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BCPから事業継続力強化へ

 普及のため、膨大なBCP文書をつくらなくていいことが、今回の見直しの狙いである

 先週、中小企業庁主催「事業継続力強化」についての、指導人材向け研修会に参加した。
 吃驚したのは、こんどの中小企業強靭化法による「事業継続力強化計画」は、これまでのBCPとは、大きく異なっていることである。うすうすわかっていたが、国がここまで踏み込むとは思わなかった。

 もともとBCPは、地震などの自然災害、テロや戦争、鳥インフルエンザなど、あらゆる異常事態が発生したとき、被害をこうむった企業が、できるだけ短期間で再開できるように作成する計画のことである。これまで経産省の肝いりで、企業はBCP策定を推進してきた。国はその策定率の向上を目標としていた。

 この従来BCPの内容は、おおまかに①想定される災害を挙げる、②自社の存続にかかわる重要業務を決める、③重要業務を復旧される目標時間を設定する、④復旧のための資源を特定する、⑤対策や代替手段、⑤資金調達計画、⑥勤務体制の予定、⑦情報収集・発信法、⑧訓練・・・などで構成される。

 これに対応するため、多くの大手・中堅企業では、専任部署とコンサルタントが、何年もかけて各部門ごと膨大なBCP文書を作成し、担当者が手間をかけてメンテナンスを行ってきた。これまで、16%を超える企業が何らかのBCPを策定してきたという。
 そして、このBCPが導入されてからも日本は、東北関東大震災をはじめとして、いくつもの災害に見舞われてきた。そのたび地域の企業は大変な被害を被り、そのなかで再建した企業はたくさんある。

                台風24号 H30.9.29

 しかし、現実の災害現場における被災の状況、企業ごとの復旧の実態把握を重ねるうち、従来のBCPの有効性についての疑問が生じてきていた。ほんとにBCPは役立ったのかどうかである。そのため経産省では、昨年からBCPについての検証会が行われてきた。
 その結果、これまでのBCPは有効でないと結論付けたらしい。

 つまり、いくらBCPを策定してあっても、現実に災害が起こったとき、それに頼った企業はほとんどなかったという。多くの企業では、BCP文書作成やメンテナンスなどの負担が大きく、連絡先リストなどを除き、更新・改善はほとんど行われていない。企業内で、BCPの存在も希薄になってきていた。そもそもBCP構築企業でも、自社のBCPがあることを知らない人が多い。これではBCPの意味が無い。

 そこで、従来目標としていた企業のBCPの策定率向上を、今後棚上げすることになった。これまでBCPを策定してきた16%強の企業や支援コンサルタントは、ここでいきなり、梯子を外されてしまったのである。

 研修会の翌日、このことをある大手企業の子会社役員の方に説明したところ、「国も、ようやくそのことに気が付いたのか」と、喜んでいた。この会社も、親会社に要求されて分厚いBCP文書を作成していたが、その維持に苦労していたのだと言う。

                文書作成
 では今後どうするのか。
 いくらBCPが役立たずといっても、災害が起こったとき何の準備もなければ困る。
 そこで中小企業庁は、BCPを簡素化した「事業継続力強化計画に係る認定申請書」という、数ページの申請フォーマットを公開し、中小企業が事業継続力の強化に取り組めるよう「指導」を始めている。従来のBCPと大きく異なるところは、きわめて簡潔になったことである。その気になれば、1~2時間で書ける。例えば(従来のBCPに入れていた)必ず継続すべき「重要業務」を想定しない。

 そもそも大災害が発生した場合、どのような被害が発生するかは、そのときになって見なければわからない。いくら重要業務を維持しようとしても、その対象となる顧客が被災して事業不能になったら、まったく意味がない。あるいは、最初想定していた機械・設備が壊れるかどうかも、そのときになってみなければわからない
 重要なのはどんな事態が起こっても、臨機応変に情報を収集し、状況に応じた対策を実行することなのである(あたりまえ)。


 もっとも、最新の申請フォーマットを埋めたところで、まともに災害時の事業継続がはかられるとは思えない。むしろ従来のBCPを簡素化しただけなので、実効性はもっと悪くなる。
 それでも、企業が事業継続に取り組もうとする意欲、やる気をはかることはできる。またこれまでBCP策定に2の足を踏んでいた中小・零細企業へも普及できる。それが今回の事業の目的であって、やる気があれば、あとは訓練や社内の啓もうを行っていけばいい。という考え方である。このやり方は、素晴らしいと思う。すくなくとも、膨大なBCP文書をつくらなくてもいいから、企業の負担は軽くなる(もしかしたら、それだけ狙いのような気がする)。

 さらに、そのやる気のある企業をどのように支援していくかについて、いま自治体や地域の商工会、商工会議所等が計画を練っているという。いくらやる気があっても、何らかの刺激や適切なフォローがなければ長続きしない。
 だがその支援内容はまだ見えてこない。
 先の研修会講師が心配していたのは、地域の支援機関が今回の改訂趣旨を理解できず、従前のBCPを蒸し返したような、煩雑なシステム構築を支援することであった。そうなったら、元の木阿弥である。 
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BCP研修

 BCPを実践できるためには、組織がまじめに取り組むBCPの計画が必要である

 今日、中小企業庁の「中小企業企業強靱化対策事業」で、BCPについての研修を受ける。BCPは、自然災害や異常事態が発生したとき、中小企業が円滑に事業継続をはかれる取り組みを推進するためのものである。

 その背景として、最近「事業継続力強化計画制度」が設けられた。この制度は、中小企業が行う防災・減災の事前対策に関する計画を国が認定し、その中小企業者に税制優遇や補助金の加点などのインセンティブを与える。

              始祖鳥

 以前、鳥インフルエンザ騒ぎのときも、その気運があった。そのとき私もBCPに関する研修を受けた。また技術士(総監)の筆記試験では、毎回必ずリスクマネジメント問題が出た。企業のBCP計画の添削を行ったこともある。

 だが机上の学習では、実戦には間に合わない。
 計画に基づいたBCPの実践ができるかどうか。その機会はいくらでもある。そのためには、組織がまじめに取り組むBCPの計画が必要である。
 こんどの研修で学べるかどうか。

台風による損傷

 関空は他の企業の見本となるBCP策定を行っていたか、真価が問われる

 昨日の嵐が過ぎ、福井は晴天の青空が広がっている。秋の爽やかさが広がって、気持ちのいい朝である。幸い、私の周辺では目立った被害がなかった。風速2~30メートルでも、応急処置のブルーシートは何とか持ちこたえたようである。


