FC2ブログ

日本の少子化対策②

 日本が豊かなままで人口を増やす、という虫のいい考えは排除する

 ①のつづき
 ではどうすれば日本の人口を増やせるのか。
 少子化の原因は、①で書いたとおりである。原因がわかれば、対策はその裏返しである。

 すなわち、
①飢餓社会にする
②平均寿命を短くする
③セクハラ自由の、男性優位社会にする

 いずれも、とんでもないと思うだろう。ただちには受けいれがたい。
 だが、真剣に少子化を食い止めようと思ったら、避けて通るわけにはいかない。
 といって、べつに何もしなくていい。このまま日本で少子化が進み、働かない年寄が増えれば、自然にそうなる。世界不況に消費増税が加わり、日本は江戸時代のような社会になる。国力・防衛力が無くなれば、隣の国に侵略される。中国に侵略され、命の危険に晒されれば、飽食で衰えた精子ががぜん元気になる。そのあとの復興に期待したい。たいてい死の危険を脱した後で、人口は爆発的に増える。終戦後のベビーブームや、日韓併合後の韓国人口の増加はその証である。

                妖しい割れ目 

 そこまで待っていられない人は、戦争を起こす。
 戦場で若い男が、命の危険に晒される。身の危険にさらされる男は、子孫を残そうと欲情する。大東亜戦争末期から終戦後、日本人子女は、ロシア兵やアメリカ兵に相当数襲われた。ベトナム戦争では、韓国兵が強姦の限りを尽くし、数万人のライダハンを作った。日本軍は、合法的に慰安婦を利用した。
 じじいの決死隊が活躍し、高齢者が全滅しても、若者が栄える。

 戦争で負けて、焼野原になっても、生命力は抜群に増す。
 つまり、戦争すれば人口は一気に増える。今のように、平和でぬくぬく生きている代償が、少子化からの日本壊滅なのである。日本が豊かなままで人口を増やす、という虫のいい考えは排除する。

 大問題なのは、人口減少の日本が増加に転じれば、世界人口の増大が加速することである
 こんどは、人口爆発で人類全体が危機に陥る。
スポンサーサイト



日本の少子化対策①

 少子高齢化が進むのは、その社会が豊かで死ぬリスクが少ないからである

 日本は、深刻な少子化から、人口減少がいよいよ本格化する。国連人口部の発表では、2058年に1億人を下回り、2100年には7500万人になる(そのときの世界人口は110億人)。このまま合計特殊出生率が2を切ったままなら、日本の人口はゼロになる。
 さらにいま、世界の中で高齢化率がいちばん高いのは日本である。

 日本でなぜ子供が生まれないのか。フリーターが増え若者の収入が安定しない。子供を育てる費用が高すぎる(大学生一人1000万円は下らない)。そのため適齢期になっても結婚しない人が増え、子供をつくらなくなったなど。原因は言い尽くされた。
 つまり政治が悪いからである。
 ほんとうか?

                人魚姫

 ほんとうの原因は、政治が上手くいきすぎて、日本が豊かになったからである。日本の人々は、いつもお腹いっぱい食べている。貧乏人でさえ、腹をすかしている人はわずかである。その気になれば、ジャガイモやおから、コンビニの期限切れ弁当など、食べるものはいくらでもある。 
 こんな飽食社会では、なかなか人は死なない。死にかかった人でさえ、平均10年も生きる。そんな社会では、子孫をつくる必要性が衰える。さらに豊かさは精子の勢いを殺す。

 そのうえ日本では、命の危険がほとんどない。日本は男女そろって世界一の高寿命である。戦争もないし、テロも少ない。交通事故死が数千人で自殺が2万人いても、世界を見わたせば、一番安全な国である。安全すぎて、あおり運転でさえ大騒ぎする。放射脳患者は、幽霊まで危険視する。
 つまり少子高齢化が進むのは、その社会が豊かで、死ぬリスクが少ないからである。

 さらに日本のような先進国では、女性優位のジェンダー教育から、徹底的なセクハラに対する拒否反応がある。毎日のように、痴漢やセクハラ被害を訴える女性が発生する。体の一部に触れただけで大騒ぎになって、有能な男性が人生を棒に振る。
 畠山みどりの「恋は神代の昔から」の文句で、「無理も道理のひとつです、ぐっと握った彼女の手、好きというまで放しゃせぬ、むかしの人は言いました、いやよいやよも好きのうち」は、もはや成り立たない。
 これでは精力の余っている男も、生身の女性には手を出さなくなる。VR・ARと関連ハードが発展すれば、なおさらである。

 ではどうすれば日本の人口を増やせるのか。
 日本の少子化対策② 妄言提案につづく

昆虫はすごい

 ゴキブリは人類最後の栄養豊富な食料として重要な昆虫になる

 昆虫の種類数は数百万種ともいわれ、地球の全生物の半数以上を占める。丸山宗利氏(九州大)の著書「昆虫はすごい」は、その地球上で最大の勢力を誇る昆虫の不思議な生態を、実例を挙げて説明したものである。
 
 たとえば、植物との戦いである。多くの植物は、動物に食われないように毒素をもっている。毒の効かない相手には、間接的に嫌がらせをする植物もある。モンシロチョウがキャベツを食べると、寄生蜂をおびき寄せる物質を体から発散させてしまう。寄生蜂が体内に入ったモンシロチョウは悶絶する。

 またカマキリのメスは、オスの頭を食べながら交尾することはよく知られている。そこで、自分が食べられるのを嫌うオドリバエのオスは、メスに別の種のハエを食物として贈呈する。メスがそれを食べている隙を狙い、やおら交尾に至るのである。

