FC2ブログ

パラサイト家族

 この映画の人気が高まれば、日本の肺炎患者も並行して増えていく

 先日、映画「パラサイト」を観た。ソン・ガンホ主演の韓国映画である。
 ストーリーは、(ネタバレにならない程度に)
 『ソウル市街で半地下生活をしていた、貧乏な4人家族の息子が、友人の紹介で裕福な家の家庭教師となる。策略によってその豪邸の運転手や家政婦を追い出し、家族全員が代わりの使用人に収まる。
 主人一家が留守の夜、4人が居間で派手に飲み食いしていると、追い出した家政婦が戻ってくる。秘密の地下室で長年夫を匿っていたことから、両家族の争いがおきる。最後は豪邸の庭で、ド派手な修羅場の破局を迎える。』

 策略で使用人を追い出すなど、観る者を感心させるストーリーと、散りばめられたユーモアが絶妙である。正味2時間と少しの間、退屈せず見ることができた。


 物語だから、やや現実離れしている。
 あれだけ機知に富んだ4人家族が、半地下で貧乏生活をしているのは不思議である。 
 さらに、争いや修羅の場面で、容赦なく起こる傷害や殺人が生々しい。ハリウッド映画とは異なり、現実社会のすぐ延長と思うと、目をそむけたくなる。以前TVで観たソン・ガンホ主演の韓国映画も、同じような展開であった(あの時は怪獣であった)。噛みつきブラッシーの試合で卒倒するような人は観ないほうがいい(いつの話だ?)。
 その生々しさが、カンヌ映画祭で『最高賞』を獲得したのだと思う。

 もっとも私が、映画評論などできるわけがない。話半分と思ってほしい。
 私が映画館で映画を観たのは、20年ぶりくらいである。その頃の映画館は2・3本立てで、終わるまで4~5時間かかった(これも古い)。それからはほとんど観ていない。
 
               救命なのか   H28.11.13

 「パラサイト」の上映時間は、2時間以上ある。締め切った映画館の内部は、ウィルスや細菌の巣窟である。その中に新型コロナウィルスがいないはずはない。手すりや座席にはあらゆる細菌やウィルスが付着している。マスクしていても、そんなものでは防げない。無防備な人もたくさんいた。

 平日のお昼なのに、映画館は開始30分ほど前にはすでに50人ほど並んでいた。上映時には満員御礼である。14席×8列で定員112人(1回およそ15万円の売上?)で1日3回行う。劇場を出るとき、すでに次の客が集まっている。この映画館だけで、毎日300人以上集まる。全国では毎日5万人集客する。
 『パラサイト』の人気が高まれば、新型肺炎患者も並行して増えていく。
スポンサーサイト



マスク美人

 街中は9割の美女と、1割の個性あふれる女性たちで賑わっている

 最近外出すると、めっぽう美女を見かけるようになった。
 なぜこんなに綺麗になったのか。
 ほとんどの人がマスクをしているからである。多くの女性が、花粉症と新型コロナ肺炎の流行に乗っかり、これ幸いとマスクをつけ始めた。

 つまり顔に自信のない人は、必ずマスクをつける。マスクをすると、目と眉しか見えない。この部分は、顔面でいちばん修復・造形しやすいところである。半分の手間で、深層の令嬢になれる。
 逆に、顔全体に自信がある人は、マスクをつけず外出してもよい。
 かくして女性の大半は、絶世の美女になってしまったのである。

                マスク美人
 もちろん例外はある。
 10人に一人くらい、マスクでカバーできない人がいる。顔が大きすぎてマスクから大きくはみ出す人。あるいは、目と眉すら修復不可能な人である。そのことを自覚している人は、マスクをつけない。だから、たまにとんでもない顔立ちの女性に出くわす。それはそれで個性的である。
 街中は、9割の美女と1割の個性あふれる女性たちで賑わう。


 夏になり、新型肺炎騒動が終われば、マスクを外すのだろうか。我々は再び、皴だらけのむさ苦しい顔面を見なければならないのか。
 心配無用である。
 そのとき女性はみな日傘をさす。傘の中の女性も、マスク美人に負けないほど美しい。

入管施設の問題

 非情にみえる入管職員の態度こそ、日本だけでなく世界人民を救う

 久しぶりに、「世界」(12月号)を手に取った。図書館で貸与可能なオピニオン誌は、これしか残っていなかったからである。相変わらずこの雑誌には、政権批判と愚痴しか書かれていない。

 特集記事の一つに、日本の入国管理制度があった。
 法務省の入国管理施設(9か所調査)には、2019年6月時点で1,253名収容されている。その2/3は難民申請を行い、不許可になった人たちである。記事には、そこでの刑務所のような、タコ部屋実態が書かれていた。仮釈放もされず長年留め置かれるなど、待遇に文句がある人の言い分である。

 たしかに、個々の例を見れば同情に値する。日本人と結婚し、子供まで設けているのに、一緒に暮らせない。病気になってもまともな治療がなされない。収容者の言い分だけ見れば、非人道的である。
 施設職員に訴えても、上からの指示を言い訳にして、一向に改善されないという。

                牛の歩み

 しかし入管施設の職員は、心を鬼にして苦しい中で頑張っていると思う。個別の事情に配慮し、すべて受け入れてしまったら、それこそ収拾がつかなくなる。世界中の難民が日本に、どっと押し寄せる。難民候補は数億人いる。
 ドイツみたいに、中途半端に受け入れる国があるから世界が混乱するのだ。

 日本政府として、何もしていないわけではない。難民が発生しそうな国には、世界トップクラスの援助を行っている。そもそも各国で、難民発生しないような政治・経済力をつけることのほうがはるかに重要である。できないなら、そこを武力で支配するしかない。
 日本の入管施設では、ギリギリのところで厚遇している。
 