 だが各地の情報が入るにつれ、台風が上陸した地域の被害が明らかになってきた。関空周辺や、駐車場の自動車火災、自動車や家屋の屋根が紙細工のように浮き上がり、仮設スタンドや看板が吹っ飛んでいる。

 とくに、関西空港の被害状況は深刻である。本州との唯一の陸上通路である道路橋にタンカーがぶち当たった。橋の床版を破壊するとともに、橋桁上の支承が支えていた床版を大きくずらし、左右道路の間にある線路まで破壊した可能性がある。橋桁も怪しい。幸い、2車線のうちのひとつは無事なようだ。 また、関空の滑走路も3メートルの高潮の影響で水没してしまった。
 被害の全容は明らかでないが、専門家?によっては、復旧に最低半年はかかるという。

              にらみ H28.12.5

 これは単に飛行場が一つ使えなくなったというだけではない。西日本の玄関口である関空がダウンすると、外国との交流がスムースにいかなくなる。海外からの観光客数が激減することはもちろん、物流にも影響が及ぶ。日本の経済成長もダウンする。

 したがって、如何に迅速にこの復旧を行えるかで、日本の実力が問われる。無責任な専門家の言うように、半年もかかるようでは日本の未来は危うい。一方で1日とまでいかなくても、数日~1週間で回復できたら世界は驚く。日本に触手を伸ばしていた中国などの侵略国家にも、バリアをかけることができる。

 そこで関空が、これまでどのようなBCPをとっていたのか、真価が問われるし、興味深いところである。その迅速な復旧を見守りたいと思う。さぞかしわれわれ中小企業の見本となるしくみをつくっていたに違いない。

のぞみ号の車体亀裂

 不正や手抜きの公表を褒めてやれば、すべての悪い情報が表に出て事故は激減する

 新幹線のぞみ34号台車の亀裂は、製造段階の不備に起因することが明らかになった。JR西日本の来島達夫社長らが記者会見で、調査結果を公表した。製造したのは、川崎重工である。大企業の不祥事だけに、さっそくマスコミの餌食になっている。

 福井新聞社も、3月2日の社説で「のぞみ台車 破断寸前 安全思想の劣化は深刻だ」として、JRや川崎重工を非難。この機会に、三菱自動車、日産自動車、スバル、神戸製鋼所、三菱マテリアル、東レ、宇部興産、大林組、鹿島、清水建設、大成建設など、つぎつぎ発覚する大企業の不正を叩いている。

            もう枯れ尾花 H28.8.19

 しかしながら、このような不祥事が表沙汰になるのは、悪いことではない。昔ながらの強権・隠ぺい組織なら、大問題にはならなかった。のぞみ号の亀裂も公にならず、運行中に破断し大事故になって初めて騒ぐ。
 そのほか挙げられた各社「不正」も、公表の時点で実害があったわけではない。

 問題はこれらの不正公表に対し、マスコミのような安全な立場の人が、やみくもに批判記事ばかり書くことである。ことあるごとに目の敵にされれば、誰だって隠したくなる。おそらく世の中には、この100倍ものインチキが眠っている。これらすべてが表に出なければ、あらゆる事故は無くならない。

 つまり今回ののぞみ号のように、不適正な事案を、大事故に至る前公表した場合には、積極的に褒めるべきである。そのような社会的なコンセンサスができれば、悪い情報はどんどん表に出てくる。事故は激減する。
 だから責任は批判するほうにある。
 鬼の首でも取ったように批判ばかりするから、現場には落ちこぼれしかいなくなるのである。

ドラム式洗濯機の事故

 トラブルだけでドラム式洗濯機をやめてしまうのは、愚かな選択である

 先月大阪府堺市で、5歳の男の子が、ドラム式洗濯機の中に閉じ込められ、亡くなってしまった。父親が男の子と昼寝して目が覚め、洗濯機の中にいるのを見つけたという。男の子が自ら洗濯機に入り、ふたが閉まって窒息死した可能性が大きい。
 これこそ、「まさか」の事故である。

 3年前にも東京都で、ドラム洗濯機の中に7歳の子が閉じ込められる事故があった。米国や韓国でも、子どもが洗濯槽に閉じ込められ、死亡する事故が相次いでいる。多くのドラム式洗濯機は同じ構造で、ドアは内部から開かないので、中に入れば窒息死する。
 死んではいけない子供を直撃するだけに、これと同じ事故はゼロにしたい。

 もちろんこれまで、何も対策しなかったわけではない。消費者庁は一般向けのメールで注意を喚起している。子どもが勝手に入らないようにドアを閉めることや、ゴムバンドをかけるなどの防止策を呼びかけた。メーカーも取扱説明書で注意を促し、本体に警告のシールを貼ったりしている。

            東尋坊の断崖 H27.10.31     

 しかし、このような対策だけで事故がゼロになるとは考えにくい。
 そもそも日本では、毎年1件もない非常にまれな事故である。ドアを閉めておくなどの注意喚起で事故がゼロになることはないし、ドアのゴムバンドも作業する人の意識に頼っている。事故をゼロにすることは、人間の注意力だけでは絶対にできない。
 そこでこの場合、通常の動きでは事故になりえない本質安全を追求すべきである。

 以下のような安全対策が考えられる。

①外でロックし中から開く構造にする
 外から人がロックして運転し、ロック前は中から開く構造にしておく。もし人が外からロックしたら殺人であって事故ではない。意図をもった殺人は避けられない。

②息継ぎの穴を設ける
 ふたが閉まってロックされても、中で息ができるように上に向かって息継ぎ穴を伸ばしておく。洗濯時に中で高圧がかかるときは溢れてしまうが、洗浄力をはかる目安にもなる。

③チャイルドロック
 通常はふたが閉まっており、特別な操作をしなければ、ドアが開かないようにする
 特別な操作をしなければ機能しないため、本質安全ではない


 今後何も対策せずドラム式が普及していけば、比例して事故が増えることは予想される。子どもでなくても、男ならすきまがあれば入りたがる。大型になれば大人の事故も起こりうる。いまのうちに本質安全対策をとっておきたい。
 類似事故として、炎天下での車閉じ込め事故がある。このほうが重要である。

            子どもの恐竜 

 年に一人もない事故でも、子供の事故は悲惨である。いまの日本では死亡事故、とくに子供の事故には過敏である。福島第一のように、直接の死者がいなくても再稼働さえままならない(いまだに大山鳴動している)。下手するとせっかくのドラム式洗濯機の普及が止まる。

 それでも、ドラム式洗濯機を使わないのは、愚かな選択である。ドラム式洗濯機は、節水や乾燥機能に優れ、省エネと同時に取り扱いが容易なすぐれものである。どんないいものも、最初はトラブルが付きものである。それを解消していくのが人間である。
 なにかあるとすぐやめてしまうことで、工夫しなくなり、頭脳の働き・知恵が退化していく。最近の日本人が陥っている泥沼である。

