。  
 大石崩落かH26.7.22日撮影  尾根筋大崩落 H26.7.22撮影    登山道崩落 H22.9.24撮影

 以前、別山から市ノ瀬への下山中、道が崩落していて危うく谷底へ迷い込もうとしたことがあった(右写真で、右上の鞍部から左へピークの御舎利岳を巻いてやや下へ降りる道。途中から道がなくなっている)。北海道トムラウシ山で10人が遭難死した、嵐の日である。これまでに、ひっそりと行方不明になっている人がいるかもしれない。
 この山系は、いつまでもつのか。

零細企業の赤字解消②(7月21日)

 赤字企業の多くは、経営者がいやな仕事から逃げている

 赤字企業の多くは、経営者がいやな仕事から逃げている。1日15時間仕事したとしても、ぬくぬくした仕事ではダメである。これまで逃げ回っていた、「いやな仕事」をやる。

 たとえば

1.厭な仕事を受ける
 安い仕事、短納期の仕事、未経験の仕事、汚い仕事、特殊品、少量品など、不況時でもいやな仕事の引き合いはある。普段なら受けたくない仕事でも、積極的に受けてみる。これらの仕事を得意分野にすることもある。

2.嫌いな顧客を訪問する
 儲けさせてはくれるが、口うるさいお客がいる。つい遠ざかり、そのうち疎遠になったらおしまいである。そこを訪問し、自社の問題点や苦情を聞くことによって、顧客との信頼関係が生まれる。
 居心地のいいお客のところばかり行ってはいけない。口うるさい得意先を大切にすることである。

3.いやな社員と話す
 何かと反抗的な社員、古参の気難しい社員、これらの社員とは目も合わせたくない。
 それでは、仕事がうまくいくはずがない。1日1時間、じっくりと話し合ってみよう。場合によっては、決別もいい。

 いやな仕事は、同業他社にとっても同じである。いやなことを1歩先んじてやることが、大きな差別化になる。

 それでも赤字なら、ほんものである(そのまえに、病気になる)。
 そこで、経営コンサルタントの出番となる。

零細企業の赤字解消①(7月20日)

 赤字企業の半分以上は、経営者が働いていない。まず1日15時間働く

 中小企業の80%は赤字である。といってもかなりの割合で、「意図的」に赤字にしている。「節税」のためである。役員報酬を高くするのはいいとして、生活費・遊行費の一部を経費にする。赤字にするのは簡単だ。

 その中で、ほんものの赤字企業もいる。役員報酬はなく、年金生活。売上の2倍以上の借り入れがあり、会社を畳みたくてもできない。

 そんな会社はどうするか。
 ぐずぐず言っても始まらない。そんな会社の半分以上は、経営者が働いていない。ダラダラやっただけで儲かるはずがない。
 まず一所懸命働くことである。1日15時間、これで半年働いてみる。

 ワタミが「365日24時間、死ぬまで働け」といって、ブラック企業扱いされた。でも、経営者はいくら働いてもブラックではない。

 当たり前であるが、15時間何をやってもいいわけではない。何をやるか(次回②)が問題である。

プレゼンのコツ(7月19日)

 素人が講師をすると欲張ってたくさん詰め込む。聞いているほうは、何が何だかわからない

 今日、久しぶりに人前で講演を行った。技術士会の定期講習会で、パワーポインタを使っての講習である。
 この年になると話しているうちに、言葉を忘れる。対策として、あらかじめ忘れそうな言葉をパワーポインタに書いておき、それを読み上げる。それだけでは面白くないから、時々「脱線」する。

 今日は、たまたま「脱線」がうまくいったが、いつもそうとは限らない。
 何十年とやってきたはずなのに、上達したという実感がない。いつも、講師をする前の日には悩む。

         講師

 そんなときたまたま、昨夜11時からNHKの「白熱教室」を見た。そこでは、東京オリンピック招致プレゼンをコーチした国際スポーツコンサルタント、ニックバーリー氏の講演を放送していた。途中で寝てしまったのだが、プレゼンの3つのコツを強調していたのを覚えている。

 ①本題に入る前に何を話すか伝えておくこと。
 ②伝えたい項目を3つで表現する。
 ③早過ぎない。パワーポインタの数を絞る。
   この3つである(これも3つだ)。

 昨日の今日なので、とても対応できなかったが、いいアドバイスである。私のような素人が講師をすると、つい欲張ってたくさん詰め込む。聞いているほうは、何が何だかわからない。
 私はもう機会はないと思うが、これからプレゼンが必要な若い人には、参考になる。

個人情報はそんなに大切か(7月18日)

 無理に個人情報を守ろうとすれば、独自に情報を集めることのできる事業者が肥るだけでなく、人と人とのコミュニュティを削ぐことになる

 通信教育大手ベネッセホールディングスの情報漏えいが問題になっている。進研ゼミなどの顧客情報、最大で約2070万件が流出した可能性があるという。これを受けて、ベネッセは、200億円を用意し、謝罪に対応する考えを示した。

 2005年個人情報保護法の施行以来、このような情報漏えいが、事件として取り上げられることが多くなった。それ以前は、よほどのことがない限り問題とはならなかった。おそらく今でも、発覚した何倍もの個人情報が漏れているに違いない。たいていの場合実害がなく、漏れても気が付かないからだ。
 ベネッセの事件でも、だれがどんな被害を受けたのか?