 また社会生活を営むアリやハチの巣にちゃっかり居座ってしまい、巣に蓄えてあるエサをおいしくいただく昆虫が、かなりの種類いるらしい。あろうとことか、アリやハチの幼虫まで食べてしまうのだという。アリは目が見えないため、臭いをつけていれば姿かたちが異なっていても、気づかれることがないからである。
 もちろん天罰は下る。いったん住民であるアリに見破られたら最後、よってたかって嬲り殺しにされる。

 昆虫に限らず生物の生き様は、食べることと繁殖することである。その2つに尽きる。この本ではその生々しい実態を、具体例を挙げつぎからつぎへと記述している。

                イッチーノ

 そしてこれら昆虫の特徴は、変態と飛翔である。いずれも生活環境を変えることになり、多様性をもたらしてきた。そしてどちらも食べること、及び出会いの機会を増やすことに貢献する。つまり(昆虫に限らず)生物の生きる最大の目的は、自分に近い遺伝子を残すことである。体というのは単に遺伝子の乗り物にすぎない、という仮説には説得力がある。


 またある種の昆虫は、人間に害を与える。自身の毒素だけでなく、病原菌や原虫を媒介するからである。これまでに何度か、人類を壊滅に近い状態に追い込んだ。14世紀のヨーロッパでは、ノミ媒介のペストによって人口の半数が死に絶えた。いまでも熱帯地方では、カの媒介マラリアで毎年100万人単位の人が亡くなっている。またあらゆる吸血性の昆虫が、得体のしれない病気をもたらす。これらは数十年の潜伏期間を経て、心臓欠陥などでの死を招く。
 おそらくわれわれの何割か(ほとんど?)は、昆虫由来の得体のしれない病気を抱えているはずだ。その体内の病原菌を撲滅するためには、適量のアルコールと放射線照射が有効である。

 むしろ多くの人が忌み嫌うゴキブリは、刷り込みの被害者である。黄色い悲鳴をあげるからびっくりするだけで、ゴキブリは完全に人畜無害である。将来はゴキブリこそ、人類最後の食料として重要な昆虫になる。今のうちに各家庭で、大量養殖しておいたらどうか。

バッタを倒しにアフリカへ

 世の中の人に喜んでもらえるなら、「自分の不幸も蜜の味」になる

 この本は、昆虫学者前野ウルド浩太郎氏の書いた、ベストセラードキュメンタリ―である。昆虫学者を志す若きポスドク(博士になって正規の研究・教育職に就いていない人)が、バッタ研究のため単身アフリカのモーリタニアに渡航。そのバラエティに富んだ研究生活記録である。
 ポスドクは、数多くの論文を書かなければつぎの段階に進めない。下手すれば一生涯、おまんまの食い上げになる。著者は、論文のタネをもとめ、「過酷」な生活環境の赤道直下、西アフリカに、単身乗り込んだ。

 この本は、そこかしこユーモアが盛り込まれており、380ページを一気に読むことができた。ユーモアは、著者の文章力に加え、彼自身がしでかしたへまや失敗の履歴である。それがなんとなく小気味いい。

                千両役者 H30.11.25

 このことは本の中で著者自身が述べている。
 読む人にとって「人の不幸は蜜の味」である。ほかの人の自伝本はたいてい、自分がうまくいった話をそれとなく自慢している。書いた人は気持ち良くても、読む人は面白くはない。人の不幸に、読者はひかれる。読者に喜んでもらえるなら、不幸や失敗は話のネタになる。そう考えたら、「自分の不幸も蜜の味」になる。そうやって、自分の不幸を歓迎しているのがいい。

 たとえばこの本では、現地の従業員から相場以上のお金を取られたり、バッタを子供達から買い取ろうとして騒乱になったり、大枚はたいて作ったバッタ用の網かごが腐食するなど、つぎつぎと想定外の失敗が描かれている。普通ならやけくそになる。

 それでもバッタ博士はしぶとい。研究用のバッタがいないときは、たまたま見つけたゴミムシダマシという別の昆虫に着目した。エサを食べたときのユーモラスな挙動、それまで誰も見つけられなかった簡便な雌雄判別法を編み出し論文にまとめる。アイデアを駆使できれば、いくらでも研究できる。
 物語の最後では、バッタ博士の努力が世間に認められていく過程が綴られている。講演会に呼ばれたり、いろんなところから潤沢な研究費が支給されるようになる。
 そしてこの著作は、ベストセラーになった。

 これからはさすがに、若いときのように、貧乏・自虐ネタばかりで読者をひきつけることは難しい。この一発芸で終わるかもしれない。

 それでも仕事を続けている限り、失敗から逃れることはできない。つぎはどのような自虐ネタで、読者を楽しませてくれるだろうか。こんどは学術的な中身と、さらに上達した文章センスで、深みのある面白い著書を期待したい。

生物の不思議②

 ムダの権化であるオスが世の中に存在するのは、「悪貨が良貨を駆逐」しただけである

 鈴木紀之氏(農学博士)の「すごい進化」の続き。
 生物学における最大のなぞは、そもそも「なぜオスが存在するのか」だという。無性生殖ができれば、繁殖にオスはいらない。1体のメスが無性生殖してメスが2体生まれたほうが、オスとメスを生むより2倍も効率がいい。オスは子を産めないので、もともと生物学的に、オスは役立たずでムダな存在なのである(もちろん人間も)。

 しかもクリサキテントウのように、異なる種のメスに手を出すような変態オスは、生物界では珍しくない。さらにほとんどのオスは、メスを獲得するために派手な姿態(クジャクやライオン)を取り、求愛のムダな動作を繰り返す。人間様も、求愛のため高額な結婚指輪を贈ったり、筋力トレーニングで肉体改造を行い、嫁取りのため家を立てる。自分は遣うことない金を稼ぐため、命を削る
 まさにオスは、哀れなムダの権化である。人間のメスも、理論的にはクローンだけで繁殖できる。

