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ごみ屋敷(3月31日)

 ゴミはその人の「人格」である。これから老人が大量に亡くなると同時に、ゴミも大量に発生する

 近所に評判の「ごみ屋敷」がある。幅7~8メートルの通りに面した玄関が、びっしりガラクタで埋め尽くされている。 それらは、多数のゴミ袋に詰め込まれ、うずたかく積まれている。廃車になった軽自動車まである。殊勝なことに、それらは散乱しているわけではない。丁寧に積み重ねられ、盗まれないように?家屋の周りに、紐で厳重に結ばれている。
 おそらく家の中にも、「廃棄物」がびっしり詰め込まれているのであろう。

 ここまで極端な屋敷は珍しいが、これはなにも特別なことではない。年寄りはゴミを溜めたがる。私も少し油断すると、部屋の中が古い書類でいっぱいになる。できるだけ電子データで残そうとしていても、あちらこちらから分厚い書類が送られてくる。パソコンの中も、よほど分類に気を配らないとわけがわからなくなる。

 年を取ると、それまでの蓄積が多くなる。思い入れのあるものもあるから、すべてを捨てるわけにはいかない。生きている時間に比例して、モノが溜まっていく。ゴミは、その人の「人格」であるとさえ思える。

 だから私がいなくなると、我が家は廃棄物が、トラック2杯ぐらい出るであろう。じつは家の中では、私より父(95歳)のほうがすごい。部屋の中には、明らかにゴミが積み重なっている(鼻をかんだ紙でも、まだ使えると保管しておく)。庭もガラクタでいっぱいである。臭いので捨てると、怒りだす。

 平成20年の日本の居住住宅数約5700万件、うち居住部屋数2億3000万部屋あるが、人口は部屋数の半分である。おそらく残りの半分の部屋は、ゴミで埋まっているのではないか。
 これからは、老人が大量に亡くなる時代である。大歓迎だが、同時にゴミも大量に発生する。
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ジャガイモの植えつけ(3月30日)

 昨日、「宝永を愛する会」の活動で、ジャガイモの植え付けを行った。
 坂井市の北部丘陵地で借りている農地に、午後1時に約20人が集合。種芋をカットし、整地された畑地に30センチ間隔で植えつけていく。その後に肥料を散布し土をかぶせるまでで、2時間弱の作業である。70~80mの長さで、10列ほどを植え付けた。収穫は、4か月後くらいか。

 作業時間は短いが疲れる。とくに、立ったり中腰を繰り返す動作は、てき面である。鍬で土をかぶせる作業もきつい。 こんな簡単な作業でもばてる。本職のジャガイモづくりは、こんな非効率なことはやっていないはずだ。種まきも肥料散布も、すべて機械で一気にやれる。

 ジャガイモ植え H26.3.29  ジャガイモ植えクワ H26.3.29  ジャガイモ植え集合H26.3.29

 ジャガイモづくりだけで、2回の移動時間を合わせ、収穫まで一人5~6時間かける。それでやっと、15キロほどの分け前にあづかる。スーパーなら1500円か、せいぜい2000円も出せば買える。往復のガソリン代や肥料代、土地賃貸料をいれると、とても採算に合うものではない。
 それでも、自分で掘ったものは貴重で、その10倍にも思える。去年も半年ほど、ここで取れたジャガイモやサツマイモ、大根が我が家の物置を占領した。

袴田冤罪事件(3月29日)

 袴田氏は未熟な警察・検察に代わって、48年間の牢獄人生と引き換えに、多くの人の命を救ってきた

 48年前に、一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で、再審開始が決定。もちろん、袴田被告は釈放された。冤罪だった確率がかなり高い。

 この事件だけでなく、これまで警察や検察の取り調べのいい加減さは、ずいぶん指摘されてきた。証拠のねつ造、隠匿、自白の強要など、信じられないような悪代官ぶりである。これらの検察・警察の行為で、どれだけの人が冤罪に苦しんできたかと思うと、八つ裂きにしても足りない。
 袴田被告の無念さも、はかり知れない。
 おかげで、「袴田氏は48年間の人生を無駄にしてしまった」といわれる。

 確かにそうなのだが、それでは救いようがない。いくら金銭で償っても、まわりが喜ぶだけである。そこで、別の観点から見る。ある意味、袴田氏の48年間は決して無駄ではなかったのではないか。そう思いたい。
 
 どういうことか。
 警察・検察の未熟さを、袴田氏は自らの身をもってカバーしてきたのである。

 すなわち未熟な警察・検察の力では、真犯人を挙げることができなかった。そうなると、犯罪予備軍が勢いづく。悪いことをしても捕まらなかったら、悪事のやり放題である。
 あのとき袴田氏が冤罪で捕まらなかったら、他の人が冤罪犠牲になっていた。或いは、誰も捕まらなかったら、警察を見くびって他の犯罪が増える。もしかしたら袴田氏の逮捕で、何百もの犯罪を防ぎ、被害者の発生を食い止めてきた可能性が大きい。

 袴田氏は、その48年間の牢獄人生と引き換えに、多くの人の命を救ってきた。だから、彼の48年間は決して無駄ではなかった。アホな警察・検察に代わって、人生最高のいい仕事をしてきたのだと誇って欲しい。


(追)こんなことは、当事者(警察や検察)の口からは言えない。それに、決して警察や検察を擁護しているのではない。
 また、メディアには警察や検察を非難する資格はない。容疑者とその家族を追い込む最大の勢力は、いつもメディアだからである。

国際交流協会(3月28日)

 この協会がほんとに必要かどうかについて、任期中に理解できればいい

 今年度、(公財)福井県国際交流協会の「監査役」を拝命し、昨日その最初の理事会に出席した。
 この協会の仕組みはわかりにくい。国際交流会館の事業とその他の事業を行っており、会館のほうは指定管理者制度の委託を受けている。会計も、その2つを合わせたり分けたりしているからだ。

 なぜわかりにくいのか。普通は、なにかの利権を大っぴらにしたくないからである。たしかに、県庁退職者の「玉突き人事」は確実にある。国際交流会館の指定管理にしても、膨大な申請書類を作成できるのは、内容に精通しているこの協会しかない。しかも給料をもらいながらである。事実上の独占的利権である
 ただ公共施設ならどこも同じである。こんなことは、秘密でもなんでもない。

公共施設にまつわる天下り利権はしょうがない。公務員退職者の多くは、数億円もの蓄えをもつ。しかしその多くは、預貯金として塩漬けになっている。結果的にこれが、1000兆円を超える公的財政赤字を支えている。

 もっとも、ほんとに後ろめたいところがあるのなら、私のような男を、無報酬の「監査役」にしない。これ以上の「巨悪」が隠れているとは思えない。
 そもそもこの協会が、ほんとに必要かどうかが問題である。4年の任期中に理解できるかどうか。 

女児白玉詰まらせ死亡(3月27日)

いくら注意しても、死ぬときは死ぬ。ゼロリスクを求めるなら、最初からいなければいい

≪栃木県栃木市の保育園で2012年、森戸里世ちゃん=当時(2)=が白玉を喉に詰まらせて窒息死する事故があり、県警捜査1課と栃木署は26日、業務上過失致死の疑いで当時の園長の女性(61)ら3人を書類送検した。3人とも容疑を認めているという。・・中略・・おやつにフルーツポンチを提供した際、白玉を小さく砕くなどの注意義務を怠り、里世ちゃんの喉に詰まらせ死亡させた疑い。 26日時事通信より≫

