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外国人研修生(2月28日)

 外国人研修生虐待の真の犯人は、自ら汗を流さず、国産で安いものを求める消費者である

 外国人研修生の労働条件が、問題となることがある。不祥事が発生すると、「なんと、研修生に過酷な労働を強いている、けしからん!!!」という声が起こる。

 これは間違い。過酷な労働を強いられているのは、研修生ではなくその職場、つまり中小零細企業の現場である。その実態は、昔から同じである。あのような声をあげる人は、よほど恵まれた人である。

 私は長年、外国人研修生のいる多くの中小零細企業を支援、或いは経験してきた。現場は3Kだが、日本人にとっても同じである。研修生だけの、悲惨な労働実態など見たことはない。日本人労働者といっても、パートの主婦か近所の爺・婆さんだ。若い人は、あまりいない。

 毎年研修生で自殺する人が、8,000人に一人いるという。ただこの割合は、日本人自殺者の半分以下である。
 研修生にとって過酷な労働といっても、3年でしかない。若い時期の厳しい労働はスキルを向上させる。単純作業(生産現場が単純だというのは、エリートの思い込み)も同じである。どんな企業も改善の機会を与えている。研修というのは、仕事の仕組みや考え方を身に着けることで、必ずしも特殊技能ではない。
 そして、研修生の多くは、滞在できる3年間のうちにできるだけ稼ごうと、残業の多いことを望んでいる。

 いくつかの企業では、帰国した研修生を、その企業の外国法人の幹部にする。日本での資金を元に、事業を始める人もいる。遊興におぼれてしまう人もいるが、本人の問題だ。
 たとえ、研修生に支払う賃金が低額だとしても、いまやその金額は中小企業者にとって、過大である。大企業が労働貴族に支払う賃金を尺度にしてはいけない。

 零細企業が外国人研修生を雇う本当の理由は、現場で働く日本人がいないからである。日本では、零細企業の生き血を、搾取業者や大企業が吸い、それらをまた、公務員、金融機関、マスコミたちが吸い上げるという構造になっている。

 そして外国人研修生虐待の真の犯人は、自ら汗を流すことなく、「国産の有機野菜しか食べたくない」、「やっぱり国産品に限る」と、のたまう消費者である。
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製造業の行方(2月27日)

 まともな日本の復活は、製造業の復活である

 日本の製造業に期待を寄せている藤本隆宏氏(ものづくり経営センタ長)に対し、経済学者の多くは悲観的である。なかでも、面と向かって製造業に対し否定的な見方をしているのが、野口悠紀夫氏(一橋大学名誉教授)である。

 野口氏は、彼の著書「製造業は日本を滅ぼす」のなかで、つぎのように述べている。

≪今後日本が発展させるべきは、どのような産業か。・・中略・・・
 とくに重要なのは、つぎの2点である。
 第1は、財からサービスへの転換の必要性だ。一般に、生産性が問題とされるとき、財の生産だけが注目される。しかしすでに生産の大部分はサービスだ。その構造を変え、生産性を上昇させることが考えられなければならない。従来の供給構造の枠内での生産性向上だけを考えるのは、時代遅れだ。
 ・・・・後略≫

 そして実例として、アメリカの金融、IT、コンサルティングサービスをあげている。また、経済法則を守り、既存業種を過保護にしないことも提言している。外国人労働者の雇用も、積極的に推奨している。

 しかし著書の中で、日本経済に対して悲観的な見方を延々と述べていながら、提言らしきものはこれぐらいしかない。これでは、具体的に何を目指すのかはっきりしない。

 そもそも産業とは、社会に何らかの「価値」を生み出すものである。それによって報酬を受け取る。製造業や農業は(ゴミをつくるときもあるが)、はっきりと目に見える価値を作り出す。飲食業や介護サービスもわかる。ITサービスも、他の業者の効率を手助けする。

 しかし、金融業やコンサルタント業などは、どうであろう。アメリカのサービス業の典型、弁護士は社会にどんな価値を生み出しているのか。
 これまで見たところ、マイナスの価値のほうが目立つ。

 金融危機は誰が起こしたのか。弁護士は、事件のないところに首を突っ込んで、事故を大げさにするだけではないか。脱法・脱税指南のコンサルタントはどうか。本人には金が入るだろうが、社会にとっては、マイナスでしかない。

 アメリカのGDPのかなりの部分は、これら「虚業」で占められている。今のままでは、レントシーキング(規制を作ることで1%に99%の富が集まる)のための「仕事」である。
 こんなものが産業と言えるのであろうか。

 これらのサービス業が社会に価値をもたらすとしたら、社会ニーズに合ったイノベーションを起こすしかない。行き当たりばったりになる。
 製造業もイノベーションは必要であるが、サービス業より生産性向上の余地は大きい。
 したがって、日本の復活は製造業の復活でしか成り立たない。

やるのかじじい・・高校生殺人(2月26日)

 世の中からリタイアした老人相手に、一生の不覚である

 ≪酒に酔って口論となった男性を路上に押し倒して死亡させたとして、警視庁少年事件課は傷害致死容疑で東京都八王子市の都立高校2年の男子生徒(17)を逮捕した。2月25日産経新聞より≫

 これを受けての、YAHOOニュースコメントである。

 『まあ、高校生にして飲み歩くあたり、社会には不要な人間、煮るなり焼くなり存分に罰すれば良い』
 『酒に酔ってお年寄りを死なせる高校生。かばいようがないな。』、『少年法は不要。』
 『情状酌量の余地なし。』、『なんで、高校生のくせに酒飲んでんねん。100年早いわ、カス』
  ・・・100件以上みたところ、ほとんどすべてが高校生をこきおろしていた。確かな状況が分らないのに、一方的である。

 3件ほどつぎのように高校生を擁護する意見があった。希少である。

 『少なくとも大学闘争とか学校占拠とかやってる時代の人間に、今の若者はとか言われたくない。そういうおっさんに限って、横柄な態度取ったりすぐ店員をバカ呼ばわりしたり態度がなっていないと思う。』
 『75歳のじーさんが高校生の小僧とケンカするなよ!かないっこないだろ!!高校生のガキも年上に喰ってかかるな!!』
 『原因はわからんが、最近の年寄りもちとおかしなのが多い。』

 ドストエフスキーの「罪と罰」と比較できるとは思わない。それにしても、世の中からリタイアしたほうがいい老人相手に、一生の不覚である。

特定秘密と軍事(2月25日)

 情報は公開すべきものと公開してはいけないものがある。その基準を明確にしてきっちりと管理することが、強い国や企業である


 昨年、特定秘密保護法が採択された。この法律は、日本の安全保障に関する情報のうち、「特に秘匿することが必要であるもの」を「特定秘密」として指定し、取扱者の適正評価の実施や漏洩した場合の罰則などを定めたものである。
 特別委員会において、与党が質疑を打ち切って採決し、与党の賛成多数で可決された。民主党を中心に、この法律を疑問視する声も聞かれる。

 しかし日本で、軍事秘密保持を強化するしくみは必要である。戦争を起こさないためである。(ただし、覚悟は必要である)