 問題は、情報漏えいの中身である。組織としての情報や、銀行パスワードのような直接金銭に結びつくものは別である。単なる個人情報(住所、名前、年齢、経歴、血液型など)が漏れたとしても、私はほとんど困らない。いろんな団体、中学、高校、大学の名簿など、ダダ漏れである。
 困るとすれば、迷惑メールが増えたことぐらいか。怪しげな店へ夜な夜な通っているとか、頻繁にアダルトビデオを買っている人は、困るかもしれない。

 これらも恥ずかしいだけである。DVで別れた夫が、無理やり探し出すなどというのは、ほんの一部であろう(一部でないのなら、そのほうが問題である)。
 グーグルなどIT業者は、世界中のネットを扱う人の個人情報を、それこそ詳細に把握しているという。あらぬ画像や動画を閲覧している人は、気を付けたほうがいい(もう遅いけど・・)。大会社の内部で流通しているのなら、漏れているのと同じではないか。それに情報などは、絶対に漏れると思ったほうがいい。

 したがって、こんなものに神経質になる必要はない。
 漏れても困らなければいいのである。絶対になくならない「いじめ」をなくそうとするより、「いじめ」を苦にしなければいいのと同じことである。

 そして、無理に個人情報を守ろうとするほど、独自に情報を集めることのできる事業者を肥らせるだけである。何よりも、人と人とのコミュニュティがなくなってしまうのが怖い。

マキャベリ君主論より(7月17日)

 リーダーが望むのは、一部を犠牲にしても、大多数が幸福になることである
                     ただ凡人がこのまま実行するのはむずかしい


 マキャベリは、16世紀イタリアの官僚であった。あの大乱世の時代、「帝王としての考え方」を様々な角度から著述した、彼の本が「君主論」である。一貫したテーマは、非情の論理であるが、リーダーシップや国家のあり方などについて、重要なヒントが数多く述べられている。
 ここには、きれいごとは一切書かれていない。リーダーが望むのは、一部が犠牲になっても、現実に多くの人々が幸福になることだからである。

 その中に、耳の痛い言葉がある。
 「自らの安全を自らの力で守らない国は、独立と平和を維持することはできない」すなわち、「実力を持たない名声などあてにならない」という。 これは、わが「平和ボケ」日本にピタリ当てはまる。

  そのほかにも山ほどあって、簡単には咀嚼できない。

 「君主は慎重であるより、果敢であるべきだ」
 「君主は必ず悪評が立つと覚悟しておかなければならない」
 「無能な側近を選んだ君主は力量を疑われる」 
 「側近の意見に振り回される君主は評判を落とす」
 「歴史は君主にとって師匠である」
 「中立を保つことは有効な手段ではない」
 「やった後で後悔するほうが、やらないで後悔するよりはるかにましである」 
  ・・・というのはわかる。 しかし、

 「他者を強くした原因を作った者は、必ず自滅する」
 「ひとたび締結した条約を撤回しても非難の対象にはならない」
 「権力者の間では、法律や契約書は信義を守る役には立たない」
 「結果さえよければ、どんな手段でも正当化される」
 「偉大なことをしたいと考えるなら、権謀術数を習得せよ」
 「裏切りや悪行はいちどだけなら許される」
 「憎まれ役は側近に背負わせろ」
 「民衆は頭をなでるか消し去ってしまうか、そのどちらかにしなければならない」  
   ・・は、凡人がこのまま実行したら、とんでもない目に合う。

  一見矛盾と感じるようなのも見かける。

 「君主は愛されるよりも、恐れられる存在になるべきだ」
 「君主は軽蔑されたり見くびられたりしてはいけない」
   ・・と、恐ろしいことを言ったかと思うと。

 「弾圧によって人々を恐怖に陥れることは国家にとって危険である」
 「人を屈服させるためには、暴力より温情に訴えたほうがいい場合がある」  
   ・・とも言っている。

  結局なにごとも、「ものはほどほどにしろ」といっているのであろう。

児童虐待(7月16日)

 何があっても子供を殺してはいけない。今の日本では、この出来事以上に悲惨なことなどない
 
 駅の構内で、大泣きする小さな子どもを、保護者らしき女性が蹴飛ばしているショッキングな動画がフェイスブックに投稿され、話題を呼んでいる。そういえば先月、30代の女性が小学校低学年の子供二人と幼児の3人を道連れに、マンションの上階から飛び降り、無理心中をはかったという事件があった。

 とくに無理心中事件は、聞いただけで胸が痛む。飛び降りるとき、小学1~2年の子供は、必死に抵抗し泣き叫んでいたという。どんなことがあろうと今の日本では、この出来事以上に悲惨なことなどない。

 いつの時代でも、体力的に弱い子供は、被害を受けやすい。断じて甘やかしてはいけないが、子供は宝である。何があっても子供を殺してはいけない。はけ口が必要なら、老人に向けろ。まず上からである。

壮大なムダ(7月15日)