 したがって、一見非情にみえる入管職員の態度が、日本いや世界人民を救っている。
 私達が食べる牛や豚でも、屠殺する人がいなければ肉食文化は生まれない。大むかし、近所の肉屋に繋がれた牛が、悲しそうに泣いていた声が、今でも耳に残っている。
 人に嫌われる職業こそ、人類にとって大きな価値があり、崇高なのである。

日本の男女不平等

 「ジェンダー・ギャップ」は女性をおだて、馬車馬のように働かすための深謀遠慮である

 世界経済フォーラムによる、「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版が発表され、日本は121位であった(調査対象153か国)。昨年の110位を一段と下げた。もちろん、G7では最下位である。(Yahooの「ハフポスト日本版」による)

 この指標は、経済・教育・健康・政治の4分野14項目のデータをもとに、各国の男女の格差を分析したものである。純粋に男女の差だけに着目し、評価をしていることが特徴らしい。

 ここで日本が低い順位にとどまっているのは、経済と政治の分野のスコアが著しく低いからである。
 経済分野の内訳では、収入での男女格差(108位)、管理職ポジション数の男女差(131位)、専門職や技術職の数の男女差(110位)が大きく影響しているという。政治分野でも、日本の衆院議員の女性は、465議席中47人で比率は10.11%。これは、(別の指標だが)193カ国中162位となる。

                蓮如上人 H30.11.25

 しかし「ジェンダー・ギャップ」指標の低さと、男尊女卑とはまったく異なる。
 どう見ても、経済分野の各指標で日本の男の比率が高いのは、女性が男を働かせて左団扇、悠々自適に胡坐をかいているからである。ほとんどの家庭では、夫が汗水たらして働き、妻はパートなどの短時間労働でお茶を濁している。しかも、買い物の主導権はたいてい妻のほうにある。
 夫が稼いでそれを妻が遣う。日本の男は、まさに鵜飼の鵜でしかない。

 日本の政治家も、常にマスコミからぼろくそに言われ、褒められることがない。いつも有権者にペコペコしなければならない。女性の成り手がいないので、しかたなく男が引き受けている。日本で人々が政治家に憧れるようになれば、女性が殺到する。

                怪人

 すなわち、「ジェンダー・ギャップ」とは、女性をおだて上げ、馬車馬のように働かすための深謀遠慮だといえる。じつは欧米ほど、実質には男尊女卑の意識が強い。オブラートに包んだ表現は、「地球温暖化」を問題化することで、後進国のキャッチアップを阻もうとする魂胆と、根は同じである。

 みかけの表現やきれいごとに騙されてはいけない。
 「ジェンダー・ギャップ」ランクが低い日本こそ、世界有数の女性上位国なのである。

モラハラ体験

 多くのハラスメント定義と法制度ができれば、国民はきわめて窮屈になる

 関大のアイススケート部の監督だった織田信成氏が、濱田美栄コーチからモラルハラスメント(モラハラ)を受けたとして、大阪地裁に提訴している。スケーターに対する指導方法などの行き違いから、ハラスメント行為が始まったらしい。織田氏は、精神的苦痛によって1週間入院し、さらにアイスショーも欠場した。5月にはスケートリンクにも入れなくなったという。

 むかしの織田氏は、インタビューのたび泣いてばかりで、ひ弱いイメージしかない。そもそもこんな気の弱い人を、気難しい人の上司に任命したのが、大きな間違いだったのではないか。

 もちろん、すべて程度問題である。モラハラとされたコーチの言い分がないので、何とも言えない。織田氏の訴えに対しては、賛否両論がある。先に言ったもの勝ちではいけない。

               かわらけ

 モラハラは新しい言葉で、言葉や態度で相手を追い詰める行為。「いじめ」を、ハイカラに言い換えたものである。パワハラとは異なり、上下の関係を利用しなくていい。韓国がこれまで、日本に対して行ってきたような嫌がらせである。

 新しい言葉が生まれることで、社会はそれに反応し、対応ができる。織田氏の1件で、モラハラは犯罪となった。追っかけや待ち伏せが、「ストーカー」となり、犯罪になったのと同じ。あるいは、発達障害という言葉が一般的になることで、病気と認められるようになった。

 そもそもモラハラは、人と交わるすべての人が体験する。私も数えきれないほど経験した。たとえば、ある工場責任者に任命されたとき。現場職長からのあいさつ無視はもとより、指示と反対の行動をとられたこともある。勝手に材料発注を行って在庫を増やすなど、目に余る行為を行った。立場によって、このようなことは必ず起こる。40代で町内会長になったときも、毎年のようにモラハラを受けた。

 つまり経験のない無能上司が上に立てば、だれでも反抗したい。私も逆の立場に立てば、上司にモラハラ的行動をする。モラハラという言葉がなかったときは、当たり前であった。うまくいなすのがテクニックだと思っていた。なんでもモラハラだといったら、仕事も遊びもできない。
                飲むイヌ

 まもなく酒の席で、アルハラ(アルコールハラスメント)という言葉が一般的になる。酒を飲ませて泥酔させる行為である。迷惑だし、世の中の生産性を阻害する。これからは、アルハラやモラハラで裁判所が繁盛する。ややこしい法制度が山ほどでき、国民は窮屈でまともに生きていけなくなる。だから麻薬がなくならないのである。

冬タイヤ交換

 自分でタイヤ交換すれば、ムダは発生しないし全身運動にもなる

 昨日、新車を買ったディーラーで冬タイヤを購入し、ついでに交換してもらった。これで完全にディーラーの囲い込みに嵌った。
これまで40年以上年2回、自力で交換していた。タイヤの取扱いやジャッキアップ、取り外しとセッティング、ボルト締めなど、結構な体力を使っていた。昨日はそれが無くなって、ウソのように楽になった。