日本の失敗を活かす中国 「続続失敗百選」より⑥

 日本はゼロリスクを求めた結果、とんでもないリスクを負うことになった
                 (「続続失敗百選」①からの6回シリーズ最終)

 ここまで、続続失敗百選で取り上げた失敗例を分析しても、私自身失敗を避けられる自信はまったくない。日頃から煩悩やバイアスに取りつかれており、必ず同じような失敗をする(私の場合、大きな失敗ができるほどの仕事をしていないが)。

 国家の行方を左右するような、エネルギーやインフラ、経済分野に関わっている人も、つぎつぎと失敗をする。
 日本では、バブル崩壊から、阪神淡路大震災、不良債権、3.11の災害、福島原発事故、長期デフレに至るまで、好ましくない状況がつぎつぎ現れる。災害大国に加え、原発や大型航空機など装置が巨大化し、事故も大規模になる。

 日本では、一度これらの不具合が発生すると、なかなか立ち直れない。
 敦賀のもんじゅナトリウム漏れは、5人もの死者を出す悲惨な事故であった。原因は間もなく判明したが、再開までには20年もの歳月が流れた。またその後の落下事故でさえ、再開までには10年もかかった。その後も、点検漏れなど「不祥事」が重なり、もんじゅは廃炉することになってしまう。

 もちろん、福島原発事故のあとの再稼働も並大抵ではない。いまだに30基以上の原子炉が、稼働していない。計画のあった新設の原子炉もことごとく中止になった。バブル崩壊から発生した金融危機も、30年たたないと終息しない。
 文書主義や決断の遅さなど、特有の官僚体質と臆病さが、日本を虚弱体質にしている。

          あっぱれ H28.12.5

 その点中国はつよい。日本の犯した失敗をじっと見ている。
 もちろん中国自身が犯した失敗は、素早く取り返す。数年前の中国新幹線の衝突事故では、事故列車を埋めようとしたことを、事故隠しだと言って日本国民はバカにしていた。中国は速やかに再発防止策を取り、たちまち再開してしまった。日本は、こんなす早い対応はとれない。
 やり過ぎの感はあるが、日本の馬鹿丁寧な慎重さとは正反対である。

 原子力開発も同じである。もんじゅや福島原発事故の失敗を教訓に、つぎつぎと中国独自の原発を新設している。高速増殖炉では、もんじゅをレベルアップした実用炉の発電にまでこぎつけ、さらに上を目指している。すでに原発技術は世界トップクラスである。経済政策では、失われた20年の日本を尻目に、少なくとも6~7%の成長を続けている。日本の兵力(財政出動)逐次投入の失敗を学んだものだ。このままでは、あと10年で世界一の経済大国になる。

 中国が、日本の失敗を自分のものにしているのに比べ、日本では自国の失敗すら活かそうとしない。これでは、彼我の差は幾何級数的に開いていく。まもなく日本は中国に飲み込まれる。
 日本は、ゼロリスクを求めた結果、とんでもないリスクを負うことになってしまったのである。

失敗の責任 「続続失敗百選」より⑤

 誰かに責任を取らせるのは、ゼロリスクを求め何も進まないよりはるかに良い

 以前は、原発のような巨大技術になると、装置や運用方法についての不具合を改善することはタブーとされていた。複雑なシステムの一部を修正すると、別なところでもっと大きな不具合が発生する可能性があるからである。したがって、このようなシステムではPDCAの継続的改善でなく、決められたことを確実に行うことが要求されてきた。医薬品、医療の世界でも同じで、現場での勝手なカイゼンはできなかった。

 それが、福島第一事故の検証では、つぎつぎと装置の弱点が洗い出され、膨大な改良点が見つかっている。改善によって、間違いなく福島のような過酷事故の確率は、激減することもわかってきた。

            般若

 しかし、それでも事故はゼロにはならない。もし事故が起こったら、誰がどのように責任を取るのであろうか。
 裁判では、失敗を予見できたかどうかが、責任を問われる大きな要素である。知っていたら犯罪で、知らなかったら無罪である。これでは、なにか事故があって責任者が無罪になったら、その人は無知(バカ)だったということになる。国民にバカになれと言う制度がいいとは思えない。

 一方で、「福島原発、裁かれなくてもいいのか(古川元治他)」のように、『今までに起きたことがない「未知の危険」であっても、起きる可能性が予測される危険については、責任を問える』とまで言う人がいる。すべて起こったことには誰かが責任を取らなければならないとなると、ヤクザの鉄砲玉である。それでも、ゼロリスクを求めて何も進まないよりはるかにましで、このやり方は一理ある。そのため企業には会長がいるし、謝罪要員としてホテル支配人が存在する。

           仁王

 また技術論的には、中尾氏の言う「まさか」の失敗は、どこまで失敗の発生確率を許すかという問題になる。一般には、法律や規範、道徳、世論の動向などで決まるが、それではきりがない。世間は感情的である。「使い続ける限り事故が起きたらメーカーの責任」としたら、製造業は成り立たない(製造物責任は10年で消滅)。

 そこで技術者は、安全率を見込んで装置やシステムを設計する。普通は4倍程度である。安全率は、多ければいいというものではない。設定の失敗がまた、恐ろしい状況を生み出す。

 その典型的な例が、福島汚染地区の放射線量基準の設定である。国際的には、100㎜SVまでなら問題ないとされる。安全率5倍を見て、20㎜SVが基準である。被爆地でなくても、その程度のところはいくらでもある。ところが日本では、感情(勘定)に任せ1㎜SVという、とんでもない基準を設定してしまった。これでにっちもさっちもいかなくなる。いまだ復興が進まないのはこのためである。必要以上に厳しい基準は、(神戸製鋼のような)検査偽造が発生する温床ともなる。

 また、福島第一の原発事故では、1000年前の貞観地震の再発を想定しなかったとして、非難されている。ではどこまでの災害を想定すればいいのか。いまでは、1000年前どころか、40万年前以降の活断層や、歴史上起こった100倍もの破局噴火にまで関心は移っている。そこまで見るなら、原発事故以上の災害は、いくらでもある。視野が狭い人たちは、原発事故しか見えない。


 日本では絶対不可能を無視し、いまだゼロリスクを主張する人が無くならない。善意に解釈すれば、大事故のバイアスが残っているからで、悪く言えば無知な阿呆か補償金目当ての権益者である。
 日本は、「こんな人たち」を相手にしているから、何も進まない。政治家は、嫌われる覚悟のない人は、なってはいけないのである。