 この記事を受けたネット投稿では、ほとんどが保育士に同情的であった。なかには、次のようなものもあった。

≪保育士が、幼児にのどに詰まるものを食べさせて死なせたら、業務上過失致死。母親が、我が子に凍らせたこんにゃくゼリーを食べさせて死なせたら、製造メーカーから賠償金を貰える。≫
≪わずかなお金で子どもを預けて、オムツはずしから何からまかせっぱなし。おいしい子育てだけやってる親達。・・中略・・親は自分のことをほんのちょっとも恥じることはないか???≫

 先日の「ベビーシッター殺人」のときも、このような意見は多かった。

 いくら注意しても、死ぬときは死ぬ。ゼロリスクを求めるなら、最初からこの世にいなければいい。
 そして本来ならば、「子育て」のような、もっとも重要な仕事に携わる人は、最高の待遇を受けてしかるべきである。

質問する力(3月26日)

 「質問する力」を高めることが、管理者やコンサルタントの基本姿勢である

 企業管理者やコンサルタントは、相談者に「気づき」を促すことが重要だと言われる。一方的な「指導」だけでは、相談者が理解できないし、実感できない。またよほどの相手でないと、反発を感じる。
 ただ「気づき」は、待っていたら100年かかる。そこで、「質問」がそれを引き出す。

 この「質問する力」で有名なのは、ソクラテスである。彼は人々に、「徳とは」「善とは」「正義とは」何かと、つぎつぎ疑問を投げかける。人々は、知っていると思っているだけで、本当は知らないことを自覚する。真理を発見することを助ける「産婆術」とも言われる。
 質問することによって、情報、考え、気づき、意欲、行動、信頼などを引き出す。

 では、この「質問する力」とは、どのようなものか。
 質問には、「オープン・クエスチョン」と「クローズド・クエスチョン」がある。

 「オープン・クエスチョン」は、相手に自由に答えてもらう質問である。「あなたの顧客は、誰ですか」などだ。「クローズド・クエスチョン」は、相手に制限を与えて答えてもらう質問で、例えば「あなたの顧客は、A ですか、B ですか」などである。
 相談者の話を広げ、ふくらませたいとき、自分で考えて方向性を見出してもらいたいときはオープン・クエスチョンを用いる。相手の意思を端的に確認したいときや一定の方向に考えてもらいたいときはクローズド・クエスチョンがいい。

 したがって、相談者の「気づき」を引き出すには、「オープン・クエスチョン」をうまく使うことである。
 簡単に言えば、5W1H すなわち、「いつ(When)、どこで(Where)、誰と(Who)、何を(What)、なぜ(Why)、どのように(How)」や、D で始まる質問、「どこで、誰と、どうして、どうやって、どんな」を駆使する。
 
 しかし、これは簡単ではない。相談者が寡黙だと、ついこちらから一方的に発信してしまう。また、5W1HやD で始まる質問といっても、何でもいいわけではない。
 相談者の事業の形態、レベル、思考の程度にあわせ、臨機応変に行わなければ、しらけてしまう。多くの経営や技術の背景、社会・経済情勢などの裏付けが必要である。

 その「質問する力」を高めることが、管理者やコンサルタントの基本であろう。たしか昔、大前研一氏がそのような本を出していたと思う。

増税前の買いだめ(3月25日)

 いくら買い込んでも、ムダに使うだけである。3%ぐらいなら、欲しいときに買ったほうがずっといい

 いよいよ消費税が8%になる。どうせなら、一気に10%になったほうがよかった。じわじわ上がると、中小企業は茹で蛙になる。いちばんいいのは、4月1日になったら、「増税を中止します」と発表することである(エイプリルフールと思われるだろうが)。でも、決まったものはしょうがない。

 一方、消費者の多くは「買いだめ」に走っているという。電化製品はわかるが、トイレットペーパー、洗剤、シャンプー、缶詰などは、貯め込んでもムダに使うだけである。場所を取るし、たいてい行方不明になる。3%ぐらいなら、欲しいときに買ったほうがずっといい。

 私自身は、駆け込み消費といっても、欲しいものがない。浴びるほど飲んでも、二日酔いになるだけである。ナイトクラブも、いい思い出がない。飲み屋ではいくら払ったかわからない。消費税3~5%など、誤差の範囲である。

 買うのなら耐久消費財である。家の中には10年以上たった家電商品がごろごろしている。車も7~8年たつ。だが、充分使えるので、捨てるには忍びない。
 そういえば家にはまだ、ブラウン管テレビがあった。20年ほど前に購入したのが、毎日10時間頑張っている。3~4年前、調子が悪かったので、2万円ほどで修理した。壊れそうで壊れない。あと1~2年持つのなら、駆け込みで買わなくともいい。その頃は、もっと安くてよいTVが発売されている。

 ほんとは、もっと古くて、新品と取りかえたいのがあるのだが、恐ろしいので言わない。

コピペの何が悪い②(3月24日)

 世間では使い物にならない博士が増えているのは、「コピペ」を排除した論文ばかり書いているからではないか

 STAP細胞疑惑の中心で研究リーダーの小保方氏やその家族は、かなり落ち込んでいるという。一時は、ノーベル賞以上の大発見といわれながら急展開し、いまや国賊扱いである。
 ただ、論文が「ねつ造」であったとしても、今回の責任の90%は、小保方氏の論文を評価した側にある。もちろんマスコミも含まれる。「ねつ造」そのものより、あれだけ持ち上げてしまったことのほうが大きい。持ち上げなければ、落ちない。
 「ねつ造」論文は無数にあり、玉石混合の研究論文を見分けるのが、評価の専門家ではないのか。

 どうもこの問題は、「コピペ」から「ねつ造」に変わってしまった。では、「コピペ」と「ねつ造」は何が違うのか。

 武村政春氏の著書「世界は複製でできている」から推察すると、「コピペ」と「ねつ造」は、生物の老化現象に似ている。
 生物は、生まれたとき受精卵が分裂し、つぎつぎ細胞分裂(コピペ)によって形成される。ところが、老化と共に細胞分裂(コピペ)が縮小し、代わりにがん細胞など余計なものが増殖する。このがん細胞が「ねつ造」に相当する(ちょっと苦しいか)。

 そもそも、われわれ生き物の存在そのものが「コピペ」である。我々の体細胞は、父母、祖父母、祖ゝ父母とつづく、それぞれのDNA塩基が正確に「コピペ」され、その無数の組み合わせが、個性を作っている。「コピペ」が悪いなんてとんでもない話だ。
 
 武村氏によれば、世の中には「コピペ」でないものはない。身の回りにあるものを見てほしい。
 「コピペ」の利点は、同じようでいてわずかに異なるものをつくれる余地があることと、DNAのように、「組み合わせ」の要素を導入することで、同じ材料で新たなものをつくることができることである。
 イノベーションとは、複製(コピペ)の一つのバリーエションであるともいえる。
 とくに産業社会では、「コピペ」の組み合わせがイノベーションを生むことは、スティーブ・ジョブズの言を待つまでもない。特許の多くは、従来あった発明特許をベースにしたものである。

 このような自然原則に反して、学術社会では、「コピペ」はいけないと言う。
 「真面目」な学者ほど「コピペ」を忌み嫌う。そんな指導者のもとには、徹底的に「コピペ」を排除して、修士論文、博士論文を、一生懸命書く学生が集まる。そんな人は、一つの論文を仕上げるのに、膨大な時間を要するであろう。非効率極まりない。
 世間で使い物にならない博士取得者が増えているのは、それが原因なのかもしれない。