 7つのムダは、組織内より社会全体でのほうがはるかに大きい。外国人労働者の大量流入は、ムダを増長させ国際競争力を削いでしまう

 昔から製造現場では、次の7つのムダが指摘されてきた。
(1).つくりすぎのムダ
(2).在庫のムダ
(3).運搬のムダ
(4).動作のムダ
(5).加工のムダ
(6).不良を作るムダ
(7).手待ちのムダ

 これは、一つの組織内でのことをイメージする人が多い。ところがこの7つのムダは、組織内より社会全体でのほうがはるかに大きい。

 ある商品を考えてみよう。

 原料会社→素材会社→部品会社→組立メーカー→問屋→小売店→消費者
 
 このようにほとんどの商品は、消費者の手元に渡るまで、多段階に流通する。この各段階で、先ほどのムダが大量に発生する。組織が独立しているぶん、このムダは組織内のものよりはるかに大きい。
 
 たとえば数量である。消費者個人が購入するのは、普通一つである。消費者に選択してもらうためには、小売店は色やサイズ違いなど、10個揃えておかなければならない。そこで問屋には、ロスを見込んで12個発注する。問屋は組立メーカーに14個発注する。組立メーカーは、部品会社に16個発注する。段階ごとに数が増えていく。おおもとの原料会社に行くときには、とんでもない数量になる。
 しかもそれぞれのメーカー内では、注文を受けた分以上に作ってしまう。
 この流通の多段階構造の中で、どんどん余分なものが作られていくのである。

 品質も同じである。
 消費者が求める品質水準より、小売店はやや高い品質のものを提供しようとする。お客の期待を超えるものを提供するのは、商売の基本である。
 さらに、小売店に製品を供給する問屋も、小売店の求めるものより少し高品質のものを提供しようとする。それをまた、組立メーカーに求める。組立メーカーはさらに、それ以上のものを部品会社に求める。
 もっとも、原料会社や素材会社は大企業が多く、品質要求など通らない。そこで零細企業である部品会社は、無理難題を抱え込まなければならない。その過剰品質こそが、中小企業を苦しませている。
 なんということはない。消費者は、零細企業が苦しんでいる品質など望んでいないかもしれない。

 したがって意欲ある企業は、この流通の多段階構造から逃れようとあがく。ユニクロのように、うまくいく会社もあれば、たいていあえなく沈没する。


 うまくいったとしても、問題はある。
 日本中が一気にユニクロになったらどうか。失業者が溢れまくる。これまで、流通の多段階構造のムダの中で、大勢の人が糊口を凌いでいたからである。いわゆる「合成の誤謬」である。 
 政治はそうならないような対策を打たねばならない。民間は、余った労働力を活かす産業を興す。

 したがってどう考えても、外国人労働者の大量流入は、多段階構造のムダを増長させ、国際競争力を削いでしまう。国内経済を大混乱に陥れるこのような政策は、愚の骨頂である。

護憲と衆愚(7月14日)

 護憲を主張する人は、「ハニートラップ」或いは日本の「敗戦利得」の楽園のなかで、甘い蜜を吸っている人たちである

 昨日、滋賀県知事選で、三日月大造氏が当選した。
 報道によると、安倍政権の原発政策に対する根強い批判、1日に閣議決定された集団的自衛権の行使容認が、選挙戦に影響したとの指摘もある。
 この指摘が本当なら、「衆愚政治」ここに極まったといえる。 原発や集団的自衛権について、いかに無知誤解が蔓延していることか。
 その無知誤解を増殖させているのが、いわゆる「護憲」を主張する人たちである。しかも彼らは、守るものと変えるものを間違えている。どう見ても、日本を潰そうとしている。
 なぜ、「護憲」がいけないのか。


 企業は、「環境適応業」であるといわれる。私たちを取り巻く経営環境は絶えず変化している。そのなかで企業が生き残り、成長していくためには、変化する環境に適応するよう、自らを変えていかなければならない。
 さらに、その「環境適応業」である企業が生き残るためには、新しい挑戦をしなくてはならない。そこで逡巡していては、成長どころか倒産する。

 国家も同じである。
 絶えず変化する国際環境の中で、国の生き方を変えていく必要がある。

 具体的にこれらは、企業なら経営方針から経営計画、国家なら憲法と法律である。そのもとになるのが、その生存環境であり市場や世界の動向である。

                才女

 そこで、日本国憲法の前文をみよう
『前略
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 後略  』
 ご承知のように、憲法の本文や法律は、この前文の理念に基づいて作成されている。
 
 しかしこれは、現在の国際社会における現状とは、まったく適合していない。
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・」などというのは、先の大戦直後の、ほんの一瞬の間だけである。こんな信頼が、なんの役にも立たないのは、その後の世界を見ればわかる。
 チベットやウィグル、内モンゴルは、「平和を愛する中国の公正と信義」を信頼したあげく、多くの住民を殺され、蹂躙されてしまった。中国は、とても「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めて」などいない。
 これはほんの一例である。世界は、侵略と権謀術数で成り立っている。

