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秘密の程度

 公開できる情報が多い方が優良企業であるが、たいてい公開したら抹殺される

 義家文科副大臣の発言が問題になった。「加計学園関連文書の存在を証言した職員は、国家公務員法違反に当たるかもしれない」と述べたことである。国家公務員法には「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする」と定めてある。
 野党や大方のメディアは、今回の文科省告発が内部告発者の保護のための「公益通報」に当たるとして、義家文科副大臣を非難している。

 内部告発については、昔から多くの議論があった。中国漁船が巡視船に体当たりしたビデオを流出させた職員は首になったし、多くの内部告発者はいい目を見ていない。技術士の資格取得試験問題でも必ず出題される。正解は、「まず上司に報告し、内部で解決するよう努力する」であった。たいてい、いきなりの外部漏えいには問題がある。

          立ち入り禁止

 組織における「秘密」はどのように管理すればいいのであろうか。
 組織の情報には、必ず公開すべきものと、絶対に秘密にしなければならないものがある。公開すべきものとしては、会社の商品やサービス内容、上場会社なら決算情報などがある。秘密にしなければならないものは、従業員のプライバシー、新製品開発や作り方等の企業秘密であろう。

 じつはその間には無数の情報がある。どこまで公開するか秘密にするか、非常に悩ましいところである。たとえば「社長の愛人」、「社員の年収」を公にするかどうかは、地域や企業の文化、時代背景によって大きく異なる。
 そしてその程度が、企業のレベルを決める。もちろん、公開できる情報が多い方が優良企業である。
 だが、たいていは公開した途端、その企業は世の中から抹殺されるから難しいのである。
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著作権訴訟はタカリ(27年8月3日)

 自分のデザインがオリンピックに使われたのだと、誇りに思ってほしい

 東京オリンピックのエンブレムを巡り、ベルギーのデザイナーが「盗作だ」と指摘している。デザイナー側の弁護士が、エンブレムの使用禁止をIOCに求めるという。
 デザインを見ると、たしかに似ている。これでは真似したといわれても仕方がない。

 しかし、著作権というのは無数にある。意匠や商標とは違い、登録されているわけでもない。あるデザインが、これまでの世界で出されたものと、まったく異なることの方が珍しい。著作権をすべて調べるのは、絶対に不可能である。  
 そういえば、あのデザインとよく似たのを私もどこかで書いた覚えがある。小学校のときのデザインコンクール作品かもしれない。こんなものは、後出しじゃんけんのごとく、どっからでもいくらでも出てくる。あのロゴが、「うちの店のマークとまったく同じだ」という人は世界にはたくさんいるはずである。

 すべての創作は真似ることからである。まったくの独創などありえない。なにかを土台にだんだん良くしていく。今回も似てはいるが、オリンピックロゴの方がよほどいい。
 それでもベルギーデザイナーのロゴは、これで一躍有名になった。今度はそれを盗作だという人が出てくるかもしれない。

 私が件のデザイナーなら、自分のデザインがオリンピックに使われたのだと、誇りに思う。このデザイナーの差し止め要求は、明らかにタカリである。

 そもそも、デザインにお金を払うからこういうことになる。これだけ世の中に出回っているのだから、図形デザインなど、選別と組みあわせだけでいい。それこそ、コンピュータでもできる。
 著作権は、金持ちがますます儲かるレントシーキングの親玉なのである。

著作人格権と曲(27年1月22日)

 著作権を持っている人は、ケツの穴の小さいことを言わないでほしい

 ヒット曲「会いたい」作詞家の沢ちひろさんが、沢田知可子さんのレコード会社と事務所を、著作者人格権侵害で訴えたという。沢田さんが、「会いたい」の原曲に英語の歌詞を付け加えたり、タイトルを改変したCDを発売したからである。

 これは、著作権の中の、「同一性保持権」を行使したものだといわれる。同一性保持権とは、自分の著作物の内容又は題号を自分の意に反して、勝手に改変されない権利である。
 かって、森進一が「おふくろさん」にイントロをつけて歌ったときも、その原曲の作詞家に訴えられたことがある。