 なぜ戦争が起きるのか。
 それは、自分の国が相手より強い、勝てると思うからである。負けると思ったら戦争を仕掛けることはない。勝てると思うためには、相手の軍事力を正確に知る必要がある。相手の力がわからなかったら、無限に軍備を増やさなければならないが、相手の力がわかれば、相手より少しだけ強ければいい。
 
 もし自国の軍事秘密が、相手国にすべてわかってしまうとどうか。自国の軍事力が、相手国より劣っていることが明確になる。相手国は、必ず勝てると思う。一気に攻め込まれる。
 戦争までいかなくとも、外交交渉が不利になる。つまりバカにされる。現在の日本である。
 
 「彼を知り己を知れば 百戦殆うからず」。これは企業経営の原則でもある。
 情報は公開すべきものと公開してはいけないものがある。その基準を明確にしてきっちりと管理することが、強い国・企業なのである。(今騒いでいるのは、その基準づくりをめぐっての既得権益争いにすぎない)

勝山左義長まつり(2月24日)

 人口2万人そこそこの町で、1000人以上もの若い人を動員できるとはすごい

 昨日、勝山左義長まつりを見物した。福井に60年以上住んで、はじめてこの時期に勝山を訪れた。電車で50分なのに。 
 「左義長」は、全国で行われている。最も古いのが勝山である。「勝山左義長」の記述が初めて登場する文献は、小笠原公の勝山入封時(1691年)にさかのぼるという。つまり、「勝山左義長」は、少なくとも300年以上前からあったことになる。

 赤い長襦袢で女装した太鼓の打ち手が三味線、尺八、鉦による軽快なリズムでお囃子に合わせて太鼓をたたく。また、カラフルな色彩の短冊による町中の装飾は、「勝山左義長」だけの特徴である。
   
  太鼓外   太鼓内   荒島岳
                                    (夕日の荒島岳:どんど焼き会場を見おろす橋から)

 太鼓の屋台は、市内の12か所にあり、それぞれが微妙に異なる。1か所10~15人ぐらいが楽しそうに踊っている様は、見ていてもうれしくなる。交代で演奏しているから、その5倍以上は「舞台役者」がいるのではないか。ほとんどが10~20代の若者である。
 人口2万人そこそこの小さい町で、1000人以上もの若い人を動員できるとはすごい。さらにそれを支える人は、その数倍必要だ。

 わが福井市で同じことをやろうとしても、とても動ける人が集まらない。うちの町内人口3000人中、2000人が高齢者である。いっそ「カンオケ踊り」ならできるかもしれない。

オリンピックと採点競技(2月23日)

 採点競技は、ミスユニバースに色気のない女性が選ばれるのと同じ、いい加減なものだ

 ソチの冬季オリンピックも終盤である。日本人選手は、メダル8個を獲得した。番狂わせが多いのもオリンピックである。

 ところで、冬季オリンピックは、採点競技が多い。典型的なのは、フィギアスケートであるが、距離や早さを競う競技にも、採点項目が入っている。モーグルやスノーボードなど見ている人は、どちらが勝ったかわからない。飛んだ距離を競うジャンプでさえそうである。

 つまり、タイムや距離の大小だけでは、勝敗が決まらない。そうなると観客は、何で勝敗が決まるのかわからない。明らかに実力差がある場合は別であるが、上位10名ぐらいは、完全に審判の主観的判断である。たいていこれは、一般の感覚から外れる。

 ミスユニバースが、(我々から見て)魅力ない女性ばかりになるのと同じことである。そもそも、「専門家」は信頼できない
 したがって、もともと採点競技はいい加減なものだと思って観たほうがいい。

チクリ記事、告げ口記事(2月22日)

 今回は傷つく人がいるだけに、悪ふざけツイッター事件より悪質である

 ≪2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相は20日の福岡市での「毎日・世論フォーラム」の講演で、フィギュアスケート女子の浅田真央選手のショートプログラムでの演技について「頑張れと思って見てたら、見事にひっくり返ってしまった。あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね。何でなんだろうなあ」と述べた。2月20日朝日新聞デジタルより≫

 これは森氏の発言より、それを取り上げたマスコミのほうが悪い。森氏の発言内容は、多くの人の心情を正直に述べたものであるし、選手を慮ってのことだと思う。きつく当るが、そんな発言はいたるところで聞く。

 ただこのような発言は、選手本人には絶対聞かせるべきではない。きわめてデリケートなときである。それをあえて拡散してしまったマスコミこそ、まったく思いやりがない。「知る権利」の乱用である。チクリや告げ口以外の何物でもない。わざと拡散し、すべての人を傷つけようとする。
 世の中には、知らないほうがいいことが多い。こんなことが起こるなら、「知る権利」などいらない。

 何でも報道すればいいと思ったら、大間違いである。
 今回は傷つく人がいるだけに、昨年大騒ぎになった悪ふざけツイッター事件より、100倍以上悪質だ。メディアの劣悪さは、目を覆わんばかりである。

マスクの役割(2月21日)

 おしゃれなマスクにすてきな眼鏡枠をあわせて、世界一の美貌を作り上げる

≪家庭用マスク市場が急拡大している。市場調査会社「富士経済」(東京)の調査では、各メーカーの出荷金額はこの10年あまりで大きく増加し、平成25年は15年の3倍を超える239億円に達する見込みだ。2月19日産経新聞より≫

 マスクの役割が大きく変わりつつある。従来は、ひいてしまった風邪をうつさないためであったのが、現在は花粉症対策や、インフルエンザ、風邪の予防に加え、保温(防寒)、さらに微小粒子状物質PM2.5対策など、目的が多様化している。

 そのほか、次のような目的でマスクをする人が増えているという。

 ①周りの人に風をうつされたくないため
 ②化粧していない顔を見せたくない(すっぴん隠し)
 ③知り合いに会いたくない
 ④おしゃれのため、かわいいマスクをする
 ⑤潔癖症で、不潔な環境を避けたい
 ⑥表情を悟られたくない
 
 多くの商品と同じように、機能優先からファッション目的へと、マスクに必要な特性が変化している。たしかに、マスクをしている女性は際立って美人に見える(永久に外さないでほしいものだ)。

 マスクと同じように、顔の中心を飾っているのが「眼鏡枠」である。昔は、白いマスクにサングラスが、「逃亡犯」のイメージファッションであった。これでは面白くない。

 そこで、おしゃれなマスクにすてきな眼鏡枠をあわせて、人工的に世界一の美女に負けないような美貌を作り上げる。デザインセンスがあれば、充分可能であろう。和服に似合うマスクもいい。
 私にデザインのセンスと根気があれば、考える。

オリンピックと経済予測(2月20日)

 メダル予想より100倍以上難しい経済や技術の予測など、あたるほうが不思議である

 ソチオリンピックがたけなわである。
 オリンピック競技では番狂わせが多く、専門家の予想が当たらない。これは日本人選手だけではない。これまでの大会で、圧倒的強さを見せていた選手が、オリンピックでは思わぬ不覚を取る(今朝の女子フィギアSPなどは、毒でも盛られたのではないか疑うほどだ)。
 逆に、それまで名前も知らなかった選手(私だけかも?)が、メダルを取る。