              「縄文のビーナス」と「仮面の女神」

 これについてはいろんな見解がある。
 ひとつは有性生殖が遺伝的多様性を高め、環境に最適な子孫を残すという常識的な仮説。有性生殖は長い間に有益な遺伝子が残り、有害な遺伝子を排除するからである。
 また「赤の女王仮説」というのがある。ある種の寄生者を排除するため、常に有性生殖で進化し続けていくというものである。他にもいろんな説があり、進化のためには有性生殖の方が有利かもしれない。
 しかし、有害な遺伝子を排除することは無性生殖でも行われている。いくら有性生殖で進化させても、無性生殖における2倍の繁殖効率にはかなわない。したがって、世の中に有性生殖の方が多いという絶対的根拠として弱い。


 そこで鈴木氏は、つぎのような仮説を提供している。
 無性生殖する種と有性生殖する種とでは、どちらが有利かという考え方を捨て、どちらが広まりやすいかということを考えてみる。発想の転換である。
 もし環境適応や繁殖効率の有利さで、ある品種で無性生殖の生物が増殖し、わずかしか有性生殖タイプがいなかったとしよう。その場合でも、有性生殖のオスはみさかいがないので、無性生殖のメスに手を出す。すると必ず有性生殖のオスとメスが同数生まれる。もともと数の少ないオスは、ハーレム状態であるから、自分の子孫を残す確率が高い。したがって、いったん有性生殖のオスが現われたら、否応なくその品種は有性生殖にロックインされてしまうのだそうだ(詳細な論理は著書を参照してください)。

            宝永体育祭 女装H24.5.20

 これはあくまでも仮設であり、真相は闇の中である。
 それでも、ムダの権化であるオスが世の中に存在するのは、「悪貨が良貨を駆逐」しただけという仮説には、ひとまず納得せざるを得ない。少なくとも、人間社会でセクハラとか強姦未遂と騒いでいることがバカらしくなる。だから、人間が生物であることを放棄したポリティカル・コレクトネス社会では、少子化に歯止めがかからないのである。
 これから先進国で人口を増やすには、女性がクローンを生むしかなくなるのだろうか。

生物の不思議①

 生物は成長することと繁殖することがすべてであり、ひたすら生と性を貪る

 久しぶりに生物学の著書を読んで、あらためて生物界のおもしろさに触れた。鈴木紀之氏(農学博士)の「すごい進化」である。
 今回は、鈴木氏の著書を要約し、テントウムシ生態の一部を紹介しよう。

 テントウムシは、アブラムシを捕食している。そのアブラムシの中で、栄養価が少なく捕まえにくいマツオオアブラムシが繁殖している松の木には、クリサキテントウが住んでいる。アブラムシは、松以外にもあらゆる樹木に住み着いており、ほとんどがマツオオアブラムシより捕まえやすく栄養価も高い。

 ではなぜクリサキテントウは、あえて松の木に住み着いて、割の合わないマツオオアブラムシを食べて生きているのか。クリサキテントウが、他のテントウムシの住むところに行って、アブラムシを捕ったとしても他のテントウムシに排除されるわけでもない。アブラムシはいくらでもいる。

              テッチー

 鈴木氏の考察によると、これはナミテントウとの交雑を避けるためだという。つまり種の異なる生物同士は繁殖できない。交尾しても子が生まれない。
 2種のテントウムシが同じ場所に住み着いていると、異なった種同士で求愛と交尾が頻発する。自然界ではこのみさかいのない乱交が頻発している。とくにクリサキテンウのオスは、仲間のメスと同じように、ナミテントウのメスにちょっかいを出す。オスは(いくらでも交尾できるので)幸せである。一方のナミテントウのオスは、クリサキテントウのメスに求愛することなどしない。同種間で「正常な」交尾・繁殖が行われる。
 そのためクリサキテンウのメスは、交尾機会が少なくなってしまう。つまり繁殖・子孫ができず、生物として最優先の目的が果たせない。したがってクリサキテントウは、ナミテントウのいない、ひどい環境に住まざるを得ないのである。


 このように地球上の多くの生物は、自分たちと近い品種とは同じ生態系に住まない傾向がある。例えばヒトとネアンデルタール人は共存できなかった。サルが地球にいるのは、よほどの変態のヒトでなければ、チンパンジーといたしたいと思わないからである。人類が絶滅寸前にまで少なくなれば、また事情は変わるかもしれないが。

              オシベ花

 もう一つ、残酷な事実がある。
 クリサキテンウのオスは、ある有害バクテリアに感染する確率が高く、メスが生み落したオス卵の一定割合は孵化しない。孵化したばかりのメスは、そのオスの卵を食べて成長する。食料となるオス卵がいなくなるころにはある程度成長し、孵化したときには捕獲できなかったマツオオアブラムシを、捕食できるようになるのだという。
 他種のメスにみさかいなく手を出すクリサキテントウのオスは、その報いを受けているのである。


 生物は、成長することと繁殖することがすべてである。人間様みたいに、「生きる目的」に悩むことなく、ひたすら性と生を貪る。まさに生み生きる物である。

フグの肝臓

 人間は毒をうまく取り入れることで、75億もの個体を地球上に増やしてきた

 愛知県のスーパーが、フグの切り身をその内臓と一緒に販売していたというニュースがあった。購入した客から「フグの肝臓が入っている」と保健所に連絡があり、確認したところ、ヨリトフグの肝臓が含まれていたらしい。食品衛生法では全てのフグの肝臓は販売・提供が禁止されているという。

