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因果関係と相関関係(10月31日)

 グラフや数式では、相関関係はわかっても、因果関係まではわからない。因果関係を証明するのは、きわめて難しい

 昔から、「データを重視せよ」と言われる。ところで「データ」とは何か。多くは、グラフや数字の羅列で示されているため、これが「データ」だと思われている。しかし本来、データの一義的な意味は、「物事の推論の基礎となる事実」とある(Yahoo辞書)。あくまでも「データ」とは、「事実」のことである。グラフや数字の羅列は、「データ」をわかりやすく表示したものに過ぎない。 
 論文では、この「データ」と「データ」を比較して、因果関係を示そうとすることが多く、我々はそれに惑わされないようにしなければならない。

 以下、ややこしい話で、恐縮である。
 たとえば、新潮45の7月号で、藻谷浩介氏は「数字で読むアベノミクスの空騒ぎ」のなかで、マネタリーベースに対する、日経平均株価或いは消費者物価の、年度ごとのグラフをつくり、その因果関係を否定していた。
 確かに、日経平均株価或いは消費者物価いずれも、マネタリーベースと無関係に変動している。しかし、日経平均株価や消費者物価は、マネタリーベース以外の多くの要因によって、変化する。全く無関係かどうかは、他のいくつかの要因を含めて分析しなければわからないはずだ。現に、「プライマリーバランスと名目GDP比」の図表にすれば、また違った見方ができる(数学を知らずに経済を語るな 高橋洋一著より)。

 また、藻谷氏はその著書「デフレの正体」で、図表を使ってGDPと生産年齢人口を、因果づけている。私自身も、この内容を信じたことがあった。しかし、他の多くのデータと突き合わせて考えてみると、正反対の結論を導くこともできる。ほとんどの場合論者は、都合のよいデータばかりを集めてくるからである。

 そもそも、このようなグラフや数式では、相関関係はわかっても、因果関係まではわからないはずだ。因果関係を証明するのは、きわめて難しい。数字の裏に隠された事実への深い考察と、実証の積み重ねでしか解明できないはずである。
 ある意味、自分を納得させられるのは、自分だけである。
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静脈産業(10月30日)

 現代社会の大きな矛盾は、大切な仕事をしている人ほど、待遇が悪いということである

 居酒屋で、一杯飲ったとしよう。4人なら、まずジョッキでビール4杯。つぎに枝豆2皿、腹をすかしているところに、刺身盛り合わせ2皿、焼き鳥5本づつが2皿、ここまではいい。その後、泥鰌の空揚げ1皿、ぶりカマ2皿、生野菜、漬物、ビールのお代わり、日本酒の徳利に杯、さんまの塩焼き、野菜の天婦羅・・・と、つぎつぎに運ばれる。

 そのとき、それぞれの皿をきちんと始末していないと、大変なことになる。テーブルの上が、ワヤクソになるのだ。前の皿が中途半端に残っていると下げられないし、新しい料理がテーブルの隅っこに乗っかり、下手すると落っこちる。日本酒の徳利が行方不明になる。
 使った後の皿をいかに迅速に片づけるかによって、食事の爽快さが左右される。飲食店にとっても、片付ける速さは、売上に大きく影響する。わざと小さいテーブルを置いて、回転率を上げようとするところもあるくらいだ。
                              ゴミ袋

 企業活動や生活で排出した不要物を集め、それを社会や自然の物質循環過程に、再投入するための事業を行っている産業を、静脈産業と呼ぶ。この静脈産業は、廃棄物処理の延長線上に捉える場面が多く、なかには胡散臭い組織もあったことから、一般にあまり重要視されていない。
 居酒屋の例でも、後片付けや皿洗いをする人は、料理人の中でも下層にみられている。

 ところが、この「静脈活動」が滞ると、世の中はうまく回らない。頑固な便秘になったようなものである。身近なところでは、先ほどの居酒屋のテーブル。生活面では、ごみ処理、下水道など。国全体では、原発廃棄物の処理が大きな問題である。
 これらは限度を超えると、それこそ人間の生存を脅かす。これまで自然の浄化作用が賄ってくれたことを、人間がやらなければならない。これからは、そんな難しいことができる人を重視し、育てなければならない。

 これは、IPSや宇宙開発などの先端技術、マスコミ職員の仕事などより、はるかに重要だと思う。現代社会の大きな矛盾は、大切な仕事をしている人ほど、待遇が悪いということである。

福井の北陸新幹線(10月29日)

 福井は、このような「迷惑施設」を受け入れるのだから、国に対して支援を要求していく権利がある

 北陸新幹線金沢~敦賀までの延長計画が進んでいる。先日、計画を3年短縮できる旨の要請を、県は行った。(どういう意味があるのかわからないのだが)
 ただ、新幹線の福井通過は、在来線維持やストロー化、福井パッシング、環境・景観悪化、地域分断、工事迷惑、税負担増など、地元にとってデメリットが甚大である。現に新幹線が通っている県ほど、幸福度が低い(23年法政大調査より)。そのため私はこれまで、一貫して反対してきた。

 それでも、国策としての、災害時東海道線の代替機能は、理解できる。建設が決まったのなら、潔く受け入れ、それを前提にした地域ビジョンを作らなければならない。そして福井は、このような「迷惑施設」を受け入れるのだから、国に対して、他の地域に勝る支援を要求していく権利があるはずである。(沖縄では、毎年2~3000億円もの地域振興予算がつく)
                                   汽車                            
 では、どのような支援を要請するか。
 まず、東海道線の代替機能としてなら、敦賀から若狭日本海側、鳥取、島根へと通すべきである。これまでのように、京都や大阪で集中してしまっては、代替線としての機能は半減する。どのみち福井県民にとって、大都市間との時間短縮メリットはなかったはずだ。

 つぎに、新幹線の発着時刻に合わせ、こまめに県内の循環路線をつくる。在来線以外に、枝となるローカル線とその運行回数を大幅に増やす必要がある。運行回数が2倍になれば、地域間の距離感は半分になる。在来線は、10分おきに運行する。そうすれば、高齢者を中心に、県内の交流人口は大幅に増える。

 その他にもあるが、新幹線通過に合わせて、それ以上の予算(1兆円規模)で思い切った手を打たなければ、福井の早期没落は避けられない。

慰安婦問題から(10月28日)

結局、我々日本は、アメリカという「お釈迦様」の手のひらの上で、踊らされている

≪菅義偉官房長官は16日午前の記者会見で、1993年の河野洋平官房長官談話の根拠となった元従軍慰安婦への聞き取り調査がずさんだったとする産経新聞の報道について、「コメントは差し控えたい」と述べた。その上で「安倍晋三首相は筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心を痛めている。この点についての思いは歴代首相と変わりはなく、この問題を政治・外交問題にすべきではないと考えている」と改めて強調した。 10月16日時事通信より≫

 この期に及んで、まだ「冤罪」を晴らすことができないのは、なんとももどかしい。こんなものは、いい加減に終わりにしたい。

 このようにいま極東アジアで、日本・中国・韓国がいがみ合っている構図で、いったい誰が得をするのであろうか。

 もちろん、アメリカを中心とした欧米諸国である。先の大戦でも、アメリカは蒋介石とつるんで、日本を中国に向かわせた。そこから、大東亜戦争が始まった。

 もし日本、中国、韓国を中心に、東アジアがEUのように、がっちり結びついたらどうなるか。アメリカの凋落は、今以上となろう。ただでさえ危ないEUも、おしまいである
 今の中国、韓国が日本にちょっかいを出しているのは、多分にアメリカの影響である。その意味で、我々は、アメリカという御釈迦様の手のひらの上で、踊らされているだけではないか。

 そうかといって、中国や韓国の日本に対する言いがかりは、我慢できない。理屈でわかっていても、どうにもならないのが、人情と感情である。

「鶴の恩返し」の教え(10月27日)

 無理やり人の過去の過ちやアラをほじくり返さないことによって、円満な付き合いができる

 「鶴の恩返し」という昔話がある。老夫婦のところに来た美しい娘に、「見るな」と言われながら、機を織っているところを見てしまった物語である。娘は、自分が鶴であることを知られたために、老夫婦のもとを去って行ってしまった。
 同じような物語で「夕鶴」、あるいは、古事記でイザナキとイザナミの伝説もある。
 これらは、古今東西に広く見られる「見るなのタブー」をもとにした物語である

 では、これらの物語は、何を教訓としているのだろうか。橋本雅之氏は、その著書「日本人の原罪」のなかで、次のように述べている。

 ≪・・・これらの神話や昔話が語っているのは、人間が自らの異類性を棚上げにして生きることの知恵、深刻な問題を掘り下げずに表層の安定を継続する知恵なのである。・・・≫

 つまり、無理やり人の過去の過ちやアラをほじくり返さないことによって、円満な人付き合いができるということである。何でも真実を知ればいいということではない。知らないことがいいことは、山ほどある。

 マスコミがよく言う「知る権利」など、そんなに大切なものではないことがわかる。
 そして今の中国や韓国が、歴史問題で日本に対しやっていることは、戦争を仕掛けているのとまったく同じである。

1票の格差が結審?(10月26日)