 だができれば、タイヤ交換は自分でしたほうがいい。
 今回、ディーラーでのタイヤ交換には、事前の待ち時間と支払い手続きを含め、1時間はかかった。ディーラーまでの往復移動時間を入れると、1.5時間である。作業者は新人といえ、リフトやねじ締め機など使っていたはずなのに、これでは自分がやるより長い。

 作業者がタイヤ交換している間、ボーッと見ているだけである。他にも座って待っているだけの人がいっぱいいた。ディラーには、周辺の間接人員がたくさんいる。自分でタイヤ交換すれば、こんな無駄は発生しないし、全身の運動になる(もっともそれでは、一向にGDPは増えないが)。

                危険な赤い車
 
 じつは今回、自分でタイヤ交換しなかったのは、深刻な理由があった。
 1週間前から、右側の肋骨が痛い。何かにぶつけたか、捻ったのかもしれない。泥酔してよく覚えていないのは不覚であった。「酒に飲まれるな」は、自分の意思でできることではない。
 それより、なぜ痛いのか。すぐ直ると思ったのに、日を追うごとに痛くなる。痛みは背中まで広がってきた。肋間神経痛という病気がある。原因がわからない。死ぬのはいいが、痛いのは勘弁してほしい。

ホームレス救済

 災害時に自分ひとりの対策くらいできなかったら、ホームレスになる資格などない

 東京都の多摩川河川敷で14日午後、ホームレス男性の遺体が見つかった。台風19号の影響で増水した川に流され、そのまま死亡したらしい。

 それに先立って、台風が首都圏を直撃した12日の夜、台東区の自主避難所では、訪れたホームレスの男性2人の利用を断ったという。ホームレス氏が「住所は北海道にある」と説明したところ、「都民のための避難所だ」と断られたそうだ。そのあと強い風雨の中、彼らは建物の軒下でビニール傘を広げ、一晩を過ごしたらしい。
 台東区以外では、住民かどうかに関わらず、受け入れていたところもあったらしい。安倍首相も、「すべての被災者を受け入れることが望ましい」と述べている。

                雨の覗き H28.8.01

 難しいところである。避難している住民の立場なら、目の前に臭くてむさ苦しい男が一晩もいたら、「健康で文化的な最低限度の生活」を破壊される。そうかといって、無下に追い払ったら、冒頭で挙げたように、自ら死を選ぶかもしれない。「人道的」な観点から、台東区のやり方を批判するコメントも多い。賛否両論あるのは当然である。


 それでも後知恵ながら、ホームレスと言えど、災害への対策は行っておくべきであった。ブルーシートが吹き飛ばされても、暴風に耐えるテントならいくらでもある。ホームレス仲間のつてさえあれば、格安で手に入る。買えなければ作ればいい。それを建物の陰にでも張れば極楽である。
 あるいは避難所に入ろうとするなら、前もって風呂に入って、小ざっぱりした服装をしておくべきである。いくら人道的な避難担当者でも、垢まみれ悪臭プンプン男を入れたら、袋叩きに合う。素性がわからない人は、何をするかわからない。


 もっともホームレスになる人は、最初から行政の世話になどなりたくない。すべてのしがらみを捨て、社会の片隅で生きていくことを望んでいる。むしろ、あくせくしている我々にとって、羨ましい存在である。かれらは台風がきても、自分のことだけ考えればいい。それなら、災害時の対処くらい簡単にできるはず。できないのなら、ホームレスになる資格などない。

表現の不自由展

 再開するなら、昭和天皇を侮辱する映像と一緒に、作者への死刑宣告文を展示すべき

 あいちトリエンナーレ2019で、不適切な像を展示し中止していた「表現の不自由展・その後」が、性懲りもなく、今月6日にも再開する方針を固めたという。こんどは事前予約制を導入し、整理券を配布するなどの対策を講じるらしい。愛知県知事(高見盛の兄弟?)は、「会期末(14日)まであと2週間なので、誠意をもって関係者と具体的な協議を進める」と強調。再開時の混乱を防ぐため「作品の趣旨をしっかり説明し、見せ方も工夫したい」と述べた。

 こんどはどのような展示になるのかわからない。だが再開するとなれば、同じものが展示されるはず。あれほど展示物の問題が周知されたあとなので、さらに過激な脅迫が予想される。実力行使に備えた厳重警備は必須である。日本には決死のネトウヨ老人が多く、何が起こるかわからない。

           飛躍 私たちは幸せでした

 どうしたらいいか。
 過激犯が現れる前に、ガス抜きを行う。
 見せ方に工夫を凝らし、見学者も展示に参加させるのである。(ハイレベルとは思えない)出品者の主張だけ、一方的に展示するのは不公平である。広く一般にも参加の機会を与え、展示物作品を「改善」してもらう。ガソリンぶっかけOKにする。破壊こそ自然な意思表示である(芸術は爆発だ)。できないなら、それこそ「表現の不自由展」とする。

 あるいは日本人のセンスを生かし、しゃれたパロディにしたらどうか。追加展示や落書きを自由にする。旭日旗を纏わせたり、メッセージを込めたプラカードを下げるなど。寂しそうな少女像を賑やかにするアイデアは、いくらでもあるはずである。見る人の継続的な改善によって、歴史に残る作品に仕上がる。この際、同一性保持権などという既得権益は排除すべきだ。

              雷神 R1.9.07

 昭和天皇肖像を破壊した映像の横には、作者への死刑宣告文を展示する。これぞ芸術作品である。
 イスラムのムハンマドを揶揄した作家に死刑判決が下され、関係した者が数名殺害されたことがあった。翻訳した日本人も殺された。同じように、昭和天皇の肖像を燃やしその灰を足蹴にする動画を製作、及び展示したものは、極刑に処すべきである。
 日本人にとって天皇は神であり、神の世界は法の外にある。