 当局では「商品を見つけたら絶対に食べず、返品して欲しい」と呼びかけている。
 スーパーの店主は「20年も前から売っていて、これまで問題なかった」と言っており、ネット上ではこの店主に対し、罪の意識がまったく無いとして批判が集まっていた。
 そのあと店主も思い直したらしく、「肝に銘じて、今後は販売しない」と、うまい反省の弁を述べている。

             九州下関フグ亀H25.5.29

 しかし、このスーパーで売っている「ヨリトフグ」の肝臓に含まれている毒素は、ほんのわずかである。厚労省が、フグの肝臓ならどんなものも販売禁止などと言うのはおかしい。理不尽な規制・ルールは修正すべきである。禁止されていないのなら、フェイクニュースである。

 そもそも、すべての食物は毒である。
 熟していない青梅の種中心部には青酸が含まれており、子どもが100個も食べれば死ぬかもしれない。同じく杏子やびわ、すももなど、その種にも青酸が含まれている。トマトの未熟な実にも、トマチンと言う毒素があり腹痛を起こす。ジャガイモの芽や緑に変色した皮には、ソラニンと言う毒素が含まれている。また銀杏を大量に摂取することで、おう吐、下痢、呼吸困難、けいれんなどを起こす。きのこの猛毒はよく知られている。

 つまりほとんどの植物は、動物に食べられることを想定しておらず、虫よけの成分として毒素を含んでいる。動物も同じで、肝臓に毒が溜まるのはフグだけではない。美女の猛毒は国を破滅させる。

 これらの天然の毒素に加え、土壌や大気、海洋に散乱しているあらゆる化学物質が、動植物に取り込まれている。まったく無害の食物などあり得ない。毒素の接種を少なくしようと思ったら、食べるのを減らすのが一番である。それにたいてい、美味しいものほど体に悪い。そしてすべての毒は薬であることを忘れてはならない

 人間はあらゆる毒をうまく取り入れることで、75億もの個体を地球上に増やしてきたのである。
 なんでも禁止するなら、人間の知恵が退化し、いまにサル並みになってしまう。

進化論の最前線

 神の目から見た正義は、人間の利得とは相いれない。環境変化は受け入れるべきなのか
 
 池田清彦氏の「進化論の最前線」(2017年1月17日発行)を読んで、私にとっての新しい知見をいくつか得ることができた。

 まず進化論はこれまで、大まかにダーウィンの進化論とラマルクの用不用説を中心に展開してきた。だがこれらの理論だけでは、どうしても説明できないことが多い。小進化は説明できても、大きな進化についてはできない。具体的に動物の本能の獲得である。サケは生まれた川に戻ってきて卵を産む。また、ある狩バチの仲間は、エサとなる虫の急所に正確に毒針を指す。これらの本能が無ければ生きていけない動物が、少しづつ進化していたのでは、途中で滅びてしまう。
 
 つまり池田氏は、これらの大進化はすべてが偶然であると仮説を立てている。
 そしてそこでは「ゲノム編集」や「細胞内共生」など複雑な要素が絡み合う。ただその辺りになるとこの本は、ややこしい専門用語が続出してわけがわからなくなる。「エピジェネティクス」、「バイソラックス変異体」、「ホメオティック遺伝子」などの耳慣れない言葉がつぎつぎでてくる。また人間の脳が大きくなったことと体毛が薄くなったことが関係するなど、理解不能な考察が多かった。

             キリンの首

 それでも池田氏の、言語脳に関する仮説は、なるほどと思った。
 日本は、科学を母国語で学ぶことができる数少ない国のひとつである。その言語に関する神経回路は、7~8歳までの幼児期につくられる。幼児期にしっかり作られた言語脳が、その言語による学習の理解を促進する。国語がいかに重要かわかる。もちろん、幼児期に日本語以外の言語を習得すれば、バイリンガルになる。ただ普通の人は、どちらも中途半端になる。したがって、ものごとの理解力を増すには、まず母国語である日本語をしっかり学んでから、第2言語を覚えるべきである。


 また、いま外来種との交配による遺伝子汚染が問題になっている。これは環境全体にも悪影響を及ぼす。
 だが地球の長い歴史から見ると、このことが進化を促進させてきた。遺伝的に離れた種族と交わることで、多様性の幅が大きくなる。人間の生存環境にとっては問題であるが、生物全体の進化発展のためには悪いことではない。人間の遺伝的進化が期待できない今、神の目から見た正義は、人間の利得とは相いれない。
 環境変化は甘んじて受け入れるべきなのであろうか。
 そもそも地球から見たら、人間の存在などどうでもいいのである。

ロボットと人間の未来

 1000年後に人類が生き延びているとすれば、我々とは全く異なった有様に変化している

 7月17日のNHKドキュメンタリーでは、石黒浩大阪大教授が、『最後の講義』を行っていた。
 この番組は、各々の講師が、もしこれが人生最後の講義だとしたらぜひ伝えたい、と思ったことを話すものである。
 石黒教授は、未来の人間社会を支える知的システムの実現を目指し、人間と豊かにかかわる人間型ロボットを作る研究を行っている。そのため、センサ工学、ロボット工学、人工知能、認知科学を基礎として,あらゆる技術を取り込もうとしている。

 この講義で石黒教授は、「すべての人間はロボットになる」と衝撃的な未来予想を行っていた。
 人間のような有機体は、環境変化に弱い。太陽放射線の変化や、わずかの大気構成や温度変化で絶滅する。今の地球環境の変化には、ダーウィンの進化程度ではとても追いつかない。だから遠からず人類は滅びる

