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大根掘り(11月30日)

 耕作地の農作物をすべて利用できれば、我が国の食料自給率は100%超えるかもしれない

 宝永を愛する会恒例の大根堀りである。昨年に続いて2回目だ。抜くのは簡単だが、車まで運ぶのが大変である。割り当ては30本。これを、5本ぐらいづつ抜いて、ぬかるみの中、100メートルほどの往復運搬を5~6回繰り返す。これだけで、へとへとになってしまった。

 べっとりと泥のついた大根を、ヴィッツの荷台に乗せて運ぶ。家では大騒ぎで大根洗いである。もちろん、車の内も外も泥だらけだ。8時に出発して、落ち着いたのは12時過ぎである。

 もちろん金銭的なメリットはまったくない。大根30本としても、スーパーではせいぜい3000円だ。往復50㎞のガソリン代、車や大根の泥落とし、何よりも自分たちの人件費を入れたら、それどころではない。
 しかし、大根のようなボリュームある作物の収穫は、物欲煩悩を満たしてくれる。

 ひねくれ大根H24.11.23    収穫した大根H25.11.30

 今年は、多肢大根やひねくれ大根は少なかった。だが、掘り出す時に折れたものや、頭でっかちで短小のものがあり、歩留まりは悪い。葉っぱもほとんど廃棄した。全国では膨大な量が廃棄されているに違いない。その割合は、20%とも60%ともいわれる。
 つまり我々は、畑のできた農産物の、ほんの一部しか利用していないことになる。これは、今年行ったジャガイモやサツマイモの収穫にも言える。
 
 日本の耕作地での農作物をすべて利用できれば、我が国の食料自給率は40%どころか、100%超えるのではないか。まだまだ、世の中はムダだらけなのだ。

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「1票の格差」7月参院選は無効(11月29日)

 日本人は、豹変する。こんな悪判決はすぐ変えられる

≪「1票の格差」が最大で4.77倍だった7月の参院選を巡り、二つの弁護士グループが選挙無効を求めた訴訟で、広島高裁岡山支部=片野悟好(のりよし)裁判長=は28日、岡山選挙区の選挙を「違憲で無効」とする判決を言い渡した。一連の訴訟では最初の判決で、参院選で1票の格差を理由にした無効判決は初めて。参院選の定数配分全体も違憲で無効とした。片野裁判長は今年3月、衆院選の「1票の格差」を巡る訴訟でも「選挙無効」の判断を示していた。28日毎日新聞より≫


 予想通りの、悪判決である。先日の最高裁で、「衆院選は違憲状態」とした判決より、さらに踏み込んでいる。人の心も考える力も持たない裁判官には、こんな判決しか出せないのであろう。
 「一票の格差」是正で、人の住まない過疎地をつくり、そこに迷惑施設を移転させるというのである。確かに一理はあるが、いまそこに住んでいる人たちにとっては、たまったものではない。

 だが、日本人は、豹変する。
 例えば、日本が核武装することについて、現在90%の日本人が反対している。しかし、反対している一人ひとりを見ると、個人の中でも、賛成と反対がせめぎ合っているはずだ。個人のなかで、反対の部分が51%しかなくても、その個人が全人格をあげて反対しているように見える。

 この個人信条の51%が、少しの変化で49%になったらどうか。逆に90%の日本人が、核武装することを望むようになる。これは、「1票の格差」問題と、同じである。変化は、もうすぐである。

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加賀屋(11月28日)

 日本中の旅館が目指す加賀屋のビジネス形態の変遷を、注視していきたい

 加賀屋は、その規模や顧客満足度で、日本一の温泉旅館である。これまで2度宿泊した。
 団体で泊まったとき、客室係教育担当の方に、「おもてなしの心、先代女将に学んだこと」という、体験話をしてもらったことがある。客室係がマニュアルを守るのは当然で、それだけではお客の心には響かない。さりげないサービス、たとえば、お客の浴衣の丈を合わせる、薬を飲むしぐさをしたら水を提供する、影膳の提供など、きめ細やかなプラスアルファが重要である。加賀屋は、この「おもてなしの心」が最大の売りである。

 そしてこの旅館は、施設・ハード面でも、国内で比類のないほど充実している。豪華さで定評のある北陸の温泉旅館の中でも、群を抜く。高価な調度品をふんだんに配置するなど、施設の贅沢さは見事である。
 これらのビジネスモデルは、他の宿泊業者がそのまま取り入れることは出来ないだけに、これまで圧倒的な優位性を保ってきた。

 しかし、今や日本中どこの旅館やホテルでも、「おもてなし」サービスは当たりまえになってきた。必ずしも加賀屋がダントツではない。気の利いた温泉旅館は、加賀屋を目標に、顧客サービスに力を入れている。わが福井県の芦原だけでなく各地の温泉旅館も、サービス面では加賀屋と遜色ないように思う。むしろ我々貧乏人は、あまり気を使ってもらうと、居心地が悪い。また「おもてなし」は、マニュアル化できないだけに、個人の力量に負うところが大きい。

 そして施設面の豪華さは、常にリニューアルしなければ、リピーターに結びつきにくい。革新は継続させても、加賀屋の苦しいところは、常にNO1であり続けねばならないことであろう。
 そこで、近年台湾進出をはかったように、加賀屋のビジネス形態も変化していく。グローバル多店舗化だ。これからさらに海外へ伸びるのか、あるいは、拠点を広げずに新しいコンセプトを打ち出すのか。その変遷を視ていきたい。

地球温暖化(11月27日)

 CO2増加による地球温暖化は、避けられない。原発の再稼働を急ぐべきである

≪環境省は19日、日本の2012年度の温室効果ガス排出量(速報値)は13億4100万トンで、京都議定書の基準年である1990年比で6.3%増となったと発表した。議定書で「90年比6%減」が義務づけられている08~12年度の平均は1.4%増だが、森林による吸収分や排出量取引などの「京都メカニズム」分を差し引くと8.2%減で、義務達成が確実になったという。(20日 朝日新聞デジタルより)≫

 何かインチキ臭い。落語の「ときそば」を聞いているようだ。最初から分かっていたが、こんな数字は茶番である。

 ところで先日、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第5次報告書を受けての、講習会に参加した。講師は、沖大幹氏(東大生産技術研究所)である。
 最新のIPCC報告によると、気候システムの温暖化については、もう疑う余地がないそうだ。前回より、一層踏み込んでいる。世界中の学者90%以上が、根拠のあるデータと因果関係を示している。温暖化は間違いないと考えざるを得ない。
 さて、温暖化懐疑論急先鋒の武田邦彦氏は、どんな見解を出すであろうか。

 じつは私も、数年前までは武田氏に感化され、地球温暖化はウソだと思っていた。専門家が危機意識を煽り、自分の縄張りを拡張するための、屁理屈だと思っていた。武田氏は、定点観測温度の上昇は、都市化の影響であり、そもそも大気中のCO2増大は、原因ではなく、温暖化の結果であると論じていた。この論説は説得力がある。当たらずと言えども、遠からずだ。

 しかし、3.11後の武田氏の血迷った言動を見聞きするにつれ、この人の言うことはあてにならないと思うようになった。それまで、氏の論説の半分は信じていたのが、90%はインチキのような気がしてきた。
 やはり、CO2増加による地球温暖化は、避けられない。竜巻やスーパー台風などの異常気象は、ますます多発する。その元凶である化石燃料の消費、最大の消費である火力発電は、廃止しなければならない。

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岐阜・長野試食旅行(11月26日)

 昨日から、岐阜と長野にある地域産品加工施設の視察旅行で、先ほど帰宅した。

 最初に訪問したのは、小坂町にある淡水魚養殖漁業協同組合である。ここは、池面数55面に、飛騨の清流を引き込み、いわな・あまご・にじます・やまめを、卵から成魚になるまで養殖して、 手作りの甘露煮・開き干しに加工し販売している。また、養殖場の裏手の川原では、渓流釣り(あまご・にじます)を、一年中楽しめる。最盛期には、年間100万匹を出荷したと言うが、現在はその1/5になってしまった。

 その日は、下呂温泉の「冨岳」に一泊し、翌日飯田市にある肉屋2軒を訪問した。飯田市の市街地から、車で1時間余り。人口1700人遠山郷の、シカやイノシシの肉で有名な店である。この地域は、古くは林業で栄え、それが衰退するまでは、7000人もの人口があったという。

 まず、星野屋で2,500円の「熊鍋御前」をいただく。初めて食べる熊料理だ。味付けも歯ごたえも満足。ただ、熊は捕獲頭数のばらつきが大きく、いつでも食べられるわけではない。その代り、鹿は年間400頭近く解体しているそうだ。
 いま全国で鹿が増えすぎて、農作物や山を荒らす害が半端でない。そのため、各自治体では、補助金(1頭当たり、8000円~5万円)を出して駆除しようと試みている。1頭捕獲すると5万円も補助金がもらえるのなら、猟師も目の色が変わる。しかし、鹿は補助金の安い地域へ集団移動するらしく、思うように捕獲できないらしい。それに、シカ肉と言っても、ロースやもも肉以外は買い手がつかない。その他の部分は、脂身がなく食べる人がいない。そのため、1頭のうち販売できるのは、8キロぐらいしかないという。