   「続続失敗百選」⑥に続く

文書主義が現場を殺す 「続続失敗百選」より④

 すべてが文書で示されれば、マニュアルにない事態に対応することができなくなる
 
 いま日本のものづくり現場は何かおかしい。原発事故だけでなく、昨年から、日産や神戸製鋼、三菱マテリアルの検査不正発覚など、異常とも思える不祥事が続いている。
 これに関し、中尾政之氏(東大機械科教授)は「続続失敗百選」の中で、「シュラウド事件」と呼ばれる、東電のトラブル隠蔽とその後の経過について述べている。この事件は、現在へ続くものづくり不祥事の重要要因を示唆している。 

 「シュラウド事件」は1989年、GEが福島第一1号機の定期点検中に、原子炉内シュラウドにクラックを発見し、その証拠ビデオを東電の要請に応じ、隠蔽した事件である。10年後の2000年、当の検査担当者が通産省に内部告発、保安院がGEに対し本物の検査報告書を提出させ、東電のトラブル隠しが発覚した。とくに原発9基のシュラウドクラックを隠蔽したことが大問題になった。

 その結果、東電社長が辞任。東電の原発はすべて停止のうえ、プルサーマル計画は白紙撤回された。5機のシュラウド修理には、750億円を費やした。
 その後、「安全管理体制」を徹底強化する。

 問題は、その「強化」された管理体制の中身である。
①原子力立地本部を6部に分割(組織横断的取組は弱体化)
②原子力品質監査部を独立新設し、マニュアルに基づく内部監査を強化
③保安院は、安全管理審査の規制を強化。詳細なマニュアルの整備とエビデンス(証拠となる記録)の作成を課す。
④品質マネジメントシステムによる保安院の審査を年4回実施。指摘・指導が激化した。
⑤東電の文書管理の業務量が激増。マニュアル至上主義が先鋭化した。

       キツネつき   文書作成

 ここからがおかしくなる。
 そもそもシュラウドというのは、単なる隔壁である。クラックが入っていても、致命的なトラブルにはならない。福島第一原発を作った本家のアメリカでは、水中溶接での補修でよいことになっていた。日本では、「クラック無きこと」という、非現実的な古い規定を順守していたため、もしクラックが見つかったら大ごとになる(現に、余計な手間をかけたあげく修理に750億円も費やした)。事情をよく知った人ほど、隠そうとするはずである。

 悪いことにはこの事件の結果、マニュアルの整備とエビデンス(記録)の作成で、文書量はとんでもなく増大した。職員は、現場に出る機会がないままエネルギーが消耗していく。わずかな安全面での改良すら、詳細なマニュアルとエビデンスを要求される。現に、これまでの東電やもんじゅの「不祥事」は、ほとんどが文書の不整合や記録の不一致でしかない。これだけ文書で縛られていると、現物で改善しようとする意欲は削がれる。

 その結果、現場を熟知している人がどんどん少なくなる。すべてが文書で示されれば、マニュアルにない『まさか』の事態に対応することができない。「現場、現物」に代わって、「文書、記録」がすべてになってしまった。

 この状況が、福島第一の事故をもたらす。それを反省することもなく、文書主義はいまの規制委員会とのやり取りにまで、連綿と続いている。原発再稼働の申請書類は、10万ページを超すともいう。あげくには自殺者まで出した。文字通り、文書主義が現場を殺してしまったのである。

   「続続失敗百選」⑤に続く  

電脳死 「続続失敗百選」より③

 原発など重要機器は、電気に頼らない「本質安全」を追求することが重要である

 中尾氏は、福島第一原発事故拡大の大きな技術的要因は「電脳死」だという。
 あの地震と大津波では、司令室の電源が切れ、計器盤が見えなくなった。天井の板が落下し、制御室が大混乱したという話もある。中央操作室からセンサも読めず、装置の動作部、バルブが操作できない。

 もちろんすべての電源も入らない。そのため何をするにも、現場へ行って手動で操作する必要があった。自動車のバッテリを使って、少しづつ電力供給し測定を始めたが、すべての正確なデータを把握するまでには至らない。さらに、バルブなどの動作部は、手動操作するような設計になっていなかった。バッテリや電源車、圧縮空気などを工夫しながら、操作するしかない。
 その結果、圧力容器の減圧、消防車による注水、ベントの開放などすべてが遅れ、メルトダウンにまで至ってしまったのである。

            はげわらしべ
 では今後、原発事故再発防止のために、どうすればいいのか。
 ひとつは、確実な非常用電源と接続盤を確保しておくことである。3.11以上の津波やミサイル攻撃、火砕流などでも破壊されないような、核シェルターを構築する。これはだれでも考えることで、すでにいま再稼働する原発では行われている。
 もちろん直接の電源だけでなく、センサや頭脳にあたる部分の電源と機能の確保も重要である。

 そして原発では、電気に頼らない「本質安全」を追求することが必要になる。
 中尾氏は、つぎの4つを提案している

①手を使ってバルブを容易に開けるようにする
 原発だけでなく、最新の家電製品は本体に操作スイッチがなく、リモコンが壊れると操作不能になる。これは危うい。

②高台から電源を引っ張ってくる
 電源の場所を代えることで、消極的な安全はプラスされる

③高所の池から重力で水を落とす
 その配管路は手動操作可能でなければならない

④原子炉を海上に浮かべる
 原子力潜水艦や原子力空母は、攻撃され沈没しても放射能が広がることはない。したがって、原発は海に浮かべたほうが一番安全である。海上での風力発電に比べたら、はるかに環境にやさしい。

            わらしべ
 さらに電脳死の恐怖は、原発に限らない。
 北朝鮮は、核による電磁パルス攻撃を仄めかしている。強力な電場と磁場は、システムに有害な大電流と大電圧の渦巻きを引き起こし、回路網を破壊する。この攻撃を受けると、日本中のすべての電脳が破戒される。1年以上復旧できないとされ、電気が無くなった日本は、天明の飢饉を超える阿鼻叫喚の世界になる。日本人同士が友喰いを始める。

 電磁パルスまで行かなくても、サイバー攻撃も深刻である。
 政府は、サイバー攻撃に関する情報を共有し対策を考える官民の協議体を新たに創設する方針を固めた。東京五輪・パラリンピックを控え、北朝鮮によるサイバー攻撃のリスクが高まる中、インターネットの安全を保つ「サイバーセキュリティー」能力の強化が急務だと判断した。


 事故が起こったから原発を廃止してしまえ、というのは、最も愚かな選択である。やみくもにリスクを恐れ、人類の未来を考えようとしないものは、人間ではない。ダチョウかサルである。