                使用禁止

 しかし、こんなくだらない権利ばかり主張するから、音楽はつまらないのだと思う。著作権を持っている人は、そんなケツの穴の小さいことを言わないでほしい。つまらない原曲も、「カイゼン」を加え続けることで、そのうち見違えるような名曲に生まれ変わる。名曲でも、さらによくなるのは間違いない。「同一性保持権」を主張する人は、そのチャンスを50年以上も潰している。

 まして、替え歌を法律違反などといったら、庶民の楽しみがなくなる。原曲より替え歌のほうが、よほど面白い。

 そもそも、「同一性保持権」、いや著作権そのものを廃止したほうがいい。このような権利こそ、「レントシーキング」、すなわち規制既得権によって、上位1%が際限なく太っていく仕組みにほかならないからである。

技術情報漏えい(8月22日)

 ものづくりの重要性を国民すべてが認識し、つねに他社より先を考えた技術開発を続ける必要がある

 前に述べたように、通信教育大手ベネッセホールディングスは、個人情報の漏えいの対応で、200億円の出費を覚悟している。

 ところで、情報漏えいでほんとに問題なのは、技術情報の漏えいである。
 VOICE6月号に掲載された、中田幸彦氏の「東芝VSハイニエックス事件からの教訓」によると、数年前東芝の半導体メモリの研究データが、韓国の半導体大手「ハイニックス半導体」に流れた。これで東芝は、1000億円以上の損害が発生したという。また新日鐵は、韓国鉄鋼大手ポスコ等を相手に、高性能鋼板の製造技術を不正取得した、と告訴している。

 ベネッセの場合のように、USBメモリなど簡単で大容量のデータを高速保存できる技術進歩が、技術流出を極めて容易にしている。
 したがって、このような不正技術流出はほんの氷山の一角であろう。

 不正技術でなくとも、早期退職者を通しての技術移転、装置メーカーを関しての技術流出、企業間提携などによる技術流出は後をたたない。
 日本企業の、秘密情報の保護に関する姿勢からも、情報流出を完全に防ぐことは困難であろう。
 
 では、日本企業はどうすればいいのか。ただでさえ、中国や韓国企業に脅かされているのに、せっかく開発したノウハウが流れてしまえば、目も当てられない。

 もちろんこれまで以上に、企業の情報管理を厳密に行う必要がある。
 しかし、それだけではだめだ。後発は常に有利である。これまでのような優位性を持続することはできない。
 必要なことは、絶えず開発を継続させることである。情報が流出した時点で、それがすでに陳腐化していれば、大きな問題にはならない。中田氏の言うように、技術流出の根本対策は、「つねに他社より先を考えて進むこと」に他ならない。

 そのためには、日本が本来持っていた職人や技術者に対する待遇を改善し、ものづくり(働くこと)の重要性を国民すべてが認識することである。

著作権を恐れない(4月18日)

 グーグルにしろユーチューブにしろ、「虎穴」に入り危険領域に挑んだから成功した

 「コピペ」と大いに関係するのが著作権である。著作権法と言うのは、例外規定が細かく定められており、非常にわかりにくい。

 もともと著作権と言うのは、複製を制限しようとするものであった。印刷技術や映写に高額な費用がかかっていた時代には、印刷屋の権利を保護しなければならない。勝手に複製されては困るし、昔は、簡単に複製ができなかった。
 それに、複製して海賊版ができると、本家の利益が少なくなるだけでなく、その地域の「芸」が育たないという側面もある。海賊版を安く買う人は、なにもその地域の人の「芸」を楽しむ必要はない。海賊版ばかりつくる中国では、芸術が育たない所以でもある。

 ところが近年のデジタル化の進展で、誰でもがあっという間に複製ができる。パソコンやスマホでは、できるというより意識しないで、複製してしまう。

 よく似た権利で「肖像権」というものもある。肖像権は「プライバシー権」と「パブリシティ権」というふたつの側面を持つ。「勝手に写真を撮らない、公開しない」というプライバシーを保護するものである。