 最後に訪問した鈴木屋は、別途紹介する。

紅葉の文殊山(11月25日)

 昨日、紅葉の文殊山に登った。自宅からマイカーで20分。二上登山口に着いたのは11時30分ごろ。50台ほどの駐車場が満杯で、数分間だけ、空くのを待たねばならなかった。これまで何十回と来たが、こんなことは、初めてである。ちょうど紅葉盛りの休日で好天だったのと、季節柄高い山は厳しくなったため、市内の登山客が集まったのであろう。

  文殊山紅葉黄色H25.11.24  文殊山紅葉赤H25.11.24  文殊山胎内H25.11.24

 大勢の登山客が集まるだけあって、なかなか見ごたえのある紅葉であった。コシアブラなどの黄葉の中に、ヤマボウシの紅葉が点在している。
 景色を楽しみながら、1時間ほどで頂上に着く。せっかくだから、奥の院まで往復した。途中、見事なしめ縄で飾られた、胎内くぐりの大岩を拝んだ。写真のごとく、なにやら怪しげな形をしている。しめ縄は、先ほどすれ違った商工会職員の方が、据え付けたそうだ。元旦はまた、登山客でにぎわうだろう。

 この胎内くぐりの大岩には、いくつかの伝説がある。女人禁制だった頃、この山に登った女の人が、山の神の怒りに触れ、岩の間に閉じ込められたという伝説。またその岩を潜ると、知恵を授かるという伝説もある。2度目は、知恵が授かったお礼参りをする。ところが、3度参ると馬鹿になるそうだ。

 私はもう、30回くらい参ったので、馬鹿をとっくに通り越して、大天才の紙一重まで近づいたのではないか。それにもう、こんな大岩のような硬くて大きいところをくぐるのもやっとである。

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介護労働と排泄(11月24日)

 介護される人の「大便」処理の軽減分野は、絶好のビジネスチャンスである

 24年度の総務省「就業構造基本調査」によると、仕事を持っている6400万人のうち、介護しながら働いている勤労者は290万人(男性130万人、女性160万人、60歳未満200万人)になる。また、厚労省「介護サービス施設・事業所調査」によると、国内の介護保険事業に従事する介護職は、133万人(うち常勤53万人)である。
 この時点で、すでに全労働力の7%が、介護のために費やされていることになる。今後は、総労働者数が減少し、介護する人は激増する。ますます介護のために、労働力が奪われる。それ以外の財やサービスを供給する力が無くなり、我々の暮らしは貧弱になっていく。

 この介護労働で、精神的・時間的に、最も負担になっているのが「排泄」である。この「排泄」のための労働から解放されれば、介護負担の8割は改善される。とくに、大便の始末がポイントである。
 したがって、介護される人の「大便」処理の軽減ができれば、日本人の暮らしは、一気によくなる。かっての、電気洗濯機や冷蔵庫の普及以上に、生活に革命が起こるはずである。

 そこで私は、40年ほど前から、「排泄」合理化のための工夫を考えてきた。穴あきベッドや自動吸引器、乾燥装置などである。だが、具体的な設計に及ぶと、いろんな問題がでてくる。「おしめ」にはかなわない。器具を使うと、どうしても被介護者に負担がかかる(負担をかけ、早く介護不要にしてしまうという手もあるが)。

 いまは、開発を半分あきらめている。私の創造力が衰えてきたのと、「おしめ」など、従来型の用具の「改善」が進んできたからだ。しかしいま、この分野では大きな改革が求められている。柔軟な発想で「大便」処理をなくし、時代の救世主になって欲しい。
 人が嫌がるところにチャンスがある。これこそ、絶好のビジネスチャンスである。

NHKの受信料徴収(11月23日)

 徴収率を上げるなら、まず幹部が率先して、未払い者の督促に回ることだ

「短期のクレーム用コールセンター」という仕事がある。企業で不祥事や品質問題で、顧客に謝罪の連絡をしなければならないときに行う。日雇いのアルバイトなどを集め、即席のコールセンターをつくるという。
 事前研修では、「必ず、その会社の社員と名乗る」ことを教え、ひたすらクレームの謝罪をさせる。こうすれば、正社員は怒りの矢面に立たされない。

 NHKの受信料徴収も、同じようなしくみである。
 受信料督促に、若い男の人が訪ねてきたことがあった。わが家は、ケーブルテレビの回線を引き入れているのに、衛星放送受信料を支払っていないという。
 訪ねてきた人には気の毒だが、これは支払うわけにはいかない。衛星放送など、ほとんど見ることがないのに、代金を支払うのは納得がいかない。納得した上で払うのでなければ、一生後悔する。

 そもそもケーブルテレビ回線を引いたのは、電波障害でNHK総合放送が、はっきり映らなくなったからである。そのケーブルテレビ費用が高い。
 公共放送と名乗るNHKなら、まず顧客の受信環境を整えるのが先ではないか。尻馬に載ったような形で、「映るようになったのなら、受信料をいただきます」などと、ずうずうしく言って来ることがおかしい。

 総合放送の番組は、ときどき見るからまだいい。しかし、衛星放送はほとんど見ない。いらないものをおまけにつけて、その分を請求してくるのは、悪徳商法である。押し売りより性質が悪い。普通、そんな商売は成り立たない。それを成り立たせているNHKの利権構造こそ間違っている。

 もっと腹が立つのは、外部委託の若い集金人に、厭な仕事を押し付け、のうのうとしているNHKの幹部連中である。電波独占という既得権(放送業界全体にいえる)の上に立って、自らは並外れた高給(平均年収1700万円以上)をとり、嫌われ役を外部に委託する。そんなブラック組織には、協力するわけにはいかない。

 徴収率を上げるなら、まず幹部が率先して未払い者の督促に回ることだ。未払い者も、納得のいく説明を受けられる。NHK自身の体質改善にも、大いに寄与する。
 その上で、NHK職員の待遇を、せめて公務員並みにすべきである。それなら、喜んで受信料を払っただろう。

(残念ながら、この受信料は私の留守に、いつのまにか家人が払ってしまっていた。空き巣にあったような気分である。)

すべては仮説(11月22日)

 世の中には絶対的な「真実」などない。持論を持たなければ、納得して行動することができない

 小泉進次郎という政治家がいる。ご存知、元首相の息子である。彼の言動を見ると、まことに潔い。その、はっきりした物の言い方に人気がある。父親そっくりである。
 しかし、何を根拠にそんなに自信を持てるのか、まったく不思議である。まだ30才そこそこで、それほど経験や知識があるとは思えない。私のほうが世の中を知っているはずなのに、おどおどしている。
 このように、それなりの人でも、自信を持って論説しているのを見ると、多くの人は説得されてしまう。

 じつは、世の中には絶対的な「真実」などない。すべてが「仮説」である。以前にも述べたように、さも本当らしくいう「専門家」ほど、ご都合主義な人はいない。だから、自分が思っていることは、一番正しい。
 このことは、竹内薫氏の著作「99.9%は仮説」を読んで確信した。竹内氏によれば、現代の物理基本原理でさえ、ほとんどわかっていないという。飛行機が浮かぶ理論でさえ、正式には解明されていない。ましてや、現代の医学や社会・政治的な常識など、まことにいい加減なものである。
                                     紅茶ポット
 しかし、わからないだけでは、世の中が成り立たない。何ごとも、具体的な事実を前提とする必要がある。たとえば今、私の目の前にあるお茶は、絶対安全だという「仮説」を持っているから飲める。微量な毒物は含まれているが、人体には影響ないという「仮説」である。安全が証明されるまで、お茶を飲めないとしたら、人はみな、干乾しになってしまう。水でも食物でも同じである。

 ある物事を判断する場合、自分の持つ知識と時間の中で得られた情報を、フル動員する。持論を持つということは、少なくとも自分で考えることでもある。考えない人は、納得して行動することができない。だから、中途半端になる。
 自立するためには、自分で納得できる論説を、きちんと持つことが必要である。まさしくそれが「仮説」なのである。

 もちろん、持論=「仮説」を持ったとしても、その後いろんな意見や情報から、間違っていたと思えるときもある。そのときには、素直に意見を変える。間違ったと思った時に、間違いを認めようとしない人が一番いけない。

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「一票の格差」是正のメリット(11月21日)