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ご近所お稲荷さん(3月23日)

 毎年1軒づつ住民がいなくなる町内で、この神社はいつまで持つのであろうか

 今日、町内の稲荷神社の例大祭があった。昔から、町内で管理している神社である。
 徳川家康の次男である結城秀康が越前城主になった時、「北の守り神」として建造したという伝えである。その言い伝え以外には、記録も何もない。大火の守り神でもあったが、さすがに福井空襲で全焼した。昭和33年(私が10歳のころ)に、大枚をはたいて再建されたと聞いている。ただ、当時の事情を知っている人は誰もいない。

 そして、町内の我々にとって不思議な存在でもある。町内の管理下にありながら、正体がわからない。宗主がだれかわからないから、宗教法人ではない。もちろん、税金も払っていない。

 ただ、年に一度の例大祭以外に、毎月当番で掃除やお供え物をしたり、年末年始には「御開帳」をする。境内の松の木の剪定もするから、毎年維持費で10万円近くかかる。数年前にペンキ塗りした時には、20万円かかった。2つある鳥居の一つがぐらぐらして、いつ倒壊するかわからない。そろそろ、本体の建屋も怪しくなってきた。もしこれを立て直すとしたら、数百万円かかる。

  稲荷鳥居文字H26.3.23  玄武稲荷祭りH26.3.23  玄武稲荷由来H26.3.23

 はっきり、「迷惑な存在だ」と言いう人もいる。我々の下の世代の町内で、取り壊すと決めても、阻止するだけの名分がない。

 それでも年に一度、わずかな時間でも、町内の人々が集まる唯一の機会である。毎年住民がいなくなる町内で、この神社はいつまで持つのであろうか。

訴訟社会の到来(3月22日)

 訴訟はサービス業であるが、社会に付加価値をもたらすものではない

≪靴底を不安定にすることで、筋力向上などをうたったトレーニングシューズ「リーボック イージートーン」を履いて転倒し、重傷を負ったとして、横浜市港北区の男性(59)が製造元のアディダスジャパン(東京都港区)に約2300万円の損害賠償を求めて横浜地裁に提訴していたことが20日、分かった。同日開かれた第1回口頭弁論で、アディダス側は請求棄却を求め、争う姿勢を示した。3月21日 神奈川新聞より≫

 そういえば以前、銀行の足ふきマットで転んだ女性が、その店を訴えたという報道があった。
とうとう日本も訴訟社会になってきた。どんな状況かよくわからないが、これまではこんなことで騒ぎにはならなかったのではないか。

 権利意識、弱者意識が蔓延してきたからであろう。また、弁護士が余ってきたからに違いない。
 しかし、たとえ訴訟で勝ったとしても、こんなものはゼロ・サムである。弁護士が儲かるサービス業ではあるが、社会に付加価値をもたらすものではない。金が動くからGDPは向上するかもしれないが、まったく意味がない。
 こんな人ばかり増えると、社会はおかしくなる

こけし(3月21日)

 江戸時代末期から、東北地方の温泉地で、湯治客に土産物として売られるようになった木製の人形玩具である。一般的に、ろくろ引きで、球形の頭部と円柱の胴だけのシンプルな形態をしている。

 観光庁が主催する「魅力ある日本のお土産コンテスト」入賞の常連であると同時に、「もらって困る日本のお土産コンテスト」にも選ばれそうである。
 
 「こけし」の名は「子消し」から、という恐ろしい話もある。東北地方の産婆さんが、「間引き」の罪を償うため、亡くなる間際に両手を切断したことからきているという。

 「子消し」についての信ぴょう性は薄そうだが、その独特な形から、昔はとくに女性に愛用された。いまはもっと進化している。

愚者は経験に学ぶ(3月20日)

 相談者が若いか業界での経験が少ない場合、つい自分の経験を自慢してしまう

 経営コンサルタントとして、毎年200社以上の企業と接触している。基本的には、ヒアリング中心である。相談者に、「気づき」を得てもらいたいからである。しかし相談者が寡黙だと、こちらから一方的に発信してしまう。その場合、相談者がうなずいているので、満足したらいけない。
 ほとんどわかっていない場合が多い。

 そこで、つぎの格言を思い出す。

 【愚者は教えたがる】
 【賢者は聞きたがる】

 とくに、相談者が若いか業界での経験が少ない場合、つい自分の経験を自慢してしまいがちである。
 その場合、つぎの格言を思い起こすことにしている。

 【愚者は経験に学ぶ】
 【賢者は歴史に学ぶ】

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 5段階評価

原発再稼働にむけて(3月19日)

 今の政治家は、不合理な感情に流されることなく、論理的に物事を進めている。ただ、マスコミと国民の乱心が気がかりである

 原子力規制委員会の安全審査が大詰めになり、またぞろ原発反対者の活動が活発になってきた。まだ国民の原発アレルギーは、癒えていない。反原発者の理不尽な意見が通ってしまうかもしれない。そうなったら、日本はおしまいである。

 幸い今の政権は、不合理な感情に流されることなく、論理的に物事を進めている。一応安心だが、マスコミとそれに煽られた国民の乱心が気がかりである。

 そこで、先週も少し述べたが、世界的放射線治療の権威ロバート・ピーター・ゲイル氏の著作、「放射線と冷静に向き合いたいみなさんへ」(早川書房)の一部を(私の見解を含めて)紹介しよう。原発反対者の最大の根拠が、異常な放射線恐怖にあるからである。この本は、客観的・包括的に原子力や放射線のことを述べた良書である。
 ここでは、放射線の人体リスクについては、省略した。安全だというデータは、他にいくらでもあるし、いくら安全だと言っても、信じなかったら意味がないからである。

①世の中に安全なものなどあり得ない。
 同じ電力を発電した場合、それが原因で亡くなる人の割合は、原発を1とすると、石炭500倍、石油360倍、天然ガス60倍である。事故が起こったときも、これら化石燃料発電は、原発の6~10倍の高い死亡率を有している。
 また日本では、原発がフル稼働した場合、使用済み燃料が年間約1000トン発生する。石炭発電による水銀入り使用済み燃料は、その原発の10万~100万倍もの量になる。あまり知られてはいないが、石炭残渣からは20万~1000万ベクレル/トンもの放射線が発生している。
 廃棄物といえば、全世界で毎年4~5億tの有害廃棄物が発生し、その多くが人知れず葬り去られている。どこにあるかわからないのである。管理された原発の使用済み燃料より、よほど危険である。
 さらに太陽光発電こそ、装置を作るために膨大な資源採取と廃棄を行い、大量のエネルギーを使う。製造段階では、原発に匹敵する放射線を出すという試算もある。日本では、高額買取制度のおかげで、地上げ屋が跋扈し、広大な里山や農地が蹂躙されかかっている。
 そしていま、日本の周りの放射能汚染は、すべて福島第一のせいにされてしまっている。それこそ危険極まりないのではないか。