 性懲りもなく法曹界は、1票の格差にこだわっている。現状での、「一人当たりの1票の格差」には何の問題もないのに。

≪1票の格差が最大2.43倍だった2012年12月の衆院選は違憲として、二つの弁護士グループが選挙無効を求めた計16件の訴訟の上告審で、升永英俊弁護士らが起こした14件についての弁論が23日午後、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)で開かれた。午前中に行われた2件と合わせ、16件全てが結審した。
 判決は年内にも言い渡される見通しで、期日は後日指定される。最高裁が違憲と判断すれば、1985年の大法廷判決以来で、現行の小選挙区比例代表並立制導入後では初めてとなる。 時事通信 10月23日≫

 まだ性懲りもなく、法曹界は1票の格差に、根拠なくこだわっている。そもそも現状での、単なる「一人当たりの1票の格差」には何の問題もない。いったい何が悪いのか、まともな理由を聞いたことがない。現状派との論争すら、避けているではないか。

 確かに多くの有権者は何も考えず、単純に「1票の格差」を問題にしている。有権者も、もっとしっかり考えてほしい。そうでなければ、いい加減な専門家集団である法曹界に、日本国をずたずたにされてしまう。

 判決前に裁判官の罷免ができないのが、なんとももどかしい。

 関連記事(1票の格差が必要な理由)
 http://abegorou.blog.fc2.com/blog-entry-44.html
 http://abegorou.blog.fc2.com/blog-entry-8.html

直ちに原発再稼働を(10月25日)

 たった一度の事故に慄いて、貴重な設備を稼働させないとは、なんという愚かで臆病な国民であろう。
 いますぐ、原発を再稼働させなければならない。 それには、これだけの理由がある。


 財務省発表によると、今年度上半期の貿易収支赤字は、4兆2300億円にもなる。これは昨年同期の2倍以上である。赤字拡大の傾向から見ると、年間では10兆円を大幅に超える。数年前までは、年間10兆円近くの黒字をコンスタントに出していたことを思えば、隔世の感がする。
 もちろんこの大きな要因は、火力発電に使う化石燃料輸入である。一刻も早く原発を稼働させないと、日本は沈没する。

 だが、まだ日本全国で50基近くの原発が眠っている。いまのところ、1基も動いていない。このままでは、1秒ごとに膨大な損失が発生するだけではない。代替の火力発電による大気汚染で、すでに何万人もの死者が発生している。これはWHOの指摘で、事実である。(反原発の不都合な現実

 そして、トチ狂った日本によって高騰したオイルマネーが、シリア内戦を拡大させている。つまり中東各国は、あり余るマネーでロシアや中国から膨大な武器を購入、それぞれの思惑で、シリア政府軍と反政府軍を援助している。この内戦では、10万人以上もの市民が犠牲になった。このかなりの部分は、日本にも責任がある。日本が原発を稼働させていれば、内戦はここまでひどくならなかった。
 今・現在も、日本の支払うオイルマネーが、米・露・中・仏・英・北鮮の武器商人を太らせ、世界各国に火種を撒き散らしている。日本が貧乏になるだけでは済まないのである。

 さらに原発には、以下のように圧倒的なメリットと、稼働させる理由がある。直ちに再稼働させなければならない。

1.原発は最もエネルギー密度の高い、効率的なエネルギーである
 エネルギー密度は、ある基準となる量あたりのエネルギーである。ウランは石炭の10万倍以上のエネルギー密度を有する。火力発電で一番効率の良い天然ガスの、4万6千倍以上もある。
 太陽光や風力発電に至っては、それを作るためのエネルギーと発生エネルギーのどちらが大きいかという議論をしている段階で、まったく問題外である(それに加え、不安定さを補うための蓄電池などのロスが大きい)。
 70億にも増えてしまった人間の生活を維持するには、原子力以外の選択肢はない。それ以外では必ず、資源をめぐって血みどろの争いになる。

2.今あるエネルギー源のなかで、最も安価で安全なエネルギーである
 石油、石炭、天然ガス、ウランのなかで、原料調達コストが最も安いのは、ウランである。原料採掘時に、最も安全なのもウランである。昔、日本が石炭を主要燃料にしていたころ、炭鉱で毎年何百人もが犠牲になっていた。いまも資源産出国では、同じことが起きている。それを使う日本だけ、労災がなくなったと、喜んでいいのか。
 しかも、石炭・石油を燃料とする発電では、空気中にCO2以外にも、Nox、Soxなどの有害廃棄物が、大量に排出される。そのために死ぬ人は、原発1基分の火力発電所だけで、少なくとも年間数千人である。放射能では、(逃げた人以外)だれも死んでいない。事実がわかれば、原発の危険を煽り立てるのは、バカらしくなる。
 そして3.11の過酷事故によって、日本にはこれ以上ない原発の安全性についてのノウハウが蓄積された。

3.化石燃料、太陽光パネルの輸入は、日本を破滅させ、自殺者を倍増させる
 化石燃料、太陽光パネルは、国内で調達することができない。太陽光パネルのような人海戦術の組み立て製品も、中国に勝てるわけがない。技術開発が進む製品は、自動化できないからである。人手を安く使える中国のような、アジア諸国の独壇場である(ドイツの太陽光会社破綻がいい例である)。しかも、原材料のレアアースを、中国に握られている。

 したがって、原発をやめれば、化石燃料、太陽光パネルの支払いで、日本は貧乏国家に逆戻りとなる。貧乏国家では、今のような世界一の長寿は成り立たない。何千万の人が、経済破たんや餓えで死ぬ。貧乏な国ほど平均寿命が短い。
 「経済より命」などという反原発論は、ボケのたわごとである。第一、「経済」のバックがなければ、「除染」、「汚染水」など、放ったらかしになってしまう。
 現に、2011年を境に化石燃料の輸入が10兆円も増えている。原発停止で足元を見られ、増加分以外もバカ高い価格で買っているからである。これだけで、毎年GDP2%分以上が失われている。輸入量はそれほど増えていないが、これは電力不足のため国内で価値を生み出す力(おもに製造業)が毀損したということで、事態はさらに深刻である。
 おまけに、太陽光設備の輸入額は、年間数兆円規模にまで増えている。
 これらを合わせると、GDPの6~8%が流出しているとみられる。話半分としても3~4%である。 とても、アベノミクスでは追いつかない。

4.再生可能エネルギーは、自然破壊エネルギーである
 風力発電、太陽光エネルギー、地熱発電、水力発電など、すべて再生可能エネルギーと呼ばれるものは、自然が受けるエネルギーを、人間が横取りするものである。太陽光発電装置などは、資源採取から作るときに発する放射性核種や、崩壊することのない毒素を持つ材料が、生物を蝕んでいる。したがって、この割合が10%を超えるころには、原発など比ではない、ものすごい環境破壊が問題になる。
 現に、いま日本の国土のあちこちに、無機質な太陽光パネルの「大草原」が広がっている。これが日本中に拡大すると思うと、ぞっとする。そもそも、補助金と逆ザヤ利権でしか成り立たない太陽光エネルギーが、世の中に価値をもたらすはずがない。さらに効率の悪い自然エネルギーは、持つものと持たざる者の格差を決定的に助長するのである。

5.国産エネルギーの調達は我が国安全保障の肝である
 先の大戦の大きな原因の一つは、アメリカに石油を止められたことであった。エネルギーがないと生産活動が停滞し、多くの国民が死ぬ。エネルギーなしに、1.3億人の老人国家を養うことはできない。移民受け入れどころか、若者は食うために海外移転し、衰退が加速される。
 衰退した国家は、必ず侵略される。現に、隣の国が虎視眈々と狙っている。
 したがって、日本が独立国家になるためには、どうしても自前のエネルギーを確保しなければならない。その選択肢を自ら失うのは、愚の骨頂である。日本を滅亡させようとしているとしか思えない。

6.原発は、まだコストダウンの余地が大いにある 
 電力会社員の給与は、国民怨嗟の対象である公務員よりさらに恵まれている。東京電力が、人件費のカットを行ったが、それでも公務員並みである。関連の天下り施設、交際接待費も桁外れである。聞くところによると、3.11のとき東電会長は、マスコミを大勢引き連れて、海外「豪遊」していたという。したがって、電力料金は、まだまだ下げることができる。企業年金など、とんでもない話である。
 また、既存の原子力発電設備の稼働は、ほぼ維持管理費だけで済む。稼働しなくても同じくらいの金がかかる。除染や廃炉に膨大なコストがかかったとしても、すべて国内でまかなえる。利権はあるとしても、これらはすべて国民の富となる。
  しかし、石油、石炭、天然ガス、太陽光パネルは外国から、国富を削って購入しなければならないのである

7.放射線の危険性を過大視してはならない (低線量被ばく) (放射能と予防原則)
 手続きが面倒だが、仕事と居住環境さえ整備できれば、原発の近くに住みたい。年間100~200ミリSV程度では、かえって健康になるという人さえいる。補償金などいらない(おぞましいことに、いまや放射線のリスクそのものが、利権と化してしまっている)。 
 福島第一で、タンクから漏れる放射性物質を含んだ水を、「汚染水」というから、イメージが悪くなる。「ラジウムイオン水」と名前を変えたほうがいい。
 それに、放射線に強いDNAをもつ国民を増やすことは、国力の強化となる。