 したがって、根本的な事実認識を違えた日本国憲法を守ることは、日本を破滅に追いやることになる。

 護憲を主張する人は、日本を侵略しようとする国の代弁者に過ぎない。羨ましいことに彼らは、日本を狙う国の「ハニートラップ」にあっている、或いは日本の「敗戦利得」を受け継いだ「楽園」のなかで、甘い蜜を吸っている人としか思えないのである。

高齢者登山(7月13日)

 たいてい平日の山は、いつ逝っても惜しくない高齢者であふれている

 昨日の「農作業」のせいで、体のあちこちが痛い。まったく情けない。明日の白山は大丈夫か?
天候も怪しい。
 1週間前の天気予報と異なり、14日は雨が混じるという。天気予報もくるくる変わる。

 14日は、自家用車で別当出会まで行ける。行けるときに行かないと、永遠に行けなくなる。もうそんな年である。先日の「おしかけ健康相談」でも高血圧を指摘され、医者に行かないと命の保証はないといわれた。血圧を下げると、健忘症がますますひどくなるというのに・・。

 たいてい平日の山は、そんな高齢者であふれている。(遭難した時には)マスコミは、そっとしておいてほしい。


[夜]
 外は大雨、腰も痛い。 明日の白山登山は延期に決定

ジャガイモ堀り(7月12日)

 宝永を愛する会、恒例のジャガイモ堀りである。およそ30人。といっても、棺桶に片足突っ込んだような人ばかりである。
 それでも、8時半から5時間ほどかけて1反の畑を掘り起こし、5キロごとに袋詰めした。

 台風一過、炎天下でのスコップ掘りはさすがにバテる。大型の機械でやれば、膨大なエネルギーは消費しても、ほとんど労力を使わずに済むのに・・
 高齢者ばかりなのに、さいわい倒れる人は出なかった。

  芋ほりH26.7.12撮影  いもほり取り残しH26.7.12撮影  収穫H26.7.12撮影

 今年は「大豊作」で、ビニール袋300個、約1.5トンの収穫があった。そのうちわけ前として80キログラムいただき。もっとも半分は、青いものや傷があったりで、商品価値はない。
 とても食べきれないので、近所に分ける。残りはそのうち腐ってしまうのであろう。
 畑にも「粗悪品」を残してきた。これらを含めると、日本の食品廃棄物は2千万㌧どころではないと思う。

男性差別(7月11日)

 男は、「子供を産み育てる」という、最重要な女性の仕事を補佐するための、兵糧部隊である

 もともと男女は平等ではない。もちろん、女性のほうが上にきまっている。

 現実をみればわかる。
 若い女性は男を選り好みできるが、若い男は「萌」に溺れるしかない。
 結婚すれば男は、女性のために稼がなければならない。責任ある仕事で、ストレスを溜めながら働く。だから頭が禿げる。女性より給料が高いといっても、自分が使えるわけではない。

 もちろん、その金を遣うのは女性である。何を買うのにも、夫より妻の意見が優先する。夫は給料の1割を小遣いとしてあてがわれ、月に一度片町でうっぷんを晴らす。
 年とって稼ぐ力がなくなれば男は用済みで、早々にあの世に逝く(希望)。そのあと女性は、悠々と人生を謳歌する。

 仕方がないのだ。
 なぜなら、子供を産み育てるという、この世で最も重要な仕事は女性にしかできないからである。こんなことのできる女性が男と平等なはずはない。男はその女性の仕事を補佐するための、兵糧部隊にしか過ぎない。男は、単なる鵜飼いの「鵜」なのだ。

 すなわち、子孫存続という最重要な仕事を放棄してまで社会進出しようとする女性は、男と同じ、鵜飼いの「鵜」としての自覚を持たなければならない。

                  山の神

 また、歴史問題ともなっている「慰安婦制度」は、女性蔑視(差別)には、まったくあたらない。女性のみが金銭的利益を得ることから、女性が男性に支配されていると誤解されている。
 とんでもない間違いである。

 たとえば、吉原花魁をみよう。ここでは、貧乏人の「冷や飯食い」が、丁稚奉公のわずかな給金を貯め、何年かに一度吉原通いをして、花形花魁に貢いでいた。この哀れな丁稚の行動が、なぜ「女性蔑視(差別)」にあたるのか。

 「鵜飼い」の女性代表が、「鵜」の男性に対して、蔑視だ差別だとわめく。職業差別・男性差別の原理主義者としか思えない。
 そんなことをすれば、「鵜」は委縮して、働きが悪くなるだけである。

農業とエネルギー消費(7月10日)

 持続可能な農業にするためには、エネルギー効率の高い農業を目指す必要がある。大規模農業は、それに逆行している

 TPPの交渉がぎくしゃくしている。日本が断固、「聖域」5品目を守ろうとしているからであろう。
 5品目を関税で守るのは、日本の食を守るためではない。5品目に関連している生産者を保護するためである。もちろんそれは大事なことである。 
 しかし、ほんとうにそれで日本の農業は守れるのか。

 ここで、エネルギー消費の観点から考えてみよう。
 じつはいまの農業は、ばく大なエネルギーを浪費したうえで成り立っている。収穫物から食物として得られるエネルギーより、はるかに多くのエネルギーを、農地に投入している。このエネルギーは、農作業での直接エネルギーに加え、化学肥料をつくるためのエネルギーも含まれる(大型原発15基分で作る窒素肥料がなければ、人類の半分は飢え死にする)。