②海への放射能汚染
 海にたどりついた放射性核種は、一気に薄まり、魚や海草へのリスクを下げる。セシウム137などの放射性核種はカリウムに似ているため、魚介類の生体に入り込むには、何兆倍ものカリウムと競わなければならない。吸収されても、すみやかに排泄される。放射性物質が海にたどりつくことは、思ったより危険でない。
 忘れてならないのは、1946年から1972年まで、多くの国が意図的に大量の放射性物質(沈めた原潜も合む)を海に投棄したことである。また、1945年から1980年まで行なわれていた大気圈内核実験によって、大量の放射性物質が海にたまった。
 そして海には、ウラン、トリウム、ラジウムなどの放射性元素が地中から運ばれており、もともと天然のカリウム40も大量に含まれている。海が自然の状態で持っている放射能の総量は、14ゼタ(1兆×10億)ベクレルである。福島第一の汚染水が流れても、蚊が刺した程度にもならない。
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③原発テロより怖い核テロ
 現在世界が恐れているのは、原発テロよりも、むしろ「汚い爆弾」テロである。世界には無数に放射性物質が散らばっている。病院や研究室にある、がん治療器や放射線殺菌器などである。これらが盗まれ、線源を取り外されたらどうなるか。さらに、それを通常の爆弾で爆発させれば、放射性物質は、一気に数キロ範囲に拡散する(その前にテロ実行者は高線量被ばくするが)。
 もっとも、市民にとって危険なのは、直後に広まる混乱やパニックである。医療機関には、実際に放射線被ばくした人(それでも死ぬ人はまれである)の、何百倍もの思い込み患者が殺到する。それが他の地域にも飛び火して、収拾がつかなくなる。今の福島にやや似ている。
 これを防ぐのに、すべての放射線装置を隔離することは不可能である。回避する方法はただ一つ。市民が放射能を恐れないことである。

④なぜ人々は、原発や放射能を怖がるのか
 人々の脳は、合理的な要因より、感情的な要因のほうに重きを置くからである。そして、事故が起きたことのことばかり考える。多くの人が、自動車事故で死ぬより、飛行機の墜落事故で死ぬほうを怖がるのと似ている。また反原発者が発信する、非常に誇張された記事や映像が、人々の恐怖を募らせる。
 通常の発電量単位では、石炭火力発電のほうが原子力発電より3倍多く放射性物質を放っているし、石炭火力を主とする大気汚染では年間320万人もの死者が出ている。原発事故が起こったとしても、あのチェルノブイリ事故の死者数ですら、飛行機事故で亡くなった人の数に遠く及ばないというのに。 
 それに、ひとたび結論に達すると、意見を変えるのは難しい。最初に刷り込まれた「放射能怖い」のイメージが抜けきらない。放射能の安全性を主張する人がいれば、「御用学者だ」と決めつける。私自身も、3.11のとき「さすがに原発はもうダメだ」と思ってから、考えを改めるのに半年かかった。

 確かに、原発利権や不祥事隠しなどは言語道断だし、私も怒りを覚える(いまは自然エネルギー利権のほうが大きいが)。しかし、ものごとの本質を見誤ると、日本の行く末は悲惨である。臆病国家は必ず滅ぶ。

 いま、安全な原発推進は日本の使命である。心配なら、あと100年かけて撤退すればいい。それまでは、原子力以外のエネルギーで、72億にも増えてしまった人類を養うことなどできるはずがない(たとえば、大規模原発150基分のエネルギーで作っている窒素肥料がなければ、何十億人もの餓死者が出る)。できると考えている人は、本物の阿呆か利己主義者である。
 万一日本が原発から撤退しても、中国・韓国・インドなど、周囲の途上国が信頼性のない原発を乱立させる。それこそ悪夢である。

クリミヤ情勢(3月18日)

 外国同士の諍いに事情も分からず口を出すということは、欧米が韓国の「慰安婦」プロパガンダを信じてしまうのと同じになる

≪ロシアが掌握したウクライナ南部のクリミア自治共和国で、ロシア編入の是非をめぐって16日に行われた住民投票は、選管当局が公表した暫定結果でロシア編入賛成95.7%に上り、圧倒的多数での承認が確実となった。欧米の再三の警告にもかかわらず、住民投票が強行されたことで、欧米側は対ロシア制裁を本格発動する構えだ。(3月17日時事通信より)≫

 単純に考えれば、その住民のほとんどが離脱に賛成しているのに、欧米はなぜ反対するのかということになる。ウクライナでは、選挙で選ばれた政権が、現在のクーデター政権に代わり、クリミアが取り残されたのである。現政権の正当性はない。
 
 しかし領土を決める場合、歴史的背景を考える必要がある。日本の北方領土がいい例である。占領後に多数の自国民を移住させ、住民投票で領土帰結を決めれば、結果は火を見るより明らかである。チベットやウイグルも同じである。
 沖縄でも、中国のマスコミが住民を洗脳しており、住民投票すればどうなるかわからない。さらに、大阪あたりに朝鮮民族が大量に移住してくるだけで、関西は朝鮮国に編入してしまう。

 正直私には、そのあたりの事情がよくわからない。複雑な事情があることは推測される。日本の政府やマスコミも態度があいまいである。今のところ、これがベストであろう。直接利害関係のない日本は、あまり口出ししないほうがいいと思う(外務省は事情をつかんでいるのかもしれないが、信用できない)。

 外国人同士のいさかいに、事情も分からず口を出すということは、欧米諸国が韓国の「慰安婦」プロパガンダを信じてしまうのと、同じことになるからである。

恨まれ役(3月17日)

 積極的に憎まれ役を買っている人々を、私は尊敬する

 誰でも他人からは、いい人だと思われたい。恨まれたり、憎まれたりするなんて、まっぴらである。
 ところが世の中には、憎まれたり、恨まれる人が必ずいる。むしろ、憎まれ・恨まれる人がいることで、世の中が成り立っている。

 例えば医者である。どうしても治らない患者(高齢者は除く)がいた場合、医者がいい子になってしまうと、患者の死後、家族がぎくしゃくする。医療過誤があって、医者が恨まれたほうが、残された家族は団結し、生きがいを感じる(医者は大変だが)。
 
 中国や韓国の日本たたきも同じである。虐殺事件などをでっちあげて日本を槍玉に挙げ、国内ごたごたの憂さ晴らしをする。外部に対してのはけ口がなければ、内部崩壊するからである。もっとも、あと何年かすれば日本は貧しくなり、世界から同情されるようになる。そうなれば、憎まれ役としての日本の役割は終わりだ(逆に徹底的に苛められるかもしれない)。
                                    
 典型的なのは、民主主義国家の政府、自治体である。日本では、なにかあると必ず行政を批判の対象にする。何かをやってもやらなくても、割を食う人は発生する。その場合マスコミと一緒に、とりあえず政治家を非難すれば安全である。

 この叩かれ役、憎まれ役がいることによって人々は溜飲を下げる。政府や役人が「いい人」ばかりだったら、どうか。代わりにだれかが犠牲になるか、自殺者が増えるだけである。
 積極的に、そんな憎まれ役を買っている政治家を、私は尊敬する。

ご近所のゴミ対策(3月16日)

 日本中が困っており、いい方法を発明できれば、大きなビジネスになる

 ご多分に漏れずどの町内も、ゴミ集めでは苦労している。私の町内では、4つの収集箇所で家庭ごみを収集している。1か所は私の家の前にあり、いつもどっさりおかれる。ときどきカラスや野良犬が荒らして、散らばる。掃除が大変である。

 そこで最近、市内の各所で使われている折り畳み式の金籠を検討している。隣の町内でも使われており、具合がよさそうである。
 ただ、問題はある。
 まず朝早く、ごみを出す人が来る前に準備し、ゴミ収取車が去った後に折りたたんでおかなければならない。いったい誰がやるのか。それをどこに置くのか。また、銘盤を入れると1台10万円ほどする。補助金が出るらしいが、後が厄介であるから利用したくない。
 そして最大の問題は、大雪対策である。除雪車が通ったら、あっという間に壊される。壊されないまでも、雪の下で行方不明になる。