8. 原発100年の撤退戦に最大限の資源を注入する必要がある (原発撤退戦に全力を) (海に汚染水)
 どのような場合でも、撤退のための活動は、推進するよりも、何倍も重要で難しい。たとえ日本が原発を全停止させたとしても、リスクがなくなるわけでは全くない。これまでに発生してしまった、莫大な量の放射性廃棄物の管理にしても、いったいだれがやるのか。
 つまり、原発を絶対安全に効率よく撤退するためには、人もお金も資源も、これまで以上につぎ込む必要がある。原発以外では、そのお金を生み出すことはできないし、技術の継承も必須である。そして、このしんがりを務めることのできる優秀な人材が、とくに重要である。そのためには、今の何十倍も原発従事者を、増やさなければならない。厄介者とされている核廃棄物を有効利用できる可能性も見えてきた。そもそも「毒」は「薬」なのだ。再生可能エネルギーより、はるかに実現性が高い。
 もし、原発を毛嫌いする人ばかりになったら、こんな難しい仕事をする人材が集まるわけがない。積極的に原発を推進し、その人材を育成するための、国民的機運を高める必要がある。
 原発から逃げていては、ますます原発リスクが増大する。そんなことがわからないのか。

9.日本より隣の国の心配をしたほうがいい
 ほんの隣の国、韓国・中国が、原子炉の量産体制に入っている。中国などは、2050年までに100万KW級の原子炉を、じつに400基つくるという。つまり、毎年10基以上のペースで新設する。今のままでは、日本から原発関連の技術者が引き抜かれるのは、まちがいない。ますます日本には原発技術者がいなくなり、国内の原発リスクが増大する。
 その上、信頼性が低い原子炉がこれだけの数あるということは、事故を起こす確率は、日本よりはるかに高い。福島第一どころか、チェルノブイル級の事故が、頻発する可能性がある(すでに起こっているかもしれない)。日本と違って情報公開されないから、いつの間にか当事国のみならず日本まで、福島の何百倍もの放射線にさらされる。その危険性は、かなり高い。
 原発が嫌な人は、日本の原発再稼働より、隣の国の原発新設を阻止すべきではないのか。田原総一郎氏は、日本の反原発者は一国平和主義と同じだと書いている。同感である。

10.爆発する世界人口をどう養うのか
 もし世界中の人々が日本人と同じ生活レベルを要求すれば、今の10倍ものエネルギーが必要である。そのエネルギーに目覚めた世界人口は、これから90億~100億と増えていく。そのようなとき、圧倒的に効率的な原子力エネルギーを排除できるはずがない。排除してしまったら、必ずエネルギーを巡っての世界戦争になる。原発事故よりはるかに恐ろしい。
 人類がいったん手に入れてしまった文明は、決して後戻りできない。とくに原子力発電やもんじゅのような高速増殖炉の開発は、摺合せ技術を得意とする日本が率先して進めていくしかない。それこそ、人類に対する最大の貢献である。

 
 そもそも世の中に、絶対安全、ノーリスクなど、どこにもない。人類は、あらゆる身の回りの毒を、役に立つものに代えてきた。調理はその最たるもので、我々が日々摂取しなければ生きていけない食物にも、いろんな毒物が含まれている。 

 たかが、一度の事故に慄いて、貴重な設備を稼働させないとは、なんという愚かで臆病な国民であろう。その臆病さが国と人類を滅ぼすのである。
 なんどもいう、直ちに原発を再稼働させなければならない。いますぐにでも動かせる原発は、10基以上あるはずだ。

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「柄」(10月24日)

 木工加工で、和包丁の「柄」に特化し、40年以上作り続けている会社

 先日、越前市「刃物の里」の、ある木工所を訪問した。木工所と言っても、この会社は和包丁の「柄」に特化している。それ以外のものは、まったく作っていない。「柄」だけを、40年以上作り続けている。

 写真で見るように、形はシンプルである。色や大きさ、形状など全部で100種類ほどである。大量生産ではなく、新しいデザインのものを、次々出しているわけでもない。単価も1000~3000円ぐらいで、「柄」だけにしては高い。
 それなのに、高級和包丁を中心に、根強い需要がある。とくに近年、日本食ブームの欧州向けの和包丁に使用されるようになって、ここ数年売り上げを伸ばしている。

              和包丁の「柄」H25.10.22

 この商品の特徴は、刃物の金属柄部分を挿入する部分が、別の木材料でできていることである(写真で中心の白いところ)。持ち手及び、包丁を抱き込む部分の、それぞれの機能に合わせた、2重構造になっている。単なる「柄」にしては、複雑だ。
 こうすることによって、包丁がしっくりと柄に収まるという。持ち手の角錐形状も、数十年前から、顧客の声を取り入れ、改良を重ねてきた結果である。
 世界中で、この工場だけしか作っていない。まさしく「オンリーワン」の商品である。

 その「オンリーワン」を成り立たせているのが、独自の製造技術である。製品外観は簡単に見えるが、作り方は複雑だ。
 工場では、各工程に専用機が稼働している。すべて工夫を凝らした、オリジナルの機械である。熟練の技能とこれらの機械を組み合わせ、複雑で独特の機能を持つ「柄」製品を加工している。一見、何をしているのかわからない工程もある。この刃物を抱き込む楕円横長の穴は、いったいどのように加工しているのだろうか。いまのところ、「企業秘密」である。

 ただ残念ながら、あまり生産性がよろしくない。半自動の機械にしても、使い方によっては、もっと効率が上がるはずだ。したがって、「オンリーワン」を作っている会社にしては、たんまり儲けているわけではない。
 また「柄」は、和包丁という衰退産業の部分品であるだけに、長期的にはじり貧傾向は否めない。これは、自分の力だけでは如何ともしがたい。できればこの、「オンリーワン」技術を活かし、会社を持続させたい。ブランド力もつけたい。
 まだまだ、課題はたくさんある。注目する会社のひとつである。

人材育成(10月23日)

 人材育成のためには、どのような人材が必要かを、明確にしなければならない

 多くの中小企業の最大の課題は、「人」である。たしかに私自身が接したほとんどの経営者は、人材不足を悩んでいる。「うちの会社にはろくな人材がいない」という声をよく聴く。社員教育をやって欲しいと言われることが多い。

 しかし、そんな経営者に限って、具体的にどのような人材が欲しいのかがわかっていない。社員教育といっても、いったいどのようなスキルが必要なのか、はっきりしなければ、教育のしようがない(私にできることは限られている)。


 具体的に、どんな能力を持った人材が必要か言える企業は、それだけで優れた企業である。それができるということは、会社の理念や方針、ビジョン、経営計画が明確になっているからだ。自分の会社が何をするかがわからなければ、「優秀な」人材を集めることなど、できるはずがない。

 すなわち会社は、経営理念、方針、戦略といったものを組織内で明確にし、その思いを共有することが基本になるのである。会社は、その進むべき方向について明確なビジョン・目標とその実現方法について具体的な構想を有し、それを実現するため、組織内で適切な役割を振り分ける。経営者には、社員が力を発揮できる場をつくり、それを支援・推進していく役割が求められている。

 このことが組織に定着できれば、人材の育成は半ば以上達成されたと同じである。

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「職業訓練校」での教育・訓練(10月22日)

 職業訓練校での教育・訓練は、企業の求める内容に合わせる必要がある
         
 離職者を再教育して、スムースな就職できるように、職業訓練校では多くのメニューを用意している。IT、簿記、キャリアアップ講習など盛りだくさんである。具体的に企業のニーズに合わせようとして、NC機械の操作や、電気制御、溶接など、部分的な技術習得にも力を入れてきた。

 しかし、そんなものはあっという間に陳腐化する。職業訓練校で覚えたことがそのまま役に立つことは、まずない。教育・訓練の内容が、企業の求める教育・訓練と、かけ離れてしまったのだ。
 そのため、これを受け入れる企業では、必ずしもその訓練内容を評価していない。つまり、職業訓練校で行う訓練内容は、ほとんど役に立ってないように思う。

 では、企業で必要とされるスキルはなにか。もちろん、「読み・書き・そろばん」のような、基礎的な素養は必要である。また近年では、PCに関するスキル、地方では運転免許も必須であろう。中堅以上の企業では、経理や人事、法務、知財の担当者として、その方面の法律を理解し、実務のできる人が必要である。これは、税理士や社会保険労務士のような資格にほぼ一致するから、わかりやすい。
 これらの業務ができなければ、企業として最低限のことができない。

 しかし、企業にほんとに必要な人材は、ここからである。これだけでは、顧客に認められる、真に価値のある企業にはならない。ところがここからの、ほんとに必要な人材をきちんと定義するのは、きわめて難しい。
 なぜならそこには、その企業特有のノウハウが、含まれているからである。モノづくりのための技術的なノウハウ、独自の組織構造、個別の顧客や取り引きノウハウなど、一つひとつの企業やその募集時期によって、大きく異なる。こんなことを職業訓練校に求めても、対応できるはずがない。

 そこで提案である。
 職業訓練校では、業務についての技術的なスキルを教えるのを止める。かわりに、業務に対する態度、姿勢、認識を植え付けることに重点を置いたらどうか。臨機応変に改善する能力、コミュニケーション能力、協調力、新しいことを取り入れる能力などである。最も重要なのは、働くことの喜びであろう。

 じつは民間では、これらを向上させるための教室は、数多くある。中産大など、公的機関でも行っている。しかし、企業の需要には対応しきれていない。高額でもある。なぜなら、こういうことを教えるには、それこそ教師の高度なスキルと、たっぷりの時間が必要だからである。