 「一票の格差」是正で住民ゼロの地域をつくれば、そこでは国民全体の利益にかなった事業ができる

≪「一票の格差」が最大2.43倍だった昨年の衆院選は違憲だとして、弁護士グループが選挙無効を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)は20日、区割りを「違憲状態」と判断した。選挙無効の請求は退けた。 11月20日産経MSNニュースより≫

 予想されたように、今回最高裁で、今の「一票の格差」は「違憲状態」であると判断された。日本らしい、玉虫色の判断である。それでもまだ、固定観念にとらわれている法曹界や多くの人々にとって、「一票の平等」は「悪平等」であることには、考えが及ばないのである。
 私は一貫して、1票の格差是正に反対してきた。(1票の平等は悪平等)

 しかし、私自身の思考も足りなかった。どんな盗人にも3分の理はある。よく考えてみると、「一票の格差」を是正することのメリットはあった。
 どういうことか。
 「一票の格差」を是正して、極端な過疎地をつくるのである。「一票の格差」是正で、都市部へ人と資源を集中させ、反対にまったく人の住まない過疎地をつくり上げる。人がいない地域は、住民の権利も無くなる。そこでは、国民全体の利益にかなった事業が展開できる。

 これまで我が国のほとんどの公共事業は、私権によって阻害されてきた。たとえば、廃棄物処分場や軍隊の基地などである。国全体では必要なのはわかっていても、そこに住む少数の住民が抵抗する。これらの予定地に、住民が一人でもいれば、事業を遂行するのに、甚大なコストがかかっていた。日本の公共事業が、世界一高コストである最大の理由である。

 もしその地域に、住民が一人もいなかったらどうか。事業を行うのに、地域住民に配慮する必要は、ほとんどない。現在、予定地を探して右往左往している、原発廃棄物最終処分場、沖縄の米軍基地移転先など、いくらでも予定地は見つかる。
 この、ゼロ住民の地域をつくるために、「一票の格差」是正が、必要なのである。一人1票の格差があっても都市部に人が集中する状況を利用し、その格差をなくして、さらに過疎地を拡大させる。尖閣諸島のような地域を、本土でも点在させていく。

 将来を見越した、息の長いみごとな戦略である。

迷惑セールス(11月20日)

 こういう人たちに対して、一概に無愛想すぎるのも考えものだ。客に怒鳴られ、人生のトラウマになる人もいる

 自宅で仕事していると、訪問セールスや勧誘電話を受ける。多いときは、1日3~4件ある。
 以前は、この手のセールスや勧誘電話がかかると、無愛想になって「いりません」の一言で断るのが常であった。ほとんどの人がそうであろう。

 しかし、よく考えてみると、セールスや電話する人は、必ずしも「玄人」ばかりではない。訪問販売の人など、見るからに新人である。会社の教育訓練で、新人の仕事として行うこともある。また電話の場合も、たいていアルバイトやパートの人が、コールセンターからかけている。

 こういう人たちに対して、居丈高すぎるのは考えものである。このような「飛び込み」セールスや電話勧誘は、非常に勇気がいる。客に怒鳴られ、人生のトラウマになる人もいる。気の毒である。人ごとではないからだ。

 私自身も、仕事で顧客訪問したり、「営業」電話をする。さすがに最近、「飛び込み」セールスはしないが、アポを取って訪問しても、見ず知らずの人に会うのは非常に怖い。年に1~2回は、いやな思いをする。傷ついて、しばらく仕事ができなくなったこともあった。
 つまりお互い様である。自動車運転で、譲り合うのと同じことだ。
 
 そうかといって、いたづらに愛想良くしてしまうと、それこそ「騙さ」れる。以前、ある銀行の新人らしき、たどたどしいセールスマンの話に乗り、おかしな金融商品を買わされてしまった。相手が口達者なベテラン営業マンなら、決して相手にしなかった。
 モノはほどほど。お客になるにも、勘と経験が必要である。

タクシー業界(11月19日)

 1メーター650円の客が乗っても、事業として成り立つ仕組みができれば、客も安心して乗れる 

 今日は、名古屋出張。帰りは高速バスで、夜10時ごろ雨の福井駅へ着いた。冷たい雨が降っているので、タクシーで帰りたいところである。だがここ数年、ほとんど利用したことがない。
 べつにタクシー代をケチっているわけではない。逆である。駅から自宅まで、7~800m。1メーターで済む。650円ぐらいなら、15分も震えながら歩くより、よほどいい。では寒い雨の中、なぜわざわざ歩くのか。

 運転手の不機嫌な顔を見たくないからである。なぜ不機嫌なのか。夜中に駅前のタクシー乗り場を見て欲しい。30~40台のタクシーが、延々と客待ちをしている。1時間ぐらいは待つと思う。そこへ私が乗る。運転手にしてみれば、さんざん客待ちをしたあげく、たった650円の客である。最低賃金にも及ばない。私が運転手の立場でも、がっくりくる。

 もちろん、ほとんどの運転手は、そんなことを言動では表さない。態度に出すのは、5~10人に一人くらいである。でも、何度かそんな運転手に巡り合うと、こちらがタクシーに拒絶反応を起こす。やっと地元に帰ってきてまで、無愛想な運転手の顔を見たくない。

 タクシー業界は、競争がきわめて厳しいサービス業である。同業者よりもマイカー、あるいは私のような徒歩、自転車などすべての移動手段が競争である。そのような厳しい業界では、100人に一人でもおかしな運転手がいれば、業界全体が影響を受ける。

 難しいが、1メーター650円の客が乗っても、事業として成り立つ仕組みができれば一番いい。客も安心して乗れる。客に気を使わせるような事業形態では、もう先がない。(これについて、アイデアはいくつかもっているが、規制や諸事情に精通している事業者の工夫に期待したい。)

食品偽装と中・韓のウソ(11月18日)

 ウソをついて他を貶めることが当たり前になっている国の大ウソを、日本で受け入れる必要は、まったくない

 日本のホテル・レストランでの“メニュー偽装”が、相次いで発覚している。
 車エビがブラックタイガー、伊勢エビがロブスター、「鮮魚のムニエル」が冷凍魚、「クラゲのレッドキャビア添え」はトビウオの魚卵、「九条ネギ」は普通のねぎ、などきりがない。これらはまだ、「氷山の一角」であろう。 
 以前、不二家や雪印などの食品メーカーが追いつめられたことがあった。今度は有名ホテル、レストランでの不祥事である。
 確かに、具体的に表示してあるものと異なるものを提供していたのなら、「詐欺」である。表示にひかれ、高い金を払った消費者は、いい迷惑である。できるなら、最後までだまし続けて欲しかった。

 ただ、車エビもブラックタイガーも、味に優劣はないということもわかった。「レッドキャビア」とトビウオの卵も、何も違わないし、九条ネギと言っても、一握りの「目利き」にしか違いが判らない。ブランド志向の幻想である。
 そもそも、「霜降り肉」と「油脂抽入肉」は、どう違うのか。おいしくて安全なのは、後者である。生産ロスが少なく、環境にもやさしい。「油脂抽入肉」発明の苦労話は、プロジェクトXものだ。やり方によっては、高度な商品開発として、もてはやされる。

 そういえば以前、豚の内臓を牛肉と偽ったミートホープという会社があった。その偽装がもとで倒産した。私に言わせれば、豚の内臓で牛肉以上においしいミートボールをつくる能力は、絶賛していい(嘘はいけないが)。あの時は、偽装に目が眩んで、その能力を賛美する声は聞かれなかった。あの社長は、今頃どうしているのだろうか。確か、実刑判決を受けた。
 今度の偽装事件では、ホテルやレストランの処分の声が聞かれない。客に弁償すればいいのなら、ミートホープ社の処分は、ひどすぎる。(法が常識を反映していない、と言われる所以である)。
                                   食事
 もっとも、こんなことは、中国、韓国では当り前である。日本も、昔はそうだった。メニューを信じることがおかしい。それどころか中国のネットでは、「こんなことで謝罪してたら、中国ではきりがない」という意見が多いそうだ。それもそのはず。偽装と言っても、別にメラミンや下水油、発がん性物質が入っていたわけではない。
 中国における食品安全の問題は、日本での食品偽装問題とは、まるで次元が違う。違法添加物が大量に使用された食肉はいいほうで、段ボールでハンバーグを作ったり、変成でんぷんや漂白剤を使ったニセ豆腐、人間の毛髪から製造したとされる醤油、廃棄された油を精製した下水油など、枚挙にいとまがない。日本では、少なくとも食べられるもの(あるいは本物以上のもの)を使っている。

 このような国では、ウソをついて他を貶めることが当たり前になっている。「キツネとタヌキの騙(だま)し合い」と言っても、日本がはるかに格下である。ウソでも控えめな日本が、騙し合いで、勝てるわけがない。「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」が典型である。こんな大ウソを、「バカ正直に」受け入れる必要は、まったくない。

中小企業診断士の農業者支援(11月17日)