 こんなものを厳密に適用すると、たいていの人は引っかかる。逆に言うと、誰でもが無条件に逮捕される時代になったということである。

 日本に成功したベンチャーが生まれないのも、こんなことを恐れているからではないか。実際に、ウィニーや複写代行サービスなどは、足もとをすくわれ、ひどい目にあった。

 先日も書いたが、STAP細胞研究に対し、「論文にコピペや貼り合わせ、ミスがあるからいけない」と言う批判があった。そんな官僚的なルールに縛られているから、日本の科学技術は足踏みをする。なかなか「虎穴」に入れないし、入ろうとしない。 
 グーグルにしろユーチューブにしろ、その危険領域に果敢に挑んだから成功したのである。

 複雑な法律やルールは、理解できないし守れない。ぜいぜい、「17条の憲法」か「5個条の御誓文」ぐらいにしておいてもらいたい。

(追)最近、武田邦彦氏は、STAP論文擁護の中で、「理系に関する著作権はない」と極論を述べている。「思想や感情を創作的に表現したもの」以外は著作物ではないという、著作権法を極大解釈したからである。私もここに書かれていることは、その通りだと思う。
 しかし、どこまでが「思想・信条」かどうかは微妙であるし、判例でもすべてが認められているわけではない。野心的でない人は、全面的に信用するとえらい目にあう。
 ものはほどほどである。

コピペの何が悪い②(3月24日)

 世間では使い物にならない博士が増えているのは、「コピペ」を排除した論文ばかり書いているからではないか

 STAP細胞疑惑の中心で研究リーダーの小保方氏やその家族は、かなり落ち込んでいるという。一時は、ノーベル賞以上の大発見といわれながら急展開し、いまや国賊扱いである。
 ただ、論文が「ねつ造」であったとしても、今回の責任の90%は、小保方氏の論文を評価した側にある。もちろんマスコミも含まれる。「ねつ造」そのものより、あれだけ持ち上げてしまったことのほうが大きい。持ち上げなければ、落ちない。
 「ねつ造」論文は無数にあり、玉石混合の研究論文を見分けるのが、評価の専門家ではないのか。

 どうもこの問題は、「コピペ」から「ねつ造」に変わってしまった。では、「コピペ」と「ねつ造」は何が違うのか。

 武村政春氏の著書「世界は複製でできている」から推察すると、「コピペ」と「ねつ造」は、生物の老化現象に似ている。
 生物は、生まれたとき受精卵が分裂し、つぎつぎ細胞分裂(コピペ)によって形成される。ところが、老化と共に細胞分裂(コピペ)が縮小し、代わりにがん細胞など余計なものが増殖する。このがん細胞が「ねつ造」に相当する(ちょっと苦しいか)。

 そもそも、われわれ生き物の存在そのものが「コピペ」である。我々の体細胞は、父母、祖父母、祖ゝ父母とつづく、それぞれのDNA塩基が正確に「コピペ」され、その無数の組み合わせが、個性を作っている。「コピペ」が悪いなんてとんでもない話だ。
 
 武村氏によれば、世の中には「コピペ」でないものはない。身の回りにあるものを見てほしい。
 「コピペ」の利点は、同じようでいてわずかに異なるものをつくれる余地があることと、DNAのように、「組み合わせ」の要素を導入することで、同じ材料で新たなものをつくることができることである。
 イノベーションとは、複製(コピペ)の一つのバリーエションであるともいえる。
 とくに産業社会では、「コピペ」の組み合わせがイノベーションを生むことは、スティーブ・ジョブズの言を待つまでもない。特許の多くは、従来あった発明特許をベースにしたものである。

 このような自然原則に反して、学術社会では、「コピペ」はいけないと言う。
 「真面目」な学者ほど「コピペ」を忌み嫌う。そんな指導者のもとには、徹底的に「コピペ」を排除して、修士論文、博士論文を、一生懸命書く学生が集まる。そんな人は、一つの論文を仕上げるのに、膨大な時間を要するであろう。非効率極まりない。
 世間で使い物にならない博士取得者が増えているのは、それが原因なのかもしれない。