     「続続失敗百選」④に続く

リスク不感症 「続続失敗百選」より②

 これまで大した事故が起こらなかったのだから今度も大丈夫と言う感覚

 多くの失敗要因のなかで、中尾氏が最も重視していたのが「リスク不感症」である。これまで大した事故が起こらなかったのだから今度も大丈夫、と言う感覚である。これは、誰の心にもある。
 折しも昨日突然、本白根山で噴火が起こり、スキー客がいるところに無数の噴石が降り注いだ(ヘリコプターの窓枠や不時着などで騒ぐのがバカバカしい)。隣の白根山とは異なり、しばらく活動していなかったので、まったく無警戒だったという。
 このような、想定外の事例はいくらでもある。

①福島原発事故
 2001年にアメリカは、同時多発テロに遭ったことで、原発に対する飛行機自爆、電源喪失などの対策(B.5.b)が検討・実施されていた。日本の保安院にも説明されたという。日本でも、2000年ごろから貞観地震の調査が行われ、1000年に1度の巨大津波対策が検討されていた。
 それでも日本では、2011年まで安全に原発運転がなされていたので、これらの減災対策を実施に移すことができなかった。これに文書主義などの組織疲労が重なり、リスクに対する不感症が加速されていった。これが、福島原発の過酷事故につながっていく。

②津波による被災
 東日本大震災のとき、大槌町では地震の40分後に津波が襲来し、住民の1割が逃げ遅れて被災した。とくに60才以上の高齢者の割合が多かった。足が遅くて逃げられなかった人はわずかである。なぜ高齢者が多かったのか。
 多くの高齢者は、昭和の三陸津波やチリ地震津波を経験し、生き延びていた。今回の津波の規模は、それを大きく上回った。高齢者は、かっての津波到達地点の「成功体験」によって、「今度も大丈夫」という気持ちが、リスク不感症につながったのではないか。

③津波予報
 東北大震災のとき、気象庁が3分後に発令した津波警報は、過小評価のM7.9をもとにしたものだった。この津波警報では、3M高さの予想だったため、これなら家の2階に上がれば大丈夫と考えた人がたくさんいたはずである。
 じつは沖合の水圧計には、大津波の兆候が示されていた。だがこれらは故障が多く、気象庁では、まさかこんな大津波とは考えなかったという。その結果このデータは無視され、大規模な津波警報を出すタイミングが遅れてしまったという。

④笹子トンネル天井落下
 トンネル内の天井版は、トンネル外壁にボルトで固定している。コンクリートに穴をあけ、埋め込みボルトを接着剤と一緒に固定するものである。笹子トンネルでは、施工35年後に接着剤が劣化し、ボルトが抜け天板が落下。通行中の自動車が潰され、9名が死亡した。
 じつはこの事故の6年前、ボストンで、同じようなボルト抜け・天板落下による死亡事故が起きていたという。ボストンでは速乾性の樹脂を使っており、定期点検も不充分であったらしい。笹子では速乾性を使っておらず、点検者のモラルも高いということで、ボストン事故を無視してしまった。対策を怠ったため、ボストン以上の惨事につながったのである。

               白根山系

 普通われわれには、いろんなバイアスがかかっており、それがリスク認知を歪め、「想定外」が発生する。おもに、以下のようなバイアスによるものである(日本技術士会・青本による)。
 リスクを管理するものは、これらのバイアスがあることを認識しておかねばならない。

1)正常性バイアス
 異常性がある程度の範囲の場合、こんなものは普通であると考えてしまう傾向のこと。リスク情報の異常性を減じ、日常性の中に埋め込んでしまおうとするもの。

2)楽観主義バイアス
 何か起こった時、破壊に至るような見方よりも日常からの軽い逸脱として、楽観的に解釈しようとする傾向。心理的ストレスを軽減しようとする働き。

3)ベテランバイアス
 過去のリスク対処で得られたリスクに対する耐性が災いし、それ以上の新たなリスクに対する判断を遅らせる可能性のこと。(まさに②が当てはまる)

4)バージンバイアス
 経験したことのないリスクに対し、リスクを過大に、あるいは過少に評価してしまい、正確なリスク認知を得られない可能性のこと。

5)カストロフィーバイアス
 極めてまれにしか起きない被害規模の巨大なリスクに対して、リスクを過大に見てしまうこと。また身近で起こった出来事が、同じように起こるのではないかと思ってしまうこと。

              白根山

 失敗の責任⑤で延べるように、世の中にゼロリスクはあり得ない。また、わずかなリスクでもそれ以上にリスク軽減をしようとすれば、膨大なコストと転嫁リスクが発生する。放射脳患者のように、精神に異常をきたす人も多くなる。
 ほんとのゼロリスクを求めるなら、この世に生を受けないことしかない。
 幸せに生きようとしたら、良寛のように達観することである。

  「続続失敗百選」③に続く

「まさか」の失敗 「続続失敗百選」より①

 「まさか」の失敗も簡単な対策で防げるため、ナレッジマネジメントは重要である

 久しぶり、300ページクラスの本を読んだ。中尾政之氏の「続続失敗百選」である。この本では、これまでの「失敗百選」、「続失敗百選」とは異なった観点からの失敗を取り上げている。
 つまりこれまでの失敗本で取り上げていたのは、おもにヒューマンエラー(人のちょっとしたミスで起こる事故)であった。一方この著書では、非常に確率が低くても、一旦起きたら大きな事故に結びつく事案について考察している。著者の言葉を借りれば、「ついうっかり」の失敗から、「まさか」の失敗である。

 現代は年功型企業文化の喪失やネットの普及から、内部告発が当たり前となり、不祥事はあっという間に拡散する。いまや失敗は隠すことができない。事案やその証拠は、いくらでも検索できるし、解決策も豊富である。
 また、昔のように欧米に追随できなくなり、失敗も学ぶことができなくなったことも挙げられる。

 そのため、軽めの失敗は当たり前になるとともに退治され、「まさか」の失敗の存在感が相対的に増してきた。とくに、3.11以後その傾向は強くなってきた。

         東尋坊の断崖 H27.10.31
 
 この「まさか」の失敗の発生確率は、非常に低いがゼロではない。大津波や原発事故のように、一旦起こると破滅的な結果をもたらす。その「まさか」の失敗といえども、簡単な対策があれば、被害を最小にしたり防げることがほとんどである。したがって、「ついうっかり」と同じように「まさか」の失敗のナレッジマネジメントはきわめて重要である。

この本では、福島第一原発事故をはじめ、韓国セウォル号沈没、STAP細胞ねつ造、はては日本の裁判において検察立件有罪率99.9%など、興味深い具体例を豊富に盛り込んでいる。