これでは格差をなくせない

 清貧は悪である。お金持ちは、持っているお金を有意義に遣い果たす義務がある

 先日のNEWS23では、三重県のある限界集落の一角に、高額な寿司を提供するサービスがあることを紹介していた。入会金250万円で年会費36万円。都会からヘリコプターでお客を運ぶ。もちろん寿司ネタは、お店周辺の養殖あるいは近隣の海で取れた新鮮なものである。ヘリを活用することによって、最高のネタを一番おいしいときに食べられる。

 放送では嫌味にも、日本人の2割が年200万円以下の収入しかないことを強調。寿司屋の入会費250万円と比較していた。さらにこの限界集落に住む、国民年金生活者の婆さんがつくる手作り寿司との対比が、いかにもあてつけがましい。
 高額寿司のサービスを受けるお客が、淡々とインタビューされていたのにも驚いた。まさかこんな悪意を持った放送企画とは思わなかったに違いない。

 このように日本では、お金持ちが高額な消費をすることが、あたかも悪いことのように思われている。むかし行政改革のとき、経団連会長の土光氏は「めざし」の粗食で人望を集めていたのを思い出す。

              貧困女性 

 しかしこのことが、日本商品全体のブランド価値を毀損していることに、なぜ気が付かないのであろうか。日本人がいくら働いてもわずかな収入しか得られず、経済が低迷しているのは、贅沢を敵とみなす日本人の感情が、大きな要因なのである。

 金持ちは貧乏人の暮らしをすればいいのではない。富裕層が富裕層らしい豊かな暮らしをすることで、日本全体が豊かになる。お金持ちが、国内で高額消費をすれば、その商品やサービスに磨きがかかる。同時に生産者が潤い、高額消費の循環がはじまる。
 金持ちは、持っているお金を有意義に遣い果たす義務があるのだ。

 例えば250万円高級寿司屋のお客が増えれば、まずこの寿司屋が大金持ちになる。つぎに寿司ネタを提供する漁師、漁具を作る会社、ヘリコプター企業、お店を建てる建築会社や調度品会社。そして、限界集落で年金暮らしの婆さんにも、女給やアテンダントとしてお呼びがかかる。お金持ちがお金を遣えば遣うほど、周囲が金持ちになっていく。高級クラブのホステスが、お客より羽振りがいいのは珍しいことではない。吉原花魁や従軍慰安婦も同じである。


 もちろん、お金もちになった漁師や職人、婆さんホステスは、その報酬に恥ずかしくない仕事をしなければならない。80才の女性でも、化粧や整形で十分修復できる。彼女の手作りちらし寿司も10万円で売れる。そうやって、日本中の製品やサービスのブランド価値が向上していく。これまで1000円でしか売れなかったものが、10000円で売れるようになる。その価値が世界に認められることで、一気に日本は豊かになる。これが本来の生産性向上である。
 30年前に崩壊したバブルがあと10年続いていたら、日本企業のブランド価値は格段に上がっていた。

                飲むイヌ

 5000円飲み放題の宴会ばかりしている人には、高級酒の味は永遠にわからない。私のように清貧な人たちが増えれば、高額ブランド品は一部富裕層の独占になってしまう。清貧は悪である。

 また高額収入をもたらすブランド価値は、厚かましさと一体である。
 まずは、仕事の報酬請求を倍にしよう。

愛知展示物の除去

 一方的な嫌がらせ展示ではなく、観客参加の自由な表現芸術にすべきだった

 名古屋で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が物議を醸し、中止に追い込まれたという。
 この企画展では、慰安婦少女像や昭和天皇が燃えあがる映像作品などを展示していた。じつは、私が名古屋で研修を受けているとき、家内がこの展示を見て衝撃を受けていた。普通に考えれば、これらを日本の公共の場所で公開するのは、どうみてもやりすぎである。芸術祭の実行委会長を務める大村秀章愛知県知事は、テロ予告や脅迫など抗議の電話やファクスが相次いだため中止すると発表した。

 この展示中止に対し、企画展の実行委員会メンバーや市民団体は、「戦後最大の検閲」、「表現の自由の弾圧」として、抗議を行っている。左翼メディアも、この中止に対し否定的な見解を示している。
 私自身も、いくら脅迫があったとはいえ、一方的な展示物の除去は問題があると思う。いくらなんでも、日本でこのような展示がなされれば、過激な脅迫があるのを覚悟しない方がおかしい。脅迫のせいにして展示を中止し、「表現の自由の喪失」とか「検閲」などと、被害者ヅラするのは虫唾が走る。中止にして、わざと騒動を大きくしたとしか考えられない。

 これまで、百田尚樹氏や桜井よし子氏などの講演会が、過激派の強迫で中止になったこともあった。今年は丸山議員が、戦争発言のため、国会辞職勧告まで追い込まれた。まちがいなくこれらも表現の自由の侵害であった。(個人のセキュリテイの問題もあって)前2者は脅迫に屈し、丸山氏はボロボロになっても権利を貫いている。

              私たちは幸せでした
 ではどうすればよかったのか。
 そもそも今回の展示は、「表現の不自由展・その後」というタイトルにあるように、単なる不適切品の展示ではない。少女像や昭和天皇を燃やす映像は、日本に対する嫌がらせや侮蔑の象徴であって、それ以外の何物でもない。まさに政治的プロパガンダである。イスラエル国会前でのナチズム礼賛、イスラム教徒に向けてムハンマド侮辱、韓国青瓦台でライダハンの像を展示するのと同じである。だから日本では、これまで表現できなかった。それをあえて展示したのである。

 したがって、メッセージなしにこれらを展示するのは一方的すぎる。これまで問題があってできなかった展示を行うのだから、ひと工夫もふた工夫もなければならなかった。
 たとえば、観客との合作である。
 展示物を見る人たちに、自由に改変してもらうのである。もし破壊されるなら、それでいい。ガソリンぶっかけOKにする。破壊こそ自然な意思表示で、それも表現の自由ではないか。できないのなら、それこそ「表現の不自由」である。・・芸術は爆発だ!?