 関連記事 
 http://abegorou.blog.fc2.com/blog-entry-535.html

コピペの何が悪い①(3月15日)

 コピペ技術が洗練されれば、さらにそれをつなげるイノベーションに、時間と労力を投入できる

≪STAP細胞論文の著者の1人、理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダーが早稲田大学に提出した英文の博士論文に、米研究所がネットで掲載中の文章と酷似する部分が大量にあることが、11日わかった。3月11日朝日新聞デジタルより≫

 これは、いわゆる「コピペ」の問題である。小保方晴子氏のSTAP細胞論文にケチがついたと思ったら、それ以外のところまで穿り返す。典型的な、「池に落ちた野良犬いじめ」である。

 そもそも、「コピペ」はなぜいけないのか。
 著作権を侵害するからという意見もある。だが、既得権益の塊のような著作権益こそ、いかがわしい。しかもアイデアは、著作権ではない。他人のアイデアを、表現方法を変えて発表しても、法律に抵触することはない。

 確かに学生論文で、コピペばかりやっていたら、考える力が無くなる。またさすがに、引用でないコピペには、ほどがある。さらに、コピペの文は、ぎくしゃく動くロボットのようである。
 だから、コピペのつなぎだけでまともな論文を書くのには、たぐいまれな才能がいる。それに、論点にぴったり合う原文を探すだけでも難しい。
      パソコン                筆記

 そう考えていたら、田村耕太郎氏の「現代ビジネス」で、コピペ擁護のブログを発見した。

≪前略-
 私がおかしいと思うのは、コピペはダメだと指摘するくせに、大学教員の評価はコピペ重視であることだ。研究論文とはコピペ(=引用)の集合体に過ぎない。自分たちの論文を読んでみたらどうか?
 某国立大学教授が開発中のソフトで自分たちの研究論文を分析してみたらいい。“コピペ90%”とか出たらどうするのか?コピペの集合体を恥じるどころか、むしろ“コピペ(参考文献)の多さがその論文の価値を高める”との風潮がある。そんな教員達には「引用は自分の頭で考えていない証拠だ。コピペはダメだ」なんて批判する資格はない。
-中略-
 そもそも修士課程も博士課程も言ってみれば『コピペ』の技法を習得するところなのですから」と苦笑する。
-中略-
 学ぶという行為は真似ることから始まる。“イノベーションとは、既存の知識をつなげていくことにある”とスティーブ・ジョブズも語っている。コピペ技術が洗練されれば、さらにそれをつなげていく作業、つまりイノベーションに、もっと時間と労力を投入できる。・・≫

 田村 耕太郎氏のことはよくわからないとしても、書いてあることは、納得できる。
 と思ったら、まったく同じような内容のことを、「「コピペ」は本当に悪いことなのか」と題して、芦田宏直氏がブログで書いていた。どっちが先かわからないが、これこそ本物のコピペである。(アイデアが同じだけで、表現方法が違うから、コピペとは言わないのかもしれないが。)

知財の罠の罠(12月13日)

 日本に「知財」権益が残っているうちに、国民が一所懸命働く国にならなければならない

 これまで何回か、「知財の罠」シリーズを掲載してきた。「知財」は、富める者をますます富ませ、貧乏人をとことん絞る「レントシーキング」の典型であるとして、批判的に書いてきた。
 こういう見方もある、ということである。

 しかしながら、今の日本で「知財」を全否定するわけにはいかない。アメリカのバイオメジャーやディズニー、マイクロソフトなどが荒稼ぎしているのは事実だが、日本もまた少なからず「知財」の恩恵に預かっているからである。

 財務省が、12月9日に発表した10月の国際収支によると、円安によってドルで取引される燃料の輸入額が増えたため、モノの取引を示す貿易収支は、1兆919億円の赤字であった。さらに、海外とのモノやサービス、投資などの取引を合わせた経常収支は、1279億円の赤字だという。ついに経常収支も、赤字に転落した。