 幸い、職業訓練校では教える時間だけは、たっぷりある。不足しているのは、講師のスキルである。ただ、やることさえ決まれば、講師のスキルアップなどどうにかなる。やらないのは、これまでやってきたことを、変えたくないからだ。
 だが、そんな状態では、訓練校の存在意義は、まったくない。それこそ税金の無駄遣いである。職業訓練校の訓練メニューの大幅変更は、今後の産業活性化のためには、どうしても必要である。

災害時の行政批判(10月21日)

 市民は防災意識を持ち、何でも行政の責任にしない。その代り、税金は半分以下にするほうが、「安全は自分で守る」という自覚が生まれる

 今年は、異常に災害が多い。先日も伊豆大島で、死者行方不明50人近くにもなる、大規模な被害があった。関連して、つぎのような記事を見た。

≪土砂災害の危険性を認識しながら避難勧告や避難指示を出していなかった東京都大島町。「夜中に無理に避難させれば被害を増やすと考えた」。川島理史(まさふみ)町長はこう弁明するが、「行政の不作為」が被害拡大を招いた可能性もある。2013 10.17 産経ニュースより≫

 災害が起こるたび、このように行政責任が問われる。悪いことが起こると、誰かに責任を取らせ、鬱憤を晴らしたい国民のニーズに、マスコミが対応するからである。やり玉に挙がった「責任者」は晒し者にされ、詰め腹を切らされる。

 しかし、「責任者」をたらいまわしにしている間に、ほんとの原因や根本対策が疎かになってしまう。これは、マスコミの大きな責任である。

 日本は、世界でもまれにみる災害大国である。今回のような土砂崩れ、洪水、大地震、津波、台風、噴火など、どこでも起こる。安全なところなどほとんどない。このような国土にいる限り、行政ができることは限られる。
 自分の身は、自分で守るしかない。行政に責任を取らせようとする人に限って、行政の発信する災害リスク情報に無関心であったり、避難訓練もまともに受けていないのではないか。それができない人は、あきらめたほうがいい。

 ただ、行政が責任を問われる大きな要因は、地方は役人が一般市民の3倍もの高給を食んでいるからである。もっと給料が少ないなら、責任の取らせかたもずいぶん違うはずだ。
 だから市民は、ある程度の防災意識を持ち、何でもかんでも行政の責任にしない。その代り、税金は1/3にする。そのほうがよほど、「安全は自分で守る」という自覚が生まれるはずである。


【追】
 ある公民教科書に、つぎのような記述があった。
≪何ごとも他人にたより、国家や社会にたよるだけになれば、人々は活力を失い、そして国家の組織や制度は巨大化し、そのことによって、かえって人々は自由を奪われ、社会の活力も失われていきます。・・・・≫
 すでに今の日本は、このような状態になっているのではないかと思う。

山行シーズンの終わり(10月20日)

【今年の総括】
 先日、白山に初雪が降った。紅葉も盛りであろう。昨年の今頃は、みごとな紅葉の、三の峰~刈込池を訪れた。この週末には、本年最後の山行を行うつもりだったが、あいにくの天候と、体調不良のため断念した。今月の東北旅行以来、背中からわき腹の痛みが、一向に抜けない。今年はもう無理かもしれない。

 今年3月からこれまでに登った山は、以下のとおりである。
 文殊山7回、鬼ヶ岳2回、富士写ヶ岳、御在所岳、白山、東北(岩木山、八甲田山、姫神山)。残念ながら、白山へは、1回しか行けなかった。

 写真は、昨年10月20日に訪れた三の峰登山道からの景観~刈込池の紅葉である。(今年も行きたかった。残念!)

 三の峰登山道紅葉 H24.10.20  千本檜より三の峰、別山(左奥)H24.10.20  刈込池 H24.10.20

【行ってみたかった山】
 平家平から姥ヶ岳(1453M)のコースは、以前より行ってみたいと思っていた。国道157号を福井から1.5~2時間走れば、登山口まで行けるという。ただ、157号を抜けてから登山口まで、5~6キロの道路状態が悪いと聞いていた。そのため、運転嫌いな私は、これまで躊躇していたのである。

 平家平は自然環境の保全を目的に、大野市が購入したブナ林である。約1万本ものブナが約40ヘクタール(標高600〜1000m)にわたって生い茂る森には、樹齢400年以上のトチノキの巨木やミズバショウの群落なども点在する。平家の落人が住んでいたことから、「平家平」の名で呼ばれるようになったらしい。

 登山口よりこの平家平まで、1時間。そこから姥ヶ岳山頂まで1時間の手頃なコースである。来年元気があれば、ぜひ行ってみたい。

現代日本の贅沢病(10月19日)

 現代日本では「将来が不安」などと言う贅沢を、まだ多くの人が味わっている
 
 「他人の不幸は蜜の味」、「やれうれし、となりの家が夜逃げした」。
 人が、他人の不幸に対して抱く快感を、ドイツでは、「シャーデンフロイデ」というそうだ。成功した人が没落し、生意気な人が失敗すれば快く感じる心理をいう。
 残念ながら、どの国の人でも、他人の不幸は嬉しいものである。

 「嫉妬」研究の大家、ケンタッキー大学心理学科リチャード・スミス教授は、『苦痛の楽しみ』のなかで、この感情は、人間の感情の暗い本性だといっている。彼の理論によると、私たちは自分の存在価値を得るために、他人と比較し、自分の優れたところを見つけるために努力する。他人よりましな部分を見つけた時には、快感を覚え自尊感を回復する。それができない時には、他人の不幸を探す。

 日本では、毎年何百人もの人が、災害で家族や家を失う。交通事故も少なくなったとはいえ、毎年4~5000人の人が亡くなっている。重症者やその加害者を含めたら、その何倍にもなる。これ以外の事故や病気で亡くなる人、自殺者も多い。これらの人的被害以外にも、事業の失敗や詐欺の被害などで、財産を失う人も多い。それ以上に、世界には不幸な人は山ほどいる。
 しかし今の日本では、本当に苦しんでいる人は、全体の1割もいない。
 他の人はその不幸な人をみて、喜んでいるだけだ。まるで、そのためにあるかのように、マスコミは、不幸な人をあぶりだす。世の中は不幸だらけのようにみえる。

 ほんとは今の不況も、大量生産・消費時代からの変革の苦しみにしてはまだ生ぬるい。まだ大丈夫である。「将来が不安」などと言う贅沢を、まだ多くの人が味わっているからだ。老後が心配、20年後の放射能影響が心配・・などである。
 「今が心配」という人が大半を占めるようにならないと、大きな改革はできないし、その必要はない。たいてい将来の暗い話は、覆されることが多いのである。

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人の死に時(10月18日)

 災難に遭う時節には、災難に遭うのがいい。そして生きる権利は、長く生きてきた人ほど少ない

 先日、JR横浜線踏切で、40歳の女性が74歳の男性を助けようとして、電車にはねられ死亡するという事故があった。不運であり痛ましい(どうせ死ぬなら、自分もこのような死に方をしたいものである)。ただ74歳なら、そのまま死なせてあげたほうが良かったのではないか。口には出さないとしても、多くの人はそう思っている(とっさの人助けに、いちいち年齢を聞くのもおかしな話だが)。

 高齢者の自殺は多い。。
 あるTVの公開番組で、参加者の一人が「今の高齢者は早く死にたいと思っている」という意味のことを述べた。
 これを聞いた多くの人は、「老人に死にたいと思わせる社会に問題がある。」と考える。意見を述べた人も、そのつもりで言ったと思う。確かに、福祉分野など問題は多い。改善できるところは改善すべきである。 

 だが、現時点でできることがすべて直ったとしても、早く死にたいと思う人は必ずいる。じつは、「今の高齢者は早く死にたいと思っている」のは、まさに本音である。当事者でない周りの人が、「誰もが長生きしたい」などと思っているのは、とんでもない勘違いである。

 このことは、久坂部洋氏が、「日本人の死に時」の中で述べている。里見氏と同じ久坂部洋も臨床医だけに、多くの高齢患者と接してきて、真実を悟ったのであろう。彼は、「医療はこれまで、とにかく命を延ばせばいいという方針の裏で、言葉は悪いが『中途半端に助かってしまう人』を作り出してきた」と言っている。私もそう思う。

                      良寛様
 これに関して、粋人は達観している。
 たとえば良寛は、大地震に遭った知人に対し次のような見舞いの手紙を送っている。
 「災難に遭う時節には、災難に遭うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。・・是はこれ災難をのがるる妙法にて候。」
 すなわち、人知を超えた災害や死は、逃げようとすればするほど苦しむのである。

 また吉田兼好は、「徒然草7段」で、次のように言っている。
 「飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。」
 つまり、「いつまでも飽き足らず惜しい惜しいと思っていたら、千年たっても一晩の夢のように短く感じるものだ」と言っている。「いい加減あきらめたらどうだ。」というのである。

 少なくとも「生きる権利」は、生まれたばかりの人より、さんざん生きてきた人のほうが少ない。長く生きてきたということは、そのぶん他の生物(人間も含む)を犠牲にしてきた、ということにほかならないからである。

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「悪乗り投稿 人生台無し」ではない(10月17日)

 「人生台無し」になった人たちは、こんな社会に対し、「100倍返し」をするであろう

 コンビニのアイスクリームケースに入る事件、ラーメンの冷凍ソーセージを口にくわえてふざける写真、バーガーキングのハンバーガーの上に乗っかる写真、従業員が冷蔵庫に入った写真、餃子屋に押しかけ裸で飲食してる写真など、いわゆる「悪乗り投稿」がつづく。