 一冬持たないのなら、大枚はたいて設置する意味がない。他の町内ではどのように管理するか見ることにしたところ、この冬はほとんど積雪がなく、調べることができなかった。

 すっきりしたごみ対策の方法はないものかと思う。日本中が困っており、いい方法を発明できれば、大きなビジネスになる。現に、いまの折り畳み式金籠でさえ、市内では相当売れた。
 昔からの課題であるが、一番いいのはごみを出さないことである。これが問題だと思っていない人は、ごみ収集箇所の掃除をしたことがない人である。

コピペの何が悪い①(3月15日)

 コピペ技術が洗練されれば、さらにそれをつなげるイノベーションに、時間と労力を投入できる

≪STAP細胞論文の著者の1人、理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダーが早稲田大学に提出した英文の博士論文に、米研究所がネットで掲載中の文章と酷似する部分が大量にあることが、11日わかった。3月11日朝日新聞デジタルより≫

 これは、いわゆる「コピペ」の問題である。小保方晴子氏のSTAP細胞論文にケチがついたと思ったら、それ以外のところまで穿り返す。典型的な、「池に落ちた野良犬いじめ」である。

 そもそも、「コピペ」はなぜいけないのか。
 著作権を侵害するからという意見もある。だが、既得権益の塊のような著作権益こそ、いかがわしい。しかもアイデアは、著作権ではない。他人のアイデアを、表現方法を変えて発表しても、法律に抵触することはない。

 確かに学生論文で、コピペばかりやっていたら、考える力が無くなる。またさすがに、引用でないコピペには、ほどがある。さらに、コピペの文は、ぎくしゃく動くロボットのようである。
 だから、コピペのつなぎだけでまともな論文を書くのには、たぐいまれな才能がいる。それに、論点にぴったり合う原文を探すだけでも難しい。
      パソコン                筆記

 そう考えていたら、田村耕太郎氏の「現代ビジネス」で、コピペ擁護のブログを発見した。

≪前略-
 私がおかしいと思うのは、コピペはダメだと指摘するくせに、大学教員の評価はコピペ重視であることだ。研究論文とはコピペ(=引用)の集合体に過ぎない。自分たちの論文を読んでみたらどうか?
 某国立大学教授が開発中のソフトで自分たちの研究論文を分析してみたらいい。“コピペ90%”とか出たらどうするのか?コピペの集合体を恥じるどころか、むしろ“コピペ(参考文献)の多さがその論文の価値を高める”との風潮がある。そんな教員達には「引用は自分の頭で考えていない証拠だ。コピペはダメだ」なんて批判する資格はない。
-中略-
 そもそも修士課程も博士課程も言ってみれば『コピペ』の技法を習得するところなのですから」と苦笑する。
-中略-
 学ぶという行為は真似ることから始まる。“イノベーションとは、既存の知識をつなげていくことにある”とスティーブ・ジョブズも語っている。コピペ技術が洗練されれば、さらにそれをつなげていく作業、つまりイノベーションに、もっと時間と労力を投入できる。・・≫

 田村 耕太郎氏のことはよくわからないとしても、書いてあることは、納得できる。
 と思ったら、まったく同じような内容のことを、「「コピペ」は本当に悪いことなのか」と題して、芦田宏直氏がブログで書いていた。どっちが先かわからないが、これこそ本物のコピペである。(アイデアが同じだけで、表現方法が違うから、コピペとは言わないのかもしれないが。)

テレビ朝日と「モーニングバード」(3月14日)

 命と引き換えに得た貴重な教訓を台無しにする権利は、断じてテレビ朝日にはない。こんな放送局こそ「稼働」するべきでない

 木曜日の「モーニングバード」は、いつ視ても不愉快になる(視なければいいのだが、つい視てしまった)。
 「そもそも総研」の玉川氏が、政府憎し(日本潰し)の一点だけで解説を進めるからである。論説の基になるインタビューも、自分に都合のいい人だけに限定する。玉川氏にとって都合の悪い人の意見は、「会ってくれないから」と言って無視する(こんないい加減な人に誰も会いたくないが)。番組のコメンテーターは、玉川氏の見解を補強するだけである。

 3月13日は、原発再稼働を阻止しようとするものであった。原子力規制委員会の安全審査認定が進んだことからであろう。
 その理由として玉川氏は、「メルトダウンが起きたときの住民避難が間に合わないから」と言う。試算では全国の原発立地地域の、早い地域でも約10時間、遅い地域では60時間かかるそうだ。これでは必ず住民被ばくするから、原発再稼働をすべきではない、と主張する。実際には、道路が破壊されるなどで、避難時間はその数倍かかる。

 しかしそもそも、原発事故が起こった時に、住民避難が必要なのであろうか。
 世界的放射線治療の権威ロバート・ピーター・ゲイル氏は、「放射線と冷静に向き合いたいみなさんへ」(早川書房)のなかで、つぎのように述べている。

 ≪原子炉は核兵器ではない。原子爆弾のように爆発して火球や衝撃波で人を殺すことはない。機能不全に陥った原子力発電所から放射性物質が放たれるかそうなる危険性が生じた場合、まずは家やオフィスの中にいること(屋内退避)が求められる。すぐに退避を指示すると、放射能雲が通り過ぎるときに市民が屋外にいたり車内で渋滞につかまっていたりするかもしれないからだ。放射能が大変強く、短時間で許容できない線量を浴びる可能性がある場合を除き、退避が必要とされても、安全な計画が策定されて慎重に実施されるまで待つべきである。アメリカの標準的な原子力発電所の事故を想定したシナリオのなかに、大きな都市人口の即刻退避を求めることになりそうなものはほとんどない。≫ 

 結果論ではあるが、福島の事故のとき、避難したために亡くなった人が大勢いた。すべて屋内待機していれば、まだ生きていたはずである。文字通り命と引き換えに得た、この貴重な教訓を台無しにしてはいけない。断じて、テレビ朝日に人を殺す権利などない。
 そして、原発が動かないことによる深刻さは、じわじわと国民を蝕んでいる。

 こんな大事なことを、居並ぶコメンテーターの誰も指摘しない。その気配もない。まるで「茶坊主」である。
 そういえば以前「モーニングバード」が、「安倍の金融政策は、財政破たんしてハイパーインフレになる」ということを、出演者の飯田泰之准教授たちに強要したという記事があった。
 
 こんないい加減な番組でも、高齢者は信じる。困ったことに、TVでもっともらしく報道されたことは、一般人にはインチキであるとは見分けにくい。
 この番組は、電波独占を悪用したプロパガンダそのものである。こんな放送局こそ、「稼働」させてはいけない。原発と異なり、1つや2つ放送局がなくなって困る人は誰もいない。

インチキ商品(3月13日)

 世の中には、インチキかどうか誰にもわからないもののほうが多い

 「マイナスイオン」、「トルマリン」関連の商品がある。これらが「似非科学」であることは、はっきりしている。
 それを発売業者自身も、誤解している。大企業でさえ、「マイナスイオン」を標榜する。「体の免疫が強くなる」、「電磁波の影響をなくす」、「殺菌効果がある」、「血流がよくなる」、「病気が治る」・・などをうたい文句にする。さすがに薬事法に引っかかるので、最近はこのような薬効を直接表現することは少なくなった。
 それでも、多くの消費者は、「マイナスイオン」、「トルマリン」ときくと、なんとなく健康になるような気がしてくる。