 一方で、無機物質で構成される機械なら、多少の環境変化には対応することができる。しかもAIや機械技術の進歩は、遺伝による進化よりはるかに速い。1000年後といわず、100年後には自分とまったく同じ姿かたちをして、同じ思考能力を持つロボットをつくることができるであろう。もちろん、そのロボットが自ら学習して、さらに優秀な子孫ロボットをつくる。何代も重ねていくうちに、とんでもなく進化した「生き物」ができていく。

      千畳敷 幽体離脱 H27.6.12

 しかし、人間とまったく同じ動きと思考能力を持っていたとして、その『ロボット』は人間と言えるのであろうか。あるいは逆に、ヒトのDNAは継続していなくても、人間そっくりなその『ロボット』は、はたして機械と言えるのか。もしかしたら人間そのものではないのか。考えるほど混乱する。


 ここでわれわれの生きる目的はなにか考えてみよう。
 その最大の目的は、「子孫を残す」ことであった。できるだけ自分に近いDNAを持った子孫を残したい。これがすべての「生物」の本能である(反対する人は生き物ではない)。
 石黒浩教授は、進化した人間そっくりロボットも、そのまま人間の子孫であると示唆している。

 ただ、人間が機械に置き換わってしまうのはなんとも味気ない。
 現在の遺伝子工学を発展させれば、われわれのDNAを持った子孫を、いかなる環境にも対応できる超人に変質させることも可能であろう。倫理面の問題さえクリアできれば、遺伝子操作による超人化はきわめて現実的である。

 我々の未来の子孫は、石黒浩教授の云うAIを伴う機械ロボットなのか、あるいは遺伝子工学を駆使した超人なのか。どちらにしても1000年後、人類がもし生き延びているとすれば、今の我々とは全く異なった態様に変化している。それでも子孫を残したと言えるのであろうか。

恐怖のヒアリ

 目先の小さな脅威に過剰反応することで、大きな実害を招くのは、日本人の得意技である

 先月、神戸港に荷揚げされたコンテナから、ヒアリが発見された。ヒアリは、極めて強い毒針を持っている。 人間だけでなく、多くの動物に攻撃をしかける。毒性が高いだけでなく、小動物なら集団で食い殺してしまう。数が増えれば人間も同じである。アメリカでは、毎年100人近い人が死亡しているという。
 
 貿易が拡大すれば、数多くの招かれざる客が訪問してくる。輸入コンテナは、中身をすべて確認するわけではない。書類だけで通関し、そのままコンテナごと流通する場合もある。今回ヒアリが発見されたのは偶然である。氷山の一角であり、現実にはかなりのヒアリが、すでに日本に上陸しているはずだ。

        働き?アリ

 では、このヒアリをどうすればいいのであろうか。
 外来生物が大量繁殖するのは、新しい世界には天敵がいないからである。天敵とは、たいていその生物を食べる生物である。

 ヒアリに関しては、日本に素晴らしい天敵がいる。
 ある記事では、兵庫の生物研究員の橋本佳明氏によると、ヒアリの天敵は、じつは日本のアリだそうだ。縄張り意識が強い日本のアリは、見慣れないアリがいると攻撃して死滅させてしまう。とくにサムライアリは、その傾向が強いという。このとき人間が、殺虫剤などでアリを減らしてしまうと、却って猛毒ヒアリが繁殖してしまう。われわれは、日本にいるアリを減らさないようにすればいい。(7.11追加;じつはこの話を否定する記事も出てきた!?。平和ボケした日本アリは、ヒアリに太刀打ちできないらしい。)

 ここで注意すべきことがある。ヒアリを撲滅するために、日本アリとくにシロアリを増やしてしまうと、日本中の構築物が根元から腐ってしまう。有象無象の外来シロアリも多い。シロアリに比べたら、ヒアリ被害の方がはるかに少ない。このことは、放射能に吃驚して他の有害発電装置を増殖させてしまったことと重なる。日本人は、極端である。
 目先の小さな脅威に過剰反応することで、大きな実害を招いてはいけない。

       刺身とから揚げに H26.6.20撮影

 もっとも、すべての生物の天敵はヒトである。生命のしぶとさや繁殖能力の高さで、地球上に70億もの個体を増殖させてきた。ヒトがその捕食能力を発揮し、ヒアリとシロアリのおいしい調理法を開発すれば、アリはあっという間に絶滅危惧種に成ってしまう。
 あれほど大繁殖した越前クラゲも、クラゲ丼が福井の特産品になろうとしたとたん、消えてしまったではないか。

庭木の「剪定」

 先日、自宅裏の樹木の剪定を行った。
 自宅裏の20坪ほどの庭に、松やビワの木など10本ほどが乱立している。もともと、背の高さぐらいしかなかったのが、数十年経つと目の当てられないくらいに、生い茂ってしまった。問題は松の木である。長さ30センチほどの無数の新芽から、膨大な花粉が放たれている。松の花粉は粒子が荒いので、たこつぼのような庭の中を舞い上がり、近くに落下する。これまで黄砂だとばかり思っていたのが、じつは松の花粉だったのである。

   葉先を切った松 H29.4.29

 外に干した洗濯物は粉まみれになる。それにスギ花粉の季節が過ぎても、一向に花粉症の症状が改善しない。どうもおかしいと思っていた。

 剪定というと聞こえがいいが、めくら滅法切りまくっただけである。
 脚立を松の木にかけて、長尺の剪定鋏と、のこぎりで切断していく。姿勢をとれないので、力が入らない。15~20分もすれば、汗びっしょりになる。2時間かけて、やっと3本の松の木を裸にした。くたくたである。
 これで当分は、花粉症の恐怖から解放される。庭木として見栄えがいい悪いは、もうどうでもいい。