 ビジネスモデルは、それを現実に作り、実行する人がいて初めて実現する。その経営者を支援する仕組みが必要である

 TPPをきっかけに、日本の農業政策、事業形態も大きく変わろうとしている。また、変わらなければ、国家の命である農業が衰退する。TPP交渉に問題はあるかもしれないが、大きな流れは止めようがない。農業も、その環境に合わせるだけだ。

 農業と言えども産業である。その事業形態(ビジネスモデル)の根幹は、顧客志向、顧客満足である。
 そのためには、流通制度の改革など、大きな事業転換が必要である。消費者と生産者の間に、モノだけでなく、情報も流さなければならない。積極的に商品開発を行い、モノと情報が消費者にいきわたる仕組みを持った事業者が生き残る。経営者に力があれば、自ら販売に打って出る。

 そのためには、農業だけの世界に留まっていてはだめだ。観光分野、加工食品、生産技術、IT、流通業など、他産業のノウハウを取り入れる。いろんな事業者と連携し、新たなビジネスモデルを作り上げたい。ただ、ビジネスモデルは、それを現実に作り、実行する人がいて初めて実現する。これらを担う人材の育成、経営者の育成が必要である。
 いま、農業への参入希望者は多い。また、兼業で農業を行ってきた人が、定年後に、本格的に農業に取り組みたいと思うこともある。

 中小企業診断士は、この新しい事業を、どのように支援できるのか。
 診断士で「農・工・商連携」、「6次産業化」などの掛け声のもと、農業関連の事業を支援してきた人は多い。そして、診断士自身が農業を家業としている人もいる。
 これまではあまり、農業をビジネスとして見てこなかったため、いまのところ、診断士で農業分野に長けている人は少ない。しかし、これらの診断士が連携すれば、農業起業者を支援し、新たなビジネスモデルを提案することもできるはずである。

進化論と放射線(11月16日)

 日本が高濃度の放射線汚染地域になったとしても、必ずその環境に適した強い子孫が繁栄する

 日本以外のアジアでは、原子力発電所の建設が進んでいる。韓国では、今後10年の間に10基が、日本に向けた日本海沿岸に建設される。中国は40年間で400基もの原発をつくる。同じように、核の保有も進む。当然、事故が頻発する。
 いやが応でも、これからの世界(とくに東アジア)は、放射線に囲まれた環境に放り込まれる。言い換えれば、放射線に強い国民を持つ国が有利になる。原発事故が起きても、逃げなくてもいいし、核攻撃されても、被害は最小で済む。

 放射線に強い国民を育成する方法はなにか。放射線に耐えられる薬剤を開発するのもいい。ヨウ素剤などだ。しかし、効果は限定的で、副作用もある。ではどうするか。
 人体をそのような体質に変換、適合させるのが一番である。

 そこで、ダーゥインの進化論を思い返してみよう。進化論の肝の一つに、「生まれた子の大半は、生殖年齢に達するまでに死ぬ」というのがある。すなわち、その時の環境に適した個体だけが、子孫を残す。これが数代続けば、その環境に適した強い人ばかりになる。
 たとえば、放射線の強い地域では、多くが亡くなる。きわめて悲惨である。しかし残った者は、放射線に強い人種である。人類が生き残るための、大きな武器になる。

 今の人類(とくに日本人)のように、少なく生んで確実に育てるという子孫の残し方は、きわめてまずい。これは、人類の進化をまったく無視したものである。その結果、すでに人類(とくに寿命の長い民族)は、退化しつつある。
 万一、原発事故の頻発や核攻撃で、日本が高濃度の放射線汚染地域になったとしても、全員が死ぬことは無い。必ずその環境に適した、強い子孫が繁栄する。日本人の遺伝子は残る。

 このようなことにならないためには、中国・韓国の核開発をやめさせなければならない。それができないなら、それ以上のことを日本でやるしかない。


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治療しない治療(11月15日)

 「治療」や「検査」は受けないほうが健康になる。企業診断でも、一方的なコンサルほど企業にとって迷惑なことはない。

 3年前から、年に3回ほどPSA検査を受けている。PSAは、前立腺の異常を示す数値である。一度「生検」といって、尻の穴から太い棒を入れ、直接前立腺の検体を採取する検査を受けた。あれは、悶絶寸前の痛さであった。

 これまで、検査だけで治療らしきものは一切受けていない。一度担当の医師に「前立肥大の治療はしなくていいのか。日常生活では、どうすればいいのか。」ということを聞いたが、「何も関係ありません。」といって、まったく取り合ってくれなかった。まさか、「毎日5合、酒を飲んでいいか。」とは聞けなかったし、聞いても答えは明らかである。
 このように、現在の医療機関では、「治療しない治療」が進んでいる。

 ところが、このようなことはまだ少ない。前にも書いたが、普通は、病院に行くたびに、山ほどの医薬品を購入させられる。
 あるとき、病院の待合所にいた老人患者と話していたら「自分は、PSA値が75もあり、ホルモン療法を受けている」と言う。PSA値4~6程度でびくついていた私が恥ずかしい。
 その患者さんは、「ホルモン療法のおかげで、非常に体調が悪くなった」と言っていた。もしかして、何もしないほうがよかったかもしれない。

 今朝のニュースでは、国民医療費が、2011年度には38.6兆円にもなったという。今年は、40兆円を超えているはずだ。一人当たり年間30万円以上にもなる。
 本当は、治療を受けないほうがいい病気は多い。今の「医・薬分業制」は、医者の技量を明確にするのではないか。ヤブ医者ほど儲かるような仕組みは、変えなければならない。


 同じことは、国の政策にも言える。ポピュリズムに走って、目先だけを取り繕えば、国そのものが、死んでしまう。何もしないことも、立派な政策のひとつである。
 企業診断でも、一方的なコンサルほど企業にとって迷惑なことはない。

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引退首相の「原発ゼロ」発言(11月14日)

 引退してまで、日本国民の背後から銃弾を打つようなことは、絶対やめて欲しい
 
≪小泉純一郎元首相は12日、日本記者クラブで記者会見し、原発ゼロへの方針転換に関して「いま首相が決断すれば(実現)できる」と述べた。与野党の反対のなか「郵政解散」に踏み切った現役当時と比較しながら「はるかに環境がいい」と指摘。「野党は原発ゼロに賛成しているし、本音を探れば自民党の議員でも賛否は半々だ。このチャンスを生かすことが重要だ」との考えを示した。その上で原発ゼロの可否は「首相の判断力、洞察力の問題だ」と明言した。〔日経QUICKニュース(NQN)〕≫

 小泉元首相の「原発ゼロ」発言が、波紋を呼んでいる。そもそも、何の権限もない、国会議員ですらない元首相の発言を、メディアが大きく取り上げることがおかしい。こんなものは無視すればいい。

 考えてみれば、国民は昔、この首相に騙され、手痛い傷を負った。致命傷かもしれない。アメリカの要求に全面的に屈した「郵政民営化」である。またそれをはじめとした、構造改革だ。その結果、我が国の富は、欧米の金融業者に吸い上げられ、国内でも貧富の差が広がってしまった。
 もっともその結果、その思い切りのいい発言とは裏腹に、小泉元首相の思考回路は、貧弱であることがわかった。現役引退した今、当時より良くなっていることなど、あり得ない。見るからに貧乏神である。
 これらのことは、もうしょうがない。 だが、・・

 少なくとも、引退してまで、日本国民の背後から銃弾を打つようなことは、絶対やめて欲しい。今は、原発廃炉に向けた壮絶な撤退戦が始まっており、そのための原発戦士を増やす必要がある。きわめて大切で、微妙な時期なのである。
 引退首相のトンデモ発言は、鳩山氏、管氏だけで充分である。いたづらに大衆迎合し、名を残そうとする浅はかさを、断じて許してはならない。もしかすると彼らは、日本国民全体を、己(おのれ)に迫ってきた地獄への、道連れにしようとしているのかもしれない。
 
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高齢者起業の問題(11月13日)

 高齢者が起業すると言っても、現実にはそれを阻む、いろいろな阻害要因がある。逆に言えば、これらのハンディを自覚し、それをカバーすれば、成功する。

①知能面での衰え
とくに問題になるのは記銘力 (ものを覚える力)の低下である。聞いたことをすぐ忘れる、同じことを何度も聞くなど。それに比べて、古い記憶は高齢になっても比較的よく保たれている。それも徐々に不正確になり、思い出せないことが多くなる。
 ただ、判断力、総合力は高齢になっても低下しない。若い時には理解できなかったことが年をとって初めて理解できる、ということはしばしばである。年をとったら皆ぼけるというのは大きな間違いで、老年期認知症の患者は65歳以上高齢者の5〜6%にしか過ぎない。