 一方、よく似た分野に「オゾン」がある。昨年度のものづくり補助金で、オゾン関係の開発申請を落とされた企業が、「オゾンはインチキ臭い」とコメントされ、怒っていた。これは、補助金を審査する人の無知・誤解である。オゾンによる殺菌効果は、科学的に明らかである。それどころか、東京や大阪の劇的な下水浄化、おいしくなった水道水は、オゾン装置のおかげである。
 「オゾンがインチキ臭い」のは、「マイナスイオン」や「トルマリン」の商品販売にイメージ利用されたり、信頼性のない家庭用オゾン機器が訪問販売されているからであろう。

 無知や誤解があったとしても、これらは科学的にはっきりしている。ところが世の中は、STAP細胞のように、インチキかどうか誰にもわからないもののほうが多い。
 いま、STAP細胞研究成果に、疑惑が発生している。といっても、STAP細胞がインチキであるとは言えない。単に手続き上の問題かもしれない。あれだけ持ち上げておいて、いったんケチがつくと、また大騒ぎするマスコミこそ、インチキのような気がする(メディアの記事を書く者にとっては一粒で2度おいしい。マッチポンプともいう)。そもそも、画期的な大発見ほど、最初はいかがわしい。誰も真実などわからない。
 このSTAP細胞までいかなくとも、新技術や新商品を評価するのはむずかしい。

 したがって原田泰氏(エコノミスト)が言うように、わからないものには、無駄な補助金を出さないほうがいいという考えもある。私もそう考えていた。
 しかし、わからないでは先へ進めない。小規模事業者には、補助金が起死回生になることもある。結局、ものはほどほどなのであろう。

補助金申請サポート(3月12日)

 事業者支援というより、新人コンサルタントの育成か、ヤブコンサルタント再生である

 今年度は、補助金制度が目白押しである。補助金をもらえると言っても、申請書をつくるのは簡単でない。とくに小規模事業者は、人材が乏しく忙しい中で、なかなか申請書を作れない。
 逆に、管理スタッフに余裕のある中堅企業は、立派な申請書を作り上げる。その結果、補助金がなくてもいい企業が採択され、息絶え絶えの企業が取り残される。

 そこで今回、この補助金申請をサポートする支援制度ができた。
「申請サポート事業の対象とするサポート内容は、申請書類の形式的なチェックに限っている」とあるが、現実にはそんなもので済むはずがない。内容にまで、踏み込まざるを得ない。
 また、形式的なチェックと言っても、その補助制度に限定しての「形式」である。支援する人はかなりの予備知識が必要である。

 それに対して、「各補助金の申請書類の書き方等について、事業開始前にあらかじめ中企庁が説明会を行うことを予定している。実施場所は各経産局を予定しており、申請サポーターに登録いただいた中小企業診断士のうち各都道府県代表の1名については中企庁から旅費を支給させていただく。」とある。たった一人とは、なんともけち臭い。謝金も最低クラスのコンパニオンより安い。

 問題はあるが、支援の応募者は、これを機会に補助金制度について勉強することができる。さらに、申請書を書くということは、事業計画を策定することと同じである。事業者支援というより、新人コンサルタントの育成、或いはヤブ診断士再生の意味合いが強い。

 それに、支援を受ける企業は無料である。前にも書いたが、名経営コンサルタントを育てるつもりで、気長に付き合っていただきたい。

東北大震災復興(3月11日)

 口を開けて待っている人ばかり増えると、日本は完璧に破産する

 3.11から、もう3年たった。今日の報道は、震災一色である。マスコミは、復興が進んでいないという。いろんな人が、口を開くと行政批判ばかりしている。TVの住民取材でも、「国には、・・・・してもらいたい。」という話ばかりである(そんな人ばかり取材しているのだろうが)。

 あえて言いたい。本当は、住民もやる気がないのではないか。たしかに、棺桶に片足突っ込んだような人ばかりでは、復興どころではない。仮設住宅で、このままお迎えを待ったほうがいい。それなら、当たらず障らず、そっとしておくしかない。

 それ以上に、働ける人はもっと自分から働いたらどうか。これは日本人全体に言える。口を開けて待っている人ばかり増えるから、下の記事のようなことになる。こんなことがあと1年も続けば、日本は完璧に破産する。

≪財務省が10日発表した1月の国際収支速報によると、海外とのモノやサービスの取引状況を示す経常収支は1兆5890億円の赤字だった。単月の赤字額として過去最大を更新。初めて4カ月連続の赤字に陥った。円安を受けた輸入増などで、大幅な貿易赤字となったことが主因だ。3/10 時事通信より≫

詐欺商法(3月10日)

 中小企業がこんなことをしたら、大騒ぎである。大企業だから許される

 マイクロソフトは、2014 年 4 月 9 日 (日本時間) に Windows XPの製品サポートを終了、サポート終了後、対象となる製品へのセキュリティ更新プログラムの提供が終了する。
 そうでなくとも、マイクロソフトは、ほぼ2~3年おきに新しいOSを提供してきた。ユーザーは、5年に一度は、新しいOSに更新することになる。たいていパソコンを買い替える。機能は追加になるが、使いづらいことこの上ない。

 そして前にも書いたが、インクジェットプリンターを買おうとするユーザーは、まず本体の安さに驚く。ところが、使用してインクが無くなり (これがじつに早い)、インク交換するときは、その価格の高さに驚く。何回かインクのフル交換をするだけで、優に本体の価格を超える。

 また、携帯電話の料金体系もよくわからない。知らずに使っていたら、目の玉の飛び出る請求が来たことがある。わざと複雑にして、年寄や子供から巻き上げているとしか思えない。

 これってみんな詐欺ではないか? これらに比べたら、佐村河内氏などかわいいものである。
 もし、中小企業がこんなことをしたら、大騒ぎである。大企業だから許されるのであろう。

花粉症の季節(3月9日)

 春は、花粉症の季節である。今年はまだたいしたことないが、いつも2月から3月は、うっとうしくて仕方がない。少し暖かくなって、スギ花粉と黄砂に、ばい煙が混じったときは、最悪である。
 くしゃみ、鼻水、よだれ、目のかゆみ、涙・・・。体中の液体が絞り出される。

 マスクをしても変わらない。あらゆる方法をためしたが、大した効果がない。昨年、K社製の怪しげな塗り薬をつけたら、鼻の中と周りがかぶれてしまった。治るのに10日ほどかかり、その間は花粉症よりひどいことになった。

 昨年(3月13日)も同じことを書いた。この先、死ぬまで我慢するしかないのだろうか。
           マスク

独立のすすめ(3月8日)

 どんなにいい仕事をしても、大きな組織では、個人は埋没する

 経営者とその従業員とでは、仕事の姿勢は大きく違う。権限の大きさが違うからである。
 権限を委譲されていると言っても、従業員は報告・連絡が必要である。そのための会議、報告書や稟議書の作成、閲覧、根回し、気遣いなどに費やす時間とエネルギーは大変なものだ。役所などはこれがすべてと言ってもよい。

 なにか購入する時でも、上司に説明できるような理由付けをし、購入依頼など煩雑な手続きを踏む。失敗した時の言い訳も考える。価格交渉など、外部との駆け引きも束縛される。外部より内部の駆け引きのほうが大変かもしれない。