 そこまでいかなくても、日本人のセンスを生かし、しゃれたパロディにしたらどうか。いわゆる傾聴(ダイアログ)の考え方で、他の意見を広げていくやり方である。かって、日本鬼子をアニメの萌えキャラにした例がある。私なら、「少女像」を破壊などしない。像の前後に表示板をぶら下げる。そこに「日本の兵隊さんありがとう」、「わたしは幸せでした」、「集りの売春婦を許してください」などと書く。逆恨みされるより感謝される方が好ましいし、みなが幸せになる。少女に袋をかぶせるより平和的である。
 今回の展示で面白いアイデアを集めてブレイクさせ、日本への嫌がらせを萌え殺したい。

豚コレラと殺処分

 ブタを平気で差別するから、人間に対する差別が無くならない

 先日、福井の養豚場で豚コレラに罹患したブタが発見され、同じ養豚所のブタ300頭余りが殺処分された。すでに日本国内では、12万6000頭が同じ目に遭っている。かって口蹄疫が流行ったときも、日本中で30~50万頭のブタが殺された。あの時は数十万頭の牛も殺戮されている。

 韓国で大量生き埋めにされたブタの映像を見ると、この世の地獄である(日本における映像は公開されていない)。今のところ、有効な治療薬はなく、放っておけば感染が広がる。殺処分はやむを得ないのかもしれない。

                ブタ

 だが殺されたのは、病気に罹ったブタや牛だけでない。同じ施設にいたすべてである。疑いだけで、一方的に殺される。これは、ブタに対する深刻な差別である。ナチのユダヤ人収容所を彷彿とさせる。どのような動物にも魂がある。日本人は、クジラを食べるにも、欧米人のように、やみくもに殺さないのではなかったのか。

 そもそも豚コレラにしろ口蹄疫でも、人には感染しない。
 長生きの人間をさらに長生きさせるより、ブタの伝染病を治療するほうに、もっと力を注いだらどうか。殺してしまうから、まともに治療薬もできない。そんな声が、ほとんど聞こえてこない。

                 説教

 もちろん、人間に対する差別もまだまだ無くなってはいない。
 ハンセン病(先日、国が患者に陳謝)は、末梢神経と皮膚に病変を起こし、患者・回復者への偏見や差別に、長い歴史がある。これは国の責任というより、偏見を助長したマスコミや国民全員の責任である。科学的に感染のリスクはないことがわかっても、差別は続いていた。

 差別と偏見は、ハンセン病だけではない。やや下火になってきたが、エイズや血友病がある。さらに依然として、放射線に対する偏見は大きい。ほとんどの人が内包している甲状腺がんを、原発事故の影響だと言い張る人がまだいる。
 ブタを平気で差別するから、人間や物質に対する差別が無くならないのである。

オレオレ募金

 どこまでが詐欺でなにが善意の寄付なのか、有耶無耶にするところが上手い

 今年は久しぶりに、自治会の役についた。自治会長を勘弁してもらい、比較的「閑職」の会計係になった。この係は、自治会長ほど頻繁に出歩かなくてもいいが、お金の出し入れがこまごまと煩わしい。

 まず宝永地区や町内への分担金支払い、それにわれわれが氏子になっている神明神社への寄付金や分担金である。それに加え、赤十字や緑の羽根、自衛隊、招魂社などから、つぎつぎと寄付金の要求が舞い込んでくる。
 地域自治会への分担金は、自治会長の出席した総会などで承認されたものだから、不本意でも払わざるを得ない。氏子負担金も、近くの神社だけに無下にするわけにいかない。

                タヌキの金玉

 問題は慣例となっている、赤十字や緑の羽根、その他よくわからない団体への寄付金である。嫌ではないが、毎年当たり前のように請求してくるのは、いかにも理不尽である。世の中には、ユニセフや温暖化防止委員会、原発推進協議会、技術士会、診断士協会など、寄付したい団体は有象無象にある。なぜ押しつけで、特定の団体へ寄付しなければならないのか。金持ちも貧乏人も平等に毟られるのはFITと同じで、消費税より性質が悪い。
 これは形を変えた振り込め詐欺のようなものである。もちろん法的な義務はまったくない。だから私が自治会長のときは、ほとんど握りつぶしていた。

 ただほとんどの自治会長は、要求があったら「素直」に支払っている。それが付け目なのであろう。金額は少なくても、このやり方はオレオレ詐欺そのものではないか。むしろ少ない金額でも広範囲で寄付を呼びかければ、大金が集まる。金額が少ないだけに、わざわざ被害届を出すところはない。
 なにか大義名分をつけて、社団法人を名乗り全国の自治体に寄付を呼びかける。どこまでが詐欺でなにが善意の寄付なのか、有耶無耶にするところが上手い。

               金は天下の廻りもの H27.9.26

 そもそも、合法・非合法を問わず、平均の5倍以上金を集めた人は悪徳人である。たいていの場合、なにか価値を生み出したというより、法の網をくぐり世の中の仕組みをうまく利用しただけである。
 いま忌み嫌われているオレオレ詐欺犯は、金持ちから金を吐き出させる適法なビジネスモデルに移行して欲しい。これは儲けすぎなければ、世の中の富を均等化するという大きな意味がある。日本経済の活性化は、金持ちをますます富ませようとする日本政府より、つぎつぎ新しい手口を考え出す、知恵者のオレオレ詐欺犯に期待しよう。