 ことほど左様に、予想は当たらない。それぞれの狭い競技分野で、競技人口が限られているなかでさえ、専門家が予想した勝敗すら当たらない。

 したがって、それより100倍以上難しい経済や技術の予測など、あたるほうが不思議である。
                               スノーボード
 まさしく革新は不透明で過去の延長にはない、ということである。
 経済においても、国の推奨する技術分野が示されているが、あまりにも多分野が網羅されている(そしてあまり儲かるものではない)。また未来予測と称する産業分野や技術予測の類は、外れるのが当たり前になっている。

 そこで将来は、今は誰も考えていない技術が急速に普及する可能性がきわめて大きい。そしてそれが何であるかは、誰にもわからないのである。
 (ただ、「再生可能エネルギー」が失速するのだけは、間違いない。原理的にダメなものはダメである。)

今年のものづくり補助金(2月19日)

 25年度補正の「ものづくり補助金」の公募要項が17日に公表された。正式名称は、「平成25年度補正 中小企業・小規模事業者 ものづくり・商業・サービス革新事業」である。先月の説明会では、昨年の例から見て、公募は3月中旬ではないかといわれていたので、思っていたより1か月も早い。不意打ちを食らったようである。
 今年度は、多くの人が虎視眈々と狙っているので、一瞬のすきを突いたのであろう。
 ともあれ内容を精査し、支援者に説明しなければならない。

 ざっと見たところ、申請書の記入枚数は、昨年度よりだいぶ減った。
 もっとも、安心して何も書かなければ、バッサリ落とされる。昨年並みの記入は必要であろう。重要なのは、「公募要領18ページ」に記載してある「審査項目」に該当する内容を、漏れなく記載してあるかどうかである。
 その書き方については、以前述べたのでここでは書かない。

 今回の申請で、「安倍総理の指示により、給与総額を上げた又は上げる企業・処遇改善に取り組む企業を審査時に加点します。」が加わった。教育訓練や給与などの待遇改善が加点の要素になった。その具体的な取り組み内容についても記載する必要がある。
 年間1%程度だから、収益力のある企業にとっては渡りに船であるが、赤字企業にとっては苦しいところであろう。

仕事に対する姿勢(2月18日)

 人がまともに働ける期間は、1生のうちぜいぜい30年にすぎない

 佐久間象山が、近藤勇に語った言葉。
 『人は生まれてから最初の10年は己のことだけを考える。そして、次の10年は家族のことを考える。20歳になってからの10年は生まれた故郷のことを考える。30歳になったら日本のことを考える。40歳になったら世界のことを考える』

 現代は、佐久間象山の時代とは格段に世界が複雑で、また寿命も延びている。象山の言葉を現代に当てはめると、次のようなものかもしれない。

~20歳;己のことだけ考え、社会から吸収する。
20歳代;お金をもらいながら、会社から知識や技能を吸収する。会社に貢献しようと思ってもそんな力はない。
30歳代;その会社のために働く。20歳代に得た知識や技能を活用して、会社を儲けさせる。
40歳代;自分が儲ける。家族にとっても、一番金が要る時期である。
50歳代;今までの知識と経験を伝え、日本のために働く。
60歳代;無償で、社会のために働く(地域から世界へ)  
70歳~;できるだけ迷惑にならないよう生きる。無理に働こうとすれば、「老害」が発生する。

 人がまともに働ける期間は、30年にすぎない。それ以外はほとんど、周りの世話になって生きているのである。

キリンの解体(2月17日)

 マグロの解体ショーなら喜ぶのに、キリンはなぜいけないのか

 ≪デンマークのコペンハーゲン動物園が9日、飼育していた1歳半の雄のキリンを殺処分した上で、園内で飼育するライオンの餌にした。動物愛護団体などが激しく反発、波紋を呼んでいる。英メディアが10日までに伝えた。2月10日産経ニュースより≫

 この動物園の園長が、メディアのインタビューに、「国際的な繁殖計画の一環として飼育している。目的は、健全な群れの維持にある」と説明した。去勢などの選択肢はなかったのかという質問に対しても、「遺伝子的に価値の高いキリンのためのスペースが取られてしまう」と語ったという。
 解体の様子を一般公開したことについては、「われわれには観客を啓発する役割もある。キリンがどんな姿をしているか見てもらう良い機会でもあった」と話したそうだ。

 キリンの解体ショーが、いいか悪いかはどうでもいい。それより感心したのは、この園長の動物飼育に対する理念と想いに、ゆるぎがないことである。他国からのいちゃもんに対し、悪びれる様子がない。
 日本人ならこうはいかないであろう。担当者は、黙ってしまうか、ひたすら隠そうとする。イルカ漁がいい例である。
 
 一方、「動物愛護団体」の主張は、一貫性がない。
 マグロの解体ショーなら喜ぶのに、キリンはなぜいけないのか。さらには、アジの開きや青魚の三枚おろしこそ、残酷ではないか。すべての命は平等だし、他の命を犠牲にすることで成り立っている。ベジタリアンも例外ではない。彼らは、自分たちが食べる野菜に群がる、無数の昆虫を殺戮していることに、はやく気付いてほしい。

 もっとも、自分のことは棚に上げて他人の非をあげつらう、恥知らずなやり方を理解するのは、日本人には無理かもしれないが。

歴史冤罪を晴らす(2月16日)

 我々日本人は、いつ果てるともない世界からの「いじめ」に対し、必ず「100倍返し」する

 ≪米カリフォルニア州グレンデール市に「慰安婦」像が設置されている問題で、抗議のため1月に同市を訪れた地方議員団は10日、国会内で報告会を開き、現地の日本人子弟らが韓国系子弟らから受けているいじめの実態を報告、対策の必要性を訴えた。 2月15日産経ニュースより≫

 現在日本は、大きく二つの歴史批判を受けている。30万人の南京市民を虐殺したという「南京大虐殺」と、20万人の朝鮮女性を性奴隷にしたという「従軍慰安婦」である。
 いずれも歴史冤罪(えんざい)である。

 これらが事実であるという確かな証拠は、一つもない。証拠として示された無数の写真も、東中野修道氏によって、すべて捏造が証明されている。逆に、冤罪だという状況証拠はいくらでもある(残念ながら、無かったことを証明する物的証拠は、原理的に不可能である)。
 それでも世界は、事実には目をつぶり、あくまでも日本を「悪者」にする。

 なぜ日本は、このような冤罪で苦しめられるのであろうか。
 「世界」は、先の大戦で負けた日本を、思想戦で弱体化させ、2度と立ち上がれないようにしたいからである。「戦勝国」は、残虐な植民地支配や、日本空襲での100万民間人殺戮など、自分たちの悪事を棚上げし、敗戦国である日本とドイツを悪者にした思想教育で「洗脳」する。

 それでも、動かぬ証拠があるドイツは、近隣諸国に対し平謝りに謝ってきた。残虐さのスケールが、桁違いであったからだ。日本も近隣諸国に対し、謝罪を重ねてきた。理不尽ではあるが、敗戦国として、仕方ないと思っていたからである。
 戦時中の行動で、ドイツと日本を同一視するのは完全に間違っている。共通なのは、第2次大戦の敗戦国であったことだけである。

 中国・韓国は、戦勝国ですらない。そのどさくさに紛れて、いちゃもんをつける「当たり屋」である。日本は、「戦勝国」と「当たり屋」たちに、いつまで苛め苦しめられるのであろうか。これまで、じっと耐えてきた。いくらお人よしの日本人でも、永遠に我慢できるものではない。