 これらの「事件」は、今年になってから始まったわけではない。たまたま、誰かが問題視したために、大事に発展したに過ぎない。それにこんなことは、大したことではない。店以外、誰も迷惑していない。問題にするから大変なだけである(私は、プロ優勝チームのビールかけや、TVバラエティのどんちゃん騒ぎのほうが、えげつないと思う)。

 しかし、この「事件」を起こした人たちに対し、世間の風当たりはまことに冷たい。損害賠償や解雇、退学にまで発展、晒し者にし、「人生台無し」にまで追い込もうとしている。

 悪ふざけが過ぎると言えば、その通りである。だが、センスのあるとは言えないとしても、一種の「ブラックユーモア」ともいえる。いったい、「悪ふざけ」と「ユーモア」の線引きができる人間がいるのか。
 センスを磨くのは、簡単ではない。このような「失敗」を重ねることによって、みごとな「ユーモア」が生まれる。それを殺してしまったら、まことに殺伐とした世の中になる。とても生きていられない。

 ユーモアが滑ったのだから、たしなめればいい。べつに「人生台無し」にまでする必要はない。やったことに対しての、反応が大きすぎる。立小便で死刑になるようなものだ。一連の出来事で「人生台無し」になった人たちは、こんな社会に対し、いずれ「100倍返し」をするであろう。

 そして、これらの「事件」を非難し、「人生台無し」などという連中は、いったいどんな生活を送っているのか。よほど、真面目くさった「清廉」な人たちに違いない。そんな人生、なにが面白い。


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給食のパンにハエ(10月16日)

 これぐらいの異物混入が、ニュースになる飽食日本のほうが、よほど問題である

 ≪ 岐阜県可児市立東明小学校で、今月9日の給食に出たクロワッサン約100個に小型のハエが付着していたが、学校は回収せずハエが付いた部分を除き食べるよう指導した。
 市教委は「健康被害のない部分は食べるという内容の手引書に従った」と説明。児童から体調悪化などの報告はないが、手引書の改定を検討している。   9.28 中日新聞記事より≫

 ハエは体長1~2ミリのクロバネキノコバエで、毒性はない。岐阜県御嵩町のパン工場で製造した際に混入したとみられる。今夏、岐阜県東濃、中濃地方で大量発生したらしい。
 ハエを含む昆虫は食料ともされ、「安全性に問題のないパンを捨てるのは勿体ない」の声もある。今回の場合も、ハエはパンと一緒に焼かれており、料理の一部だと思えばいい。 

 しかし記事によると、この食べて問題のない異物でさえ、文句をつける人がいるという。この場合、異物部分を除いたため、全く問題がないにも拘わらず、である。エゴイズム丸出しで、自分だけの「ゼロリスク」を徹底追及している。あるいは、異常に病的なまでの、潔癖症である。
 いったい、日本人の「ゼロリスク」の影で、どれだけの人が、苦しんでいると思うのか。

 私に言わせれば、こんな異物混入でさえニュースになる飽食日本のほうが、よほど問題である。背景には、この1000倍もの食べられる食品が、廃棄されているからだ。
 そんな人に限って、子どもに持たせる弁当には、自分の髪の毛やふけ、涎がたんまり入っているに違いない。

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鬼ヶ岳の麓「時季の茶屋」(10月15日)

 ここには、「ひのきマリモ(かおりだま)」という、不思議な一物がある

 昨日、晴天の中を越前市の鬼ヶ岳(533M)に登った。8時50分にカントリーエレベーターから登山開始。1時間で頂上。帰りは、東側のなだらかな尾根を下った。

 ところで、カントリーエレベーター駐車場への入り口から、東500mのところに「時季の茶屋」という、喫茶店がある。28号線大虫口から西に向かうメイン道路より、一本南側の道沿いにある。場所も入り方もわかりにくい。飲食メニューも少ない、こじんまりした店である。
 下山後、駐車場出入口の案内版に釣られ、行ってみた。なぜ、わざわざそんな店に入ったのか。
 じつはここには、「ひのきマリモ」という、不思議な逸品があるという噂を聞いたからである。

         「時季の茶屋」入り口付近                                 至上の逸品か屑玉か?
 時季の茶屋 H25.10.14   ひのきマリモH25.10.14

 この店の経営者は、製材所で長いこと木材を扱うなかで、ヒノキの魅力に取りつかれるようになったという。その不思議な魅力を引き出すために、試行錯誤を重ね、裁断ヒノキを利用した「ひのきマリモ(かおりだま)」の製品化に成功した。
 この製品は、糸状のヒノキをボール状に固まらせたものである。その周りではヒノキの芳香が途絶えることなく、さらに他の醜悪な臭いをも吸収する。その理由は、①糸状に裁断した材料を使うことによって、単なる塊よりも、表面積が数百倍も広くなること、②化学物質を使わない特殊な製法で裁断材料を固まらせるため、天然材そのままの材質を活かす、からである。
 本来ヒノキやヒバ(あすなろ)には、人に対するヒーリング(癒し)効果があるとされる。 
 
 店内には、この「ひのきマリモ」が数多く展示されており、匂いに鈍感な私でさえ、心地よい香りに浸ることができた。6年前に作った古いものでも、香りが持続している。
 同行した妻は、「1,000円なら買いたい。」と言っていた。しかし、手作りで1日5~6個しかできないため、定価は1個3,000円である。これで3,000円は、すこしきつい。でも、パッケージや周辺のグッズ、売り方を工夫すれば、ヒットする可能性はある。

 喫茶店の店構えも、テーブル、什器も、ほとんど経営者の手作りである。それだけに、店としては素人っぽさが抜けていない。突っ込みどころ満載である。温厚な人柄の店主とその奥さんだけに、非常に勿体ない。
 これも、磨く余地はいっぱいある。ブレイクすれば、「森のかおり」のコンセプトで、郊外に評判の癒しスポットができるはずだ。

靖国の祟り(10月14日)

 天皇や総理大臣が参拝しなければ、靖国の魂は、安らかに眠れない。いま、その「祟り」は、中国・韓国に向けられる

 靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭である。秋の例大祭は10月17日から20日までの4日間。当日祭には天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上される。心有る政治家も参拝する。

 靖国神社には、戊辰戦争、西南戦争から大東亜戦争など、家族や祖国のために戦い、亡くなった人が祀られている。そこには、道半ばで幸福な人生を断ち切られた「怨念」が渦巻いている。「怨念」があれば、「祟り」が発生する。道半ばで死んでしまった自分を踏み台に、のうのうと生き延びている現世の人々に、一泡吹かせてやりたいと、必ず思っている。
 本来、人が神として祀られるのは、無念の死を遂げた者たちの霊を鎮め、この「祟り」を封ずるためである。

        祟りを鎮める

 ところが、参拝の時期になると、国内の大手新聞社や中国・韓国が騒ぎ出す。A級戦犯が祀られていることが気に食わないのだという。そのため、政治家でも参拝するのは、三下議員ぐらいである。天皇や総理大臣は、ほとんどまともに参拝しなくなってしまった。あろうことか靖国の鳥居に、小便をひっかける不心得者さえ現れる始末である。
 靖国参拝する政治家でも、「祟り」を鎮める「鎮魂」の気持ちで参拝する人は少ない。 

 これでは、靖国に祀られている魂は、安らかに眠れるはずがない。とくにA級戦犯は、自分達のせいでまともに参拝してもらえなくなり、肩身の狭い思いをしている。靖国内の「怨念」は増幅され、その「祟り」は、現世に向けられる。
 その「祟り」は、大規模な自然災害から大事故、戦争などを起こし、阿鼻叫喚の世界を作る。近年、異常気象から台風、竜巻、水害が数多く発生しているのがそれだ。そして、3.11の東北大震災と原発事故。これらは、すべて靖国に眠っている「鎮まらない魂」の怨念から生まれた「祟り」なのである。
 村山政権や管政権のときに大災害が起こったのも、決して偶然ではない。

 我々は一刻も早く、この怒り狂った靖国の魂を鎮めなければならない。中国・韓国なんかより、靖国でさまよい発せられている「怨念」・「祟り」のほうが、はるかに怖い。そして遠からず、その「祟り」は、中国・韓国に向けられる(バブル崩壊~大恐慌か?)。
 この「怨念」を鎮めることができるのは、天皇そして国民の代表である総理大臣しかいない。

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【注】
 この文を見て、「非論理的で、バカバカしい」と思う人がいるかもしれない。私も半分そう思う。
 しかし、世の中の出来事は、すべて人々の心の中で発生する。そこから政治、経済、社会など、多くの人文理論が作られてきた。ここで掲げた内容も、それらの論理と矛盾することはないはずである。
 呪いと祟りは、間違いなく存在する。

白山の景観

油坂より南竜~ 白山H22.9.24
 油坂より 南竜ヒュッテ~白山御前峰(平成22年9月24日撮影)

グローバルスタンダード(10月13日)

 工業社会において成功を収めた日本が停滞しているのは、世界のスタンダードと言われるものが変えられてしまったからである。 

 いわゆるグローバルスタンダードなるものは、世界標準でもなんでもない。アメリカを中心とする欧米諸国がその政治力(もちろん背景には軍事力)で、自らの得意とする分野に次々と新しい土俵を設定している。それが現実で、その典型がTPPである。