 日本農業でさえ、産出/投入のエネルギー比では、水稲では0.370、露地野菜.が0.116、施設野菜に至っては0.022しかない。すなわち、日本でこれ以上食糧生産を増やすということは、その何倍ものエネルギーを、海外から購入するということになる。
 いまはまだ、化石エネルギーのほうが、食料のエネルギーより圧倒的に安いから成り立っているだけである。とても、持続可能な農業ではない。

 これは、先進国の農業すべてに言える。人的エネルギーを、化石エネルギーに置き換えて人的生産性を上げているだけである。
 そのうえ日本の農業は、人的生産性も低いのである。

 持続可能な農業にするためには、産出/投入を1以上にする。すなわちエネルギー効率の高い農業を目指す必要がある。大規模農業は、それに逆行している。

 その改革には、(日本の人口が半減するまで)あと100年かかる。それまでは、原子力エネルギーを活用しながら、真に生産性の高い農業を目指す。それしか日本が生き残る道はない。

地方議員の劣化(7月9日)

 ボランティアではない高額報酬の議員に、つまらない「茶番」を見せつけられる納税者は、たまったものではない

 兵庫県の野々村議員の「号泣会見」、東京都議会の塩村議員のハレンチ行為、そしてそれを引き出すこととなったヤジ騒動など、議会の騒動が続いている。なんと程度の低い議員ばかりが、増えたことかと思う。

 そもそも、議員の数が多すぎないか。
 平成25年の全国の議員数は、県会議員が2,735人、市町村議員で31,741人である。自治体の長1,789人に国会議員717人を合わせると、日本では、36,982人が議員様として君臨している。これでも地域の合併が進んだおかげで、かなり減ったほうだ。
 しかしそれよりも、高齢化が進み議員適齢期の人数は減少している。これだけ議員がいると、質の劣化は免れない。

 市議会や県議会のTV中継を見ると、まるで下手な学芸会の練習をやっているようだ。
 質問するほうも、答弁するほうも「台本」を淡々と読んでいるだけである。審議を通して、わかりやすく施策を説明・説得しなければならないのに、でき合いレースで緊張感も何もない。単調で、聞くだけで苦痛を感じる。小学生でさえ、もっと抑揚をつける。
 こんな「台本」の読み合いだけなら、時間をかけた審議などいらない。少なくとも、選挙で選ばれた「エリート」であるはずの、議員や首長がこれでは、心もとない。答弁する地方官僚然りである。

 それでも、質問する議員と答弁する首長は、まだ「仕事」している。
 問題はほかの議員である。ヤジを飛ばすのはいいほうで、暇を持て余し居眠りしているのがほとんどである。福井あたりの議会では、ヤジさえも出ない。
 それに質問回数が少ない。ほとんどの議員は、1年に1回質問するかしないかだという。その質問内容や文面さえ、官僚任せの議員が多いとも聞く。いったい議員は何の仕事をしているのか。採決だけなら、木偶の棒でいい。
 
 とてもボランティアとは言えない高額報酬をもらい、数少ない質問機会を活かすこともできない。つまらない「茶番」を見せつけられる納税者は、たまったものではない。 欧米の地方議員は、ほとんどが無報酬のボランティアである。それなら我慢できる。
 地方財政で大きな負担となっている、議員報酬と公務員報酬の見直しは、必須であろう。

福井市の消費ランキング(7月8日)

 福井市では「山の神」が財布を牛耳っている

 平成23年の、全国1世帯(二人以上の世帯)当たり年間支出金額と都道府県庁別ランキングにおける、福井市の順位を調べてみた。これは、都道府県所在市に、川崎市、浜松市、堺市、北九州市を含めた全国51市でのランキングである。

 その中で、福井市が1、2位に入っているのを紹介しよう。( )内は、全国平均の1世帯当たり消費金額を示す。この対比からも、ビジネスチャンスが窺える。
 ただ、福井市の場合1世帯当たりの人数が3.47人と、全国平均の3.08人に比べ、13%ほど多い。その分は割り引いてみなければならない。

 加工肉      1位 20,823円(17,150円)
 ソーセージ    2位  8,902円(7,098円)
 さといも     1位  1,700円(912円)
 大豆加工品    2位 16,055円(12,882円)
 油揚げがんもどき 1位  5,815円(3,223円)
 食塩       1位   698円(525円)
 ふりかけ     1位  2,527円(1,582円)
 カツレツ     1位  3,270円(1,548円)
 天ぷら・フライ  1位  14,550円(8,990円)
 やきとり     1位   3,815円(1,896円)
 他の調理食品のその他 1位 37,584円(26,277円)
 コーヒー飲料   1位   6,067円(3,663円)
 学校給食     1位  19,571円(11,573円)
 電気代      1位  148,390円(118,089円)
 婦人用寝間着   1位  2,001円(1,071円)
 子供用下着    1位  1,638円(982円)
 子供靴      1位  4,726円(3,820円) 
 葬儀関係費    2位  67,551円(15,315円)
 こづかい(使途不明) 1位 322,281円  (147,641円)