 これだけ切っても、数年後にはまた生い茂る。植物の生命力はすごい。

人類滅亡のカギを握る

 最終兵器メタンハイトレードの採掘技術は、日本のとてつもない武器になる

 ホーキング博士は、人類を危機に直面させる人為的な原因として、「人工ウィルス、軍拡競争、核戦争、地球温暖化、加速器を使った素粒子の実験」などのリスクを挙げている。
 これら人為的な原因に加え、巨大隕石の衝突や地磁気逆転、巨大噴火、太陽風など、自然現象による壊滅的な破壊も、いつ起こるかわからない(北朝鮮はまだ人類を滅ぼすほどの核は保有しておらず、叩くなら今のうちである。また原発事故ごときで人類は滅びない)。

 東京理科大教授の坂口謙吾氏は、近未来の現実問題として、メタンハイトレードの気化と爆発を挙げている。
 2億5000万年前、地球生物の95%が死滅した大破局は、まさにこれが原因であった。このとき、巨大火山の連続噴火による大気温度の上昇で、深海のメタンハイトレードが気化し、点火して爆発したのである。30%あった大気中の酸素濃度は10%にまで落ち込んだという。これだけで、たいていの生物は生存できない。爆発しなくても、メタンの温室効果は炭酸ガスの20倍もある。海中メタンが気化しただけで、地球平均気温が10度は上昇する。

 同じことが、つぎは人為的に起こる。
 つまり日本近海には、膨大なメタンが凍結している。メタンハイトレードと呼ばれる。エネルギー資源の乏しい日本は採掘しようと躍起になっている。そのうち掘削技術が確立し、採掘がはじまる。採掘のためメタン凍結を解除する。そこで一歩間違うと、とんでもないことが起こる。気化の連鎖反応が起こり、それが地球規模に広がる。まさに、2億5000万年前の大絶滅と同じような状態が発生してしまう。
      びっくり妄言

 とんでもないことであるが、日本にとっていいこともある。
 日本はメタンハイトレードを刺激するという、とてつもない武器を持つことになるのだ。世界があっという間に破滅する、ほんものの最終兵器である。北朝鮮の核兵器どころではない。日本が、世界破滅のカギを握る。

       ひも人間

 大東亜戦争の原因は、資源の輸入を止められたことであった。ところがこの武器を持つことで、日本はエネルギー強者に早変わりする。「最終兵器」の行使をちらつかせれば、資源をストップされることはない。
 もしチベットのように、外国から侵略され主権と人権を奪われそうになれば、名誉ある破滅を選ぶ。人類の生存を、われわれ自身の手で終わらせることができるなら、そのほうがいい。どうせ生物学的な人類の生存は、あと10万年もない。
 したがって、原発を断念するのなら、日本は早急にメタンハイトレードの資源開発を進めなければならない。

民族間の知能程度

 日本でうだつがあがらなくても、海外で成功する可能性は大きい

 「新潮45」1月号での橘玲氏の記事は、タブーを明らかにした衝撃的なものであった。つまり、いま世界で問題になっている格差、とくに民族間の格差は、その知能程度が反映されたものだという。つまり人種によって、明らかに知能程度が異なるのである。それが社会的格差、つまり貧富の差という形に増幅される。

 では、その民族間の知能程度はどれくらい異なるのか。
 記事によると、現時点で普通の白人を100とすると、ユダヤ人115、東アジア人105、黒人85である。

 すなわち、圧倒的に知能指数が高い民族はユダヤ系である。世界人口の0.2%以下に過ぎないユダヤ人が、ノーベル賞の20%以上を取っている。ウォール街を牛耳っているだけでなく、世界中どこへ行っても、その地域で大成功をおさめる。「ユダヤの陰謀」と妬まれるほどに、世界中の利権に食い込んでいる。

     タコ 2匹 

 われわれ日本人も105だから捨てたものではない。中国、韓国人と同じ程度である。だから、白人やヒスパニック、東南アジア、アフリカでも、華僑や日系が食い込んでいる。日本でうだつがあがらなくても、海外では成功する可能性は大きい。だから、若い人は海外へ行けと言われる。
 中国・韓国・日本と、東アジア同士で仲が悪いのは、同じような知能程度だからだと思う。

 もちろん、民族としての平均値だから、個人間の能力はばらつきがある。ここにインド系がいないのは、ばらつきが多すぎるからであろう。

進化論と用不用説

 文明が発達し、人々が何もしなくなると人間社会は終わる

 ダーゥインの進化論に異を唱える人は大勢いる。
 その一人である杉晴夫氏(帝京大名誉教授)の「人類はなぜ短期間で進化できたのか」を読んだ。杉氏は、ダーゥイン進化論に疑問を持ち、生物の進化はラマルクの用不用説が正しいとしている。
 その著書の一部を、以下に抜粋する。

①地球に生命体が生まれたのは、40億年前。その中でいまの人類の誕生からまだ20万年しかたっていない。なぜ人類はこんなに早く進化できたのか。これは、ラマルクの用不用説でしか説明できない。

②ラマルクの用不用説は、「動物が一代で発達させた器官がその子孫に伝わる」というものである。

③その原理は、「生体がその生存を賭けて周囲の環境に適応しようとする結果が、神経系から内分泌系に伝わり、さらに内分泌系から生殖腺における精子、卵子の核酸の遺伝子や卵細胞の細胞質に影響を与えている」というもので、これは検証が可能である。すなわち、科学である。

③「キリンの首は一足飛びに長くなったのでなく、段階的に長くなったとすれば、進化の途中で中途半端に首の長いキリンは首が重くなっただけ生存に不利」という事実は、ダーゥインの進化論の矛盾である。