②健康疾患
 仕事が順調にいき、忙しくなってくると、経営者として無理をしがちになる。とくに、退職後のんびりしていて急に働き出すと、それまで隠れていた病魔が顔を出してくる。
 ある程度軌道に乗った後なら、任せられる人がいるかもしれない。しかし、開業準備や開業間もない時期に体を壊し、出鼻をくじかれることがある。開業時に多くの借金でもしていたら、目も当られない。

③高齢者の性格
 高齢者の性格の特徴として、がんこ、利己的、愚痴っぽい、疑い深い、いらいら、などがあげられる。
ただ、病的状態でみられる特徴と、正常な高齢者の人格の変化が混同されている場合がある。人格は成人期〜老年期を通じて比較的安定していて、青年期までにつくり上げられた人格の基本的な部分は変わらず、加齢的変化よりも世代の違いや性差の影響のほうが大きい。
 多く認められる性格としては、保守性、あきらめ、義理堅さ、依存的などで、従来多いとされていた嫉妬、不満、懐疑心などは、それほどでもないとも言われる。

④大企業の「看板」、プライド
 過去に大企業などで権限を持っていた人は、なかなかそのプライドを外すことが難しい。大企業で環境に恵まれて高給を食んでいた人は、中小・小規模企業の劣悪な環境(人、モノ、資金、情報・・)で力を発揮することは、まれである。むしろそこへ、大企業の複雑な管理システムを導入しようとして、混乱させてしまう。
 大企業でなくとも、シニアともなると相当の権限を持っていたはずである。この、会社の威光をバックにした肩書きや名刺が、役に立たなくなってしまうことが多い。

⑤多くの利益は望んでいない
 シニアの起業動機として多いのは、「過去の経験、知識を利用したかったから」、「社会の役に立つ仕事がしたい」、「年齢や性別に関係なく仕事がしたい」となっている。ところが、収入に関する考え方として、「できるだけ多くの収入を得たい」というシニア起業家は少ない。

⑥年金などによる高額収入
 口には出さずとも、まとまった年金を受給する人は多い。信じられないが、大企業社員や公務員だった人は、公的年金や共済、企業年金などを合わせると、年間7~800万円という人がざらにいる。そこまでいくと、真剣に働く気が起きないかもしれない。
 また公的年金制度の問題点は、厚生年金の給付に伴う収入制限である。受給資格のある高齢者でも、在職者はその収入額に応じて年金給付が減額される。収入が低い場合は減額率が小さいが、収入が高い場合には減額率が大きくなる。
 このような収入制限は、働こうとする人に、年金減額というペナルティを与えるように見える。これによって高齢者の勤労意欲が抑えられ、雇用が阻害される。
 しかしそんな人は、お金のために働く必要はない。それこそ、生きがい、やりがいを求めて働くのである。理想的ではないか。

⑦業務脳の新鮮さを保っていられるか
 現役時には仕事中心だったシニア世代が退職すると、当面はのんびりしようと考える。退職後にほとんどの人が失業給付を受け、減給になったとしても、当面の生活には困らない。それが半年も続くと、次第に事業脳からも離れていってしまう。
 円満退社した会社であっても、足が遠のくと、行きにくくなるし、昔の取引先とも疎遠になる。そのうち担当者が代わると、ほとんど連絡もしなくなってしまう。情報はいったん断絶してしまうと、回復するのが難しい。
 もっと悪いのは、しばらく仕事をしないことによって、仕事脳・ビジネスセンスが失われてしまう。そのままずるずるやっているうちに、やる気もなくなるのである。

65才定年(11月12日)

 なんといっても、企業にとって最も好ましいのは、いらない人に辞めてもらうことである

「改正高年齢者雇用安定法」が、4月から施行されている。国が高齢者の雇用を推進するのは、厚生年金の支給開始年齢が、段階的に引き上がるためである。企業は、超高齢化社会日本の「65歳定年」「高齢者の雇用」に、どう対応すればいいのか。

 従来のまま定年延長すると、①人事の停滞、②人件費の増大、③若者の雇用機会減少、④企業活力の減退・・など様々な弊害が発生することが想定される。
 その対策として、①社内外でベンチャー事業を発足させる、②年功序昇進や待遇の排除、③30~40代から一人一人に独立心を発揮させる、④40歳定年制・・などが考えられる。そこから、一人一人を事業部制にして、社内で自由取引を行うことも一つの方法であろう。

 ただこれは、何か一つの解決法を取り上げて、これをやればいいというものではない。その組織の実態に合わせていろんな方策を取り上げ、工夫し組み合わせてみる。その中で経営者が適切と思うものを、思い切って行うことが大切であろう。

 もちろん、いくら労働者の年齢が上がっても、給料が高くても、その給料以上に稼いでもらえれば、その企業は成り立って行ける。ところが、一人一人の労働者が、会社にどう貢献しているかを、定量的(金銭)にはかるのは極めて難しい。それをされたくない人もたくさんいる。だから、みな右往左往している。

 本音を言えば、企業にとって好ましいのは、いらない人に辞めてもらうことである。その辞めた人の選択肢の一つが、高齢者起業である。その道さえ確立されていれば、辞めた人が路頭に迷わずに済む。

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暴飲(11月11日)

 昨晩、したたかに飲んだ。2日酔いで、昼近くまで起きられなかった。やっと這い上がったが、まだ苦しい。
 中学のクラス会で、夕方5時に始まり、解散したのが12時ちょうど。あれほど、「いい酒を少しだけ飲むのがいい」と主張していたのに、それを実行するのは難しい。なにより、最初の「2時間飲み放題」がいけなかった。飲むほどに「損」になるのは頭ではわかっていても、つい手が伸びる。
 なにより、こういう場では、飲酒を抑制する「外力」が働かない。それどころか、無理やり呑まされる?。気の弱い私は、それに抗しきれない。そして、必ず後悔する。

 などと、言い訳をたらたら言いながら、暴飲を繰り返す。体のあちこちに異常を起こし、最後に息の根が止まる。これが人生なのだ。
 はたして、次回のクラス会(5年後?)には、参加できるのだろうか。

クジラを食べてはなぜいけないのか(11月10日)

 1頭のクジラを捕獲すれば、何百万という小動物の命を救い、何百人もの人の命を育んでくれる

 オーストラリアなど欧米諸国は、日本などの捕鯨国に対し、圧力を加える。
 欧米人にしてみれば、クジラやイルカは哺乳類のなかで、もっとも人に近い動物である。牛や豚は、家畜として人に食べられるために神が作った生き物だそうである。

 だが我々日本人は、なぜクジラを食べていけないのか、まったく理解できない。なぜ牛や豚は食ってもいいのか。なぜカンガルーならいいのか。
 イスラム教やヒンズー教の人たちは、牛や豚を食べることはできない。彼らから見れば、平気で牛や豚を食べる欧米人は、極悪非道の悪魔に他ならない。欧米人を糾弾すべきである。

 あまりそんな声が聞こえないのは、いかに欧米人が自らの価値観を他人にまで押し付ける自分勝手な民族か、ということである。徹底的に人種差別、動物差別が身についている。
................................... クジラ2 .............................. クジラ1

 その他にも、重要な視点がある。
 日本人は、人が生きているということは、他の命を奪うことと同じで、それだけで罪深いことだという認識を持つ。クジラだろうがイワシだろうが、まったく同じ命である。欧米人は、日本人の倍近くカロリー(=命)を摂取する。したがって、(クジラは食べなくても)、日本人以上に、他の命を食べて生きている。そんな欧米人に非難されるいわれはない。

 さらに日本には、「一寸の虫にも5分の魂」という言葉がある。大きさに関係なく、生き物はすべて平等である。人間でいえば、体重1㎏にも満たない赤ん坊も、体重300㎏の小錦も、同じ命である(むしろ赤ん坊の命のほうが大切かも)。
 こうなごやシラスなどの小魚を考えてみよう。いくら小さくとも、小魚1匹は一つの命である。同じ生き物、同じ一つの命として、巨大なクジラ1頭にも匹敵するはずだ。それを私たちは、一口で何百匹も食べる。たらこやすじこなら、一口何万もの命である。一度の食事で、何千・何万という命を奪うことになるのである。なんと罪深い。

 それに対し、いくら大食漢でも一人で、クジラ1頭はとても食べられない。つまり1頭のクジラは、何百・何千もの人の命を育んでくれる。しかもクジラは、その大きさになるまでに、無数の小魚の命を奪ってきた。人と同じ、いやそれ以上に罪深い生き物である。
 人がクジラを食べるということは、人が生きるに必要な他の生命を、最小限にしか奪わなくて済む。
 したがってクジラは、人間の罪深さを減じてくれる、理想的な食べ物なのである。決して神聖な動物ではない。命は平等である。

頭がいいと言うこと(11月9日)