 情報、自由競争、知的所有権、そこから派生している、金融、IT、特許戦略、これらは今欧米人が得意としている分野である。民主主義、人権などはもう完全に定着している。  
 確かにこれらは響きのよい、流行の言葉である。反発するのがはばかられるほど、社会に侵食している。もう、この流れに逆らうことは出来ない。

 日本には独創的なアイデアがないと言うことではない。そんなものは山ほどある。
 また、キャッチアップの時代は終わったと言われているが、とんでもない。キャッチアップは、永遠に続く。新たな土俵が設定され、目標ができてキャッチアップできたとしても、また新しい土俵ができてしまうということである。

 法の精神を無視した、魔女狩りのような、アメリカにおける外国企業たたきは壮絶である。進出した企業が言いがかりとしかいいようのない訴訟に負けて、巨額の賠償金を取られたのは、氷山の一角にしかすぎない。
 さらに日本企業から戦時中の賠償金をふんだくろうと試みている。最近では、その尻馬に乗った中国・韓国が勢いづいている。
 日本が自ら新しいルールを設定するだけの力(政治、軍事力)を持たない限り永遠にキャッチアップから逃れることはできない。

限界まで働く(10月12日)

 若い時期、死に物狂いで一所懸命働くことは、その後の人生を豊かにする。そのような、人を育てる組織を、世間は「ブラック企業」と呼ぶ

 10日に、臼井裕氏(キャノンマーケテイングジャパン(株)人事本部長)の「会社を動かす人材教育&コミュニケーション」の講演を聞いた。若い人にとっては、いい話だったのではないか。隣の席からも「わかりやすい」という声が聞こえた。

 この講義の中でひとつ、共感するところがあった。「人は30才半ばまでの間に、多様性と量的に、アッパーリミットに達するまで仕事をこなさなければならない」ということである。このことは、私が若い経営者に対し「40歳前後の10年間、死に物狂いで働くことによって、その後の人生に深みが出てくる」と言うことと、よく似ている。
 10年ほど年齢のずれはあるが、言っていることは同じである。多くの成功者が、晩年になって言うことでもある。

 ただ私は、そう言いながらも、なぜそうなるのかという説明ができなかった。
 今回の講義を聴いて、これは「トイレを我慢した膀胱のようなものだ」ということに気がついた。すなわち、酒の席などでは、必ずトイレに行きたくなる。そのとき、尿意を催してすぐトイレに駆け込んでしまうと、そのあと頻繁に通わなければならない。すこし溜まっただけで、膀胱が刺激を受けるからである。
 ところが、最初の1回目をぎりぎり我慢し、膀胱がパンパンになってからトイレに行く。そうするとつぎからは、そんなに頻繁に行かなくてよくなる。膀胱の絶対容量が増えるからだ。

 すなわち若いとき、それなりに過ごした人は、その人の受け入れ容量がそこで固まってしまう。50才近くになると、頑張りも効かず、新しいことの入る余地が、ほとんど無くなる。容量に柔軟性のある40歳前後の、若い時の頑張りの違いが、その後の受け入れ容量を、決定的に左右する。だからできるうちは、限界まで働く必要があるということなのだ。
 60才過ぎて、いくら頑張っても、もう遅い。高齢になるほど、金銭面だけでなく、知性面での貧富の差が大きくなるといわれる所以である。
                              泥棒ひょっとこ 
 ところで最近、「ブラック企業」という言葉が流行している。極端に仕事の負荷を背負い、うつ病になって自殺したケースが発生しているからである。
 しかし周りを見ても、それほど多いわけではない(珍しいからニュースになる)。それなのに、「ブラック企業」を糾弾しようとする。
 これは、飲酒運転厳罰化のケースとそっくりである。たまたま悲惨な事故があって飲酒運転が撲滅された。その結果、地域コミュニティが破壊され日本経済が沈没、かえって若くして死ぬ人が増えてしまった。

 同じように、やみくもに「ブラック企業」が排除されると、伸び代の無い労働者ばかりとなる。その結果、何もできない高齢者ばかりが増えてしまう。わがままで、生産性の低い高齢者が働く日本のお先は、真っ暗である。

 ものはほどほど。「角を矯めて、牛を殺す」ことがないようにしなければならない。

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SWOT分析の限界(10月11日)

 SWOT分析は決して、万能ではない。組織人知の結集、アイデアの整頓、経営戦略を確認するためのツールとして用いるのがいい

 「SWOT分析」は、組織の内部、外部の実情を把握し、そこから何をするかという、組織の戦略を導くためのツールである。すなわち、内部環境つまりその組織の持っている「強み(S)」、「弱点(W)」、外部環境における「機会(O)」、「脅威(T)」を導くことから始まる。

 手順はつぎに、この4つの組み合わせを睨んで、組織の在り方を探す。
 たとえば、
①「強み(S)」×「機会(O)」
 ・組織の強みと機会を利用して、積極的に攻める。拡大戦略である。
②「強み(S)」×「脅威(T)」
 ・強みで、脅威に対抗する。強みを徹底して生かす。
③「弱点(W)」×「機会(O)」
 ・弱点を補完して機会をとらえる。提携や不足人材の採用など。
④「弱点(W)」×「脅威(T)」
 ・組織の弱みを突かれないように、徹底して守る。ロスの削減、コストダウンなど。

 多くの組織は、この段階で挫折する。
 なぜならこれは、あくまでもツールである。組織にとっての「SWOT」は、時期や考え方によって変化する。ものすごく、柔軟な発想が必要だからである。

 具体例を挙げて、SWOT分析を適用してみよう。
 先日、楠木健氏(一橋大教授)のH(ハゲ)に対する戦略を紹介した(ハゲ頭の攻略法)。そこで彼は、H=ハゲに対する「防御」のための戦いをすっぱりとやめ、「攻撃」に切り替え成功した。結果的かもしれないが、楠木氏は、ご自身の頭の形がまんざらでもない、ということに着目した。
 すなわち、②「強み(S)=頭の形がいい」×「脅威(T)=押し寄せるH(禿げ)」、から導かれる戦略は、「強みで、脅威に対抗する。強みを徹底して生かす」ということであった。その具体的な戦術・方法が、バリカンですっぱりと、髪を剃ってしまうことであった。

 じつは、楠木氏はもう一つ、Dについても秀逸な戦略をとって、成功を収めた。Dとは、「デブ」すなわち下腹のでっぱりに対抗しての、みごとな戦略である。これを紹介しよう。
 彼は、トレーニングジムに通っていた。これを彼の「強み(S)」とみた。
そこで、②「強み(S)=ジム通い」×「脅威(T)=押し寄せるD(下腹デブ)」、となる。そこから、
 「強みで、脅威に対抗する。強みを徹底して生かす」ために、ジム通いによって上半身を大きくし、D(下腹デブ)を、目立たなくしてしまった。


 しかしこれは、どう見ても(筆者の)あとづけ、こじつけである。第一、H(ハゲ)やD(デブ)を、「脅威」とみるか「弱点」とみるかでずいぶん違う。「弱点」とみると、「弱点を補完する」ために、無駄な努力を続ける羽目になっていたかもしれない(それもいいかも)。
 したがって、SWOT分析を使って戦略を練る場合でも、組み合わせや考え方によって、まったく逆の結論が導かれる。

 SWOT分析は決して万能ではない。ただ、組織内の人知を結集しアイデアを整理・整頓するため、或いは、組織の経営戦略の正当性を確認するためには、格好のツールであろう。それを活かすのはまさしく、柔軟な発想をもった人材なのである。

ハゲ頭の攻略法(10月10日)

 戦略では、攻撃ばかりではうまくいかないし、防御ばかりでもよくない、敵の出方に応じて、押したり引いたり臨機応変に対応する

 「攻撃は最大の防御」という経営戦略がある。これについて、楠木健氏(一橋大教授)は、著書『経営センスの論理』のなかで、自身のH(ハゲ)対策になぞらえ、つぎのように述べている。(この本には、経営戦略の肝がいくつか記してある。若い経営者や診断士は、ぜひ読んでいただきたい。)

≪前略・・・ H攻撃が始まった当初の私設参謀本部(僕の脳内にある重要問題を扱う部署)の戦略は、ご多分に漏れず防御であった。洗髪のときにマッサージしてみたり、それまでわりと短かった髪を伸ばしてみたり、・・・・略・・・・・それでも通常兵器に限定して一通りの防御はやってみた。
 しかし、どうにもならないものはどうしようもない。H攻撃は粛々と進行してきた。攻撃開始に気づいてから1年ぐらいたつと、もはや絶対防衛線も危うくなり、いよいよ本土決戦(頭頂部のHと額から北上してくるHが結合する状態)も間近と思われた。
 ある朝のことだ、いつものように鏡の前で整髪していたそのとき、「攻撃は最大の防御」という古来の格言が天啓のように降ってきた。・・中略・・即座に整髪作業を中止した僕は、近所の電気店に急行し、電気バリカンを購入。帰宅すると即座にパンツ1丁で庭に出て、3ミリのアタッチメントをバリカンに装着し、頭髪を丸刈りにした。
 鏡で自分を見てみると、そこにはわりと別人の僕がいた。文字通りのハゲ頭。いうまでもなくH問題は解決していない。それどころか、かえって悪化しているともいえる。ところが妙に気分爽快であった。追いつめられていた気分になっていたHとの戦いに、一気に逆転勝利を収めた気がした。
   ・・・後略・・・≫