 今週は、その「続続失敗百選」の内容をいくつか挙げてみよう。

   「続続失敗百選」②に続く

日産社のリコール

 正論かどうかは2のつぎ、企業としてのイメージダウンは最小にしなければならない

 日産の無資格検査問題について、西川広人社長は記者会見の場で、「検査は確実に行われており、安全に使っていただける」と強調していた。あくまで「手続き」に問題があったという主張である。たしかに検査で品質が向上するわけではないので、社長の言い分は正論である。

 それに製品の最終検査といっても、すべての品質特性を検査するわけではない。そんなことは不可能であるし必要ない。ブレーキの効き具合など、安全性に関するいくつかの特性を確認するだけである。それらも、ほんとに高度な資格を持った認定者が必要かどうかも疑問である。このことが原因の事故など聞いたことがない。

           年貢の納め時

 だがこれは、当事者である日産自身が言うことではない。「問題ない」と強調することで、逆に反感を招く。(役不足だが)私のような第3者が発信して初めて意味がある。さらに日産の顧客といっても、固定客ではない。不信風が吹けば、あっという間にそっぽを向く。そうなれば、順調だった世界販売台数の伸びにも悪影響がでる。
 いくら「悪法」だろうが、ルールは守らなければならない。

 では現時点で、日産幹部はどのような対応をとればよかったのであろうか。
 まさに危機管理の対応能力が問われる。
 まず、過ちは過ちとして認めたうえで、下手な言い訳はしない。いまのうちに洗いざらい出す。小出しにしてはいけない。記録も証言もすべて出す。品質に問題ないなど、言い訳じみたことは言わない。

 正論はすこしづつ、ものづくりや業界の事情に詳しい専門家が発信してくれる。おそらく同業者も、似たり寄ったりである。むしろ外国メーカーに比べれば、はるかにましかもしれない。多少の寝技は必要である。
 もし正論が出なかったら。  よほど嫌われているのだから、あきらめるしかない。

再発防止の実践

 文明の進歩は、仮説による対策の繰り返しである

 何か問題が起こったとき、そのことが2度と起こらないようにすることを、「是正処置」あるいは「再発防止策」という。起こったことを修正することとは異なる。

 まず、原因を突き止める。じつはこれが難しい。原因と思ったことは、単なる相関関係でしかないことが多い。ほんとの原因究明はきわめて難しい。因果応報は、何代も遡らなければならない。
 そこで現実的には、仮説を立てるしかない。原因の仮説である。

 その仮説によって、対策は異なる。
 たいていの場合、以下のどれかを適用する。

 ハード面での対応
  ①工程設計の改善
    工程や設定条件、設備構造の見直し
  ②多重防護
    防護措置をいくつか重ねる

 仕組みや設備構造で
  ③フェールセーフ
    ミスが起こった場合でも、安全側の異常が起こる仕組みをつくる。
  ④フールプルーフ
    ミスが起こらないような仕組み

 ソフト面での対応
  ①見える化
    標識、表示の改善
  ②ルールの改善
    指差呼称、手順改訂・作成、パトロール強化
  ③教育訓練
    事故そのもの、安全意識、

  これらの対策をとって、同じ不具合が生じなければ、仮説は正しい。文明の進歩は、その繰り返しなのである。

安心のコスト

 豊洲では地上リスクのない土壌汚染対策のため、とんでもない環境破壊を行ってしまった

 豊洲問題だけでなく、近年なにかにつけ「安全」と「安心」が問題となっている。解っているはずなのに、なぜかこの2つを混同している人が多い。そこで、これを文科省「安全・安心な社会の構築に資する科学技術政策に関する懇談会」の見解に基づいて説明しよう。

 まず「安全」とは、「人やその所有物に危害がないと客観的に判断されること」である。科学的知見によって証明されたもの。もちろん絶対安全はなく、リスクを社会が受容可能なレベルまで極小化している状態を「安全」であるとしている。

 「安心」は、「人が予測している状態と大きく異なる状態にならないと信じていることと、なにかあったとしても受容できると信じていること」である。個人の主観的な判断に依存するもので、科学的根拠である「安全」への信頼が必要。まさに心の問題であり、好き嫌いの感情が大きく影響する。

 ややこしいがざっくり言えば、「安全」は客観的なもので「安心」は主観的なものである。

      成仏 H27.12.15
   
 そこから文科省は、「安全・安心」な社会のために、つぎの5つの条件を提唱している。

①リスクを極小化し、顕在化したリスクに持ちこたえられる
 リスクを社会の受容レベルまで極小化することで安全を確保しつつ、その状態を維持できる社会。同時に、リスクが顕在化してもその影響を部分的に止め、機能し続けられる社会。

②柔軟対応と相互協力が得られる
 安全は、予見の範囲を超えて脅かされる。これを前提として、新たな脅威が生じても常に柔軟な対応が可能な社会であること。さらに安全を実現するための地域間、国際的協調ができる社会。

③安全に対する個人の意識が醸成
 個人が安全に対する知識と意識を持ち、安全な社会の構築に必要な役割を個人が果たしうる社会。

④信頼できる安全が安心になる
 安全確保に関わる組織と人々の間で信頼が醸成され、安全を人々の安心へとつなげられる社会であること。

⑤安全・安心における矛盾を合理的に判断
 どこまで安全・安心な社会を実現するべきか、合理的に決めていける社会。


 とくに重要なのは、「③安全に対する個人の意識が醸成されている」ことであろう。いくら科学的に「安全」だといっても、その意味を理解していなかったら、その他の①,②,④,⑤など、頭から分からない。まさに、国民の民度が問われる。

 すべての人が「安心」するためには、無制限のコストとエネルギーを消費する。
 たとえば、豊洲の土壌汚染対策費用800億円で費やした膨大な化石燃料(原油換算で1億ℓ~)。温室効果ガス排出は10万トン~にはなる。大気汚染も半端ではない。直接地上にリスクのない土壌汚染対策のために、とんでもない環境破壊を行ってしまったのである。

 同じようなことが原発の停止でも起こっている。
 まさに日本では、自分さえよければいいという、民主主義社会の膿が噴き出している。

豊洲の安心は都民の民度

 科学的安全を信頼して文明を形成できるか否かが、人とサルとの大きな違いである

 東京都議会の百条委員会で、豊洲問題の追及が佳境を迎えている。東京ガスとの交渉経過や、仕様変更、そして土壌汚染対策費用だけでなく建設費用が何倍にも跳ね上がったことの経緯が明らかになるはずである。
 なかでも喫緊の大きな課題は、移転の可否を左右する安全基準の問題である。