 とうとう日本は、経常赤字国に落ちた。これが続けば、国の財政赤字が爆発する。すなわち、国債の国内消化ができなくなり、国債の大暴落から、国家破綻が現実になるのである。

 ただ貿易赤字に比べ、経常赤字はまだまだ少ない。これは多分に日本企業の持つ「知財」のおかげである。もし「知財」を否定してしまったら、すでに日本は、とんでもない赤字大国になってしまっていた。

 したがって、日本に「知財」の権益が残っているうち、貿易赤字の解消をはからねばならない。
 その方法は、一つしかない。国民が皆(高齢者も障害者も)、一所懸命働くことである。そして、原発をはじめ、自前のエネルギー比率を高めることだ。でなければ、飢え死にするしかない。これは、誇張ではない。
 文句ばかり言って、働かなくて済む世界など、どこにもない。

 関連記事
 貧困と内戦をもたらす知財
 食品偽装とブランド
 遺伝子特許
 著作権はいらない
 産業財産権と企業経営


(注)
 昨日、当ブログの「拍手」が1000を超えました。
 1000拍手目の方からは、連絡がありましたので、後日ささやかな記念品を提供させていただきます。
 これからも、ご愛読よろしくお願いします。

産業財産権と企業経営(知財の罠)(12月12日)

 大多数の中小企業にとって、「特許権」は気休めの『お守り』か『宝くじ』である

 少し古いが、特許庁によると、2008年度における特許出願件数は、およそ39万件(実用新案は9400件)。そのうち審査を通って登録された件数は半分以下だが、18万件もある。また、その年度における発明者延べ人数は、全国で77万人。福井県は1750人である。もっとも、弁理士の登録数は、全国で7800人いるのに、福井県では9人しかいない(今はもっと増えているはず)。

 また、特許取得や維持の費用がバカにならない。弁理士を利用しない場合でも、出願料1.5万円、審査請求料20万円(請求項の数による)で、めでたく特許認定された暁には、最初毎年1.6万円から順次上がり、10年目以降は毎年10万円ほど支払う。合計で160万円にもなる。弁理士を活用した場合には、これに30~50万円を上乗せしなくてはならない。
 すなわち、特許権を1つ保持するだけで、200万円以上費用がかかる。

事例(1)(機械製造会社)資本金8500万円、従業員110名、知財担当3名(兼務)
 ・特許出願件数 合計 99(国内)+54(外国)=153件  (2004年度は6件出願)
 ・特許権利件数 合計 35(国内)+29(外国)= 64件   実用新案権利件数=1
 ・知財権により保護された製品の売上合計=約13億円(純利益は不明)
 ・年間の知財に関する費用=約2000万円
                        (特許庁「知財で元気な企業2007」による)

事例(2)(県内A社工具販売)資本金1000万円、従業員2人、売上高1億円、利益▲100万円
 ・特許出願件数 合計 25件  (2004年度は2件出願)
 ・特許権利件数 合計 8件  (うち4件は係争中、他の特許権も額縁に飾ってあるだけ)
 ・知財権により保護された製品の売上高=0
 ・年間の知財に関する費用=約200万円
 ・権利の内容も、類似品を排除できるような強力なものではない。(目的に対する手段は無数)
 
 「知的財産戦略ガイドブック 2006年3月近畿経済産業局」によると、そこにある事例24件のうち、費用対効果のプラスの企業が11社、マイナスの企業が9社、不明が4社であった。
知財が企業にとって、万能ではないことがわかる。

 では、企業は知財をどう考えたらいいか

①知財が効用を発揮するためには、その保護された製品が売上を確保できるかどうか。
②つまり、特許の有効期間(出願から20年)で、もとを取れるか?(実態は、不活性特許が50%以上)
③自社に生産・販売能力がない場合は、他社へのライセンスなどを考える。
④技術内容が他社にわからないような製造方法の場合は、出願しないほうがいい。(他社が特許取得しても、先使用権がある)


 中小企業では、特許権や実用新案は、水戸黄門の『御印籠』だと思っている。しかし本当のところは、気休めの『お守り』程度であろう。あるいはせいぜい、一獲千金を夢見る『宝くじ』ではないか。