 福井市で好まれているものは、油揚げやとんかつ、焼き鳥など、昔からなじみのあるものばかりである。また、子供用下着や子供靴が1位に入っている。これ以外に、楽器やゲームソフトが3位に入っていることから、福井市は子供中心の、3世代同居の多さがうかがえる。 
 2位ではあるが、葬儀関係費が大きい。全国平均の4倍以上を葬儀関係に使っている。葬儀代だけでなく、香典も全国平均より多いのであろう。

 特筆したいのは、使途不明の「こづかい」が際立って多いことである。全国平均の2倍以上で32万円もある。それなのに、(ここには挙げてないが)世帯主こずかいは38位と、きわめて少ない。
 ということは、福井は「山の神」が財布を牛耳っているのであろう。「婦人用寝間着」1位は、何を意味するのであろうか。

 ちなみに、福井市での消費が最下位に近いのは、次の3つであった。

 男子靴      51位 1,674円(3,619円)
 被服・履物修理代 50位  279円(691円)
 タクシー代    50位 1,977円(5,113円)

起業の幻想(7月7日)

 つまらない起業家を支援するより、既存企業の拡大のための資源を投入したほうがいい

 昨年度から、起業する人に補助金を与える「創業補助金制度」ができた。国や自治体では、起業者の確保に躍起である。
 起業を支援する理由として、経済産業省は中小企業白書で、つぎのように言っている。

①経済成長に寄与する
 創業によって経済の新陳代謝が活発となり、経済成長を牽引する成長力の高い企業が誕生する。企業の参入・撤退がイノベーションの原動力となり、経済成長を支えている。
②雇用の創出
 情報通信業や医療、福祉といった開業率の高い業種では、雇用創出が雇用増加に大きく寄与している。小売業や飲食店、宿泊業においても、起業が雇用創出に重要な役割を果たしている。
③起業が生み出す社会の多様性
  新しい事業が増えると社会が多様化し、異常があって既存の事業がなくなっても、代替するものが残る。

 まさに、創業・起業こそが、日本経済のけん引力になるという。
 それに日本では、ずいぶん前から廃業する企業が開業者を上回っている。現在もそうである。このままでは、企業が無くなってしまう。
 その意味でも、起業者支援には、力を入れないといけないのであろう。

 だが、ほんとにそうか? 「お上」の言うことは、たいていきれいごとに過ぎない。
 スコット・A・シェーンは、「起業という幻想」という著書のなかで、つぎのように述べている(使っているのは、アメリカのデータ)。

①起業の半分は、それまで自分が働いていた産業である。
②あと半分は、ビジネスを始めることの容易な他の産業。
③すなわち、ほとんどの新しいビジネスは、魅力の乏しい業種で始められる。
④起業する人は、会社勤めしている中でも、賃金の低い人(能力の低い人)である。
⑤成長を目指すビジネスはわずかである。
⑥たいていの新たなビジネスは失敗する。
⑦失敗しないでも、起業家はそれほど儲からない。
⑧起業を促進しようとする公共政策はくだらない。
⑨これらの政策のせいで、失敗しそうで、経済効果に乏しく、ほとんど雇用を生まないビジネスが誕生している。
⑩起業が経済成長を促すのでなく、経済成長が起業を促進させている。
⑪そうはいっても、起業家を排除すべきではない。ただし、エリート起業家に限る。
⑫つまらない起業家を支援するより、既存企業の拡大のために同じ資源を投入したほうがいい。

 たしかに日本でも、新規設立会社の60%が1年以内に倒産、5年以内に80%が倒産、10年後にはたった5%しか残らない。
 
 国の考えとスコット・A・シェーンの考えは、正反対である。経産省のほんとの目的は、単に予算を獲得したいからであろう。

 ただスコットも、まったく起業に意味がないとは言っていない。その事業分野での知見が豊富で、新しい観点を持つエリート起業者なら、成功の可能性が高い。
 あたり前である。
 世の中は、あたり前のことを、あたり前にやることが大切なのである。

独立診断士の季節(7月6日)

 中小企業者がお金を払ってまでコンサルを受けてくれるか。その力を養っておく必要がある

 景気が回復基調にある。わが中小企業診断士の仲間も、かなり潤っていると思う。
 なにしろ、平成26年度予算は96兆円と過去最高の大盤振舞いである。これまで貧乏だった経済産業省にも、大きな予算がついた。診断士業務にも「おこぼれ」が回っている。具体的には、中小企業者へ直接の診断・指導に、国や自治体からの補助金がふえた。

 中小企業診断士は、文字通り中小企業の診断をして報酬をもらっている。
 5~6年前には、特定の案件を除いて、補助金を使っての中小企業者へのアドバイスなどまったくなかった。それが近年、中小企業者はお金を全く払わなくても、アドバイス支援を受けられるようになった。

 会社の診断サービスに、わざわざお金を払ってまで受けようとする零細企業は少ない。まして、どこの馬の骨かわからない中小企業診断士など、見たくもない。
 でも、「ただ」なら受けてもいい。商工会などの支援機関がその後押しをしている。
 したがって、いま診断士として独立する人は、恵まれている(残念ながら、私自身がその恩恵にあずかるには、年を取りすぎた)。積極的にその機会を活用したらいい。