 豊洲における最新の環境調査で、地下水から環境基準100倍のベンゼンや微量のシアンなどが検出された。たしかにこの数値では、飲み水としては不適切である(大量に飲まない限り死ぬことはないが)。できるだけ環境基準に近いほうが望ましいのは間違いない(もともと環境基準というのは、あり得ないくらい厳しい数値である)。

    たそがれのうば桜 H28.4.09

 しかし、土壌そのものは厳しい環境基準をクリアしている。地下水は、床下深いところにあり、さらに順次汲み上げて浄化したものを排水する(場内で使うことはない)。揮発するベンゼンの大気濃度は問題にならず、念のため濃度検出器も備えている。したがって建屋部分には全く影響がない(離れたところの環境基準100倍で驚いていたら、場内で殺菌消毒やトイレもできない)。専門家は豊洲安全に太鼓判を押している。

 つまり豊洲では、科学的な「安全」が確保されており、移転には何ら問題がないのである。
 もともとこの場所の地下水は、環境基準43000倍ものベンゼンが検出されていた。それでも問題ないのに、ゼロリスクを求めるポピュリズムに負け、安全基準を環境基準にまで上げてしまった経緯がある(これはまさに、放射線の安全基準を何の根拠もなく1㎜Sv/年にしてしまったこととそっくりである)。

 もとより世の中には、完璧なこと、ゼロリスクなどどこにもない。築地にしても、豊洲より「安全」だったわけではまったくない。最近になって、土壌汚染は築地の方がひどいという事実が暴露された。また築地の建屋は、耐震強度が低く地震が起これば多くの死人が出る。

 それに地下水脈は広範囲に広がっているため、環境基準100倍のベンゼンは、とうてい豊洲だけでは収まっていない(逆に豊洲が原因とは限らない)。これがダメなら、東京近辺の適地は無くなってしまう。すでに日本は、ほとんどの地域が何らかに汚染されている。知らないから「安心」しているだけに過ぎない。むしろ、きちんと数値管理された豊洲以上に安全なところはない。
 そもそも土壌汚染が問題になるのは、このように広く地下水が汚染されることであって、その土地の上が危険なことはほとんどない(東京都はこの汚染地下水まで、ほぼ浄化していたのには吃驚した。やりすぎかも)。

 これでもまだ小池知事が、豊洲への移転を決断できないのは、「安全ではあるが安心を担保できない」恐れがあるからであろう。「環境基準100倍の地下水」という意味のない言葉が一人歩きし、人々の安心を損なってしまう。無知或いは悪意を持つマスコミや「知識人」が、その不安を増幅するような発信をするのは目に見えている。
 つまり問題は風評だけである。

       人類の未来

 石原元都知事は百条委員会の中で、「安全を保証する科学を信頼できず、風評に負ける(安心できない)のは文明国の恥である」と述べていた。このことは、「反原発でサルになる」と書いた故吉本隆明氏の主張とそっくりである。

 すなわち、安全なのに安心できないのは人間を含めた霊長類の性であり、その感情を克服し文明を形成できるか否かが、人とサルとの大きな違いなのである。

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ゼロリスクを求めるリスク

 ゼロリスクを訴える人は、そのため悲惨な目に遭う人たちからの集団訴訟に耐えられるか

 添加物や薬の害、放射線の害を訴える人は多い。
 たとえば子宮頸がんワクチンを接種した人に、病的な症状が発生したとして訴訟になっている。症状は、実に多彩である。手足や全身のけいれん、不随意運動、歩けない、階段が登れない、時計が読めない、計算ができないなどだという。薬害として訴訟にまで進展したことで、ワクチンを接種する人も激減した。
 たしかに、どんなものにでも副作用はあり、薬害は必ず発生する。

 これに対しジャーナリスト村中璃子氏は、この薬害にはまったく根拠がないと「新潮45(12~1月号)」で述べていた。名古屋市で、同年代女性7万人(回答率30%)を対象に行った疫学調査では、ワクチンを接種していない人の方が症状の現れる確率が高かったという。しかも多くの医者は、この症状はワクチンの影響というより、精神病の一種ではないかと言っているそうだ。むかしから、このような症状の人はいくらでもいる。「精神病」といわれることを恐れるあまり、ワクチンのせいにしている可能性は大きい。

 実際この因果関係には、科学的、疫学的根拠は何もない。事実は、ひどい症状にかかったかわいそうな娘がいるということだけである。だれか責任を取ってもらう相手を必死で探している。

     道元禅師幼少 H28.10.09

 一方で、毎年15000人が子宮がんにかかり、3500人が亡くなっている。ワクチン接種でそれが激減する。それに対し、これまで3年で300万人あまりがワクチン接種し(もしワクチンのせいだとしても)、およそ1900人が副作用にかかっただけである。その90%は回復している。
 すなわち、毎年数百人の異常発症の「恐れ」と引きかえに、毎年15000人の女性の子宮と3500人の命を奪っているということになる。

 高齢者ならともかく、妙齢の女性の子宮が失われては、我が国の未来はない。村中氏の記述がほんとなら、子宮頸がんワクチンの薬害を訴える人たちは、日本がさらに少子化になることを望んでいるとしか思えない。

      仏様 H28.10.09

 何か被害があったとき、無理やり誰かのせいにしてしまうのは、このワクチンだけではない(慰安婦問題とそっくり)。アフリカでは、薬害を防ぐためDDTの使用を制限したことがあった。その制限期間中に、マラリアによる死者が数百万人も余計に発生したという。

 人間の天敵は、細菌やウィルスである。薬害をゼロにすると、何千倍、何万倍もの病害が発生することがある。
 薬害を訴える人は、将来ワクチンを接種しないことで子宮がんに罹り、悲惨な目に遭う人たちからの集団訴訟に耐えられるのであろうか。ゼロリスクはハイリスクなのである。 

失敗を許さない社会

 口先では「失敗を恐れるな」と言いながら、人が失敗すると潰しにかかるという醜悪

 フィギアスケート日本選手権(女子)は、予想通り宮原選手が優勝した。昨日の福井新聞記事スポーツ欄には、その報道とともに彼女のみごとな演技写真が掲載されていた。一方で、かっての「女王」であった浅田真央選手は、これまでで最低の12位に沈んでしまった。
 吃驚したのは、その浅田選手が失敗した瞬間の写真が、宮原選手の写真の下に堂々と載せられていたことである。

 新旧の世代交代を強調したかったのかもしれない。
 しかし浅田選手は、今の若手が誰も挑戦していないトリプルアクセルをしようとして、「失敗」したのである。これまでの実績や練習状態から決して無謀な挑戦ではない。しかも、かって日本フィギア界を席巻した女王である。そのみっともない瞬間を、衆目に晒していいものであろうか。もう少し惻隠の情、武士の情けというものが欲しかった。