 いくら頭が良くても、基本事実を間違って認識していたら、意味がない

 高橋洋一氏の著作「数学を知らずに経済を語るな」を面白く読んだ。この本の中で、高橋氏は「頭がいいと言うこと」に関して、次のように述べている。
 「頭が悪いのと根気がないのって、ほとんど一緒だけど・・。」、「壁にぶち当たったところで、匙を投げるか、必死に食らいつくか。そこの違いが大きいんだよ。いつでも匙を投げてしまうと、物事を持続的に考える力が育たないから、考える力そのものがなえちゃうよ。・・・」、「・・・深く考えて、自分の頭でスーッと展開できるようになると、すごく早く処理できるようになるんだけどね。・・・・頭の中にそういう回路をつくっていく感じなんだよな。・・・」

 すなわち頭が良い人とは、根気よく物事を考えることのできる人だという。なるほど、と思う。

 そうはいっても、はた目からは、苦労しないで次々と面白いアイデアを出す人がいる。また、深く考えるためには、そのベースとなる事柄を記憶していなければならない。素養として優れた記憶力は必要なはずである。
 そして、考えるための出発点、事実認識が正しくなければならない。
 これは高橋氏の言う、数学的な「頭のよさ」とは違う。

 たとえば、「頭がいい」はずの高橋氏の、この著書のなかで、次のところはいただけなかった。
 3.11原発事故後の対応で、政府や東電は、CTスキャンやレントゲンの値をもとに、放射線被ばく量の安全性を論じていた。これを批判して高橋氏は、「放射線被ばく量での数値で最も重要なのは、累積値なのに、時間当たりの数字しか発表されなかった。」と述べている。

 しかしこれは、高橋氏の明らかな間違いで、「放射線被ばく量での数値で最も重要なのは、時間当たりの線量」なのである。
 これまで説明してきたように、放射線でわずかにDNAが破壊されても、人間には素晴らしい回復力があり、時間がたてばもとに戻る。年間均して100㎜Sv程度(人によってはその10倍)の放射線を浴びても、通常生活で発生する活性酸素の1/100程度しか、DNAは破壊されない。こんなものは、誤差の範囲である。
 ところが、100㎜Svの放射線を短時間(数秒)で浴びてしまうと、DNAが修復不可能に至るまで破壊され、障害が発生する場合がある。

 高橋氏ともあろう人が、24年1月〈著書発行日〉の段階で、放射線に関するこんな初歩的なことを誤解していたとは驚きである(さすがに、今はもう誤解が解けているとは思うが)。大多数の国民が、放射線パニック・原発ヒステリーになるはずだ。
 いくら数式や数字を操るのに長けていても、一つ一つの事実を誤認していたのでは、話にならない。

憲法改正案(11月8日)

 日本国憲法は、17条憲法と5か条の御誓文だけにして、ややこしい条文はすべて法律で定めたほうがいい

 このところ憲法改正論議が、やや下火になってきた。TPP騒ぎが収まり、政権が安定するのを待っているのかもしれない。それもあるが、憲法改正にあたって、おかしな「そもそも論」が出てきたことが、影響しているのではないか。前提条件が違っていては、議論は先へ進めない。

 ひとつは、「憲法は、主権者である国民大衆が、権力を託した政治家や公務員たちを拘束する指図書である」というものである。慶応大教授の小林節氏のように、欧州やアメリカをモデルとする憲法学者に多い。これらの国は、市民革命で権力者を倒した歴史がある。これでは、憲法96条の改正などは、とんでもないとされる。

 しかしそれでは、日本はいつまでたっても、おかしな憲法に縛られたままである。
 では、どうするか。

 じつは、憲法の条文そのものをもたない国がある。イギリスである。この国では、歴史的に生み出されてきた重要な文書や、契約、判例などを集めて「憲法」としている。これは、イギリスが市民革命を経ていないということと、「王国」だからである、と言われている。
 日本はこれに近い。わざわざ、憲法条文などつくらなくてもいいのではないか。

 それなら日本には、昔から誇るべき「憲法」がある。聖徳太子の17条憲法、及び明治政府の5か条の御誓文である。これを現代の日本国憲法に定め、ややこしい条文は、すべて法律で定めたらどうか。そのほうがわかりやすいし、変化に対応できる。

 ちなみに、それぞれの概要を示す
 【17条の憲法】
 ①調和を貴びなさい。②心から三宝を敬いなさい。③天子の命令を受けたら必ず恭しくしなさい。④公家百官は、真心を持って行うを基本としなさい。⑤飲食を貪る事を絶ち、他の欲望を捨てて訴訟をはっきりと区別しなさい。⑥悪行を懲らしめて善行を勧めるは。昔からの良い手本です。⑦公家は各々職掌に任命されている。道徳に背かない様にしなさい。⑧公家百官は。朝早く出仕して遅く退出しなさい。⑨言葉と心が一致して正しく行うことが基本です。⑩いきどおりを絶ちいかりを捨て、人が従わないことを怒らない。⑪手柄と過ちをはっきり見ぬいて、罰と賞をきちんと当て嵌めなさい。⑫国司国造は、百姓を自分のために取り立ててはならない。⑬諸々の仕事に任命された役人は、共に職務として担当する役目をわきまえなさい。⑭公家百官は嫉妬する事無用です。⑮私心を捨て公務に従うは、臣下としての道徳です。⑯民衆を使役するに季節を選ぶは、昔からの良い手本です。⑰事件を一人で決定してはいけない。

【五箇条の御誓文】 
 ①広く会議を興し、万機公論に決すべし。②上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。 ③官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。 ④旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。 ⑤智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

 とくに17条憲法は、役人の心得を謳っている。これが現代に適用されていたら、天下り・渡り鳥などのシロアリは発生しなかったであろう。
 最高裁がつぎつぎと、理不尽な判断を下すこともなくせるはずだ。

女性用レギンスと男性パンツ(11月7日)

 越前市の(株)ファインモードが作った、i+Fリバーシブルレギンスが売れている

 当社は平成18年に創業の中小企業である。おもに大手繊維会社のOEM・委託により、アパレル製品の裁断から縫製加工を行っている。
 この会社は最近、特徴あるレギンス商品を開発し、注目を浴びている。
 レギンスとは足首までの女性用タイツのことで、多くの女性が身に着けている。ただ、ユーザーにとっての問題点は多い。そこで、当社の縫製技術、提携先の編技術や地域デザイナーの力を活かせれば、既存商品の問題点を解決し、この分野でも新しい商品を提供することができると考えた。

 じつはこの会社は最初、レギンスではなく、特殊なデザインの男性用インナー(下着)を開発していたのである。これは、従来の男性用下着のイメージを一新した商品である。下着パンツのまま外出が可能という、すぐれもの?である。日本中に何人かは欲しい人がいるだろう。
 この商品の開発・販売について、ある商工会議所の指導員を通して、相談を受けた。

                  赤パンツ
 
 だがそんなもの??を、事業として成り立たせるのは難しい。
 このようなマニアックな商品を事業化するということは、特殊で新しい市場を作り上げることになる。販促コストは膨大で、販売方法についても適切な支援者がいない。当社のような中小企業にとって大きな負担であり、リスクも甚大である。

 まともにやるなら、圧倒的に需要多い女性向けの商品を狙うべきであろう。しかし、男性ホルモンたっぷりのオトコ社長は、女性が何を求めているかなど、わかるはずがない。相談を受けた我々も同じである。

 それでも男性用の商品なら、多少なりとも薀蓄がある。そこで、当社の開発したマニアック商品について散々ケチをつけ、アレコレ小田原評定を行っていた。不特定の男性に対し、いくらマニアックな商品をつくっても、まともに売れるはずがない。それはわかっていたが、何を売ったらいいのか思いつかなかったからである。
 まさに闇夜のなかを、乏しい灯りだけで、失せ物探しをしているのと同じであった。

 これではらちが明かないので、地元の女性デザイナーと、中小機構の女性コーディネータに、ご登場願う。
 やはり、女性である。我々おっさんたちが、一生懸命練り上げた男性用下着には、一瞥もせず、あっという間に、女性用レギンスの開発に、方針が大転換してしまった。

 素早い転換であった。2人のうちどちらが先に言い出したかわからない。たぶん「普通の」女性が入れば、たいていそうなるのであろう。
 女性でないと、レギンスは思いつかない。タイツ、ストッキング、スパッツ、パンツとの区別すらつかない男に、レギンスというジャンルなど、思いつくわけがない。思いつくというより、そもそも全く知らなかったのである。

 そこから、レギンス商品の開発が始まった。
 
                レギンス黒

 もともと本事業の目的は、繊維の産地である福井で、新しい価値の繊維製品を、独自のブランドとして市場に出すことであった。そのため当社では、まずこのレギンスに力を注ぐことにした。こうなれば、産地の繊維ブランド商品として市場が注目するだけでなく、産地としての総合力が高められるはずである。
 もちろんその裏には、会社の利益、金儲けがかかっている。