 我々日本人は、いつ果てるともない世界からの「いじめ」に対し、堪忍袋の緒が切れつつある。力を蓄え作戦を練って、彼らに「100倍返し」する機会を虎視眈々と狙うしかない。

老害退相たち(2月15日)

 国民の原発ヒステリーに便乗するとは、これぞ老害の極みである

 ≪脱原発」を旗印に、東京都知事選で細川護熙元首相を全面支援した小泉純一郎元首相。郵政民営化の単一争点で、民意を総ざらいしたような旋風を巻き起こすには至らず、細川氏を押し上げることはできなかった。「小泉神通力の終焉(しゅうえん)」「もはや過去の人」。同じく脱原発を掲げた候補者の後塵(こうじん)すら拝する結果に、政界からはそんな声も聞かれる。しかし、本人は今後も脱原発の活動に身を投じることを宣言。「このまま終わるはずがない」。周囲の見方も一致している。(11日カナロコ by 神奈川新聞より)≫

 選挙が終わって、やっと静かになったと思ったのに、まだくすぶっている。
 いい加減に、引退した総理が国政をかき回すのはやめてほしい。せっかく、小泉氏の「責任ある」後継者が、国のエネルギービジョンをまとめようとしているのである。
 たかが「原発怖い」の幼児的信念で、日本を泥沼に陥れるのは、許されることではない。だから年寄は、早く死なないといけないのである(我々が後に続くこともできない)。

 いったい原発の何がいけないのか原発リスクといっても、放射能だけである。それも、日本潰しのプロパガンダにすぎない。
 リスクのない便益は絶対ありえない。そのリスクの中でも、原発リスクは最も小さい。冷静に考えれば、だれでもわかる。国民もいい加減に、「原発ヒステリー」を卒業しなければ、道を違えてしまう。

 そのヒステリーに便乗するとは、これぞ老害の極みである。そもそも自らが首相だった時には、率先して高齢議員を首にしていたではないか。

下2桁より上2桁(2月14日)

 細かい数字ばかりを追っかけている人は、宇宙人のように見える

 経営コンサルタントになって15年になる。ところが、今だに計数管理が面倒臭くてしょうがない。細かい数値を出してもあまり意味がないと思うからだ。

 確かに商売で、お客への代金請求や税金計算では、細かい数値を出すことが必要である。「だいたいこれくらい」といっても許されるはずがない。いわゆる「管理会計」でも、間違った数値をもとに戦略を立てても、混乱するだけである。ある程度の正確さは必要である。

                卍

 しかし、「計算尺」で教育を受けた世代の私にとって、あまりに細かい数字の世界に入ると、気が狂う。ご存じのように「計算尺」は、桁数を合わせることが最優先になるからだ。その後の細部については、「気合」で合わせる。つまり、どんぶり勘定である。
 
 「経営コンサルタント」として恥ずかしいではないか。
 そこで、「どんぶり」をごまかすために、せめて数字の上2桁を見る。これくらいまでの数字を出せば、それなりの薀蓄は出せる。暗算も可能で、計算スピードが格段に上がる。
 下2桁までの細かい数値を出しても、煩雑なコストに見合うだけのメリットがない。細部にこだわるあまり、大筋を見逃してしまうこともある。
 
 金融機関の人や会計士のように、細かい数字ばかりを追っかけている人は、私には宇宙人のように見える。

眼鏡製造のアキレス腱(2月13日)

 異常・不良処理というのは、バスケットボールでの『リバウンド処理』と同じである

 先日書いたように、眼鏡産地の構造不況が叫ばれて久しい。大手、準大手眼鏡製造企業がつぎつぎ消滅した。残った企業も、順風ではない。
 その眼鏡枠製造業で、製造のアキレス腱になっているのが、表面処理工程である。金属枠は、眼鏡枠の形が出来上がると、その表面にめっきや塗装などの処理を行う。その後、印刷やプラスチックつる、デモレンズなどを装着し仕上げる。

 多くの企業では、この表面処理工程を外注に出している。製造の流れが中断されるため、仕掛品が発生し、生産期間が長くなる。

 じつは、もっと大きな問題がある。
 多品種小ロットになるにつれ、この工程での不良率が異常に高くなってきた。場合によっては、全体の20%近くにもなる。そうなると、ロットが分断され、定数割れが生ずる。

 この不良修正が、大変である。まず表面を、隅から隅まで検査する。完全なものなどあり得ないから、判断基準を理解するのが難しい。修正する場合は、表面をすべて剥離し、磨き直し、再塗装する。数枚ごとにやるのだから、最初の何倍もの手間がかかる。
 その苦労して修正したものが、全部良品とは限らない。賽の河原である。
 この大きなロスは、すべてメーカーの負担である。
                           ファッションメガネ
 この対策として、次のようなことが考えられる。

①不良ゼロを目指す
 原因を明らかにして、それを潰す。正攻法である。
 たとえば、塗装の場合は異物付着不良が多い。作業場をクリーンルームにすれば、不良率は激減する。低コストでクリーン度をあげる工夫がポイントである。

②部分修正する
 修正を施すにしても、全部剥離して磨き直しまですると、完全に採算割れする。たいていの場合、不良個所はほんの一部である。部分修正の技術を確立すれば、修正コストは格段に低下する。
 頑固な経営者は知らなくとも、密かに行っている現場もある。

③アウトレット販売する
 わけあり商品として、あるいは特に表示しないで別売りする。表面処理不良といっても、実用上は全く問題ない。そもそも、よほど注意して見ないとわからないし、普通消費者はそんなわずかのキズなど問題にしない。色違い不良も同じである。

④品質基準を下げる
 少し基準を下げただけで、不良率は劇的に下がる。

⑤適切なネーミングをつけそのまま販売する
 以前ヒョウにあたって傷ついた青森リンゴを、受験生向けに「落ちないリンゴ」として、販売したことがあった。同じことはできないとしても、ネーミング次第では売れるかもしれない。ただ、ものすごいセンスが必要である。

⑥良品だけを高額販売する
 難しい加工で「生き残った」商品は、プレミアムが付く。思い切って、高額で販売する。

 その他にもあるが、こんなことは大抵の経営者は、考えている。それでも、多くの企業は手をこまねいている。
 もちろん、ものごとはそう単純ではない。現実にはいろんな工夫が必要だし、顧客との力関係もある。一つや二つでなく、いろんなものを組み合わせて対応しなければならない。

 しかし儲けている企業は、こうした工夫を重ね、泥臭く「じたばたしながら」コストアップを最小限に抑えている。そこが赤字企業との差である。製造業に限らず、この異常・不良処理というのは、バスケットボールでの『リバウンド処理』に似ている。ストライクを外したときどうするかで、その組織・企業の優劣が決まる。
                                         バスケット選手
 藤本隆宏氏(ものづくり経営センタ長)は、VOICE一月号で、つぎのように述べている。
 「日本と中国など主要新興国の賃金差がある程度縮まったということは、あきらめずに能力構築を続ける『よい現場』が国内で生き残れる可能性が高まったことを意味する。」
 また彼は、すべての製造業にはまだ大いに伸びしろがあるとも言っている。