     武士の横顔

 このことは、ほんの一例である。
 いまの日本は、失敗や過ちを犯してしまった人に対し、徹底して冷たい態度を取り続ける。一生立ち直ってほしくないごときである。芸能人の不倫や麻薬騒動、政治家の不規則発言など、挙げればきりがない。

 もんじゅ廃炉の経緯も納得がいかない。20年前にナトリウム漏れ事故があり、5名が亡くなった。その後再開するまでに10年以上経過している。やっと再開したと思ったら、構築物が炉内に落下するという、なんとも初歩的なミスで、塩漬けになってしまった。あとは、膨大な資料やペーパーとの格闘である。
 これら失敗の原因は、わかりすぎるほどわかっている。ほんとは、このような失敗をこの100倍しなければならなかった。もんじゅの廃炉は、失敗を許そうとしない世間に負けてしまったのである。

 口先では「失敗を恐れるな」と言いながら、人が失敗すると、よってたかって潰しにかかる。これが日本の現実である。


 日本はもっと失敗に寛容な社会であってあってほしい。
 つまり失敗を評価し、許容する姿勢がないと、誰も失敗しないような仕事しかしない。あるいは、徹底して隠そうとする。そうすると、その社会からは新しいものが生まれず、必ず衰退・消滅していってしまう。
 その失敗に寛容な社会というのは、日本人の多くが失ってしまった武士道の世界である。


 もう一つ重要なことがある。
 日本で民主主義が成熟するためには、この武士道が定着することが何よりも重要なのである。そうでなければ、民主主義はただのエゴのぶつかり合いになってしまう。沖縄や原発で揉めている人たちを見ればよくわかる。

破滅と安心

 どうにもならないことは想定しないことで人々は安心する

 メキシコ湾で先月(9月)24日に、タンカーに積載された15万バレル(約2万㌧)を超す石油に火がつき、火災が発生した。石油だけでなく、石炭や天然ガスでもこのような火災は頻繁に発生している。それでもまだ、世界で1年間に消費している石油の数%である。

 しかし、これ以上化石燃料を掘削していくとどうなるか。燃料だから、酸素と火種があれば燃える。今後ますます掘削技術の発展で、これまで不可能と思われていた奥深いところまで掘っていく。化石燃料が空気に触れる割合が飛躍的に拡大し、ある日突然、地下の化石燃料が一気に燃え出す可能性がある。そうなったら手が付けられない。人類どころか、地球上の生命体の大半が死ぬ。
 専門家はそんなことはないというが、絶対起きないとは言えない。

 同じように、直径10キロ程度の隕石が地球に衝突すれば、地球上の生命の99.9%が絶滅する。数時間以内に地球表面が3000℃の熱に覆われ、酸素があっという間に無くなるからである。それは突然起こる。わかっていてもどうしようもないため、隕石衝突が分かった当局はパニックを恐れ、絶対公にしない。
 その他にも、人類に壊滅的な打撃を与える出来事はいくらでもある。

 我々は、本来なら不安でしょうがないことでも、あえて考えないようにしている。つまり、想定してもどうにもならないことは想定しないことにする。そうやって人々は安心する。
 一方で、今回の豊洲のような、わずかな化学物質の析出でも安心できない。
 安心とは、かくも怪しげなものに過ぎないのである。これをパーキンソンの凡俗法則ともいう。

原因究明

 多くの場合、単なる相関関係であって、因果関係を証明することは不可能である

 工場で異常が発生した場合、徹底的な原因究明が求められる。トヨタの改善活動では、「なぜ」を5回繰り返す。巧緻な人はそのようにふるまってきたし、そう啓蒙している。生産活動だけでなく、日常生活でも同じである。
 
 しかし現実にはどうか。狭い経験だが、なぜを繰り返してもほんとの原因究明に至ったケースは非常に少ない。たいていの場合、わけがわからないうちに異常が無くなり、なにごともなかったように治まる。

 これは不思議なことではない。
 数年前、新型ボーイング787に積載されたリチウムイオン電池が、相次いで発熱したことがあった。これも結局、原因がわからなかった。それでも、想定される何百の事象にも対応して、さらに万一発火した場合にも被害がないような対策を取り、交通当局によって安全性が担保されたのである。
 すべての複雑な技術とはそういうものである。

 つまり世の中で、まったく同じ事象が起こることはほとんどない。構成物の素材やその組み合わせ、動作環境の微妙な揺らぎなど、分子レベルでみれば、無限の組み合わせがある。そのすべてを解明し、再現させることは不可能といってもよい。

 そもそも、現代科学で当たり前に行われていることでさえ、証明されているわけではない。竹内薫氏の「99.9%は仮設」でいろんな例が紹介されている。飛行機がなぜ飛ぶのかベルヌーイの定理では説明がつかないし、麻酔がなぜ効くのかもわかっていない。つまり飛行機は、「飛ぶから飛ぶ」し、麻酔薬は「効くから効く」のである。

 ファスト&フォローで指摘されたように、人々はなにかストーリーを作って、原因と結果を結び付けたがる。多くの場合、それは単なる相関関係であって、因果関係を証明することは極めて難しい。だから、すべては仮説なのだ。

車両火災

 ゼロリスクを求める国民の間では、高級外車は危険だという声が大きくなるかも

 昨年末に、なぜか車両火災のニュースが多かった。大型バスの炎上に続いて、乗用車ではジャガーやフェラーリなどの高級車が炎上。大型バスについては、20年以上数百万キロ走っていたと思われるため、損害は軽微であろう。
 高級外車の持ち主は災難である。

 少し古いが、平成21年度に国交省に報告された車両火災は98件。年間およそ100件がこの年末に集中したということである。この報告では、乗用車(45件)貨物自動車(29件)の分類はあるが、車種別の件数が分らず、高級外車に車両火災の発生割合が多いのかどうかはわからない。国産の安価な車が車両火災になってもニュースにはならない。

        白山クルマユリH21.7.12

 車両火災の原因は、燃料やオイル漏れ、エンジンルーム内へのウエスの置き忘れ、バッテリターミナルの緩みのショート。また、仮眠をした時などアクセルを踏み込んでの空ぶかしが火災になることもあるそうだ。また、フロントウインドウの透明の吸盤やペットボトルが凸レンズ効果で太陽光が集中し加熱する。
 原因は、このように多岐にわたっている。

 日本に走っている車は7000万台である。そのうち「たかが」100台が炎上したところで、傾向をつかむのは難しいであろう。それでもゼロリスクを求める国民の間では、高級外車は危険だという声が大きくなりそうな気がする。