 経営者なら、社内調整はほとんど不要で、ダイレクトに決断できる。スピードが必要な現代ビジネスにおいて、その差は大きい。結果がすぐわかるからすばやく軌道修正でき、うまくいけばますます意欲が湧く。自らの判断で、リスクを負いながら事業展開を行っていく醍醐味は、ギャンブル以上である。

 したがって仕事に燃えるには、社長になることだ。日本中たくさんの社長を作る。IT社会では、規模の利益はあまりない。小企業でも、コアの技術を持ち、他の小企業とのネットワーク組織作りを行う。ニーズが変われば、組織の関係を柔軟に変え、新しい商品を生み出す。
 つまり、柔軟な組織作りができる。即断即決の社長が組んで、きわめて効率のよい産業社会が形成される。
   
 どんなにいい仕事をしても、大きな組織では、個人は埋没する。社長だけなら、仕事の成果もよくわかる。マスコミにもてはやされる。スターが出れば、その業界や事業がクローズアップされる。煽てられた社長は、高い木に登る。こんな人が増えると世の中は活気付く。

先着順と既得権(3月7日)

 世の中の理不尽さをオブラートに包みながら、生きていくのが「世渡り」、「外交」である

 世の中のたいていの権利は、先着順である。土地や地下資源は言うに及ばず、先祖伝来の漁業権や水利権など、怪しげなものもある。親が金持ちなら、黙っていても財産が転がり込むし、いったん公務員や大学教授になれば、(悪いことをしない限り)一生安泰である。

 結婚も先着順である。いくら好き同士でも、あとから割り込んだら、たんまり慰謝料を取られる。同じ料金を払う電車の座席も、先着順である。余分にお金を払えばいい席に座れるが、そもそもそのお金の出所は先着順からの権益である。
 これらを既得権益という。

 「先着順」、「既得権」がはたして平等なのであろうか。
 そうではない。たまたまそこに住んでいたから、親が権益を持っていたからというだけである。偶然から、とんでもない格差が生じている。

 これらの既得権益を打破するために「武力」があった。そもそも、既得権益の多くは「武力」の結果である。したがって、戦争を正当化させることはいくらでもできる。

 これらの「本音」をオブラートに包みながら、生きていくのが「世渡り」、「外交」である。何でも明らかにすればいい、というものではない。

BCPを活用しよう(3月6日)

 BCPとは、Business Continuity Planの略で、事業継続計画と訳す

 これは、地震などの自然災害、テロや戦争、鳥インフルエンザなど、あらゆる異常事態が発生したときに、被害をこうむった企業が、できるだけ短期間で再開できるように作成する計画のことである。
 企業の社会的責任(CSR)の一つともされている。
 下の図は、そのイメージである。

        BCP図
           (H21年 内閣府、事業継続ガイドライン第2版 より)

 もともとこの分野は、防災対策として考えられていた。人の安全や、資産の保護がおもな目的である。しかしBCPが機能すれば、異常事態が起こった時に顧客が競合他社へ移ってしまうことや、社会的信用の低下を最小限にすることができる。

 具体的なBCPの方策は、中核となる事業を絞ったうえで、人材や設備のバックアップ体制、一時的な代替工場の確保などが必要となる。当然ISOでも、BCP規格の標準化を目指している。

 もちろんこれは、企業のリスク管理の重要な部分であり、5~6年前のSARS騒ぎの時から、採用が推奨されてきた。東日本大震災、3.11の時には2~30%の企業が何らかのBCPを策定していたと言われている。
 ただあの大震災では、このBCPが、必ずしも役に立たなかったともいわれる。そこで、多くの企業で見直しを進めている。そのポイントは、次のようなものである。

 ①何が起こるかわからない
   想定していたことは起こらない。想定事項は、あまり細かく定めないのがいい
 ②分散化 
   データ蓄積などのIT機能の分散化は急務
 ③簡潔なBCPマニュアル
   緊急事態の時すぐ検索できるように、簡単にする
 ④実施訓練を通した危機意識の持続とBCPの継続的改善
   現実を想定した訓練をしないと、役に立たない

 詳細は、中小企業のBCP策定運用指針 を参照して欲しい。

水危機は本当か(3月5日)

 水について、これまで漠然と思っていたことの多くは、まやかしであった

 「水危機本当の話(新潮選書)」を読んだ。著者の沖大幹氏(東大生産技術研究所教授)の講演を、聴いたことがある。いわゆるトンデモ理論に与することない、論理的な正統派学者である。
 この著作の中で、あらためて水に関しての薀蓄を得ることになった。これまでの常識を見直すような事柄が書かれており、面白かった。以下、いくつかの項目を挙げてみよう。

①水はなくならない
 当たり前であるが、地球上の水は循環している。雨が地下水となり、川を通って海に入り、蒸発したものが雨になる。水を利用するとは、水を汚すということである。
②4大文明は乾燥地帯にあった
 川の水さえ確保できれば、雨が少なく太陽のエネルギーが安定している砂漠地帯のほうが、農業に有利である。まさにその灌漑技術を持つ社会を、「文明」と呼ぶ。
③植樹は水不足に役立たない
 水があるところに木が生えるだけである。森林面積の増大が水を横取りしてしまい、黄河が断流したこともあるという。半乾燥地にわざわざ木を植えるのは、「美しい誤解」であって、百害あって一利なしである。
④食料は水である
 毎日2000キロカロリーを摂取している人は、2000リットルの水を使って作られた食料を食べている。
⑤水での大きな争いはなかった
 水問題が2国間の正式な戦争を引き起こしたことは一度もない。敵対的な行動をもたらすより、融和的な行動に至ったケースのほうが多いという。
⑥コメ、小麦、トウモロコシの生産効率(原単位)
 一定水量当たりの生産カロリーは、トウモロコシと小麦がほぼ同じで、コメの2倍もある。また、面積当たりの生産カロリーは、コメとトウモロコシがほぼ同じで、小麦の2倍である。つまりコメはたくさん水を使うし、小麦は広い土地が必要である。カロリー面では、トウモロコシが一番生産効率がいい作物である(昆吉則氏の試算では、日本の減反面積100万Hにトウモロコシを植えると、家畜飼料を輸入しなくていいそうだ)。
⑦外国人の水源地購入
 水はその価値に比べて、輸送コストがかかりすぎる。そのため、いくら外国人が水源地を購入しても、水を持って帰るわけにはいかない。環境影響さえ考慮すれば、むしろ開発してもらったほうがいい。

 すぐ身の回りにある「水」に関してさえ、私には今まで多くの誤解があった。それ以外の分野でも、多くの勘違いをしているのかもしれない。

ISO(9001)の新たな展開(3月4日)

 ISO9001はマネジメント規格の基本である。この規格をもとに、中小企業者向けの新しい経営のしくみを模索することが必要

 食品安全、労働安全、情報セキュリティ、リスクマネジメント、医療器具安全などのシステムが、国際規格(ISO)に組み込まれている。国際規格ではないにしても経営品質、6σ、IT、TPS、JIT、JMS、NM、TOC、CRM・・・等等の経営手法や理論が目白押しである。
 経営コンサルタントと称している私でさえ理解できないものがある。一般の中小企業者は戸惑うだけであろう。ISOがマンネリ化しつつある今、またぞろ新しいしくみに目を奪われがちにもなる。