 すなわち楠木氏は、これまで悪戦苦闘していた、H=ハゲに対する「防御」のための戦いをすっぱりと止め、「攻撃」に切り替え、成功したのだ。
                  光る太陽

 ただ察するところ、最初は「攻撃」というよりも、やけくその「焦土作戦」だったのではないか。それが、たまたまうまくいったので、「攻撃は最大の防御」という後付の理屈で、自らの経営指南書に書き加えた、というのが真相ではないかと思うのだ。
 楠木氏は、もともと「頭の形」が良かったから、この作戦が成功した。

 それでは、「頭の形」の悪い人はどうするか。粉飾決算で当面をしのぐ。つまり「カツラ」である。しかしこれは、ばれたときの代償が高くつく。またいったん始めたら、なかなか止められない。(いい加減あきらめることも作戦のうちだと思うが、)普通の人は、騙し騙し一生を終え、つまらない人生を送る。

 これを企業経営に当てはめてみる。H(ハゲ)が進んだ頭というのは、売れない製品ばかり作る、製造業のようなものである。いくら努力しても売れない。そこで思い切って、工場を取っ払い、更地にして売却する。事業所単位では、いい作戦かもしれない。
 これも、値打ちのある土地ならいいが、僻地でしかも土壌汚染まみれの土地だったら、売るどころではない。修復に、目玉の飛び出るお金がいる。では玉砕覚悟で、遊園地にしようか。この場合、「攻撃」戦略は、いかにもリスクが大きい。

 すなわち戦略では、防御ばかりではうまくいかないし、やみくもな攻撃でもよろしくない。ここでは、敵の出方に応じて、押したり引いたり臨機応変に対応すべし、という当たり前の教訓が得られるのである。

技術経営(MOT)とは何か(10月9日)

 経営戦略のひとつに、「技術経営(MOT)」がある。ただどんな場合でも、新しい経営手法に溺れることなく、現実的な対応をしていく

 製造業、とくに技術開発型企業が重視したいのは、「技術」を核にした経営である。技術者の能力を最大限発揮させ、活用するマネジメントが重要となる。これを一般に、「MOT(Managementof Technology)」と呼ぶ。

 この、技術を中心にした経営には、「研究」→「開発」→「事業化」→「産業化」のステージがあり、それぞれのステージの間には、深い溝がある。「MOT」では、この深い溝をどのようにして越えるかが、大きな課題である。
 中小企業では、このステージの、一部しか担っていないところもあるが、全体を見据えた経営が必要である。

【魔の川】
 この溝は、研究ステージと開発ステージの間に位置する。
 科学の成果に基づく研究ステージから、新たな技術シーズを見つけ、ターゲット製品を絞りこむことである。この段階で、柔軟な発想で「戦略」を立て、どのような製品を作っていくのかが問題である。

【死の谷】
 この溝は、開発ステージと事業化ステージの間に位置する。
 開発ステージでできた製品を、つぎの事業化ステージで、商品として完成させ、販売できるようにしていく。企業内部で「人・モノ・金」を調整して効率よく価値を生み出し、どのように顧客に販売するかの「戦術」が必要である。

【ダーウィンの海】
 この溝は、事業化ステージと産業化ステージの間に位置する。
 事業化ステージでは、事業を行う経営体制が必要になる。つぎの産業化ステージでは、新市場の開拓や市場での優位性を保つことで競争に勝ち抜くことが必要である。この『ダーウィンの海』には、うようよ競合や魑魅魍魎がさまよっており、新規性や珍しさだけでは越えられない。

 こう見ると、「MOT」と言っても、何も特別なことではない。企業の経営戦略、戦術、マーケティングなどの言葉を、「技術」に沿うように変えただけである。このような「斬新な」経営手法はたくさんあるし、これからつぎつぎと現れる。
 我々は過度に新しい経営手法に溺れることなく、経営の基本だけを確立して、現実的な対応をしていかなければならない。「手法」に惑わされると、まちがいなく混乱する。

白山(別山)の景観

別山より3の峰を望む H22.9.24
別山頂上より 別山平、三ノ峰(平成22年9月24日撮影)

経営戦略(10月8日)

「経営戦略」を持つと言うことは、自らの考えで経営を行うことを意味し、それができない企業は、迷走するしかない

【戦略とは何か】
 「経営戦略」はわかりにくい。人によって意味が違うからだ。そこで、ここでは「戦略」を、「どのような製品(サービス)を作り、誰にどう売るかを決めて、実行すること。」とする。つまり、「自社の商品と生産・販売のしくみを見直し、改革する。」と言うことである。
 明確な「経営戦略」を持つと言うことは、自らの考えで経営を行うことを意味し、これはどのような小規模・零細企業にも必要である。それができない企業は、迷走するしかない。

【戦略がなぜ必要なのか】
 企業が生き残っていくためには、他に真似のできない商品や生産・販売のしくみを作り上げることが大切である。そのためには、自社の明確な経営戦略が必要なのだ。
 また、明確な戦略がない企業は、どのような力量を持った人材が必要なのかを明らかにすることができない。当然、人材教育も行き当たりばったりである。したがって「うちの会社にはまともな人材がいない。」と人材不足を嘆く。
 
 すなわち、企業が存続するためには、まず「自社がどの市場で、どのような方法によって差別化を目指すのか」を明らかにする必要がある。絞り込みである。それを実現させるために、人材などの経営資源を集中・育成・充実させ、得意分野を確立する。経営者は、これを行うことが最重要の仕事である。

【戦略を成功させるための手順】
 まず、戦略を立案するためには、必要な情報を入手することが前提になる。自社の経営理念や経営資源、販売先や市場及び仕入先のニーズと傾向、競合者の動向、モデルとなる企業など、あらゆる情報を選別収集する。
 ここでとくに重要なのは、顧客・ユーザーの情報である。しかし、小規模な製造業などでは、自社製品の販路すらわからないこともある。まずこの面から改善していく必要がある。それには積極的に顧客と接触することである。情報収集源に対する役割分担を行うことや、顧客との定期会合の場を設けることも必要だ。

 そして戦略は、それをなすための実行計画をたて、文書化し、周知する。それによって、自覚と具体的な手順が見えてくる。また、実行の過程で生じるさまざまな問題の解決も、多くの人の力を得ることができ、実現の可能性が大きくなる。
 さらにこの戦略・計画は適宜修正する。環境は日々変化しており、企業の戦略立案能力も向上していく。修正のルールを決めてより良い戦略・計画を作り上げ、それを実現させていくことが、安定した経営となる。   

雑誌書評「世界」(10月7日)

 この本を読めば読むほど、我が国には未来が無いのではないかと思えてくる

 「世界」というオピニオン月刊誌を、10年以上前から読んでいる。図書館の雑誌コーナーには、いつもこの本だけが残っており、手垢で汚れていないからである。(仕方なく)月に一度はこの本を借りる。ほんとに読みたい雑誌、「文芸春秋」、「Voice」、「中央公論」、「Will」、「正論」など、他の最新号は人気が高く、めったに書棚にはない。
 
 「世界」の内容は、ほとんど自民党政権の批判と、弱者・被害者の声である。よく言えば、弱者の味方。悪く言えば、ゆすり・たかりの代理人である。原発事故後、ますます後者の色合いが強くなった気がする(被害妄想者を弁護士が煽る構図)。
 そしてつぎつぎと、不平不満や不安な出来事、危機が発生する。ちなみに、10月号の表紙には、「イチエフ未収束の危機」、「歴史認識問題と戦後補償」、「あらゆる知恵で、改憲・身売りをしのぎ生きぬく」、「ピーク・ウォーターという危機」の文字が踊っていた。(まだ中は開いていないが)

 10年もこの本を見ていると、タイトルをみただけで、何が書いてあるかは想像がつく。
 「福島第一原発は、放射能漏れが続いており、ますます危険な状態になる。これまで放射線を浴びた人は、いつ癌になってもおかしくない」、「日本軍はかって、韓国を植民地にし、中国で大虐殺を行ったので、きちんと補償せよ」、「平和憲法を守り、アメリカの手先にならないようにせよ」、「世界の食料庫であるアメリカ・オーストラリアの地下水が枯渇し、食糧危機が発生する」・・。あたらずといえども遠からず、であろう。
 その他、表紙タイトルになくとも、「沖縄県民」と称する人の恨み節は、毎月のように書かれている。

 したがってほとんどの記事は、読むほどに苛々し、もう我が国には未来が無いのではないかと思えてくる。「被害」や「危機」の状況を誇大に記述し、法外な賠償金をむしろうとするのが、見え見えである。あるいは、代案を示すことなく、軍事や原発などの不安を煽り、わが国を弱小国家に貶めようとしている。
 この本には、貧乏神が乗り移っているとしか思えない。

 それでもたまには、良いことが書いてある。執筆者の中には、寺島実郎氏や片山善博氏のように、一家言を持つ人もいる。貧乏神に憑りつかれた言論人にも、わずか賛同するところはある(10月号で小出裕章氏は原発作業に高齢者の参加を促していた)。したがって当分は、宝くじを当てるつもりで、この本と付き合うことにしている。

中高年旅行者の課題(10月6日)