せん妄被害

 舐められ「事件」が大騒ぎになるほど日本は平和なのである

 乳がんを手術したあと女性の胸を舐めたとして、医師が訴えられたことがあった。結局裁判では、その女性が「せん妄」状態だったとして、医師に無罪判決が言い渡された。そのときは、こんなことでは医師の仕事はできないと、女性に非難が集中していた。

 ほんとのことは誰もわからない。「せん妄」といわれた女性はもとより、胸を舐めたという医者ですら、覚えていないであろう。ほんとだったとしても、ここまで叩かれたら、記憶に残したくなくなる。したがって、事実は「藪の中」である。
 
                タコ 2匹 

 しかし、胸に唾液をつけることで、医師がどんな不当利益を得たのか。胸を舐めるとそれほどいい思いをするのか。クロだとしたら、どのような罪になるのか。

 そもそもこの事件の「被害」はなにか。女性が胸を舐められ、いやな思いをしたことであろうか。人の唾液よりもっと汚いものは山ほどある。高齢者の糞便世話のほうがよほど汚らわしい。
 私なら胸くらい舐められても、訴えたりしない。もっと大事なところを舐められても同じである(食いちぎられたら話は違う)。男性と女性が違うというのなら、それこそ差別である。女性なら、どんな些細なことも保護されるのはおかしい。
 このような「事件」が大騒ぎになるほど、日本は平和なのである。


 たぶん現代では、これこそが妄言である。
 私のような正直者の時代錯誤じじいは、そのうち人権民衆から袋叩きに遭う。

カスハラ問題

 「カスハラ」が社会問題になっていくと、またその反動が起こる

 カスタマーハラスメント、いわゆる「カスハラ」が問題になっている。
 コンビニなどの店舗や飲食店などで気に食わないことがあると、「土下座しろ」「家まで謝りに来い」などお客の立場を利用した嫌がらせを行う。暴言や恫喝だけでなく、長時間の拘束や賠償金の請求、支払い拒否など理不尽な要求をする場合もある。

 ひところの「顧客満足経営」が日本中にいきわたり、「おもてなし」が当たり前になってくると、必ずその反動による行き過ぎが出てくる。明確な統計はないが、不断虐げられている人が「カスハラ」の加害者になりやすい。負の連鎖が起こりつつある。

              罰ゲーム

 例えば、わざわざ公開講座を聴きに行き、その内容が気に食わない、セクハラだと訴える人まで出てきた。原告である女性は、精神的苦痛を受けたとして、講座を運営する学校法人を相手取り、慰謝料など計約333万円の支払いをもとめる訴訟を起こしたという。
 講義がひどいと思ったら、聞かなければいいし退席も自由である。そもそも講師の会田誠氏は、その手のきわどい話で有名らしい。そんなことも知らず、行き当たりばったりで受講するほうがどうかしている。まさに新手の当たり屋である。むかしから「カスハラ」は、強請の定石であった。

 カスハラとは微妙に異なるが、先日は自衛隊募集のポスターのデザインに文句を言う輩も出てきた。女性キャラクターのスカートから、下着のようなものがチラリ見えるため、「セクハラではないか」と声が上がっている。
 こんなものを問題にするなら、女子フィギュアスケートやテニスのほうがひどい。あれは下手すると、尻の割れ目まで見える。しかもアニメでなく、生身の実物である。

 すなわち「カスハラ」は、ポリティカル・コレクトネス(潔癖症)の一種で、現代人の多くが罹る病気である。「カスハラ」が社会問題になっていくと、またその反動が起こる。今度は店員が客をいじめる「セルハラ」が問題になるであろう。

イノベーションは絶対か

 100倍のリターンを得るには、大勢の生き血を吸い上げる必要がある

 たとえば、ある事業企画があったとしよう。
①成功すれば100倍のリターンが得られるが、成功の確率が10%しかない案件
②成功しても2倍のリターンしか得られないが、成功の確立は90%以上の案件

 単純に考えれば、①は差し引き10倍のリターンになる。それに対し②は、1.8倍のリターンしか得られない。だが日本の企業では、なかなか①は採用されない。①と②のどちらかを選択する経営会議があれば、間違いなく②が推奨される。
 これが、中国やアメリカの先進的な企業なら、間違いなく①が選ばれる。だから日本企業はイノベーションができないとされてきた。現代では、失敗を恐れずチャレンジするイノベーション企業や起業家が推奨されている。

                正面マグロ

 しかしこれは、なにも日本人が計算に疎いからではない。①において、成功の確率10%が正しいかどうか、100倍のリターンが得られるかの証明が、誰にもできないからである。ほんとは10%でなく1%かも知れないし、0.1%の可能性もある。100倍のリタ-ンも、たいてい大風呂敷であろう。
 律儀な日本人は、いい加減な話に乗って責任をとりたくないのである。
 それに対して②のように、ほぼ成功するなら、なにも2倍のリターンは必要ない。それに、責任問題が発生する可能性は低い。


 さらにわずかなチャンスで大儲けできるということは、ほんの一部の大金もちと、その他大勢の貧乏人が発生する。これは我々の思いとは合わないし、一部の運のいい人が恨まれる。成功した人にとっても、まいにち藁人形で祟られるのは、気持ちのいいものではない。
 宝くじの場合一等なら、1000万分の1の確率で、だれか確実に当たる。それに10億円に当選しても、誰にもわからない。宝くじの当選者を公表するなら、購入者はもっと減るだろう。
 ゴーン氏が法に背いてまで、自らの所得を少なく見せようとした意味も分かる。