著作権はいらない(知財の罠)(12月11日)

 わけのわからない音楽や小説、画像が、50年も100年も保護されると思うと、ぞっとする

 著作権法の第1条には次のようにかかれている。
 「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作権の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作権等の権利の保護をはかり、もって文化の発展に寄与することを目的とする」
 つまり、個人の創作活動を保護することによって、文化が発展するという。確かに、個人の著作権を保護することによって富が集まるから、欲に駆られ創作活動は進む。この大義を疑う人は少ない。

 しかし、本当に著作権が必要なのか? さらに、文化の発展がそんなに大事か。次から次へ出てくる、わけのわからない音楽や小説が文化なら、文化など発展しなくてもいいと思う。そんな作品が、50年も100年も保護されると思うと、ぞっとする。
 著作権が無くても、文化は発展する。むしろ、異質な文化が生まれる(上塗り文化も発展する)。

 それに、これまで消化しきれないほどの音楽が世に出ている。これに加え、毎年おびただしい数の音楽が発売される。だが、人がすべての音楽を聞けることはありえない。ほとんどの人が消化不良のまま、新しい音楽をスルーしている。もし著作権が無かったら、新作が激減する。そのほうがいい。懐メロだけで充分だ。

 音楽を大量生産している会社やアーチストは、著作権という既得権の上に立つ。しかし、その音楽がすばらしいから売れているわけではない。お金をかけて宣伝すれば、たいていのものは売れる。
 それだけではない。大量に新作を流すことによって、本当にいいものが出ない。世の中には、無名でもっとすばらしいものが五万とある。それが、既得権益者の横暴で埋もれる。

 音楽のやり取りが、自由にできるようになれば、本当にいいものが残る。既得権益がなくなるため、顧客を洗脳することが利益にならないからだ。我々は、ほんとにいいものが手に入る。

 文学や絵画、ブランドも同じである。多くの人は、専門家や権威ある人の意のまま、彼らの権益を守るようなものがいい、と信じさせられる。
 権威者は、権益を手放したくないため、「・・・大賞」とかいったお墨付きを与える。秀吉が千利休を利用したのと同じだ。だから、権威ある展示会に行っても古典を見てもつまらない。ほとんどの人は、わかった振りをしているだけである。
 芸術は、主観的なものである。人がなんと言おうと、いいものがいい。
 
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TPPと著作権(7月19日)

 TPPは、これまであいまいだった知財制度を拡大し、日本人を米国弁護士の「餌食」にしようとしている

 23日から、日本はTPP交渉に参加できる。おかしな話だが、そこではじめて内容がつかめるという。TPP反対派の多くの人は、農業と医療分野を守れと言っている。しかし、これらの分野は、これまで既得権の塊であった。TPPで熱湯を浴びるぐらいが、ちょうどいいのではないか。

 私自身が心配しているのは、知財分野のアメリカ化である。知財権益こそが、持てるものをますます肥らせる既得権益そのものであり、現代の植民地支配の一つといってもいい。

 具体的に、どのような問題があるのか。福井健策氏の著書「ネットの自由VS著作権」によると、
 ①著作権保護期間の大幅延長(著者の死後50年→70年)
 ②著作権・商標権侵害の非親告罪化
 ③法定賠償金制度(賠償金額が跳ね上がる)
 ④音や匂いにも商標
 ⑤医療診断・治療方法にも特許
       ・・・などである。
 これらは、これまで日本であいまいだった知財制度を拡大し、米国の弁護士の「活躍」の場を広げようとするものである。その場合下手すると、ISD条項によって、日本の障壁が問題になる可能性もある。

 既得権者が、新勢力を抑えようとするのは、いつの時代でもあった。しかしこれは、その国の新しい文化を抑えようとするもの、あるいは文化の破壊である。ただでさえ窮屈な創作活動が、ますますやりにくくなる。本末転倒ではないか。

 もとより、知財権は「クリエーター」を保護するものであった。これ以上社会を混乱させてまで、「クリエーター」が必要なのかとも思う。