 彼が言うように、製造現場がこのように、「じたばたと能力構築する」ことによって、地に足の着いた成長が日本で実現するのだと思う。なんといっても製造業だけが、その国の生産性を持続的に向上させていけるからである。

福井産地の眼鏡枠製造(2月12日)

 基本のファッション性に気付き、そのニーズを満たす商品を提供すれば市場を席巻できる

 福井の眼鏡枠製造は、昭和50年代の終わりに、世界で始めてチタン金属を用いた製造技術を確立し、昭和から平成初期にかけてのピーク時には、製造品出荷額は1200億円以上に達していた。
 しかし、大手のメーカーが次々と消滅するなど、今では構造的な衰退産業とみられるようになった。現在の製造品出荷額は、ピークの半分以下の500億円近くにまで落ち込んでいる。
 完成間近の白枠を中国から輸入、仕上げ加工を行う製品が増えているため、産地としての粗付加価値生産額は、それ以上に悪化している。

 なぜ、これだけ産地が衰退してしまったのであろうか。

①アジア、とくに中国産地からの製品の流入
 時代の流れであり、日本の製造業が中国や東アジアの生産能力に競争力をもてなくなって久しい。すでに定番品では、中国の生産技術のほうが上回っているものさえある。
 中国と対抗するために、人件費の高い国内で、工数の多大な多品種小ロット、特殊仕様の製品を作るため、福井産地の眼鏡業は、いっそう低収益構造に陥ってしまった。

②日本の眼鏡産業の産業構造
 繊維業界と同じように、複雑な工程間の分業構造、川中と川下の結びつきの弱さ、川上への影響力の弱さ、内需への偏重などによって情報が分断、歪曲され、ニーズに応じた競争力が形成できなかった。戦略が定まらないことで、企業の技術や努力がなかなか実らず、非価格競争力、国際競争力が弱くなってしまった。
 また、眼鏡枠における売値と仕入れ値の差(粗利益)は、素材・部品40~50%、小売55~60%、問屋20~30%であるのに、産地生産者の利益幅は20%程度にすぎない。すなわち、価値創出のための活動と利益は、サプライチェーンのはじめと終わりにある中で、福井産地は依然として中間生産(スマイルカーブの低収益部分)、しかもOEM生産体制に固定化されている。

③ブランド形成、デザイン力への注力不足
 1980~2000年には、借り物のブランドによって、大きく業績を伸ばした企業が少なからず存在していた。これらの企業は、ブランド元が回収を始めるとそれだけで、極端に経営が悪化する。
 海外からの導入ブランドを使えば、その導入先のイメージが顧客に浸透することを助けていることにもなる。自社のブランドを育てる機会を、自ら奪ってきた。その結果、自力での高付加価値化分野への移行が、なかなかできなかったのである。
 また、日本の文化的背景もあって、デザイン面での人材があまり育たず、企業のデザインノウハウが充分に蓄積されてこなかった。自分でデザインしなくなるから力がつかないし、デザイン力を育てようとする意欲も弱くなってしまった。海外のブランド元が引いて、イタリアへ流れた大きな要因でもある。

④産地メーカー、産地問屋の販売力の弱さ
 平成初期、鯖江産地と並び称されていたイタリア北部のベッルーノでは、製造メーカーの寡占化と世界販売戦略が大きく進んでいる。最大手のルクソティカだけで、7500億円(2006年、現在は1兆円程度)もの売上をあげる(シャルマンの30倍)。そのため、平成初期には福井産地と同じくらいであったベッルーノ産地の製造品出荷額も、2500億円と現在の福井産地の5倍にまで伸びている。すなわち、産地のメーカー自身が強力な販売力をつけている。
 しかし日本は、イタリアの5倍以上の市場規模があるため、かえって世界に向けての販売が進まなかった。力をつけている大手小売業の国内販売品さえ、仕入れの80%は中国である。産地問屋も、その大手小売りに依存している。そのため、産地製品を販売する活力そのものが、失われている。

⑤人材不足
 生産現場、管理部門で働く技術者や技能者、とくに若年者の人材不足が深刻になっている。このため、就業者の高齢化が進み、技術のハイテク化についていけないところも出てきた。業績が悪いから後継者や人材が手薄になるという悪循環で、基本となる従来技術の継承も困難となり、人材不足による廃業も発生している。
 じつは3~40年前、学卒の優秀な人材が大量に入った時期があり、チタン枠開発などの技術開発に結びついたことがあった。しかしそれは、技術開発にとどまり、企業戦略を見越したマーケテイング力の増強までには至らなかった。家電業界における苦境構造の、小型版だと言える。

            丸メガネ

 このように、福井の眼鏡業界衰退の原因を並べると、もう救いはないように見える。こうなったら、落ちるところまで落ちるのではないか。一度「地獄」を見ないと、回復できないのかもしれない。

 しかし、「眼鏡枠」という商品そのものが、なくなるわけではない。眼鏡枠は本来、視力を矯正するための機能商品であったが、今ではファッションとしての地位はゆるぎない。とくに、容色が衰えた中高年者が、それを劇的に回復させる強力なツールである。なんといっても、人が一番注目する「顔」のど真ん中を飾るのである(稲田大臣のは、いまいちセンスがないように思うが)。
 その基本のファッション性に気付き、ニーズを満たす商品を提供できれば、あっという間に市場を席巻する。

 そして福井産地でも、その萌芽が目につくようになった。
 たとえば最近ファブレス企業、すなわち企画・販売だけを自社で行い、製造は産地の企業に発注する形態の企業が活躍している。
 これらの企業は小規模ながら、斬新なデザイン力と小回り性を武器に、技術力の高い産地企業のみならず、海外企業とも柔軟な連携を深め、知名度を向上させている。
 若い世代で、今の時代にマッチした経営ができる行動力、意欲のある経営者が多い。これらの、若い経営者に期待したい。

投資詐欺(2月11日)

 いくらリスクがあっても、宝くじを買うよりは有利である

 先月、世界一細い注射針の開発を装った未公開株投資詐欺事件が発覚した。勧誘をした男らが被害者側に少額の現金を入れ、タコ足配当を行っていたということである。「世界一細い注射針を開発して大量生産が可能となった」とうたう冊子を送り、「ノーベル賞級の発明。未公開株を買えば10倍で買い取る」などと嘘を言い、多額の現金を集めた。

 じつはこの注射針の勧誘は、私のところにも来た。最初、分厚いパンフレットが送られ、やがて勧誘電話がかかってくる。最先端技術を有するベンチャー企業が、資金さえあれば大きく伸びるような話である。半分騙されそうになった。
 私の場合、何とか思いとどまったが、話に乗って数百万円を提供した人は多いだろう。もし騙されたと分かっても、恥ずかしくて言えない人も多いはずだ。大金ではあるが、そのことによって生活困窮する人は少ないと思うからだ。
 
 ただこの場合悪質なのは、必ずしも投資者の金銭欲だけを刺激するのではなく、その善意を利用しようとしたことにある。
 すなわちパンフレットは、「世界的な技術力をもつ零細企業が、資金がないばかりに冷や飯を食っている。何とか善意の投資で、日本に世界的な企業を育てていただきたい。」という趣旨の内容で書かれている。私のような「正義感」あふれる中高年には、殺し文句となる。まして、余裕資金がありその使い道を探している人には、格好の投資先に見える。