 この新商品の特長は、次のとおりである。

①機能性のある素材と縫製技術を活かす
 県内繊維会社と共同開発した素材生地は、柔らかくて伸縮性に富み、肌当たりがよいなど、直接肌に接する衣類に適している。また世界で数少ない編立機で作られ、編立にもかかわらず幅広い柄・模様が表現できる。
 この生地を、売れる商品にしたい。そもそもの、商品開発のとっかかりでもあった。

②新しいレギンス商品の提案
 1)これまでのレギンス商品の問題は、次のようなものであった
  ・織製品 長所;自在なプリントによる、幅広い色・柄・模様が可能
       短所;伸縮性に乏しく、膝が出るなど型崩れしやすい
  ・編立品  長所;フィット感にすぐれ、伸縮性があるため型崩れしにくい
        短所;プリントができないため、柄・模様に制限があった
         ほどけやすい(カットしての長さ調節ができない、伝線しやすい)
 すなわちこれまでは、フィット感にすぐれる編み生地には、織り生地のように自在に柄・模様を施すことができなかった。

 また、参加した女性デザイナーは、従来品はウエストゴムが強く、肌に跡がつくという問題点を指摘した。まさか脱いだ時のことまで考えるとは、体験豊富なまさに女性目線である。脱がせた経験のない男どもには、とても想像できない(経験があったとしても、ウェストなどは目もくれない)。

 そこで、これらの既存商品の問題点を解消するため、以下のような商品を開発した。

 2)当社レギンス商品の特長
  ≪従来商品の問題点を補うもの≫
  ・編立品であるにもかかわらず、幅広い柄・模様が可能で、自由度が大きい
  ・編立生地ながら、カットしてもほどけることがない(長さを調整できる、伝線しない)
  ・ウエストゴムをなくし、全体で締める構造とする(跡がつかない、脱いでもきれい)
  ≪その他の特長≫
  ・リバーシブル(両面使用可能)な商品製造が可能である
  ・消臭効果がある(ポリエステル、ナイロン、ポリウレタンそれぞれの消臭機能)
  ・多様で幅広い着色が可能
  ・2重構造柄と表裏別色のコラボ効果による、独特で絶妙な配色
  ・美脚をアピールするデザイン(模様、色、形状の工夫)
  ・イメージ統一によるブランド化(これまでレギンス単独でのブランド商品はなかった)
  ・1つのデザインでの編立100枚程度の、小ロット生産(多くの品揃えが可能)

  すなわち、編立品のためフィット感がよく、型崩れしにくい。そのうえファッショナブルである。
  この特徴を活かすためのデザイン開発も、きわめて重要であった。

③地元の優秀なファッションデザイナーの活用
 今回の商品開発で、最も重要なデザイン開発を担当するのは、地元の若手女性デザイナー氏である。ニューヨークでオリジナルアーティスト、テキスタイルデザイナーとして活躍され、2008年からは越前市に事務所を構え、フリーのデザイナーとして、各種の商品開発を手掛け、多くのヒット商品を生み出している。
 彼女を活用して本商品の開発に成功すれば、本開発商品や当社のブランドイメージだけでなく、彼女のデザイナーとしての力量と知名度が、さらに向上する。そうなれば、今後の越前市における当社以外の企業の商品開発も、弾みがつく。

 このようにして、当社の商品開発が始まった。
 これまで、FBCやケーブルテレビ、会報誌などで何度も紹介され、地元では有名になった。いろんな展示会にも参加。9月には、参加の敷居が高いとされるアッシュ・ペー・フランス主催の合同展示会「rooms(ルームス)」に出展し、好評を得ている。

 顧客は、もちろん女性であるが、まだ年代は固まっていない。展示会では、80歳の高齢者から小学生まで幅広い層に興味をもたれ、買い求められた。今後のデザインの方向で、ターゲット層も絞られていくであろう。

          ひよっとこ   赤パンツ   薔薇族
                                          
 ちなみに、社長が執念深く開発している男性用下着は、いろんな人に見せても、あまり評判がよろしくない。それでも性懲りなく、機会あるごとにバイヤーに声をかけ、断られてはしょげ返っている。
 でも私自身は、それほど捨てたものではないと思っている。身に着けてみれば、わかる。
  誰か、買いたい人はいないでしょうか?            

建設工事の入札不調(11月6日)

 世界で最も災害の多い日本は、建設業者がいなくなれば、安心して暮らせない

 ≪首都圏の公共事業で工事を引き受ける建設会社が決まらない異例の事態が相次いでいる。東日本大震災の復興需要もあって資材価格などが高騰。自治体が想定する予定価格では採算に合わないことなどで、入札が成立しないケースが増えているためだ。2020年夏季五輪に向けたインフラ整備が本格化すればさらにコストが上昇する可能性があり、大会準備への影響も懸念される。2013.10.19 日本経済新聞電子版より≫

 建設入札不調(入札者がいない、または予定価格を下回る金額の入札がなかったため、入札行為を中止すること)は、3.11以前から続いている。震災後はとくに顕著になった。東日本大震災の被災3県(宮城、福島、岩手)などが、平成23年10月から1年間に発注した土木工事のうち、2割超で入札が成立しない「入札不調」となっていたという。
 維持修繕工事については、契約が成立しなければ、適切に施設が管理できなくなり、国民の安全や安心への対応がおろそかになる

 逆に5~6年前までは、深刻な建設不況が続いていた。平成8年に80兆円以上あった建設需要が、平成14年あたりから、50兆円になり、その後もズルズル下がっていた。じつに40%もの減少である。地方の公共事業によっては、前年比80%減になることもあった。建設業者には、たまったものではない。
 そこで国交省自ら、建設業者に事業転換を薦めていた。私自身も、その片棒を担いだことがある。その「口車」にのって、多くの建設業者は廃業を決め、あるいは農業分野へと進出して、四苦八苦している。(私の提言してきた「インフラ修復技術」の習得は、間に合わなかった。)

 そのため、ピークで60万社、685万人いた建設従事者は、平成19年には52万社、552万人にまで減少。平成25年3月末は、47万社と減少傾向が止まらない。仕事がなかったのだから当然である。建設従事者も、500万人を切っているはずだ。しかも従事者年代は、完全に逆ピラミッドである。このままでは間違いなく、建設業の衰退が加速する。
 
 国内に建設業者がいなくなるとどうなるか。あの、3.11のとき、地域の交通分断をかろうじて食い止めたのは、地元の建設業者たちであった。膨大な瓦礫と破壊された震災後の道路を、地の利を生かし、ほとんどボランティアで、応急修復したのである。これら地元建設業者がいなかったら、震災での死亡者は、はるかに多くなっていたであろう。
 また、これまで建設してきた国内のインフラが、更新時期を迎えている。その維持管理のために、これまで以上の建設投資が、必要になってくる。その維持管理が滞れば、日本は立ち行かなくなる。
 建設需要は減少するどころではない。少なくとも、15年前の水準に戻す必要がある。

 ではどうしたらよいか。
 地域に根付く建設業に、優秀な若い人材を取り戻す。それには、建設業に有利な仕事を増やすしかない。
 幸い、「国土強靭化計画」と称して、大規模な建設投資が見込まれている。この予算を、ゼネコンではなく、地方の中小建設業者にいきわたるように使う。もちろんこれまでのように、新しくインフラを作るのではない。すでにあるものを、さらに強靭にし、長寿命となるような方針を立てる。
 短期間ではだめだ。すくなくとも、50年計画で行う。もちろん、新技術に意欲ある事業者を優先する。そうすれば必ず、地方に若く優秀な建設業者が復活する。そうしなければ、世界で最も災害の多い日本国民が、安全・安心に暮らせる国になるはずがない。

 その結果、財政赤字が2,000兆円になる。いいではないか。その増えた分は、国民一人一人の蓄えになる。つまり働く国民が、金銭的にも豊かになることだからである。

あのDELLが!(11月5日)

 DELL全体が、ユーザー目線ではなかったが、経営者の頭さえ切り替われば、再び世界を席巻する時代が訪れる

≪米パソコン大手デル<DELL.O>は、創業者マイケル・デル最高経営責任者(CEO)らによるマネジメントバイアウト(MBO)の成立を受け、29日の株式市場の取引終了をもって上場を廃止する。
1984年設立のデルは一時は世界最大のパソコンメーカーとして君臨。株価は2000年に50ドルを超えた。ただ近年は消費者の嗜好がタブレット端末やスマートフォン(多機能携帯電話、スマホ)などに移ったことで、パソコンメーカー各社は苦戦しており、マイケル・デル氏はMBOを通して非公開化することで経営再建を急ぐ。 10月30日ロイターより≫