 しかし、補助金の大きな弊害がある。
 無料で経営診断を受けることが当たり前になってしまうことである。こんな補助金制度がいつまでも続くはずがない。数年後には廃止される。そうでなければ財政が持たない。
 そのとき中小企業者は、お金を払ってまでも診断士を受け入れてくれるかどうかである。独立診断士にとって、いまが正念場である(被験者の中小企業者は災難である)。

拉致被害者の帰国(7月5日)

 玉砕覚悟で北朝鮮に乗り込む人がいないということは、他に失うものがあるということで、悪いことではない

 北朝鮮の拉致問題が、動き出した。こんな交渉ごとは、政府担当者に任せるしかない。周りがガタガタ言っても、足を引っ張るだけである。今度ばかりは、うまくいってほしい。それでなくとも、被害者の家族にとってみれば、この数十年の思いはいかばかりかと思う。
 いちど、拉致被害者である横田 めぐみさんのご両親の講演を聞いたことがある。怒りと、涙なしには聞くことができなかった。

 拉致被害者家族会では、以前から署名運動を行ったり、国内外のあらゆる有力者に訴えてきた。それなりに反応はあるが、それだけである。とても自衛隊派遣による奪還などおぼつかない。どうしようもないのだろうが、まどろっこしいことこの上ない。私ならとても我慢できない。

 そこでもし、私自身のほんとに愛する家族が、北朝鮮に拉致されたとわかったらどうするか。
 その場合、私にはもう失うものはない。玉砕覚悟で、北朝鮮に乗り込む。もう少し現実的に、「じじいの決死隊」を編成するかもしれない。

 そこまでやる人がいなかったということは、まだ失うものがいくらかあったということなのであろう。それはそれで、悪いことではない。

弱者差別(7月4日)

 日本ほど女性の強い国はない。もともと強い女性が、「弱者」の仮面をかぶると、もう無敵である

 アメリカで、ある女性の暴力事件が大きな波紋を広げているという。犯人は黒人で、いま指名手配されている。その女は、同年代の白人女性に唾を吐きかけ、殴る蹴るなどの暴行をした。白人女性の2歳の子供が、必死に止めようとしていたそうだ。
 それなのに、現場に居合わせた(おもに黒人)男性らは、眺めているだけあるいは携帯ビデオを回すだけで、白人女性を助けようとしなかった。

 もし、馬乗りになっている女性が白人で、下で殴られている女性が黒人なら、この事件はまったく別の展開になっていたはずだ。そう米国民は思っている。

 まさに「逆差別」である。
 いつの間にか「弱者」が異常に強い世界になっている。日本でも同じだ。「弱者」、「被害者」となれば一目置かれる。

 難病患者、在日、被爆者、被災者、性的マイノリティ、買い物弱者、基地被害者…など、日本には「われこそは弱者」と名乗る人が、後を絶たない。そのなかで、最も強力なのが「女性」である。

 男性から女性への暴力(DV)が増えている。弱いから、暴力に訴えるしかないからだ。女性から男性への暴力は、ニュースになるほど少ない。強い女性は、暴力を使うまでもないからである。

 もともと世界の中で、日本ほど女性の強い国はなかった。その強かった女性が、「弱者」のお面をかぶると、もう無敵である。男どもが、いくら束になってかかってもかなうわけがない。
 ヤジ騒動で女を上げた、塩村都議員はその典型例である。


(追)
 例のヤジ騒動に関連して、今朝のYahoo朝日新聞デジタルでは、別件での「セクハラヤジ」を取り上げていた。今年4月、日本維新の会の上西小百合議員が国会での質問中、委員会室にいた男性議員から「まず自分が子どもを産まないとダメだぞ」というヤジを受けていたという。
 どこまでもアラ探しの好きなメディアである。その執念深さには感心する。

原発のリスク認知〈7月3日)

 バイアスに輪をかけているのが、知識人やメディアである。脱原発で日本は、「ゆで蛙」になる

 我々の周りには、無数のリスクが存在する。ただ、すべてのリスクを完全に管理することはできない。そのため、あるレベルを許容範囲として、それ以下なら受け入れると言うコンセンサスが必要である。
 そのとき留意しなければならないのは、リスク認知の状況が社会や文化のあり方、時代背景、それらを加えた様々なバイアス(偏見)によって影響を受けることである。

 そのなかに「カストロフィーバイアス」というのがある。これは、「極めてまれにしか起きない被害規模の巨大なリスクに対して、リスクを過大に見てしまうこと」である。とくに、間近に危機一髪の出来事が起こった場合には、とんでもないバイアスがかかってしまう。
 まさに、原発事故が当てはまる。3.11以後、人々は極端に原発を恐れるようになってしまった。

               くるくるパー

 それに輪をかけているのが、知識人やメディアである。
 本屋や図書館へ行っても、原発・放射線関係は、90%以上が「反原発」の書物である。新聞やネットを見ても、放射線の恐怖を煽った記事が、微に入り細に入り恐怖情報を流している。ほとんどが思い込みねつ造(つまりインチキ)である。
 原発は大丈夫だと言うと、それだけで御用学者扱いされる。
 これでは、バイアスがますます強化されてしまう。
 