 そして、このような事件が増えると、本当に資金が必要なベンチャーが困る。先端技術は、IPSのような注目分野だけではない。泥臭い技術こそ、役に立つことが多いからだ。

 そこで、投資する場合には、その技術の実態や開発経過を、客観的に担保できているかを見極めることが大切である。担当者や現場を自分の目で見て、きちんと確認する。いくら立派でも、パンフレットだけで大金を投資するのだけはやめたほうがいい。リスクが多すぎる。

  それでも、すべての投資話が詐欺ということはない。余裕があるなら、社会貢献のつもりで、騙されてみるのもいい。いくらリスクがあっても、宝くじ(払戻金は集めたお金の45%)を買うより有利なことは、間違いないからである。

都知事選結果と金メダル(2月10日)

 都知事選やオリンピックでの惨敗は、「世の中は思い通りにいかない」ことを実感する、よい機会である

 都知事選では懸念していたとおり、枡添知事が誕生することになった。細川氏や宇都宮氏よりはましであるが、残念である。できるなら、田母神氏の当選を願っていたのだが、しかたがない。
 枡添知事になっても、すぐカネの問題で辞める。きりがない。そもそも、猪瀬氏を「たかが」5千万円ごときで、辞めさせたのが間違いだった。枡添氏の場合、叩けばその10倍は埃が出る。違う埃もたくさん出るであろう。

 一方ソチオリンピックでも、金メダルを期待された日本選手が、つぎつぎ惨敗している。金メダルを取れる人が、ただ入賞だけでは、負けたように感じる(世界で4番とか8番だからすごいのだが)。あまりにも、マスコミが煽りすぎたのではないか。

 いずれも、自分の力の及ばないところでの結果である。いっときの残念だけで済む。

 ところが、自分の努力の結果が現れる仕事や受験などの場合、そうはいかない。それまでのことを後悔するだけでなく、その後の人生さえ左右しかねない(オリンピックで負けたときも、本人や関係者は大変である)。そこまでいかなくとも、毎日の仕事は失敗の連続である。負けたことを引きずって、地獄へ引き込まれる人さえいる。

 この場合、負けた経験が不足している人が潰れやすい。本当に強い人は、「負け」に強い人である。しっかり反省し、つぎに備えることができる。
 都知事選やオリンピックでの惨敗は、「世の中は思い通りにいかない」ことを実感する、よい機会である。いろんな意味で、敗者こそが人を幸せにする。負けることによって、「負け」に強いひとがたくさん生まれればいい。

 むかし、「うまくいかないからこそ、やりがいがある」という格言を見た。そのとおりである。

雪国の悩み(2月9日)

 雪国の町中で、町内会が盛り上がらないのは、雪の始末が原因なのかもしれない

 昨日、今冬には珍しく積雪があった。といっても、10センチぐらいでしかない。屋根の雪下ろしまではしなくなったが、昨年まではこの時期、道路の雪かきは毎日の日課であった。
           雪だるま

 その場合でも、除雪した雪の始末が悩みの種である。特に、大雪が降って除雪車が通った後は大変だ。家の前に、固まったブロック雪の土手が立ちはだかる。スコップで30分も格闘しなければ、車を出すことができない。
 その除いた雪を置く場所がない。適当な場所には、すでに山のように積まれている。隣へやるとにらまれる。仕方ないので、目立たないように小分けにして、そっと道路の真ん中へばら撒く。

 だからこの時期になると、隣人との間に、なんとも言えない緊張感が生まれる。殺人事件に発展するのも理解できる。少しでも余計なもの(雪)を追いやろうとするからだ。
 雪国の町中で、町内会が盛り上がらないのは、こんなことが原因なのかもしれない。

東京都知事選挙と原発(2月8日)

 人々は、「フクシマ被害者」について寛容すぎる。なぜ、佐村河内氏の例から学ばないのか

 明日は、東京都知事選挙である。木曜の夜には、ニュースステーションで候補者4人の「討論会」を行っていた。
 下馬評では、自民党推薦の枡添氏が有利とのこと。選挙予想は当たるので、枡添知事が誕生するのかもしれない。「口は上手いが、小ずるい男」という印象があり、残念である。

 「安倍政権とそれに加担したメディアの細川・小泉連合つぶし」という寝言を発する人は、貧乏神に取り付かれたような細川氏の姿と、その発言内容を見て欲しかった。抽象的で、何をやろうとするのか、まったくわからないし、シングルイシューとしての「反原発」も、ただ「怖いから」というだけである。トップとしての具体的なビジョンなど、なにもない。
 すべて「よきに計らえ」のお殿様では、頼りなくてしょうがない。食い倒れ人形のほうがましだ

 ただ一人の原発推進論者である田母神氏は、司会者や他の候補の袋叩きにあっていた。「福島の事故でも、放射能による直接被害者は誰もいない。すべて風評被害である。」という持論を述べたからだ。

 それでも、田母神氏の言うことこそ、まともである。
 マスコミが田母神氏を叩こうとするのは、自ら作り上げた「フクシマ被害者」の物語を、大事にしたいからである。避難地域の人たちを「被害者」として祀り上げるためには、放射能が危険でなければならない。原発など、とんでもない。
 なぜそうなるのか。
 人々は「被害者」、「障害者」に対し、きわめて寛容だからである。「弱者」というだけで、恐れ入ってしまう。それが事実を離れ、一人歩きする。佐村河内氏がいい例である。

 佐村河内氏のねつ造発見は、つい2日ほど前のことだ。「弱者」に遠慮することのリスクについて、なぜ学ばないのであろうか。学習能力がないとは、このことである。事実認識を違えて政策を誤ることは、放射能なんかより、はるかに危険なのに。

インクカートリッジの怪(2月7日)

 広告圧力を受けないで、社会の仕組みを報道できるのはNHKだけである
                           
 インクジェットプリンターを買おうとするユーザーは、まず本体の安さに驚く。ところが、使用してインクが無くなり (これがじつに早い)、インク交換するときは、その価格の高さに驚く。何回かインクのフル交換をすれば、優に本体の価格を超える。これって詐欺ではないか?

 これに対し、空のインク容器を回収し、詰め替えて安く販売してくれる業者がいる。当然であろう、ユーザーは困惑・困窮している。しかも、今のインク容器は素人では詰め替えができにくい。この救世主のような業者は、中小企業である。容器の再使用は、環境にもやさしい。

 彼らに対し、プリンターメーカーは、特許権侵害をネタに、言いがかりをつけたことがあった。侵害といっても、微妙なものだ。大企業であるキャノンは、400人もの知財本部員で圧力をかけ、判決では言い分が通った。これでユーザーは、永遠に高いインク容器を買わされる。

 こうして、大企業の横暴に特許が一役買ってしまう。知的財産とは大企業の既得権であるといわざるを得ない。大企業のために、消費者の利益や環境が軽視される。
 その上、中小企業が淘汰され、ますます格差が増大する。そもそも特許は、中小企業者には不利な仕組みなのだ。
                やどかり
 関連して、もっと根源的で重大な問題がある。これらの報道が、NHK以外ではまったくなかったことだ。消費者には重大関心事なのに、大新聞や民間放送で報道されたのを聞いたことがない。
 間違いなく「広告圧力」のためであろう。大新聞や民間放送は、キャノンをはじめ大企業の広告がなくなるのを恐れている。