 「排泄」の問題が解消されれば、観光産業全体の底上げと、課題を解決する企業のビジネスチャンスにもなる

 ここ数年、仕事の量が減るとともに、国内外への観光旅行の回数が増えた。1泊以上の県外旅行は、年に4~5回行っている(ちなみに妻はこの3倍ぐらい)。家族やグループがほとんどであるが、うち1~2回は、旅行社の企画したツァーに参加する。

 ところで、私のような中高年で旅行する者にとって、必ず問題となるのが、「排泄」である。
 通常の国内旅行は、まず問題ない。至る所に、温水便座付きの水洗トイレがある。どこにあるかの「勘」も発達してきた。至る所にコンビニがあるし、高速道路では10分おきにPAがある。
 しかし、海外ではそうはいかない。前にも書いたが、途上国ではホテルや大型ショッピングモール、飲食店を1歩出ると、ほとんどトイレがない。たまに有料トイレがあるが、番人がいて、入るには勇気がいる。以前見学したインドネシアのモスク寺院では、集団で500mもトイレを探して遠征しなければならなかった。

 登山でも同じである。人々が登山に行かない理由のひとつが、これである。とくに中高年は排泄器官が緩んでいる。男性の大半は、前立腺異常のため、「大」「小」とも頻度が倍増している。
 ほとんど人気のない山なら、どこででも「排泄」できる。しかし、素人はそんな山に行けないし、急坂の藪の中で「大」をするのは、高等技術が必要である。
 白山などのポピュラーコースには、トイレが整備されるようになってきたが、まだまだ限定されている。一般に、登山者が多い山道では、人目があり、安心して用を足せる場所を探すのは困難である。
       白山砂防新道登り1時間にある中飯場のトイレ                白山 砂防新道2時間のところにある甚の助小屋トイレ
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 したがって、この「排泄」という課題が解消できれば、観光産業全体の大きな底上げが期待できる。ソフト、ハード、インフラ、個人、いろんな切り口があるはずだ。
 直接には、その課題を解決しようとする企業や個人の、ビジネスチャンスでもある。

高齢者の起業(10月5日)

 地域の老舗企業の社長T氏(63歳)が退任し、新しく起業したいという。
 事業のシーズ(技術や製品)はあっても、マーケティングについてはあまり経験がない。また、できれば公的な金融支援を受けたいということであった。


【独立に至る経緯】
 起業を希望しているT氏は、それまで地元中堅織物会社の代表として企業を支えてきた。その会社ではT氏が中心となり、和紙と繊維を組み合わせた「漉き織製品」の開発に力を入れていた。
 この製品開発が一段落したことと、T氏の後継の経営者(45歳の甥)が育ってきたことを潮時に、長年尽くしてきた織物会社を退社、独立することにした。T氏はまだ63歳。経営は後継者に譲ったとしても、会社に残れば何らかの影響力を行使することになる。後継者が存分に力を発揮することができないし、会社のトップが複数では社員も戸惑う。
 そこで、「漉き織製品」の事業権のみ、T氏の新会社に移行し、その他の権限はすべて後継者に委譲する。新会社では、氏自身が温めてきた「漉き織製品」の事業化を基本に、新しい体制をつくることにしたのである。

【支援とその後の事業展開】
 事業は、これまで開発してきた「漉き織製品」の用途開発と販路開拓である。具体的には、結婚式場を対象に「白無垢」や「ウェディングドレス」を売り込みたい。
 そこで、マーケティングの専門家を紹介し、商品のコンセプトを明確にするとともに、ロゴマークの設定、ストーリーを含めたウェブサイト、パンフレット設定など、販路開拓に向けた方向性を定めた。また、県の「逸品ファンド」に申請し、販促のための費用の一部を調達することにした。
 このように、具体的に行動を起こすことによって、まだ起業して実質半年にも満たないが、すでに数百万円の売り上げを挙げている。

【新しい販路の開拓】
 そして最近、思いがけない分野からの引き合いが入った。高齢のT氏にふさわしい、「葬儀」関連の衣装(死装束など)である。これまで、ユーザーの嗜好を重視してきたブライダル商品より、葬儀会社の意向が重要視される商品である。全国の業界に定着すれば、大ブレイクする可能性もある。
 氏は、「倫理研究会」の幹部役員として、県内に300人以上の人脈を有している。今回の引き合いは、この人脈の中から生まれてきたものである。これも人生の積み重ねによる財産のひとつで、高齢者の多くが有している「強み」である。

【老人力を活かす】
 しかし、T氏は、あわてない。もし葬儀関連で大口需要が期待され、大量生産するためには、数千万円の設備投資が必要となる。波及して需要が定着するかどうか、大きなリスクである。それよりは、「老人力」を活かし、のらりくらりじっくりと、現実をこなしていきたい。
 高齢者が起こす事業の、一つの方向であろう。

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消費増税決定(10月4日)

 この期に及んで、文句ばかり言っても仕方がない。この衝撃を超えるには、毎年10兆円規模の財政出動しかない

 来年4月からの消費税8%が、決定されてしまった。残念である。安倍総理のことだから、消費減税とまではいかなくとも、今回の増税は見送ると思っていた。これまでの、金融拡大、TPP参加など、安倍総理の政策には根拠があった。すべて理解してきたつもりである。

 しかし、今回の消費増税だけはいただけない。財務省を中心とした役所や政治家の利権構造の圧力に負け、国家を危機に陥れようとしている。
 何度も繰り返すが、消費増税は、景気に水を差し消費を減退させ、国内の供給能力を削いでしまう。とくに、中小企業は苦しい。その結果、国民の働く意欲まで失くす。そのうえ消費税は、「社会福祉」という美名で、働かない人を優遇するため、ますます国力は減退する。
 いったい、「額に汗して働く人の手取りを増やす」、という所信表明演説は、どこへ行ったのか。

 しかしこの期に及んで、文句ばかり言っても仕方がない。これからは、この消費税アップの衝撃に、どのように対応すべきかである。

 ここは、思い切った財政出動しかない。少なくとも、消費税アップ率3%の増収予定の2倍、10兆円を毎年新たに増やす必要がある。これを、国土のインフラ整備、原発、防衛、宇宙など、すべて国内で供給できるものに投資する。

 政府がどれだけお金を使っても、それが国内に留まっている限り、いくら財政赤字が増えても大丈夫である。お金を使うことによって、新たな利権が発生するが、今はそんなことを言っている場合ではない。お金を使わなければ、働く人がいなくなってしまう。そのほうが、はるかに大きな問題である。
 消費税の「社会福祉目的」ほど、いい加減なばらまきは、ない。
 
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中小企業診断士協会の新たな役割・・高齢化に向けて(10月3日)

 今後確実に増えていく高齢診断士が、後代に負担を求める「傘の雪」にならないために

 寺島実郎氏は、「世界8月号 能力のレッスン」で、次のように述べている。

≪団塊の世代は正念場を迎えている。日本の高齢者社会の質を決めるという意味で、責任意識が問われるのである。自分たちだけ年金を確保して健康に注意して生き延びればよいというものではない。バラバラの個に還った高齢者が、自己主張の強い私生活主義の群れとなって、後代負担を求める「傘の雪」となるのか、重要な岐路にある。≫
 
 寺島実郎氏は具体的な提言として、団塊の世代が高齢化する社会では、「一人ひとつのNPO・NGOへの参画」が大切だと訴えている。地域社会の問題でも環境問題でも、自分が重要だと思うテーマに向き合い、NPO・NGOのような非営利組織に、主体的に参画し社会に関わることが重要だという。
 まったく同感である。強いて言えば、別に非営利組織でなくてもいい。

 
 そこで、中小企業診断士協会は何ができるか考えてみたい。この組織はこれまで、現役の診断士を中心に運営されてきた。もちろんこれからもそうであろう。
 しかしこれからは、団塊の世代を中核に、現役をリタイヤする年代の診断士が続出する。すでに、60代後半から80代の「高齢診断士」も多い。今後確実に増えていく高齢診断士を、どのように活用するか。彼らの経営経験、実務経験はきわめて豊富である。

 これまでは、「名誉会員」、「顧問」、「相談役」として祭り上げ、静かに幕引きを願っていた。あまり口を出されても困る。診断士が少ないときには、それがベストの方法であった。しかし人数が増えたこれからは、そんなわけにはいかない。「名誉会員」は、少ないからこそ価値がある。

 よって、提案である。
 65歳(70歳でもいい)以上の会員を集めて、別働隊とする。これまでの「特別会員」を含めてもいい。別働隊は、NPOの認定で法人格を取ることも考える。会費や理念の統一、現実にどう動くか、具体的な活動内容は、検討する。

 たとえば、企業や団体に対して研修を行うことに特化する。多くの企業では、直接会社に来てもらっての、社員教育を求めている。県外から呼ぶと、1回あたり10万円は下らないし、程度も低い。いまの県内講師ではメニューが限定されている。そこで、高齢診断士がそれぞれ得意分野のテーマを持ち寄れば、それなりの研修メニュー群ができるはずだ。

 高齢者が得意とするのは、経験と過去の知識しかない。それを活かさなくてどうする。我々は中小企業診断士として、これまで長年培ってきたスキルを集大成する。こんなことは、時間に余裕のある高齢診断士しかできない。
 ガイド、語り部、ホストなど、その他できることはたくさんある。できることはやろう。後代に負担を求める「傘の雪」にならないためにも。

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