 したがって、①のように大きなリスクで莫大なリターンをとっても、世の中が幸せになることはない。100倍のリターンを得るには、運の悪い大勢の人をつくらねばならないからである。
 中国とアメリカを抹殺し、一攫千金より、持続可能な生き方のできる世界に戻りたいと思う。

南青山児童相談所

 日本が良識あるまともな国なら、反対のゴタゴタこそ南青山のブランド価値や地価を下げる

 南青山における児童相談所建設について、住民説明会が反対意見で紛糾したことが、ワイドショーなどで話題になっている。この施設は、南青山の国有地を港区が買い取り、虐待児童の相談やDV被害者を一時宿泊させたり、軽犯罪を犯した子供たちを保護するものである。

 普通に考えれば、100億円も投じて、こんな施設をつくる必要があるかどうかが問われる(F35戦闘機を1機買える)。だが、住民の反対理由はそんなことではない。「自分たちの住んでいる一等地の南青山には来てほしくない」ということであった。まさにNINBYである。住民は施設の必要性は認めているという。

 その具体的な反対理由がふるっている。
 「この地域のランチ単価がいくらか知っていますか(=貧乏人は払えないだろう)」、
 「(自分たちのような)レベルの高い子供と交われば、貧しい子供が卑屈な思いをする」
 「おしゃれなまちとのギャップに、施設の子供たちはついてこれない」
 「南青山の地価が下がる」
 など、如何に自分たちが「セレブ」か、ということをアピールしていた。これで日本中があきれ返ってしまった。

              綱引きは体格差 H30.5.20

 普通なら(いくら心のなかでは思っていても)、そんな差別的な言葉を発することなどありえない。冗談ならともかく、それを臆面なく真剣に言うところが「平民」とずれている。
 おそらく日本中でしばらく、これらの発言は面白おかしく取り上げられるであろう。昨年の「このハゲー!」に代わり、忘・新年会で盛り上がること請け合いだ。庶民とかけ離れた、特権意識の塊のような言葉は、ドラマ「下町ロケット」の見すぎではないか。発言のいくつかは、流行語大賞にノミネートされると思う。

 たぶんあんな反対理由を言う人は、南青山住人のほんの一部である。大多数はこの発言を恥ずかしく思っているに違いない。そしてこのゴタゴタが全国に広まったおかげで、住人の思いとは裏腹に、南青山のブランド価値は地に落ちてしまった。地価も下がるであろう。そうでなければ、日本は良識ある国と言えない。

生産性なきLGBT論争

 廃刊は、言論で理論の質を高めていくという、生産性向上の機会を奪ってしまった

 新潮45廃刊のきっかけとなった、10月号の記事「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を一通り読んだ。藤岡信勝氏や八幡和郎氏など、そうそうたる保守論客7名が筆を連ねていた。とくに問題となったのは、小川栄太郎氏の「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」である。

 小川氏は、その論文の中で、以下のように述べている。
≪LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう。(サドとマゾと尻フェチと痴漢)・・・・中略
 満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症状群の男の困苦こそ極めて根深かろう。(中略)彼らの触る権利を社会は保障すべきではないのか。…略≫
 たしかに、P・C(ポリティカル・コレクトネス)という病魔に取りつかれ、思考能力の無くなった人たちにとっては、びっくりするような言葉が並んでいる。

                無題

 だが、LGBTの概念を水平展開していけば、必ずこの小川氏記述のくだりに到達する。さらには、殺人の正当性云々にまで行きつくはずである。なぜ人を殺してはいけないのか、いまだに明確な答えを聞いたことがない。

 つまり宇宙に存在するすべては、量子学的に不確実なものである。LGBTという概念、LでもGでもいいが、それも単なる仮説の概念である。絶対的にそんなものがあるわけではない。世の中は『空即是色』、『色即是空』である。
 したがって、本格的にLGBTを論じる場合には、類似と思われるものを合わせ検討しなければならない。LGBTだけを特定するのは、それこそ浅はかである。浅はかな人の狂乱的バッシングほど、生産性のないものはない(ややこしいことを言わなくても、小川氏の言いたいことは、「LGBTを嫌う権利があってもいい」ということで、なにも目クジラ立てるほどのことはない)。

 そして新潮45社長の論理的思考能力の無さ、及びP・C患者からの言論圧力に屈する弱さが、『廃刊』というとんでもない事態を招いてしまった。もともと赤字だった事業をやめたのであろうが、いかにもタイミングが悪かった。どう見ても言論弾圧に屈したようにしか見えないからである。それこそ言論のやり取りを通して理論の質を高めていくという、生産性向上の機会を奪ってしまったのである。

                多面仏

 ただ、このような生産性のない理不尽なバッシングは、これからも起こる。なぜなら、橘玲氏が「NEWSポストセブン」記事で言っていたように、「世の中には『簡単なこと』ができない人たちで溢れている」からである。つまりOECDの「国際成人力調査」での読解力や数的思考能力において、きわめて簡単な問いにすら答えることのできない人が、世の中に80~90%もいるということが判明したのである。いわばサルと論争するようなものであった。

技能実習生

 いくらでもいる高等遊民ジジイを再教育すれば、日本の労働力は不足しない

 山口県にある日立製作所笠戸事業所で、フィリピン人技能実習生20人が実習途中に解雇を通告され、さらに別のフィリピン人実習生20人も解雇するらしい。国の監督機関「外国人技能実習機構」から、実習生に目的の技能を学べない作業をさせているため、2年目以降の実習計画の認定を受けられず、実習生として在留期限を迎えるからだという。


 もともと雇用する側は、日本では採用できない労働者が欲しく、実習生側は単に日本で働いて短期で金を作るか、日本に居住する権利が欲しいだけである。技能習得して母国に帰って役に立てようとする人はあまりいない。
 だから技能実習生の制度を、曖昧なままで運用されて来たのが問題であった。企業と斡旋した仲介業者が利益を享受しただけにすぎない。厳格に適用しようとすると、必ずこうなる。