 消費者利益につながるようなことは、世論の盛り上がりが必要だ。しかし、知らないうちにキャノンの言い分が通ってしまった。大企業有利の体制が出来上がってしまう報道のしくみは、大きな問題である。

 幸い、いまのNHKの会長や経営委員には、気骨のある人が入った。最近の言動を見ればわかる。広告圧力を受けないで、社会の仕組みをきっちり報道できるのは、NHKだけである。NHKは、他のメディアの圧力に屈しないでいただきたい。

佐村河内氏とゴーストライター(2月6日)

 その作品が本当に素晴らしいなら、だれが作ったとしてもいいではないか

≪広島市出身の被爆2世で両耳が聞こえない作曲家として知られる佐村河内(さむらごうち)守さん(50)=横浜市在住=の「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの主要な楽曲は、別の音楽家が作ったものだったと、佐村河内さんの代理人の弁護士が5日未明、明らかにした。2月5日産経デジタルより≫

 障がいを持つ人が健常者に伍して作品を発表し、評価を得る例は多い。視覚障がい者のピアニストや歌手、あるいはダンサーとして活躍している人もいる。文化庁も、障がい者が芸術活動することを積極的に支援している。

 ただこのような作品は、非常に主観性が強く、いい悪いの判断ができにくい。というより、そんな基準などない。売り出すためには、何か強力な物語(ストーリー)が必要である。障がい者が苦労して作った作品ということになれば、これ以上ない強烈な物語が生まれる。作品そのものより、観客はその物語を買うのである。

 佐村河内氏のものとされた曲も、そのストーリーにそって発売された。もちろん、ある程度のレベルには達しているのだろうが、売れたのは、「障がい者が作った曲」という決定的な物語があったからである。決して、作品自体が絶対的に優れていたからではない(と思う)。
 もちろん、そのことが悪いわけではない。こんなことは、マーケティングの常識である。

 その場合、ピアニストや歌手のように演技するものについては、本人であることは疑いようがない。しかし、曲や小説、絵画などは、出された作品だけを見ても、誰のものかを判断することは難しい。ゴーストライターが書いたかどうかは、信頼しかない。

 その信頼を反故にしてしまったのは、いかにもまずい。
 ただ、その作品が本当に素晴らしいなら、だれが作ったとしてもいいではないかと思う。今回問題になったのは、そうではないからであろう。

 また、私には音楽のリテラシーがなく判断つかないが、コンクールで1位になった盲目のピアニストの演奏は、本当に健常者のそれより優れていたのだと信じたい。

新体制のNHKに期待(2月5日)

 日本より、アジアのメディアのほうが、よほど安倍政権の本質を理解している

 最近のNHKは、以前とは一味違う。以前は、いったいどこの国の放送局か、と思うような番組が多かった。最近の会長や経営委員の発言内容をみると、今後のNHKには期待が持てる。番組内容はまだ検証していないが、今後改善が進むなら受信料不払いが減るであろう。

 まず新会長の籾井氏は、朝日新聞の記者に答え、慰安婦問題について「現在のモラルでは間違いだが、戦争をしているどの国でもあったことだ」と述べ、具体例としてフランス、ドイツなどの名前を挙げた。続いて「韓国は日本が慰安婦を強制連行したように言い、お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか」と韓国を批判した。
 韓国が反発するのは当然だが、国会で民主党にも吊し上げられた。火をつけた朝日はもとより、日本のメディアも批判的である。

 つぎに、NHK経営委員の長谷川三千子は、6日に掲載された産経新聞のコラムで、日本の少子化問題の解決策として、女性が家で子を産み育て男性が妻と子を養うのが合理的と主張した。女性に社会進出を促す男女雇用機会均等法の思想は個人の生き方への干渉だと批判し、政府に対し「誤りを反省して方向を転ずべき」と求めた。
 今日のニュースでも「拳銃自殺礼賛」の発言が、物議を醸している。

 だが国民の多くは、(本当のことを言った)籾井氏発言の何が問題なのか、よくわからないと思う。籾井氏を吊し上げた民主党でさえ、事実を問題にしているわけではない。何がいけないのか、私にもさっぱりわからない。
 じつは新会長の籾井氏は、「NHKは、政府が右というところを左というべきではない」と発言し、不偏不党のメディアの会長として、批判されてもいる。長谷川氏は、籾井氏のこの方針に反抗して、政府方針を批判していることになる。

 その他、「永遠のゼロ」のNHK委員百田氏も、ツイッターで面白いことを述べている。そして、東京都知事選で街頭演説に立ち「南京大虐殺はなかった」など、歴史認識に関する持論を展開した。不偏不党を求められるNHKの経営に影響力を持つ立場ということで波紋を広げている。

 このような、いろんな意見が表に飛び出すような組織は面白い。いずれの発言内容も筋が通っているからだ。これからのNHKに期待したい。
 それ以外のメディアには全く期待が持てない。年功序列でGHQの思想を受け継いだ幹部連中が、中・米のハニートラップにかかっている、としか思えない組織ばかりだからである。


 ところで、安倍首相が、昨年マレーシアを訪問したときの現地紙は、つぎのように述べている。

≪日本は、米国の抑圧から解放され、核武装を含む本格的な軍事力を持つ道を選んだようだ。これは、永久にこうべを垂れ、贖罪の態度を取り、第二次大戦の敵におとなしく従うことを放棄することを意味する≫

 日本のメディアより、(中国・韓国を除く)アジアのほうがよほど本質を理解している。

無税国家(2月4日)

 優秀な人たちが、膨大な知恵と体を、「たかが」税金計算のために費やしている。納税がなければ、彼らは本ものの価値を創造できる仕事に就ける

 毎年この時期、1~2か月はうっとうしい。確定申告をしなければならないからだ。ほとんど妻に任せているが、それでも源泉票があるとかないとか煩わしい。税額計算がややこしく、八つ当たりされる。源泉票が送付されてくると、現金収入がバレる。あげく先日は、パソコンを壊された。

 一定規模の会社には、専門の経理担当者がいる。それぞれの決算に合わせ、連日入念な税務計算を行っている。それを指導する公認会計士や税理士事務所も繁盛している。

 これらをあわせると、日本中では、大変な数の人たちが膨大な労力を費やしている。しかも、こんなややこしい計算を間違いなくするくらいだから、優秀な人たちである。こんな優秀な人たちが、膨大な知恵と体を、税金計算のために日夜使っている。これが日本なのである。

 念のいったことには、この労力が毎年増えている。税金の仕組みが、毎年ややこしくなるからである。復興税や消費増税、それらに伴う軽減税率の範囲など、税務にタッチしていなければ、絶対理解できない。
 役所はこうして、税金を納める人々に、ややこしい計算をさせる。税金を納めるほうは、少しでも少なくなるような計算する。受け取るほう税務署は、その荒探しをするだけである。わざと罪人を作っているとしか思えない。そのときは警察も必要になる。
 とんでもないロスである。
                         金が飛んでいく