【ISO取得の現状】
 国内におけるISO認証登録件数は、2013年12月26日現在で、(JAB統計によると)ISO9001が38,228件、ISO14001が20,636件である。減少傾向にあるが、まだこれだけの企業が維持している。
 しかし、ISO認証はしたものの「ISOが会社の経営に役立っていない」という問題を抱えている企業は多い。「経営に役立っていない」どころか、ISOが経営の足を引っ張り、倒産にまで追い込まれた企業さえある。

【なぜそうなるのか】
 現在の審査登録制度そのものに問題があるのは間違いない。認証制度であるため、審査を意識し、審査員の解釈を満たすシステムを作らざるを得ない。そのため、きわめて柔軟な規格であるはずのISO9001が、形式的で制約の多いものとなってしまった。現に多くの企業が作成しているマニュアル(組織のしくみを規定する文書)は、半分は審査のための説明文のようである。
 また、維持も含めた高額の審査費用が中小零細企業には重荷である。(小規模企業の社員は、一人あたり年間10万円も払うなら、その分をボーナスにあててほしいと思う。)

【成功事例】
 ところが、ISOで苦しんでいる企業がある反面、ISOをうまく活用している企業があるのも事実である。「顧客の信頼性が向上して新しい顧客を獲得できた」「クレームが減った」「従業員のモラルが向上した」という企業も現に存在する。
 これらの企業では、字面に忠実なISO規格適合性よりも、規格が真に意図することをうまく反映させている。

【新たなISO認証のあり方】
 ISO9001は、顧客満足の視点での目標管理である。そのやり方を、項目ごとに述べているだけである。うまくいっている企業は、ISOを意識しないでも、そのしくみを何らかの形で取り入れている。
 逆にいえば、規格を適用することによって、管理に必要な項目が明確になる。中小零細企業者にとって、こんな有難いものはないはずだ。

 ISOは一つ間違えば、経営の足を引っ張る。だが、毒にならないものが、良薬にはならない。まともな審査員が少ない現状では、高額の認証登録にこだわる必要もない。
 ISO9001はマネジメント規格の原点である。この規格をもとに、小規模事業者向けの新しい認証のしくみをつくることが必要である。(うまくいっているかどうかは別として、ISO14001は簡易版が多数出ている)

インド経済(3月3日)

 生まれながら苛酷な環境で育った起業家に、日本人は太刀打ちできるはずがない
                                    「インドの衝撃(NHK出版)」より

 インド経済への期待が高まっている。もっとも日本以外のアジアの国は、どこも高成長の可能性は大きい。
 どの国であっても、成長の先鋭となるのが、起業家である。インドには、わんさかといる。インド国内だけでなく、印僑と呼ばれる海外進出者の成功事例は、日本人の比ではない。

 なぜ日本人の起業家がいなくなってしまったのか。
 現在の企業経営は、グローバルである。テロや金融危機など、予想外の危機に直面した時に、素早く対応できる能力が不可欠である。グローバルでなくても、これまで以上に何が起こるかわからない。

 中国やインド、東南アジアでは、一つの国にいくつもの言葉や言語、宗教、習慣がある。そこに住む人は、違いを受け入れ、自己主張の強い人を相手に考えを伝え、納得させる能力がなければ生き残れない。相手の予定変更も当たり前のように起こる。
 インフラでも同じである。道路の渋滞や鉄道の遅れ、停電などは日常茶飯事である。道路を渡るにしても、命がけである。公的機関はあてにできず(この点は日本も同じだが)、すべては自分で切り開くしかない。
 このような環境で育った起業家に、日本人は太刀打ちできるはずがない。TPPなどで市場開放したら、それこそ壊滅する。

 日本は、どうすればいいのか。その答えのひとつが、戦略的鎖国である。

ビットコイン破たん(3月2日)

 結局、「世の中には、うまい話はない !!」

≪インターネット上の仮想通貨「ビットコイン」の世界的な取引サイト運営会社「マウントゴックス社」が28日、破綻した。直前の同社のレートでも114億円に相当する巨額の「カネ」が、ハッカーの攻撃であっという間に「盗み取られた」とするサイバー空間の強盗劇。コインを預けていた投資家は戸惑いを隠せず、法整備の必要性を訴える声も出ている。3月1日読売新聞より≫

 ビットコインには、発行権限を有し価値を担保する中央政府という「権力」はない。ビットコイン採掘管理ソフトの存在により、流通量が自動調整され、埋蔵量にも限界が設定されている。その価値は、需要と供給の関係によって決定される。金市場と同じようなものだと言われる。
                                     猫に小判 
  ここで、「通貨とは何か」と改めて思う。我々が大切にしている「1万円札」にしても、それ自身に価値があるわけではない。政府権力による信用だけである。地域通貨や商品券も流通するが、これらは、「1万円札」より信用がない。だから、1000円の商品券は900円でしか売れない。
 ところが、ある商品券でしか購入できない特殊なもの(サービス)があったとしたらどうか。その1000円の商品券が1万円で売れる。
 通貨の不思議なところである。

 そもそもお金は、それが世の中に新たな価値をもたらすところに存在価値がある。投資は、起業家を育てるためである。正直言って、ビットコインがどういう仕組みなのかよくわからないが、このお金の本来の目的に合ったものではなさそうだ。
 ビットコイン投資といっても、単に儲けるためだけの投資である。そんなものが持続的に成り立つはずがない。完全に規制を外された金融業以上に危うい。

 いつも言うように、
 「世の中に、うまい話はない」 のである。
 

撮影禁止(3月1日)

 ウェアラブルコンピューターが普及すれば、盗撮だろうがカンニングだろうが、やり放題である

 ≪女性のスカート内を盗撮しようとしたとして香川県迷惑行為防止条例違反容疑で1月に逮捕された県警鑑識課巡査長・東川充被告(35)(起訴)が、事件現場で鑑識活動中、現場を汚さないために履く「足カバー」の中にスマートフォンを仕込み、被害者側の女性のスカート内を盗撮するなどしていたことがわかった。(2月28日読売新聞より)≫

 撮影が手軽になるにつれ、「盗撮」事件が増えている。盗撮とはやや異なるが、レストランで出された料理の撮影もマナー違反かどうかで問題になる。

 まず、前者の場合である。(私自身は見たくもないし、見たければ女子フィギアスケートのほうがいいと思うが、)女性のスカート内を撮影するときは、堂々とカメラを構えるわけにはいかない。カバンの中に潜ませたり、サンダルの甲部分のベルトに挟んだり、冒頭の記事のように足カバーの中に仕込むなど、各自涙ぐましい工夫を凝らす。

 一方、レストランでの料理撮影の場合、撮影そのものが悪いわけではない。お金を払って購入したものを、食べようが撮影しようが、購入者の勝手である。料理の撮影が悪いなら、プロ野球優勝チームのビールかけのほうがはるかに悪い。飲むべきものをぶちまけてしまうなど、とんでもない。
 それはともかく、飲食店の撮影が嫌われるのは、撮影行為そのものにある。すなわち、カバンからカメラをごそごそ取り出し、シャッター音を放出し、フラッシュを焚く。周りの客にとっては迷惑である。ブログなどでの拡散も問題かもしれない。

 この場合は「盗撮」がいい。たとえば最近出始めた、メガネに潜ませる小型カメラである。いわゆる、ウェアラブルコンピューターだ。こんなのが普及すれば、盗撮だろうがカンニングだろうが、やり放題である。すでにひっそり、普及しているかもしれない。
 もっとも、隠しカメラでも、発見されるのはほんの氷山の一角ではある。