 10年ほど前まで、DELLのビジネスモデルは、ものづくり企業の模範であった。世界中から、パソコンのあらゆる注文を受け、世界中でその部品製造に最適なところに注文する。それを集め、これも世界中で最適な地域で組立て、発注者に送付する。その、受注~発注~加工~組立て~発送までの全プロセスを、きわめて効率的に中央制御するビジネスモデルである。
 その結果、ユーザー仕様に合わせた最適な製品を、格安で販売することができた。私自身が行う経営研修にも、典型的なものづくり成功事例として使わせてもらったことがあった。
 しかし、10年前の王者も、スマホが跋扈するコンピュータ業界の環境変化には、ついていけなかったのである。

 そしてこの環境変化より、もっと重要な要因がある。
 私自身が15年ほど前に、DELLのパソコンを購入したとき、あまりのアフタサービスの悪さに、辟易したことがある。問い合わせの電話をかけても、何回もたらい回しされたあげく(それも録音音声で)、2時間近く、誰も出てこないことがあった。(それ以来、DELL製品の購入はやめた。)
 同じような不満の声は、あちこちで聞いた。

 つまりDELL全体が、企業の遺伝子として、ユーザー目線ではなかったのではないか。あくまでも、効率追求、生産優先、つまりプロダクトアウトが、しみついていたのだと思わざるを得ない。いくら、格安でそれなりの製品を提供しても、顧客、ユーザーにそっぽを向かれたら、企業はおしまいである。
 プロダクトアウトの企業では、ユーザーの声を真摯に受け止めようとしない。それが、製品そのものの時代遅れにつながり、今回の結果につながったとも言える。
 これは、私個人のあとづけの理屈ではある。

 それでも、まだDELLがなくなったわけではない。まだまだ有形無形の、ばく大な資産を保有しているはずだ。経営者の頭さえ切り替われば、そのたぐいまれな行動力で、再び世界を席巻する時代が訪れるであろう。

今庄町散策(11月4日)

 昨日、地域体協主催の、「健康ウォーク」大会で、今庄に行った。

 この恒例の行事では、毎年県内の各地域を巡り歩く。これまで、三国、勝山、武生、大野、敦賀の旧跡などを訪問した。いずれの町も、古い家並がぽつぽつあり、それなりの景観を醸し出している。「ミニミニ高山」、と言ったところか。残念ながら、いずれも小粒なのは、如何ともしがたい。そこで人々が生活しているだけに、仕方がない。

 では今庄は、どうだったか。

      JR今庄駅(祝日朝9時ごろ)             今庄街並み                復活した旧家          
 今庄駅前 25.11.03  今庄街並み 25.11.03  今庄 京藤家 25.11.03

 宿場町であった今庄町にも、古い家並みが点々とある。やはり、これまで訪れた県内の町と同じように、80%は普通の民家である。「東京海上火災」や散髪屋の回転灯など、無粋な看板も目立つ。これらがなければ、もっと雰囲気は違うはずだ。ないものねだりかもしれない。

 ただ、ボランティアガイド氏の説明が良かったのか、案内された酒蔵、古民家の中は、それぞれ感ずるところがあった。あの狭い町で、5~6か所もいいところがある。NPOが、高専建築科の学生と連携して、復活させた旧家もあった。これが増殖していけば、そのうちガラリと変わるかもしれない。

 福井県内の各地域は、どこも歩いて回ればそこそこいいところがある。スケールは小さくとも、各地域とも同じような古民家が存在する。そしてそれぞれが、微妙に異なる特徴を持っている。
 個々の町だけでは難しくとも、福井県全体を合わせれば、「1本」が取れるかもしれない。日本全体でもいい。
 でも何かインパクトが弱い。全部を流れるコンセプトを表現するいい言葉が欲しい。

紅葉のチブリ尾根(11月3日)

 先日のウィークデイ。加賀白山に連なる、別山チブリ尾根を登った。
 
 今年はもう行けないと思っていたのだが、たまたま日程が空いたのと、昨年10月20日に訪れた、三の峰付近の、みごとな紅葉が、忘れられなかったからである。
 10月の終わりで、日没が早い。それで、目標を山頂でなく、チブリ小屋までとした。登山口の市ノ瀬から、登りのコースタイム4時間コースである。

 市ノ瀬で乗用車を降り、30分ほど車道を歩いて、「猿壁」に着く。そこから、登山道に入ると、素晴らしいブナの原生林である。その中をだらだらと登っていくと、黄色く紅葉した木々に包まれる。登山道から2時間少しで、ちょっとした展望台に着いた。ここまで、まさに今が盛りの紅葉の散歩であった。
 お花畑もいいが、紅葉は、視界全体を包んでくれる。
          チブリ尾根の紅葉                         白山温泉に浸かる
 チブリ尾根紅葉黄色H25.10.31  チブリ尾根紅葉赤H25.10.31  市ノ瀬温泉H25.10.31

 そこからはやがて、尾根道となり疲労もあって、チブリ小屋まで紅葉を楽しむ余裕はほとんどなかった。コースタイムをややオーバーして、やっと小屋にたどりつく。
 しかもあいにくの霧で、期待した眺望は、まったく得られない。晴れていればそれこそ、白山御前峰から別山まで、紅と黄色に覆われた絶景を見ることができたであろう。

 下りは例によって、猛スピードで市ノ瀬まで2時間。ふもとの永井旅館で、源泉かけ流しの温泉につかる。他に客はいない。たった600円で、ゆったり独占の大贅沢であった。

山本議員の天皇への手紙(11月2日)

 30才過ぎて保守でない人は、知恵があるとは言えない。そんな「子供」が、国会議員になってはいけなかった

≪31日午後2時半ごろ、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれていた秋の園遊会に出席していた山本太郎参院議員が、天皇陛下に直接、手紙のようなものを手渡した。  10月31日 産経デジタルより≫

 この山本氏の行動について、多くの非難意見がある中で、一部擁護する声もある。それにしても、マスコミ中心に大騒ぎとなった。私自身は、あほらしくて、論評する気にもなれない(だったらするな、と言われそう)。
 もっとも、このような騒ぎになることを見越してやったなら、大したものだ。だが、そういうわけでは全くない。まるで、子供なのだ。

 確かに20代前半までの若いとき、多くの人は「革新」思想に染まっている。まず、目の前にある矛盾を直視し、改革しようとする。若い人は、そうでなければならない。
 しかし、実際に行動を起こし、自ら内部に入ってみると変わっていく。最初おかしいと思っていた事柄は、じつはほとんどが、長年の人知の結晶、民族の英知からできてきたものだということが、次第にわかってくる(もちろん、変えなければいけないものもある)。
 したがって多くの人は、経験と学習を積み重ねることによって、次第に「保守」思想へと変化していくのである。

 「人は30歳くらいまでは、革新・リベラルでなければ、情熱があるとは言えない。しかし、35才過ぎて保守でない人は、知恵があるとは言えない。」たしか、チャーチルの言葉だったと思う。

 山本議員のような人は、この年になるまで、大人になるための学習をすることが、ほとんどなかった。小学や中学生のときの考え方を、そのまま延長して、大人になってしまったと言える。そういう「子供」が、国会議員になってはいけなかったのである。

病気は治ったが、患者は死んだ(11月1日)

 今の病院治療は、薬が効いたのか自然に治ったのか、薬のせいでおかしくなったのかさっぱりわからない

 以前、ある皮膚科にかかったとき、何種類もの大袋で治療薬を与えられたことがあった。積み重ねれば、バケツに一杯もある。「たかが」皮膚病で、ものすごいボリュームである。まともに全部飲んでいたら、身体異状をきたしていたのではないか。・・もちろん、半分以上捨てた。

 皮膚科だけではない、今年の初め、風邪を引いて内科に行ったときも、「解熱剤」、2~3種類の「咳止め」、「痛み止め」など、症状を告げるたびに、つぎつぎと医薬品を処方してくれる。持ちきれないくらいである。日本では、この医薬品代が年間8兆円以上にも及ぶ(その1/3は捨てられているという。実態はそれ以上だと思うが)。

 そうなると、薬が効いたのか自然に治ったのか、薬のせいでおかしくなったのかさっぱりわからない。なぜかそれでも、日本では医者と「治療薬」は増えていく。

 その他の治療も、同じようなものである。
 だいぶ前、私が虫垂炎になって手術を受けたことがあった。そのとき、切り開いた腹の上で、医者同士が手術の方法について論争していた。そのせいかどうかわからないが、手術後の経過が悪く、若くなければ命を失っていたかもしれない。虫垂炎そのものは、直っている。
 その昔、母が入院した時も、同じようなことがあった。何か手当てを受けたのか、すぐに苦しみだし、2日ぐらいで亡くなってしまった。同じ病院である。今なら、医療訴訟であろう。

 そうなると、その手当の副作用が命を奪ったと思うしかない。確かに病気の一部は治ったとしても、患者は死んでしまったのである。


 同じようなことは、国の政策や企業経営にも言える。目先だけを取り繕っているうち、国や会社そのものが、死んでしまう。日本の諺、「角を矯めて牛を殺す」を思い出して欲しい。

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