④「手の活動と脳の活動は互いにプラスの効果を及ぼす。つまり手の使用が脳の進化を著しく進化させる。」

⑤「人類が進化の結果築き上げた文明社会では、一人の傑出した人物が現われ、社会に長年鬱積していた感情に火をつけると、社会が激しく動き出す」


 たしかにダーゥインの進化論では、環境に適合した生体だけが、つぎつぎと現われる。都合のいい生体が、すこしづつ改良しながらつぎつぎ出現するのも不思議である。
 それでも、生まれた子の大半が死んで、生き残った突飛なものだけが生き延びてきたというのも、わからないわけではない。おそらく進化論と用不用説は、どちらかが絶対的に正しくて、反対側が間違っているというものではないと思う。

 ただ、人間の文明の発達と進化は違うと思う。人間社会になって急速に知能が発展してきたのは、単に使われなかった脳の一部を開発してきただけで、これは一代限りであってもおかしくない。急速に発達したものは、急激に衰える。
 世の中の人々が、ぶら下がりばかりになって何もしなくなると、人間社会の文明は終わる。

蚊の季節

 こんな「蚊」でも、保護しなければ生物多様性を守れない

 夏に悩ましいことのひとつが「蚊」であった。秋風が吹いても、まだ我が家では「蚊」がうろちょろしている。姿は見えず、いつの間に体のあちこちが痒くなって、その存在に気付く。痒くなった時にはもう遅い。すでに腫れはじめ、痒みが治まるのを待つしかない。

 若いときは、蚊を発見するのも早かったし、見つけると同時に捕まえていた。
 この年になると音や姿で発見するのは難しい。見つけても、捕まえるのは至難の業である。その代わり、あたりかまわず殺虫剤をまく。
 おかげで、人間様が殺虫剤中毒になる。むかし蚊取り線香を焚いたときも、中毒になりかけた。掛布団に火が燃え移り、危うく焼死しかけたこともある。

 蚊は、メスだけが人の血を吸って、栄養をつけ卵を産むという。それがまた無数に増える。だから、血を吸われた蚊は何としても退治しなければならない。幸い血を吸った蚊は動きが重い。またたいてい、網戸のところで必死に外へ出て、卵を産もうとあがいている。そこに情けは禁物である。

 蚊は人から人に、あらゆる病原菌を移す。なかには、マラリヤやジカ熱など深刻な病気がある。こんな「蚊」でも、保護しなければ生物多様性を守れない。

生物多様性は必要か

 人口爆発に対応するには、これまでの地球環境とは異なる環境を用意しなければならない

 時間ができたので、久しぶりに本を読んだ。生物学者である本川達雄氏の「生物多様性」である。本川氏は、1992年の「ゾウの時間ネズミの時間」で有名になり、2012年の「長生きは地球を滅ぼす」で人間の本音を暴き、世間に感動を与えた。

 生物多様性の重要性が叫ばれている中、なぜ生物多様性が重要なのかいまひとつわからなかった。かっての本川氏の著作で感銘を受けた私は、彼ならその疑問に答えてくれると思った。
 著書の中で本川氏は、生物多様性のメリットを、つぎのように述べている。

①多様な生物は、人に役立つものを供給してくれる。
 衣食住に多様な彩りを与え、暮らしを豊かにする。遺伝資源を利用して、薬剤などあらゆる可能性の宝庫となる。

②精神的充足、美的楽しみ、宗教、娯楽など文化・文明向上の機会を与えてくれる
 鳥が飛ぶことや植物の葉の機能など、あらゆる生物の生存状況は、われわれに生きる上でのヒントを与えてくれる。

③生物が生きるための基盤となる環境を保ってくれる
 空気や水、エネルギー、食物、土壌、温度など、最も基本的な環境をつくるもので、この主役は植物である。

④他の生物や環境から人間社会への影響を緩和してくれる
 天然のダムである森が洪水や土壌流出を防ぎ、サンゴ礁は天然の防波堤となる。病原菌や害虫の発生を、その天敵である抵抗生物が和らげてくれる。また種の多様性のおかげで、特定作物の不作による飢饉が無くなる。
 重油のような廃棄物も、それを分解するバクテリアが活躍し、処分してくれる。


 さらに、生物多様性条約の前文には、「生物多様性が有する内在的な価値、並びに生物の多様性及びその構成要素が有する生態学上、遺伝上、社会上、経済上、科学上、教育上、文化上、レクリエーション上及び芸術上の価値・・」と述べられている。多様性には、あらゆる価値があるということである。

 また、本川氏は独自の見解として、自分自身すなわち「私」という存在は、自分の肉体だけではないと論じている。自分の思想やそれまでの言動、家や持ち物、もちろん先祖、子供・子孫、ひいては周りの生存環境すべてを「私」とみなしてもいいという。

 たしかに生物多様性は、多様性そのものが持つ価値に加え、われわれに多大な恩恵を与えてくれる。自我の塊のような現代人にとっても、身の回りのことすべてを「私」とみなすことで、自存意識を満足させることができる。

          七福神

続きを読む

ホーキング博士の人類滅亡

 せっかちな人は、自分の目で人類の滅亡を見たいと思う

 今年74歳になる英国のホーキング博士は、26日のラジオBBC収録の際、人類が100年以内に滅亡すると発言したという。人類の危機を招くリスクとして、「人工ウィルス、軍拡競争、核戦争、地球温暖化、加速器を使った素粒子の実験」などを挙げている。
 この「加速器を使った素粒子の実験」では、ブラックホールが発生し、地球そのものを飲み込んでしまうかもしれないと言われている。

 もともとホーキング博士は、全宇宙の生命体について、「もし文明の進んだ生物がいたとしても、その文明ゆえに瞬間的に滅んでしまう」と言及していた。
 まだそこまで人類の文明が進展しているかどうかはわからないが、少なくとも百年後までには、あっという間に人類を滅ぼすような装置ができるはずである。いま人類が保有している核兵器でさえ、人類の大部分を滅ぼすのに充分である。