 そこでいっそのこと、税金を廃止したらどうか。
 納税計算を止めれば、日本中で発生している膨大なムダが無くなる。余った会計士や経理担当者は、本ものの価値を創造できる仕事に就く(管理会計は必要だが、これまでのような七面倒臭いものはいらない)。いくら金勘定しても、日本の富が増えるわけではない。税務署もなくすことができる。
 そうすれば、日本の生産性は大幅に向上する。高齢問題、農業問題、医師不足、人手不足、兵隊不足など、諸問題の大部分は解決する。

 これはなにも、荒唐無稽な話ではない。
 昔、松下幸之助が、「無税国家」を提唱したことがあった。「100年で余剰金を積み立てて運用すれば、積立額は膨大になり、その運用益だけで予算を賄える」というものである。具体的には、「単年度主義を通年主義に切り替えることでムダが減り、その余剰金額10%を積み立てれば、100年後にはその利回りだけで国家予算が成り立つ」そうである。
 ただ、利回りを根本財源にすることができるとは思わないし、役人は金があれば使ってしまう。

 それでも、税金をなくすという構想は素晴らしい。国民は税金を払う代わりに、貯金する。個人はお金持ちになる。国はそれを借りて使う。何のことはない、今の日本財政そのものである。それより税収ベースのような、役人の縄張りがなくなるから、おのずと財政規律はよくなる。
 消費税をあげたり、税収を増やそうとするから、いつまでもたっても金の使い道が減らないのである。

 いつも言うように、日本には財政問題はない。国がいくら借金しても、国民が一所懸命働けば、絶対に破たんしない。無税国家は、その理想郷である。

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万能細胞とウオツカ(2月3日)

 「万能細胞」は医療的便益より、経済活性化の柱として考えたほうがいい

 理研発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子氏は、新たな万能細胞を発見し、これをSTAP細胞と名付けた。ノーベル賞のIPS細胞を上回る大発見だそうだ。実用化にはほど遠いようだが、いずれ「不老不死」が現実になるかもしれない。

 この大発見に、水を差すわけではない(ほんとは水を差している?)。しかし、これ以上の医学の進歩が、ほんとに人類のためになるとは思えない。これ以上高齢化が進むと、恐ろしいことになるからだ。
 医学の進歩は、人類を地獄の底へ突き落そうとしているように見える。高齢者は、もう適当なところで、死んだほうがいいのではないか

 たとえば卑近なところで、今年度は年金減額が実施される。これに反対する年金老人たちは、「生存権」を持ち出して減額に反対している。寿命が延びると、こんなことが際限なく続く。
 そもそも高齢者に「生存権」などというものがあるのだろうか。あったとしても、わずかしかない。「生存権」を振り回す高齢者も見苦しい。「万能細胞」が実現されたら、われ先に群がるのは目に見えている。
 100歳、200歳の老人だけの世界は、想像するだにおぞましい。
                    馬場亜
 一方、次のようなニュースがある。

≪ウオツカの飲み過ぎがロシア人男性の早死の原因になっていることが、約15万人の調査で裏付けられた。英オックスフォード大やロシアがん研究センターなどが1月31日、英医学誌ランセットに発表した。2/1 朝日新聞デジタル≫

 一見否定的なニュースである。ロシアで早死にする個人は、面白くない。記事によるとロシア人男性の平均寿命は63歳で、日本人男性より15歳も若い。
 ところが、ロシア国民、とくに若者にとっては、このほうが理想的である。すぐれた人材が輩出され、高齢化の進む日本などより繁栄するであろう。

 もっとも、「万能細胞」開発を、経済活動の一部だと考えれば、話は別である。「万能細胞」の権益を、日本が独占すれば、それだけで経済大国になれる。世界一豊かで強い国になり、大国の侵略に怯えることもなくなる。

 他国を「万能細胞」で老人大国に陥れ、日本だけが生き残る。はたして、日本にこんな高等戦術がとれるかどうか。

安心・安全(2月2日)

 科学的に考えれば、ソフトバンクは、太陽光発電事業を行うまえに、携帯電話事業をやめなければならない

 「安全」とは、人とその共同体への損傷、ならびに人、組織、公共の所有物に損害がないと客観的に判断されることである。科学的にきちんと実証されて、「大丈夫」と、太鼓判を押されることである。

 一方「安心」は、個人の主観的な判断だけである。自分だけの知識や経験を通じて、予測している状況と大きく異ならないと思い、受容できると信じていることである。まさに宗教である。

 すなわち、客観的科学的にいくら安全でも、その人が安心と思わなければ安心ではない。逆に、客観的科学的なリスクがあっても、(赤信号)みんなで渡れば怖くない。

 たとえば、携帯電話を長年使っている人が脳腫瘍になる確率のほうが、低線量放射線(年間100㎜シーベルト)の影響でがんになる確率よりはるかに高い(2000年スェーデン疫学調査より)。それにもかかわらず、放射線被ばくを怖がっている人でも、携帯電話は安心して使う。

 ダイオキシン、BSE、放射能などのわずかなリスクを恐れる反面、年間何百人も水死している風呂でさえ、誰もが安心して入る。
 まともに考えれば、ソフトバンクは、太陽光発電事業を行うまえに、携帯電話事業をやめなければならないはずだ。

資格の強さ(2月1日)

 旧態依然たる「資格」による仕事が、そのままで成り立つことがおかしい

 日本には、仕事に関する資格が山ほどある。その資格がなければ仕事ができないものも多く、それを目指す人は多い。
 ちなみに、私もいくつかの資格を取得した。更新保留中のものも含め、別途記載してある(後述するランクでは、下位のほうばかりだが)。

 私の場合、保有している資格は、それだけではほとんど役に立たない。いわゆる「業務独占資格」ではないからである。つまり、その資格がなくともできる仕事ばかりである。その場合、資格は単なる自己満足の要素が大きい。
 またほとんどの資格が、時代の趨勢と合わなくなっている。さらにほとんどの資格が、それを与える側の既得権益の巣窟になっている。

 ここでいくつかの資格について、ランク付けをしてみよう。この場合、取得が難しいかどうかということではない。その資格で「食える」かどうかという点で分ける。

 今の時点で「食える」資格かどうかを、柔道の技のランクでたとえてみる。

【1本】・・これだけで何とかなる
  弁護士、公認会計士、医師、弁理士、大学教授、1級建築士

【技あり】・・1本まではいかないが、時流に乗れば食える
  司法書士、税理士、ISO主任審査員、看護師、技術士(建設部門)

【有効】・・運が良ければなんとか食える(寝技が加わればもっと有効である)
  中小企業診断士、社会保険労務士、行政書士、ITコーディネータ、大型運転免許

【効果、優勢】・・いくつ取得しても1本にはならない
  環境プランナー、ISO審査員補、RCCM、セルフアセッサー、普通運転免許、公害防止管理者、技術士(建設以外)

 (業務独占資格は別として)食えるかどうかは、資格のあるなしで決定的な違いはない。医師や弁護士、公認会計士のような「業務独占」でも、仕事がない人もいるし、仕事があっても大した収入を得ていない人も多い。近年は、博士でさえ冷や飯を食っている。

 民間のどのような仕事・業種でも、その業態(仕事の内容)は時代と共に変化する。昔のままの、「八百屋」、「魚屋」、「醤油屋」といったお店は、成り立ちにくい。
 旧態依然たる「資格」による仕事も、そのままで成り立つことこそがおかしい。