 それに、仕事を行うなかで、何が実習でなにがそうでないかを決めるのは難しい。いくら、ラインでの単純労働であっても、実際に働いて得ることはある。どんな現場でも改善の余地はいくらでもある。本人がそう思うかどうかである。
 それに1年や3年で、仕事や経営の神髄を極めようとすることなどできるはずがない。

            妖しい花弁

 ここで多くの誤解はあるが、外国人実習生は、安く使えるから採用するのではない。そもそも日本では、工場で働く人がいない。不景気で人余りの時代でもその傾向があったし、人手不足の現代ではなおさらである。地方の製造業では、実習だろうがなんだろうが、まともに働いてくれる労働者が欲しいのである。
 そうかといって、日本にこれ以上、外国人労働者は増やしたくない。

 ではどうしたらいいか。
 いくらでもいる年金受給の高齢者を引っ張り出す。90~100才でも、その気になれば働くことは充分可能である。

 ただ企業側が労働者を雇う場合、ジジイを毛嫌いする。こまごました仕事ができないくせに、文句ばかりつけるからである。その点ババアなら、気くばりはできるし接客もうまい。ここでもジジイは、ろくでもない存在に成り果てているのである。
 そのジジイを再教育する。再教育の場として、ジジイの決死隊は最適である。

LGBT論争続く

 他人のアホバカ呼ばわり記事を連載する新潮45が、こんなことで叩かれるのはおかしい

 新潮6月号の水田氏の記事に対する反論、擁護論がいまだに渦巻いている。きっかけは、水田氏の「LGBTは生産性がない」という、たった一言であった。いっとき続いた杉田バッシングが治まったかと思ったら、10月号で杉田発言を擁護した特集を出したとたん、また燃え上がった。

 5体不満足の乙武氏が杉田発言にブチ切れ、レスビアンをカミングアウトした同志社大の教授は、「彼女を国会議員として当選させている日本の政治、社会の問題なのだと言いたい」と、息巻いている。10月号をめぐっては、新潮社内部でも揉めているらしい。

            巨大ケルン

 しかしどう考えても、これは現代社会の被害者ビジネスである。
 被害者でもないLGBT(というよりその周り)が、傷ついたと大騒ぎしているだけで、いったい、誰にどんな実害があるのか。強いて言えば、杉田氏をバッシングしている人たちに、「自己満足」という利益があるだけである。

 LGBTに生産性がないのは、生物学的に当たり前のことである。だれも生産性がないことを非難していない。いちばん生産性がないのはわれわれ男性である。いくら頑張っても、子供を産むことができない。「生産性」をあげようとして、女性に手を出せばセクハラだと騒がれ、強姦罪は極刑を要求されるようになった。
 
 他人をアホバカ呼ばわりする記事を連載していた新潮45が、この程度のことで叩かれるのは、いかに日本の論壇が偏向しているかという証拠である。

体操宮川選手への体罰

 立小便で死刑になるような、ばかばかしいことはこれかぎりにしたい

 日本体操協会が、体操の宮川選手のコーチを体罰の疑いで追放したことに対し、宮川選手が記者会見で反論。それについて本部長やら協会がコメントし、またややこしいことになっている。
 会見で宮川選手は、「コーチから受けた体罰はパワハラと感じていない。むしろ塚原強化本部長から、(本部長のいる)朝日クラブに来ないとオリンピックに出られない、と恫喝に近いパワハラを受けた」と述べた。件の塚原(千恵子)本部長は「宮川選手の言っていることはウソかカン違い」と、反論している。

 若くて初々しい宮川選手にはOBや世間から大きな同情が集まっている。あまり美人でないのも好感が持てる。一方の塚原夫妻への風当たりは強い。いかにも悪代官と強欲やり手婆の風貌だからであろう。世間は見てくれで判断するから、最初から勝負はついている。だが真相はヤブの中である。

              罰ゲーム

 ところで事の発端は、宮川選手のコーチである速水氏が、宮川選手に体罰を加えたとされたことである。立たせたり叩いたりするのは、客観的には体罰かもしれない。体罰厳禁主義に凝り固まっているポリティカル・コレクトネス患者にとっては、涎の出そうな案件である。さっそく速水コーチに対し、無期限追放という。信じられない処罰が下されてしまった。

 だが体罰といっても、その前提と内容は千差万別である。人が崖から飛び降りようとしているときは、暴力を使ってでも止める。刃物や拳銃を振り回す危険な行為や、子供を殺そうとしている輩には、言葉での説得が利くとは思えない。体罰がいちばんである。そこまでいかなくても、体罰を欲する趣味の人もいる。LGBTと同じで差別はいけない。
 だから、すべての体罰はいけないと言って、味噌も糞も一緒くたにするのは、思考能力のないぼんくらである。
 それに速水コーチの体罰や暴言が、周囲に人がいる中で行われたなら、迷惑したのは周囲の人である。マゾ気味の宮川選手ではない。普通は、近くで怒鳴り声を聞いて気分がいいはずはない。これでまた話はややこしくなる。

 それでもこの「事件」をきっかけに、これまで有無を言わさず、「体罰は悪」と決めつけていたポリティカル・コレクトネス患者には、再考を求めたい。宮川選手の「私はコーチの体罰は、パワハラと思っていない」という発言を聞いて、極端からの揺り戻しがはじまるのではないか。いくらなんでも、立小便で死刑になるような、ばかばかしいことはこれきりにしたい。

 体罰イコール悪という、0か1かの単純な思考回路は、すべてにゼロリスクを求める放射脳患者の脳構造とまったく同じなのである。