         無人の招魂者 H28.1.1

 そもそも、人類を含むすべての生命体における自然状態での滅亡は、増えすぎるか減りすぎることであった(あたりまえ?)。それに、人のような両性生殖動物は、子孫が生まれるごとに、DNAの末端のテロメアという部分が損傷し、やがては生殖が不可能になる。その時期は、5~10万年以内だと言われている。

 もともと、人類に永遠はないのである。滅亡は約束されており、早いか遅いかである。せっかちな人は、10万年待つより、自分の目で人類滅亡を見たいと思うかもしれない。核のボタンを握る人の中に、そんな人がいないことを願う。

レミングの集団自殺と安保デモ(27年7月31日)

 自分のことだけ考えたあげく、まだ見ぬ新天地を求めて、多くの人を道連れに崖から落ちる

 北極圏のレミングというネズミは、集団の密度が高くなると大行進を始める。やがて崖から落ちて大半が死ぬ。放っておくとその地域の「種」が全滅するからである。この行動は、レミングが「種」の利益にかなうために、自ら犠牲になって全滅を防ぐ行為だと考えられていた。

 しかし最近の研究では、これは「種」の利益でなく、「個」の利益を求めたあげく大量死するのだとする説が有力である(「科学の罠」長谷川英祐より)。集団のなかで切羽詰まったレミングは、暴走することによって、どこか新天地にたどりつくことを求めているのだという。なぜなら、もし集団のために自殺する遺伝子を持つレミングがいたら、それは集団自殺によって激減する。集団自殺を繰り返せば、いなくなる。
 それよりも、「座して死を待つ」よりわずかな可能性を求めたほうが、生き延びる可能性は大きい。どちらにしても、結果的に「大量死」するおかげで「種」は残る。

 この哀れなレミングは、原発や安保反対のデモをしている人たちとそっくりである。「戦争したくないじゃん」、「ヒバクはいやだ」・・・。彼らの意見を聞くと、とても深く考えているとは思えない。考えているのは、目先の自分のことだけである。自分のことだけを考えたあげく、まだ見ぬ新天地を求め、多くの人を道連れに、崖から落ちる(彼らは死なないから、もっと厄介である)。
 暴走レミングと同じである証拠に、彼らは決して行く先を明らかにしない。

皆が働く組織は滅びる?(27年6月5日)

 いつも遊んでいるように見える公務員は、「いざ」という時によく働く

 ふつうの会社では、すべての人が目いっぱい働くことが求められる。そうでないところは潰れる。そのような会社人間から見ると、何をしているかわからない公務員や団体職員は、能無しの「穀潰し」に思える。その「穀潰し」が我々より高給取りとはどういうわけだ、と怒る。当然である。

 ところがもっと大きな視点からみると、皆が精いっぱい働いている社会は長続きしない。
 どういうことか。
 生物学者である長谷川英祐氏の著書「働かないアリに意義がある」によると、アリやハチの世界において、つぎのような観察結果が得られたという。

・コロニー(巣の世界)の中で7割のアリは何もしていない
・死ぬまでほとんど働かないアリもいる
・卵の世話が途切れると次世代がいなくなり、そのコロニーは滅びる
・よく働くアリは寿命が短い
・ハチやアリには個性として刺激に対する反応の違いがある
・その個性によって、仕事が全体にいきわたる
・つまり、仕事が増えると働かないアリも働くようになる
・働かないアリがいる非効率なコロニーのほうが寿命は長い
・道をまちがえるアリがいると、効率よく餌がとれる場合がある

 すなわち、ブラック企業の従業員のごとく、よく働くアリやハチは寿命が短い。もしこのような個体ばかりだと、皆が一斉に疲れ果て、(卵の世話のような)どうしても必要な仕事ができなくなる場合がある。卵の世話ができなくなると、その一族は滅びる。あるいは、人間に襲われて巣が破壊されるときもある。そんなとき、ふだん働きづめのアリは、それ以上の仕事ができない。

         働き?アリ

続きを読む

「コウヨウ」と「モミジ」(11月3日)

 春満開の桜の木が、秋には真っ赤な「モミジ」になれば理想的

 紅葉の季節である。
 本ブログでも書いたように、先月から今月にかけ、奈良の大和路、大野経ヶ岳、武生菊人形、鯖江西山公園と、紅葉の地域をいくつも巡ってきた。

 ただ同じ紅葉でも「コウヨウ」と「モミジ」は違う。
 「コウヨウ」とは、木々が冬に備えて落葉する前に、葉の色が変わることである。黄色も橙もあり、紅くなくてもいい。

 一方「モミジ」と言うのは、「コウヨウ」の中でもひときわ紅色の目立つ、カエデの仲間の総称である。その中でも、赤ちゃんの手のようなイロハモミジの仲間は、色も形も大変美しい。そこから人の手を広げた形の葉を代表して「モミジ」と呼ばれるようになったそうだ。

 そして、この「モミジ」として親しまれているカエデは、ほとんど日本列島特有のものである。したがって諸外国では、日本のような真っ赤なモミジ紅葉を拝むことはできない。
 春は桜に、秋の「モミジ」。この景観は、日本でしか味わうことができないのである。

  西山公園のモミジ紅葉 H26.11.02撮影     福井県庁周辺の姥桜紅葉 H26.11.02撮影

 どこかに出かけなくとも、紅葉ならたっぷりある。たとえば、県庁石垣周辺の、桜の紅葉である。「モミジ」ではないが、それなりの景観を楽しめる(これがほんとの、姥桜)。
 願わくば、春満開の花が咲く桜の木が、秋には真っ赤な「モミジ」になれば、理想的である。