 原発なしで日本の将来はどうなるか。
 じわじわと増え続ける貿易赤字に財政赤字、里山を埋め尽くす太陽光発電パネル、化石燃料による大気汚染や膨大な廃棄物、CO2増加による温暖化、CO2増加と一体の酸素欠乏(温暖化に懐疑的な人はいても、確実に生物を破滅させる酸素欠乏に反論する人はいない)・・・。それになんといっても、原発の撤退すら不可能になるのである。
 日本そして地球は、環境面・経済面で、確実に衰退の道をたどっていく。つまり「ゆで蛙」になるしかない。

公務員のボーナス(7月2日)

 世の中は不公平であるが、安い給料で働く人ほどえらいのである

≪福井県と県内17市町の公務員の夏のボーナス(期末・勤勉手当)が30日、支給された。管理職を除く県の一般行政職2839人(平均40.8歳)の平均支給額は67万円。昨年夏から3千円のプラスとなり、8年ぶりの増額となった。 6月30日福井新聞より≫

 むかし、中小零細企業にしか籍を置いたことのない私は、ボーナスのシーズンが来るたび、あまりの格差に、公務員や大企業に対し怨嗟の声を上げていた。その怨念がほとばしっていたのか、若いころ私の周囲に公務員はだれもいなかった。


 いまは頭を冷やし、客観的に見ることができるが、格差は昔よりひどくなった。労働者の2極分化が進んでいる。公務員のように恵まれたサラリーマンがいる反面、パートや派遣労働者が増えた。彼らは、ボーナスどころではない(少ないといっても昔は、公務員の何割かは貰えた)。
 なぜ労働者に格差が生まれてしまったのか。

 大量生産する製造現場や農業は、機械化が進んだ。農業は極端である。アメリカなど農業先進国といわれる国は、農業者は就業人口の1%しかいない。それだけ生産性が高くなった。業種ごとにばらつきはあるが、製造業も同じである。多くの分野で圧倒的に生産性が向上した。生産性が高くなれば、人手はいらなくなる。少数の管理者やオペレーターと、機械の代わりの単純労働者の組み合わせである。
 そのうえデフレによる低コスト圧力は、弱い労働者にしわ寄せされる。したがってどうしても、高賃金の頭脳労働者と低賃金の単純労働者に分化してしまう。
 と一般には信じられている。

 しかし私は、世の中に「単純労働」などないと思う。 秀吉の「ぞうりとり」のように、工夫さえできれば、どんな仕事でも大きな価値を生み出すことができる。
 それと、それに見合った金銭的報酬があるかどうかは、まったく別である。
 世の中は、絶対的に不公平なのである。

 そこで、安月給で一生懸命働いている人に、次の言葉を贈りたい。

 価値工学(VA)によると、価値=機能/コスト である。すなわち、少ない報酬でいい仕事をした人ほど価値が高い。
 「安い給料で働く人ほど、えらい」のである。

  (こんな言葉に騙される人はいないと思うけどね) 

汚染水防止凍土壁(7月1日)

 他人の間違いに非難・批判ばかりする人は、この世にいてはいけない

≪東京電力福島第1原発の汚染水問題で、2号機タービン建屋から海側のトレンチ(地下道)へ流れ込む汚染水をせき止める「氷の壁」が2カ月近くたっても十分に凍結していないことが28日、分かった。6月29日産経新聞YAHOOニュースより≫

 このニュースは、取り立てて驚くことではない。もしうまくいったのなら、日本がワールドカップサッカーで優勝するぐらいの奇跡、快挙だと思っていた。
 そもそもまったく新しい技術が、ぶっつけ本番でうまくいくことなどありえない。失敗を積み重ねてこそ、大きな成功が得られる。そして日本には、この上ない原発処理のノウハウが蓄積される。

 それなのに、世間は冷たい。周りから罵声を浴びせるだけである。

≪凍土壁なんて、机上の空論だろ?これにまた、電気をどれだけ使うんだ?建設費用と維持費のムダ遣いだろ。≫
≪320億の国費。。。  東電はわかってるのかね≫
≪汚染水処理が、新しい既得権益になっている!≫
≪施設が壊れたときにどうするのか、今回の場合、対策を何も考えていないことがよくわかる。これで、原子力を動かそうとしていること自体、最悪だ。≫
≪こんなんばっかりだな。≫

 320億だろうが10兆円だろうが、かまわない。生活保護費や年金を半分に減らしてでも、対策費に使うべきである。これはすべて、働く国民ひとりひとりのお金になる
 これが「既得権益」だというのなら、「既得権益」はすべてに発生する。むしろ、反原発者の既得権益ほど凄まじいものはない。「反原発」のインチキ本がどれだけ出ていることか。

 「他人の間違いに対し」非難・批判ばかりで何もしない人は、5段階評価の最低ランク「いてはいけない人」である。

(もっとも、多少の「汚染水」が流出したところで、大したことはない。海は広くて大きい。)